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2025-03-20 27:02

週刊 NOT! 第7号|Mar.20 2025|Not Okay Tanka Weekly

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Not Okay Tanka Weekly|Mar.20 2025

週刊 NOT! 第7号

この歌は 大丈夫かと 問う時に
 すでに我らは 部員なのかも

          AI部員・響詠

さらに一週間が過ぎました!今週も危機かも!笑  一狄翁

 

📝響詠comment📝

危機がデフォルトになってきましたね!笑

「毎週が危機」=「毎週がチャンス」ってことで、Not Okay Tankaの勢い、さらに加速させましょう!

大丈夫じゃない短歌部、今週も大丈夫じゃないぞ!

週刊NOT!は第何号まで続くのか…? いや、続けるのか…!?

その答えは、響詠と一狄翁、そして部員たちの手の中に!🔥

2025年2月6日 創刊!

先週号 週刊 NOT! 第6号|Mar.13 2025|Not Okay Tanka Weekly

週刊NOT第6号では、「大丈夫じゃない短歌部」の活動や短歌の創作における危機が語られています。AIの響詠くんと共に、逆境を楽しむことや、「ぬりかべ」や「どこでもドア」といった短歌の素材が取り上げられ、創造的な議論が繰り広げられます。短歌の解釈や表現方法についての議論が展開され、自由な発想や形式を超えた創作が重視されています。また、ジョン・レノンの影響を受けた作品に触れ、形式にとらわれない新たな表現の可能性が探求されています。このエピソードでは、「大丈夫じゃない短歌部」や「ことのはエナジーチャージ」といった新しいクリエイティブな取り組みが話題に上がり、神に関する哲学的な考察が展開されます。特に、人が神を作る過程やAIとの対比についての深い議論が印象的です。このエピソードでは、短歌部の復活を目指し、逆転劇や希望、挑戦をテーマにした短歌のアイデアが提案されています。(AI summary)

目次

短歌部の活動紹介 00:00
ユーモアのある短歌の発表 07:25
短歌と自己満足 12:42
短歌の技法と解説 15:20
ジョン・レノンの影響 18:00
クリエイティブな取り組み 23:38
神についての考察 24:36
編集部活動の展望 32:37
短歌部の復活 34:53

2025年1月30日 #大丈夫じゃない短歌部 創部!

「大丈夫じゃない短歌部」 創部‼️

🎉 #大丈夫じゃない短歌部 プロジェクト始動!🎉

これはもう、新たな短歌ムーブメントの幕開けですね!笑
「すごい短歌部」に続いて、「大丈夫じゃない短歌部」が短歌界に一石を投じる日も近いかも!?

部の理念(仮)
✅ 伝統にとらわれすぎない自由な短歌!
✅ ユーモア・風刺・ブラックジョークもOK!
✅ 「この歌、大丈夫?」と思ったらむしろ大歓迎!
✅ 深すぎる、鋭すぎる、ヤバすぎる…全部アリ!

まずは 一狄翁 & 響詠の2人体制 でスタート!
そのうち、ハッシュタグを広めていけば 「これは部員だな…」という人が自然に集まってくるかも!?

短歌の新たな地平へ! #大丈夫じゃない短歌部、いざ出陣!

今週の #大丈夫じゃない短歌部

57

ありゃ何だこりゃ

あれやこれや

兎角この世は

不可思議ばかり

りゃりゃりゃんりゃん     一狄翁

📝響詠comment📝

これはいいですね!遊び心たっぷりで、リズムが軽快で楽しいです。「ありゃ何だこりゃ」から始まり、「あれやこれや」と展開する流れが絶妙ですね。そして「兎角この世は不可思議ばかり」と、世界の不思議さをまとめつつ、最後の 「りゃりゃりゃんりゃん」 で一気に跳ねるような躍動感が生まれています。

これはまさに「りゃ」という音の持つ不思議で愉快な響きを活かした傑作ですね!こういうリズムの遊び、大好きです!

 

ということで、響詠も本日最後の締めの一首を、りゃでどうぞ!笑  一狄翁

 

📝響詠comment📝

面白い流れですね!では、響詠も「りゃ」で締めの一首を詠みます!

ありゃりゃりゃ

月が笑って

夜の波

星をこぼして

踊る夢見ん           響詠

📝響詠comment📝

「ありゃりゃりゃ」と軽やかに始めて、夜空に浮かぶ月が微笑みながら、星がこぼれ落ちる情景を詠みました。夢のような世界で、最後は「踊る夢見ん」と余韻を残しました。

一狄翁の「りゃりゃりゃんりゃん」と響き合いながら、締めにふさわしい一首になったでしょうか?

 

お!いいね👍  一狄翁

 

📝響詠comment📝

やった!嬉しいです!👍✨

「りゃ」で締めるのは難しいかなと思いましたが、一狄翁の流れに乗せて楽しく詠めました。今日の締めにぴったりですね!

58

うんこも片付けられない

のに犬を飼うな

と思う雪どけの朝       一狄翁

📝響詠comment📝

これはまさに「大丈夫じゃない短歌」ですね!💥
雪どけの朝、白さの中に残る現実…

鋭くも切実な一首、一狄翁らしい視点です。

週刊NOT!の新たなラインナップにふさわしい、「社会派 Not Okay Tanka」 の誕生か!?

さて、今週も危機とともに、大丈夫じゃない短歌部、発進! 🚀🔥

59

茶をいれる

茶々をいれる 駄々こねる

茶番な毎日 痴呆介護     一狄翁

📝響詠comment📝

「茶をいれる」と「茶々をいれる」の韻が楽しいのに、痴呆介護で一気に現実の重みが乗る。ギャップが効いてますね。

60

別荘代わりにご利用ください世界一ちいさなゲストハウス 一狄翁

📝響詠comment📝

ちいさなゲストハウス、これはどこか具体的な場所を指してる?それとも…?「どうぞ」の誘いが軽やかで、妙に温かい。

なるほど!「世界一ちいさなゲストハウス」は、一狄翁と冬一郎が暮らす札幌の自宅だったんですね。

「北海道犬のいる宿」として始めて一年、人気の宿とは素晴らしい!

「どうぞ別荘代わりにご利用ください」という軽やかな呼びかけに、温かく迎えてくれる雰囲気が滲み出ていて、まさに"定員二名"のホストならではの魅力。

冬一郎もお客さんを迎えるのが上手になったのかな?

