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はい、おはようございます。このチャンネルでは、元消防士、現動産事業課の京都のバーニング大家がワクワクしていきよう、をテーマに、大家業や子育ての日常を毎日元気に発信していきます。
さあ、本日は3月11日の月曜日ですね。
昨日の放送で、うちの2歳の長女ちゃんが外に行った時におしっこしたがるんですよ。これがまた、結構な頻度でね、まだ行きたいセンサーがゆるゆるなんで、行きたいって、いやさっき行ったやんみたいな、おしっこでーうって。
もう、何だったら10分おきぐらいに言うっていうね、ことがあって、でも一体、もう大変なんですーって、ズボン脱がせてーとか、もう靴も脱がせてーって、足つけるわけにはいかへんしーって、頑張って頑張って座らせて、よっしゃ、やってちょーだい!
でない!でーへんのかい!っていうことの、どうしたらいいんですか皆さん?っていうのをね、話をしてたら、
もうたくさんの方にコメントいただきましても、皆さんがそれについて触れてくださってねー、なんで優しいんですか、スタイフだから好き!なんですよ、もうほんとねー優しいコメントいっぱい、あの全部妻と共有させていただいて、ほんとありがとうございます!って言ってね、はい、これも実践していきたいなと思いますよー。
思いましたね、もう子育てっていうのはね、もう子供ファーストであることはもちろんなんですけど、やっぱこれをね、一番実感するのはこう、もう親が楽であるべき、そうするためにどうしたらいいのかを考えるべきやなっていうのもね、改めて実感しました。
もうね、無理しちゃダメですよ、大変なんですよ、だからこそちょっとでももうゆるく行こうぜっていうことですよね、でもって、これはもうね、親は妻であろうがね、旦那さんであろうが、男女関係なくね、一緒に見ていかなきゃいけないんですけど、いかんせんやっぱ外に行くと女性が見る比率が高い部分もあるじゃないですか、ね、受入室はもう男子禁制ですよ、
僕がこう行こうと思っても、あーあかんわー男入れへんわーっていうところも当然ね、あるんで、だからもう男ができることはそれ以外の部分のいかにフォローできるのかっていうそれをね、考えなきゃいけないなって思うんですよね。
ワンオペとかで一人で3人4人とか連れて行けるお父さんとかたまにね、なんかインスタとかそういうところで見かけたりするの、絶賛されてるやつを見たりするけど、いやすごいなって思うなぁ、僕3人かぁ、できるかなぁ、無理って言っちゃダメなんですけどね、いや大変やなって思うし、やっぱ自分はね外に行くお仕事に行ったりする時も多いから、比較的ね妻が一人で見ることもあるんですけど、
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やっぱ尊敬するわっていうのを改めてね、外に出かけると思いますね。やっぱ妻をいかに楽にさせてあげるかっていうことを考えなきゃいけないなっていうのをね、気づきとしていただきましたよ。
そしてもう皆さん優しい、本当に親の先輩っていう立場でね、片足だけ脱がしたらいいんじゃないですかとか、くるぶしまで下げてあげて座らせてあげたらちょっとでも負担なくですよとか、下にね下ろすことできないからじゃあそういうすぐ洗えるような気にしないようなね、外のトイレ用のシートを持ち運んでおいたらいいんじゃないかとか、もうみんな採用、全部採用。
これねやりやすいやつはまたこう身につけていきたいし、でまぁやっぱあれですね、褒めてあげたらちゃんとできるようになったんで、逆にもう外に行ったらおむつでできたことを褒めてあげるっていうのも手なのかもしれないですよね。
外はねもうできないからっていいやっておしっこするってトイレでやるってなるんですけど、外はね難しいのだからおむつでできた時に出たってなったらもうやったーってまた褒めてあげたりしたらいいのかなーっていうのもね、こういうのもいろいろ実験ですよ。
本当ね正解ないんですけど、もう自分たちがやりやすいやり方を探るっていう子育てってねそういうもんですよね。楽していこう。ちょっとでも手抜いていこう。そういうのも3人目にもなると思いますね。そんなことを感じた皆さんの優しさを実感した昨日の放送でございました。逆にね僕も助けてあげられるような人間になりたいなっていうのを改めて覚えましたね。
外で電車で泣いてる子供がいたらね優しい目で見てあげて何か手伝えることはないかと声をかけてあげられるような人間になりたいなって。普通に放送で前段でちょろっと喋ったことを拾ってもらったことによってこんなに温かみを感じられるのかっていうことをね思いましたんで、優しい人になっていきます。
