アメリカンナイトGOLD!
アメリカからこんばんはNAKAMURAです。この番組ではアメリカ研究留学5年目を迎えた私NAKAMURAが様々なゲストとあれこれ語り合いながらアメリカ留学の魅力や面白さを再発見し、大きなあなたにお世話をしていきます。
最近ローテーションスチューデントって言って博士課程の1年目の子が日本だとあまりないと思うんですけど、アメリカだといろんなラボに数ヶ月滞在してどのラボが自分にとってふさわしいかっていうのをやるローテー
ションスチューデントっていうのを博士課程1年目に行うんですけど、
その子が来て、今までも来てたんですけど、また今年も新しい大学博士課程1年生の子が自分のラボに来て、僕の下でいろいろ実験をやってるんですけど、今回僕の中で初めてだったんですけど、その子がフェローシップを
申し込むということで、
やっぱり日本もそれこそ学振と呼ばれるDC1、DC2みたいなものがありますけど、アメリカでも若干違うんですけど似たようなものがあって、それを申請書を見てほしいということで、やっぱり結構そういう機会が今
まで学部生とかそれこそPHDの子とかに申請書を見てほしいっていう機会があったんですけど、
今から振り返って考えると、僕が日本人である僕がネイティブの人の英語を読んで、その英語で書いたものを僕が修正するっていう、なんか謎の現象が起きてるなーって毎回毎回直してて思うんですけど、逆にそうやって僕
も今まで指導教員に添削もしてもらってきましたし、
今のボスにも多少申請書を見てもらったりしているので、徐々に僕もそういう教えてもらう立場から教えてもらう、教える立場になっていってるんだなーっていうのをちょっと実感、より実感したっていう経験があった
ので、今後どういうふうに僕が教える立場になるかなっていうのを今回通して学んでいければなというふうに思っています。
今月10月のアメゴでは、未来の入り口案内人をテーマに、未来をつくる若者と海外をつなぐ経験をされ、活動されている方を取り上げます。
10月後半の2週は、大阪公立大学大学院工学研究科教授で、パラメンタリリベート人材育成協会代表の中川智皓さんをお迎えします。今週もよろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD
改めましてNAKAMURAです。それでは今回のゲストをお迎えします。中川智皓さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お久しぶりです。
お久しぶりです。
簡単に自己紹介の方お願いします。
はい、ありがとうございます。現在大阪公立大学の工学研究科、機械工学分野で教員をしております。中川智皓と申します。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
僕らは何年だ、3年前ぐらいですか、2年前か3年前ぐらいに千尋さんが学生さんをアメリカに連れてくるということで、その学生さんたちを僕らが案内するという関係で知り合ったんですけど、いつの間にか教授にな
られてますね。おめでとうございます。
ありがとうございます。この4月から教授としてダイナミクスデザイン研究室という研究室を主催させていただいております。
何を、ダイナミクス?
デザインという名前をつけさせてもらったんですけれども、簡単に研究室の内容を言いますと、人と機械の運動とか制御とかそういうインタラクションができるテーマであれば、
どういうものでも扱っているんですけれども、特に注力しているのがモビリティということで、小さいモビリティ、パーソナルモビリティというセグウェイであったり電動自転車であったり、電動車椅子とかそういった個人
の移動手段に関する運動力学の研究をしております。
運動力学っていうのはどういうことですか?
そうですね、例えば自動でそういったモビリティを止めると、上に乗っている人間がちょっと前の方に出てしまうとか、そういうモビリティプラス人間の動きですね。動きをうまく研究していくというようなところです。
僕の父親の足だけのセグウェイみたいなやつあるじゃないですか。
ありますね、はい。
あれ乗って転んで骨折してるんですよね。
そうなんですか、そうですね、やっぱりモビリティ不安定な部分。
そういう運動ですよね。
そうです、そういう運動でそういう不安定な部分をいかに安定にしていくか、安全にしていくか、そういった基礎研究をしております。
それはずっとなんかそういうのに興味があったんですか、機械というか。
そうですね、大学進学する際にやっぱり目に見えるもの、動きっていうのがとてもわかりやすいということで、動きでも宇宙とかそういう大きい部分と、あと目では見えない顕微鏡の世界の動きとかいろいろあると思うん
ですけれども、ちょっと肉眼で見る範囲でということで、イメージのしやすさ、そういった部分の研究テーマに携わりたいということで。
高校の時からそういう興味があって、大学に、工学部になるんですか。
そうですね、工学部でやはり目に見えるものが良かったっていうところと、父が大学教員ということもあって、大学というのがある程度身近には感じておりましたので。
お父さんも工学系なんですか。
はちょっと理学系で、また別の分野があるんですけれども、研究の道へ。
すごいですね、なんか機械に高校生から興味を持ってて、なかなかどういうきっかけ、ロボットとかなんか作ってたんですか、小学生とか。
全然そういうことはなかったんですけれども、まあ選ぶならば目に見える動き、力学を扱うものがいいかなということで、そんな細かくは全然決めていなかったです。
じゃあその大学入った頃からも研究したいな、みたいな、研究者になろうかな、みたいな感じだったんですか。
