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英語史ブログの管理者、そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。 英語の語源が身につくラジオheldio。英語史をお茶の間におもとに、英語の歴史の面白さを伝え、
裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。 本日は6月29日、木曜日です。いかがお過ごしでしょうか。
本日お届けする話題は、 Wulfstan って誰?
小川さんとの対談第1弾です。どうぞよろしくお願いいたします。 本題に入る前に公開講座のお知らせです。
あさってとなるんですけれども、7月1日土曜日 午後2時半から4時半までという枠で、慶応義塾大学文学部公開講座が開かれます。
本と文字は時空を超えるというタイトルで、私、ホッタと図書館情報学専攻のアガタ、
2人でですね、講演した後に対談、そしてという予定になっています。
こちらですね、私が所属する大学の学部のいわば広告宣伝という趣旨でですね、
登録した上で出席できるのは原則高校生、そしてその保護者、そして高校関係者ということなんですね。
慶応大学三田キャンパスの北館ホールというところで対面で開催するわけなんですけれども、
こちらがですね、今日になりますかね、締め切り。一度このVoicyでもご案内したんですけれども、もう少し空きがあるということでですね、
今日締め切りなんですけれども、最後にもう一度ご案内差し上げるという次第です。
こちらのチャプターに関連するリンクを貼っておきます。そちらからですね、登録等できますので、
今日の午後ぐらいには締め切るということだったので、ちょっと慌ただしいところではあるんですけれども、
ぜひご関心のある方、そしてご都合のつく方がいらっしゃいましたら登録、参加していただければと思います。
最近ですね、このヘルディオでも文字の話というのを折に触れてしているんですけれども、
それも今回の公開講座の前振りみたいな位置づけでですね、私自身としてはおります。
文字の話、そして本の話に関心がある方、ぜひご検討ください。
ということで、あさって7月1日土曜日の本と文字は時空を超えると題する公開講座のお知らせでした。
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おはようございます。
おはようございます。
今日は対談ということなんですけれども、お相手は先日にぎやかな飲み会ですよね。
あれでご一緒させていただきました。
5人中の一人で、一番ね、ちょっと静かな感じと受け取られた小川俊さんです。
よろしくお願いします。
今日は1対1なんで。
ゆっくりと。
ゆっくりとということなんですけれども、
小川俊さんは立教大学の大学院をこの3月に出られて博士号を取得されましておめでとうございます。
そして今はフェリス女学院大学その他で英語史を教えたりということをしているということで、
この間もですね、まさに今日お話しするような対談を取ろうということで実は研究室にお招きしてやったんですけど、
ちょっと違うことになってしまったので、
今日は改めてですね、お呼びしたっていうことでですね。
今日のタイトル、先ほどコールしたんですが、
ウルフスタンって誰っていうことで、
これ自体がそもそも人だったんだみたいな。
食べれるんですか?
食べれるんですか?で行こうかと思ったし、
何ぐらいに行こうかなと思ったんですが、
ここはウルフスタンって誰、人だということは分かってますという建前で行こうと思うんですけれども、
この方はですね、この方を小川さんは研究されてるんですよ。
この方の書いた言語をですね。
ということでこのタイトルなんですが、まずズバリから行かざるを得ないですね。
ウルフスタンは誰なんですか?
誰なんだかということなんですけど、
平たく言えば、だいたい1000年くらい前に活躍をしていたイギリスの聖職者なので、
日本で言えばお坊さんみたいな。
聖職者。
そうですね、そういう人だったという。
1000年前っていうと、
このリスナーの皆さんは英語史の時代区分みたいなことは何回か繰り返しお話ししてるんですけれども、
古英語っていうことでいいんですかね?
そうですね、高紀、古英語、紀。
古英語が伝統的には449年のアングロサクソンが入ってきた、
ブリ伝統に入ったその年から、
ゆるくノルマン征服ってありますよね、1066年で。
1066年と言ったり丸めて1100年くらいと言ったりしますが、
そうするとその長い古英語紀の本当に最後の。
そうですね、本当に最後100年くらい。
100年くらいっていうことですかね。
活躍した人。
これウルフスタンって名前ですが、
英語名って我々ね、マイケルとかジョンとか知ってますけど、
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男でいいんですか?
