おはよう、こんにちは、こんばんは。漫画について喋るラジオ、略して漫ラジのうっちーです。
この番組では、通勤時間片道2時間を、漫画とポッドキャスターに捧げる30代男性である私、うっちーが、大好きな漫画について、自分なりの解釈を入れたり、感想やあらすじなど、勝手に話して、毎週土曜日に配信していくという番組です。どうぞよろしくお願いいたします。
今回の配信は、11月11日、ソロポッドキャスターの日の配信でございます。
毎月11日は、主に一人で配信をしております、ソロポッドキャスターのための日でありまして、この日に数々のソロポッドキャスターが特別な配信をしたりします。
また、本日は月曜日でして、月曜日は僕のもう一つの番組、クスケンラジオの配信する曜日でありまして、そちらはそちらで配信しておりますので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。
いつもだったらクスケンラジオとかマンラジオの通常配信とかぶったりした場合は、ソロポッドキャスターの日の配信をスキップしたりするんですけども、今回はリクエストといいますか、僕がぜひこの話題で話したいという熱意が伝わったということもありまして、今回は話をさせていただこうかなと思っております。
前回のソロポッドキャスターの日である10月11日は、部署ラジというおまけで、専属部署について話すというのをさせていただきました。
その際には、豊臣秀永の話をさせていただきました。
この部署ラジについて、そもそも部署ラジやってみたらというテーマをいただきましたのは、30代男性B型ラジオをされております田山さんでございます。
田山さん、いつもこの番組で大変お世話になっております。
マンラジでスペース必要という時は大体出てきていただきまして、テーマをいただけたり、また田山さんのゲストに出てきていただいたこともあります。
いつも本当にありがとうございます。
毎度のご紹介になりますけれども、30代男性B型ラジオ、本当に素晴らしい番組です。
田山ワールドといいますかね。
以前はパチプロのダブルさんと2人で話をしておりまして、様々な話題についてお互いの意見をぶつけ合ってというのをしておりましたけれども、
最近には田山さん、ソロで話をしておりますけれども、田山さんの話の展開とかね、様々なことについての視点というか、本当に面白いです。
もう田山ワールドですね。
こういう切り口で話をするかね、といったこともあって、本当に面白いです。
ハムチャンズの話とか、コンビニのイートインスペースの話とか、田山さんならではの観点だなという話が本当にありますので、
30代男性B型ラジオ、本当にお勧めでございます。
また田山さんから、前回部署ラジで豊臣秀永が話されていただいた際には、スポーティファイの方でもコメントいただきました。
本当にありがとうございます。
そのコメント内で、せっかくなので中国の部署で話してみたらどうですかというテーマをいただきました。
その点も本当にありがとうございます。
前回の部署ラジオの時に、僕散々ね、中国の部署でも話できるんですよというのを語れたので、
ある意味僕からのリクエストを受け止めていただいたということでね、本当に田山さんありがとうございます。
ということでね、今回は中国の戦国部署で話をさせていただこうかなと思います。
とはいえ、中国の部署とか中国における戦いの時代って本当に様々なんですよね。
例えば有名どころですと、漫画のキングダムとか達人伝でおなじみの春秋戦国時代。
その春秋戦国時代から戦国主治区の一角、秦が統一をしましたが、
漢元である張功とか、上将である李子という漢帝国のナンバー2とも言える人物たちの様々なやらかしによりまして、
秦はわずか15年、三代目皇帝に入ってすぐに滅亡してしまうんですけども、
その後に孔武と劉邦の二人が覇を競いました。
最終的に劉邦が勝って漢の国となりまして、
この漢帝国は400年くらい続く時代だったんですけども、漢帝国の末期では10人の漢岸、
十条寺とかも呼ばれますけども、その漢岸たちの悪性とも言える政治とか統治の悪化によりまして、漢帝国は崩壊してしまいます。
西洋史でも似たようなケースあるんですけども、中国史においてその国のナンバー2とか漢岸のやらかしで国が崩壊するとか、
ナンバー2が国を乗っ取るというのは本当多かったりします。
漢帝国が崩壊した時に各地で英雄たちが現れて覇を競い合う、いわゆる三国史の時代になってきますね。
ここら辺の春秋戦国時代から三国史の時代は中国史の中でも人気特にあるんじゃないかなと思います。
