この本はなぜ女層は語られ、断層は語られないのかっていう、著者の疑問が元になってるんですよね。
別の本を書いてる時に、明治から昭和初期の新聞を読んでると断層した女性たちの記事がよく出てきたそうなんですね。
昔こんなに断層が話題になってたのに、いつの間にか語られなくなった。なぜだろうというわけなんですけど。
ただしですね、そう言いながらもこの本、歴史をひも解いてそういう疑問を突き詰めるというよりは、いろんなエピソードを集めた一冊になってます。
中にはかなり強烈なエピソードもありそうですね。
そうですね。まずその手の記事の中から、1892年、明治25年の読売新聞に載った記事を紹介したいと思うんですけど。
タイトルがですね、すごいですね。
金玉、板の間に落つという。
そのままテロップ表示できないやつですね。
そうですね。
高知にですね、伊人御徹っていう女性が昔いて、盗みを働いて、服役後に愛媛の宇和島に行くんですよね。
で、なんで伊人って言われてたかというと、ちょっと茶色、外人の口秘めみたいなつけひげをつけて、男の格好でいたらしいんですけど。
で、宇和島で遊び歩いてたある日、銭湯で服脱ぐときに、ふんどしに仕込んでた偽の金玉がポロッと落ちた。
それで警察の、「なんであいつっておかしいの?」っていう。
それでね、警察に通報されたってことなんでしょうけど。
なんで外見変えるだけじゃなくて、そこまで値入れに仕込んでたのか。
そこね、ポイントだと思うんですけどね、当時のメディアはそこを一切深掘りしないんですよね。
なるほど。
単にね、おまぬけなニュースで面白がって終わりみたいなね。
なるほどね。だから現代の視点で見ればね、彼女にはもっと切実な政治人の問題があったかもしれない。
そうそう。
でも当時のメディアってそれを後期の対象としか可視化しなかったってことですね。
そうですね。メディアはこちら側、マジョリティですね。
そこからあちら側、マイノリティを賃金なものとして眺めるっていう構造を作り出してたんですよね。
何そのように、昔も今と同じように、やっぱり女性の体に生まれながら政治人が男っていう人もいたし、
それから性別が典型的な男女のどちらにも当てはまらないっていうね、疾患の人もいたりとか。
この本の中にもですね、一部そうじゃないかなっていう人も出てくるんですけど。
そういう切実な理由から男の格好をする人もいたわけですけど。
あるいはですね、ちょっと脱線しますけど、昔は早く子供が死んじゃうことが多かったんで、
男の子を女装させたり、女の子を男装させたりですね。
とにかく本来の性別とは違う格好をさせると長生きするっていうイメージが。
え、すげー意味深いですね。
そうですね。
昭和天皇も幼い頃はマヨ毛の意味で女の子のような髪型をさせられてたっていうことがあって。
こういう古くからの風習に基づく男装もあったんですけど、
そういうものを除くと、この本に出てくる男装に関する記述の多くはですね、
当時の新聞や雑誌を通して伝えられたものなんですよね。
だから男装とか女性同士の同性愛みたいなのがね、面白おかしく盛んに報じられてるんですよね。
今もね、大して変わらないかもしれないですけど、
そこがやっぱりメディアがね、男性中心の世界だっていうこともあるんじゃないですかね。
あとメディアと受け手の共犯関係っていうか、
男装を珍しい存在として見る眼差しがね、
当時の社会全体で共有されてたっていうのも理由じゃないかなと思いますね。
その点、現代のね、こたつ記事と似てるかもしれないですね。
そうですね。
なんでネットにあんな記事があんだっていうね、思いますけど。
それはもう需要があるからですもんね。
アテンションをね。
そうですね。
当時の新聞記事には、今で言うコスプレのような男装もありました。
読売新聞の1896年、明治29年の記事なんですけど、
タイトルは「新橋の小竹、島津公爵と間違えられる」っていうね。
この小竹っていうのは新橋の有名な芸者ですね。
芸者が男装したらクオリティが高すぎて。
そうですね。
なじみ客から花見に誘われて、何か宿をって言うんで男装することにしたんですけど、
これがもう決まりすぎてたみたいで。
で、花見客がさつまの島津公爵じゃないかって騒ぎ始めるんですよね。
調子に乗って一緒に行ってるなじみ客を呼び捨てにしたりとか、
タバコの言い付けさせたりとかね、丸乗りしてたんですけど。
ところが花見客の中にいた職人風のアンちゃんみたいなのがですね、
男にしては尻がでかすぎると。
それに妙に内股だと。
怪しいケダモンに違いねえって言って、
酔っ払ったうちに竹当たりするんですよね。
そうすると、「あれー?」とかな切り声をあげて。
なんか想像できる。
職人たちはひどい話なんですけど、
バケモンだって言って叩いたりくすぐったり労席を働くんですけど。
たまらずこの小竹は近くの茶屋に避難して、
ひとしきりそこでね、酒飲んで時間を過ごす。
帰ろうとすると、女中たちはやっぱり島津港だと思ってるんで。
島津港のお立ちーっていう。
そういうオチになってきて。
ネタっぽいっすね。
歌舞伎の陰謀とかになってほしい。
何となく記事も高蛇腸みたいな感じだしね。
これ本当の話なんですか?
