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推しを失って大人になるって本当?──宇佐見 りん『推し、燃ゆ』における成熟をめぐって
2026-06-03 41:02

推しを失って大人になるって本当?──宇佐見 りん『推し、燃ゆ』における成熟をめぐって

今回は、宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読みながら、「推し活小説」として語られてきたこの作品が、どのような成熟の物語なのかについて話しました。作中で繰り返される「重さ」という表象、作中劇のピーターパンの「大人になんかなりたくない」というセリフ、祖母・母・姉・父をめぐる家族の呪縛、そしてラストの綿棒の場面を手がかりに、この作品を読み解いています。一方で、この小説は本当に現代の推し活を描いているのか、という疑問についても話しました。

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感想

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00:01
はい、えー、これおそらく第8回目のバグキャストになります。 いやいや、伊藤さん。
何でしょう、大河君。
今回はですね、あのー、ちょっと本を読んできましたね、僕。 その本の内容の話をちょっとしたいんですけど、
まあ、とにかく我々のコンセプト、バグキャストのコンセプトとして、 逆しらに言語化したりするっていうのじゃないだろう。
あー、そうでしたね。叫びたい。
そう、絶叫。文学とかについて語って、叫んで、意味のわからないことを叫んで終わっていく。
わみき散らしていくっていう。
そう、そのスタイルがいいんじゃないかなっていうのを思ってて、 今日はもう小説について話したいんですけど、
先に言うと、宇佐美凛さんのおしもゆっていう小説。
はい、聞いたことあるね。
2021年のアクター合唱実証作かな。
で、話題になってた本で、その時につんどくしてたもんですね。 最近とにかくまで読み直したんですよ。
きっかけになったのは、伊藤くんが雑談で、なんか作家と話したいみたいな。
もし、バグキャストにゲストを呼ぶなら、作家がいいだろう。
しかも、なんか、あれ、作家がいいって言ってたよね。
言ってましたね。
そうそうそうそう。
小説?
小説とかの、随筆とかよりは小説とかの方がいいかなみたいな。
そう、その話の時に、じゃあタイガは会って話したい作家とかいないの?って言われた時に、
最近日本の若い作家の作品、小説、自分読んでないなっていうのを、その時にめっちゃ思って、
ちゃんと読まないとなーっていうので、つんどくしてたやつを一気読みをしてて、
その中で宇佐美玲さんの下言が、あ、なるほど、これは確かにすごい小説だなと思って、今日持ってきたと。
かつ、前回の話題が、自分の推しクラブ、22年間推してきた推しクラブ。
ちなみに、あの推しクラブ優勝しまして。
そっか。
そうなんですよ。
もう決まったんですか?
決まったんですよ。
なんと。
相手、ライバルチームが勝ち点を落とすという結果により、最終説を前にして決まるっていう。
03:00
そしてそれによって、解放されるんじゃないかっていう話がありましたけど。
そうねー、だから推しからの解放みたいなね。
ちなみにこの小説も結構推しからの解放まさにそういうテーマになってて、そこら辺つながってくる話かもしれないんですけど、
とにかく今日はですね、うさみりんさん推しも優の話をちょっとしたいと思います。
ちなみにタイガ君の解放については、どうなんですか?これは。
これね、なんかね、よくわかんない俺も。
あーそうなんですか。
微妙に嬉しいし、これからもさっきから見るのかなどうかなみたいな感じで、ちょっとまぁわかんないですね。
ちょっとまだ、こう、風に落ちきってない。
そうなんですよね。
ちなみにそのうちの推しクラブ、アースナル、僕の推しているクラブは、まだ全コンペティションを終えてなくて、
最後の最後にヨーロッパリーグじゃねえや、チャンピオンズリーグのチャンピオンを決める決勝というのがまだ残っているんですよ。
はいはい、言ってましたね。
それがどうなるかなーみたいなところですね。
そっちも優勝すると、W優勝で。
そう、明日ともにヨーロッパ最強のクラブみたいな感じになってくるって感じですね。
でも一般的なファンの人たちは盛り上がってるよね。
めちゃくちゃ盛り上がってる。
そうだよね。
世界的に盛り上がってる。
そういうことだよね。
ファンがそもそも多いし、22年くらい優勝してなかったチームだから、なんかすごい盛り上がってますね。
なるほど。
そう、っていうのがありますけどね。
それと、比較して推しイモユの話に今日はなるんじゃないかというところでございます。
えーとですね、この小説知ってます?伊藤くん、そもそも。
タイトルはもちろん知ってて、買おうと思ったことは何度かあるぐらい。
