1. 建コンのあれこれ
  2. #188 交響曲に込められた言葉..
2025-10-08 46:39

#188 交響曲に込められた言葉にならない意味

ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」を題材に、交響曲に込められた言葉にならない意味を深読みしてみる回です!


作曲された当時、近代西洋のロマン主義について、哲学や啓蒙思想、さらには宗教改革の歴史にまで遡って、時代背景を眺めると、ブルックナーがこの曲に付けた副題「ロマンティック」の意味が浮かび上がって来る…っていうことかなー?と思いながら聞いてみると、長くて退屈なこの曲の味わいを楽しむことが、できるかも知れません!


◯参考過去回

科学と哲学のすきま〜サイエントークを聞いて〜

https://open.spotify.com/episode/1gP0FnfCZzMherv6rCueqf?si=rUA01-4hRjuM9sCEE4gfjA

サマリー

ポッドキャスト#188では、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」の音楽的特徴とその背景が探られます。当時のオーケストラの音楽がどのように作曲され、聞かれていたのかが考察され、音楽に込められたメッセージについても触れられます。このエピソードでは、ブルックナーの交響曲第4番における教会音楽の影響やロマン主義が考察され、科学の進歩と人々の豊かな生活の対比を通じて、神の愛を忘れずにいることの重要性が語られます。また、交響曲に込められた言葉にならない意味とその歴史的背景が考察され、特にブルックナーの作品が18世紀から19世紀にかけての社会構造や科学技術の変化とどのように関連しているかが論じられます。音楽が感性と理性の間でどのように位置づけられるかが探求され、ブルックナーの交響曲第4番に込められた深い感情や神の存在についての考察が行われ、その中で特に印象的なヴァイオリンのピッチカート奏法のシーンが紹介されます。

ブルックナーの交響曲について
建コンのあれこれの建コンのアレです。こんばんは。 このポッドキャスト番組は
建設コンサルタントという、わかりにくく、つかみにくい業界についてあれこれ語っていく番組です。
spotify、apple podcastなどのポッドキャストアプリのほか、youtubeでも視聴することができます。
なんですが、今回も前回に引き続き
クラシックの オーケストラの話をしていきます。建設コンサルタントの話は
一切しません。申し訳ありません。私の趣味の話です。 なんでこんな話をするかというのは一つ前の回をお聞きいただきたいんですが、今回は
3部構成を一応ちょっと構想しておりまして 1回目というのが前回
オーケストラと
公共曲について話す回。そして2回目というのが今回で ブルックナーという作曲家の公共曲第4番、第4番
ロマンティック という曲について話していく回。そして第3回はそのロマンティックっていう曲の
まあより詳しい話をしていく。そういう 3部構成のこれが第2回
なっております 今回もね結構気合い入れて
音楽と時代背景
原稿をですね色々調べて書いたんですけどね あのこの回ではロマンティックってなんだっていう話をとにかくひたすらしていきます
あのロマンティックって言ったらね皆さんドラゴンボールのエンディングテーマね ロマンティックあげるよっていう曲とか
思い出す人もいるかもしれませんがいないかもしれませんが ロマティックってなんかちょっと恋愛みたいな恋みたいなイメージ感じるかもしれませんけど
そういう意味ではないんですねこれロマン主義っていうものの意味だと言われていまして まあその話をしています
でまぁその話をするためにいろんなことをね説明していかなきゃいけなくてでそれがやっぱり 第1回の話は非常に重要なんですね
どういう風にして当時オーケストラという音楽が誰に聞かれていたのかという話ですね であの前回の話ぜひ聞いていただいた上で今回聞いていただきたいんですけど前回の話を聞いて
いただくとなんとなく感じてくるところがあるんじゃないかと思うんですが あの現代の私たちというのは
オーケストラのクラシック音楽というのを まあ当時のようには楽しめないのかもしれないっていうそういう気持ちがしてきちゃいますよね
ベートーヴェンとかブラームスとか今回取り上げるブルックナーという作曲家が作曲を していたあの当時のように
音楽を楽しむということは難しいなぜなら今この現代にはスマホがあれば youtube もあってテレビもあるし
まあ cd もラジオもあるわけですね映画もあるしマイクがあって演劇があってカラオケ もあると
