【再】#772. 『近代英語における文法的・構文的変化』 --- 16世紀の英語
2026-08-31 28:23

【再】#772. 『近代英語における文法的・構文的変化』 --- 16世紀の英語

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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 そして英語のなぜに答える初めての英語字の著者の堀田隆一です。
英語の語源が身につくラジオheldio。英語史をお茶の間におもっとうに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は7月12日水曜日です。いかがお過ごしでしょうか。
本日お届けする話題は、近代英語における文法的・公文的変化、 16世紀の英語をめぐる福本博先生との対談です。
先日7月9日、日曜日にお届けした回、覚えていらっしゃいますでしょうか。
本日は769回近代英語における文法的・公文的変化、 秋元美之先生との対談ということでビッグゲストであり、 この本の読み上げた、近代英語における文法的・公文的変化という開拓者から6月に発売された本ですね。
こちらの編長者である秋元先生と対談いたしました。
そして今回はですね、その第2章、16世紀の章を執筆担当された法政大学教授の福本博先生においでいただいて、 16世紀の英語の公文についてお話を伺いました。
16世紀といえばですね、エリザベス朝ですね。 そしてその後半に天才劇作家シェイクスピアが現れるという、そんな時代背景の中で英語がどのように使われていたのか、特に文法的・公文的な側面に光を当てたいと思います。
福本先生にはですね、エルディオに初めてご出演いただきまして、本当にですね、楽しい対談でした。
このオープニングチャプターを含めまして、続くチャプターでは、それぞれ関係する情報へのURL、リンクを貼っておりますので、ぜひですね、それぞれ訪れていただければと思います。
ということで、福本先生との対談、どうぞ。
おはようございます。
おはようございます。
本日は対談会ということなんですけれども、今日お越しいただいているのはですね、福本博先生、法政大学の先生でいらっしゃいますけれども、ようこそおいでくださいました。今日はよろしくお願いいたします。
法政大学の福本と申します。どうぞよろしくお願いします。
はい、福本先生をお呼びしたのは、今回先日ですね、秋元実先生をお呼びした会で、「編著・近代英語における文法的・公文的変化」という開拓者から出たホヤホヤですね、6月に出たばかりの本の紹介をしたんですけれども、その著者一人でですね、福本先生が第2章をお書きです。
03:27
第2章っていうのは、この世紀別の本という面白いたてつけになっているんですけれども、第2章っていうのは何世紀なんでしたっけ?
16世紀になります。
16世紀というと、まさにその後半にシェイクスピアが出てくるというような、エリザベス朝ですね、広くチューダ王朝の時代ということなんですが、このぐらいの時代ってやはり多くの方はイメージがシェイクスピアっていうことですよね。
福本先生もご専門がまさにシェイクスピアの英語ということなんですけれども、シェイクスピアってその儀曲として、文学として非常によく知られているんですけれども、ことその英語に迫るっていうと、言うほどね、どんな英語なんだっけっていう感じで、文学的研究はすごく無数にあるんですが、語学的な研究っていうのはどれぐらいなされているものなんでしょうかね。
そうですね。シェイクスピアの文法研究というのは、昔からされていまして、やはり入手しやすいという、テキストが入手しやすいという問題で、どうしても突きやすいので、例えばハムレットとか、ハムレット・ジュリエットとか有名な作品を読んでみると、現代英語と違うところに気がつきますので、そこをもうちょっとやってみたいっていうのは、これまで長いこと、いろんな研究が積み重なってきています。
熊本先生、このシェイクスピアの英語とか、この時代の英語と付き合って、読みやすいというふうに思われます?慣れっていうのもあると思いますが。
やはり、印文で書かれていることが多いですので、やっぱり詩のような感じがするわけですね、最初は。
でも、舞台を見に行くと、演劇を見に行くと、とても楽しいんですけど、それを文字で見ると、ちょっと違うなという感じがしますね、最初は。だから、とっつきにくい感じがするとは思います。