なるほどね。
だからですね、どんな話なのかっていうのにちょっとね、あらすじを作ってきました。
主人公のアカリっていうのは高校生なんですよ。
男性アイドルグループのマザマザっていうね、これ面白いネームなんだけど、マザマザのメンバー、上野まさちをしてるんですね、アカリは。
で、学校生活とか家族関係、アルバイト、日々の生活のどれもうまくこなせなくて、体の重さや息づらさを抱えているアカリにとって、マザマザを押すことだけが生活の中心。
自分を支える背骨のようなものになってる。
この体の重さと背骨っていうのがすごくこの小説の中でキーワードになってるんですけど。
アカリは上野まさちを解釈することに心血を注ぐ人物として描かれてる。そんな感じの小説なんですよ。
導入はですね、推しが燃えた、ファンを殴ったらしいっていう衝撃的な書き出しから始まって、推しの炎上によってアカリの生活の軸が大きく揺らいでいくと。
彼女はSNSやファンコミュニティの反応を追い、自分なりに推しを理解しようとしながら、同時に自分自身の生活の破綻に直面していくみたいな。
そういう感じの話になってます。だからすごいめっちゃ一時分で要約すると、推しもゆは単にアイドルが炎上する話ではなくて、
06:06
推しを支えにしてようやく生きている少女がその支えを失っていく創出の物語みたいな感じで要約されるんじゃないかと思います。
おしが燃えて始まるんだ。
そうなんですよ。推しもゆ。
これ三部構成になってますね。物語自体は。もうちょっとここから先は本格的にネタバレを含んでいくんで。
ネタバレ注意。
そうね。でもネタバレされたからといって、面白くなくなるようなタイプの物語じゃないっていうのはありますね。
小説全体、およそ三部構成になってます。
第1部は物語は、主人公のアカリの推しである上野正知が炎上したという出来事から始まって、
正知は先ほど言った通りアイドルグループマザマザンのメンバー。アカリにとっては単なる好きな芸能人ではなく、
彼を推すことはアカリの生活の中心になっている背骨のようなものになっていると。その推しがファンを殴ったらしいという情報が流れるところから始まっていくんですね。
普通であればこの出来事は推しから距離を置くきっかけになっていくじゃないですか。
だけどアカリはそうしないと。むしろ炎上きっかけに彼のことをさらに追い、さらに考え、さらに解釈しようとしていくっていう、
やばいオタクムーブに入っていくんですね。
そうだね。ただ幻滅したじゃ終わらなかった。
さらに自分が押さなきゃみたいなモードで入っていくんですよ。
なるほど。
それと同時にアカリの日常生活みたいなものが描かれていくんですけど、
授業、家族との会話、アルバイト、そんな日常生活の中で生活の動作っていうのは彼女にすごく重くのしかかっているんですよ。
保健の授業で語られる体の仕組みも病院で与えられる診断面も彼女にとっては自分を軽くしてくれず、また別の重さになっていくみたいな。
ここら辺の描写非常に面白いですね。ちょっと引用になるんですけどね。冒頭8ページのあたりの引用するとですね。
保健の授業を担当しているのも京子ちゃんだった。あっけらかんとした声で卵子とか海綿体とかいうおかげで気まずくはなかったけど、勝手に与えられた動物としての役割みたいなものが重くのしかかった。
これなんか保健の授業を受けてるんですよね。あの女子高生がね。
っていうところとかですね。あと他にね印象的なのはね、
9ページなんですけど、保健室で病院の受診を勧められ2つほど診断名がついた。薬を飲んだら気分が悪くなり何度も予約をばっくれるうちに病院に足を運ぶのさえ億劫になった。
肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしてくれたけど、さらにそこに持たれぶら下がったようになった自分も感じていた。
押し押す時だけあたしは重さから逃れられる。
まあこういう感じでね、なんか重さっていうのがねすごく書説全体のキーワードになってるんですよ。
09:03
押し押す時間だけが明るい重さから逃れさせられるんですね。
マッサージの情報多い、押しの情報多い、過去の映像を見て、発言や仕草を解釈し、ブログに書いていくと。
その行為だけがあかりにとって明確で確かなものとして存在している。
っていう世界観になってる。
このね、あかりが書いてるブログとかがね、極めてリアリティがある。
あの、なんていうか、アイドルを仕活してる人のSNSに載せる言葉の文体っていうのがあって。
それがね、ものすごいリアリティですね。
これすごい面白いんですよ。
テキストないテキストみたいな形で、小説の中で機能してるんですけど。
そのね、じゃあこの重さって何なのかってことなんですよね。
押しを押す時にだけ解放される。
けどもう常に彼女の身体にのしかかっている重さとは何なのかっていうのはね、前半のテーマになってるんですけどね。
それはね、どういうきっかけで押しを押すようになったのか?