様々な天才たちが争うのは戦いにおいて花がありますし、戦争だけでなく外交や内政、政治関連でも様々な天才たちが出てくるので本当に花があるなと思います。
例えばですけども孔武というとんでもなく戦が強い男がいますけども、この孔武に対して天敵ともいえる活躍をする漢臣、
劉邦が何度負けても劉邦の軍を立て直す将家、
負け続けたりやらかしの多い劉邦に対して様々な助権により、秦の国や孔武率いる祖軍を打ち破るきっかけを作る長領とか、
そういったのもいる孔武と劉邦の時代もいいですよね。
三国志で言えば曹操、劉備、孫家の三人はもちろん、旅婦や縁書、冠軍、張飛、閣下、順育、順裕など様々な天才が出てきます。
この春秋戦国時代から三国志の時代を外しても、皇神英義で有名な隣州戦争、これもご存知の方多いんじゃないかと思いますし、
大公報こと旅章もいいですよね。
後に旅章は西の国に封じられますけども、細かい場所がずれているとはいえ、後に孫武とか孫敏が西の国が生まれ、
しかも旅章を残した孫武に影響を受けていた。ここらへんもロマン感じますよね。
あんまり話すのもおかしくなってくるのでここらへんまでしますけども、
中国志において様々な英雄たちがおります。
中国とかでは岳飛伝とかね大河ドラマがあったりとかして有名なんですけども、
日本人に中国の戦国武将誰が好きですかっていうアンケートを取った時に、
曹操とか劉備みたいに三国志の武将を挙げる人いるでしょうし、
春秋戦国時代の時のハッキーとか李信とかそういった名前が上がってくると思うんですよね。
ここらへんは歴史が詳しいかどうかとかね中国史詳しいかどうかもねあんまり変わらんと思うんですよ。
ただじゃあ中国の方に中国の中で一番好きな戦国武将誰ですかって聞いたら、
岳飛間違いなくベスト5ありますし1位でも全然おかしくないです。
それくらい中国では有名な方です。
でも正直日本だと岳飛って言われたら岳飛って誰っていまいちピンとこない方が多かったりしています。
じゃあなんでこんなにも中国と日本で認知度が違うのか。
また中国ではなぜこんなにも愛されているのか。
そういった話を今回させていただこうかなと思います。
というかもう本当中国史において岳飛話されるのはもう嘘なんですよ。
もうおそらくこの武将ラジオ企画においても今日の再設はマジで良くないと思います。
おそらくもう一番反応が来ない回だと思います。
なのでおそらく中国の戦国武将で話せるのはこれ1回きりだと思うんですよ。
中国の戦国武将でじゃあ誰話すよってなったらもう岳飛なんですよ。
日本の戦国武将だったらやっぱり親しみもあってある程度反応がもらえるかもしれないです。
でも中国の戦国武将ってなったらおそらく反応あんまりもらえないと思うんですけども
じゃあその1回こっきり誰で話すかって言ったらもう岳飛なんですよ。
もうそれぐらい中国史においては英雄中の英雄でございます。
じゃあこの方岳飛どういう人物なのかというのを話していきますと
岳飛は農村部の出身だったと言われております。
以前日本の戦国武将豊臣英永の話をさせていただいた時にもうちょっと触れましたけども
基本的に武将というのは武将の家系で生まれた人の方が
親とか先祖とかからいろんな地位とか人脈を受け継ぐので
出世しやすいと言われております。
でもこの岳飛という方は農村部の出身でそこから成り上がった人物だと言われております。
また子供の頃から孫子とか春秋差子伝といった様々な兵法書とか歴史書に触れていたと言われておりまして
とても頭の良い聡明な少年だったよと言われております。
また力もすごかったと。大人が何人も協力してやっと引けるような重い弓を岳飛が一人で引けたとか
大人何人も協力してやっと持てる槍とかを岳飛が振り回せたとかですね。
ただここらへんの偽って中国の戦国武将とかだったらみんな結構ついて回るんですよね。
話盛られてるんじゃないかなというお決まりのパターンではあるんですけども
とにかく岳飛ってやっぱりすごかった人なんですよって思っていただければ幸いでございます。
またちょっとお決まりというか盛られてるんじゃないかって話の一つで出自の話。
よく岳飛は農村出身で貧しい生活をしていたと言われるんですけども
当時の中国では貧しい農民が春秋差子田とかの歴史を手にすることはもう到底無理ですし
そもそも字を読むことができないのが当たり前。
そういったことからも岳飛ってそこまで貧しい家じゃなかったんじゃないかとも言われております。
また父親がすごくいい人だったそうでして
近所の方が貧しい生活で困っている時には自分の土地を分け与えていたというエピソードがあります。
ただこのエピソードからも人に土地を分け与えられるぐらいには裕福だったんじゃないかなとも言われております。
