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なぜ人は盆踊りでつながれるのか──『盆踊りの戦後史』から考える
2026-08-12 50:08

なぜ人は盆踊りでつながれるのか──『盆踊りの戦後史』から考える

大石始『盆踊りの戦後史』を手がかりに、盆踊りと共同体について考えます。盆踊りは、古くからある共同体が受け継いできたもの——そう思いがちです。しかし戦後の団地やニュータウンでは、共同体がなかったからこそ盆踊りが始められました。同著では祭りを繰り返すことで、見知らぬ者同士のあいだに共有の記憶が生まれ、その土地が新しい「ふるさと」になっていく過程が描かれています。

では、外国にルーツを持つ住民が増えた現在、これまでの盆踊りに加わってもらうだけで「私たちの祭り」になるのでしょうか。アニメソングやディスコまで取り込んできた盆踊りなら、異なる文化を持つ人たちと新しい祭りを作れるのではないか。

後半では、フジロックでのMassive Attackのパフォーマンスをきっかけに、音楽は人を結ぶのか、それとも仲間と敵を分けるのかという問題へ話が広がります。

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『バグキャスト』は、音楽家・鈴木とプログラマー・伊藤が、音楽、プログラミング、カルチャー、映画、最近読んだ本などについて話すポッドキャストです。

さまざまな話題がゆるやかにつながっていく、総合誌のような番組を目指しています。

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はい、こんにちは。バグキャストです。この番組は、音楽家の鈴木とプログラマーの伊藤が、社会や文化について気になったことを調べたり、面白がったりしながら話すポッドキャストです。
今回は第22回です。いやいや伊藤さん。 何でしょ、大学。
えーと、今、収録しているのは8月6日ですね。 めちゃくちゃ暑いわけですけど。 そうですね。本当に暑いね。
あの夏ですけど、お祭り行ってますか?っていう質問、実はこれ2回目で。 あーなんかそう、急にテイク2が、急に始まったからびっくりしちゃった。 そうなんですけど、これテイク2なんですけど、あのびっくりしたのは伊藤が全くお祭りに行ってない。
そうですね。 そこら辺でテイク1ではちょっと俺の予想がかなり、思ってた答えが全然違うのが来て、テイク2になったわけですけど。
えーとね、今日はね、ボン踊りについてね、ちょっとね話してみたいんですよ。 ボン踊り。
あの、この間僕、ボン踊りの戦後史、ふるさとの喪失と創造という、ちくま戦書から出てるですね、本を読みまして、大石はじめさんという方が書いてる本なんですけども、
この本がね、とても面白かった。とても面白かった。 2回言ったんですけど。
なので、この本の話をちょっとしてみたいんですね。 そんなこんなで、今回のテーマはですね、なぜ人はボン踊りで繋がれるのか。
ボン踊りの戦後史から考える、故郷と共同体というテーマで話してみたいと思います。
ちなみにね、そもそもボン踊りって、わかります?何か。
まあ結構、地元の祭り、大きな祭りには人が多くて行きたくないなってあるんですけど、地元の自治会がやっぱ子供の頃から毎年お祭りをやってて、
最近は減っちゃったんだけど、ボン踊りもやってましたよく。 矢倉組んでね、太鼓叩いて。
なので、なんかみんなでこう矢倉の周りを回りながら踊ったりした記憶はあるね。 そうだよね。だからまあ、全然日本人でね、ボン踊りについてイメージできない
って人いないんじゃないかっていう気がしますけどね。 とはいえ厳密な定義っていうのも難しくて、いくつか諸説あるみたいな感じで、
ここら辺掘っていくと、それ自体が深くなっちゃうんで、あんまりそこら辺については深く触れずに今日進めていきたいですけども、
お祭りの時によくやってるあのボン踊りですよ。
この本についてなんですけどもね、大石はじめさん、ボン踊りの戦後史という本。 この本の中心的なテーマは、戦後におけるボン踊りが
社会の中でどのような意義を持ち、どのように社会を変えてきたのかっていう話でした。
その答えはね、およそ次のようにようやくできる。 ボン踊りの社会的な意義は伝統を保存すること以上に社会の変化によって切れた人と人、
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人と土地との関係を結び直してきたことだろうと。 近代化や都市化はボン踊りを知恵、血縁に基づく共同体から切り離していくんですよね。
しかしそのことによってボン踊りは特定の土地を越えて移植できる文化となっていく。 団地やニュータウンのような新しい場所でも人々が集まり環境を築くために利用されるようになっていく。
そこでは共同体があるからボン踊りをするんではなくて、ボン踊りを繰り返すことで共通の記憶が蓄積され、その場所が人々の
ふるさとになっていくんだと。 さらに震災後の福島とか仮想地域では住民だけでなく出身者外部の参加者を含む新たな繋がりも生み出している。
つまりボン踊りは失われた共同体を復活させるものではなく、社会の変化に合わせて自らの姿を変えながら異なる人々が同じ場所に集まり、新たな縁や
貴族を作る機会を社会の中で生み出してきたんだということなんですね。 これはあの実は僕としてはすごく
なんていうか興味がある。 っていうの一つはまず音楽的にボン踊りってすごく面白いんですよ。
例えばそのなんていうか荒れちゃう音頭みたいにさ、アニソンみたいなものキャラクターソングみたいなものを受け入れちゃうんでね。
あるいはあのディスコとか そういうなんかあの音楽ともすごく密接に結びついててそういうものも受け入れてっちゃう。
