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2023-12-31 17:36

読書ラジオ『教養として学んでおきたいニーチェ』

いつも聴いていただきありがとうございます。

訂正:忘我の境地が描かれているのは『ツァラトゥストラ』ではなく、『悲劇の誕生』でした。その後、永遠回帰に結論づけたのが『ツァラトゥストラ』です。失礼しました🙇

⭐︎本紹介
教養として学んでおきたいニーチェ (マイナビ新書) https://amzn.asia/d/0j1EnZC
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書録や日々の学びを音声配信しています。
今日は、教養として学んでおきたいニーチェ、岡本雄一郎さんの本について話してみようと思います。
ツアラトゥストラ、ルサンチマン、神は死んだ、超人、永遠回帰ニヒリズム、権力への意志、パースペクティブ主義。
私たちはニーチェの手のひらの上にいる、ニーチェ各語り機、超人を目指せ、世界中の人がニーチェに惹かれる秘密ということで。
ニーチェは、ドイツの哲学者フリードリヒニーチェ、神は死んだ、ニヒリズム、権力への意志、私たちが今当然のこととしてみなしている考えの多くが、実はニーチェに由来しています。
ニーチェを一度も読んだことがなくても、知らず知らずのうちにニーチェ的に物事を考えています。
意識するかどうかに関わらず、私たちはニーチェの手のひらの上で踊らされているのです。
どう生きていくのかという問いがニーチェの生涯の最初から最後まで貫いていました。
彼の詩作は、すべての人に何かしらのヒントを与えてくれます。
現在の生きづらい世の中でニーチェを読んでみてはいかがでしょうかということで。
岡本雄一郎さんの書くニーチェの入門編のような本ですね。
さて私はニヒリズムという言葉やニーチェという人の名前は知ってましたが、
それがどういうものなのかというのは全く手がかりのないままこの本を読みましたので、
そういう前提で聞いていただければと思います。
ニーチェをよく知る人からすれば、何を浅いこと言ってんだと笑われるような内容かなと思いますが、
そんなことで許していただければと思います。
私の読んだ印象ですね、ニーチェってちょっと変わったおっちゃんだなと思いますね。
なんとなくなんですけど、
自分のことを認めたくて、自分の存在をなんとか肯定したくて、
それだけのために物事を考えていったような人。
あらゆる自分を肯定できるような要素をいろんなところから手当たり次第引っ張ってきて、
それで小説や思想を築いていった人なのかなと。
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なのでね、この岡本雄一郎さんからすればニーチェの書いたものはパロディの形式をとっているというふうに言いますね。
ニヒリズムもルサンチマンも神は死んだという言葉も、
ニーチェが一番最初に発したというわけではなく、それを発する過去の思想解説学者がいて、
それをニーチェが再定義した、アップデートした、そんな焼き直したというようなことのようです。
まずニーチェの思想の根底、まず一番特徴的なものとしてニーヒリズムというものがあります。
これはもともとニーヒリズムという定義があったんですけれども、ニーチェはこれを、
この世に正しいものはない、正しいものがなくなる、それは神が死んだからだ、そんな思想を貫きます。
そして次の2世紀ですね、2世紀というのは20世紀、21世紀を指すんですけれども、ニヒリズムの時代の到来であるというふうに予言明と言うわけです。
それこそがニーチェがずっと、今を生きる私たちにも人気があって、ニーチェの手のひらの上にいるというような表現になるのは、
まさにその、この世に正しいものはない、何を正しいと信じればいいのか、みんながわからない状態に突入する時代がニーチェの予言通りやってきているから、ということが言えるかなと思います。
神は死んだというのはですね、人間が神を殺したというふうにニーチェは表現するんですけれども、
神という絶対的な存在がいなくなる時代、それは人々が神を信じなくなったとか、絶対的なものを信じない世の中が到来したということを指しているのかなと思います。
つまり、神はいなくて人間だけの世界、上も下もない、フラットな上下関係のないフラットな世界の中で人間だけがいる。