そういう時代が今なんですけどそれらが一切ない当時に作られていたものですから これらがない前提でそういうのを1個も知らない人たちが楽しむように作曲家というのは
一生懸命頭をひねってですね曲を作っていたわけです その人たち何を考えていたんでしょうかね当時
当時オーケストラを楽しんだ一般市民の人たちという 何してたんでしょうか例えば仕事が終わってたら何してたんですよ
お家に家族帰って家族と談笑をしていたんでしょうか 公園でお友達と遊んでいたんでしょうか
メロディの意味と解釈
帰り道もね車もないですからね馬車に乗っていたのかそしても歩いたかもしれ ませんよね
そういう時代ですね
あの そういう時代のね時代性と
この今回取り上げるブルックナーの公共曲第4番ロマンティック そのロマンティックという言葉はこの時代性と非常に関連性が深いです
で その時代性を
まあちょっと知ると youtube がある現代でもクラシックというものをあの
楽しめるようになるんじゃないかなーっていうのも今回の企画のまあきっかけの 一つになっていたりします
であの 現代でも有名なクラシックっていっぱいあるんですね
クラシック特にこのオーケストラの音楽ですね例えば 大工
フロイレッツエレレゲッテルフンケンタフテルオーセイとか言って言う 聞いたことありますよねそれから新世界
パパパパパパーンパラバラバーン この新世界が有名なのはあの夕方のメロディーにもなってます
遠き山に 日は落ちて
この曲は
ドボルザークの公共局第9番新世界の2楽章のメロディーなんですね 遠き山に日は落ちてあとまあ前回取り上げた運命とかねパパパパーン
まあいっぱい有名な音楽クラシック中でもあるんですねでそういうのはやっぱりメロディー がキャッチーだったり素敵だったりしてそれでまぁ現代でもそんな時代性を知ら
なくても楽しめるっていう側面があります ところが
今回取り上げるブルックなの公共局第4番はぶっちゃけ厳しいです あのそそんなに楽しくないです聞いてて
あの私この曲大好きで 通勤時間にもしばしば聞いてるぐらいもうめちゃくちゃ聞いてるんですよ
一般の普通の人たちに比べたらもうもう何万倍も聞いてるまあまあ皆さんがゼロな 可能性が高いんで掛け算してもしょうがないです
むちゃくちゃ聞いてるんですけどそんな私をもってしてもはっきり言って退屈です 退屈なのになぜ聞くのかというとね
やっぱその物語がいいんだなぁ 皆さんも繰り返し見たことは2回か3回以上見たことある映画ってあります
好きな映画ありますか皆さん 皆さん好きな映画のすべてのシーンが大好きで覚えてますか
すべてのシーンをなぞって言えますかすべてのセリフを記憶して言えますか というより好きな映画ってなんか1箇所とか2箇所
めっちゃいいシーン好きなシーンがあってそこのために前半見てるみたいなとこありません でもその好きなシーンだけ切り抜いてティックトックみたいに切り抜きで見たところで
ちょっと楽しみなやっぱり前半からこのこの人物がこうなってあの人物がこうなった 結果このシーンを味わうから楽しみたいとかあるじゃないですか
ブルックナーもそうなんですよ でその詳しい構造は次回話をするんですけど次回詳しい構造を話そうにもですね
この時代背景の話しないと1個1個の登場人物の話ができないんですよ それ登場人物って言ってブルックナーの4番に本当に人は出てこないんですけどね
前回説明した運命のねベトベの運命ババババーンっていうのが何か人を表してるわけじゃない っていうようにブルックナーも一つ一つのメロディが人間人物登場人物キャラクターを
知るわけではないんだけども1個の1個のそのモチーフと呼ばれる メロディーというかそのフレーズとかね
パーツですね音楽のパーツの意味合いをまあ理解するのに時代背景の説明は必要なんで 今回はその話をします
でここで ちょっとお断りしないといけないところがあるんですけども
今回この第2回は特に私の個人的なこの曲に対する解釈が含まれていて 専門的に正しいかどうか自信はありません
なんだけどまあ私の個人的な楽しみ方として紹介しますので あのまあどの辺までは事実とかね
まあちょっとなるべくこう分けて説明したいと思っているんですがうまくできないかもしれ ませんけども
あのまあなんかそういう一つの楽しみ方と思って聴いてみていただければ嬉しいなと思っ ています
でまず当時の時代感ですけれどもこれ前回も話しましたけど あのクラシック音楽特にオーケストラのクラシック音楽というのがたくさん作曲されたのは
1800年から1900年の間の100年間プラス前後ぐらいです って前回言いましたねそうその100年間の前世紀ですね
オーケストラクラシックの前世紀の中でブルックナーの公共曲第4番というのは1874年に 作曲をされています
