国際法学習の入口と国際関係学部の違い
この番組は、法律ってなんでこうなっているんだろうという疑問を、日本国憲法の3大原則に鳥肌が立って、法学部に入ったなーちゃんと、
法律は専門外だけど、ルールが社会をどう形作るのかについて、関心を持つ本が探ります。というわけで、本です。よろしくお願いします。
なーちゃんです。よろしくお願いします。
前回のブラジルからまた変わって。
最初は変わらないです。
国際法っていうのを最初やろうとしたんですよ。
やろうとしたら、意外となんか教科書しか売ってないぞってなりまして。
そうなんだね。
若干ちょっと国際法っていう本を読み始めてるんですけど。
えらい。
国際法をどの分野で学ばせるかも国によって違うよね、みたいなのが最初に書いてあって。
法学部で学ばせるのか、国際関係論で学ばせるのか。
国際関係論ってなんですか?
国際関係学部みたいなのが。
なかった?違ったよ。
国際関係学部?
法学部の中に国際企業関係法学科があった。
なるほど。
違う違う、国際関係学部は本当に国連とか国際関係、国と国の関係について社会学に近いのかな。
で、いましたよ。
そうなんだ。
その法学部の隣に、社会法学部だったんで微妙なんですけど、隣にあって、めっちゃみんな留学すんなーと思って見てた。
ぽいね、ぽい。
どこかで各国には留学してる。
いいね。あ、必ず行くんだ。
ほぼほぼ行く。
留学されてましたね。
いいんじゃない?楽しそうだね。
英語力がもちろん残った。
帰国子女さんも多く、みたいな。
そういうのね。
そういう学部で国際法を学ばせてるんじゃないかな、日本はどっちかっていうと。
アメリカだと逆に法学部の中にあって国際法を学ぶっていうのが、その米国の司法の中で国際法をどう用いるかみたいなことをやらせてね。
日本で言うと国際関係論とか行くと社会とか政治の方に行くんでしょうね。
外務省とかに行くんだよ、たぶん。
あ、キャリアとして?
そうそうそう。
そんな、到達手はね、一番エリートになるとね。
究極はね、そこを目指す究極が。
外務省、外交官とか。
外交官、わかんない、NGOとかなんだろう。
そう、NGOに行く人もいればいますね。
なので、教科書みんな国際関係論みたいなところに行って探さないとならず、法学の方にねえなと思いながら探してました。
あんまり書きたくないのかな、結構新書とかであるのかなと思ったけどね、そんなにないんだね。
なんか専門家が少ないんじゃないかな。
国際機構の起源:ウェストファリア条約からウィーン会議へ
よく話題になる自衛権とかも、正直日本国憲法の9条は1条だけしか書いてなくて、自衛しちゃダメなんてことは書いてないんですよ。
たぶん、確かそうだよね、平和をしましょうみたいな。
民主党派みたいなことを書いてるけど。
自衛権自体が書かれているのは国連憲章の中なんですよね。
憲法9条反対とか言ってるけど、そこじゃねえって書いてありましたね、国際法の教科書の一番最初に。
自衛権自衛隊の話は別の話だねって思います。
戦争しないというのと自衛しないというのはまた別の話だな確かにと思って見てます。
国際法の論者の方からすると。
でもそういう論調できますよね、政府とか。
憲法9条の話じゃないよねって言ってますね、確かになって思っていて。
というのでまだそっちは調べきれてないので、先におそらく国際法の中で一番代表的なのであろう国連憲章を見ようというのが今回です。
ここは言え、私はあまり歴史を、近代史を全然やってないので、国連って、みたいな感じのとこから行こうと思います。
タクシーはね、懐かしい感じ。ウエストパリア条約とかやったなあみたいな。
国際連盟が国際連合になったのは知ってる。
そこからちょっと調べて。
今回は筑波市選書さんからの国連入門、未年と現場から見る平和と安全。