力があって多様な音楽形態を持ってるんですよね。 でかつまあ故郷とは何かとかっていうことについてまあこれ実はノスタルジーな問題だよね。
だからボン踊りって僕とすごく相性がいい。 僕が考えなきゃいけないテーマなんですよね。
っていうのは実は前から思ってて。 っていうのでいろんな本を読んでたんですけど、まあこの本はとっても面白かったですってことなんですよね。
でね今言ったようなこととして具体例としてはね本書でまあいい例が挙げられていて、ダンチニュータウンにおけるボン踊りがとても象徴的でした。
高度経済成長期に多くの人々が地方から都市へ移動して新しく造成されたダンチャニュータウンで暮らし始めるじゃないですか。
そこには農村のような古くからの遅延や欠念、代々受け継がれてきた祭りが存在しないんですよね。
新しい場所だもんね。 だから住民も異なる土地から集まってきている。最初から一つの地域共同体があったわけではないんだよね。
それにも関わらず各地の団地では自治会などを中心にボン踊りが盛んに開催されるようになってるんですよ。
ダンチのボン踊りか。 そうそうちなみに僕が小学生中学生の頃に参加してたボン踊りもダンチ主催の
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ダンチの自治会がやってるボン踊りでしたね。それに確かに毎年行ってたのを思い出しましたけど。
これについて若林美紀夫という社会学者がこういうことを言っている。
こうしたダンチの祭りを実体のうとぼしい地域があたかも存在するかのように演出するイベントなんだっていうことを言ってるんですよ。
すごい言い方だね。 そうね。でもこの指摘正しくてすごく重要なんだけど、演出であることを直ちに偽物と考える必要はないんじゃないのかっていうことはこの本書でも指摘されていることですね。
たとえ最初は人工的に企画された行事だっても毎年同じ時期の同じ場所へ人々が集まり、ヤグラを囲んで踊るわけじゃないですか。
子どもたちはその光景の中で育ち、翌年もまた参加していくと。そうした経験が何年何十年と反復されれば、そこには
住民に共有される記憶が蓄積されていって、この街のボン踊りと呼べるものが生まれてくると。
ここでは祭りと地域の関係が逆転してるんですよ。
つまり古い村落では既に存在する共同体が祭りを営んでいくと。それに対してダンチャーニュータウンでは祭りを営むという行為そのものが人々の間に
私たちの地域という感覚を作っていくと。そこに育った世代にとって人工的に造成されたニュータウンの風景もまた幼少期の記憶が刻まれた
こういうふうなふるさとになっていくじゃないですか。つまりふるさとは長い歴史や伝統がなければ成立しないものではないんだ
っていう気がします。人々が同じ場所で経験を繰り返し記憶を積み重ねることによって新しく作られるもの
なんじゃないか。だからダンチのボン踊りは近代化によって故郷を失った人々が新しい土地に別のふるさとを作り出していった具体的な実践
として捉えることができるんじゃないのか。
っていうふうにしてですね、まあね、読んで
すごく興味深かったですね。でまあなんかここまで行っていくとかなりボン踊り、人と人を繋いでふるさとを作りすごく良いものって感じがするんだけど
当然そんな風にうまくいかないことは珍しいわけだ。むしろ。その限界っていうのが本書では示されていて
埼玉県川口市の柴園ダンチの例が挙げられています。ここではボン踊りを開催すれば自然に新しい共同体が生まれるわけではないということを示す
すごくいい例ですね。柴園ダンチでは中国人住民が増加していて、日本人住民と中国人住民が同じ場所で暮らしながら両者の間に十分な交流が生まれないことが
課題になっているんですよ。その中でボン踊りはそうした異なる背景を持つ住民が交わせる貴重な機会にあるじゃないですか
しかし祭りに多くの中国人住民が参加したとしても日本人住民が準備や運営を担うってことがある
中国人住民は客として祭りを楽しむという構図に留まっているんですよね だからそれでは両者の間に私たちの自給
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という意識が生まれにくくなっちゃってて、同じ場所に集まることとその場所を共に作ることが同じではない
ということのすごくいい例になってますね。これはうまくいかなかったなってことなんだ
いやだからうまくいかなかったなって言い切っちゃいけない。現在進行形の取り組みが起こっているから
うまくいかなかったっていうふうにして言い切れることではないと思うんだよね。いずれにしよう課題としては運営主体とお客さんというのが分離してしまうと
それは地域の共同性というのが生まれづらくなっちゃうんだよね。つまり運営するってことがすごく大変なわけじゃない
それをみんなで担うからある種の仲間意識とかが生まれてくるわけだよね それがちょっと中国人日本人という形で分かれちゃっていると
いうのがこの川口市柴戸の団地におけるちょっと盆踊りの課題として本書では挙げられてました
さらに問題になるのはそこで踊られる盆踊り自体が誰の文化なのかっていう点がある
あの炭鉱物資とか東京温度っていうのがある種の定番として なんかあの馴染み深い盆踊りとしてよく踊られてるんですけど
若い中国人住民にとって同じ意味は持たないですよね当然 わかんないよね
既存の祭りに新しい住民を招き入れるだけでは日本の文化に参加してもらうという 一方向の関係に留まっちゃって
新住民を既存の地域文化へ同化させることにもなり得るよねと 同化問題なんだよねこれ
でダンチニュータウンの事例では盆踊りを繰り返すことで歴史に 歴史のなかった場所にも共有された記憶が生まれ新たなふるさとが形成されていくというのがあった
しかし芝園のダンチの例が示すのは住民の文化的背景そのものが異なる社会では その方法をそのまま適用できないんじゃないか