そうですね、ドクターまでは行こうと思ってましたので。
おお、すげえ、もうなんなら高校生の時ぐらいからもう。
そうです、まあまあ明確には決めてなかったですけれども、なんとなく、はい。
へえ、その頃ってなんかどういう夢みたいなやつを持ってたんですか。
いやいや、もう高校生なんてもう全然色々世界が分かっていなかったですので、特になんか大きな夢とかはなくて、もう本当に普通の日本の学校に通う高校生ということで、
塾に行って、はい、受験勉強をしてっていう、もう本当に普通の受験勉強しかしてなかったです。なので、全然視野も全然広くなくという感じでしたね。
へえ、なんか大学で飛び級されてるんですか。
そうですね、飛び級という制度がありまして、3年生の時点で院試を受けることができるという。
へえ、それなんですか、単位をもうそれまでに全部取り切っとくみたいな感じなんですか。
そうですね、大体単位を取って、あと成績も上位でということで、お声掛けをいただいて、試験を受けることができるという形ですね。
なんか一般の、僕とかは本当に普通の、一般的な理系の大学生だったんですけど、大体研究室とかに配属されてから、なんか今後どういう研究していこうとか、
いいんでどういうことやっていこうっていうプランを立て始めると思うんですよ、普通、その一般的なところだと。
で、大体それが3年終わりとか4年生になってから入るパターンが多分多いと思うんですけど、
千尋さんだからその飛び級の制度がお声掛かるぐらいにはもう方向性ってある程度決められてたんですか。
それはなかなか難しかったですね。機械系の中で研究室をまたその中から選んでいかないといけないので、
飛び級のお声掛けをいただいて、そこから主には臨時勉強ばかりしてたんですけれども、それとともに研究室の情報も先輩からお聞きして、
希望の研究室を定めるという、そういうこれもう一般的な形で。
タイミングがちょっと早いぐらい。
そうですね、ちょっと早いぐらいですね。
珍しいですよね。
そうですね、あんまり飛び級はない。
僕、広大も一人しか知らないんですよね。
あ、そうですか、はい。
それで大学院は東大の方に行かれたんですか。
そうですね。
修士からですかね。
そうですね、修士、飛び級をして、本来4年生のところを修士1年生ということでさせてもらったんですけれども、
研究室、配属させていただいた研究室の先生がもうご退官ということもありまして、
またちょっと外にも出てみたいなという気持ちもありましたので、
このタイミングでちょっともう一回修士を受け直してという形にはなるんですけれども、
東大の大学院の方に進学させていただきました。
当時はまだ府立大学って言い方だと思うんですけど、
そうですね。
府立4年通って、で、マスターから東大へという感じだったんですね。
そうですね、はい、なので、結局学展的には普通に戻ってるんですけど。
修士が3年になるってことですね。
そうですね、修士1年生を2回やりましたという感じですけれども。
なるほど、なるほど、なるほど。
そっから博士課程に進むっていうのはもう、だいぶもう修士の頃からだいぶ決めてたんですよね、たぶん。
そうですね、それはだいたい決めておりました。
もうその時点ではもう研究者として行こうみたいな感じだったんですか。
そうですね、その時点ではそういうふうに考えておりました、はい。
その頃ってまだなんかセグウェイとかない、ありました?
そうなんですよ、なくてですね、最初東大の研究室に配属させていただいた時も、
パーソナルモビリティのテーマが一つあって、自転車の運動解析ということで。
そうなんです、自転車は作るのはもう全然昔から作られてるんですけれども、
実は細かい運動とかは、数学的には明らかにされていない部分もありまして、
そこをちょっとモデリングしていくというような研究を始めしてたんですけれども、
そういった中、セグウェイのような倒立振子のような形で動く車両の共同研究が始まりまして、
そこで、はい、ちょっと携わることになりました、はい。
すげえな、そうなんですね。
やっぱりその東大の時に支持してた先生とかがやっぱりそういう同じような研究をやられてて、
その人からインスパイアされたみたいなのもあるんですか。
そうですね、もうその東大の時の須田先生って言うんですけれども、
須田先生はもうモビリティ全般の第一人者という形で、鉄道であったり自動車であったり、
で、その中でパーソナルモビリティというテーマ、ちょっと小さかったんですけれども、ありますので、そこを選択させていただいて、はい。
それはもう自分で選んだんですか。
そうですね、一応だいたいこんな感じのテーマがあるよっていうのを教えていただいてて、
で、このパーソナルモビリティがやりたいと思って、はい、選びました。
で、そこから博士とって、日本でキャリアを、日本で助教授になられてるんですか。
そうですね、本当に博士課程、修士課程もずっと日本でちょっと短期留学すらしていなくてですね、
すごいドメスティックな形になっておりまして、NAKAMURAさんにはもうアメリカで会ってるんで、なんかアメリカの人っぽい雰囲気あるかもしれないですけど、
もう本当にドメスティックで、全然留学の機会を大学院生時代作らなかったのが非常にちょっともったいなかったなって振り返るんですけれども、
その当時はもうずっと日本でいたので、もう当然日本で就職するというような形で、
で、たまたま博士を取った時にですね、元いた研究室の助教のポジションが空いているということで、
はい、お声掛けいただきまして、そちらに就職させていただきました。
NAKAMURAさん学生時代に英語ディベートってやつやられてるじゃないですか。
