自己紹介と不登校から見出した普遍的なテーマ
みなさんこんにちは。ちょっと変わった造形教室あそびやさんをやっています。 ばばさくらです。
最近は造形教室だけじゃなくて不登校はギフトでしかないっていうお話をしています。 ということで
最近はね、このスタイフの冒頭はそんな風に そんな風な感じでご挨拶をしていたんですけれど
最近は本当にいよいよ不登校とか本当関係ないよなって思うようになって この出だしの挨拶もね、なんかちょっと違うような気がしてきたんですけども
ただ、私は子供の不登校を通して気づいたことが、気づかせてもらったことがいっぱいあって なのでそういう不登校に関する話が多いとは思うんですけれども
みんな、どんな人も
自分にとっての幸せってなんだろうっていう大きな大きなテーマがあって そこに向かって日々ね、いろんなことを思いを巡らしているんじゃないかなって思うんですよね
で、それが私は子供の不登校を通して気づいたことがいっぱいあった、何が一番大事かっていう
そういう大きな部分にいっぱい気づかせてもらったっていう意味で 不登校の話が多くなるけれども
でも、人それぞれその幸せ、自分のにとっての幸せが何かっていうのを見つけるその道のりっていうのが
何だろう、夫婦関係を通してだったりとか、友達関係を通してとか、お金を通してとか
いろんなテーマで、病気だったりとか、いろんなテーマを通して結局そのみんなそれぞれの自分の幸せっていうものを見つけていくっていうことだと思うんですよね
だから大きな意味で言ったらみんな同じテーマの中にいるんだなぁってすごく思うようになりました
「あそびやさん」の原点と伝えたいこと
それで今私は遊び屋さんという造形教室をやっているけれども、いろんな面で今リニューアル期間中で私としてはちょっとお休みをしているんですけども
それも何だろう、何でこれを始めたのかなって振り返ってみると、アートの中、子どもたちにあなたたちは自由なんだよっていうことをすごく伝えたかった
それが本当に原点で、それがたまたま私はアートをやってきたからそれを通してやってるけれども、たぶんアートじゃなくてもよかったんだと思う
ただアートの中では自由だよっていうことをたまたま私はそういう形でやってきたけれども、もちろん物を作ったりするのが大好きだからそういう形になったんだけど
だけどそれを通して本当に伝えたいことは別に、デッサンが正確に描けることとかそういうことでは全然なくて、その時間、遊び屋さんの時間の中でどんなことに思い巡らしてもいいし、どんなものを形にしてもいいし自由なんだっていうことを
ただそれだけを、それを伝えたかったっていうことだったなって改めて思うんですよね
だからそれが絵でもいいし、焚き火でもいいし、砂絵でもいいし、粘土でもいいし、方法は何でもよくてっていうことなんですよね
だからそういう意味で、もちろん私が触れてきたもの、経験してきたものの中からやることにはなるけども、でも極端な話、私が経験してないものだっていいのかもしれないし
私が自由を伝えたいのであれば究極、あなたは何をしてもいいんだよっていうことを伝えたいわけだから、もちろん何でもよくてっていうところにたどり着くんだけど
そう思った時にある人に言われて気づいたのは、結局それは自分が欲しかったものだったんですよね、子供の時に、もしくはもらって嬉しかったもの
人の人生って、してもらって嬉しかったことと、してもらいたかったことでみんなできてるんじゃないかなって思って、私も遊び屋さんでやってることっていうのは、してもらって嬉しかったことだったし、もっとしてほしかったこと、本当にそこに尽きるなって思います
だから一つ一つのテーマにめちゃくちゃ私自身がワクワクするのはそのためだなって思う
やりたいことを一つ一つ試作して、考えて試作して、それで行こうってなったら準備してっていうのが楽しくて楽しくて、忙しくなっちゃうんだけど、それが好きだからこそ忙しくなっちゃって、本当にこの3年間、あれどれくらい経ったかな、3年ちょっとかな、本当に忙しくなっちゃって
でも本当に面白くて止まらないっていうか、そういう感じでやってきました
自分が一番やりたいことだからだろうな、それは
親への感謝と託児所での気づき
そんな感じでやっていたので、親御さんたちにとっては、お子さんにとってはきっとすごく楽しい時間だったんじゃないかなって私は本当に思っているけど
親御さんにとっては、そこまでちゃんと伝えられてたかなって思ったり、デッサンが正確に描けるようになってくるとか、そういうテクニック的なことを持って帰るわけじゃないし、作品にならない日もあるし
そういうものを丸ごと受け止めて、あそび屋さんをやらせてくれた親御さんたちに本当に感謝だし、すごいなって思って、とにかく感謝でした