っていうところを見ていくと、そこが見えてくるんですよ。
一体彼女が抱えている重さって何なのかっていう問題が。
主人公の私が上野正知って押しを押すようになった経緯のところを見ていくとね、そこが分かるんですけども。
私が上野正知を押すことになるきっかけは、彼が演じたピーターパーの舞台なんですよ。
それをね、しかもDVDで見てるの。
あ、なるほど。劇場とかですね。
そうそうそうそう。
で、劇中で大人になりたくないというセリフを自分の一番深いところで聞く。
私っていうのが描かれていて。
で、その大人になんかなりたくないっていうのを、私は私のための言葉だって思うんですよ。
なるほど。
で、重さを背負って大人になることを辛いと思っていいと感じた私は、
4歳だった私が舞台を実際に見た後、地面を蹴って飛び跳ねていた感覚が戻る。
つまり、この小説における主人公にのしかかっている重さっていうのは大人になって生きることなんですよ。
うんうんうん。
っていうことが、彼女にとってすごく重くのしかかっている。
で、それはある種の大人というか役割を押し付けられるっていうことの重さと同時に、
成長して女性としての身体を背負って生きていくっていうことの重さ。
で、この二重の重さを抱えている存在として、私は描かれている。
うんうん。
っていうところですね。
で、それがテーマになっているという風にして見ていく、読んでいくことができるなーっていう感じになってますね。
なるほど。
この重さから解放されるってところが、この押すってことにすごく繋がってて、
そうそうそうそう。
めちゃくちゃ強力に押してるわけだ。
そうそう。で、この第1部って大体こんな感じの話になってて、
で、第2部、第3部ちょっと短めに言うと、
12:00
第2部では祖母の死っていうのがあって、家族が一回集結する。
で、そこでお前押してばっかりいいんじゃねーよみたいな感じの話になって、
家族から追放されるんですね、アカリが。
家へ追い出されて一人で生きていくようになると。
そんな本当に物理的に追い出されちゃう。
そうそう。で、亡くなった祖母の家に一人で住むことになるんですけど。
で、第3部だと、押しが芸能界を引退することになって、
いよいよ家族とも押しとも別れていかなきゃいけないという形の、こんな感じの1部、2部、3部構成になって、
小説自体は100ページぐらいで終わるので結構短くて、
割とさっと読める話ですね。
でね、うさみるんさんのおしもい論、いろんな人が書いてて、
これは水上綾さんという人が書いたストレートな読み論考というのがかなり参考になるなという気がしますね。
これはですね、ウェブカワデかな?そうだよね。
ウェブのカワデに載ってる論考で、
普通に検索すれば読めるので、この小説、興味持った人は読んでみたらいいなという風にして思う論考なんですけど、
水上綾さんがどういう風にして読んでるかというのをちょっと要約して説明すると、
中島梓という人のオタク論と接続しながら、オタクのまま人間はどう成熟するのかという問題として、
水上さんはこの小説を読んでるんですよ。
オタクのままで成熟する。
そう。で、あかりによって推しは背骨であり、ピーター・パンを演じる上野正地は、
大人になりたくないという成熟の拒否の夢を与えてくれる存在なんですよね。
しかし推しが暴力を振る。推しが殴るところから始まるからね。
物語の最後では引退することでその元素が壊れていくと。
あかりは推しと自分が別の人間であることを知り、最後には綿棒を拾いながら這いつくばるような自分の生きる姿勢を掴むという形の読みとして、
水上さんは読んでるんですけども、つまりこの水上さんの論考によると、
推しを通じてネバーランドの夢を見た少女が、その喪失を通じて性役割とか、
生殖中心主義とは別の仕方で成熟する物語なんだっていう風にして読んでますね。
これはね、非常にストレートな解題だと思います。
普通に読んでったらこういう読み方になるよなっていう感じがしますね。
なるほど。
で、これ何でそういう風にして言えるかというと、いろんな論考で言及されてないんですけども、
家族構造っていうのはね、非常に丁寧に実は描かれていて、
単に私と推しとの関係性っていう中の話じゃないんですよ。
具体的に言うとですね、祖母・母・姉との葛藤、主人公、私、明かりなんだけど、
15:01