だから私たちは、それぞれの視点でもってこの世の中を見ていかないといけない。
起きている出来事を解釈して、水けをして、自分の糧にして生きていかないといけない。
それはね、とても不幸なことであるというような立場を取っているのかなと思います。
それをパースペクティブ主義というそうです。
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そしてニーチェは最初、ショーペンハウアーの生きる意味はないという立場を取ります。
これを受け入れるわけですね。
でもそこに矛盾が生じるわけです。
ニーチェはショーペンハウアーの言うように、人生に生きる意味なんてないという立場を取った瞬間に、
じゃああなたなんで生きてるの?っていうことを問われてしまうわけですよね。
そこで生きる意味はないということを証明するためには、死なない理由を見つけないといけないんですけれども、
その死なない理由が見つからない。
悲劇の誕生という本の中では、ある人が人間にとって一番いいことは何かと問いかけることに対して、
答えとしては、生まれなかったことだという名台詞が生まれます。
生まれなかったことを選択することはできないわけですね。生きている人間は。
じゃあどうしたらいいんだ?というさらに問いかけに対しては、すぐ死ぬことである。
これが生きる意味はないを表現した物語の一つのセリフかなと思います。
そこでニーチェは、死なない理由を探していく過程の中で、お酒や芸術などで苦しみを忘れる。
暴画の境地という一つの答えにたどり着きます。
それが書かれているのがザラトゥストラというお話になるんですけれども、
生きることは苦しい。生きる意味はないが、生き続けなければいけない。
そんな苦しみを忘れさせてくれるのは、お酒や芸術であると。
ただ、ニーチェというのは、自分すらも、そして非常に尊敬している師匠、ショペハウアも、すぐ否定していくんですよね。
死を超えない弟子というのは、脳なしだみたいなことを言うわけですけれども、
これ違うと思ったらすぐ捨てていくわけです。
この暴画の境地という立場もすぐに捨てて、次にたどり着いたのが永遠回帰という立場です。
生きる意味はない。生きていくことは苦しみの連続である。
ただ、生きることは同じことの繰り返しであって、それを退屈と思っているうちは凡人である。
退屈と思わない超人を目指しなさい、みたいな答えになっていないような答えにたどり着くわけですよね。
同じことの繰り返しであって、辛い人生がこれまであったとして、もう一度同じ人生を生きたいですか?と問われた時に、
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本当、普通の人だったら嫌ですと言うだろうと。
だから、お前はダメなんだと。言ったかどうかわかんないんですけど、だからお前はダメなんだと。
超人を目指せという。会話になってないなという気もしますが、そこで生きることは退屈である。
そんなことから逃れるために超人を目指す。
超人が何なのかっていうのは結構いろんな定義があるんですけれども、
その退屈な人生や苦しみから逃れられる人っていうのは日常的には、
遊びや楽しみを子供のように貫いていく人である。そんな風に言うんですよね。
生きていくことや苦しみ、そんなことありながらも人生を遊んでいる子供のように遊んでいく人が超人である。
そんな風に言います。私のイメージで言うと大谷翔平君だったり田森さんがそうなのかなぁなんて思ったりしましたが。
そんなことで日常ですね。この世にいる人全員を救おうという思想は持たないわけですね。
自分の思想についてこれない人や超人という定義からあぶれていく人、
強者ではなく弱者たちは切り捨てて、しかも批判をしていくわけですね。
だからお前たちダメなんだと。さも自分が素晴らしい人間で、自分だけが素晴らしい人間であるかのような、そんな主張に私は思いました。
ここで出てくる弱者と強者というものが何なのかということなんですけれども、
ニーチェっていうのは誰もが権力、力を持つ、持ち態度を持っている、権力への意思があるという風に前提付けます。
それはどんな人でも、立場が弱い人でも、貧乏な人でも、お金持ちじゃなくたって、政治家じゃなくたって、誰もが等しく権力を手にしたいと思っている。
だけど弱者と定義付けているのは、貧乏な人とか病弱な人とか能力がない人を指すんですけれども、
そういう人たちは強者には到底勝てないわけですね。