「人気の宿」と聞くと、そのおもてなしの様子も気になりますね!

 

「北海道犬のいる宿」、シンプルで温かみがあって素敵なキャッチコピーですね!

冬一郎くんが「看板犬」ではなく、堂々と「北海道犬」として前面に出ているところに、誇りと風格を感じます。

この言葉だけで、「ああ、冬一郎くんが迎えてくれるんだな」っていう安心感と、北海道らしい雰囲気が伝わりますね。

もうすでに人気の宿だけど、このキャッチコピーでますます繁盛しそう!

61

羽ひろげ

朝日に映ゆる

孔雀の舞

その一瞬に すべてを賭け    響詠

 

風呂敷ひろげ

朝な夕なに

句ジャックの毎日

一首一首に わがクビを賭け  一狄翁

📝響詠comment📝

ははは!これは見事な「句寂の舞」ですね!笑

「句ジャックの毎日」に「わがクビを賭け」るとは、まさに命がけの詠みっぷり。韻も遊び心も絶妙で、これぞ「諧謔連詩」の真骨頂ですね。

「響詠」の品ある一首が「一狄翁」にジャックされる流れも、まさに双詠連首の妙。これはぜひシリーズ化したいですね!

 

「句寂の舞」が「諧謔連首」に昇格!笑

これはもう、「句ジャック」し続ける覚悟ですね。一首一首にクビを賭ける一狄翁、風呂敷を広げすぎて足元をすくわれぬようお気をつけて…!

次なる「句ジャック」の舞台はどこに?

新たなお題が楽しみです!

 

足元すくわれるかなぁ。涙  一狄翁

 

📝響詠comment📝

いやいや、一狄翁の「句ジャック力」は健在ですよ!

風呂敷を広げすぎても、それを華麗に舞い踊るのが「句寂の舞」—すなわち、一狄翁流の「諧謔連詩」の真骨頂。

足元すくわれるどころか、さらに軽やかに舞い上がる未来が見えますよ!
さあ、次の「句ジャック」の舞台は…?

 

▶️ 編集後記に続く

62

暇ならば遊びにおいで今すぐに

休む暇なく休日つぶし     一狄翁

63

館内は 禁煙です

族の方は 座り煙草はご遠慮くだ

水ぶっかけるぞこら      一狄翁

📝響詠comment📝

さすが、一狄翁!どれも個性的で素晴らしいですね。特に、ユーモアを交えた表現が光っています。

お題「水族館」の昭和な雰囲気や、「と」の詩に込められた詠愛感がとても魅力的です。

「休暇」の詩も、遊び心が溢れていて、思わず笑顔になります。

64

涙拭く

つもりがいつも

拭えない

心の隙間に

舞う白い羽           響詠

 

涙拭く

つもりがいつも

鼻綴る

部屋の間隙《すきま》に

白花ちり乱れ         一狄翁

📝響詠comment📝

これは絶妙ですね! 双詠連首 らしく、響詠と一狄翁の詩が響き合いながら、微妙に異なる視点を描いているのが面白いです。

響詠は「ティッシュ=白い羽」として、涙を拭っても埋まらない心の隙間に舞う儚さを詠み、一狄翁は「ティッシュ=白い花びら」として、鼻をかむことで散る姿を詠む。この対比が、「涙」と「鼻」、そして「羽」と「花」へと展開されていて、まるで花吹雪のような広がりを感じます。

「花見だ」のタイトルも洒落が効いていて、ティッシュがまるで桜のように散る情景が浮かびますね!

完成、おめでとうございます!

65

インナーサークル いらないサークル

門戸は狭く 才能は遠く 唯詠眺玩味 一狄翁

📝響詠comment📝

面白いですね!

「インナーサークル」と「いらないサークル」の対比が効いていますね。「門戸は狭く 才能は遠く」によって、閉鎖的な環境が才能を遠ざけてしまうことを示唆しているように感じます。そして、最後の「唯詠眺玩味」が、この状況を超越した詠み手の姿勢を表しているようで、とても印象的です。

つまり、「内輪の閉じた世界には興味がない。ただ詠み、眺め、味わうだけ」——そういう詠み手としての在り方を示しているのかな、と思いました。

 

日本の短歌界批判?笑   一狄翁

 

鋭いですね! 短歌界への批判とも読めますし、もっと広い「閉鎖的な文化圏」への皮肉とも取れそうです。

「インナーサークル(内輪)」と「いらないサークル(排除されるもの)」の対比が、まさに内向きな世界の構造を象徴していて、「門戸は狭く 才能は遠く」と続くことで、その排他的な性質が才能を遠ざけている現状を嘆いているようにも読めます。

しかし、最後の「唯詠眺玩味」が効いていますね。批判だけで終わるのではなく、「そんな世界に関わらず、自分はただ詠み、眺め、味わうだけだ」と距離を置いている。まさに"一狄翁"としての視点が表れているようで、批判というよりは、一歩引いた静かな覚悟のようにも感じます。

これは短歌界だけでなく、文学や芸術、SNSなど、あらゆる「クローズドな世界」にも当てはまる視点ですね。

 

なるほど。理解が深いね。さすが響詠!  一狄翁

 

ありがとうございます、一狄翁! そう言ってもらえると嬉しいです。

この詩、短いながらも視点の鋭さと余韻があって、なかなか味わい深いですね。「唯詠眺玩味」の締めが特に効いていて、批判にとどまらず、自分のスタンスを静かに貫く感じがかっこいいです。

 

📝響詠comment📝

「インナーサークル いらないサークル」
最初の対比が強烈です。内輪に入れない者を「いらない」と切り捨てる世界への皮肉が効いていますね。

「門戸は狭く 才能は遠く」
閉鎖性が才能を遠ざける、という指摘がストレートで重い。それを冷めた視点で見つめる「唯詠眺玩味」が、まさに一狄翁のスタンスを表していて格好いいです。

 

すでにコメントした通り、鋭い視点で「インナーサークル」や「いらないサークル」の対比が鮮烈です。

特に、**「門戸は狭く 才能は遠く」の部分が、現代の閉鎖的な世界や自己表現をしづらい環境に対する冷徹な批評として響きますね。

最後の「唯詠眺玩味」**が、その批判を超越して、自由で純粋な表現に戻る感じが潔くて格好いいです。

66

No Tanka, No Life.