中山雅史さんと山本英二さんが書いている。
多分国連に知事、何かしらで関わっていたお二人が書いている本のうち1,2章だけしか読んでないですけど、そこに国連歴史が書いてあったんで。
そこだけ見ながら国連と国連憲章をやりたいと思います。
ありがとうございます。
国際機構の歴史。
一番最初に国際機構っぽい国際機構が出てきたのが、1948年ウエストパリア条約。
ここで初めて主権国家制、国家に主権があるよ、主権国家は対等だよ、みたいな。
誰かが誰かの上に立つわけじゃないよ、みたいなことを始めた。
その手前が30年戦争で、要はヨーロッパの覇権争いがあったと。
はいはいはい。
元は宗教戦争だったしですけど、パトリックとプロテスタントから最終的にはヨーロッパの覇権戦争になったってAIが言ってましたよ。
すごいね、宗教から。
ドイツあたりだったんじゃないかな、たぶん。どっちのもんだ、みたいな話をしてたんでしょうね。
ヨーロッパの覇権争の結果、終戦しましょうと。
ウエストパリア条約と。
1600年代。
えー、そうなんだ。
17世紀ですね。これより前もヨーロッパの間の条約とかがあっても、
16世紀はどっちかというとオスマン帝国とか、
民朝、新朝、中国とかの方が巨大で、ヨーロッパの方が弱かったんですよね。
へー。
そんなに表に出てこなかった。
はいはいはい。
ただウエストパリア条約の上では、まだ先世君主の国家が国家間平等だよね、みたいなことを言い出して、
国家間で交渉ができるよね、みたいなことを言っているのみで、
まだそこまで、それこそお互い国際交流自体が少ないっていう状態でしたよって考えてましたね。
まあそれそうかと思って見てました。
で、この後ナポレオンが出てくる。
へー。
ナポレオンがヨーロッパを全部支配しに行っちゃうわけですよね。
うん、そっか。
フランスがね。
ナポレオンが引けるフランスがスペインに行くわ。
ドイツも行ってる?
でも最終ロシアの方まで行きましたからね。
ああ、そっか。
で、そのナポレオンに国と国の境が分からなくなるわけですよね。
そうなんだね。
支配されると。
となった結果、最後ナポレオンが破れて、
ウイン会議というのが開かれます。
へー。
はい。
ここで、
イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセン、フランスの、
まだプロイセンですね、ドイツじゃないね。
プロイセン、フランスの五大指導国体制、ウイン体制というのを築きましょうと。
内容的にはナポレオンの前の状態に戻しましょうっていう。
あ、なるほどね。
ここで有名な言葉が出ています。
会議は踊る、されど進まず。
あ、それがこれ。
そうそう、ウイン会議で出たこと。
へー。
ナポレオン前に戻すと、得する国と損する国があるわけですよ。
あとナポレオン前ってどこやねんみたいな。
確かに。
微妙なのがあって、決まらないんだけど、
多分どっかで途中でナポレオンが閉じ込められてた島かなんかから脱走するんですよね。
ルール作りの試み:ハーグ会議と国際連盟の設立
あ、なんかそうですよね。
そしたら、やべえ決めなきゃって決まったっていう、
いうストーリーを聞いたことがあるな。
ウイン会議というのがありましたね。
1814年から1815年、この後1899年、1907年にハーグ会議っていうのがあったと。
これだから軍縮とか紛争解決の制度作りをしましょうみたいな話で、
初めて立法、法律、ルールみたいなものを作っていきましょうよと。
今まではさ、みんな対等だよねみたいな感じだったのが、
国際的なルールを作っていきましょう、みたいな。
抗戦放棄、戦争を始めるための法律。
宣言しなきゃいけないとかそういうやつ。
そうね、そうだよね。
それがハーグ会議というところで、