じゃあどうやって自分たちが勝てる権力を手にするか、そうやって見つけたのが道徳であるという風にニーチェは言います。
弱い立場の人が自分たちの立場を正当化して、強者をやっつけるために道徳という武器を手にした。
それを牽引したのがキリスト教であるという風に定義付けます。
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だからニーチェは道徳がめちゃ嫌いなんですね。
その道徳の考え方が嫌いというよりも、弱者が力を持とうとして、強者と同じように同じ土俵で戦うということから逃げて、道徳という武器で戦っている。
そのことすら弱者たちは気づいていない。
それ自体をニーチェはめちゃくちゃ批判して嫌うわけですね。
だから弱者が力を持とうとして得た道徳のことを奴隷道徳と言ったりします。
嫌われると思いますね。ここまで言ったら絶対嫌われると思いますね。
そしてその弱者が強者に対して逆恨み・妬みから道徳で戦おうとする。
そういったことをルサンチマンというわけですね。
逆恨み・妬みで強者になろうとするのではなく、別のやり方で強者を打ち砕こうとする。
そこにあるのはルサンチマン。逆恨みや妬みである。
そしてこれもすごく被害の対象にするわけです。
じゃあニーチェの言う強者というのは何なのか。
その先にはきっと超人というものがあるんだろうなと思うんですけれども、
ニーチェの中では、古代ギリシャ以降、キリスト教で強者というのは駆逐されていて、
要するに道徳が広まってしまった結果、それによって強者というのが駆逐されていて、
強者はいなくなった。そんなふうに言うわけですね。
だからヒーローが大好きな人なんでしょうね。
ということで、自分の持つ悩みというか問いですよね。
生きる意味は何か。この世に正しいものはないという立場から神は死んだ。
生きる意味はない。じゃあなぜ自分は生きているんだ。
それを肯定していく。そして世の中で起きている強者と弱者の関係性は、
そこにルサンチマンがあって、誰もが権力を持ちたいという意思があるのに対して持てない、
そういうルサンチマンが得たものが道徳である。
それを道徳でもって強者を駆逐していったのがキリスト教である。
そんな思考のプロセスを辿っていった人なのかなと思います。
これで大体最初に言ったザラ、トゥストラ、ルサンチマン、神は死んだ、超人、永遠回帰、ニヒリズム、権力への意思、
パースペクティブ、主義というのが説明できたかなと思いますので、
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この岡本雄一郎さんのそれこそ解釈、ニーチェの解釈が正しいものなのかどうかっていうのは私には分からないけども、
私がこの本を読んで得た理解っていうのは今説明したようなことだったかなと思います。
この本を読めばニーチェってねとかニヒリズムってねとか、
ルサンチマンねって言えるぐらいには知識はしっかり身につくのかなと思いますので、
ニーチェの入門編としてはすごくおすすめな本だったかなと思います。
そしてニーチェってねすごく暴言だらけなわけでしょ、ここまで言って。
自分も私もそんなことを思っているのか思ってないのかちょっと微妙なところありますが、
こんな強烈な言葉を言う人には多分近づかないだろうなと思うんですけども、
どこか言っていることはね、なんか真理なような気がしてしまうんですよね。
それがきっとニーチェの人気なんだろうなと思います。
この本には出てこないニーチェの名言だったり、考え方、あとは本そのものっていうものもたくさんあるので、
ここから先は少しそういったところを深めていきたいなと思います。
今日は私が話した、この教養として学んでおきたいニーチェを読んだニーチェのファーストインプレッションがどう変わるのかっていうのもすごく楽しみだなと思います。
最初にも話しましたが、ニーチェやニヒリズムに非常に情景が深い人に対しては、
私のこの解説というかね、感想はすごい少子ということかもしれないんですけれども、
初めてのニーチェを読んだ初心者の感想だと思って見過ごしていただけたら嬉しいなと思います。
ということで今日は、教養として学んでおきたいニーチェという本について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
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