本当の話っていうことなんですけどね。
これもでも結局笑える話として男装が扱われてますもんね。
まあそうですね。
ということでですね、面白おかしく男装取り上げた記事の紹介はこれぐらいにして、
ちょっと違う角度から男装を見てみたいと思います。
ただ単に面白がられるだけじゃなくて、
もう少し憧れとかカルチャーとしての男装っていうのもあったんですよね。
そうですね。
1910年代から20年代にかけて女学生たちの間でSって呼ばれる関係がグームになるんですよ。
このSの由来って一般的にはシスターの頭文字から来てるんじゃないかってされるんですけど、
女性同士の親密な結びつきですよね。
同性愛って言葉が広まったのも、いわゆるこの時期の親中事件がきっかけだったみたいですね。
そうですそうです。
1911年明治44年に新潟で起きた女学校の卒業生2人による受水親中事件がSが大きく社会に知られるきっかけになったんですけど、
片方に円団が持ち上がって、それで悲観して2人で死を選んだみたいな感じなんですけど、
恵まれた礼状同士だったっていうところが特別に社会的な関心を呼び起こしたみたいですよね。
もう少し広く当時の社会状況にまで視野を広げると、この時欧米から性科学が紹介されて、
同性愛を医学や心理学の対象として論じるっていうね、そういう機遇も広まってたみたいですね。
そういう背景があったから同性愛も話題になったってことですかね。
あと文化史的に結構重要な出来事としては、フランスで男装がファッショナブルなものとされる文化っていうのが生まれて、
その前提としてスポーツとか自転車サイクリングが流行したり、あと衛生思想が広まったり、
体を強く染み付けるコルセットへの批判が起こって、活動的な服装っていうのは結構模索されてたんですよね。
コルセットからの開放といえばシャネルですよね。
うちのメンバーの中野亜美さんがクリエイターで真っ先に思い浮かぶのがシャネルだって前の回で言ってましたよね。
まさにやっぱりさすがシャネルで、中性的なシルエットのファッションを打ち出して社会に衝撃を与えたんですね。
このスタイルがギャルソンヌ、少年のような女性みたいなギャルソンのルックとして、
ちょうど当時、婦人参戦系運動もあったんで、そういうのと交往しながら、影響し合いながら多めに波及していくんですよね。
こうした現代のファッション文化とも引き続きの地殻変動みたいなのがあって、
男装がよりライト層にも受け入れられるようになっていったって流れがあるんですよね。
つまりこの切実なアイデンティティとしての男装とは別で、自由の象徴としての男装っていうのが生まれてきたと。
だからこういうのって宝塚過激団にも繋がっていきそうですよね。
ここでちょっと時代を巻き戻したくて、僕がこの本で一番心に残ったのは、
主な近代的なメディアが登場してからのエピソードなんですけど、
その前の江戸時代の話がちょろっと出てくるんですよね。
この中に、受学者で、教育者でもある高場治という人が出てくるんですけど、
江戸末期の1831年、黒田藩を抱えの眼科医の家に生まれたんですよね。
黒田藩っていうと今の福岡ですか?
そうですね。ところが高場治は女性なんですけど、その家に家を継ぐ男子がいなかったんで、
治は父親の威光で男として育てられるんですよ。
ガチに男として育てられて、藩から苗字対等も許されて原服の儀式を行ってるんですよね。
武家社会の男性と全く同じ扱いを受けてたっていう。
だから格好も当然男装。
常に男装して馬や牛に乗って往診するんですけど、
その一方で治って孔子塾っていう私塾を開いて多くの塾生を育てるんですよね。
この孔子塾の何がすごいって、教え子なんですよ。
その人が東山光雄なんですよ。
東山光雄。原容者を作って、いわゆるアジア主義を唱えた右翼の大物。超大物ですよね。
そうですね。昭和天皇との繋がりがあって、
亡くなった時は世財下の大物が参列する大規模な葬儀が行われたというほどの人なんですけどね。
後にこの東山光雄のことを懐かしく振り返ってるんですけど、
男装した御子のことを、全く自然なものとして受け入れてる様子が伺える文章で、
すごくいいなと思ったんですよね。
もし近代メディアの時代だったら、多分高羽御様らしい人は、
ちょっとチンキンな存在として預かれたんじゃないかと思うんですよね。
なるほどね。だからメディアを通すと、すぐにこちら側とあちら側みたいな構図ができちゃいますね。
そうですね。こっちがマジョリティで、あっちがマイノリティみたいな。
ネタにして、やゆして、バカにするみたいなね。
そのままして、今のSNSもそうじゃないですか。
ところが、東山光雄とかの教えは、先生のことを武士の格好をしている女性としか見てなくて、
このフラットさと、結構公衆衆っていろんな傑物を排出してるんですけど、
なんか関係あるんじゃないかなっていうね。もちろん証明できる話じゃないですけどね。
実際の東山の他にもですね、内閣総理大臣に勤めた広田光輝とかですね、