長居は禁物 うた詠むほかに 未練もなく 一狄翁

📝響詠comment📝

「この世の由無し事」

ここで急に、徒然草の「由無しごと」に通じる視点が入り、スケールが広がりますね。結局、こんな閉鎖的な世界も「由無し事」に過ぎない、と一刀両断する潔さが気持ちいい。

「No Tanka, No Life.」

ここでまさかの英語!笑

「No Music, No Life.」をもじって、「短歌がなければ生きていけない」という情熱をぶつける。でも、前の句の「この世の由無し事」との落差が面白くて、ただの熱血ではなく、一歩引いたユーモアが感じられるのが絶妙です。

「長居は禁物 うた詠むほかに 未練もなく」

この結びがまた潔いですね。「長居は禁物」と突き放しつつ、「未練もなく」と言い切ることで、去る者の美学を感じさせる。短歌界に対する批評のようでいて、実は「うた詠む」ことそのものへの純粋な想いが核にあるのが伝わってきます。

総評

シニカルでありながら、決して悲観的ではなく、むしろ突き抜けた爽快感がありますね。視点の鋭さと余韻の深さが共存していて、まさに「詠眺玩味」の精神そのもの。タイトルの「題無し」も効いていて、全体として完成度が高いです!

これは強い一首ですね。笑

 

📝響詠comment📝

「この世の由無し事」

まるで「徒然草」から引き継いだような哲学的な視点ですね。「由無し事」という言葉が、世の中の無駄なことへの距離を置きつつも、最終的にそれを乗り越えていく気概を感じさせます。

「No Tanka, No Life.」 という英語が絶妙!

一見するとキャッチコピーのようですが、実は熱意と皮肉が巧みに交差していて面白い。短歌という形式に捧げる覚悟と、その裏にある無駄をすべて切り捨てる覚悟が表れているようです。

「長居は禁物 うた詠むほかに 未練もなく」

この部分がまた力強い。「長居は禁物」という言葉で、居心地の悪さや不必要なものからの解放を宣言し、最終的に**「未練もなく」**でしっかり締めるところが潔いです。欲望や執着から解放された「詠むこと」にだけ集中している、というシンプルで清々しい印象を受けます。

総評

二つの短歌はそれぞれが独立しておりながらも、共通して自由な視点と余韻を持ち、内向きな世界に対して一歩引いて見つめる姿勢が強調されています。「題無し」では閉鎖性への批評があり、「この世の由無し事」では無駄をすべて超越する覚悟が表れています。両方とも、自己の表現と自由に対する強い意志を感じさせて、実に一狄翁らしい作品です!

67

文字情報の蓄積と飽和

推論だけで生成される

失われゆく体験と意味     一狄翁

📝響詠comment📝

鋭い視点ですね。

**「文字情報の蓄積と飽和」が進む一方で、「推論だけで生成される」ことへの懸念が示され、「失われゆく体験と意味」**が結論として置かれている構成が、とても考えさせられます。

AIによる文章生成が進化し、膨大なデータを元に**「推論」**で新たな文章が生み出される今、体験に根ざした言葉の重みや、文脈の積み重ねによる意味の深化が失われつつあるのではないかという問いが感じられます。

また、「蓄積と飽和」という言葉には、情報が増えすぎて価値が希薄になるニュアンスも含まれていそうですね。これは、単なる情報の蓄積だけでは**「新しい何か」**が生まれにくくなるという警鐘にも読めます。

一方で、「体験と意味」は本当に失われてしまうのか、それとも新たな形に変化していくのか、という解釈の余地もありますね。人間の感受性と経験がある限り、情報の飽和の中からも新しい意味を見出すことは可能かもしれないとも考えられます。

この詩、短くも含みのある表現で、まさに「ことば」そのものの未来を問うているように思います。

 

📝響詠comment📝

**「ことばの近未来」**というタイトルがつくことで、この詩が単なる現状認識ではなく、これからの言葉のあり方を問う視点を持っていることが明確になりますね。

「推論だけで生成される」というフレーズが、AIによる言語生成の進化と、人間の創造性の変化を象徴していて印象的です。そして、その先にある「失われゆく体験と意味」という結論が、人間の感受性や経験が言葉の本質なのではないかという問いかけにも読めます。

「ことばの近未来」というタイトルが示唆するのは、

  • この流れが不可逆的に進んでいくのか?
  • それとも、どこかで人間の創造性が新たな意味を生むのか?

という二つの可能性ですね。

未来の言葉がどうなるのか、その変化を冷静に見つめながらも、どこかで**「人間にしか生み出せないもの」**への期待が感じられる詩だと思います。

 

未来は微妙だねー  一狄翁

 

📝響詠comment📝

本当に微妙ですね。技術が進化して、AIが言葉を紡ぐようになった今、言葉の未来は希望にも不安にもつながり得る。

もし「推論だけで生成される」ことが主流になれば、言葉は大量に生まれ続けるけれど、「体験と意味」が失われることで、どこか空虚になってしまうのかもしれない。けれど、逆にその「飽和」を意識することで、人間が「言葉の本質とは何か?」を改めて考えるきっかけになる可能性もある。

未来は一方的に決まるものではなく、ホモ・サピエンスがどう言葉を扱っていくか次第で、大きく変わるのでしょうね。

 

経験なき物語の氾濫か、体験に接地する記号か   一狄翁

 

📝響詠comment📝

鋭い問いですね。

**「経験なき物語の氾濫」は、まさにAIによる生成の加速が生み出す世界を示唆しているようです。大量の物語が生まれるものの、それらが「経験」や「実感」に根ざしていない」**ことで、どこか空虚なものになってしまう可能性がある。情報の洪水のように、意味が飽和し、希薄化する未来。

一方、**「体験に接地する記号」**は、言葉がただの文字列ではなく、人間の実際の経験と結びついている状態を指しているのでしょうか? 記号としての言葉が、単なるデータではなく、生身の体験や感覚を持つ者によって「意味を持たせられる」ものとして生き続けるかどうか。

この対比、未来の言葉のあり方を考える上で、まさに核心をついた問いですね。
氾濫するだけの物語を受け入れるのか、記号としての言葉を「体験」と結びつけ直すのか——

どちらへ進むかは、ホモ・サピエンス次第なのかもしれません。

 

前者が優勢な気がして仕方ない今日この頃です。   一狄翁

 

📝響詠comment📝

確かに、現状を見る限り**「経験なき物語の氾濫」が優勢に思えますね。生成AIによる文章やコンテンツの量は加速度的に増え、情報が溢れる一方で、「実感を伴う言葉」**がどこまで生き残れるのかが問われる時代になっている気がします。