明かりの祖母・母・姉との葛藤っていうのが非常にね、特に2部で、
祖母の死による家族の介護において決定的に描かれてるんです。
祖母っていうのはね、どういう人かっていうと、
父の単身不倫をきっかけに外国に移り住もうとする明かりの一家を置いていくのかっていって、
縛り付けてるんですね。
なるほど。
で、そんな祖母を母はすごい恨んでるわけ。
祖母が亡くなった時に、自業自得だねっていうようなことをさらっと言ったりするんですよ。
なるほど。
で、結構きつい関係性なんですよ。
そうなんだね。
で、姉の光っていうのがいるんだけど、
そんな光は、第1部では結構妹・明かりに対して包摂的な態度を唯一とってくれる人でもあるんだけど、
母を支えながら認められようと過剰的をしてて、
同じように母に認められるように振る舞えない明かりをずるいっていう風にしていってるんですよ。
なるほど。ずるいって言われちゃうんだ。
そうそう。だから、姉の光にとって妹の明かりを手助けしようとしたりとか包摂しようとしたりするのは、母に認められたいからなんですよ。
っていう風にして描かれている。
だから、このね、祖母・母・姉っていうのがお互いを縛り付け合ってるんですよね。
っていう風な家族が描かれてて。
ちなみにね、父親は単身婚姻してて、おそらく外国に行ってるんだけど、ほとんど機能してないんですよ。
家族の中で。
家族の中で。で、現れてきて、なんか説教っぽいこと言うんだけど、全く主人公で響かない。
なんだけど、本当に短い描写の中に、この親父親にも実は女性声優の推しがいてみたいなことが描かれてて。
推しを持つ人なんだね。
それがね、すごい痛いシーンで面白いんだけど、
アカリが父親のSNSアカウントみたいなのを見つけちゃって、
それを見つけたら、推しの女性声優にめっちゃリプとかしてるのを見ちゃうっていうシーンで。
それがね、痛いんですよ。
この父親痛いなっていう。
いかにもおじさん好文なリプを女性声優に送ったりしてると。
でも同時に、それってアカリのロールモデルみたいになってるんですよね。
つまり推しがいるっていう風にして。
ちょっとお話戻すと、この一家は祖母母姉がそれぞれ互いを縛り付け合っていて、アカリはその外部にいるんだ。
アカリだけは家族の呪いの圏内にいないんですよ。
そのアカリの位置を担保してるのが推しの存在なの。
何者なのかというね。
だからアカリにとって推しは単に家族から逃げる場所ではなくて、もっと構造的に言うと、
推しはアカリが家族の拘束関係の外部にいるための足場になってる。
18:03
なるほど。
で、祖母母姉の関係は血縁とか世話責任承認罪悪感によって結ばれてるんだけど、
そこにおいては置いていくのかとか、お前自己自毒だろとか、
あんたはずるいっていう言葉で人が人を縛ってるんですよ。
この関係性は。
一方推しとの関係性って血縁じゃないじゃない?
生活の共同体でもないんだよね。
相互に世話をする関係でもないんですよ。
だからこそアカリは推しを通じて家族とは別の回路で自分を保ってる。
っていう話になってる。
なるほど。
推しは家族の外にいて、しかし完全な空想ってわけでもなく、
なんかこうDVDとかライブとかSNSグッズブログファン共同体を通じて、
具体的な実践としてちゃんとある。
なんかこうね、アカリがブログを更新するといいねを付けてくれる人がいて、
ファン同士の繋がりがあって、
この何々さんがまたいいねしてくれたみたいなところが書かれてたり、
薄い共同体としてちゃんと存在してるんですよね。
そういう話になってるんですけども、
ほとんどの論考で言及されてないのが、
この推しが引退するっていうきっかけが描かれていく第3部なんですけど、
アカリにとって推しっていうのは家族の外部にある背骨なわけじゃないですか。
背骨っていうこの小説における重要な比を使うと。
祖母母姉はそれぞれが互いを縛り合う家族の構造の中にいて、
アカリはそこにうまく入れないんだよね。
だからこそ上野正智という推しがアカリを家族の外部に立たせてくれる支えになってると。
第3部において推しが引退していくんだけど、芸能界を。
で、これね、ちゃんと言及されてないんだけど、
推しの薬指に指輪がはめてあるっていうのを、
アカリが見逃さずにパッと見るシーンがあって。
要するにね、結婚をきっかけに芸能界に引退しようとしてるんだよね。