なんでこの前世紀いっぱい作曲された100年のうちでは結構後半ですブルックナーというのは だからまあみんなさんしてまあ米東弁っていうのは例えば1700年代末から
1800年代の頭の方にこう 世紀をまたいで生きた
作曲家で公共曲第1番っていうのは作曲されたのが1801年だったかな 1800年だそれぐらいもうだから私が言っている100年間のもう諸島に
当たるのが米東弁なんですね この米東弁が前回話したような大衆に聞かれるクラシック音楽大衆に聞かれる
オーケストラの音楽っていうのをまあ作ったというかその例明記の人だと言われたり していますでもうその米東弁がいて
ブラームスがいてリストがいてなんとか書いていろいろ言った後に ワーグナーとかが出てきてここでブルックナーというのがこう
登場するそういうのが1874年に第4番書いたっていうことですね でそのクラシックっていうのはあの言葉がないわけですね
これも前回話しましたけどマイクが当時あったらクラシックは生まれてないかもしれない 生まれててもこんなに今に残るような形で流行ってないかもしれないけどマイクが
なかったから仕方なく たくさんの人が一つの会場で楽しむためには楽器を集めて音楽を作るしかなかったん
ですね でそれが
ホールに人をいっぱい集めますんでビジネス的に儲かるんですね グッドビジネスモデルだったんですね当時
エンターテイメントとして だからその100年にたくさん作られたと言っていいと思うんですね
でなんですけど言葉がないんですね映像もない 映像ありの似たようなコンテンツやっぱバレーとかオペラってのがあったわけですけど
バレーとかオペラが作られた数よりも クラシックとか公共曲ねオーケストラの公共曲が作られた数の方が多いですね
で じゃあ
意味がないか 言葉がないんだよね映像もないくて音楽だけでじゃあ意味がないかっていうと実は
そういうわけじゃなくて 例えば教会で使われているハーモニーとかそのハーモニー展開だったり
民族的な踊りのメロディーの要素だったり これはねあんま多くないけどたまに銀融詩人の歌の要素とか
そういう当時のヨーロッパの人たちが聞いたことある音楽っていうのがいろいろ登場したりしてるんですよオーケストラの音楽には
そこでなんとなくこういう人が言おうとしているメッセージっていうのはどういうことなのかなーっていうのがわかってきたりします
一つの例は我々の 私が所属しているオーケストラの前回の演奏会で我が祖国
スメタナのベドルジハスメタナスメタナの 我が祖国って音楽をやりました我が祖国っての有名なモルダウです
だらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーのモールダウのこのモルダウ
が我が祖国っていう6つの曲からなる一つの大きな音楽作品の2番目の曲 6つあるうちの2番目の曲がモルダウなんですね
モルダウの前が高い城とかっていっていろんな 6つ
の曲から成り立ってるんですけどこの我が祖国全体の特に後半の音楽聞いていくとこれは 宗教戦争
で使われた当時のフス派ヤンフスっていうね 宗教改革をまあ宗教改革っていうその
なんだっけルターがやった宗教改革よりずっと前の人なんですけどヤンフスっていうの まあそういう時にフス派という人たちが奏でてた
ミサの音楽とかが出てきたりするんですよそういうのを使ってるとメッセージ性がある じゃないですか
どっちの立場で言ってるかみたいなわかるじゃないですか まあなんかそういうね意味がないわけじゃないんですよメロディ1個1個に意味があるんです
で今回取り上げるブルックナーっていうのはカトリック教会のオルガン奏者というの が音楽キャリアのスタートなんです
でカトリック教会のオルガン弾きから始まって オーケストラを作曲するようにだんだんなっていくわけですねなので彼の音楽にはその
ブルックナーの交響曲の特徴
教会 キリスト教の特にカトリック教会の音楽要素というのが取り入れられていると言われています
でそのブルックナーは教会の音楽 をキャリアのスタートとしたと
いう話とここに副題のロマンティックという言葉がじゃあだとしたら何の意味なのか っていうのを考えていくとこの公共局第4番の意味
言葉では表されてない意味がなんとなく わかっていくと
いうわけなんですね そこに教会フレーバーをまあ感じましょうということともう一つは教会フレーバーがここで出てくる
時には特にこのブルックナーの第4番では 教会フレーバーと対立する存在対立する概念
があってそれとの対比がこの曲の面白さだと私は思ってですねここ あれの解釈ですこれ勝手な私の解釈なんですけどあの
教会フレーバーと対立する概念というのが これ私の解釈でしょ