ここら辺は橋場秀吉とか貧しい農民だったとよく昔に言われてましたけども
実は農民としては裕福だった方じゃないかと言われてますし
ここら辺は後世で話を面白くするためにもらえたんじゃないかという可能性はあったりします。
ただ先ほども触れておりますけども根本的に武将の家じゃないというところから有名な武将が生まれる
これ時点がそもそもすごいことなので
多少話をもらえても農村部から有名な武将が出たというのは本当にすごいことです。
この学費ですけどもすごい人気がある理由の一つが忠義の男であることなんですね。
学費は勉強もできるし力もあるということで何でもできることでもではあったんですけども
父親からその力を自分のために使うなよ、国のためにしっかり尽くせよという教育を受けていたと言われております。
その教育の成果が学費の背中には忠義を尽くして国に報えるという意味の四字熟語が背中に彫られていたと言われております。
そういった入れ墨が彫られるぐらい忠義の熱い男なんですけども
当時学費が生まれた僧という国と別の国で金という国の間で戦争が起きます。いわゆる僧金戦争。
この時に学費の頭脳や力忠義が発揮されていきます。
僧と金の戦いをネットとかで調べていただきますと出てくるんですけども
どちらも今の中国の中にある国のように見えます。
なので中国の中で争ってんだな、日本の戦国時代みたいなものかなと思われるかもしれません。
ここに関してはもう少し複雑な事情が絡んできます。
僧という国は官民族の国でありまして金という国は女神族の国ということで民族の違いというのが出てきます。
日本の場合は島国ということもありましてこの民族の違いというのが大陸の国と変わってくるんですよね。
僕自身は八王子の包丁の台から続く農民の家系の人間なんでガッツリ日本人なんですけども
ここら辺を中国と日本の民族の感覚の違いというのを話させていただきますと
日本の戦国時代とかはあくまで日本人の中での争いに対して
中国という国は中国人が支配をしないという時代がよくある話です。
中国人が支配をしないという言い方は良くないので官民族が支配しないという風に表現を変えさせていただきますけども
例えば有名なところですと元という王朝、不備大汗とかの王朝ですけども
この王朝はそもそもねモンゴル系の人たちが中国を支配していたという状況ですし
雑な表現にしますと今風で言えばモンゴル人が中国を占領していたと思っていただければいいかなと
なので民族の違いというのは本当国が違うと思っていただければいいです。
中国という国は中国4000年の歴史と言われますけども
その長い歴史の中で中国、官民族ではない人が中国を支配していたそういう時期がある国です。
ここら辺は西洋史とかでも同じようなことがあるんですけども
例えばローマ帝国が西洋を征服していたとかであれば
ラテン人が建国をしましたよねそこの後エルトリア人が支配してとか
ここらへんも民族の違いとか出てくるんですけども
ここらへんは島国で日本人とは感覚が違ったりします。
日本の場合も世界大戦の際には他国へ支配を広げていこうとかいうのもありましたけども
島国でありましてそもそも他の民族との戦いとか交流の歴史が浅い日本の場合ですと
こういった民族の違いというのが感覚が伝わりにくいかたりします。
僕自身も正直理解できているかというと正直不安でたまりません。
すっごいざっくり言いますと中国の長い歴史の中では中国人は他国の人との戦争がよくあった
中国人は他の国から支配されている時期がとてもあったと思っていただければ幸いでございます。
話を額比に戻させていただきますと額比が生まれた総の国は官民族の国です。
官民族は今の中国において約9割を占める民族でございます。
なので今の中国は官民族の国と思っていただければ幸いです。
一方相手の金という国は女神族の国でして
ここは官民族と女神族という別の民族の戦いでございます。
この総と金の争いですけども圧倒的に金の方が強かったです。
金は遊牧民系の民族で騎馬馬に乗っての戦いとか非常に上手かった。
馬による機動力とかまた馬に乗った状態で高いところが戦うとかそういうのも強かった。
馬には鎧をつけさせていまして防御も固かったといったことから
圧倒的な強さで総に襲いかかっておりました。
一方の総の国はどちらかというと戦いよりも政治とか統治が上手い人を優遇していたという政策を取っておりました。
なので国の偉い人がほとんど戦争が上手くないという国でした。
また皮肉なことに政治が上手い人を集めていたはずなのに
総という国はひどい政治を行ったことで他国から攻められる要因をいくつもいくつも作りました。