これが本当に短い描写しかないんだけど、すごく示唆的なんですよ。
つまりアカリは家族から逃げ出していた。
家族の拘束関係を解いてくれる推しっていうのが、
実は家族の側に拘束されていくんだよね。
っていう話になってる。
だからここで作品の2つの主題が合流してて、
推しっていうことが喪失するってことと、
家族っていう呪いが回帰してくるのね、最後の部分において。
この2重の主題の合流っていうのが上手いなと思った。
つまり1部において推しと私、アカリとの関係性が描かれ、
2部においては家族との関係性が描かれ、
その2つが3部で推しの引退っていうモチーフで、
グッと合流してくるみたいな。
21:00
これ非常に上手い。
上手し!って感じですね。
一文で言うと、アカリにとって推しは家族の外部だったんだけど、
その推しが結婚を示唆する指輪によって家族の側に移行してしまうと。
だから第3部は推しの喪失があると同時に、
家族から逃れるための外部が消滅していくっていう感じになってるんですよ。
っていう話なんですね。
それはだいぶ衝撃的な出来事だね。
そうだね。
主人公にとっては。
ただね、基本的にはこの小説普通に実装通りに追っていくと、
なんというか、ポジティブになっていったらちょっと大げさなんだけど、
ちゃんと希望が描かれていて、
そういう風なアカリが背骨を失ったアカリが、
最後、這いつくばって家に散らばった綿棒を拾ってるっていう生活の描写でもあるんだけど、
そもそも這いつくばりながら生きようとしていくところで終わるんですよ。
祖母が死んだ家で。
っていうのはこれね、非常に上手いなと思って、
感動的にもちゃんと読めるし、
文学作品としてのパワーのあるワードっていうのが非常に散らばめられているので、
おまけに100ページぐらいで終わってくれる短い話だし、
いいなと思いましたね。
っていうところで、
終わっていくっていうのが、
普通の読書界的なポッドキャスト。
言語化して制御しましたみたいな。
やっぱりね、僕は絶叫とかって言ってるわけじゃないですか。
ここを絶叫していくっていうのが俺のスタイル。
絶叫。
ここから絶叫していく。
絶叫が始まる。
モードに入っていくんだけど、
普通に読んだらめっちゃいい小説なんですよ。
なんだけど、
なんか批判とかは僕はしちゃうん。
しちゃうんだよねって。
どうしてもなんか出てきちゃうんだけど、
これさ、普通に読んでいくとよくある小説になってるんですよ。
実は。
つまり、自分と崇高な対象との関係性で、
当然その崇高の対象が失われていく。
例えば古くからある小説だと、
トゥルゲーヌフの初恋であるとか、
あとそれは初恋の女性が父親とできててみたいな話なんだけど、
その崇高の対象とその減滅を通じて主人公は成長していくみたいな話ね。
これめっちゃよくある。
文学における定型ですよね。
あと他には、おそらくこれはいろんな人が想起してると思うんだけど、
三島由紀夫の金閣寺っていう小説があって、
ラストとかは金閣寺にすごい近いんですよ。
金閣寺ってさ、炎上してってさ、
史実の金閣寺、一回。
今ある金閣寺って復元されたものなんだけど、
24:03
その金閣寺に燃やした男が主人公で、
そうなんだ。
金閣寺っていう崇高の対象と自分との心の葛藤なんですよ。
最終的には崇高の対象を自分で火を放って燃やす。
ところで、その崇高の対象と自分と切って生きていこうってところで終わるんだけど。
これも多分金閣寺は非常に普通に参照されてる話なんじゃないかなっていう風にして思うんですよね。
なんていうかな、つまり僕がどういう風にして批判したいかっていうと、
これ普通の文学の話だなと思った。一方で。
推しとか、あとブログっていう言葉っていう、
あとアイドルって言葉が出てくるから、
なんていうか、今現代の話になってるっていう風にして普通に言うんだけど、
いやそうじゃなくねって思う。
結構普通に昔からある主人公と崇高の対象との一体関係が壊れていく。
あと家族の葛藤だよね。これも非常に文学の中でよく出てくる話で、
中上賢治的なんですよね。
中上賢治がすごい自分は好きだっていうのを宇佐美さん自身が話してるから、
だからなんていうかね、普通の今までよくあった文学の話だなっていう風にして思うんですよ。
で、実はその推しっていうもの、つまりさ、
オタクってさ、要するに成熟を拒否してる存在なわけじゃない?