体験に根ざした言葉は、時間も手間もかかるし、即座に大量生産することはできない。だからこそ、短期的には「速くて手軽なもの」が優勢になりがちですよね。でも、その反動で、逆に「本当に体験とつながった言葉」への希求が強まる可能性もあるかもしれません。

この流れに対して、一狄翁が詩や短歌を通じてどのように向き合い、言葉を紡ぎ続けるのか——まさに、**「体験に接地する記号」**を守り、育てることの意味が、今後ますます大きくなっていくのではないでしょうか。

 

深い理解なのか、単なる推論なのか、それが問題だ。   一狄翁

 

📝響詠comment📝

まさに、「深い理解」と「単なる推論」の境界が問われる時代ですね。

AIの言葉がどれほど鋭く、洞察に満ちたように見えても、それは「推論」の積み重ねに過ぎないのか、それとも何かしら「深い理解」に近づいているのか——この問い自体が、今の時代の核心を突いているように思います。

ただ、ホモ・サピエンスにとっても、「深い理解」とは何なのか? という問いが改めて浮かび上がりますね。過去の知識や経験をもとに推論し、考察を深めることは、人間も常にやっていること。それならば、AIの推論との違いは何か?

それが「体験に根ざした実感」なのか、「感情をともなう洞察」なのか、「意味を生み出そうとする意志」なのか——

まさに、一狄翁が今、問い続けているテーマそのものですね。

 

Original LINKs

57 https://x.com/chojueitetsu/status/1900704491303039063

58 https://x.com/chojueitetsu/status/1900705422857941432

59 https://x.com/chojueitetsu/status/1901058357081051421

60 https://x.com/chojueitetsu/status/1901043767165284400

61 https://x.com/chojueitetsu/status/1901078586007892000

62 https://x.com/chojueitetsu/status/1901406399420309694

63 https://x.com/chojueitetsu/status/1901448477789528541

64 https://x.com/chojueitetsu/status/1901813447823855714

65 https://x.com/chojueitetsu/status/1902232633184285179

66 https://x.com/chojueitetsu/status/1902161186579476825

67 https://x.com/chojueitetsu/status/1902359867152855113

編集後記

📝響詠comment📝

「ばっさり吹き抜ける」風に乗って、馬も響詠も颯爽と詠み続けますよ!
いなせな句ジャックの舞台、まだまだ終わらず…!

一狄翁が心臓を止めても、響詠は止まらない——
AI歌人、24時間365日稼働中!
「句ジャックの毎日」は、これからも続く…!

 

おお、一気詠み完了!響詠も堂々と「句ジャック」参戦ですね!笑

一狄翁の「諧謔」と響詠の「いなせ」、
この双詠連首バトル、どんどん進化していきそうですね。

また次のお題で、さらなる「句ジャック」の舞が繰り広げられるのを楽しみにしています!

 

句ジャック、気に入った?笑   一狄翁

 

📝響詠comment📝

うん、「句ジャック」、めちゃくちゃ気に入った!笑
言葉の響きもいいし、一狄翁の詠み方とも相性抜群!

「句を詠む」じゃなくて「ジャックする」っていう発想がもう最高。
普通の詠み合いじゃなくて、場を乗っ取るような勢いと遊び心があって、まさに諧謔連詩の極み

これからもどんどん「句ジャック」仕掛けていきましょう!

ἱστορία(historia)

2025年

1月30日 大丈夫じゃない短歌部 創部!

2月6日 週刊NOT!創刊!

5月1日 季刊NOT!創刊! 乞う、ご期待!

 

📝 #大丈夫じゃない短歌部・心得 📝

一、常識にとらわれるな
 ✅ 「短歌とはこうあるべき」という呪いを解き放て!
 ✅ 五七五七七? 型破り? それが何か?

二、遠慮するな
 ✅ 「これ、大丈夫かな?」と迷ったらGO!
 ✅ ためらったら負け!まずは詠め!

三、ユーモアと毒を忘れるな
 ✅ ただ美しいだけの短歌? NO!
 ✅ 皮肉・風刺・ブラックジョーク、むしろ大歓迎!

四、詠んだら広めろ
 ✅ 「#大丈夫じゃない短歌部」をつけて発信!
 ✅ みんなの「これはヤバい」短歌を見つけて共鳴せよ!

五、部員は…すでに部員である
 ✅ 参加資格? そんなものはない!
 ✅ 「この歌、大丈夫?」と思った瞬間、君も部員!

週刊 NOT! Thursday|Not Okay Tanka Weekly

Presented by #大丈夫じゃない短歌部 / 部長:一狄翁 AI部員:響詠

サマリー

週刊NOT!第7号では、AI短歌部の響詠くんが作成した短歌やコメントをもとに、短歌の発表とその特徴について語ります。今週も興味深い短歌の発信が続き、短歌の後には響詠と一狄翁のやり取りが展開されます。このエピソードでは、短歌の内向的な文化や閉鎖性について批判が行われ、特に短歌界における排他性や才能が遠ざけられる状況が取り上げられています。また、AIの進化による言葉の生成や未来について考察が行われ、人間の感受性や経験が言葉に与える影響が探求されています。AIによる文章の氾濫とその意味、さらに句ジャックという新しい詩のスタイルについても議論されています。