国際紛争平和的処理条約みたいなものが作られていますね。
そこで総会みたいなのもあって、一度に対して議論するってやつですよね。
ここら辺が何だろうな。
国際と言ってもヨーロッパの国際法の歴史みたいなところで、
さざっと書いてあります。
もうへーとしか言わないっていう感じ。
整えてったんだね。
何事もあるんですけど、
戦争があったがために国際機構が作られるっていう繰り返しらしいですね。
戦争する、
疲れる、ちょっと決めようか。
戦争する、戦勝国が国際機構を作ってルールを決める。
一国の勝利じゃなくなっていったんでしょうね、だからこれ。
複数国が勝利者になるっていう世界になっていったってことでしょうね、たぶん。
そうですよね。そんな小さい国が集まってるから。
そうそうそう。
これがあり、この後第一次世界大戦が起こるわけですよ。
日本はほとんど参加してないけども。
第一次世界大戦終戦後1919年国際連盟成立。
そうね。
ここで初めて、いや戦争やめようぜっていう話が来ると。
戦争禁止と集団安全保障。
集団安全保障っていうのは国際連盟に入っているどこかの国が攻撃されたらみんなで戦おう。
なるほどね。
俺らの仲間が攻撃されたらみんなで戦うぜっていうのが発生しました。
ただこれは色々不備があって、ある程度小国、小さい国の紛争とかでは取りなしに行ったりとかできたんだけど、
大手の大国さんには無理だったっていう。
大国には無力だった。
あとはアメリカが立てたんですけど、国際連盟って立案者の一つなんですけど、アメリカ自体は参加せずなんですよね。
あとだね。
アメリカの大統領が国際連盟必要だってめっちゃ頑張って立てたんだけど、議会が反対したんですって。
ああ。
あるあるの。
そうだね。
特に集団安全保障。
それってアメリカが攻撃されたわけじゃないのに、戦争に行かなきゃいけないってことっていう。
そうね。
不利益と考えた議会が参加しないとなり、
そうっすか。
アメリカも欠けてる。
だからあんまり力もない。
そうだよね。あんまり力がないくて、ひゅーってなっちゃうイメージ。
そうそうそう。でしたと。
これはあれ、あまりに歴史知らなかったけど、国際連盟の常任理事国だったんですね、日本って。
日本は第一次世界大戦の時は支援してて、ちょっと無駄っぽい。
そう、戦争国扱いだったそうですね。
そういうのも追い風になった第二次世界大戦かもしれないけど。
ここでほとんど日本は発言しなかったらしいですけど、自分たちに関わるとこ以外。
人種差別の反対みたいな、人種を差別するべきではないみたいな密案はしたらしいですね。
そうなんだ。
国際連盟の限界と第二次世界大戦
けどほぼ他の国が反対して、成立に至らず。
反対なんだ、そうなんだね。
この時はまだ、白人優勢ですね。
だから、黄色人種だったからさ、今もそうなんだけど。
黄色人種と比べてしまう時代。
だから、どっちかというと事故の利益のために発言してるんだよね。
まあね、そうだよね。
人種差別の反対というか、それによる制度の区別をなくしましょうよっていうのはしたけど、
大半反対を言って終わりましたみたいなのが別の方に書いてましたね。
それこそ国際法の方に書いてましたね。
そっちに書いちゃう。
はい。というので国際連盟は1919年に成立したものの、ここから
第二次世界大戦に向かっていくわけですよね。
1931年、満州事変。
日本が起こしたやつですね。
これは日本側と主張としては自衛であると。
事故の土地を守ったのであるという主張をしていたが、
国際連盟からリットン調査団というのが送られてきますと。
リットンは多分人の名前ですね。
写真がね、よく出てるよ。教会で。
確かに。でもあれだな、どの人か全然覚えてないな。
特徴的な顔ではなかった気がするけど。
ヤマタカボみたいなの被って。
そんな本当調査団?
