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  2. #18 運動会の現状
2024-07-29 00:00

#18 運動会の現状

運動会の「当たり前」は狭い世界の話で、いろんな運動会の仕方知ると見え方も変わるよ、という話。

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Taeと Kumikoの 栄養カフェ
このラジオは、私たちが日常生活で、これって興味深いなぁと感じたテーマについて、10分ほどでお届けします。
では、くみちゃん、今日のテーマは?
はい、今日は運動会のあれこれについて話してみようかなと思います。
はい、運動会。同時に運動会行きましたね。
そうですね、小学校の息子の運動会に行ってきたんですよ。
で、ちょうど校長先生が今年、変わるタイミングだったんですけど、そしたら年間予定票をもらったら、今まで10月の運動会がもう何十年も続いてきた学校が、春開催に変わったんですね。
ああ、やっぱり校長先生が変わると、そういうふうに、例えば熱中症対策なのか、いろいろあると思うんですけど、
こんなふうにして、トップがやっぱり考え方変わると、時期っていうのも変わるんやなっていうのを、すごいリアルに感じたんです。
で、今まで子供たちの春開催、私は人生で初めてだったんでね、いろいろ子供の様子を聞いてたりしたら、
例えば、リレーとかあるじゃないですか、リレーとか、トーキョーソーとかね、そういうの自分が子供のときに、どうやってあれ先生決めてたかなと思ったら、
だいたい同じぐらいの50m走のタイムの子と、なんか4人で競争みたいなのなかったですか?
なんか、たぶんそういうふうにしないと、背の順にしたらね、おかしなことになるじゃないですか。
そしたら、あれ、5月末に運動会開催ってことは、そのタイムがないじゃないですか。
ああ、そうか。
スポーツテストって、4月に学年変わったら身体測定して、いきなり体育は最初にいろいろ計測をするみたいなのがあったけど、
どうするんやろうと思って、子供に聞いたら、50m走とか、なんかそういうのに関わりそうなものはね、先にやったらしいんですよ。
ああ、その運動会の先行に関わりそうな、そうそう、スポーツテスト。
全部終わったん?って言ったら、まだハンドボール投げとかはやってへんって言ってて。
だから全部やるほどの時間はね、4月5月で取れない。運動会の練習もしなあかんから。
だから、でも50m走はやったって言って、でもそれをしないとリレーにしてもチーム分けはできないし、
先生たち、校長カーって急に大変やったんやろうなって思う。
おんまやね。
そう、で、無事に終わったんですね、運動会は、そういうふうにして。
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で、子供たちもすごく楽しそうだったんだけど、
コロナがあって、コロナ前までって運動会で言えば、一大イベントで午前にあって、お昼ごはんみんなで食べて、午後やってみたいな、
お母さんお父さんは地域によっては、朝早くから場所取りをして、小座引いてみたいなのが、昭和ならではのがずっと続いてたけども、
コロナでなくなったと、私の地域は、午前開催だけに変わったんですよ。
で、いろんな催しというか、子供の出し物も、昔はダンスとか、すごい踊りをやるとかね、
踏み体操とか、この一大イベント的なものがあったので、それが一切なくなって、
走る競技と、走るのと、一つ、棒を倒しとか、綱引きとか、玉入れみたいな団体競技、学年団体競技が一個、で、走る競技が一個、で、各学年二つだけ。
だから、プログラムが全部で十二個だけになったんですよ。
で、コロナ後、そういうふうに始まって、今もだいぶコロナからね、日常に戻ったけど、結局、半日開催は変わらずで、元の形には戻ってないんですよ。
でも、すごく親側としては、場所取りしなくていい。
で、見れる場所も限られてるだけに、学校はどうしてるかっていうと、
一番トラックの前の見やすいところは、その競技の学年の保護者と入れ替えをしてくれるんですよ。