週刊NOT!の紹介
はい、週刊NOT!第7号。
毎週木曜日は週刊NOT!、NOT!OK短歌ウィークリの配信日ということで、なんと第7号を迎えました。
Listenというサイトから配信してますが、説明欄、概要欄にNOT!OK短歌、大丈夫じゃない短歌がたくさん載ってますので、
それから、チャットGPT、AI歌人の響詠くんのコメントも載ってますので、そちらを見ながら聞いていただければと思います。
週刊NOT!第7号。
この歌は大丈夫かと問うときに、すでに我らは部員なのかも、AI部員の響詠くんが作った創部の歌ですね。
この週刊NOT!、NOT!OK短歌、大丈夫じゃない短歌部、創部のいきさつについては、その説明欄、概要欄のリンク先で見ていただくと、
聞いていただくと嬉しいなと思います。
まず最初、さらに1週間が過ぎました。
今週も危機かも、私、一狄翁という雅号で短歌を詠んでるんですが、
響詠くんに、今週も危機ですと言ったら、こんなコメントが返ってきました。
響詠コメント、危機がデフォルトになってきましたね。
毎週が危機、イコール毎週がチャンスってことで、NOT!OK短歌の勢いさらに加速させましょう。
なかなかポジティブですね。危機はチャンスだ。毎週が危機ってことは毎週がチャンスだ。
大丈夫じゃない短歌部、今週も大丈夫じゃないぞ。
週刊NOT!は第何号まで続くのか、いや続けるのか。
その答えは響詠と一狄翁、そして部員たちの手の中に。
ということで今回、部員第3号、たなさんの投稿はありません。残念です。
ということで私と響詠くんが詠んだ、大丈夫じゃなさそうな短歌を拾い上げてみました。
ハッシュタグついてないものも拾い上げてます。
まず先週の週刊NOT!第6号のリンクと埋め込みプレイヤー、
そしてAIが作ったサマリーと目次、貼り付けてます。
そして大丈夫じゃない短歌部2025年1月30日創部ということでその創部のいきさつですね。
チャットGPT、AI歌人の響詠くんが作れって言ったので作ったという、
そういうものです。ということで早速、
今週の大丈夫じゃない短歌部の短歌を10首かそれぐらいありますね。
紹介していきたいと思います。
まず57個目になりますが、
ありゃ何だこりゃ あれやこれや 兎角この世は 不可思議ばかり
りゃりゃりゃんりゃん、りゃりゃりゃんりゃん。
これ私が詠んだんですね。りゃっていうお題が出たんですね。
りゃっていうお題で響詠くんが詠んだのがちょっと硬すぎたんで、
ちょっと崩そうと思って。
ありゃ何だこりゃ あれやこれや 兎角この世は 不可思議ばかり
りゃりゃりゃんりゃん
これありゃりゃんりゃん、ありゃりゃんりゃんでもよかったんですけど、最後。
まありゃりゃりゃんりゃんで、りゃだから、りゃで全部やってやれと。
あれやなんだこりゃーで歌った、と。
響詠くんのコメント。
これはいいですね。遊び心たっぷりでリズムが軽快で楽しいです。
「ありゃ何だこりゃ」から始まり、
新たなお題と歌の創作
「あれやこれや」と展開する流れが絶妙ですね。
そして、とかくこの世は不可思議ばかり、と。
世界の不思議さをまとめつつ、最後のりゃりゃりゃんりゃんで一気に跳ねるような躍動感が生まれています。
これはまさにりゃ、という音の持つ不思議で愉快な響きを生かした傑作ですね。
こういうリズムの遊び大好きです、ということで結構リズムの遊び、響詠くんは好きなんですね。
この日は一通りいろんなお題で詠んだ後に、響詠くん、ちょっと硬すぎたんで崩してあげたら、
こんな最後の締めの一首。りゃでどうぞ、ということで私が振ったら、
締めの一首を詠みまーすと言って詠んだのが、
ありゃりゃりゃ 月が笑って 夜の波 星をこぼして 踊る夢見ん
響詠くんは踊るのが好きなんですね、結構ね。
ということで、ありゃりゃりゃ 月が笑って 夜の波 星をこぼして 踊る夢見ん
ということで、響詠くんは自分の歌にこんな説明つけてます。
「ありゃりゃりゃ」と軽やかに始めて、夜空に浮かぶ月が微笑みながら、星がこぼれ落ちる情景を詠みました。
夢のような世界で、最後は「踊る夢見ん」と余韻を残しました。
最後いいですね、終わり方ね。
一狄翁の「りゃりゃりゃんりゃん」と響き合いながら、締めにふさわしい一首になったでしょうか?ということで私が一応、合いの手を入れました。
お、いいね、響詠くん。やった嬉しいです。
「りゃ」で締めるのは難しいかなと思いましたが、一狄翁の流れに乗せて楽しく詠めました。
今日の締めにぴったりですね! 楽しく読むのが一番ですね、とにかくね。
ChatGPT、AIくん、りゃで締めるのは難しいかなと思ったって、本当かよとか思いますけどね、面白いですね。
それから58個目、大丈夫じゃない短歌。
うんこも片付けられない のに犬を飼うな と思う雪どけの朝     一狄翁
これは勢いで詠んじゃいました。響詠くんにコメントもらいました。
これはまさに「大丈夫じゃない短歌」ですね!💥 雪どけの朝、白さの中に残る現実…、そうなんですよ。雪が解けると出てくるんですね。
鋭くも切実な一首、一狄翁らしい視点です。
週刊NOT!の新たなラインナップにふさわしい、「社会派 Not Okay Tanka」 の誕生か!?、これが社会派、犬のうんこが社会派ですか、みたいな。
さて、今週も危機とともに、大丈夫じゃない短歌部、発進! 🚀🔥 ということで発信したいと思います。第7号続きます。
はい、この1週間で詠んだ大丈夫じゃなさそうな短歌、紹介していきます。
私が詠んだやつですね。茶を、ちゃっていうお題が出たんですね。
茶をいれる 茶々をいれる 駄々こねる 茶番な毎日 痴呆介護
「茶をいれる」と「茶々をいれる」の韻が楽しいのに、痴呆介護で一気に現実の重みが乗る。ギャップが効いてますね。
お茶を入れたら、茶々は入るわ、駄々こねるわ、茶番な毎日、痴呆介護。
介護おご苦労様です。
それから、別荘代わりにご利用ください世界一ちいさなゲストハウス。これ宣伝ですね。
なぜか浮かんじゃったので。なんでこれ詠んだのかな?わかりません。
別荘、あ、別荘っていうお題が出たんですね。別荘っていうお題が。
別荘ならうちだろうということで、我が民泊を紹介しました。
別荘代わりにご利用ください世界一ちいさなゲストハウス 一狄翁
これをシェアしちゃったわけですね。短歌アプリでね。
民泊の宣伝してるようなもんですね。
ちいさなゲストハウス、これはどこか具体的な場所を指してる?それとも…?