新しい住民が既存の伝統に合わせるのではなくて 共に祭りを準備し共にその内容を作り変えていくということが必要になってくる
盆踊りには異なる人々を結びつける可能性が確かにあるんだけど しかし私たちという感覚を生むためには単に同じ場の中で踊るだけじゃダメだよねと
伝統そのものを誰とどのように共有して作り直していくかがここでは問われていくんですよね
なるほどね
でここからがまあそんな感じのことが述べられていて非常に興味深かったんですよ
ここから僕が考えたことになるんですけど
以前バグキャスト13回僕の音楽制作におけるこだわりっていうのを話した回があって
ここで僕東アジアのルーツミュージックに向き合うことが重要なんだってことをめっちゃ言ってる回なんですよね
ありましたね
そうでこれこの回で言ってることは極めて抽象的で
なんだけどこの盆踊りの例っていうのが非常に具体例として 僕がその時今イメージしてたことなんですよ実は
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どういうことかというと盆踊りが人と人との環境を結び直すことができるのは単に多くの人が同じ場所に集まるからではなくて
音楽のリズムに体を合わせて同じ輪の中で踊ることで
なんというか人と人との間にある境界線をなんか一時的に曖昧にしちゃうからなんですよね
高度経済成長以降の公害ではそれは旧住民と新住民との境界だった
それが盆踊りは両者の違いを消したわけではないんだけど同じリズムの中で体を動かす時間を共有することで
その区分とは別の私たちを一時的に経験する場になっていた
重要なのは境界がなくなるんじゃなくて曖昧になるっていうことだと思うんですけど
その柴園団地の例が示すように日本人住民と中国人住民が同じ盆踊りに参加しただけで
文化的社会的な差異が消えるわけじゃないよね
既存の日本文化への参加だけを求めればむしろ同化を強いるっていうことになっていってしまうじゃないですか
だからここでは中国人住民の人たちが一緒に踊れるような盆踊りの形って
どういう形があるのかどういう形って抽象的に言ってるけど具体的にどういうリズムでどういう音楽なんだろうって僕は音楽家だから考えるんですよ
それが単に単行歌詞で踊ってくださいだと同化になっちゃうよねっていうことなんです
僕が設定した問題意識って
ただここで考えたいのは盆踊りってそもそも決まった伝統だけを守ってきた文化じゃないってことなんですよ
ダンシングヒーローって曲があって
これが盆踊りになってるんですけどこれ小木の美容校だったと思いますけど
80年代の歌謡曲ですね
これはディスコ音楽なんですけどそれが盆踊りに使われてるんですよ
それは知らなかった
地域によってはアニメソング僕アラレちゃん音頭とかっていうのをする
アラレちゃん音頭あるよね
うちの地元では
そうそうそうとかね
その時代の大衆音楽を取り込みながら盆踊りって踊られてきてるもので
そこには異なる質地を持つ音楽であっても
輪の中で踊れるものと変えてしまう
なんていうか盆踊りなりの懐の深さがあるんですよね
だとすればこれから外国にルーツを持つ住民が増えていく社会でも
彼らを既存の盆踊りに迎え入れるんじゃなくて
彼らが持つ音楽文化そのものを盆踊りが受け入れて変化していく可能性があるでしょうと
これは盆踊りに限らず大衆音楽が持つ重要な力なんじゃないのか
あーなるほど
ちなみに盆踊りがいろんなものを取り入れていく経緯っていうか
起きてることがあんまりイメージできてないんだけど
例えば昔ながらの盆踊りじゃあ最近の若い子は乗ってくれないから
アニソンとか入れちゃおうっていうのを
誰かが決めて音楽家の人が作って発表してみたいなことが起きてるってこと?
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そうだねそもそも盆踊り東京音頭とかの時代に行くと
東京音頭自体が歌謡曲としてヒットしてるんですよ
あーなるほどラジオで流れたりして
そうそうそうそうだから普通にヒットソングとして盆踊りっていうのはまず
音楽の中には実はある
でそういった流れの中でアニソンを盆踊りにしようっていうのがあるわけですね
だからそれは必ずしも社会運動とか地域起こしのイベントから出発して
音楽が作られるっていうものではない
もっと純粋な大使音楽として盆踊りっていうのは使われて作られてる
っていうのがある
これに合わせてみんな踊ろうよみたいのを
いろんな人が単純に曲として出してエンタメとして出して
それがいいねってなって取り入れられていくみたいなことが起きてるわけだ地域
あのそうねそこら辺の関係はすごく複雑で
あのねそういう例えばお披露目横のダンシングヒーローとかが使われていった背景には
あのねえっとフォークソングっていうのがあるでしょ
でフォークダンスっていうのがあるんですよ
でフォークダンスっていうものがあのレクリエーションダンスっていう形で
その戦後のアメリカのあの郊外で
青少年の健全育成のためにこう用いられていくんですけど
でそこで使われてた踊りっていうのが1970年代に日本に輸入されてくる
でいわゆる僕たちが知ってるようなタイプのフォークダンスだね
うんフォークダンスって聞いたことある
キャンプとかで焚火の周りでみんなで踊るやつですよ
あれがレクリエーションダンスなんだけど
そのレクリエーションダンスはそれまではフォークダンスみたいなもの
まあ民族の舞踊みたいなものをやってたのが
えっとレクリエーションダンス化していく過程で
あのヒット曲っていうのをどんどん取り入れるようになった
でそれが盆踊りとなんか結びついてるんですよ
レクリエーションダンスのあのヒット曲を取り入れていくっていうやつが
だからもう単純にそのあられちゃん音頭みたいな
あのアニソンと盆踊りがガッチャンコしましょうみたいな企画じゃなくて
もっと純粋にヒット曲っていうのが入っちゃってるんだよね