今から三年生の競技なので、三年生の保護者の方が前になるように、別の学年の方は後ろに下がってくださいって言って、前を入れ替えてくれるから。
そうみたい、子供はバッチリ見えるし、朝早くから場所取りもしなくてもいいし、半日で終わるから、
お母さんはお弁当をみんなの分作ったり、みたいなこともしなくていいし、っていうようなのが、これが今時のスタイルなんだと思うと、
私が子供の上の子の時は、踊りとか組体操的なのあったので、子供の成長はそこですごく見れたけど、
でも、今の形しか知らない今の子にとっては、あれができないのは残念だもないし、そもそも知らないから、
なんかこんなふうに、どんどん仕組みって変わっていくのかなっていうのをすごく感じました。
あと、いろいろハンディのある子も学校に来てるんだけれども、すごくインクルーシブだなっていうのを感じることもあって、
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フルマエスの子とかね、いろんな子がいるんだけれども、かなり体的にいろいろ運動に取り組むっていうこと自体が、
そもそも、全部が難しいぐらいの死体不自由なね、お子さんがいらっしゃるんだけど、その子を見てると、
バトン、リレーの時にバトンを第一走者の人に渡すっていう役割を先生が作っていて、
そう、クルマエスで先生が押して、グラウンドに来るんだけど、
最初の第一走者は、その子が何メートルかクルマエスを動かしてもらって、その子からバトンを受け取るっていう役割をしててね。
最初、最後の5メートルだけ一緒に走る子とか、昔、昭和の時代、私も子供の時そういう子っていたけど、
そこもなかなか難しいぐらいの子でも、こういうふうになんか役割を作っていると、
やっぱり小さい時からそういう子が身近にいるっていうのを知ってるか知らないかっていうのは、子供たちにとってもすごく違うだろうなっていうのを感じたんですね。
この子はできない、こういう難しい子だから運動会は出ないじゃなくて、
この子はだからこういうふうにする役割をしながら一緒に参加するんだみたいなね。
そういうのをなんか間近で見れて、学校の先生方もやっぱり時代とともにね、こういうことも求められているというか、そういうことをするようにそうそう変わってきているんやなっていうのをね、すごい感じましたね。
昔のようにこうなんか赤、当然子供たちは赤組白組どっちかつかみたいなのにこうなんかすごい一喜一憂はするんだけれども、
なんか保護者っていう目の視点で見てみると、すごく多様な時代になってるなっていうのは感じましたね。
たいさんのところはどうでしたか?
私も同じように木の運動会に行ってきたんだけど、かなり特殊な学校なので、支援学校なので、なかなか面白い運動会でしたね。
リモートでやる運動会。どんな感じだと思います?リモート運動会。
何か所かつなぐっていう感じですか?
そうですそうです。本校に通っていて、で、分教室っていうのが5校、病院の小2課の病棟の中にある教室、5つの京都の中で分かれている教室につないで一緒にやるんですよ。
それで、体育館で大きなスクリーンがあって、そこで映し出してお互いに応援しあったりしてやるんですけど、
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半分はグラウンドでやるの、それは別々でやるんですけど、半分は体育館に集まって、スクリーン見ながら、お互い映しながらやるっていう感じでやったんですけどね。
種目はすごくスクリーンながら、都教祖とリレーと借物教祖とグラウンドでやって、それはまた別々で、分教室は何やったのか、教室でできるちょっとした運動、ピンポン玉を使ったりとか、ペットボトル使ったりなんかするような、風船使ったりするようなやつでやってあって、
で、グラウンドでは、小学校と中学校と全部で、何人ぐらい、20人ちょっとしかいないので、もうミックスでやったり、ほとんど人数が少ないから、すべての競技に自分の子がすでに出てるみたいな感じで、下が小学校、小学生、上が中学生なんで、全部出てるっていう感じなんですけど。
小中合同っていう感じですか?
