伝説のモディリアーニ、娘が探した父
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サマリー
このエピソードでは、伝説的な画家アメデオ・モディリアーニに焦点を当て、彼の生涯と芸術について掘り下げています。まず、1958年に公開された映画『モンパルナスの灯』が紹介され、この映画がモディリアーニの荒れた晩年や当時の芸術家を取り巻く社会状況を描いていることが語られます。しかし、同じ年に発表されたモディリアーニの娘、ジャンヌ・モディリアーニによる著書『伝説なきモディリアーニ』は、映画で描かれたイメージとは異なる、父の実像を明らかにしようとする試みでした。 ジャンヌは、幼くして両親を亡くし、父の記憶もほとんどない中で美術史家となり、父の研究に没頭しました。彼女は、父が酒や女性、薬に溺れた破滅型の天才芸術家という世間のイメージに疑問を抱き、父の真実の姿を探求しました。その過程で、父の友人であった画家たちや、父の晩年を支えた女性たちへのインタビューを通じて、父の人間性や芸術的背景を紐解いていきます。番組では、モディリアーニの独特な絵画スタイル、特に顔の描き方や瞳のない肖像画について考察し、それが彼の内面や社会との関わりとどう結びついているのかを探ります。 また、芸術家の孤独というテーマについても深く議論されます。孤独は必ずしもネガティブなものではなく、自己と向き合い、作品を生み出すための重要なプロセスであると捉えられます。ジャンヌが父の実像を追い求めたように、芸術家は自身の内面と向き合い、それを表現することで、見る者に深い共感や感動を与えるのです。番組は、モディリアーニのイメージを覆そうとした娘の情熱と、芸術家の孤独という普遍的なテーマを探求し、来週に続く形で締めくくられます。
アートカフェ・ブルーテラスへようこそ
ここは、八ヶ岳三陸のアートカフェ・ブルーテラス。
今日も、マスター夫婦とゲストの皆さんが、
アートと音楽に包まれ、何やらワイワイ楽しそうに盛り上がっていますよ。
この番組は、大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード、株式会社小沢建築工房の提供でお送りします。
皆さん、こんにちは。ブルーテラスマスターの伊藤です。
今週も美術の話で一時を共にお過ごしください。
改めまして、こんにちは。
こんにちは。
松浦さん、彩ちゃん、ようこそ。
はい。
今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
フロラさんも今日もよろしくお願いします。
はい、お願いします。
はい、さあ、夏もですね、半ば。
涼しくなりました。
そうですね。
もう、あの暑いのは嫌だよね。
嫌ですね。
炭酸死ぬような感じですね。
それをちょっと恐れながらというところですけどね。
モディリアーニと映画『モンパルナスの灯』
今日はですね、モディリアーニ。
モディリアーニ。
モディリアーニ。
ちょっと口がね、モディリアーニ。
モディアリーニじゃなくて、モディリアーニ。
そうです。
ちょっと滑舌練習しないとダメですね。
ちょっとね、その滑舌をできるだけ滑らかにと思いますが。
映画にね、モンパルナスの火という映画があるんですが。
松浦さんご存知ですか?