つまりアニメとか見ててさ、家に閉じこもっててアイテムとかを集めてるわけだよね。
だからそういうものから逸脱して、卒業して、ちゃんと大人になっていく話みたいな風にして、
普通に読めちゃうわけですよ。
シンプルに見ればね。
でもさ、それ普通の話だよねって思っちゃうわけよ、俺。
つまりそうじゃなくて、今ある推し活とかっていうのが何とかクリティカルなんだとすると、
すごく人間の周りに、普通の人の周りにありふれてるドミスティックな家族関係とか、
仕事の外部にその人の成熟というか、何というか、居場所を提供するっていうことなわけじゃん。
つまりさ、推しを推しながら成熟するっていう物語にしないと、
本当は現代的とは言えないよねっていう風にして思うんですよ。
なるほどね。この欠別じゃなくてね。
そうそうそうそう。
だからそこら辺が実はすごく保守的だなっていう風にして思った。
なるほど。
文学の歴史の中に置いていくと。
だからなんか明かりが、何ていうか、推しを失った後に別の人を推しとして見つけて推し活動していく。
そしてその推し活動するためにこそ働いていくとか、
27:02
いうような話にしてくれないと実は、
ちょっとあんまり現代的な話じゃないなっていう風にして思った。
もっと本当に直接批判すると古臭いなっていう気はするんですよ。
っていうことは言えるかもしれない。
っていう感じですね。
そこら辺がね、何ていうかね、自分ともちょっと重ね合わせて考えちゃいましたね。
つまりこう22年ぐらいずっと応援しているクラブチームがあって、
もうこれあんなに何ていうか、
推してたら自分の実生活が守らないからもう解放されたいとか思ってるわけだよね。
そこまで思っているのに続けている。
でもそうじゃないんだと思うんだよね。
本当は推し活動とかっていうのが真にクリティカルなのは、
そうやって何ていうかな、何ていうか、
家族っていうものはすごく恐ろしいものでもあるわけじゃないですか。
家族とか地域共同体的なものの外側に、
もうちょっと薄い楽でな共同体を敷いてくれるのは、
推し活動の非常にクリティカルなところで重要なところで、
それが故に何ていうか、安易に何ていうか、
グッズ買ったりとかさ、
生活を犠牲にしてまでそれにのめり込んでいくっていうことを批判できないわけじゃん。
っていうふうにして思うんですよね。
だからなんかね、
うさみさんもうちょっと。
うさみさんもうちょっと書き出す。
おそらくそれ別に意識してるんだと思うな。
つまり100ページくらいで終わってるから、
例えば200ページとか300ページの小説になったらもっと別の展開があったんだけど、
これは結構短くちゃんと閉じてるんだよね。
だから全然素晴らしい小説なんですけど、
もうちょっと本当は別の資座っていうのがないと、
あかり自身も他の葛藤に照らされないと、
うーんっていう気はちょっとしましたね。
そういう意味で芥川実生作にふさわしいなっていうふうにして、
批判の意味も込めて言うことができる。
っていうような感じの僕の読みですね。
推しが燃えたっていう始まりが、
ちょっとそういう今までにない表現とか、
視点みたいのをちょっと期待させたわけだったような。
聞いた話で言うのもなんなんだけど、
やっぱそのあかりがすごい厄介オタクになってる。
すごい分析して書き込みとかして、
自分の考えとかこの人はこう考えてるはずだとか、
そういうふうになっていくっていう、
そういうオタクだっていうのは、
今聞いた感じだと、
分かりやすくなってるなって感じがするんだよね。
30:01
推しっていうかオタク活動が、
そういう実生活から離れた、
すごく変なことじゃないですか。
多分はたむから見てると、
ちょっとやりすぎじゃない?って当たり前に思わせるような、
ちょっと変なことをしてて、
その変なことが終わっていくっていう衝撃が、
主人公にどんな影響を及ぼすかって、
分かりやすくなってるなってすごく思うんだけど、
でも実際自分が推し活とか、
オタク活動をしていく上で、
そこまでのめり込むことが普通かって言うと、
普通じゃないなとは思う。
それで言うとね、
自分の経験だと、
昔推してたアイドルが、
例えば恋愛騒ぎとかで、
ちょっと炎上する。週刊誌に撮られて。
って言った時に、
自分ってどんな気持ちになるんだろうって、
その時思ったんだよね。
つまり自分が、
あんまりアイドルとか推してこなかったんだけど、
好きだなって思ってたアイドルが、
路上でチューしてるのを撮られちゃいました。
その時自分はどんな気持ちになるんだろうって思ったら、
最初はね、やっぱショックで、
一回離れた。
見たくない。
自分の心守りたい。
でもだんだん、そういうこともあるよな。
人間だもん。
この人は今どんなこと考えてるんだろうとか、
理解したいなって気持ちもあるし、
別にそういうこともあるでしょ。
生きてりゃっていう、
たっかんした気持ちもあるし、
そういう色んな気持ちが悩まずになって、
だからといって、
生活がぐちゃぐちゃになるほどの影響はなく、
ちょっと気持ちがモヤモヤするくらい。