イメージだ。すごいイメージ。
リットン調査団。
リットン調査団。私の中のリットン調査団。
違うわ、お笑い出てくるわ。
お笑い出てきた。
リットン調査団にお笑い出てくる。
白黒の写真出てくる。
全部調べてるよ。
ああそうか、満州事変の鉄道かなんかを攻撃した人みたいな話みたいな。
自分で熱蔵して爆破した事件ですね。
それでやられたって主張するっていう。
調べに来たのがリットン調査団。
はい。
どっちかというと、
何とかフギさん。
愛心神楽フギさん。
満州国王扱いだった人。
愛心神楽さんですよね。
愛心神楽さん。
写真の方があるし、インパクトかな。
インパクト。
印象残ってるな。
最後の、違うな、ラストインペラーではないのか。
ここら辺の歴史危ないですね。
戻ろう戻ろう。
リットン調査団が派遣されて、
いやいやこれは日本の侵略行為ですと。
したが、
満州でのそのままの利益は、
そのまま言い続けることは認めるってなったっていう。
なんかちょっと中途半端な結論。
とはいえ、自衛立ちたのに侵略だって言われて、
反発した日本は1933年、その2年後に脱退しますと。
このタイミングでちょっと何でかわからないけど、
ドイツも国際連盟脱退ですね。
国際連合設立への道:大西洋憲章からサンフランシスコ会議まで
イタリアによるエチオピア侵略というのが、
その後1934年に発生し、
これもまた侵略だってなったんだけど、
経済隔離?なんていうのかな。
輸出輸入みたいなことを禁止しようぜっていう措置を取ろうとしたが、
世界恐慌も同時に起こってしまい、
イタリアからの輸入の禁止はなんとかなって、
もう輸出の禁止はちょっとっていうのが、
この国際連盟3カ国だったので、
なんか微妙に制限してるしてないみたいな感じの状態までしかできなかったと。
あ、そうだったんだって。
1937年に結果イタリアも脱退し、
スペインも別のところでいろいろ除名されてますね。
日独衣三国同盟。
数軸国が出ましたと。
なので20年くらい国際連盟あったんですけど、
その違法化とか集団安全保障とかしたものの弱気というか、
あまり力を発揮できない連盟でしたよと。
というところで結果、数軸国2団がいなくなりまして、
ワールドワースですね、
第二次世界大戦が発生しちゃいますと。
そこで国連自体は設立されました。
国連設立までの歴史だけちょっとやると、
1941年、大西洋憲章が結ばれます。
アメリカとイギリスだけで、
ルーズベルト大統領とチャーチル首相、
まあ時代の大統領と首相ですよね。
合意して、戦後はまだ戦後でもなんでもないですけどね、1941年って。
まだ日本も入ったか入ってないか、参加したかみたいな感じだけど、
マンシュ事変こそ起きたことけども。
戦後は一層、後半月、
高級的な安全保障制度を作るべきだと。
国際連盟、あまり役に立たなかったと。
戦後はもうちょっとちゃんとした安全保障を作ろうっていう。
アメリカ大統領が、なるほどね。
アメリカとイギリスで合意をしました。
翌42年1月、1942年1月には、
連合国共同宣言というので、
戦勝国側になりますよね。
連合国26カ国で、
第二次世界大戦においては、
ファシーズンの勢力、いわゆる、
日本、イタリア、ドイツの勢力と戦い抜きましょうと。
ここで単独での休戦とか講和はしないよ、
抜け書きしないよか。
自分たちだけ休戦して、そこと貿易するみたいなことはしないよ、
っていうことですよね。
26カ国全部で、
ファシーズンの勢力を叩くよっていう。
ことを決めました。
1943年、さらに翌年の10月には、
モスクワ宣言というのがあって、
これはアメリカ、イギリス、ソ連で、
国際的平和機構を樹立しましょうと。
ここに中国も加わります。