見ましたよ。
白黒の。
なんかね、すごくいい映画だった。
そうなんですよね。
白黒だね。
だから画家の映画なんだけど、白黒なんですよ。
だから色は見えないんだよね、残念ながら。
だけどどうもね、この映画はね、画家の絵を見せるというよりも。
画家の生涯というか、最後のモディリアーニの晩年を描くんだけども。
同時にその社会の背景、それからその当時画家がどんな立場にあったかとか。
そんなようなことをね、ある種告発するような内容でもあったという。
かなり荒れた生活というか、こういうしてた方だってイメージがありますね、見たときにね。
本当にね、お酒とね、女性とね。
そうですね。
なんて奴だっていうね。
だけど、画性が出てきますよね。髭生やしたなんて言ったかな。
あの方の何かえげつなさって何て言うんだろうね。
作品を見てもね、評価はしてるのね。でもまだ買わない。
もっと高くなってから高く売る。
そう、高く売るとかね。
だから多分取り扱い、だからできるだけ安く買っておいて、なくなることによって価値が上がる。
だからそこには作品としての価値を見出してるわけなんですよ。
だからあくまでもそこで、儲けるためにはどうしたらいいかっていうね。
そんな言葉が映画の中に随所に出てくるんですよね。
そういう映画なんですけど、それが1958年に発表されます。
その年に、本当にピッタリというか、実はモデリアーニの娘、ジャンヌ・モデリアーニという美術師の研究家なんですけど、
彼女がですね、伝説なきモデリアーニという本を出します。
全く同じ年に出るわけですね。
モディリアーニ家の悲劇とジャンヌの探求
多分これは、ジャンヌ・モデリアーニは自身は、
モデリアーニが、それからちょっとややこしいんだけど、モデリアーニの奥さんの名前もジャンヌなんですよ。
ジャンヌ・エビテルムってね。
ジャンヌ・ジャンヌってどっちなの?っていうことなんだけど、
モデリアーニが35歳で亡くなります。1920年。
次の日に、奥さんのジャンヌは実家から飛び降り自殺したんです。
後遺症というかね。
確かにお腹が痛いんですよね。
お腹に子供がいたんですよね。
ジャンヌはその時、1歳3ヶ月。
だからほとんど父親のことも母親のことも記憶にないわけなんですよ。
そうすると、たぶんその時に、当然1歳の記憶はないし、
ちょうど10歳の頃に、モデリアーニとジャンヌのお母さんのお墓は別々だったんです。
別々。
ジャンヌの親はモデリアーニとの結婚を認めてなかった。
まだ結婚はしてなかった。
結婚はしてたんだけど、反対してたから。
感動みたいにされちゃったんですか。
亡くなった彼女を引き取って、パリ郊外の墓地に埋葬した。
モデリアーニは別のところに埋葬される。
だから別々だったんだけど、10年後に一緒のお墓に入るという。
その辺はもう少し詳しく話をしたいなと思うんですけど。
そんなようなことで、実はその時に10歳だからね、
いろんなことが父さんとお母さんのお墓が一緒になったんだというようなことは、
たぶん記憶としてそこから始まるんじゃないかと思うんですね。
20歳の頃に美術の勉強をして、美術史の研究者になっていくんですけどね。
そこで求めているのは、自分の父親は一体どんな人だったのか。
当然母親はどんな人だったのか。
それを探っていくという。
モデリアーニのこの絵って独特じゃないですか。
モディリアーニの絵画スタイルと藤田嗣治
そうですよね。
どうしてこういう絵を描くようになったのかっていうのも、この映画の中ではわかるんですか。
もうすでにそういう絵しか描いてなかった。
映画の中ではね。
そうですよね。
後で聞いたんですけど、藤田嗣原さんっているでしょうか。
あの方がこの映画の演技指導をしたって聞いてね。
藤田嗣原さんってモデリアーニと一緒にパリで暮らしてたんですか。
似てる。確かに似てますね。
雰囲気が藤田嗣原さんが描く絵の真っ白だけ。
だから演技指導で、モデリアーニはこういう風に筆を持って描いてたとか、そういうのをね。
まさしくそれを見てるわけだからね。
そういう風にどっかの映画出してみたことがある。
確かに映画の中にも当時の色々な有名な画家が有名になってくる。
当時はまだ売り出してるんだけど、友達の名前で画家の名前が出てくるのね。
結構著名な方たちが。
それを改めて見ると、初めて見た頃ってあんまりピンとこなかったんだけど、
先日ちょっとこれで払って見てみたら。
笑顔ですか。
そうなんです。面白いなという見方がまた変わったなと思ってね。
今ね、カフェの中では1919年に描いた自画像です。
自画像?
自画像ですから、モディリアーニ。
なんとなく筆を持ってませんか?
筆持ってますね。
これは娘さんの方ですよね。
モディリアーニ本人?
本人です。自画像ですから。
目がない。
女性みたいな。
だけど髭とか男性なのかな?
よく見ると髭入ってる。
まずね、自画像ほとんど描いてないんだけど、非常に貴重な作品なんですよね。数少ないね。
モディリアーニの自画像と写真の比較
でもこれ自画像って言われないとわかんないですよ。
自画像って何ですって言われても、え?誰の?って。
しかもなんか女性の顔に見える。
実際にはね、どんなかってこう。
ハンサムですよね。
本当にハンサムです。
かっこいいですよね。
本当にね、ローマ時代のね、彫像ってあるでしょ?