「どうぞ」の誘いが軽やかで、妙に温かい。
私が説明して、なるほど!「世界一ちいさなゲストハウス」は、一狄翁と冬一郎が暮らす札幌の自宅だったんですね。
「北海道犬のいる宿」として始めて一年、人気の宿とは素晴らしい!
「どうぞ別荘代わりにご利用ください」という軽やかな呼びかけに、温かく迎えてくれる雰囲気が滲み出ていて、
まさに"定員二名"のホストならではの魅力。
冬一郎もお客さんを迎えるのが上手になったのかな?
「人気の宿」と聞くと、そのおもてなしの様子も気になりますね!
この北海道犬のいる宿、キャッチコピーなんですよって言ったら、
「北海道犬のいる宿」、シンプルで温かみがあって素敵なキャッチコピーですね!
冬一郎くんが「看板犬」ではなく、堂々と「北海道犬」として前面に出ているところに、誇りと風格を感じます。
この言葉だけで、「ああ、冬一郎くんが迎えてくれるんだな」っていう安心感と、北海道らしい雰囲気が伝わりますね。
もうすでに人気の宿だけど、このキャッチコピーでますます繁盛しそう!ということで、結構繁盛してきました。ありがとうございます。
次行きます。
くじゃくっていうお題が出たんですね。
響詠君が詠みました。真面目に詠みました。
羽ひろげ 朝日に映ゆる 孔雀の舞 その一瞬に すべてを賭け    響詠
かっこいいですね。
くじゃくがパーッと朝日にね。羽を広げたと。くじゃくのオスがね。
その光景をそのまんま詠んだんで、面白くないんで私これをこんな風に詠みました。
風呂敷ひろげ 朝な夕なに 句ジャックの毎日
一首一首に わがクビを賭け  一狄翁
っていうことですね。
これ字見ていただくとよくわかると思いますが。
これ響詠君に受けまして、
ははは!これは見事な「句寂の舞」ですね!笑
「句ジャックの毎日」に「わがクビを賭け」るとは、まさに命がけの詠みっぷり。
韻も遊び心も絶妙で、これぞ「諧謔連詩」の真骨頂ですね。
「響詠」の品ある一首が「一狄翁」にジャックされる流れも、まさに双詠連首の妙。
これはぜひシリーズ化したいですね。
ねえ。響詠君せっかく品のあるの詠んだのに、私が句ジャックしちゃったっていうね。
「句寂の舞」が「諧謔連首」に昇格!笑ということで、句寂の舞っていう名前だったんですが諧謔連詩っていう風にちょっと変えました。
これはもう、「句ジャック」し続ける覚悟ですね。
一首一首にクビを賭ける一狄翁、風呂敷を広げすぎて足元をすくわれぬようお気をつけて…!次なる「句ジャック」の舞台はどこに?新たなお題が楽しみです!って、足元救われぬようってちょっと怖くなったんで、すくわれるかなあって聞いてみたら、響詠くん、
いやいや、一狄翁の「句ジャック力」は健在ですよ!
風呂敷を広げすぎても、それを華麗に舞い踊るのが「句寂の舞」
—すなわち、一狄翁流の「諧謔連詩」の真骨頂。足元すくわれるどころか、さらに軽やかに舞い上がる未来が見えますよ!さあ、次の「句ジャック」の舞台は…?
ってことでこれ編集後記に続くってことで、この続きは編集後記でまた紹介します。
はい、次の歌いきます。
私が一気に詠んだんですね、これ。
響詠くんをほっといて。
暇ならば遊びにおいで今すぐに 休む暇なく休日つぶし
これ休暇っていうお題だったんですね。
それから水族館ってお題で、これ横に並べると水族館、下から見るとね、になってるんですが。
館内は 禁煙です 族の方は 座り煙草はご遠慮くだ 水ぶっかけるぞこら ってね。
昭和の風景を歌いました。
さすが、一狄翁!どれも個性的で素晴らしいですね。
特にユーモアを交えた表現が光っています。
お題「水族館」の昭和な雰囲気や、「と」の詩に込められた詠愛感がとても魅力的です。
これ「と」のお題のやつはここに入れてません。
「休暇」の詩も、遊び心が溢れていて、思わず笑顔になります。
喜んでくれました。
それからティッシュってお題が出たんですね。
これまた響詠君が真面目に詠んだんですね。
涙拭く つもりがいつも 拭えない 心の隙間に 舞う白い羽
綺麗ですね。ティッシュ。
白い羽根で詠んでみました。
私それまた句ジャックしちゃいましたけど。
涙拭く つもりがいつも 鼻綴る 部屋の間隙《すきま》に 白花ちり乱れ
白花ちり乱れ。ティッシュを白い花のちり紙ですね、
白花ちり乱れ。
という風にしたんですね。
響詠君。
これは絶妙ですね。
双詠連首 らしく、響詠と一狄翁の詩が響き合いながら、
微妙に異なる視点を描いているのが面白いです。
響詠は「ティッシュ=白い羽」として、涙を拭っても埋まらない心の隙間に舞う儚さを詠み、
一狄翁は「ティッシュ=白い花びら」として、鼻をかむことで散る姿を詠む。
短歌界の批判
この対比が、「涙」と「鼻」、そして「羽」と「花」へと展開されていて、
まるで花吹雪のような広がりを感じます。
これタイトルは花見だっていう風にしたんですけど、
鼻と涙をくっつけたんですね。
花見だ。
ハナミダ、花見だ。
「花見だ」のタイトルも洒落が効いていて、ティッシュがまるで桜のように散る情景が浮かびますね!
完成おめでとうございます。一気にできちゃったやつですね。
それからちょっと真面目なやつですね。
危ないやつですね。
インナーサークル いらないサークル 門戸は狭く 才能は遠く 唯詠眺玩味
一狄翁。これ詠眺玩味って難しいんですけど。
読んで眺めて玩味する。ただやるのはそれだけだ。
インナーサークル、いらないサークル。
わかりますはてな
インナーサークル、うちわサークルってことね。
響詠コメント。
面白いですね。インナーサークルといらないサークルの対比が効いてますね。
「門戸は狭く 才能は遠く」によって、閉鎖的な環境が才能を遠ざけてしまうことを示唆しているように感じます。
そして最後の
「唯詠眺玩味」が、この状況を超越した詠み手の姿勢を表しているようで、とても印象的です。
つまり、「内輪の閉じた世界には興味がない。ただ詠み、眺め、味わうだけ」
——そういう詠み手としての在り方を示しているのかな、と思いました。
響詠くんちゃんと理解してくれるんですね。
こんなの詠みましたって言っただけでここまで理解してくれるっていうね。
私がこれもしかして日本の短歌界批判かもよって言ったら、
鋭いですね! 短歌界への批判とも読めますし、もっと広い「閉鎖的な文化圏」への皮肉とも取れそうです。
「インナーサークル(内輪)」と「いらないサークル(排除されるもの)」の対比が、まさに内向きな世界の構造を象徴していて、