今、あそび屋さんを休んでいるので、時間もあるし、あそび屋さんでも場所を使わせてもらっている託児所の前の方に結構お手伝いに入らせてもらっているんですけども
そこでゼロ歳から小学校上がる前の年齢までのお子さんたちと過ごしているんですけども
そこでも本当に自分も含めてみんなここからスタートするんだよなってすごく思うというか、感動するというか、それが何かというと
小さければ小さいほど泣きたければ泣くし、笑いたければ笑うし、欲しければ欲しい、お腹が空いたらお腹が空いた、もうそのまんまなんですよね
きっとみんなこういうそのまんまのところから人生はスタートするんだなって思うんですよね
自由、表現が自由っていう、あーでなければいけないとか、こうしなければいけないとかがまだないところ、まだない世界
そこからいろんな経験を重ねながら、転んでも泣かないとか、欲しくても我慢するとか、いろんなことを身につけて大きくなっていくんだけど
自分を振り返ってみると、育ってくる中でこうあるべきだみたいなことをどんどん吸収して、本来の自分がどんどん霞んでしまうというか、ぼやけてしまう
っていう、社会的に生きていくのにちゃんと挨拶をしようとか、取り合ったときは譲った方が褒められるとか、成績はいい方がいいとか
いろんなことを身につけながら、それは生きていくのに大事なこともいっぱいあるんだけども、その一方で我慢しながら自分の感情を押し殺してしまうっていうか、ないものにしてしまったりしながら大きくなっていって
大きくなっていったときに、みんな多分、あれ本当の自分ってなんだったんだろうって思うときが来て、そこからいっぱい自分の中に取り込んできた常識っていうものを一つずつ見直して手放すっていう作業を
みんな何かしらの形でするんだろうなって思っていて、それがみんなそれぞれのテーマでやるんだろうなって
例えば子育てを通して自分を見つめたりとか、夫婦間のこと、トラブルとかを通して自分を見つめたりとか、いろんな形があると思うんですけども
人生のプロセスと原点の重要性
みんなこれって、みんな同じことやってるのかなって最近思うようになって、この託辞書で目の前で小さい子たちがありのままで表現しているのを見て、みんなスタートはこれで
そこからどんどんどんどんいろんな思い込みとか常識とかあるべきみたいなのをどんどん吸収して取り込んで
その後に本当にこれ全部必要だったのかなって手放していく、いらないものを手放していくっていうことをみんな生まれてから死ぬまでにやっているのかもしれないなって思うようになりました
その時にその原点っていうのかな、自分らしくいられた時代、その戻る原点っていうのかな、自分が戻れる原点みたいのを記憶として持っていることは強いなって思っていて
私もいろいろ自分をがんじがらめにした時にどこまでおぼろげながら自由だった頃の記憶みたいなもの、目の前のものに素直に反応して
嬉しいとか悲しいとかやってた頃の記憶っていうのがもう遠い遠い昔だけどもなんとなく思い出せそうなところがあって
そういうのがあると戻りやすいっていうか自分を自分でがんじがらめにするとだんだん苦しくなって
壁にぶち当たった時にみんなそうやっていらないものを手放していくんだと思うんだけども
その時に元の状態っていうのを思い出せるっていうのはすごい大きいありがたい近道だなって今思っているんですよね
それが私にとって小さい時にものづくりをした時間だったりとか自分そのままでいてよかった時間、絵を描く時間、ものを作る時間っていうのがそれだった
それは一瞬1時間2時間のことだったとしても結構記憶に残るっていうかそういう意味であそびやさんが子どもたちの中にそういう意味で何か残ってたらいいなって思います
「あそびやさん」の今後の模索
うまく伝わったかわかんないけど
そんなふうに思っていると、遊び屋さんでやる内容っていうのも素材を細かく用意すれば用意するほどその素材に触れたっていう面白さがある
それは本当に面白いこと
その反面結構縛りが出てきちゃうっていうかその辺をどういう形がいいのかなっていう
なんか結局完全に自由でいいよっていうと新しいものに巡り合えなかったりすることもあると思うんですよね
強制的に今日はこの素材でやるよって言ったことでその素材と向き合って面白いじゃんってなるってこともあるし
遊び屋さんのセッティングの仕方っていうのもどの辺なのかなって思ったり
いろんなことを含めて場所とか時間帯とかそういうのを全部ひっくるめてどういう形がいいのかなって今ちょっと立ち止まって考えているところです
というわけで今日もまた脱線して不投稿とは関係ない話になりましたけども
遊び屋さんの近況ということでそんなお話でした
最後まで聞いてくださってありがとうございました
バイバイ