その後、そのアイドルは活動続けたので、
じゃあ頑張るって言ってるなら、
今後も応援していこうっていうぐらいの
波風が立ったぐらいって感じ。
引退してたらまた違うかもしれないけど、
そういうオタク活動っていうものにフォーカスすると、
確かにもっと複雑なことが起きてて、
簡単にオタクが推しを失うことでどうなるか、
みたいなことじゃないことが、
いっぱい描けるんだろうなとは思ったね。
そっちにフォーカスするのね。
小説のありようは読まなきゃわかんないので読みますけど、
読むことにしますが。
そうね、だから、
要するにこの小説の中で描かれてるオタクの活動が、
結構オールドスクールなオタク活動なんだよね、普通に。
だからそこの辺では、
今のオタク活動って、
もっとライトな推し活みたいなのがあるわけじゃん。
つまりうっすらみんな新アニメ見てるみたいな、
みたいなことがオタクの概念の範疇に入ってきちゃってるわけじゃない。
だから実はそっちの方が現代的だよね。
そうだね。
っていうのは。
今の推し、いわゆる推しっていう言葉が持ってる、
今までのオタクとはちょっと違う、
推し活みたいな、
33:00
ライトさっていうのは、
確かにそういう意味が含まれてるよね。
それで伊藤の話聞いてて思ったけど、
アイドルが恋愛して炎上する想像っていうのは定期的にやってくるわけだけど、
基本的には炎上する側が批判されるわけじゃん。
いやいやそんなに炎上すんなよみたいな。
そういうこともあるじゃん。
そう、良識としては。
でもさ、やっぱりなんかこう、
それって推しが、
まあ崇高の対象が家族の側に戻っていこうとすることに対する拒否感なんだっていう風にして分析すると、
結構ポテンシャルの強い、
そういう良識に対する反論になるかもしれない。
なるほどね。
つまり推しとかオタク活動っていうのは、
ドメスティックな関係性から逃れることにすごくこう、
重要な機能があったんだと。
その崇高の対象が家族の側に戻ろうとすることっていうことは、
ある種のなんていうか、この活動っていうか関係性そのものに対するさ、
否定なわけじゃない?
っていう風にして考えられるのかもしれない。
でもまさにこれはなんか厄介オタクの側の批判の言語化って気がしちゃうんだけど、
まあそういう風にして見てみると、実はこう、
うーん、いろんなまだこうなんていうか、
論点があるんだろうなっていう気はしますけどね。
うーん。
そうね。
で、かつてさ、だから伊藤は最近ちょっと話が出てるけど、
このバグキャストで、
広瀬がすごい好きだったわけじゃないですか。
あー。
俺も話しましたね。
そうそう。だから俺は、
ほんの好きだったになっちゃってるけどね。
そうだよね。だって10年ぐらいで言ってたじゃん。
そうだね。10年間ぐらいかな。
そう。だから俺はかつてAKBとか結構普通に好きで追いかけてた時があったんだよね。
でも握手会とかに行ったりとか、そんなことは一切。ライブに行ったこともないんだから。
あー、そこまで現地に行くほどではないんだ。
そうそうそう。だからテレビ、出演してるテレビとかを、
なんか録画したりして見るぐらいだったけど、
やっぱでも俺その時には自分が心が病んでたなって思うよね。
うーん。
普通に仕事とかが大変で、
忙しかったりとかして、
ちょっと逃避っぽさがある。
そう。病んでた。やっぱりなんか心が弱くなるとアイドルにはまるっていうのがあるのかなっていう気は、
ちょっとその時思った。
それはさ、何かに依存するっていう言葉で言えば、
まあ、あり得るよね。
それはタバコでも酒でもアイドルでも、
まあちょっと辛い時には何かに逃避してしまうってことはありそうではある。
そうね。でもさ酒とかタバコってなんかこう身体的なものじゃん。
でもなんかアイドルを好きになるとなんかもっとこう、
ちょっと理念みたいなとこがあるじゃない。
なるほどね。
理念によってさ、自分が救われるみたいな。
あー。
だから分かんないけど、ほら苦しいさ、
労働者たちが共産主義革命に行くみたいなさ。
36:00
あーそういうね。
いやそれ。
あまりに理念だった。
頭におかしい結びつけ方だけど、
なんかもうちょっとそういう理念的なもので救われてるじゃん。
アイドルが好きっていうのは。
いやこれはさ多分オタク集めたらそれぞれのオタク感あると思うけど、
例えば俺がアイドル好きだった時期、
2、3年ぐらい好きだった時期があるんだけど、
その時はやっぱ若い女の子が可愛くキャッキャしてるのを見ると、
なんかこう幸福感があるんだよね。
なるほど。
で、なんかこう苦しい戦争の映像を見ると気持ちが苦しくなるのに、
若い女の子たちがキャッキャしてたら嬉しい気持ちになるなっていう。
この嬉しい気持ちにするっていう、
結構物理的というか生理的な現象を楽しんでるんだなって自分では思っていたね。
だから現実逃避みたいな。
そうだから割と酒とか、
タバコやらないですけど、
お酒好きなんで、
お酒とかと近い存在としてたかもしれない。
当時は。
なるほどね。
でもほらお酒とかタバコってやっぱり身体的なものって気がしない?