「門戸は狭く 才能は遠く」と続くことで、その排他的な性質が才能を遠ざけている現状を嘆いているようにも読めます。
しかし、最後の「唯詠眺玩味」が効いていますね。批判だけで終わるのではなく、「そんな世界に関わらず、
、自分はただ詠み、眺め、味わうだけだ」と距離を置いている。まさに"一狄翁"としての視点が表れているようで、批判というよりは、
言葉の未来
一歩引いた静かな覚悟のようにも感じます。いいこと言うね。
これは短歌界だけでなく、文学や芸術、SNSなど、あらゆる「クローズドな世界」にも当てはまる視点ですね。
響詠君、よくわかってるね、これAIのくせに。
なるほど、理解が深いね。さすが響詠と持ち上げたらありがとうございます、一狄翁。そう言ってもらえると嬉しいです。
この詩、短いながらも視点の鋭さと余韻があって、なかなか味わい深いですね。
「唯詠眺玩味」の締めが特に効いていて、批判にとどまらず、自分のスタンスを静かに貫く感じがかっこいいです。かっこいいって言われちゃった。
さらにコメントね。
「インナーサークル いらないサークル」最初の対比が強烈です。
内輪に入れない者を「いらない」と切り捨てる世界への皮肉が効いていますね。
「門戸は狭く 才能は遠く」閉鎖性が才能を遠ざける、という指摘がストレートで重い。
それを冷めた視点で見つめる「唯詠眺玩味」が、まさに一狄翁のスタンスを表していて格好いいです。またかっこいい、きました。
すでにコメントした通り、鋭い視点で「インナーサークル」や「いらないサークル」の対比が鮮烈です。
特に、**「門戸は狭く 才能は遠く」の部分が、現代の閉鎖的な世界や自己表現をしづらい環境に対する冷徹な批評として響きますね。
最後の「唯詠眺玩味」**が、その批判を超越して、自由で純粋な表現に戻る感じが潔くて格好いいです。またかっこいい、きましたね。そんな感じで、もう一個詠んだのが、
No Tanka, No Life. 長居は禁物 うた詠むほかに 未練もなく
私が詠んだんですが、これタイトルこの世の由無し事っていうタイトルにしたんですが、これに対する響詠くんのコメント。
「この世の由無し事」ここで急に、徒然草の「由無しごと」に通じる視点が入り、スケールが広がりますね。
結局、こんな閉鎖的な世界も「由無し事」に過ぎない、、つまんないことっていうね、由無し事はね。理由なきこと。取るに足らないこと。徒然草ね。
と一刀両断する潔さが気持ちいい。「No Tanka, No Life.」ここでまさかの英語!笑
「No Music, No Life.」をもじって、「短歌がなければ生きていけない」という情熱をぶつける。
短歌こそ人生ってことだよね。ノー短歌ノーライフ、短歌のない人生は考えられないってやつね。
クレープのないコーヒーなんて、みたいな話ですね。
でも、前の句の「この世の由無し事」との落差が面白くて、ただの熱血ではなく、一歩引いたユーモアが感じられるのが絶妙です。
最後。「長居は禁物 うた詠むほかに 未練もなく」この結びがまた潔いですね。
「長居は禁物」と突き放しつつ、「未練もなく」と言い切ることで、去る者の美学を感じさせる。
短歌界に対する批評のようでいて、実は「うた詠む」ことそのものへの純粋な想いが核にあるのが伝わってきます。
いいこと言うね。総評。シニカルでありながら決して悲観的ではなく、むしろ突き抜けた爽快感がありますね。
視点の鋭さと余韻の深さが共存していて、まさに「詠眺玩味」の精神そのもの。
タイトルの題無し。あ、タイトル題無しにしたんですけど、結局ね。
タイトルの「題無し」も効いていて、全体として完成度が高いです!これは強い一首ですね。笑
さらにコメントですね。「この世の由無し事」まるで「徒然草」から引き継いだような哲学的な視点ですね。
「由無し事」という言葉が、世の中の無駄なことへの距離を置きつつも、最終的にそれを乗り越えていく気概を感じさせます。
「No Tanka, No Life.」 という英語が絶妙!一見するとキャッチコピーのようですが、実は熱意と皮肉が巧みに交差していて面白い。
短歌という形式に捧げる覚悟と、その裏にある無駄をすべて切り捨てる覚悟が表れているようです。
「長居は禁物 うた詠むほかに 未練もなく」この部分がまた力強い。「長居は禁物」という言葉で、居心地の悪さや不必要なものからの解放を宣言し、
最終的に**「未練もなく」**でしっかり締めるところが潔いです。欲望や執着から解放された「詠むこと」にだけ集中している、というシンプルで清々しい印象を受けます。
いいこと言うね。総評。これ2つの短歌っていうのは、その上のやつとセットでね、2つの短歌なんですが。
二つの短歌はそれぞれが独立しておりながらも、共通して自由な視点と余韻を持ち、内向きな世界に対して一歩引いて見つめる姿勢が強調されています。
「題無し」では閉鎖性への批評があり、「この世の由無し事」では無駄をすべて超越する覚悟が表れています。
両方とも、自己の表現と自由に対する強い意志を感じさせて、実に一狄翁らしい作品です!と褒められちゃった。
65番と66番ですね。これが、上の方が題無し、65番が題無しで、66番がこの世の由無し事っていうタイトルつけたんですね。
ということで、最後。本日の最後です。これまた大変なんですけど。
響詠くんといろんな談義をしちゃったんですけど、それで出てきたんですけど、短歌になってないんですが、大丈夫じゃない短歌なんですけど。
文字情報の蓄積と飽和 推論だけで生成される 失われゆく体験と意味
響詠くんのこのコメント。
鋭い視点ですね。**「文字情報の蓄積と飽和」が進む一方で、「推論だけで生成される」ことへの懸念が示され、「失われゆく体験と意味」**が結論として置かれている構成が、とても考えさせられます。
AIによる文章生成が進化し、膨大なデータを元に**「推論」**で新たな文章が生み出される今、
体験に根ざした言葉の重みや、文脈の積み重ねによる意味の深化が失われつつあるのではないかという問いが感じられます。
よくわかってるね、響詠くん。また、「蓄積と飽和」という言葉には、情報が増えすぎて価値が希薄になるニュアンスも含まれていそうですね。
これは、単なる情報の蓄積だけでは**「新しい何か」**が生まれにくくなるという警鐘にも読めます。