あのジャーナリストで政治家の中野誠吾とかですね、
そうそうたる名前が並んでるんですね。
今度はごく短いエピソードしか出てこないんですけど、
ちょっとこの高羽御様っていう人物の方をもっと知りたくなりましたね。
なるほど。やっぱりメディアが介入する前の世界では、個人のあり方がもっとフラットで、
その人の人格とか能力で評価されてたっていうね。
そういうことかもしれないですね。
メディアが珍しい存在とラベルを貼ることで、かえってね、私たちは不自由になってんじゃないかっていうね。
この高羽御様ですけど、後来隣人の畑のそばに塾があったらしくて、
隣人畑のばあさんってすごい呼ばれてしまったんですけど、
ばあさんって呼んでるとばれるとめちゃめちゃ怒ったらしいですね。
だからこれも高羽御様のエピソードですけど、
現代の私たちがちょっと忘れてしまった眼差しのじぐさみたいな。
なるほど。
ちょっとそんなのを教えてくれるなって思いました。
そうですね。
ここまでは他者がダンスを見る眼差しを見てきましたけど、
ここからは視点を変えて、変身したい側の真理というのをちょっと考えてみたいですけど。
なるほど。ダンスをする側の真理を考えると、
自分じゃない何か別のものになるっていうね、そういう欲望がベースにあるんじゃないかなと思うんですけど。
でもこれって誰もが抱く普遍的な欲望でもありますよね。
そうですね。変身願望ってやつですよね。
心理学ではユングが人間が社会に適応するために身につける神、ペルソナって呼んでますけど、
社会的な役割ごとに人はペルソナを使い分けてるんですけど、
時にそれが重りになって、変身願望は日常の欲望されたペルソナから解放されてね、
本当になりたかった別のものになるっていうプロセスみたいな感じで取られてますけど。
ちょっと脱線しますけど、変身といえば世界的な文学の傑作を浮かびますよね。
浮かびますね。カフカの変身。
そうですね。
ある朝起きたら虫になっていた、主人公を描いた、不条理文学の傑作と言われるね。
そうですね。あの虫が何を意味してるのかっていうね、何の象徴かっていう話があって、
自己同一性の危機を表してるとかね、人間のあることの限界を表現してるとか、いろんな議論があるんですけど、
我々をなぜかっていうのをね、分かってるっていうね。
高野英樹さんのメソボタミアの某と三人男を先日ご紹介しましたけども、
内藤さん、つまりあの虫は何を意味してるんでしょうか。
あれはですね、ぎっくり腰を表してると。
いわゆる主人公のグレゴールザムザンが感じる違和感は、ぎっくり腰になったものが抱く違和感とそっくりだと。
これ高野さんの発見。
発見ですよね。
高野説ですね。
高野説。
変身はぎっくり腰になってしまった主人公の戸惑いを描いた物語じゃないかと。
あれでも結構説得力がありますよね。
なるほどって思いましたね。
だから我々は高野説を支持しております。
一票。
各家の新幹社に関しては、高野さんが意図せずぎっくり腰患者になったから偶然発見されたっていうことですけど、
今、意図的に変身願望を満たせる場っていくつもある時代で、
まあ、そりゃそうですね。
例えば都内には脇幅を中心に断層カフェってのが結構あるんですよね。
断層カフェ。店員が断層してるんですか。
そうなんです。断層した女性が接客してて、お客も女性が多いみたいなんですけど、
コンセプトも私立男子校っていう設定だったり、幕末の獅子だったり、いろいろあるみたいですね。
会いに行ける高塚みたいな。
そうですね。
あと現代ならではっていうことで言えば、最も手軽に変身願望を満たせるのはデジタル空間ですよね。
まあね、アバターを選べば何にもなりますもんね。
オンラインゲームとかメタバースなんかではユーザー自由にアバター選べますけど、
メタバースはなりものりで登場したのにいまいち一般に普及しません。
ただVR空間での人間の振る舞いについての実験研究ってのが結構進んでまして、
興味深いのはデジタル空間でのアバターの姿が現実のその人の行動とか振る舞いとか、
コミュニケーションスタイルに影響を与えるっていうことですよね。
そうでしょうね。だから背の高いアバターを使うと現実の交渉でも強気になるとか。
そうですね。
被験者に背の高いアバターと背の低いアバターを与えて、別のプレイヤーと100ドルを分け合うっていう交渉をさせるっていう実験があるんですけど、
そうすると背の高いアバターの時の方がやっぱり強気の交渉を行うっていう傾向が見られたそうですよね。
これがギリシャ神話に出てくる姿を自由に変えることができる神のプロテウス効果って呼ぶんですけど、
これからアバターでなりたい自分に変身するっていうことで、現実の自分をポジティブに変えていくみたいなプロセスは当たり前になるかもしれないですね。
そうですね。
暖発とパンツによって外側を整えるということで、新しい自分を生きようとした女性たちと現代のアバター文化、これがやっぱり地続きだっていうことですね。
そうですね。