科学で豊かになっていく人々の暮らしなん なのでこのブルックナー
の第4番公局第4番で表そうとしていることは私あれはこうじゃないかと思っています 科学で人々の暮らしがどんどん豊かになっています
なんだけど豊かになっている暮らしの中で大事なものを忘れてません 私たちは神の愛のもとに生きてるっていうそのことを忘れてませんか
っていうメッセージがこのブルックナー第4番にずっと通停しているんじゃないかと思っていて であるシーンではその豊かな暮らしの心地よさ華やかさ
穏やかさ豊かさが表されているんだけどかと思ったらふとその豊かな暮らしに潜んで いる不安とか
危うさが高表現されてそこでかと思ったら急に神聖なメロディーというかまぁ 音楽
パートが演奏されてそしてあれ やっぱり神様って偉大だなぁ
どんだけお金を稼いでどんだけ豊かになったとしても どんだけ
電車が通ってどんだけモールス信号で遠くの人と連絡ができるようになっても 神様がやっぱり大切だなって思い出す
でも思い出したんだけどふとやっぱり暮らしが豊かだと忘れちゃう 忘れちゃったと思ったら思い出す中でこういう感じでできている
感が私はしているんですね
ロマン主義と哲学の変遷
でちょっとこれもう少し説明をしていきます この時代感とこの時代でロマンティックって呼んだ時に何でそんな意味になるか
を説明していますでまず8ロマンティックのロマン主義っていうのは何なのかっていう と
理性よりも感情や主観を重視する運動や思想 と言われています
ブルックナが作曲した時代にはもうすでにロマン主義っていうのは流行っている状態 であの音楽の授業でも習うんですけどクラシック
特にオーケストラの音楽っていうのは ベートーヴェンイズがメインの音楽に対しては
あのメインの音楽としては プロデュース音楽というのは
っていうのは流行ってる状態であの音楽の授業でも習うんですけど クラシック特にオーケストラの音楽っていうのは米東弁以前を古典派と呼んで米東弁より
あとロマン派の音楽って言います このロマン派の音楽っていうのはもうまさにこのロマン主義のことです
だからえっと私が前回から言ってる オーケストラが大衆に聞かれるようになった1800年代の100年間これはロマン派のクラシックが
たくさん作曲されてたくさん聞かれた ロマン派の時代ですこのロマン派の時代の1874年後半に
ブルクナーはロマンシュティックロマン主義っていう 副題をつけた曲を書いてるってことなんですねでこのロマン主義っていう意味が
えっと 理性より
感情を重視する 思想って言うってことはこのロマン主義が生まれる前に理性が重視された時代があった
んですよ この理性が重視された時代っていうのは
これが 哲学とか啓蒙思想
これね哲学も啓蒙思想もとてもわかりにくいし日本人に超なじみがないんで わかりにくいんですけど一応それが何なのかどういうことなのかっていうのはちょっと前の
回でも語っているんで一応概要欄にも 生じしますがあの
1600年代の中旬ぐらいからこの あの哲学っていうものが始まって理性って大事で理性で考えると暮らし豊かになるんじゃ
ねって言い出したのは1600年代の中旬ぐらい ここまた100年ぐらい戻ってますよねめっちゃ持ってますよねそうなんですよ
そっから100年かけてこの理性を重視する哲学がだんだんこれを科学というものと結びついていって 科学が発展して産業革命が巻き起こってるのが
オーケストラが聞かれている時代なんです じゃあ逆に
科学の種に理性哲学があった 理性の前は何だったのかというと理性の前は
理性の時代の前には言い伝えられてきたことが重視されている時代だったんですね 書持ちとかが重視されていた時代だったんですね
これが1600年代よりも前です でアリストテレスとか古代ギリシャの人が書いたものが重視されたりあるいは聖書が重視され
たりあるいは聖書がまず第一にあって聖書がまず第一にあって レネサンスとか言われる時代にその東洋というのがギリシャの文献とか流入してきて
でまぁそれでアリストテレスの当時言ってた科学的なものを落としたらどんな風に 落ちるか
そういうものが重視されていた時代から理性の時代があって そしてロマン主義っていう順番ですね
もう一回おさらいすると1600年以前ぐらいは書物とか言い伝えが重視されていました そこから1600年の中旬から哲学っていうのが生まれて理性
まあ自分で考えるっていう自分で考えるそう書かれているものを信じるんじゃなくて 自分で確かめてみたりするっていう
そういう営みが始まりますでも確かめるっていう営みの延長線上に科学実験とかがあって その実験をしたことが正しいとされるようになっていた