合同で、はい。リレーも最初小学生が走って、次中学生が走ってみたいな感じ。それも楽しかったし、面白いなって思ったのは、体育館に入ってスクリーン映し出して、分教室では天敵繋がれたあったり、
ベッド上でしか動けない人たちも映して、風船を棒で何回叩けるかっていうのをやってはるのを、体育館のみんなが一生懸命応援して、頑張れって応援するっていうのとか、逆に分教室の人たちが、体育館でやってる綱引きを応援するとか、
綱引きも人数が少ないから、じゃあゲストで親も入ってくださいって何人か入って、私は玉入れに入ったんですよ。一緒になって楽しいんで。
一番楽しかったの毎年やるんですけど、ジェスチャーゲームっていうのがあって、体育館でジェスチャーをして、で、分教室のリモートの人が見て当てるっていう、逆にスクリーンで分教室の人とか、家で過ごした人も入って参加されてるので、家でジェスチャーして、
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で、体育館のスクリーン見たみんなで、赤組の、赤組チームが当てる方、白組チームが当てる方で点数にしてっていうのがやってて、それがね、本当にね、それもなんか小学生と中学生と一緒になって、協力し合いながらやってて、すごい面白かった。
で、子供もなんかジェスチャーゲームがやれるのが楽しみやって、何日も前から言ってて、本当にね、楽しそうやって、で、感動したのはね、またちょっと戻るんだけど、校庭でリレーをやっちゃう、特競争をやった時に、普通にパーンって走るじゃないですか、で、その時に最後の中学生の3人組が走る時に、
よーい、パーンってなった時に、その3人組が、パタパタパタって地面に倒れて、どうしたんやって、うーってなって、言って、演技でね、撃たれた、ピストルの音、そう、音で、ほんで、あれ?ってなって、ほしたら、先生のパンってピストルを動かして、先生が、心配させて押し出して、
それもちゃんとネタになって、そう、ネタになってて、それ、それ、ネタを仕込んだはったんかわからへんけど、なんかそれで、ほんで、苦し、1人は苦しみながら、苦しい演技をしながら、走らはったんですよ。で、それに後について、その後の2人も走らはったんですけど、それ私の時代やったら、何をふざけてんのや、もう1回やり直せって言って、絶対怒られたけど、もう先生も一緒になって、
楽しませるみたいなのが、すごい感動して、どんだけこの先生たちが子供たちを楽しませるかに、一生懸命なってるんやろうと思って、感動したんですよね。
すごいね。
そういう体験をしました。
ちょっと一歩間違えると、いわゆる、間違えるとか、時代が違うと、どんびきみたいな感じにもね、ならざるを得ないみたいなことを、ユーモアを交えて、そうとったんかって言って、先生も乗って、一緒に。
乗って。
ね、その背景には、楽しませたいっていう気持ちが一番あるっていうのが、垣間見えたっていうことなんですよね。
そうなんですよね。
すごいな。
時代が違ったら、そんなことは考えられへんっていうやつでしょうね。
特殊な学校なので、後でその終わってから、校長先生とも話したんですけど、やっぱり大人は、子供たちは感覚過敏とかがあるので、
大勢が苦手やっていうのがあるので、でもそれは子供にしか感じれないので、大人の教員の方から、いろいろ子供たちに教えてもらって、理解をして、それで受け入れるっていうところを、すごくよく頑張ってやってるんですっていうようなことを言ってはって、さすがやなと思って。
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いい先生ですね。
そうですね。
本当当事者じゃないと分からない苦しみを分からない人が、どう思っていくのかって、自分からその世界を知りに行こうとしない限り、分からないですもんね。
知りに行こうとしないと。
それをすごい知りに行こうとしてくれる先生なんでしょうね、その先生はね。
久美ちゃんの話されてた、バトンを渡す役割っていうね、そのバトンを渡すだけでも、それがわざわざ、みんなと同じことができないのに嫌やっていうかもしれないじゃないですか、それをたぶんすごいいろいろ相談しながら決めはったようなと思って。
その先生も知りに行って、いろいろ子供のためにやってくれはった先生が嫌はったようなって思いましたけどね。