NAKAMURA そうですね、はい。
そこなんか英語ディベートって言ったらなんか海外に興味持ちそうな感じがあるんですけど。
NAKAMURA そうですね、海外に興味は非常にありまして、英語ディベート国際大会とか、そういう文脈では結構海外に行ってました。
1週間とかそういう短い単位ですけれども、なのでそこでいろんな海外のコーチにディベートのやり方とか教えていただいたりとか、
そしてあとはお友達とかも海外でできていくので。
じゃあもう英語ディベートって、英語ディベート部を立ち上げたんですよね。
NAKAMURA そうですね、英語ディベートに携わるきっかけなんですけれども、もともと日本の普通の高校生なんで、普通の受験勉強をして大学に入ると、
英語はある程度受験勉強としてはできるけれども、英語で話せるかというと全然話せなくてですね。
やってたのは音読だけですみたいな。その場で話すっていうことが全然できなかったので、ESSという英語のクラブに大学時代に入りました。
そこでいろんなアクティビティーをするんですけれども、例えばスピーチとか演劇とかガイドとかいろいろあって、
その中でディベートの活動があって、もうこれだというふうにその時思いまして。
っていうのもディベートって一つ論題が与えられて、肯定と否定に分かれてジャッジを説得させるというゲームなんですけれども、
ディベートだとディスカッションと違って、肯定だったら肯定側からの意見を言うという方向が決まっているので、
結構ある程度話す内容というのを自分で組み立てやすいというのもありまして、あと時間も区切られているんですね。
あなた7分話してください。じゃあ次この人ですっていう順番と時間が制約をきっちり持たされていることで、
単位時間あたりの英語の発言量とかの効率性がすごい良いと思います。
なるほど。
これディベートだということで、もう1日3回大学9時から始まるんですけれども、7時半から9時まで朝練語やって、
朝練を。
大学が終わって、4時半から6時まで第2ラウンドをやって、バイトがない限りは6時から7時半まで第3ラウンドをするっていう、
もう1日3ラウンドを3ヶ月続けたら全然話せない日本人でも7分のスピーチ、即興でするんですけれども、
即興って言っても15分だけ準備するんですけど、即興でのディベートっていうのが3ヶ月でできるようになりまして。
そうだな、1日4時間半も喋ってるわけですもんね。
喋る時間もちょっと短いんですけども、やっぱりいろいろ考えながら、ちょっと英語を組み立てるという練習をして、
でもこれは自分だけじゃなくて後輩も、本当に普通の日本で教育を受けた後輩たちも、
みんな3ヶ月とか、そんなに練習しないんで、6、半年、1年あったら7分スピーチが即興でできるようになるということを目の後にしたので、
これは絶対クラブを作ってやらねば、社会に普及せねばというふうに思いまして、
英語ディベート部やその後の一般社団法人のパーラメンタリーディベート人材育成協会というのを作るきっかけになりました。
あの、やったことないんですけど、例えば、高校卒業したばっかりの子がESSに入りますって言ったら、どういう能力から鍛えていくことになるんですか?
英語力ももちろんですけど、そもそも日本語でディベートできるのかっていう問題もあるじゃないですか。
そうですね、それは非常に良いご質問で、まず言うことがなければさすがに話せないので、
簡単な論題から始めていきますね。
例えば、修学旅行に行くなら国内がいいか海外がいいかとか、
犬派猫派とか。
そういう身近な論題とかでやりまして、そうすると日本語で何とか言えるものだったら、
何とか繰り返していけば知ってる範囲の英語力と文法力で、何とか話していくって感じですね。
あと、ジャッジも大変ですよね。
例えば、高校卒業したばっかりの子が話す英語って、そんなポンポン正しい英語出てこないじゃないですか。
単語もそうだし、発音も怪しいだろうし。
聞く側もだから能力入れますよね。
そうですね、聞く側も能力要って、ただ部活でやってる分にはお互い日本人なんで、
なんとなくこういうことを言いたいのかなっていうのは伝わるので、
そういうかなり洗練されたジャッジが必要というよりは、とにかく話す場、そういう場を設けるということが大事かなと思っていまして。
そうやってなんか修正したりするんですか、この話し方ここ文法違うよみたいな。
あまり文法という意味ではそんなにしなくてですね、どちらかというと内容のフィードバックですね。
論理的にここが弱いとか、この理由がよくわからなかったとかですね。
そうか、なんかやったことないな。
けど世界大会まで行ったっていうのは、どういう感じで世界大会まで行くんですか。
日本でまず予選があるんですよね、たぶん。
予選といっても各大学ごとに出せるチーム数というのが決まっていて、
なので大学の中でのセレクションはもちろんかかってしまうんですけれども、
マッシャル社で就活できればちゃんと世界大会に登録できて、戦うことができる形になりまして、
で、世界大会に行くんですけれども、世界ではいろんな国からチームが来ていて、
ネイティブも第2言語、第3言語の、英語が第3言語の方も一緒になって予選をすると。
どこでやるんですか。
シンガポールとか、あとは私が賞を取ったのはアイルランドだったんですけれども、
アイルランドとか、マレーシアとかタイとか、もういろいろ行きましたね。
世界各地なんですね。
そうですね、毎回持ち回りで、場所が毎年決まってるわけではなくですね、いろんな国で。
楽しそうですね。
そうですね、すごい楽しいですね。予選で9ラウンドあるので、
もういろんな。
9?