男です。もちろん男性で。
男性で、そうするとウルフスタンって今いないじゃないですか。
そうですね、確かに。
こういう名前ってそもそも今いないですよね。
確かにそういう意味では珍しい。
今の考えで言えば珍しいですけども、
現代英語に当てはめてみれば、
ウォルフストーンですよね、現代英語で言えば。
彼の名前っていうのは狼とイジっていうのが合わさった。
よく考えると訳したことなかったけど変ですね。
ちょっと変で。
そういうのすごく多かったですよね。
当時としては多くて、私が今研究しているウルフスタン以外にも、
当時の講英語の文献に出てくるウルフスタンって他にもやっぱり。
まあまあいる、そこそこいる名前っていうことですかね。
そんなに珍しい名前ではない。
やっぱりこの講英語、アングロサクソンってやっぱり
武勇みたいなイメージって皆さんあると思うんですけれども、
そうするとウルフってね、やっぱり武勇とか勇ましいとか、
まあポジティブイメージなんでしょうね、名前につけるぐらい。
そういうブレイブな、そういうイメージがあるんでしょうね。
ストーンは何なんですかね。
これプレシャスストーン?
やっぱりただの石って名前つけない?
そうです。この辺に転がってる石じゃないはずなので。
宝石とかなんかやっぱりね、ちょっと高貴な感じとか。
もちろん当時としてはやっぱりそういう神秘的な力が何かそういうものに宿るみたいな感覚はやっぱりあったので、
そういう意味ではストーンって言っても、そういうちょっと貴重な、貴重な、ちょっと石っていう意味のストーンだと思います。
そう考えるとまあいいものを2つ、当時の価値観と言いますかね、
良さそうなのを2つ並べてみたみたいな、ないではない名前だったという方で、
これが聖職者ですか。
多くの方が、リスナーの方が1000年前、西暦1000年前後ですよね。
イギリスでは何が起こっていたのかという背景がわからないので、
そもそも聖職者っていうことは、キリスト教のね、聖職者っていうことなんですが、
彼はどういう時代に住んで、どういう環境で生きた人なんでしょうか。
そこは結構すごく興味深い点ではあるんですけれども、
彼の記録が残ってるところの一番最初の記録っていうのが、西暦で言うと996年ですかね。
そこに初めてロンドンの司教という、キリスト教の立場で言うとかなり上のポジションにあたる。
ロンドン、かなり偉いですよね。
そうですね、かなり偉いところに任命されたというか、任されたというところなんですけど、
その後が重要で、その後に西暦で言うと1002年くらいからと言われてるんですけれども、
ヨークっていうイングランドの北部ですね、今でも大きな都市ですけれども、
そこの大司教という、もう一度上の立場に。
ロンドンより上ですかね。
一番上がある意味ではカンタヴェリーというところもあったし、
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その次ぐらいですよね。むしろロンドンよりキリスト教的には上っていう地位の、そこの大司教。
大司教。
大司教って一番上ですよね。
そこで何が重要かというと、イングランドの北部のヨークという場所に彼が着いたというのが非常に重要で、
当時ですね、今の北欧と言われているデンマークとかノルウェー、
そういうところからイングランドに数百年にかけて断続的にバイキングと言われますけれども、
北欧の人たちがどんどん攻撃を仕掛けて侵入をしていた時代だったので、
まさにウルフスタンがイングランドの北部のヨークというところに移った当時も、
やっぱりバイキングという人たちの文化とか、あるいはその人たち自体の数も非常に大きかった場所、時代。
一般にバイキング時代、バイキングエイジと呼ばれるのが、
イギリスが攻められたのが8世紀後半から11世紀にかけて断続的にした中で、
特に攻めたのはイギリスの北東部ですよね。一番近いので北海を渡ってバイキング船でね。
なので北東部が攻められた中の、ある意味その北東イングランドの中心地が今も大都会のヨークということで、
そこに入ったと。ある意味バイキングの拠点に、イングランド人なんですよね。
ウルフスタンはイングランド人なんですけれども。
ちょっと敵地というか、ある意味攻められた側の重要人物が敵陣奥深くヨークに乗り込んでいった的な。
かなり立場の高い職場に乗り込んだ。
じゃあ一応やっぱり認められてたっていうことですかね。バイキングというか。
もちろん当時ウルフスタンが活躍していた10世紀後半から11世紀前半ですけれども、
その時代になってはもうヨークという街自体が完全に例えばバイキングの人たちの街だったというわけではなくて、