とにかく戦争について上手い人詳しい人がいなかったので金との戦いでは圧倒的に金の方が強かったです。
ただそれでも金という国は総を全土は侵略できなかったです。
これなぜかと言いますと人口が圧倒的に総の方が多かったんですよ。
資料によって数に違いはあるんですけども当時総という国には3000万人だいたい官民族が3000万人くらいいると思っていただければいいんですけども
一方で金の人口は200万から300万人だったと言われます。
人口比で10倍以上の差がありましてさすがにこれでは金も総の国全土は占領できないと。
いくら戦争強くても各地に人をばらけすぎたら人数比では総の方が圧倒的に上なので一斉に反乱が起きた時に反乱を抑えられないと。
また金は今の中国における北の方を占領しておりまして中原辺りまでを占めていたんですけども
南の方を攻めるには広大な川とかがあります。船とかで敵を攻める水軍が必要になるんですけども
遊牧民族主体の金においては水軍というのはなかったです。
そういったこともありまして金は南の方を占領するのやめようと。
自分たちにとって都合のいい漢民族の人間を総のトップにしよう。
それでそいつに総を統一させて自分たちの傀儡政権にしてしまおうと考えますが失敗します。
ここに関しては漢民族といってもいろいろ違いがあるんだよという話になってくるんですけども
今回省略させていただきます。
その結果南の方に残っていた総の国の人たちは自分たちで皇帝を擁立して
総という国漢民族の国を守ろう作っていこうとします。
後に南総南の総と言われる国の建国がされました。
この金と総圧倒的に金の方が強く主要な部分中原とかも金に捉えている状態
こんな状態ですけども総という国において岳飛は活躍していきます。
大変前振りが長くなって申し訳ございません。
今までの前振りの要約しますと総と金では全く違う民族の戦いだよ。
金の方が圧倒的に強いよ。総はピンチだよ。
そこで総の国で岳飛が登場するという話をここからさせていただきます。
岳飛は18歳の頃に義勇軍に参加をしたと言われております。
義勇軍と言っても金と戦うのは偽闘争ではなくて地域の山賊とかを討伐するという任務に就いていたと言われております。
その岳飛が軍を指揮した。軍と言っても100人ほどの軍らしいんですけども
そのデビュー戦と見ている戦いでは賊が砦の中に籠ってしまいなかなか攻められないよ。
その時に岳飛は商人の格好をして商人が山道を歩いているように見せた。
そして賊としては商人の荷物を奪ってやれということで賊が砦から出てきた。
そして岳飛を襲います。
この時岳飛は逃げるだけ逃げてその賊たちを引き付けます。
賊たちが引き付けられて砦を離れたところを岳飛の仲間たちが砦を占拠して勝ってしまう。
これが岳飛の初めての戦いだったと言われております。
岳飛は戦法とかに長けてるんだなと言われる逸話でありますし
また仲間のために自らが囮になるという仲間思いのエピソードだよと言われております。
その後も岳飛は活躍をしてきまして賊の討伐で名を上げていきます。
そのうちに武将の家系ではないのに金と戦う軍の一部を任されるまでになりました。
成り上がりで名を勝つ部下思いというエピソードもあったことから
岳飛が率いる軍は士気が非常に高かったとも言われております。
実際に金との戦いでもその力を発揮しまして
岳飛が率いる軍は金に対して6戦して6勝
圧倒的な力で抑えていた金軍に対して全勝していたと言われまして
金軍を撃退したりとか金軍に奪われた土地の奪還できるそういった場面もあったと言われております。
またこの戦争の際なんですけども岳飛のエピソードの一つに
民からの略奪をしなかったというものがあります。
当時平坦文化というのはまだまだ薄くて基本的には戦いをしたときに
その場でなんとか食料を集めるとかそういうのが普通でした。
ただ自分たちで集めようと思っても食料とか足りないと
だったらその場で民から略奪をしてしまい
それで食料を確保するというのが当たり前でしたし
戦争に行くのは金目的だったという兵士もありまして
民から略奪をして金を得ていたという兵も多かったと言われます。
そういった意味で略奪をするのが当時では当たり前だったんですけども
岳飛の軍は民衆からの略奪を禁じたことで
民衆からも人気が高まりました。
そういったこともありまして強くて人望もあるということで
祖の国において英雄が現れたとなりました。
ただこの岳飛を心よく思わない人々もいました。
それは祖の国における文官たちでした。
政治とか統治とかを主にする文官という形ですね。
もともと祖は金にボコボコにされる前
政治とかを行うのがメインの文官と呼ばれる人たちが権力を握っておりました。