それ以前は実験をして新しい真実みたいなものを発見しても あれさんそれちょっと書いてあることと違う現象が表現されてますから
正しく 真実を再現できませんでしたね
って言われちゃったんだって 書かれてる書物に書かれている正しい真実をあなた再現できませんでしたねって言われちゃったんだ
だけどね私たちは新しい実験で新しい真実が発見されたら発見されたその真実の方が 正しいって思うじゃないですか
それもね我々が理性とか哲学以降の時代に生きてそれが当たり前になってるからなんですよ それ以前は
実験して新しいことやってもそれが書物に書かれた正しさを再現できてるか再現できてないか っていうジャッジされたらしい
それぐらいもうすごい大きな違いなんです理性哲学そして科学が重視される時代ね でたっぷりその科学が重視された後に1800年代ぐらいに
ロマン主義っていう理性も大事だけど俺たちの感覚大事じゃねってなるんですね でこれは前回話した話と非常に連動をしていて
そうやって産業革命の結果として一般ピープルがお金と権力を手に入れるようになったん ですね政治力とかそうなってくるとそれ以前は理性とか哲学とか科学とか重視され
つつも社会の構造は貴族とかと平民みたいな下僕みたいなそういう時代だったのが一般 ピープルが大事重要になってくるそれでフランス革命とか起きて民主主義とかが起きて
市民のための国だよねとかながまそういう風になっていくわけなそうなっていく時代に 連動してて理性も大事だけど俺たちの感覚大事じゃねって言ってるのがロマン主義
8でちょっと注意しなきゃいけないのはすべての哲学がロマン主義に打って変わられた わけではないそうです
哲学とか科学というのは今にも続くずっと大きな流れでそれがガラッと買ったわけではない が一部の人たちがロマン主義と言って感性の大切さを訴えたという動きがあった
ということですね このロマン主義もなくなったわけじゃなくて今でもある
アートを楽しむみたいなのはロマン主義の大きな流れと言ってもいいかもしれない 当時言われたロマン主義ロマン主義音楽だけの話ではなくて
ビクトル融合 という人が例ミゼラブルっていうね
映画もありましたね水の文学として書いたり あのこう
裸の女神がこう旗持ってフランスの三色旗を持ってこう 平民を導いているドラクロはっていう人が書いた三色旗を手にした女神っていう
美術とかああいうものがロマン主義の代表的な美術あるいは文学と言われています このロマン主義というのは理性にとって変わったものではないということを中記しておきます
科学と宗教の影響
はいこっからえっとねちょっと大体さっき喋ったかな なんかちょっと私の現行では1600年以前からどんな風に変わっていったかっていう話を書いたんだ
けど今話しながらだいたい話しちゃったよね ちょっとポイントだけ言いますとまず書物とか伝聞が重視された時代があったって先言いました
よね でこの時っていうのは実験をしても
あの それが正しい実験が正しいとは見なされない時代だったと言われているということですね
でまぁ典型的な例が天道説ですね ガリレオガリレーが地道説を訴えたけどあのそれがまっすぐには受け入れられなかった
それはあの目で見たら明らかに明らかにというわけじゃないな だから目で見た証拠からすると地道説の方が説明がつくわけだけどその説明がつくから
正しいとかじゃないよみたいな時代だったということですね でもまあこのガリレオガリレーがかなり
天気も境目となってそれ以降の人たちがだけどやっぱりため確かめてみたことの方が 正しいかもよって言い出すんですね
私が以前にその方法除説デカルトの方法除説の話をポッドキャストでもしたんですけど そのデカルトさんはガリレオガリレーが言ってることなんかもすごく影響を受けて考えたことの
方が正しいんじゃねえか そう思って世の中を見渡すと暮らしがめっちゃ豊かになるぞって言ってるんですねこれは
方法除説でそう言っていて方法除説のその方法って何のことかというと考え方の方法の ことを言ってるんですね
除説ってのはそのスタートのことですねその反対方のスタートの話として あの書かれたり伝えられてきたことを信じるんじゃなくて自分で考えたことを信じる
っていうやり方やってみめっちゃいいぜこれっていうのが方法除説です
でその時代からこの理性を重視する流れが始まります でここでね私がすごく参考にしているのは
えっとねシェイピンっていう人が1995年ぐらいに帰った 科学革命とは何だったのかって本を読んだんですね
そこで最近読んだんですけどこの本に読んですごくなるほどって思ったことがいろいろ あってでそれがさっき喋ったみたいにかつてはその確かめてみるっていうことは一般的じゃ