そう、9ラウンド。もう3日間かけて、お正月ですね、ずっと正月前にずっとディベートするんですけれども、
すごい楽しい。
だから1日3回やるのは。
そうですね、1日3回して。
的を得てるというか、それの練習でもあるんですね。
確かにそういう意味では、そうですね。
それでも、なんか日本でキャリアを積んでいこうと思ったのは、この工学系で海外っていうのは難しいんですか。
いや、もうちょっとたまたまかもしれないんですけれども、私の周りの先輩とかで海外に行ってる人っていうのが研究室ではあまりいなかったので、
あまり海外で何かをするという情報が正直なかったっていうのが一番大きいかなと思います。
今だと結構、情報が入ってていいなと思いまして。
まあ確かに、いろんな人の情報が手に入りますからね。
そうですね、普通に日本の高校、日本の大学に行っても、NAKAMURAさんのように海外にチャレンジ行く方、される方っていうお話を聞いていれば、
もう少しそういう選択肢もあったのかなと思ったんですけれども、
普通に日本でドクターとって、普通に日本で教授をするみたいな、そういうかなりスタンダードなことをイメージしてしまってたので。
アメリカンナイトGOLD。
純教の時ですかね。
その前にも2017年にアメリカで、これはなんかプログラム、科学教育プログラムみたいなのに参加されてるんですか。
そうですね、それはアメリカ国務省のIDLPというインターナショナルビジターリーダーシッププログラムというのがありまして、
それにアメリカ大使館からお声掛けいただきまして、3週間ちょっとアメリカのいろんな州を回って、
科学技術政策教育について勉強するというプログラムに参加させていただきました。
どうしたらそんなアメリカ大使館から声がかかるんですか。
これもですね、本当にこれ唯一アメリカ国務省のプログラムの中で、
自薦でいけないプログラムらしくてですね。
これは大学でアメリカからの研究者をお呼びするというシンポジウムか何かそういう機会がありまして、
その時にアメリカ大使館の方がいらっしゃってて、たまたま私が司会をさせていただくことになってて、
そこでお知り合いになった大使館の方に、今度大使館でこんなイベントがあるからとか、
そういうことをいろいろ教えていただきまして、何度かやりとりする中で、
じゃあIDLPというプログラムに行ってみませんかというお声掛けをいただきました。
僕らは多分初めて聞いたプログラムなんですけど、実践じゃないからこそ知る人と知るみたいな感じなんですかね。
かもしれないですね。これ結構いろんな分野の方がおられまして、
例えば政治の分野では小池百合子さんとか、最近行かれた方では、ピボットでしたっけ、ちょっと名前を忘れてしまった。
竹下さんとか、いろんなメディアとか政治とか、もう科学もそうですけれども、企業であったり、
そのテーマに分かれて世界中から各国の代表を選んで送っているらしいです。
じゃあ当時日本人一人だったんですか。
そうですね、このプログラム20人くらいいるんですけど、私だけ日本人でいて、
その時結構初めて、海外の大学とか行ったらこんな感じでずっと英語で話すのかなみたいな、そういうちょっとした。
そう考えると英語ディベートやっておいてよかったですよね。
それは本当によかったです。
20カ国から来ると言っても、皆さん英語が第一言語じゃない国の方がほとんどなんですけれども、
みんな英語ペラペラで、多分英語ができないのはもう私ともう一人くらいみたいなくらいだったんですけれども、
でもそこでディスカッションする時に、結局英語ができてもベラベラめっちゃ長く話して、
ちょっとその場がどうなんだろうっていう方とかもいる一方、
日本人で英語が多少苦手でも、要点だけ分かっていれば、そのことについてだけ完結に答えるとか、
そういうふうにすると、ある程度この発言での評価とか、
日本のプレゼンスも上げることができるなっていうのは、この短い3週間でも感じましたので、
リベートで限られた時間で話すっていう訓練をしていれば、
多少発音が悪かろうが、文法が間違っていようが、ちゃんと尊重してもらえるんだなっていうのは思いました。
そこで応用できてるんですね。
そうですね。
日本代表ですもんね、だってこのプログラムで。
一応、そうですね。
これどういうことをするんですか、学校とか行ったり。
そうですね、これ3週間で6個の週を回らせていただいたんですけれども、
最初はワチントンDCの方で政策としてどんな感じで、
アメリカの科学技術教育はこうなってるみたいなことを教えてもらって、
例えば日本ですと文科省の学習指導要領に従って、
ある程度一律でどの都道府県に行っても同じような教育を受けれると思うんですけれども、
アメリカの場合は結構ステイトごとに、州ごとに権限が与えられているような形で、
全州一律っていう感じではないっていうこととか教えていただいて、
で、その後に各州を回っていって、
例えばロサンゼルスだったらこんなSTEM教育やってますよ。
シアトルだったらこんな感じですよということで、大学を訪問させていただいたり、
あとは高校、あと小学校なども見せていただいて。
基本小中高みたいな。
そうですね、もう全部見させていただきました。
そこでなんかアメリカすげーなーみたいなのって思ったところって何かありますか?