そうですね。私もシェイクスピアという名前は、当然学生時代も知ってたんですが、いざ読むとなると結構難しいですよね。シェイクスピアが難しいのかもしれないですけど。
そうですね。確かに内容的に、当時の例えば歴史劇とか悲劇だったりすると、一人で独白のシーンが長かったりしますので、一文がどこで終わるんだろうという感じになりますので、そこでちょっととっつきにくい感じがありますね。
06:04
そのような16世紀の文法的・公文的変化ということで、先ほど挙げた本ですね、近代語における文法的・公文的変化の第2章を取り上げていらっしゃるんですけれども、
この本、今回出た本の特徴としては、各世紀別なんですが、定点観測的に3つぐらいのところはしっかり全ての著者が扱おうということで、
まずですね、句動詞と呼ばれるもの、それから仮定法でしたっけ、仮定法、そして動詞法文という3点、プラスアルファはこの16世紀に特徴的な他の文法項目も扱われているかと思うんですが、
まずふもと先生にこの16世紀を扱われた2章でお聞きしたいのは、句動詞、これはどんな段階にあるんでしょうかね。
ご紹介いただいたこの本は、15世紀から20世紀までを各世紀一列担当していまして、特に句動詞というのは、後期近代英語になって発達してくるという項目ですので、
当然15世紀、16世紀のあたりはほとんど確立していない状況を提示するということが目的なわけですね。
それが17、18と次第に現代英語に近づくにつれて、いろいろな句動詞が成立してくるということがこの本で明らかになると思います。
そうするとふくもと先生の役割は、まだ来てないよっていう。
まだほとんど使われていませんということが。
なるほど。
句動詞というのは、ちなみに例えばtake upとかtake on、take awayとかね、こういう動詞と、あと普遍歌詞って言われるような、大体前置詞と同じ形のものですよね。
はい。
これなんですが、やっぱりあんまり来てないんですね、16世紀は。
そうですね。
じゃあシェイクスピアなども、でも持ち入られてあまりいない。
動詞自体は、bring thisとtake thisあるんですけれども、その句動詞としてはほとんど使われないんですね、現代英語ほど。
はい、そういう段階なんですね。
次の仮定法なんですけれども、一般の英語史では、中英語くらいまではまあそこそこ残っていたかなっていう感じが、だんだんと衰退して直接ほうに飲み込まれていくって言いますかね、吸収されていくっていうことが言われているんですが、
この16世紀ってまあ微妙な、まだ近代英語の入り口だと思うんですが、仮定法はどんな感じなんですかね、そこそこ残っているものなのか。
そうですね、この本では異風説とか情報説のようなものを調べたわけですけれども、まだかなり16世紀では仮定法の方が残っているということですね。
09:13
まだむしろやはり残っている割合が多いと。
はい。
で、この後やはり昭和が進みますと、だんだんと減ってきているっていう流れですよね。
はい、そんな段階なんですね。
そうですけど、シェイクスピアにおいては異風説でも仮定法であったり、または直接法も使われていたりして、その使い分けが面白いのではないかという場面に応じて、
なるほど。
親的態度を表しますので、これは自信があると思えば直接法を使いますし、これは少し疑いがあると思えば仮定法を使うというところが、少しずつ直接法が増えてきているところが楽しいところだと思います。
過渡期で両方並存しているだけに使い分けみたいな微妙なところが面白い話題になるということですよね。
なるほど。
はい、そして3点目が動詞の補分構造ということで、これは動詞の後ろに、たとえばザット説が来るのか、不定詞が来るのか、動名詞が来るのかっていうことですね。
あれを補分構造と呼んでいるんですが、これなんかは16世紀っていうのは、いろいろバリエーションがあったりするんですか。それとも単語によって、動詞によっていろいろと違うのか。
基本的にはですね、16世紀はほとんど補分のバリエーションがまだないという状況です。
もう少し17、18世紀になって、ingkとか、中不定詞とかを取るようになってくるという状況なので、ほとんどバリエーションがない。
動詞によって何を取るのかっていうことが、わりと決まってしまっているっていう感じですね。
ここで扱った10の動詞に関しましては、基本多動詞としてフランス語からの外来語が多いので、目的語を直接もう一つだけ取るという状態ですね。
説を取るわけではなくて、圧倒的に目的語を一つ取る例が多いということがわかりました。