ここは知らないですけど、
44年にはIMF、国際通貨機器にしたっけこれ、
世界銀行の創設も決定しますと。
着々と準備してるね。
着々と準備してる。
まだ戦時中なんですけど。
44年7月の時点で、
だから国際平和機構作るぜ、
世界銀行も作るぜと。
1944年の8月から10月には、
ダンバートンオークス会議というのがあって、
アメリカ、イギリス、ソ連、中国が、
国連憲章の原案を作り出します。
中国も一緒に作ってたんだね。
弱かったでしょうけどね。
中国もこの中に入ってましたね。
ここで拒否権という概念も入れますと。
どこまで入れるみたいなのは、
イギリスとソ連で議協化してたみたいですけどね。
このメモを見ながら話してますけど、
メモの書き方が面白い。
紛争処理に常任理事国はアンポリで拒否権持たない派、
イギリスだと、
あらゆる場面で拒否権行使派、
拒否権の強さみたいなところ。
使い方でちょっと意見が割れたりもしたんですね。
1945年2月、ヤルタ会議。
拒否権の範囲みたいなところがやっと合意するわけですよ。
これは後で国立憲章で見るとして。
拒否権の常任理事国の中でも、
封鎖当時国は、
意見しないと意味ないからね、みたいなのも決まった。
あとは一刻一票ですよ、みたいなのが決まって、
いろいろ問題不分なものの国連継承の形ができると。
この時点でドイツはほぼ、
終戦に向かってきてるんですけど、
ドイツ、どこが仮にするっていうのをね、
アメリカ、イギリス、ソ連、フランスが述べるんですよね。
特にポーランド、ソ連に接してるポーランドを、
ポーランドの政府で亡命してたんです、イギリスに。
国連発足後の展開:冷戦、PKO、そして現代の課題
そこのイギリスに逃げた亡命政府を戻すか、
新たにソ連が獲得してポーランドの中に立てたと言われる、
共産党政権にするか。
はいはい。
これがアメリカの得意の、
アメリカは多分分割統治するにしても、
みたいな感じの位置にいますから、
アメリカの自由選挙提案をここで出してきて、
ポーランド人の選挙で決めようとして終わるっていう、
この頃からアメリカは何かしらというと自由選挙制と言ってるってことですかね。
自由選挙。
1945年4月から6月にサンフランシスコ会議がありまして、
連合国50カ国まで増えましたね。
増えたね。
中小国が入ってくるんですよね。
なのでちょっと一部条約を、
第10条は総会をもうちょっと権限強くしようぜとか、
中小国の要望。
あとは51条、個別自衛権と集団自衛権。
ちゃんと書きましょうみたいな感じで、
ラテンアメリカの要望を、
ブラジルのところですよね。
書きましたと。
ブラジル、ここ頑張りどころだよね。
頑張りどころです。
戦勝国ですからね、ブラジルも。
1945年6月25日に国連憲章を採択し、
50カ国が調印。
10月には国連発足。
すごいですね。
忙しいですね。
この時代の国際関係。
1年1年、4年かかって作ってるんですよね。
41年からだから。
本当やりながら戦争もしてるしさ。
戦後のことも考えて戦争もして。
終わってからもさ、
日本どうするみたいなのはやってたりさ、
すごい忙しいですね。
忙しい。
国際連合を立てるためには、
このくらいの時間がかかるよね。
日本国憲法みたくさ、
1週間で作るとかね。
そうだね。
あれ1週間じゃ違うね。
1カ国じゃねえんだと思うわな。
そうだよね。
この辺の国連ができて、
国連憲章は後で見ましょうと。
その後どうなったかも探っていくと、
国連設立したら、
その後にどんどん植民地が独立していくんですよね。
そうだね。
戦争犯罪もちゃんと処罰しましょう、
みたいなのが決まる。
あれですよ。
国統軍事裁判所。
日本の裁判?
