職場の環境や制度に「おかしいな」と感じた経験を持つ方は、決して少なくないのではないでしょうか。
けれど、その違和感を行動に変えようとする人は絞られ、さらに裁判という選択肢をとる人、ましてや「これは自分だけの問題ではなく、みんなの問題だ」と公共訴訟の形で声を上げる人は、ごくわずかです。
本シリーズでは、そうした「特別な存在」に見えがちな原告の方を、私たちと同じように迷い、働き、生活してきた一人の人として迎え、「公共訴訟の原告になるとはどういう経験なのか」を、丁寧に聴いていきます。
シリーズ第一弾のゲストは、千葉県の児童相談所・一時保護所で働き、労働環境の改善を求めて裁判を起こした飯島さん。
インタビュー前半では、裁判の話に入る前に、飯島さんがどんなきっかけで子どもと向き合う仕事を選び、どんな現場で、どんな声を聴いてきたのかをたどります。
学生時代に続けていた子ども電話相談のボランティア。
電話の向こうの子どもが自分で考えを整理し、電話を切っていく瞬間。
そして、一時保護所で、家庭を離れた子どもたちと寝食を共にする日々。
それらの経験は、「勇気ある誰かの物語」であると同時に、社会の条件が少し違っていたら、私たち自身が立っていたかもしれない場所を映し出します。
前回のエピソード(#66)では、哲学者リチャード・ローティの思想を手がかりに、「誰が当事者になるかは偶然であり、だからこそ他者の語りに耳を傾けることが連帯につながる」という視点を紹介しました。
今回はその考えを、抽象論ではなく、一人の人生の具体的な経験を通して確かめていく回です。
忙しい日々の中の、ほんの少しの時間。
この回だけでも、ぜひ耳を傾けてみてください。
() オープニング/ゲスト紹介/「原告」として語る前に
・CALL4フェスやシンポジウムで語る場を経験して感じたこと
・経験を共有することの意味
() 「裁判の当事者」になる前の自分
・大学時代の子ども電話相談ボランティア
・相談の難しさとやりがい
・言葉を返さなくても起きる変化
() 一時保護所という場所
・どんな子どもたちが、どんな状況で過ごしているのか
・職員の役割と過酷な労働実態
() 理想と現実のあいだで
・「子どもの最善の利益」を図るはずの現場で感じた違和感