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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、
基準は一つではない、というテーマで話をしていきます。
はい、基準ですね。
一つではないですよ、と。
自分がいる世界、あなたのいる世界、
すべての人がそれと同じような基準を持っていると勘違いをしたりだとか、
頭では分かっている。
言われれば、それはそうだと思う。
ただ、何か一つのことにコミットしていると、
集中をしていると、
周りが見えなくなってしまったり、
自分の所属をしているところの、いわゆるルールですね、そうしたもの。
これが自分自身の世界であり、
ひいては他の人にも当てはまる、
そうした基準だというようにですね、
勘違いをしてしまうようなことがあります。
常識だとか価値観だとか、そのようなことに通ずるものではありますが、
その中でも基準というものもあって、
日頃からですね、このような基準は一つではないんだなと、
そのようなことを分かっておかないと、
人の言うことに対して聞く耳を持たないというような、
厄介な人になってしまうような可能性もありますので、
このようなことを知っておいてもいいんじゃないでしょうかと、そのようなことですね。
基準が一つではないということは、あなたも聞けば分かると、
それを納得するかしないか、受け入れるか入れないかは別として、
それは分かるかと思います。
これのいずれの世界で生きていくかということを選ぶのもあなたの自由で、
というのは基準は一つだと。
私は私の世界でいく。
そして自分を中心として、
他の人にも自分の展開をする世界を共有していくと。
自分のことですね、真ん中に置いて、自分が基準でそれを広めていく。
そのようなこともあるでしょうし、
もしくは、基準は一つではないというようなことを、
念頭に置いて人と関わる上でも、他の人の言うことも受け入れつつ、
いろいろな基準があるということを分かった上で生きていくというような。
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これもどちらが良い悪い良し悪しではないですから、
好きな基準で生きていけばいいと思いますし、
さらに言うと、基準が一つだと思っている人と、
基準がいくつかあるんだなということを思っている人、この両者がですね、
相入れるというようなことはないですから、
たとえ今同じような空間にいたとしても、
いずれ離反をしていくような、離れていくようなことになりますから、
どちらがどちらということでもないです。
ただこうしたですね、基準が一つではないというようなこと、
世界は一つではないというようなこと、
みんなが見ている世界はそれぞれ各々違っているということ、
これは分かっているけれども、日常生活をしていると、
どんな人にであれ、自分の生活の中心となっているような空間だとか、
組織だとか、何を軸として活動しているのか、
中心となるものが何かしらあるかと思います。
それは私もそうですし、そうしたことはあるんですけれども、
その中でですね、生活をしていると、
どうしてもそのことに対して視点が前のめりになりがちになる。
ふとした時にこうしたことを思い起こしておかないと、忘れてしまうんですよね。
自分と違う価値観を持っている人がいるのが当たり前だったと、
自分の考えが全てではなくて、いろいろな世界があるというようなことを没頭していると、
仮にあなたのいる世界と違う世界の人とですね、ふとした時に出会った場合、
自分と違うことを思っている、考えている、自分と違う基準を持っている相手に対して、
敵対的な反応を取ってしまったりだとか、
これは理性で判断するより先に、反応としてですね、咄嗟に出るようなこと、
そのような反応をしてしまうようなですね、場合がありますので、
こうしたあなたがいる世界、私のいる世界、
それは全ての人の基準ではないと、勘違いをしないようにという、
自分の価値観基準、手に強要した上でも、強有ではなくて強要ですね、
強制的に相手にそのような思った方がいいよ、間違いがないよと、それは間違ってるよと、
そのようなことを言ったとしても、全く響かない。
仮に同じ世界にいたとしても、完全に意見が合致するというような人はあまりいませんから、
これがまた別の世界で活動しているというような人、
こうした人に響かないというのは、それはそうですよね。
その上で、基準が一つではないのか、そうではないのか、
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このようなことに対してでも、これがしっくりこないなと、
かつ、受け入りたくないというのであれば、それは受け入れなければいいでしょうし、
逆にこれまで何か違和感を感じていたことがある、
つまりところ、基準というもの、
そのようなことに付随するようなものなのかなと納得できるのであれば、受け入れたらよろしいでしょうし、
好きな方を選択をすればいいと思います。
さらには、どちらを選択するというよりか、どちらもない方をしておくと。
基準を一つと定めて、所得申しん、目の前のことに全力でコミットする、
そのような状況があってもいいでしょうし、
またそうではなくて、基準は一つではないというようなことを考えつつ、
周囲の意見を取り入れていくというような、そのような状況があってもいいでしょうし、
それは一人の人間が行っても全く構いませんよね。
それを決めるのは自分で決められるわけですから。
誰に何かを言われようとも、私は両方とも持っていますよと、
そしていずれの私も本物ですよと、
そのようにですね、決めておけばいいことなので。
まあ、何ですかね、基準というもの、これはとりわけ日本人、
私も日本人ですけれども、
こうしたこと、好きな人多いですから、私は嫌いですけど、
この基準がね、基準というそのもの、定義をするということそれ自体が、
私は嫌いなんですけれども、好きな人もやっぱり多いというところもあって、
思うに、こうしたことが好きか嫌いか、言い悪いじゃないですよ。
好むか好まざるかというところで、こうした基準というものが好きだと、
明確な決まりがあった方が分かりやすい。
それが一つであればあるほど分かりやすい。
そのような場合はですね、集団に紛れることが向いてるんじゃないかなと思いますね。
それはまた逆で、これはそうではないなと、
あんまり好きじゃないかなというようなことであれば、
集団には向いてないでしょうし。
私自身がですね、こうしたコミュニケーションの技術というところで発信はしてるんですけれども、
何か集団にですね、紛れるということが自分には向いてないんですよね。
それは自分自身のことをよく理解をするというようなことでもあり、
別に言い悪いじゃないですから、何回も言いますけど、
ここね、結構勘違い、誤解するというか、
何でも白黒をつけたがるような人もね、多いですから、
繰り返し言っておかないと、どちらかに偏った意見を持ってほしくないというのもあるので、
コミュニケーションの技術を活用する上で、大事なことは、
いずれの意見も持つ、心を平穏に保つということなんでね。
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だからこそ、いいか悪いかとか、好きが嫌いかとか、
どっちがいいです、悪いです、ということではないですよ、
ということは、今回に限らずずっと言ってるんですけど、
それでもなお偏る場合もあるので、
これもね、基準が一つではないというようなところに立ち返ってみて、
ああ、そうしたこともあるんだなと、そのようなことを知っておくのもいいかと思います。
つまり、何が言いたいのかというと、基準は一つではない。
これはこのような考え方を持っておくと、
自分がいる世界が全ての人の基準だと勘違いをすることがなくなりますよと、
あまり聞く耳を持たない厄介な人にもならないですよと、
どっちを選んでもいいですから、もしくはどちらも持っておいてもいいですから、
受け入れるのか受け入れないのか、自分で決められることですから、
好きなように選んでいってください、もしくは選ばないでいてください。
少しダソゴになるかもしれませんが、こうした概念的な話をですね、
理解ができるようになると、さらに人生がですね、楽しくなってきますよ。
これも良いか悪いかではないです。
はい、ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。