ディスコ音楽みたいなものが盆踊りの中には
なるほどなるほど
っていうのがある
あなるほどです面白いね
そうねだから戻ると
まあえっと大使音楽っていうのはすごく重要な力を持ってて
それはまあ境界を曖昧にしてくれることだよねと
でだからこの盆踊りが持ってるこの部分っていうのは
つまり境界人々の境界性を曖昧にしていくっていうのは
すごく大使音楽における重要な機能がすごく現れてるなって思うんです
っていうところが僕が言いたかったことなんですよね
で音楽は民族や国家の境界を消すことはまあできないんだけど
それでも異なる音楽を混ぜ合わせ同じリズムを
まあ身体で共有することでその境界を一時的に超える経験を作る
みたいなことができると
で東アジアのルーツミュージックを掘り起こすことも伝統への回帰じゃなくて
近代国家によって分けられてきた音楽を再び交差させる試みとして捉えられるんじゃないのか
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盆踊りはそのための意外なほどまあ柔軟な器なのかもしれないなっていう風にして
思ったということですね
だからあのバグキャストの第13回で僕なんかあの
僕と同じぐらいの世代の人がちゃんと現実を見てその生活から出発して
あの生活感覚から出発して音楽を作るってことをやってないんじゃないの
外国のなんかルーツミュージックばっかりまあそれはとりわけロックとか
ヒップホップとかがそうだけどっていうことになっちゃってないかっていうことを指摘してるんだよね
で生活から出発する音楽ってなんだよってことになるわけだよね
そうしたらそれはすごく盆踊りって具体的な例だと思う
誰もが知ってる そしてルーツミュージックであり
現にヒットソングも出しているようなもの っていう考えるともうかなり盆踊りが近いんですよね
僕のイメージとしてはでそこで今生じている課題っていうのはあの高度経済成長期の時のような
新住民・旧住民のある種の対立とか緊張関係じゃなくて
今の社会はグローバル化によって生じている対立とか分断とか緊張関係なわけじゃないですか
でそこそれは主に日本社会においては中国系の人とかあるいは東南アジア系の人とかが
来てるって問題なんだよね
でそこからそういうような現実から出発した時に
東アジアのルーツミュージックっていうのがそういうものを加強する
すごく重要なアイテムになるんじゃないか技術になるんじゃないのかってことですね
でじゃあそれを受け入れるなんていうか器っていうのは盆踊りだってことです
うつわとしてのね
っていうことなんです
こういうふうにしてみてこれが僕における現実を見ろってことなんですよね
なるほど
うん
僕が言うところの我々の今身の回りに起きてることに対応するなら
ルーツミュージック
つまりだからさっき言ったことだけど中国人の人からしたら炭鉱物資とかっていうのがよくわかんないんだよね
っていう問題があるじゃないそれに合わせられる
無理矢理合わせてくれっていうのは同化政策みたいなものになっちゃうわけだよね
日本文化になっていく彼らを完全な日本人にしていっちゃうみたいな
格好好きの日本人にしていっちゃうみたいなじゃなくてもっと東アジアっていう枠組みで捉えた時に出てくるルーツミュージックがあるだろうと
それは例えば第13回でハウイリーとかっていう人
あのまあ ミュージシャンがいてこれがすごくこう
あの中国の伝統音楽とクラブミュージックみたいなものを融合させて作ってるんですよ こういうことができるはずだと思う
日本のある種のルーツミュージックと中国のルーツミュージックのあの 抽象的な構造ってみたいなものをしっかり取り出して
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それを現代的な音楽に繋げていく
それ共通しているものがあるだろうっていうことなのかな
えっとかなりあると思うね
それはその東アジアっていう地域の近さによって近いものを持ってる
イメージとしてはね例えば楽器をイメージしてくれるといいと思う
例えばね美和ってあるじゃないですかあれ中国に行っても美和ってあるんですよ
似たような楽器があるの
でなんかね楽器ってすごくね近い地域では同じような構造を持つものが流通してるんだよね
でなんか似たような楽器を使っているわけで似たようなところから出発するからある種形式が似てきたりするんですよね
そういうのがあるのか
でもっというと世界中のルーツミュージックを掘って掘っていくと
なんかね似たような景色になっていくんだよね
ブルースアフリカのブルースにしろ日本のなんとか民謡にしろ
なんか似たような景色を持っているから見出せるの
それは多分人間がっていう構造から出てきているものだからと思う
人間が音楽を作るとそういう傾向みたいのはどうしても出てくる
例えばね音階ってあるじゃないですか
僕たちが普段使っている音階って7音階なんですよ
ある音から出発して次のオクターブ上の音まで7個の音階
ドレミファソラシドだよね
ドから次のドまで7個じゃないですか
で基本的には西洋音楽って7個でやるんだけど
ルーツミュージックって5音階でやるのね
でこれがね不思議なことでね
どのルーツミュージックも基本的には5音階になるんですよ
世界各地
例えば僕たちが何にも考えず適当に鼻歌で歌うことってあるじゃん
あれも5音階になる
だからルーツミュージックっていうか
人間が持つある種の傾向性とか身体性から出発して出てくるものって
どこかに共通性が満たされる
でしかも地域ごとに何というか構造って似てくるんですよ
よりねこの地域ではより共通点が多い
そうそうそう
だから伊藤が聞いてたのは何だったんだっけ
今聞いてたのは
まあその東アジアっていう国だからこそ
つまり俺のイメージでは
やっぱ文化が近いと似た傾向のものが生まれるよね
ってすごくイメージしやすい