みんな個性はそれぞれだから、このやり方がいいっていうのがね、みんなに当てはまるものでもないから、
その背景、どうやったらいいかなっていうところにすごくね、なんか考えられる時間はあったようなってのはやっぱ思いますよね。
でもなんかね、何だろう、運動会とはかくあるべきみたいなのは、あるようでないようで、
でもベッド上で転的をしてたって、やっぱり日常の中で絶対触れ合えない、同じような境遇の子が画面のスクリーンに映って、その子が走ってたら、やっぱり応援は誰だってしたくなるし、
自分のできることをやってることを頑張れて応援してくれる人がいることって、やっぱりすごい嬉しいことだし、
そういうイベントを通して非日常的な、そういうやりとりができる場がある、そういう場が設定されてるっていう、運動会は素晴らしいですよね。
そうですね、あのスクリーンに映し出されたのが、本当にそのベッドにいて過ごされる男の子の笑顔がすごい笑顔で、画面いっぱいで大きなスクリーンに映し出されて、
本当に楽しいなと思って、治療をしないといけなかったりするから、その中で一緒にみんなと一緒に楽しめて運動会参加できたっていうのはすごい体験にならはるんやろうなと。
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そしてまたね、こちらの体育館の方もすごく厳しい状況で治療しながらでも一緒に参加できたっていう、そういう人たちとも一緒に参加できたっていうのはやっぱりね、そのインクルーシブ教育になってるんやろうなと。
そういう人たちもいろいろやっている理解で。
そうそう、そこなんですよ。
自分の周り、自分が当たり前で、自分の接する周りの日常のコミュニティが当たり前ってなってしまうと、それ以外をそもそも見たり知ることができないと、理解をしようと思う経験すらなくなるわけじゃないですか。
でも、分かる、知るからこそ理解しようかな、理解してあげたいなっていう気持ちは生まれるけど、完全になんか違う世界にいると、合わないから自分の周りが当たり前になるってすごい怖いことやなって思いますよね。
そうですよね。
でも、ああやって治療して、つらい治療の子があんな笑顔なんだって見ると、どんな子供だって、いや、そもそもどんな親だって、私も頑張りたいなとか、私もやらなあかな、みたいな、このなんていうかな、そこを通して、なんか知ること、日常の自分ってすごく大変だしって思ってる人であっても、なんかやっぱ勇気をもらえますよね、いろんなところから。
そうですね。
それはありますよね、それね。
例えば、なんかほんとに成果主義の周りのコミュニティに出ると、例えば運動会だったら一番にならないなんて、みたいな、まあ運動会だけじゃなくても、よりいい、よりいい、より成果の高い、より結果を出す、みたいなことが、なんか一番いい、みたいなところにしかいないと、そういう世界は世の中にないって思う。
可能性だってあるじゃないか、スポーツの世界であれ、勉強の世界であれ、なんでも。
でも、ちょっと視点をずらして、なんか広く周りを見てみると、全然違うコミュニティがあって、全然違う自分の世界にはないような、このなんたろう、幸せというか、なんか逆に大変さがあったりすることを知ると、なんかいろいろ物の見方って変えれますよね。
なんか、それってすごい人生大事やろうなって思うんですよね。
ねえ、そういう人たちが大人になって、どんな人にならはるんかなって思うと、すごい楽しみですよね。
ほんと。だから、誰がどうではなく、いろんな、まさに多様な社会だからこそっていうのは、どんどんこの、それこそ、じゃあ同じことを昭和の時代にできてたかっていうと、
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ズームとかオンラインの、そういうものがそもそもなければ、やりたくてもできない時代は当然あったけど、今はそういうものをうまく活用できるような時代になったからこその、このやり方の違いみたいなこともあるんでしょうね。
そうですね。
ということで、今日は今時の運動会について、2人でお話ししてみました。
みなさんはどんなことを感じられたでしょうか。
ではまた。
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