あんな感じだよね、堀が深くてね。
素敵ですね。
こんな。でも自分が描いた自画像はこう。
なんかすごい楽壇の声。
表情がないですよね。
ないし、なんかすごく幸せなミスタルな表情してる。
おだやかな顔じゃないですか。
角度が違うとちょっとまた違うように見えますけど。
頬が赤くて。
こけてる感じ。
こっちから見ると頬がね、こけてるように見える。
こちら側から見ると幸せそうな感じ。
そうなんだ。
なんか目も優しいし。
写真の方はなんかもっと強烈ですよね。
でも写真とこの自画像、全然似てないでしょ?
似てない。
似てないんですよ。
モデリアニはどうも、人の顔は描くんだけど、そのまま描く気はなかった。
みんな同じような顔してますもんね。
キャラクターみたいな感じですね。
あるパターンで描いていくっていう。
みんな顔が細長い。
で、目が離れてて、なんとなくのっぺらっとした。
そうですね。
でももうね、亡くなってからモデリアニどんどん評価が高くなるんですよ。
作品も高くなっていくということなんだけど。
どうして?
モディリアーニの作品と評価
なんで?みたいな。
何がみんなそんなに。
大阪にあるでしょ、確か。
大阪の美術館に。
中野島ですか?
そう、だったかな。確かモデリアニが。
結構でもありますよね、モデリアニって。
そう、あんまり、何て言うんですか。
絵画を知らなくてもモデリアニ知ってるって感じです。
一つは見たことある。
だって特徴がすごくみんな同じだから、
もうあの人だよねってわかる。
そういう点では本当に。
だからもしこういう絵描いたらさ、モデリアニ風だよねって言われちゃう。
そうですね、そういう風に言えると思う。
モデリアニ、なるほどね。
以前はファイファイセットっていうグループがあったじゃないですか。
モデリアニの女なんていう歌がありましたからね。
えー、知らない。
時代が違うのかな。
興味が違うだけです。
別にその歌がいいんじゃなくて、モデリアニが出てくるってことで記憶があるっていうね。
ちょっと目を細めて、今モデリアニ中ですみたいな。
娘ジャンヌによる父の実像の追求
それは新しい考えだな。
じゃあ何ですかそれはっていう。
ちょっとモデリアニ中です。
それ何って言われると説明しなくちゃいけないから、後がすごく面倒になる感じがするんだけど。
それでもね、映画を見た時に、ある種、ジャンヌ、奥さんね、ジャンヌとの悲しい最後の結末なんか。
本当に悲しい映画なんですよね。
だけど同時にお酒に溺れて、次から次いろんな女性がいるし、ある種、乱れた生活をしてる。
実は薬もやってたんじゃないかということで。
結局血格ですから、いろいろなものを癒すっていうか、そういうものから逃げるためにっていうこともあったんだけど。
そうするとね、社会に理解されない天才芸術家っていうイメージだった。
だから理解されないから、本当に何とも言えない生活をしてるっていう。
やりきれなさをお酒にとか薬にっていう、そういうイメージがあった。
でも本当にそうなのかなっていうことは、その娘のジャンヌ・モデリアーニが二十歳過ぎていよいよ美術史をやっていくときに、
じゃあ自分の血としてのモデリアーニ、血を研究していくという。
まあ生涯、他の研究もしてるんだけども、特にそれが大きな研究テーマになった。
そして1958年に伝説なきモデリアーニっていうのを発表したんです。
映画と同じ年ってこれ偶然そうなったんですよね。
映画の方ではちょっとかなりはちゃめちゃな暮らしを、生活破綻者みたいな感じで描いてるから、
そうじゃないっていうことを言いたいわけですよね。
たまたま偶然。
ですから多分それまでのいろんな話もあるから、それらを考えて自分が父のことを研究していくと、
ここはここで発表しなくちゃいけないんじゃないかっていう、
そういうところもあって発表したんじゃないかなというふうに思うんです。
ここはまだまだ深掘りしていきたいなと思います。
ではフロアさん、今日の音楽お願いします。
はい、本日の曲はミシナサチさんの君のために歌おうです。
今の曲はミシナサチさんの君のために歌おうでした。
前半は映画のモンパルナスの日。
それに対して娘のジャンヌ・モデリアーニが、伝説ではないモデリアーニという研究を発表したということで終わったわけです。
映画と娘の研究の対比
映画の方がやっぱりインパクトありますよね。
研究の文章は誰も読まないというか、関係者は読むだろうけども、
基本的にそれよりもドラマとしての面白さというのは、
映画の日本でも相当ヒットしたと思います。
その映画は映画として作られているから、娘さんジャンヌが研究した、
本来彼女が見た父親ではないということですよね。