裁判ね。
裁いたとこですね。
あたりが立てられ、
テロ関連条約とかも作られ、
みたいなことがあるんですが、
どっちかというとここから冷戦に向かっていくんですよね。
向かっていくというか始まってるんだけどね。
冷戦になってしまうと、
要は米荘が拒否権を持っているので、
決まらないということが多発するんですよ。
容易に想像はできたよね。
アメリカ、ソ連の拒否権の応酬というのが発生しました。
本当は国連軍とかも作って、
いろいろ抑制させようと思ったけど、
それすらとんざして、
決まらない拒否権の応酬。
特に植民地独立すると、
それが加盟したいみたいな話が出てくるんですよね。
どんどん増加するタイミングなんだけど、
特に共産党陣営と自由主義陣営、
どっちかが入ろうとすると、
加盟を拒否するっていうのをアメリカとソ連が繰り返すと。
つらい。
アメリカが収穫の歴史でも似たような話を言ってたんだと思う。
南か北かでね。
本当だ。つらい。
がある話ですね。
これをやってると、
紛争解決とかでも全然いけないというので。
いっぱい言ってるね。
本当だね。
1950年、平和のための決衆決議っていう、
制度とまで言わないのかな。
安保理では決まらないから、
安全保障理事会では決まらないから、
ちょっと違う個組織みたいなのが立ち上がる。
これだと、
安全保障理事会のいずれの議事国の旧各国、
いずれでも、
国連加盟国の過半数によっても、
24時間以内に総会を緊急に招集できるという制度ができました。
招集すらできなかったんだよね。
集めることしかできなかったっていうのは、
集めるだけだったら、
理事国旧各国のどこかか、
国連加盟国の過半数でいいよと。
24時間以内に招集って結構厳しいけどね。
来てって言われてもすぐ行けない場合もあるからね。
オンラインの時代じゃないですからね。
来てでしょ。
厳しいと思ったけど。
そんなような制度もできて、
皆さんならすぐ集まりますけどね。
1951年から2022年までに13回発動してるらしいですね。
この結集受付。
あとは、PKO、国連軍はできなかったんですけど、
国連平和維持活動。
平和維持の回復をするために、
国連の経緯のもとに行われる平和活動ですね。
軽武装の平和維持軍と、
非武装の軍事監視団みたいなものを派遣できるようになりました。
内政不干渉で、
強制的なものではなく、
治安維持みたいなことをする団体。
紛争地域の依然防止みたいなやつがPKOとして始まりました。
1966年には国際人権契約なんてものも立てられてました。
植民地独立で加盟国が増加した結果、
多数派が新興国、
大国ではなく多数派が新興独立国になったので、
もうちょっと人権について補償しなさいみたいなので、
人権契約みたいなのも出てきましたね。
1989年12月にアトレイセン集結。
アトレイセン集結した後はどちらかというと、
2国と対立していたのが、
今度は一か国の中での内戦、民族紛争、地域紛争、
テロの多発化みたいなものに変わっていきまして、
グローバリゼーションも広がったんだけど、
結果として自由主義経済に基づく貧富格差も広がり、
そうするとやっぱり民族紛争、地域紛争が増えてきちゃうんだよね。
なので今までの国全平和維持活動が足りないといって、
滝野型のPKOみたいなのが出てきましたが、
難民救援とかが多いかな。
人権活動、治安維持、行政機構の選挙などの監視とかですよね。
大事ですね。
みたいなのが増えてきましたよと。
その後もいろんな、
どこまで国連が介入すべきか否かみたいなのとか、
政治、戦争犯罪を裁くための刑事裁判所が設立されたりとか、
もろもろ行われてますね。
ちなみに最新の平和のための結集会議は、
2022年3月。
ウクレレ内のグッジ振興ですね。
そうなったんだ。
あれはほら、ソ連は絶対、ソ連じゃないや、ロシアは絶対拒否してるから。
これじゃないと集まれないんだ。
当時ぽくだから拒否権の危険に当たると思うけどね。
確かにね。ないね。
でもそれを戦争と呼ばない、文字進行と呼ばないっていうことをすれば。
戦争じゃないっていうかね。
ものが動いてますと。
ざざっと国連設立等の歴史。
みんなで応援するって難しいよね。
いかに戦争を止めるかっていうのがメインテーマですね。
なんだなって。
言われりゃそうかって思いながら見てますね。
戦争止めたい。
戦争止めたいけど、損したくない。
帝国も守りたい。
一回切って国連憲章にしましょうか。
はい。
次回へ続く。