かなりバイキングの人たちとウルフスタンを含めたアンドロサクソン人と言われる人たちがかなり混合というか、ごちゃ混ぜになってましたよね。
そういう意味では完全に敵味方という感じではなかったんですけれども、
その文化としてはかなりバイキングたちの奥を犯した。
かなり影響がある場所だった。
そこに乗り込んでいったということなんですね。
それがウルフスタンという人物の人生の半ばから後半というか、こんな感じなんですね。
この方は聖職者ということで司教とか大司教ということなんですが、
その言葉を研究するということは、何か書いてるんですかこの人。
そうですね。彼はやっぱり非常に立場が高かったので、
非常に言葉が上手かったという当時から評判があったみたいで、
やっぱり聖職者なので教会に来てくれた人たちにキリスト教の教えを説くという役目ももちろん。
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説教ですね。
説教をたくさん書いてるんじゃないですかね。
なるほど。
そうするとやっぱり説教を彼が作る上で、どういう言葉遣いで説教を作るかというのももちろん重要になってくるんです。
そうすると彼が作った説教を見ていくと、あれ実はこれは他の説教とはちょっと言葉遣いが違うんじゃないのみたいなところが出てくるっていう。
それが結構面白い点になる。
なるほど。その言語は要するに後英語ってやつですよね。
後英語ですね。
後期の。
まさに後期後英語と言われる。
それをウルフスタンさんが書いていて、それが結構残ってるんですか。
かなり残っております。
それは当時として人の名前がわかって作品が残っているのはかなり少ないんですけど。
そうですよね。だってもう千年ですから。やっぱりある意味ね幸運っていうか。
ありますよね。
そういう意味でそういう時代にあってはかなりの作品が残っている。
なるほど。だから研究できるってことですね。
そういうことですね。
エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
今日は小川俊さんと一対一の対談の初回ということで、ウルフスタンって誰とお話ししたんですが。
小川さんに残っていただいてます。
今日はありがとうございました。
今日の10分でいきましたね。だいぶイロハの今で。
かなり細かいところまでいけたよな。
いけましたかね。食べ物じゃないっていうところから始まり、
1000年前の聖職者でバイキングのところに乗り込んでヨークに行き、大司教でかなり偉い人で、物もいっぱい描いてた。
どんぐらい描いてたんですかね。量っていうか作品数っていうか。残っているものですけどね。
例えば今の普通の本がありますよね。本で換算すると、普通に本一冊分、普通に読まれる200ページの本一冊分にはなるぐらいの説教だけで描かれている。
説教だけでね。当時ももちろん文字文化が栄えていたので、小英語なんでね。他のヨーロッパに比べて、諸国に比べて当時で言えばかなり盛り上がっていたっていうことで、他にもっと描いている作家とかいるわけですが、それに名前を連ねるぐらいの、いわば描き手だったっていうことですよね。
非常に多作な人物だった。
これからですね、また連続してこのウルフスタンの話題、それからその背景的な時代の話題っていうのを追求していきたいと対談でね、思うんですけれども、今後の宣伝的に見どころっていうのは聞きどころって言うんですか?
見どころですか。それはやっぱり彼が使っている言葉の選択ですかね。
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結構レトリシャンですか?
いやかなりの、この人相当言葉オタクだったんじゃないかっていう。
小英語オタクね。
小英語オタクだったんじゃないかっていう。
岡田さんのようにね。
いやいや、私なんかも到底及ばないぐらいのオタクだったんじゃないかっていう。そういう側面が垣間見れるような言葉使いが見られるっていう。
なるほど。これは楽しみですね。他の作家と比較したりするというようなことも岡田さんはやられてるんですか?
それでないとね、ウルフスタンの使い方の特徴とかっていうことですよね。
そうですね。
これはね、小英語でもレトリシャンがいたっていうのはね、これは面白いですよね。
面白い話です。
これまた次回聞かせていただければと思います。
今日は岡田俊夫さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。