そしてボコボコにされて南の方に追い詰められた
後世で言われる南宗という国になった状態になっても
それでも文官たちが権力を握っていました。
金と戦うために戦いがメインの武将とか武官と呼ばれる人たちに
権力を与えるべきだったんじゃないかと思われるかもしれませんけども
文官がメインでした。
これ理由としましては確かに祖は南の方に追い詰められたと言いましても
北に比べて南側の方が気温が高いところもありまして
食料が作りやすいという環境でした。
そのため無理に金から土地を奪い返そうとしなくても
それなりに生活ができていたという状況だったので
金を責めることに対して積極的ではないという意見も多かったです。
また南宗の皇帝である孔宗という人物
この方が皇帝になる経緯にも問題がありました。
そもそもで宗という国は一度金に滅ぼされております。
金は宗という国を従順にさせるために
宗の国から何名も人質として金に連れ去られました。
その中には孔宗の父である貴宗であるとか
孔宗の兄の金宗といった方々も人質の中にはいました。
仮になんですけども宗が金を責めていきました。
ある程度良い条件で和平を結ぼうよというところまで
宗が勝っていったとします。
そうなったとき人質を返してもらうというのは
条件に入ってくる恐れがありました。
人質を多く取られていては対等とは言えない。
ある程度金と対等の国となるためにも
人質は返してもらう必要があったりしました。
そうなってくると皇帝である孔宗の父や兄が返ってくるんですけども
それにより皇帝の座をめぐって争いが起こる
そういった可能性が考えられました。
孔宗の父である貴宗は政治的にはお世辞にも
良い政治をしたと言えずひどい悪性を強いていました。
それで宗の国が滅ぶ原因だったとはあるんですけども
それでももともとあった宗の国
北の方にあった宗ということで北宗と呼ばれたりもしますけども
北宗の皇帝であった貴宗こそがまだ皇帝だよねという考えは根強く
南宗の皇帝である孔宗はあくまでも代理という見方が強かったです。
そのため貴宗が戻ってくる。
そしてその時には兄たちも返ってくるとなると
孔宗としては皇帝の座から退かなければいけない恐れがありました。
孔宗としてはそれをとても嫌がったと。
金を責めること金を倒すことに対して積極的ではなかったという面もあります。
そういった背景もありまして南宗の上宗部は金を責めようという考えが多い
武将とか武官ではなくてむしろ戦争するの反対だよね
そこそこのところで金と和平結べたらいいよねという考えの文官たちが占めておりました。
ただそういった文官たちの思いと裏腹に金に対して連戦連勝でまた民衆からの支持もすごい額比
この額比は金を責めましょうという考えでした。
額比は金に奪われた中原奪い返しやりましょうよと上宗部に対して常日頃から話しておりました。
どんどんどんどん額比の人望も高まっていますし
南宗の上宗部からすると額比の存在が邪魔になってきました。
排除したいという考えも持つようになりました。
その結果南宗の上宗部特に南宗における西宗という皇帝の次に偉い立場であった新海は
額比には無本の疑いがあるということを唱え額比を捉えました。
捕まった額比は自分には無本する気なんて全くない
自分は人中宝国国に尽くしたいだけだと最後まで疑いを否定し続けましたけれども
結局は無実の罪で処刑されてしまいました。
こういった形で額比というのは力人望があり弱っている祖国を救おうとした英雄でも
最後には無実の罪で処刑されてしまったというドラマチックな面が多く
額比はとても人気があります。
ちなみになりますけれども額比が処刑されたことで金に対して戦力でどうしても対抗できなくなった南宗は
その後金と和牧というか和平を結ぶものの毎年大量の金銀を送ること
南宗の皇帝である皇宗は金にとっての配下の一人という立場となりまして
結果的には南宗は金にとっての族国の一つという立場になりました。
結局は自分の立場を守るために額比をはめた清海は
自分の国官民族の国である宗を異民族である女神族の国の族国という立場にした
そういった原因を作ったということからも清海は中国史上でも最も嫌われている有名人と言われております。
ここらへんが額比についての話ですけども
ここまで聞いていただいて額比のことをすごい英雄と思っていただけたでしょうか
確かにすごい英雄ではありますけどもそこまですごいエピソードと思う方もいるんではないでしょうか
この額比のエピソードだったら例えば両雷雷でおなじみの長女とかかっこよくないとか
三国志における天才曹操の方がすごくないかとかね