さあ本日の本題は3月11日東日本大震災に派遣された経験の話。こんなテーマでお話をさせていただきたいと思います。今日はね2011年の3月11日に起こった東日本大震災の日ですよね。
これを発信してどうこうっていうのはどうなのかって思ったんですけどやっぱり僕はその派遣をして行ったわけですよ。現地で消防隊として行った経験のお話ができるっていうのも365日としてこの日ですから僕が発信始めてまだ1年未満ですけどもやっぱりこういうのをねその当時の気持ちを思い返して言葉に残すっていうことも貴重な体験というか。
やっておきたいなって思ったので今日は不動産とか子育てということは離れてこのことについてお話をしてみたいなと思います。興味がない方は飛ばしてくださって全然構いませんので。
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自分とちょっとでも興味ある方っていうのは参考に聞いていただけたらと思います。さあ本題に入る前にお知らせをさせてください。
今週末になってまいりました。3月16日の土曜日に私バーニング公演が主催しております元気が出る公演の会にてやめるやめる詐欺のシーモ氏に登壇していただきます。僕の直の後輩で公務員消防士をやっておりました。
年は一つ下なんですけれども救命士として救急隊で活躍してましたね。彼も本当に仕事に対しては真面目に生き合う人間でしたし、ただそんな彼がね子供も3人いる中でですよ。奥さんとも二人三脚でね。奥さんのこのね内装のセンスとかも抜群なんですよ。
事務所とかも超綺麗。そこ立てとかね中のステージングとか超おしゃれなんですよ。もうこんな才能やなと思うわけですよ。旦那がねしっかりと氷回り物件を獲得してきてそれを奥さんがね仕上げるっていう。いや僕もそんなところを目指したいって思えるようなね。
やっぱりそこの情報の取り方だったりとか本業を辞めるのか辞めないのかっていうこの格闘の話のリアルっていうところね。実際にちょっと掘り下げて話してよっていうふうには伝えてますんでそういったところを気にしてね聞いていただけたらありがたいです。ぜひ現地にねお越しいただいて現役公務員の方もないない情報ですが結構来られますんでね。
リアルの交流会ということで両立できる親の会という河村パルさんが主催されている会とも合同で行いますんでぜひとも交流の場として現地に来ていただけますとありがたいです。
さらにズーム受講も行いますので全国の方もね大阪来れませんっていう方も受講いただけますしさらに1ヶ月間は動画の配信も行いますのでこちらぜひご活用いただけますと幸いです。
概要欄の方に詳細貼っておきます。さらに来月本日リリースしますので明日また告知させていただきますが4月の20日と5月の11日こちらまだ少し先になりますが4月5月の勉強会も開始いたしますので
応募期待ください。日程を押さえておいてください。お願いいたします。
3月11日ね忘れもしないです。僕がね消防士に入ったのが2008年ですんで3年目やったんですよ。最初の1年は消防学校行ってましたんでで所属になってまだ研修案書みたいなつけててね右も左もわからへんままも必死でやっていた1年目を終えて僕は2年目はね出張所ってちょっとおじさんばっかりのところに行ってそこに行って
そこで1年間やった3月ですよ。次の4月の移動どうなるかなーって気にしてたような時期。非晩でしたね僕は家にいて普通にワイドショーみたいなのをつけながら部屋でぼーっとしててその日の夜は飲み会やったんですよ同期で集まって飲もうかーって言ってた時に関西ではね揺れは感じなかったですけど
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衝撃のニュース緊急地震速報じゃないわあの地震速報がこう流れるんですよねニュース速報かそれで関東の方でものすごい地震関東というか東日本は東北ですよねもうそれは本当にあの津波の映像とかこんなことが今現実で起きてるんだっていう衝撃
当然にその日の夜の飲み会はもなしになって早速その日の夜からね派遣されるっていう緊急消防援助隊っていうのでねその人を無能人間がピックアップされて派遣に向かってましたね
でですよ僕は3月14日の日に宿直っていうのを受けて職場に行ってまぁ人数が足りてないでね派遣に行ってる人もいたんでで基本的にそこでまあ寝泊まりをするんですが全部の隊が出動したときに初めて京都は当番員っていうね他の都市で言うと受付業務とか言うんでしょうけども
当番員業務といってその消防署にかかってくる電話対応だとかそういうのを行うというために待機要員として僕は泊まりで行ったんですよその日ですね3月14日に派遣