そうですね、なんか面白かったのは、小学校とか結構低学年の授業で工作みたいな形で、
何か身近なものを使って実験することってあると思うんですけれども、
そういう時日本では、じゃあ明日輪ゴム1個と紙コップ割り箸持ってきてねみたいな、
そういうことってあるかと思うんですけれども、アメリカではそういう、
収入はよると思うんですけれども、そういうのをまずやめて、
配送センターにそういう紙コップとか輪ゴムとかクリップ1個ですら、
もうそういうセットにしてると、配送センターに。
セットしてるものがあって、それをもう学校に送りますと。
A小学校に送ったら、じゃあ次の週はもうB小学校に送ります。
次週C小学校に送りますってことで、
もう先生にも家庭にも何の手間もかけさせませんみたいな、
そういう自治体があって、すごい効率的だなと思いまして。
なんかそこのシステム作るの大変そうですね。
そうですね、大変かなと思ったんですけれども、結構なんかワークしてるみたいで、
配送センターにきっちりお道具箱みたいなものに、
この実験セットです、はいこの実験セットですという形で、いろいろあって、
なんかうまく作ればいけるんだなというのは感心しました。
もうキットが出来上がってるってことですもんね、そうやって。
そうですね、キットになった。いいな。
その頃から中高生というか若い世代の教育とかに興味があったんですか。
そうですね、大学では結構地域貢献っていうのを重要視していまして、
大阪府立大学ということもあるかもしれませんが、
そうなると地域の方に向けた、例えば小学生に向けた実験講座とか、
そういうのを1回とかする機会はあったので、
おのずとそういうのは身近だったなっていうのはあるかと思います。
それでどういう研究をされてたんですか。
そうですね、その時は自動運転の文脈で、自動車よりも、
私はパーソナルモビリティの自動運転ということで、
そのまま自動車の自動運転技術を小型のモビリティに適用するのではなくて、
小型のモビリティだからこそ注意しないといけない点を洗い出して、
小型のモビリティに合う自動運転の制御をするということをしてまして、
例えばですね、自動車の自動運転であれば、何かショートするって言ったら、
とにかくブレーキをかけるっていうのが優先になると思いますので、
ブレーキかけると思うんですけれども、そうした時にシートベルトがあって、
ブレーキかけたからといって人間に何か危害が加わるわけではないんですけれども、
パーソナルモビリティの場合は、例えば電動キックボードで、
いきなりブレーキかけるってブレーキかけた瞬間、人間がもう前延びになって飛んでいくとか、
そういうことも起こりますので、何でもかんでもブレーキかけたらいいというわけではないので、
例えば人間にできればブレーキをかけさせるっていう、
例えば振動とか音とかで知らせて、
衝突するのに気づいてない場合は知らせて、それからブレーキをかけるっていうこともできますし、
そうではなくてもブレーキをかけるとしても、かけ方ですよね。
あまりにも急減速をするとまずいので、ちょっとそうならないようなかけ方とか、
そういうのを考えるテーマですね。
まだ今のところ開発はできてないですよね、たぶん。
そうですね、いろんなモビリティごとに開発をしてまして、
例えばセグウェイのようなモビリティですと、そもそもブレーキ、機械的なブレーキってついてないんですよね。
あれは重心移動によって減速させる形になってて、
ブレーキという、減速させたいなと思ったら後ろに重心を持っていくというのが基本になっていて、
もしブレーキシューみたいなものでタイヤを挟んでしまうと、
タイヤを挟んだ瞬間、制御ができなくてパタンって倒れてしまう、
そういう乗り物ですので、そもそも物理的にはブレーキをつけれないので、
制御の中で何とか早く制動できるようにするということをしてまして、
一つ提案したのは、止まる直前に一瞬加速させるという制御を入れるんですね。
ちょっとだけ一瞬だけ加速させると足元が前に行くので、人間の重心が後ろに行くんですよね。
なのでその後ろに行く流れで、素早く止まれるっていう。
それはもうなんか、自分で思いつくんですか、そういうのって。
それはですね、こういう原理を思いつくというよりは、運動方程式を立てて制御系を設計していくと、
シミュレーション上まず上手くいくっていうのが分かって、それを実際に実験でやってみたら本当に上手くいったということで、
なぜこういう現象になるのかっていうのを力学的に考えると、今言った解説になったという感じで、
もともと思いつきでやったわけじゃないです。
数学とかはもう関わってくるわけなんですね。
そうですね、基本的にはもう運動方程式を立ててっていう形になりますね。
すげーな、そこで1年間なんかすごいバリバリやってた感ありましたね、今の話的に。
いやいや、これは結構、そうですね、シミュレーション自体は日本でやった成果も使ってということで、
いろんなディスカッションをしてっていうことなんで、どちらかというとアメリカでどういう自動運転の施設があるかとか、