風評によって作られている映画、風評というか、世間一般の評価のということですよね。
それをベースにして作っているから。
でも、俳優さん、フランスの、すごい格好いいですよね。
女優さんも素敵で。
アヌクエーメ。
若い頃のアヌクエーメですからね。
でも家族としては、本来の姿でないものを映画化されて、
それがそういうものだというふうに世間に思われちゃうというのは、本当につらいですよね。
薬とかお酒とか、荒廃した生活を送っていたんじゃないかというイメージで作られたということですよね。
ジャンヌそのものも、娘のジャンヌの方も、直接知らないわけでしょ。
1歳の時に亡くなっちゃっているわけだから。
そういうものばかり聞かされるわけだから、本当の父は、本当の母はどうだったんだろうか。
それをいろんな人にインタビューしながら調べていくということをしたわけですね。
でもきっと近くに、そう言われているけど、本当は気持ちの優しいお父さんだったんだよとか、お母さんだったんだよとかって、
きっと言ってくれる家族がいたからこその、そんなんじゃないんですっていう。
ただ家族そのものも、ジャンヌ1歳の時に孤児になっちゃうんだけど、
イタリアのベルノっていう、イタリアの方に父方の実家がありますから、そちらに引き取られるんですよ。
ってことは、パリでどんな生活をしていたかっていうことは、実は父方の実家はほとんど知らないわけなんです。
ですから、いくら聞いても、たぶんこういう絵を描いて、こういうことをしてって話は聞いても、実際の姿がわからない。
だからそれを自分で紐解いていきたいっていう。
そうなると周りにいた画家の人とか、日本人だったら藤田さんとか。
それから実際に面倒を見た女性が何人もいますよね。
そういう人にも直接会ったりして、実像をどうだったか。
それは面白そうですね。
芸術家の孤独と社会の残酷さ
ですから、映画が描いたもの。
これも単に恋愛を描いただけじゃなくて、それをベースにして、
芸術家の孤独とか、社会の残酷さみたいな、そういうものを告白するような、告発ですね。
するような内容の映画でもあるわけだから。
芸術家って、暗いというか、ちょっと闇があるというか、そういう描かれ方をされる方が多いですよね。
そうですね。
作家の人もそうですよね。
ダザイ・オサモとかね。
そうですよね。
そして明るいところは出ずに、どちらかというと。
マスターもいかがですか?
私、暗いんですよ。
うなずかないですよ。
でも結局は自分と向き合っているもんだからね。
絵を描くって、心の葛藤みたいなものが絵に現れるみたいな。
と言いながらね、何を描くかにもよるからね。
私、風景描いた時はそんなに暗くないもんね。
水面に浮かぶ波間に、闇が。
闇を感じちゃうよね。
でも学生さんたちの自画像とか見てると、すごく自分の内面を描いてるんだなって。
何とも重くなるような絵が多いなって、美術館とか行って見ると思うんですけど。
でも前見た自画像を前に出してましたよね。
これなんか全然暗くないですよね。
これはね。
すごく穏やかな。
病気では苦しんでるんだけど、ニースで奥さんのジャンヌと一緒に暮らすんですよ。
そして子供がちょうどできた頃かな。
だからある本当に幸せな時なんです。
これ映画の中のセリフなんだけど、ジャンヌと一緒に暮らす時に、君と出会って、僕の人生は始まったんだっていうことなんだ。
これは実際にあったかどうかわかりませんが、映画の中のセリフだからね。
モディリアーニの幸せな時期と自画像
刃が浮くようなセリフ。
映画ですから。
そんなこともあるんだけど、そういう点では決して不幸ではない。
似てないけど、雰囲気はすごく幸せな人だって自画像に見えますよね。
そうなんですよ。
でも本当に自分自身も、一つのジャンヌとしてのモデリアーニ風の絵っていうか。
モデリアーニ風。
のモデリアーニです。
いいですね。
こんなね、色も暖かいしね。
これが晩年っていうのも不思議ですね。
瞳のない絵画の謎
そうですね。
だって美術館とかに飾られてるのは、本当にキッとした感じの、目が白いとか中がグレーとかって。
やっぱ目玉がない分、その人の表情がないから、見てると怖いなってちょっと思えるような絵が多い中で。
なぜね、その瞳を置かなかったのかということね。
これなんかもね、面白い研究テーマにもなった。
だるまと同じって。
みんなで入れよう。
何なんだろう、目を入れることによって相手に分かっちゃうからなのかな。
見えちゃうっていうか、読まれちゃうというか、自分の心の内を見られちゃう。
絵にね。
今ね、目を入れる、瞳を入れるっていうことで。
これもね、こだわりがあるんですよ。
本当に?