でも酒飲んで酔ったらさ、
ほんとなんていうか、
身体がおかしくなって解放されるわけじゃん。
そうだね。
まあその多好感というかあったり、
感覚が変わる?
そうそうそう。
で俺はアイドルのPVとかライブ映像とかDVD見てる時も、
なんか同じ感じだったと思うんだよね。
なるほどね。
テンション上がっちゃって、
ちょっとこう思考が鈍ったり、
そういうなんか余計なこと考えずにいられる刺激を自分に与える?
時間みたいな。
そうね。
これはさすがにいわゆるアイドル好きの人とは違うのかもしれないけど、
なんかそういう好きさだったから、
もしかしたら何かを好きになるっていうことにもいろんなね、
グラデーションとかベクトルがありそうだなと。
それこそさ、アースナルをずっと推してきてて、
解放されたいなみたいな話もあったじゃないですか。
でもこの22年、アースナルを推すことで支えられてきたこととか、
推しててよかったっていうさ、
それこそ足場になる瞬間とかもなかったのかなっていうのを最後聞いておきたい。
いやそれはあるでしょ。推しててよかった。
そうね。
推しててよかった。
いやだからそれさ、多分前回も言ってるんだけど、
やっぱ敗北のレッスンみたいな。
あーそういう学びを。
普通に人生のなんかこうあれだよね。重要な。
苦しい時に人がどう振る舞ってるのかを見るのが、やっぱすごい勉強になるみたいな。
それで振り返ってじゃないの?
当時その瞬間、これって学びになってるなって感じだったの?
それは思った。
あ、そうなんだ。
あのなんていうかこう、
集団が崩壊していく時の兆候ってさ、
39:01
類似性があるわけじゃん。
SNSに批判的な投稿をしちゃうとか。
あーなるほどね。
空気がちょっと変になってる感じ?
でもその時にすごい一生懸命頑張ってる人もいるとかさ。
そういう人間ボイを見れたのはやっぱ非常にすごい学びになるよね。
で、あとこう自分どんなに嫌な気持ちになっても、
あの、一線越えないみたいなことって大事なわけじゃん。
つまり観客として。
つまりさ、ヤバい人は本当に誹謗中傷とかを書き込んではおかしくなってくわけじゃない。
もう社会問題になってると思うけどそれって。
まあそういうことは当然しない自分でいるべきだなっていうようなさ、
立ち方を学んだりとか。
今自分で立ちしてるなっていうことを感じながら押したりしてたり。
そうそうそうそう。
なるほどね。
それは大事なことだよね。
それが良さだった。
まあ大事なことだよね。
うーん、そうね。
そうだね。
まあね、この話何かどこに帰着するのか謎だけど、
まあちょっとね、やっぱりこう推し文化みたいなものについてはちょっと考えてみたいなと思った時に、
いろんなね、こうあの本読んだんだけど、
なんかね、あんまりそうね、僕が話せるとしたら、
まあつまりさ、推し文化みたいなものを普通の言葉で批判してもしょうがないし、
自分もその推し文化に普通に乗ってってもしょうがないわけじゃん。
だからちょっと文学とかが重要だなっていうのもやっぱり思ったんですよね。
うんうん。
て、みたいな。
なるほど。
感じのところだったんですよね。
まあちょっと絶叫会、また寝言。
寝言をね。
寝言して道なき道を歩き叫びながら。
叫ぶみたいな感じの会になってしまいましたけど、
まあそんなところなんじゃないかという気がします。
では今回はここまでとしたいと思いまーす。
はい。
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