だから日本は日本の文化があって
中国は中国の文化があるけど
これ東アジアって括りにすれば
確かに東アジア特有の文化みたいのもあるだろうし
そういう括り距離的な括りで
音楽のルーツみたいなものにも共通点が生まれるのかなって思ったっていう
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そもそもルーツミュージックがかなり近いですね
いろんなルーツミュージックちゃんと掘っていくと
抽象的に取り出すと構造はかなり近い
でも別にさあのディスコっぽいアニソンがあったりさ
演歌っぽいロックがあったりとかさ
っていうのは僕たちは知ってるじゃん
だから音楽ってそういうものをなんかこう
異質なものをつなげられる形式ではあるから
ってことで風に考えればいいんじゃないかなと思う
つまりあんまりここらへん真剣に考えると
あのガチの音楽論になってきちゃう
じゃあなんかその地域が近いから
えっとくくりやすいねみたいなことじゃなくて
この東アジアでやったら今のこの我々の周りにある現実と
うまく向き合えるんじゃないかっていう話だよね
まあそうねそうだね
まあえーとねえーとここらへんで一応話は閉じてるんだけど
喋ってみたいことがあって
あの最近音楽と政治を巡る話題っていうのがありまして
でこれね定期的に出てくるんですけど
あのフジロック
あのこの間のフジロック2026年のフジロックで
イギリスの音楽グループマッシュバータクのステージが
音楽と政治を巡る議論を再燃させてます
でこの日本における音楽と政治ってすごくよく出てくるテーマなんですよ
えーとねどういうあのマッシュバータクっていう
音楽グループが何をやったかというと
巨大なスクリーンに日本語を交じりながら
ガザデの戦争だけでなくAIによる監視や情報操作
米国のデータ分析企業とか
あるいは第一次世界大戦期に英仏が中東の勢力権を取り決めたサイクスピッコ協定など
現在の世界を形作ってきた政治と権力の歴史が
次々と映し出されるっていう
あのパフォーマンスをやってて
まあ彼らは以前から反戦アパレスシナー問題の政治的関与を続けてるグループで
今回だけ急に音楽に政治を持ち込んだわけではないんですけど
まあそれでもあの
僕は音楽はもともと政治的なんだから問題ないっていう答えにも違和感があるんですよ
これは賛否両論ってこと?
えっとそういうようなマッシュバータクがパフォーマンスをしたってことに対して
音楽に政治を持ち込まないでくれっていう批判がたくさん出てきたってことだな
日本においては
俺たちは音楽を聴きに来たのに
なんでそういう政治的なことをするのっていうような反発っていうのが
すごく毎回出てくるんですよ
なるほど
でこれはね繰り返されるんですよ日本においては
政治的なことをミュージシャンとかアーティストがやると
おかしくないっていう違和感の表出がすごくくる
例えばね
2016年の同じくフジロックでも
安保法制への抗議運動と知られた学生団体シルズの
メンバーの出演をきっかけに
音楽に政治を持ち込むなっていう論争が起きてるんですよ
しかしそもそも政治とは何なのだろうかみたいな
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っていうところが難しくなってくる
政治は何かね
でねドイツの政治思想家のカール・シミットっていう人がいて
政治的なものの革新を友敵の区別に見てるんです
政治っていうのは結局我々と彼らっていう境界線を引く契機のことだよね
っていうことがカール・シミットの言ってることなんですよ
っていう風にして考えると
僕ねその政治に我々彼らっていう境界線を引く契機があるとすれば
僕が音楽に期待しているものとやっぱ違うんだよね
なるほどね
えっとつまりだからここで僕はこの時どっちの側に立つかっていうと
やっぱりね音楽に政治を持ち込むな側っぽいんだよね
僕のスタンスとしては実はね
これ僕あんまり言ってないんだけど
なんかちょっと言うのがすごく難しいテーマだから
っていうのもねやっぱり基本的には音楽表現の自由とかっていうレベルで見たらさ
別にそういうパフォーマンスはあってもいいわけじゃない
そうだね
で別にミュージシャン一人が個人の意見として
ある政治的なスタンスを出すっていうのはあってもいいはずだよね
これある種の究極的なレベルでいくと
人には表現する自由があるみたいなところでいくからさ
だから音楽が好きな人とかサブカルが好きな人っていうのは
音楽に政治が持ち込まれてもいいじゃないか
音楽ってそもそも政治的なものだよねっていうことを言うんだよね
っていうのが一方では強いわけ
ミュージシャンの人たちの見立てと
ある権力に立ち向かうとかさそういうイメージもあるよ
特にロックとかだと
そうそう政治家バカ野郎って言ってみたいなイメージはある
そうなんだよね
でね僕いつもこの話題が定期的に出てきて悩むんだけど
俺は最終的にはやっぱり音楽に政治をそんなに持ち込むべきじゃないと思ってるんですよ
それは政治ってものを僕はある種ともと的に分ける
あいつらと俺たちっていうふうな分断を生み出すっていう仕掛けなんだっていうふうにして
カール・シミット流に思ってるからなんだよね
むしろさっき見た通り今まで見た通り
音楽っていうのはそうじゃないんじゃないか
そういう違うところに可能性があるんじゃないの
とりわけポップミュージックは境界線を曖昧にするってことに意味があるんじゃないのかって僕は思ってる
でこれねポップミュージックはってことだね
大衆音楽はってことだね
っていうことなんですよね
だからまあそのオイジハジメの
盆踊りの戦後史を読むと戦後の盆踊りは郊外を連り住んだ新住民と旧住民を同じ輪に入れ
まだ共同体のなかった場所の新しい環境を作ってきたことがまあ今見てきたことだ
でしかも盆踊りは伝統を守るだけじゃなくてアニメソングや