そうしますと、この3つの定点観測の3項目に関しては、どちらかというとこれから変わっていくよということを示すために、
変わっていない、あるいは変わり始めぐらいの状態を示すのが今回仕事だったということになりますね。
それ以外の項目なんかは、ここ各省でプラスアルファで扱われていると思うんですが、この16世紀で面白い公文文法的特徴っていうと、どんなあたりなんでしょうか。
やはり初期近代英語に入りまして、16世紀の文法で最も大きな変化というのが、助動詞doの発達ですね。
12:13
doですね。疑問文否定文を作るためのdoっていうことですよね。
これがちょうど16世紀あたりに発達したとか出てきたっていうことなんですか。
そうですね。これは急激に16世紀に使われになりますので、16世紀の英語は助動詞doが一番面白いという。
なるほど。では、doが16世紀に出てきたということは、シェイクスピアあたりも割と多く使っているっていうふうに理解してよろしいんですか。
そうですね。doを使わない単純形もありますし、doを使っているdo形というのも両方ありますので。
単純形というのは、簡単に言うと、例えば否定文だと、今I don't knowのところが、I knownotぐらいで済ませてしまうっていうような言い方ですよね。
だから疑問文に対しては、do you knowのところが、know youみたいにdoを使わずにSVを逆転させる。
その古い形と新しいdoの形が共存しているって感じですか。
そうです。
そうすると、先ほどの仮定法の衰退の話もそうですけれども、2つ古い形と新しい形が並存しているっていうことは、そこの微妙な使い分け。
今逆にdoを使うしかないじゃないですか。否定文と疑問文。
その対立項がないので、どんなニュアンスであれdoを使うわけですが、シェイクスティアの時代の場合、両方あるっていうことですよね。
両方ありますね。
そうすると、やっぱり微妙なニュアンスとか問題になったりするんですかね。
基本的には日常生活でよく使うようなsayとかknowとかいうのは、doを拒むという、つまり単純系、普通にnotをつけるパターンが多いわけですね。
新しいdoの形に乗ってこないってことですね。
乗ってこない。むしろフランス語からの外来語のような、二音節語、三音節語のような長い単語だと比較的doが多いような印象があります。
動詞によってというか、傾向があるということなんですね。
もちろんこれは韻文ですので、韻律を増やすために一応doを入れるとか、韻律がいらないから一つdoを減らすとか。
リズムを合わせるために。
そうですね。そういう理由もあります。
なるほど。バリエーションがあるってことは、新旧2つ使えるってことは、ある意味作家とか詩人にとっては、選ぶ材料があるんで、上手く使えるっていうことかもしれませんね。
他もいくつかあると思うんですが、私、読んでいて非常に興味深いなと思った点がありまして、付加疑問。
15:07
これは英語史的にはどのくらい古くからあるんだろうっていうのはずっと気にはなっていたんですが、ここで第2章、熊本先生の章で見つけまして、一般的にはこのぐらいの時期に始まる、16世紀とされてるんですか。
そうですね。16世紀に付加疑問文が使い始められて、
しょっちゅう使われるというわけではないんですか。使い始めっていうのはどれくらいなのかっていうかですね。
もっと古くから使われていたのか、それとも16世紀から本当に使われ始めたのかはデータがないので、
つまり付加疑問文っていうのは当然会話でよく使うわけですね。書き言葉ではないので、会話データが当然残っていないわけで、
ほとんどですよね。
ほとんど。
そうすると、だいたい会話を反映しているのが演劇の台本というのが一番多いわけですね。
そこで見てみても、やはり16世紀にしか現れない。
そうすると、だいたいそのぐらいであったのだろうというふうに、データ上はそこが始まりだろうと言われています。
シェイクスピアでは割と普通に会話の中で出てくるっていう感じなんでしょうか。
まだシェイクスピアも1590年代ぐらいから作品が始まりますので、付加疑問文は出始めなんですね。
それでも16世紀終わりの方でも出始め。
私の調査によると、付加疑問文が成立するまでに、いろいろな実は付加疑問文、相手に確認をしたり、軽い疑問というのはRightのようなことにあたるような、いろんなバリエーションがあるわけです。
その中の一つとして付加疑問文もあるんですけど、最初から付加疑問文が選択されたわけではなくて、WellにしろRightにしろいろいろならーとかいろんな言い方がありまして、