なかったし確かめてみたことが正しいとは言われなかったっていうのはこのシェイピンの 科学革命とは何だったのかって本に書いてありました
で もっと遡ると結構一つの天気やっぱり宗教改革にあったそうです
宗教改革の以前っていうのは本読めるあの文字を読める人がほとんどいなかった だけどだんだん識字率が上がってきて読める人が増えてきて
文字を読める人があんまりいないんだから 聖書をいっぱい印刷したって読める人がいないんだからあんま意味はないわけだけど
まず読める人が増えてって読める人が増えていったら聖書に書いてある 何書いてあんだろうって話になるわけですね
でそれ以前は自分で聖書を読んで何が書いてあるかを読むわけじゃなくて牧師さん 聖職者の人が言ってることを信じてたんですね
歴史的文脈と宗教改革
だけどあの結構これは識字率が上がりさっき言ったヤンフスの話さっき たまたましたんだけどヤンフスはまさにマルティンルーターの宗教改革よりずっと前に
ヤンフスも聖職者の人でいやなんか教会の皆さんが言ってることと聖書に書いてあること違うんすよねって彼は字が読めたわけですね聖職者だからね
って言ったっていう古い時代の人がそうなんですそれがまたずーっと100年ぐらいずーっといろんなところで言っていてあの
ジョンウィークリフっていう人がイギリスで言い出したりとかしてなんかといってもうずーっと問題になってる奴がマルティンルーターがドバーンって言ったっていう
あの 南華城のなんとかっていうやつねっていうように読めて確かめると
なんか違うって言われてたことと違うっていうのの最初の体験はこの宗教改革だったであろうとこの さっき言った本にも書いてありました
それはが1400年とかね500年かあの1500年代とか まあ1500年代にルターが始まるよりもその前からもう動きとしてあるみたいな
そういう時代感なんですねでその先でそれでもあの社会的にはまだ1600年 ガリレオガリレーとか
デカルトが生まれ出てくるまではまあそんなこと言ってもこう 科学とか哲学とか話で言うとあの書かれたものが信じられていると
でそれがだんだんその地道説とか話になってくると望遠鏡を使って確かめてきてみてください これ言ったらこう言えるちゃうじゃないですかみたいな
こう こうまあ道具がだんだん整ってくるんですね
その昔アリストテレスはそのようは土は下に行く性質がある 日は上に行く性質がある
こいつらの性質によって上に行ったり下に行ったりするんだって言ってたけどそうじゃ なくて重力っていう誰にも等しく作用している力の結果
人間も足にもとで地面に立っているし手を離したら石も落ちるし 石の性質とかじゃなくて重力っていう統一した力あるんじゃないですかみたいなとか
こういうのもすごい発想の転換だったらしいんですね その性質を信じてたのがアリストテレスとか昔の時代ってことね
でこういうことが始まっては理性の時代にだんだんなっていき
ブルックナーとオーケストラの変化
で理性の時代からまたそれが真空とはなんだとかなんかいろんなことで実験とかし始めて 科学になって科学がだんだんあの技術になっていくっていうことですねでブルックラーが
いた生きた1800年代には鉄道が走ってて蒸気船が走ってて街灯が街には街灯が灯って これもなかったですモールス信号というのも生まれていたそうです
で蒸気機関を使って防石技工場ですね 糸をどんどん紡いででメン製品が大量に使われるんだ服が一気に安く手に入るよう
なったそれ以前はこうギッタンバッグもこう 編んでたとかねあとキーキーくるくる
糸を紡いで面から糸を作ったのがあのものすごい大量生産できるようになったり 陽光炉って鉄を溶かす技術が発達して鉄鋼製品がどんどんできるようになって
鉄道が敷かれたりとか エッフェル塔が建てられたりとか
エッフェル塔って何のタワーか知ってます 当時フランスで行われた万博の目玉
構造物 だそうです
だからの太陽の塔とかもさ まあエッフェル塔の流れ組んでるのかもしれないですよね
まあまあいいやあれもなんか鉄鋼構造物鉄で作ったあんな高いタワー すげーっていう時代ですよ
エッフェル塔建った時ブルックナンさんの帰国どっちが先かちょっとわかんないですけど まあそんな時代
で 暮らしが豊かになっていったわけですね
劇的な変化だったと思いますねおそらく今 ai ではは言ってますけれど まあ同じかそれ以上
どんどん暮らしが変わっていくで暮らしが変わっていくだけじゃなくてその暮らしと ともに社会構造が変わっていくっていうのはそうですよね
1789年にフランス革命があって人権宣言とか 言われるわけですがそれ以前人権という言葉がないしね
民主主義もなければ人権もないそれがその科学技術とともに産業が生まれてビジネス 構造が変わって人の権力構造が変わって社会構造が変わっていくってもうとんでもない