他の武将の方がすごくないかと思った方もいらっしゃるんではないでしょうか
ではなぜ額比が中国史上一番の人気なのか
これ結局一番のポイントは反女神族の象徴
異民族に対抗した人物としての象徴というのが一番のポイントであったりします
今現在の中国は漢民族の国です
が漢民族にとって中国は異民族の国であった時期がとても長いです
南宋族国にした金は女神族の国ですしその後はモンゴル系に支配された元となります
その後は元の崩壊とともに民国というこれは漢民族の国ができるものの
その後内乱とかもありまして民という国が崩壊しまして神という国が生まれます
この神は女神族系の国でして1640年頃から1912年までという
日清戦争の神がこの神なんですけども
約300年もの間漢民族は女神族系に国を支配されていました
そしてその神が1912年に崩壊し中華民国が設立しました
この時ついに漢民族の手に国が返ってきました
300年もの長い間女神族に国を奪われていたという感覚が強い漢民族にとっては
国が衰退している中皆が女神族である金という国に対して対抗しようとしない中
一人反女神族を唱えていた岳飛は漢民族にとっての英雄
反女神族の象徴という面が強く
岳飛は現在の中国において歴史的にとても好まれているという面が強いです
なのでこういった中国における民族の違いとか分かりにくいということもありまして
日本人にとっては岳飛ってそんなにすごいかとか
中国人が岳飛好きだけどそこまでの人物じゃないよなという感覚が生まれやすく
日本では岳飛が好きだという人が少ないという面もあります
また日本人にとって岳飛を中国人というか漢民族の人々が好むほどには
岳飛を好めない理由というのもあります
それは岳飛が反女神族の象徴ということ
この女神族系の人々はもともとある地域がルーツから出てきている民族なんですけども
その地域の名前から女神族は別名で呼ばれます
その別名というのは満州族
満州第二次世界大戦時によく出てきた名前ですよね
日本は中国内に満州国を作ったというのは歴史の教科書に載ってますよね
その満州の民族です
女神族というのは満州族でありまして
その満州と深い関わりがある日本人にとっては
反女神族いわば反満州族の象徴である岳飛に対して
漢民族の方々ほどは好きになれない
そういった一面もあったりします
といったところが漢民族最大の英雄といわれる岳飛についてと
その岳飛が日本にとって馴染みが薄い理由についてでございました
ここからはアフタートークです
今回岳飛ということで話をさせていただきました
一応アフタートーク前
本編のほうでは岳飛について褒めて深海とかをけなしているので
アフタートークでは自分なりに岳飛に対してもやっとしている部分を話したいなと思うんですけども
岳飛って人中宝国という忠義を尽くして国に向けるのを第一にしているといいますけども
そもそも南層の皇帝である皇層ってとかね
あと上層部って戦争反対なんですよね
まだこれ1100年とかの頃なんですけども
この頃って絶対国は民のものって考え薄くて
国は皇帝とかのものって考え強かった頃なんですよ
正直国は民のものという考えは世界的に見ても
フランス革命あたりまではあんまりないだろうという感覚だと思うんですよね
もちろんねあまりにも惑星とか強いられたら民だって反乱を起こしますよっていうのは
1100年よりもっと前々から普通に起きてますけども
それでもね基本的には国は王とか皇帝のものという考えが
南層自体が強かったと思うんですよ
そういう意味では皇帝である皇層の考えに従わないというのは
これ忠義尽くしてるかね国に報いてるかねっていうのは
ちょっと考えがねっていうのねちょっと疑問に感じるところはあります
また岳飛は民から略奪しないのをモットーにしてますけども
岳飛が金倒したのって基本的に南の方とか南層近くの方なんですよね
そこから攻めていくとなると北に行きますけども
北に行けば北に行くほど食料とか実りにくい土地なんですよ
なのでその場合の調達がどんどんどんどん難しくなるんですけども
そうなってくると略奪するようになるんじゃないかねとかありますし
でまた南よりも北に行くと当然と言えば当然ですけど
金の元々の領地に近づくので攻めるのが難しくなりますよね
となると本当に岳飛って金攻めて成功できたのかどうかねっていうところもあったりします
そういったことを考えるとそこそこのところで何とか和気結ぼうよとしていた人たちって
間違ってたんかねっていう思いは正直あります
結果的には岳飛処刑しました南層の主力を失ったことで金が層に対して
強気になりましたし層が続穀になってしまったということは
これは深海たちのやらかしとははっきり言えるんですけども