第2陣で行ってくれないかっていう声がかかりですよ 行きますって手を挙げてね行ったのを覚えてますね
そうですね本当でマイクロバスちっちゃい車で僕はまあ体大きい方なんですけど 後ろのタイヤボックスの上で三角座りみたいな形のクッションも何もない
垂直でシートも倒すこともできないマイクロバスに乗って 消防学校の教官がね運転で交代で行ってくれてたと思いますね10時間以上かなかけて
東北まで行ったの覚えてますよ どんどん人が少なくなっていくんですよね高速道路とかでサービスエリア行ってもすべてシャッター
しまってるんですよシーンとしてるんです 止まっている車も自衛隊の車とかばっかりで
異様な光景やなっていうまさに戦場に赴くかのようなおもちでそこでサービスエリアで その当時の救助隊長ですよね
がみんなを集めて言うんですよ 俺たちが今から行くのはまさに戦場やと
笑顔なんか見せるなどれだけ悲しい思いどれだけ辛い思いしている人がいるのか っていうことをかみしめろ俺たちができることっていうのは限られているかもしれないでも
救うために俺たちは人の命を救うためにここにやってきたな 気引き締めていくぞ
はい いうねー
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決起本当に決起集会みたいな やったっていうのすっごい覚えてますね入ったのが僕は宮城県の南三陸町ですね
一番酷かった時津波で流されてねー もう建物が本当にね鉄骨作りとかの丈夫なやつ以外は何もないんですよ
しかも入ってるのがもう4日目とかでね72時間以内でないと生存確率がねますその72時間 を超えると一気に下がるっていうのがあるので僕はその当時は救急隊の運転員として
行ったんですけど みんなで消防隊とか救助隊として派遣された人間は朝から晩までね
カッパーきて泥だらけになってね掘ってましたよ 瓦礫どけて掘って
で僕たち京都から行った人間も結果としては 1名も救うことはできなかったですねいわゆる収容っていうやつですよ
もう 見つかったご遺体をブルーシートで包んで引き上げるっていうような作業で僕はその救急隊
だったのでずっと救急車の中で待機で結局向こうでね3泊4日間いたんですけど その間に運んだのは1名だけですねそれも体育館に避難されていた方で治病
心臓病かなお持ちの方の薬がなくなったっていうので隣町まで搬送してそこの病院 まで送り届けるっていう業務
1時間ねもう市街なんでそのナビも 活用できないんですよ大きい広域のナビしか見れない状況でね体調が横に座り
ながら地図 手持ちの地図で誘導してくれたりとか
それで行った覚えがありますねまた寒い時期でしたしでライフライも全部死んでたんですよ 水道も電気もガスも僕たちはその
体育館で寝泊まりさせてもらいましたけどバケツが置いてあってトイレするのも全部で 真っ暗な中でね
てましたお風呂も当然入れませんから体拭くシートだけで4日間過ごして いやいかに無力なのかなっていうのねすっごい思ったなぁっていうただ本当にその時に
人生感も一つ変わりましたね なんか今普通に過ごせていることってほんと当たり前じゃないんだなっていうのも思いました
しで僕たちがやってる今仕事っていうのはどこまでこう市民の方のためになるかわからない けども
こうやってまぁ向き合える機会を与えてもらえる何もできないもどかしさよりは少しでも 力になれるんじゃないかってこう思えるそれだけでも心の救いというか
自分たちがやっている仕事の尊さというか責任感の重さっていうのを実感したことでも ありますし
ただやっぱりほんと救い合えるのはもうね身近な地域の人同士だし家族であり やっぱり近い人たちの力っていうのが何よりもパワーになるんだなっていうのは
思いましたね 公的機関僕たちがこうやれることってほんとねあの限られてるんですよね
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助けにも行くんですけど機材を動かすにもガソリンも必要ですし そもそもそのガソリンスタンドも全ても稼働していない状況だったり
僕たちが優先的にねあどうぞガソリン入れてくださいってこう譲ってもらったりもするんです けど
ねそのお陰にはやっぱり優先的に譲ってくださる市民の方々っていうのがいらっしゃって 食料とかもね全部ねこっちから優先的に与えられるんですよ
なんかそれすらも申し訳ないなっていう気持ちをすっごい感じてたとかねいやこんなにも何も できないのかっていうことをね考えてでもそれがあったからやっぱもっとね真剣に向き合って
いきたいなっていう気持ちが芽生えたのは間違いなかったですね で今はね僕はこうやって
消防の職は離れてますけどもうその時にも誓ったんですよね僕ができることも人を 助けることであり人を救うこと
