深刻そうに話すとは
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、深刻そうに話すという話をしていきます。
はい、深刻そうに話す、ですね。
話し方というようなところですかね、伝え方というか、
あなたが相手に話をするときに、深刻そうに話すようなこともあれば、
話を聞くときに、なんだか深刻そうな話だなという雰囲気で話をし始めると、
し始められるですかね、ということがあると。
こうした深刻なこと、深刻そうにということですから、
本来はそこまでのことでもないのにもかかわらず、
なんだか意味ありげに、含みのある話、やたら前置きが長いとか、
これからどんな深刻な話をしてくるんだろうと、
声のトーンとかね、話し方もそうですよね。
そういうことをしたりされたり、別にそれがダメとか悪いとかそういうことではないんですけれども、
実は深刻そうに話をしていますが、もしくは話されていますが、
それほどのことでもないなと、なんでわざわざそんなふうに話をするんだろうというふうにですね、
そういうことを思ったり思われたりすることもありますよね。
ですからこの深刻そうに話すというようなことは、
本当に深刻なことを話すとき以外にはあまり使わない。
ですが、使い方次第では、これもまた便利な技術というようなところですね。
前置きの長さと影響
それでね、こうした深刻そうに話すというようなことがありますと。
特徴はね、やはり前置きが非常に長い。
おそらくその話をしている話者からすると、
そのことをね、深刻じゃないことなんだけどなと思いながらやる人はなかなか少ないと思うので、
別にわざととかそういうことじゃないと思うんですよ。
自然とナチュラルに中身を話すことがちょっと、なんていうんですかね、
はばかられるというか、ちょっと言いにくいことなんだけれどもと。
だからこそオブラートに包もう包もうとして、ひたすらに前置きが長い。
気づいたら本題がどこかへ行っていたなんていうようなね。
そういうことにもなりますよね。
これをね、言っている私自身が、こうしたコンテンツ上で
前置きが長くなかなか本題に入らないなんていうような時もあるんですけれども、
コンテンツ上やってますからね、私の場合は。
もちろんプライベートでもふとした表紙に、あれちょっと全然深刻なことでもないのに、
自分自身深刻に話しているなぁなんていうこともあるんですけれども、
ある程度ね、尺がないと、
テーマによって、結論によって、終わりだとよくわからないということもあるので、
あえてね、前置きが長いというようなこともあるんですけれども、
とはいえ日常の会話において、あまりにも前置きが長すぎる。
やたらおそろおそろ話をする。
ちょっと深刻そうな感じ。
これをね、頻繁にやっていると、
なんだかこの人と話すの面倒だなと。
時間も食うし、なかなか聞きたいことを話さないし、
そもそも何が言いたいのかわからないし、
ちょっと話すのやめようと。
そういうことにもなりますので。
たとえあなたがこれから言うことはちょっと深刻なんだよなと思っていたとしても、
あまり相手に聞き入れられない。
相手はそうは思わないようなこともありますから。
仮に深刻そうに話をしている節があるかなということであれば、
ほぼ不要なことなんじゃないかなというふうにですね、
ちょっと自信を振り返ってみてもいいと思います。
とはいえ、深刻そうに話すということは絶対しないと。
そういうことではなくて、
さっきも言いましたけれども、
使い方次第で非常に便利な技術となっていくことなんですね。
それは先ほどまで話していたことと若干矛盾するように感じるかもしれませんけれども、
かもして出しているその深刻さ加減が本題ですね、
話の中身より上回っていると、
本来深刻な内容なんですけれども、
深刻だと感じなくなるというようなことが起こります。
相手のことを表紙抜けにさせるというような感じですかね。
あまり頻繁に使いすぎるとちょっとなというふうになることもありますので、
ここぞという場面で使っていただきたいんですけれども、
かつその中身ですね、話の中身というものが、
本来そのままフラットに伝えたならば、
相手を驚かせたりするような内容、
いやちょっと軽く話をする内容じゃないなというふうになりそうな中身があったとしたらです。
本当に中身すっかすかの話で深刻そうに話し始めても、
もうなんだよと、何それというふうになりますので、
あくまであなた自身の判断でいいんですけれども、
中身が深刻なのか深刻ではないのかというような、
ここの加減というものがなかなか、
それもまた人によって差があるので、
一概には言えないというところがちょっと難しいところではありますが、
人の死の深刻さ
とにかく話をする中身よりも、
深刻そうな雰囲気でそれを上回るということをする。
これをすることによって、中身をね、
たとえどれだけ深刻な内容であってもそうは感じなくなるということなんですね。
イメージできる深刻なことといったら何ですかね。
本当に深刻そうなこと。
万人に共通するとなると、やっぱりこう、
人の死というようなことになってしまいますかね。
これで例えるのはあまり演技がよろしくないんですけれども、
分かりやすいので、ちょっと試しにこれをやってみると、
いや、実はさ、ちょっと話したいことがあって、
誰かに言うのもはばかられるというか、
非常に言いづらいことなんだけれども、かつね、
なんというか、思い出すのもちょっと辛いというか、
ただどうしても吐き出しておかないと、
自分の中でどんどん苦しみが蓄積していっているから、
これを話せるのもあなただからこそということもあるんですけれども、
あまり重く受け止めてもらわなくても全然いいんですけれども、
ちょっと聞いてもらいたい。
実はですね、最近、私と近い人が亡くなってしまったんですよ。
非常に言い方だったんですけれども、
なんていうような感じですかね。
ちょっとごめんなさい、これ上回れなかった気がします。
この例えは良くないですね。やってみて思ったんですけど、
ここまで深刻でなくても、日常の生活の中において、
深刻なことがあれば迷いを生き長く、
なんだなんだと、まだかまだかと相手に思ってもらった上で中身を話すと。
ちょっとごめんなさい、この例えは良くなかったです。
やはり人の死を上回る深刻さはないなと話していたと思いました。
大変失礼しました。
つまり何が言いたいのかというと、
深刻そうに話す。
これは深刻なことではないんだけれども、
深刻に話すということ。
話されるというのは特になかったですね。
話す側ですね。
深刻そうに話すということで、
例えば、なんだか非常に意味ありげな、
含みがある前置きの長い話。
ひょっとするとこれらはほぼ全て不要かもしれませんと、
どうでもいいようなことを深刻な雰囲気で話すと、
それが何ですかというふうに、
そういうことにもなりますので。
とはいえ、使い方次第で。
深刻そうに話す、その話し方が話の中身、
本題、核となる部分より上回っていると、
本来深刻な内容なんだけれども、
深刻だと感じなくなるようなこと。
そういう話し方に使ってくださいということですね。
今日ここでわかったことは、
人の死より深刻なことはないということですね。
私も勉強になりました。
あとは、深刻、深刻ということは連呼していましたが、
深刻という言葉の反対は何て言うんですかね。
対義語と言いますか。
深刻の反対は何ですかね。
気になりますね。
ありがとうございました。