楽曲「アルジャーノン」の朗読と問いかけ
あなたはどうして僕に心をくれたんでしょう。あなたはどうして僕に目をかいたんだ。
空より大きく雲を流す風を飲み込んで、僕のまなこはまた夢を見ていた。
裸足のままで、あなたはゆっくりと変わってゆく。とても小さく、少しずつ膨らむパンを眺めるように。
あなたはゆっくりと走ってゆく。長い迷路の先も恐れないままで。
あなたはどうして僕に名前をくれたんでしょう。あなたはどうして僕に手をつくったんだ。
海より大きく砂を流す波も飲み込んで、小さな両手はまだ遠くを見ていた。
あくびを一つ。僕らはゆっくりと眠ってゆく。とても長く、頭の真ん中に育ってゆく。
大きな木の根元をゆっくりと歩いてゆく。長い迷路の先を恐れないように。
いつかとても追いつけない人に出会うのだろうか。いつかとても越えられない壁につくむのだろうか。
いつかあなたもそれを諦めてしまうのだろうか。ゆっくりと変わってゆく。ゆっくりと変わってゆく。ゆっくりと変わってゆく。
僕らはゆっくりと忘れてゆく。とても小さく、少しずつ崩れる塔を眺めるように。
僕らはゆっくりと眠ってゆく。ゆっくりと眠ってゆく。あなたはゆっくりと変わってゆく。とても小さく、あの木の真ん中に育ってゆく。木陰のように。
あなたはゆっくりと走ってゆく。長い迷路の先も恐れないままで。確かに迷いながら。
歌詞に込められた成長と変化のテーマ
この歌詞は、誰かによって生を与えられた存在が、成長、変化、老い、忘却を引き受けながら、それでも先へ進んでいくことを描いていると読めます。
中心にあるのは劇的な変化ではありません。人はある日突然別人になるのではなく、ほとんど気づかない速度で育ち、変わり、失い、忘れてゆく。
その不可逆的な時間を、歌詞は肯定も否定もせず、静かに見つめています。
生んだ、ではなく、心をくれた、目を描いた、手を作った、の表現されているため、親子関係だけでなく、神と人間、作者と作品、人間と人工物、過去の自分と現在の自分などにも開かれています。
これらは感謝だけの問いではないということ。心や目を与えられれば、人は喜びを見るだけでなく、悲しみも見ることになります。
名前を与えられれば、一つの存在として、世界に置かれます。手を与えられれば、何かを掴める一方で、届かないものも知ります。
なぜ、私を生きる存在にしたのか。
心は感情と欲望、傷つく能力です。心を与えられたからこそ、僕は夢を見る。同時に、恐れたり諦めたり失望したりもします。
物理的には小さな目が、風や空を内側に取り込む。人間の想像力は、体の大きさを超える。目は現実を見る器官であると同時に、現実にはまだないものを夢見る器官でもあります。
名前はその存在を世界の中で区別するものです。
与えられたものへの感謝と責任
名前を与えることは単に呼び名をつけることではなく、あなたはここにいる、一人の人間だと認める行為です。
しかし名前を持つことは、子として生きる責任や孤独を引き受けることでもあります。
通常見るのは目ですが、ここでは手が遠くを見ています。手は未来へ伸びる意志、何かを掴もうとする可能性。まだ小さく、現実には遠くへ届かなくても、すでに未来に向かっている。
裸足は無防備さ。靴は世界から足を守ります。裸足で走るということは、傷つく可能性を抱えたまま、世界に直接触れているということです。
十分な防御も保障もないまま、生き始めること。ゆっくりということと走るということは矛盾します。
人は止まっているように見えても、時間の中では確実に進んでいます。
最初は恐れないままで、だったものが恐れないように、になります。
まだ恐怖を知らない向くから、恐怖を知った上で、自分を支えようとする意志。
勇気とは迷わないことではなく、迷いながら走ることだと示されています。
記憶、人格、意識の蓄積と喪失
パンと木が示すものは、記憶、人格、意識、人生経験の蓄積を表していると考えられます。
木は植え延びるだけでなく、見えないところで根を張ります。
人間の内面も同様に、意識できる思考の背後に、経験や記憶が根として広がっています。
パンが形成の比喩なら、塔は解体の比喩です。
育つことと崩れることは、別の段階ではありません。
人は何かを身につけながら、同時に何かを失っています。
記憶を増やしながら、別の記憶を忘れる。
新しい自分になるほど、古い自分は遠ざかる。
成長とは、獲得と喪失が同時に進むことです。
眠るは、老い、死、意識の薄れをはらんでいます。
幼い頃に見た世界、かつて信じていたもの、誰かの声、
以前の自分の感覚、
それらは突然消えるのではなく、輪郭を薄くしていきます。
眠ると忘れるは、死は一回限りの終点ではなく、
日々の小さな喪失の延長として描かれています。
有限性、諦め、そして未来への歩み
幼い存在は、何でもできるように見える。
しかし生きていけば、才能の差、時間の限界、体の限界、
他者との隔たりに出会います。
僕ではなく、あなたが諦める。
成長する者自身が夢を失うだけでなく、
かつてそのものに心や名前を与えた人も、
いつか期待や希望を手放すかもしれないという不安があります。
あなた自身も変わり、弱り、諦める可能性を持つ存在です。
僕は僕らになり、生を与える者と与えられた者は、
最終的に同じ時間の中にいます。
私たちは世代を越えて、同じ有限性を生きる者たちです。
一つの人格や記憶の内部に、さらに別の命や記憶が育っていく。
親から越え、過去から未来へ。
木陰は木が他者に与える場所です。
あなたはかつて与えられた存在から、別の存在に何かを与える側へ移っていく。
人は迷います。
越えられない壁に出会います。
夢を諦めるかもしれません。
大切なものを忘れます。
少しずつ眠りに近づいていきます。
それでもあなたはゆっくりと走っていく。
長い迷路の先も恐れないままで。
確かに迷いながら、
私は生まれてこなければよかったと思う瞬間が何度もありました。
なぜ生を与えられたのかわからないまま、
失い、忘れ、迷いながら、
それでも私の速度で歩いていきます。
誕生日おめでとう。