オギノメイヨーコのヒット曲ダンシングヒーローのようなディスコ上の音楽まで取り込み
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その境界自体を柔軟に変えてきている
で音楽に政治を持ち込むなっていうことを言いたいわけじゃないんだけど
むしろ音楽を通じて現実を見る必要があるんだっていうふうなのが僕のスタンスなんですよね
ただその現実は遠くの戦争にあるものじゃなくて
加速や人口移動とか外国人住民との共生とか失われていく国境といった問題も僕たちの足元にあるはず
政治が境界線を引く営みだとすれば音楽にはその線を一時的に曖昧にして
異なる者同士を同じ場所にいさせる仕事があるのではないか
うーんなるほど
僕が考えたいのは政治によって分けられてしまった人間をいかにもう一度結び直せるのかってことなんじゃないのか
うーんなるほど
って考えてるんですよ
だからここら辺で僕がよくさ
現実を見るんだとか具体的に考えろっていうことと繋がってくるんですよ
つまりさ
まあパレスチナの問題大事だよね
マシュマタックがやってるパフォーマンスって
まあ分かるよね
そういう問題が世界にあることは
でもじゃあ他方でなんでそれが苗場なのか
苗場のフジロックだったのか
でえっと
日本人に対してそれが
そのことについて考えることが重要なのか
ていうのはもうちょっと丁寧に表現しないと
すごく抽象的なもの空中戦になっちゃうんだと思うんですよ
政治的なこと言ってもいいと思うんだけど
それやっぱ丁寧に説明しないと
政治ってそもそも友と敵っていうのをすごく分ける機能があるじゃないですか
つまり自分がある種の
自分はこういう属性を持っていてこういう人間なんだってことを
政治的に言うってことは
かなり友と敵を分けることってあるんで
もうここら辺カットするかもしれないけど
例えばさ
女性としての権利を訴えるって時に
男性を攻撃しちゃう人っているじゃん
うんうん
そうだねいるね
あるじゃん
例えば日本人としての誇りっていうことを言う時に
外国人を排除しようとする人っているんだよね
だから何か政治的な意見を言う時って
必ず外側の境界線を引いて
これが俺たちなんだって決めるっていうことが
いつも起きちゃうんですよ
うんうんうん
これはある種政治っていうものが持ってる本質的な
何かなんだと思う
なるほど
だからとはいえ政治って必要じゃん
政治がなければ社会を営めないってとこがあるわけだ
だから政治的なことを言う時には
すごく丁寧に喋んないといけないと思う
それはそういうことなんだと思うんだよね
なるほど
境界線を引いてしまったとしても
攻撃的にならないとか
攻撃的にならない
うんそうね
どういう境界線なのかをちゃんと説明するとか
うん
マシュマロアタックももちろんいいんですよ
政治的なことをやるのはありなのと思う
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だけどそこにはどういうような
説明がなされてて
ない場でそれをやるっていうことについて
どういう意味があったのか
日本人に何かアピールする時には
どういうようなアピールの仕方があったのかっていうのを
すごくさ
やっぱ考えてやらないといけないだろうなって思うんですよね
じゃないと批判されちゃうよって思う
僕は
っていうことだな
だからある種そういうようなタイプの政治
みたいなものじゃなくて
むしろ盆踊りとかっていうのに注目して
ここにあるリズムって何だろうとか
中国におけるルーツミュージックって何なんだ
中国人の人も一緒に踊れるリズムってどんなリズムだろう
って考えるってことか
考えることかね
現実について見ていくってこと
政治については政治的に話すことじゃなくて
政治的に主張することじゃなくて
現実を見るってことなんだって気がするんですよ僕
ここら辺うまく概念整理ちゃんとできてないかもしれないけど
そうだね
なんかすごい権力とか政治に限らずかもしれないけど
そういうマジョリティのやつらを
草したり批判したりするのがすごいロックっぽいなってイメージがあって
なんかその
それってさつまり
虐げられてる人たちを集めて
俺ら仲間だよなって
その小さな仲間を作るみたいな作業に見えるんだよね
俺から見ると
でそれはなんかあの子供の頃から見てきたし
ロックって音楽ってそういう力があるんだってイメージがあって
一方で話聞いてると
その盆踊りみたいに
みんなで一回集まろうって嫌いなやつもいるかもしれないけど
一回みんなで踊ってみようよっていう
でみんなの踊りやすい踊りを一緒に考えようぜっていった時に
その
なんかこうマジョリティとマイノリティじゃなくて
一回その塊で仲良くなれそうみたいな力も
確かに音楽の力っぽいなって思った
だからその音楽ってすごい力があるなっていうイメージはそもそもあって
それが盆踊りとか地域とか文化みたいなものとくっついて
こう共同体を支える場合と
なんか弱ってて
虐げられてる人たちを集めて
一定の力にして
こう一回みんなで固まってこう生き残ろうぜみたいな
力とがなんかそれぞれあるんだなっていう
でもそれは比べてみたら対極だよね
なるほどね
これってさ話ちょっとふんわりしちゃうから
なんか次行くときは言ってほしいんだけど
音楽ってさやっぱみんなで聞くもんじゃん
だから基本的にはまあ自分の中だけで
消化する音楽もあるかもしれないけど
基本的にはある程度の人たちに向けて出して
でリアクションもらい
36:00
みんなで共同体を楽しむっていうかさ
空間とか時間を楽しむっていうのが
なんか音楽のそのなんか素朴な状態じゃないですか
だからさそれをやろうとしたときに
人と人が繋がろうとする
俺たち仲間だよねって言おうとしたときにはさ
まあなんかその俺たち友達だよってなる
で仲間を作ろうとしたときに仲間以外ができるっていう構図はさ
なんかすごいシンプルな気がするわけ