その中で、なぜか知らないけれども、疑問文に付加疑問文をつけたり。
もとが疑問文なのに、もう一回聞いちゃう。
それがもしかしたら由来だったかもしれないんですけれども、当時の英語を見ていくと、現代からすると付加疑問文ってこれですけど、当時はいろんな相手に疑問を投げかけるような言い方は、いろんなバリエーションがあるわけですね。
その中の一つというか、新しく現れてきた一つに過ぎないということで、いろいろ選択肢があったということなんですね。
それが次第に文法化していって、17世紀、18世紀ぐらいに確立していくということになるんだと思います。
なるほど。これも文法化というグラマティカリゼーションの一例みたいに見ることができるということなんですね。
18:03
そう私は考えています。
つまり特に現代では肯定文には否定の付加文を付けると、否定文には肯定を付けるという、そこに文法化されて必ずそうなってしまいましたので、
当時は当然肯定文にも肯定を付けていいですし、シェイクスピアだと否定文にも否定を付けても構わないんですけれども、
疑問文にも疑問を付けてもいいですけど、それが次第に固定されてくるということですね。
確かにその固定化というのは一つグラマティカリゼーションの重要な特徴ということなので、
なるほど、どうやって現れたのかというのもじゃあ難しいわけですね。
その会話体の文章というのは残りにくいということで、15世紀とかさらに遡って中英語、やっぱりなかなか見にくいんですかね。
そうですね、でも非常にまだ研究があまりされていませんので、
まだこれからもう少し中英語とか初期近代英語でもうちょっと研究していくと面白いテーマになると思います。
何かね、走りみたいな表現が出てくるかもしれないですね、種みたいなものが。
これは本当に面白いなと思って読ませていただきましたが、
他に何か熊本先生が研究される中で、この時代の特徴的なと言いますか、面白いなと思うものって何かございますかね。
今回はですね、いくつか絞ったんですが、その中でも非認証公文ですね、ミーフィンクスのような、
そこからI thinkへ、認証公文へと変わっていくのも近代英語になって、認証構造だけが残っていきますので。
そうですね、近代英語をかけて割とゆっくりと非認証公文が衰退し、認証化していくっていう流れ、
その大きな流れの中で言うと、16世紀というのはどんなタイミングだったんでしょうかね。
おそらく、非認証公文自体は多分もう当時の人々には理解できなくて、
ミーフィンクスのようなイディオムとして残っているけれども、それを実際これが非認証公文だねというふうに人々は理解していなかったんだと思います。
ミーフィンクス自体は相当な頻度で使われている。
シェイクスピアリーも多いですね。
一方で、現代的なI thinkもやはり同じぐらいというか、かなり有声になっている。
もちろん、I thinkの方が逆転して圧倒的に多いですね。
なるほど、両方やはり出てくるという。
今日この話題が多いですね。
21:02
ちょうどハザー海期というか、過渡期なので、古い形と新しい形が共存しているということも多くて、
それを詩人なりシェイクスピアが使いこなすというんですかね。
この辺りが面白いですよね。
もともと私、中英語に関心があったんですけど、中英語の文法面白いなと思っていたんですけど、
中英語の場合は文法はもうカッチリ、こういう時にはこういう使えますというのが決まっているんですけど、
初期近代英語になってくると、先ほどありましたように、2つの用法、言い方ができると。
今のMe thinksとI thinkとか、あるいはDoのあるバージョンとDoのないバージョンと、
それは次第に文体的な要素で決まるのか、
要するに方言が統一されてきますと、あるいは標準語が確立してくると、
社会言語学的な要因とか、語用論的な要因で、もしかしたら使い分けがなされているんじゃないかというところに関心を持ち始めまして、
これは中英語よりも初期近代英語で文法項目の使い分けをやってみると面白いんじゃないかなと思って、
そこから1つの言語表現に、2つの言い方があるということを、何があるんだろうと同じ意味を指すのに2つの言い方があると。
それ面白いですよね。
そこの研究室がなったんですね。
なるほど。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
本日は近代英語における文法的・公文的変化という本の第2章を担当された福本先生においでいただきました。