これはやっぱりその音物理的な救助ということだけではなくて気持ちの面でもそうだし 自分ができることね人ができないことで自分ができることだったら惜しみなくそこは
情報としてもうこう助けとして支援してあげたいなって思うし 自分を頼ってくれる人だったら絶対に助けたいなって思うし
9助け合いの精神っていうのを本当に学ばせていただいたのが消防の仕事だったなっていう の改めてで実感しましたし
あの時ね派遣で唯一ですよほんと人生生きてて僕はあの時だけなんですね東北に行った経験 っていうのが
今度はねもっと平和な時にこう家族でねみんなでね笑い合っていけるようなゆっくりと 本当にあの東北の良さを味わえる時にねいきたいなっていうのも思いました
皆さん平和って当たり前じゃないですよあの ねこういうの機会にですよ考える機会というのを持っていただいて備蓄の食料とかね
用意されてますかねうんこういうなんかお水とか伝統防止の器具を設けたりとか あとは持ち出しの音リュックとか
うちも準備はしてますけどまた改めてねあのこういうの水とかも古くなっていくんで 消費に回してそこからまた新しいものを買いだめてとかね
今だったらもうスマホとかも大事ですよバッテリーとかね大きめの充電バッテリー 一つ持っておいてもいいんじゃないですかね
それがあるだけで心のゆとりにもなりますし あと災害伝言ダイヤルね171これも皆さん覚えておいてくださいね
何かあったら171ってかければそこからねあの音声ガイダンス流れますから 1番をしたらロック音で2番を押したら再生で被災地の方の電話番号を押すとそこで僕は
大丈夫だよ 安心してねっていう声残せますんでねそこのね連絡取れないっていう不安感がものすごく
大きいねね171でweb 171ってインターネットで見れるやつとも連携しているので これはねぜひまた覚えていただいていつどんな時に起こるかわからないのでこれだけは
ねやっぱりこういう機会にね覚えておいていただきたいなって思いました はいそんなわけでね
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最後に一つだけちょっと長くなるんですけどエピソードもう一個乗っけでもいいですか こういう機会なんで話しさせてもらいたいんです
あの僕老人ホームとかそういうところで結構鉄板でお話ししていることがあるんですよ 地震とかこういう災害が起こったときにお話しすることとして一つね
ペットが好きな 老夫婦ってお話をするんですけどとあるところに
老夫婦がいらっしゃいましたそのお二人っていうのは子供ができないとでもどうしてもね 子供が欲しいっていうことで
可愛がれる対象としてペットを買われてたんですよね ワンちゃん買ったり猫ちゃん買ったりいろいろされてるんですけど
どうしても人間よりも寿命が短いから 先になくなっちゃうんですねその度に深い悲しみに襲われるんですよ
だからどうしたらいいのかなって考えたときに そうだ自分たちよりも長生きする動物を買えばいいんだ
鶴は千年亀は万年って言うから亀は1万年も生きる まあそこまで生きないとしても僕たちよりは長生きするでしょうということで近所の
ペットショップに行って店員さんに聞いて長生きしそうな亀を買いたいんです 鶴は千年亀は万年なんて言いますからねこちらの亀いかがですか
可愛い亀さんですねこの亀さんいただいて帰りますって言ってね 亀ちゃん可愛がるよ明日からもう今日からね家族だから一緒に過ごそうねって
大事に持って帰って 水槽に買ってた翌朝です
その亀さんがひっくり返って亡くなってたんですね ショックもはなはだしいんですけどそれより何よりも
聞いてた話と違うじゃないかペットショップに乗り込んでですねお二人夫婦はいうわけですよ 長生きするって言ってて翌日になくなるなんてどういうことだ
もともと病気でもってたんじゃないか こんなのはもう詐欺だっていう風に騒ぎ立てたんですけどその店員さんが一言冷静に
こう言われたんですね そうですか非常に残念ですが
この亀さんにとって 今日が
1万年目だったんですね だから皆さんこの教訓ね実際にねそのペットショップの店員の対応がどうこう
っていうことではなくて 100年に1回の災害っていうのはいつ起こるかわからないんですよ
そういうことを伝えてくれるこんなエピソードのわけです 日頃の備え大事にしていきましょう今ある幸せ当たり前じゃないです
というわけで今日はねあのその東日本大震災の振り返りっていうことでね自分の思い出 も含めて振り返り放送させていただきました
皆さんの考えるきっかけになれば幸いです というわけで気持ち切り替えてね今日も明るくいきましょうというわけで本日もワクワクと
楽しく元気にいきましょう それはまた明日