怒りそうめちゃくちゃ
俺たち仲間だよねっていうときに
隣のクラスの奴らは仲間じゃないとか
俺らの学校の仲間にしようとしたら
隣の学校の奴らを敵にする
みたいなことを分かりやすくやる
っていうふうに思うとさ
その敵を作って
ある程度の集団を仲間にするっていう
でそのために音楽ってすごいパワーがあって
やりやすいっていうのは
そっちの方がさ
音楽そのものの話っていうよりも
コミュニティを作るときの
シンプルな構造だなっていう気はするのよ
でもそれをさ
音楽っていうのはそういう境目じゃなくて
みんなで共同することで
そういう境目を曖昧にしていくんだ
っていう話だったじゃないですか今日は
そこってさ俺の認識のさ
なんかズレっていうか
分かりきれてないところがあるのかなと思ったの
音楽っていうのはそもそも
分断を煽るものなんじゃないか
極端な言い方をすればね
そういうツールとしてめちゃくちゃ強力だから
分断を煽るのが普通だろっていう言い方も
できるんじゃないのかなって
例えばあの戦争の時とかにさ
流す音楽ってあってさ
ああいうのってすごくこう
人々を煽ったり
好戦的にしたりする力が確かにあるんですよ
音楽って敵と戦うための音楽みたいなやつね
なんだけど戦後における大衆音楽っていうものは
そうじてそうじゃない時に
最も光り輝くものだと思いますね
だから例えばさっきルーツミュージックって言ったけど
ルーツミュージックってさ
やっぱりすごく政治的なものと結びつくんだよね
民族的な誇りとか
だからルーツミュージックそのものは結構
あやおさんもすごく抱えてる
だから僕は大衆音楽が大事だっていうことを言う
僕自体はすごくルーツミュージックが好きなんですよ
本当はね世界中のルーツミュージックが好きで
音楽を仕事にしてるところがあるから
それ自体はすごく好きなんだけど
それでもやっぱり大衆音楽っていうものって
すごく価値を持っていて
それは何かそれは今伊藤が言ったような
あいつらと我々の関係性を曖昧化するからだよね
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別にそれはさ踊るってことだけじゃないと思う
例えば単純にあの曲いいと思う
あの曲俺も聴いたあの時っていうことでも近いわけだよね
つまり全然価値観も違うし
何なら殺し合ったりもするんだけど
でも似たような曲を聴いていいと思っちゃう
これ何だろうってことだよね
これは多分その映画とかにも言えるし
文学とかにも共通してるんだけど
もうすごく高手期待するような相手でも
何故か似たようなものを好きになれるっていうこと
これはかなり幻想も含まれてるんだけど
でもそれでも何かそうなんだよね
僕はそれが大事だと思う
だから伊藤が言ってたの音楽って実はそういうもんだよねって言うんだけど
それは音楽のある部分はそうです
っていう感じかな
あるタイプの音楽はそういう面が確かにあるってことだよね
違う側面もあって
それは違う側面もあって
それは特にやっぱり大衆音楽っていうものについて
よくよく考えていくとそういうところが出てくる
なるほどね
アメリカのヒットソングを
ソ連の人とかも聴いてるとかさ
そういうことがあるわけだよね
それは別にだからといって米ソの対立が解決したりはしなかったんだけど
でもそこに可能性があるわけじゃん
みんな同じもの好きだよね
俺もあいつもやっぱこれ好きだったじゃんみたいな
それはすごくある種可能性だと思うんですよ
みたいな
なるほどね
そこにはそこにも特異の問題が生じてるんだと思うんだよね
大衆音楽が一般化していくことで
それこそなんというか
到着のというか
フォークロアな音楽がなくなってっちゃうみたいな
つまりグローバリリズムの問題だよね
グローバル化の問題だよね
なんていうかハリウッド映画がバーッと世界中で流行ると
似たようなものばっかりになっちゃう
その地域にこういうふうにあった文化表現みたいなものがなくなってっちゃう
みたいな問題はここに実はすごくある
だからそれは良い面と悪い面あるんだけど
それでも大衆音楽ってものにすごく重要な意味があるとしたら
俺は政治的なものじゃなくて
その境界線を曖昧化するからいいんだっていう感じ
なるほど
なるほどねいや納得しました
雑談
うん雑談ね
あの雑談ですけど
お祭りや棒踊りの何か思い出とかあったりしますか
お祭りはねやっぱあの地元の自治会のお祭りは
子供の方がよく出てて
やっぱそこはさっきも話したけど
全員で作って全員が主催で全員がお客さんみたいな形なんだよね
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でそこに出てやってたり
今も地元のお祭りの実行運営とかやったり
いろいろ人集めたりねしなきゃいけないねとか
ポスター作ったりとかやってたりして
そういうなんか子供の頃やってたお祭りに大人になって
その運営として参加する
で子供たちが来てくれたらいいなとかいうのをみんなで話し合う
みたいなそういうループはやってるっていうのが一つあるかな
それとうちは両親の実家が山形なんですけど
山形の山の奥の方のほんと田舎の方なんだけど
そこは獅子舞があって
毎年必ず同じ日に獅子舞がやるんですよ
でそこは本当に地元の獅子練っていう
そういう若者たちの集まりの人たちがいて
なんとか来年もやろうと
だから本当ちょっとずつ人減ってるらしいんだけど
新しい人が入ってきて一生懸命教えて
1週間くらい前からみんなで練習して本番やる
で次の日仕事もあるだろうに
夜中までやるみたいな
酒飲みながらみんなでぐちゃぐちゃになるみたいな
まさに地域の共同体を守ってるお祭りみたいなのがあって
そこは最近行けてないけど
子供の頃よく行って
そこではすごいね
それは神社のお祭りだから
ちょっと神秘性っていうかみたいなものあるんでね
スピリチュアルな