今アフタートークとして残っていただいているんですが、今日は貴重なお話ありがとうございました。
ありがとうございました。
最後の部分で2つの言い方、言いたいことは1つなんだけれども、それに2つの表現があった場合、
典型的に言葉が変化するときの古い形と新しい形みたいに2つ存在することが多いと思うんですが、
振り返ってみるとあれは過渡期で、結局古いものは死んでなくなっていく運命みたいに歴史的には見えるんですが、
その端境期というか両方ある時代というのは、そこに住んでいる世代の人は何らかの使い分けというか、
ちょっとこれ古めかしいなとこっちはとか、こっちは新しいとか、軽い重いとか、
分体的な原因を持ったり、あるいは女性はこっちの方が多く使うとか、実は非常に精明な使い分けの機微みたいなものが、
後世のものから見ると、さーっと過ぎ去ってしまった過渡期なんだと見えるんですが、
中の人々は多分非常に微妙な言語感覚でもって使い分けたり、そこに面白みとか意味合いをプラスアルファの意味合いを乗せてたりとか、
24:10
そういうことなのかなと聞いていて思ったんですけれども。
そうですね。シェイクスペアを読んでいると、当然、登場人物がどういう身分の人が明らかですので、
プラス目上の人に話をしているのか、目下の人に話をしているのかも明らかですので、
召使いに話をしている時と、あるいは王様に話をしている時と、あるいは男性に話しかけている時と、女性に話しかけている時と、
あるいは同じ人がある場面によって、例えば重苦しい雰囲気の時にこういう言葉遣いをするとか、
あるいは冗談を言う時にこういう言葉遣いをするとか、劇ではすぐ分かりますので、
その時にいろんな言語表現をしていると、これは先ほどと違う言い方をしているというのがあると、
当時それが後の時代になって影響していって、一つの言い方が選択されていったんじゃないかというところに注目しているわけです。
その微妙な変化とか使い分けの違いみたいなものを、我々も読んだり聞いたりするときに分かれば、ものすごく劇が面白くなりますよね。
微妙な機微みたいなところが、ちょっとした語尾の変化とかいうことで、
Doを使うか使わないかで分かってくるということになるとね、味わい方もだいぶ変わってくるのかなという。
一番簡単なのは呼びかけ表現とか、あるいは二人称代名詞のYouを使うかTheを使うかとか、
まだあったわけですよね。
そうですね。
3単元のTHから3単元のSに変わっていくこともありますし、
それから関係代名詞もWhichを使うかThatを使うかという、いろいろな言い方が2つ。
単純な言い換え可能というような、我々現代人が見がちなものではないということですね。
かなり精明な使い分けの分布というか、誰から誰に言うのかとか。
その辺が、これ分かると多分面白いですよね、劇はね。
そうですね。そこに何かあるんじゃないかなと思って私は読んでいますので、
一方で文法はそんなに身分とかによって使い分けはないという意見もあるんですけれども、
でもそこに何かしら使い分けの選択要因があれば、面白いんじゃないかなと考えていると思います。
先日の秋元先生との対談の回でも同じような話になったんですけれども、
昨今の研究では社会言語学的な観点とか、
つまり人間関係ですよね、を埋め込んだ形で言葉を見る。
言葉の英語の歴史でもそうなんですけれども、
統合という文法的な項目にもそれが現れ得る、それを見て取ることができるようなケースがあるというところは、
27:07
本当に面白いですよね。
普通、語彙の使い分けだととても分かりやすかったりするんですけれども、
文法というかなり抽象度の高そうなものにも、
社会的御要論的な含みがあるというのは、なかなか驚きですし、
最近の研究のトレンドでもあるかと思うんですけれどもね。
そうですよね。
最近は特に助動詞のdoとかいうものも、社会言語学的に研究されていますので、
その辺が解明されてくると面白いんじゃないかと思いますけど。
そうですね。本日は大変貴重なお話をいただきました福本先生、第2章担当ということなんですが、
改めまして、この本、開拓者より6月に出版となりました。
近代英語における文法的・公文的変化です。
秋元実先生編で、他に6名の著者が各世紀を担当するというユニークな作りの本となっております。
ぜひ関心がある方、手に取っていただければと思います。
福本先生、本日は誠にありがとうございました。
ありがとうございました。
28:23

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