あるんですよ。
それについてはね、もう少し深掘りをしていきたいなと思いますけども。
破綻した天才画家というイメージ
何しろ、誰もが知っているというか、多くの人がモデリアニーというのは破綻した天才画家で。
それこそ、画家になったらね、ろくな言い方しないよとかね。
私も昔言われた気がする。
親からね。
その方が心配なわけですよ。
食べていけるかどうかというね。
そうですよね。
そういう点では非常に、どちらかというとイメージとしてはある。
ある種、そういうイメージを作ってしまっているというところがある。
だけど、娘としては本当の姿を知りたいというそういう思いでね。
自分の父親に出会うつもりで描いた研究ですよね。
それがちょうど同じ年に出たんだよね。
何しろ、芸術家って何か先ほども暗いんじゃないかとかね。
孤独でね。
孤独でね。
孤独の本質と芸術表現
でも、孤独さというのは誰でも持っているんじゃないかと思うんですよ。
いつもみんな集まってね、お酒飲んだりして笑ったり。
結局その場は非常に賑やかで華やかかもしれないんだけど、
人々には子でなると果たしてどんなふうにつながっているんだろうかということによっては、
ある種孤独ではあるんじゃないかと。
孤独だから集まるっていうね。
どのくらい出すかどうかなんだけど、
出し方っていうのは言葉で演技をするとか様々なもので表すんだけど、
どうしても絵を描くとか作品作るというのはキャンバスにあるいは素材に向かってのものに向かって表現するわけだから、
そういう点で人ではない。
表現した後のものを他の人が見るわけなんで、
出しているところはあんまり見せたくないところがあるんです。
でもそれを見ると孤独だよねって言ってほっといてくれっていうのはね。
でもそれを見る人に感じさせるものがあるっていうことは、
孤独とかっていうキーワードを何かの言葉として具現する。
やっぱりそういうふうなものが何らかの形で表現されてるんじゃないですかね。
そうじゃなかったらきっと見る人もそう。
それが色遣いなのか対象物なのか。
ただもう一つは孤独ということは決して悪いことではないんですよ。
孤独っていうと寂しいとか悲しいんじゃないかと思うんだけど、
結局それに夢中になっている姿っていうのはすごく大事なんですよね。
常に誰かとつながりながら何か表現するっていうのはこれの方が難しいかなと。
何しろ自分に向き合って自分を出していくっていう、
これはやはり非常に孤独な作業の積み重ねだと思うんですよね。
孤独というより一人の作業ってことですよね。
孤独、孤独。
自分自身の作業だから人に干渉されることもなく、
自分の出したいものを出せる。
だからそれはその人にとっては幸せな時間かもしれないということになる。
何しろ孤独っていうのはあんまり悪いイメージだけではないかなと思います。
深い話ですね。
ジャンヌ・モディリアーニの情熱と番組の締めくくり
いつかそんなようなものを払拭したいという、
ジャンルモデリアニの作品というのがあります。
いろいろ訂正されました。最後の最後までそれを研究してましたので。
そうなんですか。
この続きはまた来週。
来週楽しみです。
どんな話が出るかお楽しみに。
美は見る人の心の中にある。
次回もアートを巡るひとときをご一緒に。
マスターの伊藤でした。
この番組は大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード株式会社小沢建築工房の提供でお送りしました。
29:10
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