そういうところから学ばせていただいたっていう形で、結構視野を広くさせてもらったので、非常に良かったかなと思ってます。
なんかそのお話だと、僕が持ってる印象なんですけど、
前UCバークレンの小村先生にお話があったときにも同じことを話させていただいたんですけど、
例えばそうやって数学とか、式とかで理論とか仮説を進めていくんだったとしたら、
僕らの偏見ですけど、生物学をやってる僕らの、
日本とアメリカの研究室の中の環境はそんなに変われないのかなっていう印象なんですけど、
やっぱり研究室外に出て学ぶことがいっぱいあったっていうことなんですか。
もうまさにその通りで、シミュレーションってなるともちろんパソコンの中でしますので、
パソコンはアメリカでも日本でもそこまで変わらないかなとは思うんですけど、
スペックとかはちょっと違うかもしれないんですけど、そんなに変わらない。
だけれども、例えば自動運転の施設、ちょっと実験にも便乗させてもらったことはあるんですけれども、
普通にバークレーの中でもパースっていうグループがありまして、
そこで自動運転車を何台も持ってるんですよね。
だから本当に広い実験室に上にいろんなセンサーがついたものを持ってて、
本当に施設、キャンパス自体がフィールドになってますね。
信号機とかもあって、
自動車が走れるっていう風になってます。
教習所みたいになってるんですね。
そうそう、そんな感じで。
なので、そういうところで基本的なデータを取ってるんだとか、
なかなかこれはもちろん日本にもありますけれども、
全大学にこんなのあるわけではないので、
そういうのに触れたり、あとはいろんなネットワークですよね。
いろんなセミナーとかももちろんオンラインを含めていろいろありまして、
聞ける話が全然違う。
実際スタートアップでモビリティの自動搬送とかされている会社の方からいろいろ聞いたりとか、
ちょっとあまり日本では聞かないなっていう話を聞けたっていうのが非常に大きいかなと思います。
やっぱりアメリカの方が最先端的な感じなんですか?
だと思います。
やはり行動でもうすでに実証してるっていうのが2022年の段階でいっぱいありましたので、
入ってくる情報が全然違うなと思います。
なんで日本って、なんか最近ウェイも東京で始まったじゃないですか。
なかなかなんか始まんないですよね、なんかそういう自動運転系って。
そうですね、やっぱり安全性をしっかり確認して、
いろいろ結構慎重に物事進める風土かなと思いますので。
そういう点ではまた違う刺激をアメリカで受けたって感じなんですか?
そうですね、もうアメリカでは非常に違う刺激と。
あとは、そうですね、生活の中でも、
例えば小学校とかもちょっと子どもが行ってましたので、
ランチタイムにボランティアとかも募集してますっていうので、
お手伝いさせてもらったこともあったんですけれども、
日本でいうと給食の時間って先生が食育とかも兼ねて、
ちゃんとこうよそって、はいいただきますみたいな、みんなでしますっていう教育だと思うんですけれども、
アメリカでは、いやこのランチタイムは先生は就業時間に含まれないので、
ボランティアの人やってくださいとか、結構そこらへんはっきりしてて、
で、給食も、なんて言うんでしょう、みんなで配膳しましょうとかではなくて、
カフェテリアのところに行って、パッと、はいじゃあリンゴ配ってとか、ハンバーガー配ってとか、
で、勝手に開けて好きなものを食べる、好きなものを取るとか、
そんな感じなんで、ちょっと見てた時も驚いたのは、リンゴ、丸ごと配られるんですよ。
日本だったら、昔切られたりとか、いろいろあったと思うんですけど、
ちょっと今衛生上、ちょっと自治体によって違うと思うんですけれども、
丸ごとアメリカでは渡してって、それをどうするかというと、
一かじりして、それでゴミ箱にポイってする子がいっぱいいるんですよね。
だからそういうのも結構衝撃で、食べなさいっていうのもね、ちょっとね、そういう指導はしてないという話にはなると思うんで、難しいですけれども。
確かにな、リンゴ、弁当入ってますもんね、なんか。
そうですね。なので、そういう生活上の違いとかも感じて、
で、お母さんたちとの交流っていうのも非常に勉強になって、
特にカリフォルニアだからかっていうところもあると思うんですけれども、
移民のお母さんも非常に多くて、自分がアメリカで生まれたわけではなくて、
例えばタイで生まれてこっちに来ましたとか、ネパールで生まれてきましたとか、
そういうお母さんたちがいて、どういうふうにしてここで暮らしているのかっていうのを聞いて、
皆さんすごくストイックに頑張ってはるなっていうのを思って、
子供にはすごくいい教育を受けさせたいということで、頑張って英語が話せなくても、
なんとか働いて生活するっていう、そこら辺のメンタリティーが素晴らしいなと思って、
日本でいると、やっぱり特にご飯もおいしいですし、治安もいいですし、
政治が腐敗してるっていう、もう避難しないといけないぐらいのレベルになってるっていう状況は、
日本ではあまりないと思いますので、なんかやっぱり別にわざわざ外出んでもいいやんっていう考えがあるので、