混乱というか時代が動いている時に 確かに
一般の人たちはお金を手に入れた前回話したように コンサートホールで音楽を楽しむようになったそれがオーケスト
だからブルックナさんは自分で教会でオルガン弾きをやる方はら 一般の人たちが聞くオーケストラを書き始めたってことなんですよね
でその一般の人たちが聞くオーケストラという存在そのものがもう 科学技術とかその社会構造変化の賜物なわけですね
お金を払ってたくさんの人が座席に座って一つの音楽を聞くっていう その営みそのものが
あの なんて産業革命とか科学の結果ブロジオ味の結果みたいな
なんかそういう感じなんだけどそこに ロマンティックつって
こう 感性の大事さを訴えるわけなんだけど
あの 当時この感性の大事さを訴えた時にブルックナーのようにそれを新生性
キリスト教的な神様とか超越的な存在と紐づけてた人はばかりではないらしい ないらしい
だけどあの このブルックナーはその出自もあってここのこのロマンティックっていう感性人間の感性に
この人の感性というのは神が与えたまを保った 大事なものだよねっていう
思想を持っていたってことなんだと思うんですよねごめんこれも私の解釈これ すごい大事なところなんですけど私の勝手な解釈です
私の勝手な解釈なんですけれども まあ相当読み取れるじゃないかと思っているわけ
このロマンティックロマン主義が重視する感性 人間の感性というものは神様が与えてくださったものですよねと
これが大事なんじゃないですか って
だからロマン主義っていうのは理性の反発である これはブルックナーに限らずいろんなロマン主義を
押し進めた特に芸術活動とか文学活動の中で共通していることなんだけど ここにブルックナーはその神様という要素をブレンドしてブレンドしてというかまあ
そこにつながりを感じて このロマン主義が理性で忘れかけている感性この感性には神様が与えたものじゃないですかっていうね
逆に理性がの哲学とか啓蒙とか哲学の方はそのうち あの
ニーチェがね神が死んだとか言ってサラッドストラー各語り君 あの言ったりするように理性の方が少し神のまあもともとキリスト教的な考えから
スタートしているんだけど一部で離れていく動きもある中でブルックナーは あごめんなさいニーチェとブルックナーのちょっと生きた時代がどんぐらい一致しているかずれてるか
お金で言ってるんですけど流れとしてロマン主義にこう 神様的なキリスト教的な神様性を
感じてたんじゃないかって思うんですね なんでブルックナーがこの曲で言おうとしているものは理性的なものの科学そして豊かな
暮らしと 感情感性的なものイコール神様がくれたもの
この2つを対比してるんじゃないかっていう 話なんですね
音楽の意味と個人の解釈
これちょっと今日の話のまあ前半中旬ぐらいに打った 豊かになったなぁ
毎日楽しいなぁ穏やかだなぁっていうところとそれがちょっと揺らいだり 不安さや危うさを感じてどうしよう大丈夫かなぁって思ったところに
神の音楽が聞こえてくるみたいな感性の大事とこうであっそうだった神って偉大だ 大切だって思ったと思ったらまたちょっと楽しさをもう一度感じちゃう忘れちゃう
神の大切さを思い出したけど大切さを忘れちゃうみたいな 忘れたと思ったらもう一回思い出すみたいなそういう感じかなぁと思って
ブルックナーの公共局第4番 ロマンティックっていうのはめちゃめちゃ繰り返すんですよ似たような音楽を繰り返すのはその
思い出したり忘れたりしている様子なのかなぁって思って私は聞いてるんですよね でこれね注意が必要なのはどっちが理性的かっていう
あの
ブルックナー公共局第1番はし
ミシー シミミシーっていうあのすごく
シグナルのような信号のようなメロディックではとてもない 信号のような音から始まるんですねこれホルンのソロなんですけどこのソロ私が担当する
ことになってるんですけど これ
はあのちょっと理性的じゃないですか 信号だからねなんだけどこっちは
感性の方です これは神様の方です
そうじゃなくてこの後ろに第2主題として ラッパパーラッパパッパー
ラッパパーラッパパッパー リラリラリラっていうメロディーがあるんですけど
こっちの方がね豊かな暮らしなんですね こっちの第2主題の方が豊かな暮らしで
しミミシーとかラララララララー アー音痴すぎる
ラララララララララララララララこの203連っていうものを含む メロディーとかこういうのは神様の主題だと思いますね
で神様の主題神様の主題ってすごく雑な表現だから私 自分で言いながら好きじゃないんだけどまぁ
シグナルと言いましょうシグナルのような音楽とメロディーの音楽が交互に出て くる
このシグナルのような高額音楽はあの神聖な方です メロディーの音楽が豊かな暮らしでこれ豊かな暮らしの背景には科学技術があり
