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2024-01-31 09:13

野BALL ~沢村栄治~

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サマリー

伝説の大投手、沢村栄治についてお話しいたします。沢村栄治は日本で唯一の沢村賞を受賞している投手として知られており、速球とカーブの特技を持っています。彼の遺産を称えるため、彼に関して調べてみることをおすすめいたします。

00:17
みなさん、こんにちは。野BALLの時間です。
この番組は、野球好きのおじさんが、いろいろな視点から野球について語る内容となっております。
今日の内容も、ぜひ楽しんでいってください。
それでは、プレーバー!
みなさま、改めましてこんにちは。野BALLの時間です。
沢村栄治の伝説
今日は、伝説の大投手について話をしたいと思います。
63勝22敗、防御率1.74。
さて、これは誰の障害成績でしょうか?
というところから開始しましたが、これはもちろん、沢村栄治、投手の成績になります。
名前がですね、賞の名前として、沢村賞という賞があるんですけども、
残っているというか、付けられているというのは、
日本では、沢村賞しか日本にはありません。
同じような賞に、サイ・ヤング賞というメジャーリーグにあるんですけども、
そのサイ・ヤング賞よりも先に作られたのが、この沢村賞になります。
基本的には、先発型の投手の栄誉として与えられるものになっていますが、
その賞の名前に残るほどの大投手が、
沢村栄治さんになります。
沢村さんはですね、三重県の出身ということで、
なんと僕も同じ三重県という繋がりがあり、本当に小さい頃からですね、
目指すというか、目指すようなほどの選手では僕はなかったですけども、
なんかこう、繋がりを感じてですね、ずっと小さい頃から好きだったというのは覚えています。
最初は多分、
その時に図書館に電気物語のような形で、
沢村投手の本がありまして、
当時僕も野球が大好きで、もう野球に関する本だけは読んでたというような子供で、
その時も借りてですね、読んでいました。
やっぱり同じ三重県出身ということでですね、
僕も下手したら生まれ変わりなんじゃないかとか思って、
すごいボールが投げれるようになりたいなと思って、
ピッチャー目指して、
速い球投げれるようにと思って頑張って投げてた覚えがあります。
当時はそうですね、小学生ながらに覚えてた記憶としては、
ベイブルースをアウトにしてっていうような、
メジャーリーグのチームがその時に来日してと、
まだ当時17歳ぐらいの沢村さんが、
ほぼほぼ無失点に抑えてっていうようなことが書いてあったことと、
若くして戦争で亡くなってしまったっていうこの2つですかね、
すごく印象に残っています。
もう1つはやっぱり沢村さんというと、
とにかく速い速球、そして堅牙のドロップって呼ばれていた、
縦に大きく割れるようなカーブというこの2種類のボールというのが、
皆さん思い浮かべるんじゃないでしょうか。
このストレートに関してはですね、
何て言うんですかね、
すごい古い映像だったりとか、
そういったものから何か急速を導き出せないかっていうことで、
いろんなことが行われたりとか、
あとはその当時ボールを見たことがある選手たちに証言を聞いてとかっていうふうにして、
実は160キロ超えてたんじゃないかとか、
実はそんなに速くなかったんじゃないかみたいな論争が、
なされているわけですけども、
多分おそらくですね、
どんだけ価格が発展しても、
沢村栄治のプロ野球キャリア
最終的な何キロだったかっていうのはもう分からないと思います。
ただそれがまたイメージをかきたててくれるというような良さがあるんじゃないかなと思います。
あの選手はやっぱりこれぐらい出てたよっていうような結果、
結論が出ない話なんですけども、
そういった会話で盛り上がれるようになって、
それも一ついいなというふうに思っています。
澤村さんはちなみに1917年、大正6年の2月1日生まれです。
残念ながらですね、1944年、昭和19年の12月2日に、
船の上で戦死したということで、
その時まだ27歳ということで、
まだ全然若者だったわけですね。
体はそんなに大きくなくてですね、174センチの71キロというふうに言われていて、
今のプロ野球選手とかで言うと、どっちかというと小柄な方に入ると思うんですけども、
そして意外に知られていないですね、
澤村さんはなんと左打ちだったというようなことが書かれています。
大谷選手と同じ右投げ左打ちということになります。
これはですね、必ずしも澤村さんがダメだったんじゃないかっていうふうな受け取られ方をするつもりで言うわけじゃないんですけども、
実はですね、先ほども述べた1934年にメジャーリーグの代表チームが来て試合をして、
一番有名なのは第9戦、静岡の草薙球場で行われた試合で、8回急奪三振。
で、7回にルーゲーリックにソロホームランを浴びただけの、
0対1で負けたっていう試合がすごいセンセーショナルに報道されて、
それ結構知ってる人は多いと思うんですけども、
意外にですね、その試合の前後にも先発したりしてるんですね。
ちなみに最初に投げた第5戦の時は、この試合では12安打されて0対10で負けています。
で、このシリーズトータルで、
28回3分の2を投げて34失点で、そのうちの実績点が25っていうことで、
相当、その試合以外は打ち込まれているっていう事実があります。
これも僕、いろいろ本とかで調べてみた時にびっくりしたんですけども、
0対1の時の回答がすごく頭に残ってるんで、
その他に投げてたのも知らなかったですし、投げててもすごい抑えてたんじゃないかなっていうイメージが強かったので、
そういった話もあります。
そして、もう澤村さんといえば、初期の本当のプロ野球の黎明期と呼ばれる時期、
今の読売ジャイアンツで、もう大エースとして投げてたというところが、
一番輝かしかった時だなというふうに思います。
皆さんどうですかね。
澤村英二投手に対する印象とかイメージとか。
なかなかですね、今となってはほとんど動画も残っていませんし、
同時代を生きてらっしゃった方も、もうほとんどお亡くなりになられてるっていうことで、
ますます伝説でしか聞いたことがないっていうような選手になっていってしまうのかなというふうに思ったりもするんですけども、
ぜひですね、皆さんには伝説っていうだけじゃなくて、
本当に澤村英二さんっていう人がいて、
今のプロ野球の礎を築いてくれたというところで、
今後もですね、ぜひ何かの折には脳裏に浮かべて、
その業績をたたえてあげてほしいなというふうに思います。
ぜひ今回のエピソードを機にですね、皆さんも澤村英二さんのことを調べてみたりとか、
ちょっと印象とかをどこかで語っていただければなというふうに思います。
この番組では、皆様からの質問、ご意見を募集しています。
番組概要欄のメールアドレスからお願いします。
それでは、今日はここまでとなります。
皆様、次回まで野球を楽しみましょう。
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