本当に人間じゃないのかもしれないって
子供の中で思ったりね
そういうものに触れる機会みたいなのがあって
お祭りっていうのは結構そういうどっちもあるな
地元でみんなが集まる場所っていうのと
なんか非日常に触れる場所みたいな
どっちのイメージもある
なるほど
それさ今回話せてなかったのはさ
そもそも盆踊りってお盆にやるものじゃないですか
盆ってやっぱり日本においてはというか
死者が帰ってくる習慣なんだよね
だからこの盆踊りにおける
さっき僕境界線を曖昧にするって言ったけど
すごく日本的なポークロアの感覚で言うと
死者と生者の境界線を曖昧にするってことなんだと思う
それである種祖先の霊と一体となって
共同性とか故郷を感じるっていうのが
ある種日本的な盆踊りのかなり核にあるものなんだ
っていう気がしますね実は
だから神社とか神秘性を帯びてるんだっていうのは
その通りでそれはそういう部分がある
そういう機能があるからなんだと思う
であとね
やっぱここであんまり今日言えてなかったのは
性、性的な開放
つまり男女の相引きの場
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そして盆踊りってすごく機能してるんですよ
そのラグ共同体では
なるほど
そうそこで男女が出会って
結ばれていくみたいな
だからなんかねこの性の開放と
あと死者との交流っていうのがなんかこう
生と死なんだよね
あの演じられてるんですよね実は
なるほどね
ルーツミュージック的な意味での盆踊りっていうのを
見ていくとっていう
それがねちなみに明治時代に入って
すごく規制されるの対象になっちゃうんですよね
外国人がたくさん入ってきて
盆踊りが?
盆踊りそのものっていうか
あの結局その半裸になって踊り狂ったり
あーちょっと高層両属に反するみたいな
あの朝までとかやったりしてるんですよ
昔の盆踊りってでかなりやばいのね
もう暴れ狂ったりとかしてて
あのー
そうでその時明治に入って
外国人が入ってきて辞めることにあったのが
盆踊りとあと相撲とか
そういうなんかこう
あとね婚欲
婚欲っていう文化が全然あったらしい
男女同じ風呂に入るみたいな
そういうなんていうか
それダメだろうっていうのが
西洋的な価値観で
一回ねあのよく切られてるんだよね
でそこからだんだんジェントリフィケーションされていく
ってことが起きるんだけど
っていうのが盆踊りだね
古代の
古代中世の盆踊りっていう
盆踊りは確かにお盆
宗教と絡んでるなって知識では知ってるけど
あんまり意識したことはなかったね
普通に参加してる分にはね
まあそんな感じで
どうですか今回の感想的な
そうですね
盆踊りの話も
なんか面白かった
やっぱ一番面白かったのは
団地とかニュータウンっていう
伝統みたいなのがなかった場所に
みんなが集まってきてやろうって言った時に
そこで盆踊り選ぶんだっていうのが
やっぱ面白いなって
そこはあんまり
今日深掘ってないかもしれないけど
そこで何しようって
まあいろいろあるわけじゃないですか
みんなで遊んでもいいし
サッカーしたりとかしてもいいんだけど
盆踊りっていうのが
まあやっぱ何か意味を帯びてるんだな
特に日本人にとっては
でそれを
じゃあ盆踊りに仲良くなれるやん地域は
って言った時に
そこに外国人がいますって言うと
また話変わってくるよねっていうのは当然で
なんかそれって
こういうふうに整理されると
すごい分かりやすいけど
実際は結構なんていうの
その場その場の空気
空気読みみたいなことで
起きてる気がしてて
なんか改めて意識すると
じゃあ確かに地元で今ね
お祭りやろうって
盆踊りはやらないけど
ちょっとこう
小学校借りてお祭りやろうという時に
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じゃあ外国人の人が分かりやすいものとか
なんかそれこそ看板にさ
ちゃんと英語書いてあるか
中国語書いてあるかっていうのは
意識したこともなかったから
それ考えないと
みんなが来れるお祭りじゃないじゃん
っていうふうにはちょっと思ったね
そういうなんかこう気づきっていうかさ
そういうものはちょっと思ったし
あと盆踊りが大衆音楽であって
で俺がイメージしてるそのなんか
権力と戦うロックみたいなやつと
同じぐらいのそのイメージ感があったんだけど
音楽って力があるよな
単純に思ってたんだけど
その分断というものが
前提にある音楽の力と
そういうものを曖昧にする音楽の力
っていうのを分けて意識した方が
今後音楽と触れる時には面白そうだなって思いました
そうねなるほどね確かに
今俺が聞いてるのってどっちなんだろうっていうか
どういうパワーがあるのかっていうのを思った方が
楽しめる気がする音楽
っていうのが感想ですかね
なるほど
まあどうでしょう
じゃあしめ
最後は話し切れたの
そうねいや
えっとそうね
なかなかその音楽と政治のことについては
ちょっと言語化はまだ難しいな
自分でっていうふうにして思いますね
なんかね
あの単純にいやいや
音楽に政治を持ち込まないべきでしょ
とかっていうふうにしても
そんな単純な話でもないから
どうこれを言語化するべきなんだろうな
っていうのはちょっと考えます
なるほど
いいなと思いましたね
じゃあまたこのテーマで話すことがあるかもと
はい
いうことですね
はい
えっと今回は盆踊りと
その戦後の部分に注目して
盆踊りが担ってきた役割とか
今後どうしたらいいのか
盆踊りって器をどう生かすのか
はいはい
みたいな話を
そうですね
をする回でしたということですね
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それではまた次回
50:08

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