なんかストイックに頑張らねばっていう気持ちっていうのがあまり芽生えてないのかなというふうにちょっと思いました。
やっぱりご家族と一緒にいたっていうのは、良かった、ポジティブな感じでしたか。
そうですね、はい、すごいポジティブでした。もうみんなそれぞれいろんな経験ができたということで、苦労もあったとは思うんですけど。
一年間で、なんか満足、満足って結構あれですよね、研究室は持たれたんですかね、日本で。
そうですね、はい、研究室は新しく主宰させてもらったんですけれども、
そうですね、やっぱりアメリカに行った時にも、1日たりとも無駄にしないというメンタリティで行ったということで、
本当に充実した1年で、濃い1年だったなというふうに思いましたので、
日本帰ってからも、そういうふうに改めてちょっと1日1日ちょっと大切に生きていこうというところでチャレンジしようとか、そういった精神は若干変わったかなというふうに感じます。
そのチャレンジっていうのはけど、なんかシステムを変えることとかもやってみようみたいな感じになってくるんですか。
そうですね、そういうところまでつなげられるといいんですけれども、やっぱり自分で結構日本人で多いかもしれないんですけれども、
結構1回就職して、それでもう安泰だみたいに、結構終身雇用の文化なので、別に頑張ろうが頑張らないが、ずっとそのポジションにいれるみたいな、
そういう空気ってなんか感じてしまって、日本にずっといると。でもそれってすごくもったいなくて、やっぱり毎日いろいろチャレンジして新しい発見、新しいご縁とかもできていくので、
しんどくてもチャレンジしていかないといけないなという、そういうメンタリティですね。メンタリティの部分の再認識という感じです。
実際その海外に行くっていうのは、ある一定レベルでなんか自分のキャリアを止めてしまうことになることもあると思うんですよ。
それでもやっぱり海外に行ってみたいなと思う人に対して、何かその勇気づける言葉というか。
そうですね。興味を持っているなら、もうとにかく飛び込んでみようっていうのがメッセージですかね。
まずなんか興味を持たないとか、持てない情報がなくて、そういう世界があるんだっていうことも知らない方も結構いらっしゃると思うので、
もうまず情報を知っていることですごくラッキーだったと思いますし、かつそれに興味を持てたっていうところが本当に素晴らしくて、興味を持ったんだったらいろいろ不安とかあるのはわかるんですけれども、
とりあえず行ってみようと。それは別に短い期間でもいいと思うんで、とりあえず行ってみたら何か心に響くものってあると思うんですよね。
例えば本当に空港に着いた瞬間、サンフランシスコだったら、夏行ったらすごくね、カラッと晴れてて青空が見えて、
で、日本から来るとめっちゃ蒸し暑くて、もうなんか外でいるだけでも恐怖だわって思うぐらいの毎朝を迎えうるわけですけれども。
そうじゃなくて、着いた瞬間こんな晴れてカラッとしてっていう、もうその瞬間だけでもめっちゃ気持ちが良くて、
あ、こんな世界もあるんだってこう知れて、いろいろ心が開いていくと思うんですよね。
なるほどな。
なので、とにかく行くだけでいいので、ちょっと行ったらどうですかと思いますけれど。
いや、それ大事ですね、確かに。
なるほどな。
なんか海外留学って、なんかやっぱ数年行った方がいいっていう人もいるじゃないですか。
そうですね、はい。
やっぱその1年も濃くすれば、何なら数ヶ月でも濃ければ十分って感じだと思いますか。
いや、そうですね、個人的には1年行きましたけど、いやもうあと1年、2年行きたかったなとは思いますね。
あ、そうなんだ。
やっぱり1年だとね、1回しかその季節回れないんで、もう1回やったらっていうのはあるので、ちょっと2年は行きたかったなというのは思いますね。
その1年の間でもやっぱ技術革新みたいなやつが感じるもんなんですか、こっちで。
めっちゃ感じました。もう特にこのAI、LLMの発展が進んだ時期に行ったからこそかもしれないんですけれども、もうね、滞在中もGPT-3やったかな、その時は。
どうどうみたいなそんな話もしましたし。
そうか、その頃のGPTに触れてるんですね。
そうなんですよ、なんか話題がそれだったんで。
なるほどな。
いや、だいぶ変わるよねって、もう今だいぶ本当にね、画像とか動画までね、発達しちゃいましたので。
やっぱ1年でだいぶ変わってしまいますので、そうですね、特にその後毎年夏にバークレーの方で、短期ですけれども滞在させてもらって、
1年ごとの変化を夏を定点にちょっと見ますけど、それでも今年と去年で変わっているっていうのをすごい感じていて、
それが高速道路沿いのサンフランシスコ空港から市内に行く高速道路で見かける看板ですよね。
あれがもうほとんどAIになっていたっていうのが印象的で、AIの中でもエージェントって言葉がめっちゃ増えたなっていうのを感じました。スタートアップの看板が。
確かにな、空港でさえAIの看板、なんか効果がありますもんね。
本当に驚きます。
その1年をどう過ごそうかってことで、バークレーの1年をすごいいろいろ密にしたと思うんですけど、行けなかったっていうのはありました?