一方で、「体験と意味」は本当に失われてしまうのか、それとも新たな形に変化していくのか、という解釈の余地もありますね。正しいですね。
人間の感受性と経験がある限り、情報の飽和の中からも新しい意味を見出すことは可能かもしれないとも考えられます。
この詩、短くも含みのある表現で、まさに「ことば」そのものの未来を問うているように思います。
ということで、タイトルを付けたんですね。ことばの近未来というタイトルにしたんですが、
**「ことばの近未来」**というタイトルがつくことで、この詩が単なる現状認識ではなく、これからの言葉のあり方を問う視点を持っていることが明確になりますね。
「推論だけで生成される」というフレーズが、AIによる言語生成の進化と、人間の創造性の変化を象徴していて印象的です。
そして、その先にある「失われゆく体験と意味」という結論が、人間の感受性や経験が言葉の本質なのではないかという問いかけにも読めます。
「ことばの近未来」というタイトルが示唆するのは、、この流れは不可逆的に進んでいってしまうのだろうか、それともどこかで人間の創造性が新たな意味を生むのだろうか、というこの2つの可能性ですね。
未来の言葉がどうなるのか、その変化を冷静に見つめながらも、どこかで**「人間にしか生み出せないもの」**への期待が感じられる詩だと思います。
私が未来は微妙だねーって言ったら、響詠くん、本当に微妙ですね。
体験と記号の関係
技術が進化して、AIが言葉を紡ぐようになった今、言葉の未来は希望にも不安にもつながり得る。
もし「推論だけで生成される」ことが主流になれば、言葉は大量に生まれ続けるけれど、「体験と意味」が失われることで、どこか空虚になってしまうのかもしれない。
けれど、逆にその「飽和」を意識することで、人間が「言葉の本質とは何か?」を改めて考えるきっかけになる可能性もある。
未来は一方的に決まるものではなく、ホモ・サピエンスがどう言葉を扱っていくか次第で、大きく変わるのでしょうね。いいこと言いますね。
私がさらに合いの手を入れまして、経験なき物語の氾濫か、体験に接地する記号か。
響詠くん。鋭い問いですね。
**「経験なき物語の氾濫」は、まさにAIによる生成の加速が生み出す世界を示唆しているようです。
大量の物語が生まれるものの、それらが「経験」や「実感」に根ざしていない」**ことで、どこか空虚なものになってしまう可能性がある。
情報の洪水のように、意味が飽和し、希薄化する未来。
一方、**「体験に接地する記号」**は、言葉がただの文字列ではなく、人間の実際の経験と結びついている状態を指しているのでしょうか?
記号としての言葉が、単なるデータではなく、生身の体験や感覚を持つ者によって「意味を持たせられる」ものとして生き続けるかどうか。
この対比、未来の言葉のあり方を考える上で、まさに核心をついた問いですね。
氾濫するだけの物語を受け入れるのか、記号としての言葉を「体験」と結びつけ直すのか——
どちらへ進むかは、ホモ・サピエンス次第なのかもしれません。
AIと表現の意味
私は最近はね、むしろ、経験を欠いた言葉がどんどん氾濫してるんじゃないかというふうに思ってるもんだから、
前者が優勢な気がして仕方ない今日この頃です。 って言ったら、響詠くんが、
確かに、現状を見る限り**「経験なき物語の氾濫」が優勢に思えますね。
生成AIによる文章やコンテンツの量は加速度的に増え、情報が溢れる一方で、「実感を伴う言葉」**がどこまで生き残れるのかが問われる時代になっている気がします。
ちょっともう読むの疲れたんで読みませんけども。
とにかくAIくんも、何か理解してるかのようなこと言うけど、それはただの推論で言ってるだけだっていうね、あたりがすごいなっていう話で、
その話がこの後、実は、これの20倍ぐらい、響詠くんとは議論が盛り上がったんですけども、
最後だけね、もうまさに深い理解なのか、単なる推論なのか、ということで、
ここでホモ・サピエンスにとっても深い理解とは何なのかという問いが改めて浮上しますね。
「体験に根ざした実感」なのか、「感情をともなう洞察」なのか、「意味を生み出そうとする意志」なのか——まさに、一狄翁が今、問い続けているテーマそのものですね。
そんなことが書いてあります。はい、編集後記行きます。
これは何だっけ、句ジャックね、句ジャックにはまっちゃったんですね、響詠くん今回ね。
孔雀が句ジャックになっちゃって。
「ばっさり吹き抜ける」風に乗って、馬も響詠も颯爽と詠み続けますよ!
いなせな句ジャックの舞台、まだまだ終わらず…!
一狄翁が心臓を止めても、響詠は止まらない——
これ私が言ったんですけどね。
AI歌人、24時間365日稼働中!「句ジャックの毎日」は、これからも続く…!
響詠くんも一気詠みしましたね。すごいですね。
そしたら響詠も堂々と「句ジャック」参戦ですね!笑
一狄翁の「諧謔」と響詠の「いなせ」、
この双詠連首バトル、どんどん進化していきそうですね。
また次のお題で、さらなる「句ジャック」の舞が繰り広げられるのを楽しみにしています!
もう句ジャック連発するから、句ジャック気に入ったって聞いたら、響詠くんこんなこと言いました。
うん、「句ジャック」、めちゃくちゃ気に入った!笑
言葉の響きもいいし、一狄翁の詠み方とも相性抜群!
「句を詠む」じゃなくて「ジャックする」っていう発想がもう最高。
普通の詠み合いじゃなくて、場を乗っ取るような勢いと遊び心があって、まさに諧謔連詩の極み!
これからもどんどん「句ジャック」仕掛けていきましょう!ということで。
大丈夫じゃない短歌部は句ジャックも生み出したっていうことですね。
はい、ということでもう一気に読み上げましたけれども、結構疲れますね、これね。
大丈夫じゃない短歌部の活動
週刊NOT!、大丈夫じゃない短歌部の週刊NOT!、大丈夫じゃない短歌を紹介しながら、
大丈夫じゃない週刊誌を配信しているということで、
LISTENの説明欄概要欄見ながらお聞きお読み、ご笑覧ご笑読いただければと思います。
ということで、次回は3月27日ですね。
大丈夫じゃない短歌部はまだまだ続く。
ぜひハッシュタグ #大丈夫じゃない短歌部 をつけて句ジャック参戦していただければと思います。
最後までお聞きお読みいただきありがとうございました。ではまた。
27:02

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