科学術の背景には理性がある でラタッター
ラタタッターとか言ってこう穏やかに楽しいなあってなってるところから それがたったたったらたとたとたとたとたラッターターンとか言ってこう段々不安になったと思ったら
パンパンワッパパパーンってこうまだ偉大な神様の音楽が始まってこう 交互に交互に行って
で一学章の最後なんか本当にこの偉大な あの
なんていうか 感性のね 神聖な シグナルの音楽で終わるんですけど
そういう 仕組みになってるのかなぁとか思うと
この曲が楽しく聴けると私は思ってるんですね だいぶ長く話してきましたけど
そうなんです だから
まあ最初に言ったように 言葉がない
時代 ああごめんなさい言葉はあるんだけど コンサートホールのような広い場所でたくさんの観客に言葉を届けることができない
それが難しい時代に 生まれてたくさん作られたのがクラシックのオーケストラの音楽であるんですね
でも言葉がなかったり映像がないからといって意味がないのではなく 当時の人たちの
時代観とか
彼らが経験をした時代の変化を
再確認してみると 一つ一つの音楽が何を言わんとしてるかっていうのがなんとなくわかってくるんですね
でこれ音楽の楽しみ方自由なので 正解とか正しさはないと思います
だけどあの私の個人的な楽しみ方としてそういう時代に書かれた こういう人が書いたこの音楽の
このメロディーだからきっとこういう意味じゃないかな それとすごくキャラクターの違うこっち側のメロディーは
こっち側の意味じゃないかな これが揺れ動くように交互に演奏される
これこの第一学習本当に繰り返しが多くて退屈なんですけど なんだけどこの退屈さもなんかこうなんていうかな
ある意味だらしない人間が思い出大事なことを思い出して合わせ 思い出しては思い知らされるそういう繰り返しかと思うと
なんかだからちょっとねあの長めの映画の めっちゃいいシーンが後半にあるんだけど前半ちょっと重たくてこうなんか
あの 楽しみにくい映画の
あの に似てる
感じで あのその意味を味わいながらこう
ちょっと 繰り返してなーって思いながら一学習を聞くわけです
それが私の なんていうか
ブルックナーの交響曲とその魅力
この曲のブルックな高級曲第4番の 楽しみ方です
で私がねあのすごく好きなシーンは第4学習にあるんですね
第4学習の構造も結構似ていてあの信号的なシグナルのような音楽とメロディック な音楽がわりかし交互に出てきます
なんだんだけど本当にね途中 あれ普通の演奏で言ったら何分ぐらいのところかな
4学習の10分目ぐらいかな のところに
ヴァイオリンがピッチカート奏法って言ってこう ヴァイオリンて普通弓で弦をギコギコ飛行こするんですけど
指で弾く奏法ピッチカートって言うんですねポンポンポンって音がするんですけど そのバイオリンがピッチカートをするシーンシーンがあるんです私そのシーンがもう
好きすぎて涙出るぐらい好きで あそこがね本当に
あの なんだろうなぁ
1学章で出てくる神様の姿ってちょっと怖いんですよね すごく信号的でさ
なんなんかねー その手が届かないというかすごく遠くに感じる
んですよで人間の暮らしとの隔たりをちょっと感じるんだよな 1学章の場面では
それが何かね4学章になっていくとだんだんそこに決して触れることはできないんだ けど近づくようなそれは人間が思い出すから近づくのかも大切さを思い出すから
近づくのかもしれないか 私全然キリスト教の信者ではないんですけど特定の信仰を一切持ってないタイプなんですけど
でもそう思って聞くと楽しいんで4学章は 結構その
あの神様の大切さに人間がは学校ちゃんと思い出して近づくのもあるのと同時に 神様側がこう近づいてくれそれはね神様が近づいてくれるのかもしれないし
そのなんていうか イエスという存在が
それを ならしめてくれているのかもしれないんだけどそのピッチカートの瞬間はね
ものすごく優しさを感じる
トントントントントントン トントントントントントントントントントントントントンってこう
もうねその瞬間が好きすぎてもうその支援のためだけにある曲を聴いてると言っても過言で あんまそれと本当に4学章のクライマックスは
一部で無限音階で表現されたりするような 終わりのない上昇音形をずっと演奏するような感じで終わっていくんですよ
そのクライマックスも大好きなんですよね そんな感じでブルックナーの高級曲第4番という曲を楽しんでいます
ということではい だいぶ長くしゃべっていきましたけれども最後まで聞いていただきありがとうございました
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