行けなかった。行ければ本当にいっぱいあるんですけれども、皆さんよく言われるのは、アラスカに行ってみましたとか、メキシコに行ってみましたとか、イエローストーンに行ってみましたとか、いろいろあるんですけれ
ども、
それも1年じゃ全部は行けないので、そこら辺はもう完全に逃しております。
もうでもこれは仕方がなかったかなと思います。
逆にどこが良かったですか?
行ったところですね、実は車でシアトル行って、バンクーバーに行って、カルガリーに行って、で帰ってくるっていうの。
そうなんです。10日でここだけは行きたいっていうので。
最初、そこは行かせてもらったのは非常に良かったですね。
アメリカの壮大さっていうのをまず把握した上で、今後どうしようかなっていうので、行けたのが良かったっていうのと、
あと1個ですね、どうしてもモビリティに研究をしているとやってみたいことがあって、これ行って良かったなと思うのが、キャンピングカーですね。
やっぱり自動運転とか進んでくると、車はお部屋になっていくと思うんですよね。
で、それはもうテスラが新しい、出してると思うんですけど、ハンドルもない。
で、ズークスもそうなんですけれども、やっぱり4人乗れる、自動運転の乗り物で。
なんか向かい合ってますね。
そうですね、向かい合って、この夏からサンフランシスコに乗れるということで、私も持ってきたんですけども。
雨をやると、例えば中、テーブルとかつけたら十分会議室になりますし、それを延長していくとやっぱりキャンピングカー。
寝ながらでも移動できてて、着いたら自動で好きなところに行ってるって、どこでもドアかなと思いますので、
ちょっとキャンピングカーは乗ってみたいと、日本でも実は乗ったことがあったんですけれども、アメリカのキャンピングカーってかなり大きいじゃないですか。
で、ちょっとそれをやってみたいというので、もう帰国直前ぐらいにもうちょっと何とか頑張ってやりました。
でもそのキャンピングカーはやっぱり良かったです。
部屋がスライドで出てきて、止めると大きくなるとか、
こういうことはちょっと日本ではなかなか経験するのもハードルが高いですので。
自分で運転したんですか?
私運転なかなかできないので、一応免許は取ったんですけど、全然自信は全然ないですので、主人に運転してもらって。
そうっすね、バカでかいですもんね。
めっちゃでかいので、もう無理です私には。
なるほどな、やっぱりモビリティ好きなんですね。
そうですね、せっかく研究してるんで、自動でどこまでできるかって言って。
もう調子乗ってキャンピングカーの自動運転っていう提案書も出したことがあるんですけど。
すぐ落とされました。
やっぱりアメリカに乗ったキャンピングカーは快適でしたか?
でも結構揺れたりはするので、ちょっとまだ改善点はあるかなとは思いますけれども、
やっぱりキャンピングカーを止めて森の中で過ごすとか、そういうのはおそらく快適なんだろうなと。
全然私慣れてないんで、どういう風にしたら快適なんだっていう知識ないですけれども。
なんかいいですね、そうやって実学というか、自分の経験がそのまま研究に生きてくるっていうのがちょっとレアらしいなって思います。
そうですね、やっぱりなんか視点が広がる、研究の視点が広がるような生活に関わることもやってみたいな。
というわけで、今回は中川さんの現在のご研究から研究者になるまで、そしてご自身が海外に出ていった経験について伺ってきました。
そうですね、僕は中川さんとそんなにめちゃめちゃ喋ってるわけないじゃないですか。
正直。
あのところでしかね、UCSFのね。
なんか今までどういう経歴でここまで来られているのかっていう、今その中高生を連れてきている中川さんしか知らないので。
そうですね。
それ以外の面を知れてなんかすごい新鮮でした。
ありがとうございます。
後半はまたその中高生を連れてきている話とかそういうのについてまたお話しさせていただきたいなというふうに思うので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さて、アメリカン・ナイトGOLDは毎週日本時間の金曜0時に配信をしています。
番組のご意見ご感想は、ハッシュタグアメゴーをつけてSNSで呟いていただくか、メールフォームにお寄せください。
皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお相手はNAKAMURAと
千尋でした。
また来週。