00:07
こんばんは、あきらです。 今日のテーマは、自分というものにこだわらない・観察者の視点、あと、PNSEについて話していこうかなと思います。
まず、自分というものにこだわらないというのは、自我にこだわらないということですね。
自我に強いこだわりを持っている状態っていうのは、自分はこうだからとか、自分の性格だったりとか、価値観っていうのを曲げられない状態ですね。
最近、観察者の視点っていうところを日常の中に増えてきているんですけども、そうなってくると必然的に、この自分である肉体とか意識とか、そういったものがあるじゃないですか。
これに対して、こだわりっていうのがすごく薄くなっていくんですよ。
そうしていくと、すごく楽なんですよね。
PNSEって、最近の認識だと悟りっていうふうに言われるのかな?
悟りの世界でも、自我があるゆえに苦しいっていうふうにも言われているじゃないですか。
この自我っていうのが、さっき言ったね、自分というものっていうものを指してるんですけど、
実際、自我が強ければ強いほど、特に人と携わっている時っていうのは、すごく衝突が起きやすい状態なんですよね。
身内で例えを出すのもあれなんですけど、私の父が80になるんですよ。
彼は経営者としての仕事のスタンスというか、それが長くて、1回潰してしまって、そこから自分自身でまた細々とやってるんですけど、
本当に生涯現役ですみたいな人なんですよ。
仕事をしている自分自身というものがすごく好きなんですね。
なので、死ぬまで仕事をするんじゃないかなって思うんですけど、
03:01
最近、私と変わらないぐらいの年代の方と仕事をすることがあって、それで会わないっていうふうに言ってたんですよ。
ここ数年はね、やっぱり父と会ったりとか、電話で話すことも多いんですけど、
まあね、我が強いんですよ。もともとでも山崎系なんですけど、山崎系はね、我が強いんですよね、全体的に。
まあ、どうなんだろうな。
父に関してはやっぱりね、人を介して、いろんな問題というか衝突というか、そういったものが気になるというか、多いなっていうふうに若干思ってますね。
それこそ頑固じじいじゃないですけども。
電話でね、会ってね、私と年齢変わらない人と仕事をしてて、仕事の話をしようと思っているのに、ああだこうだという感じでね、文句をたらたら電話の中で言ってきたんですけども。
私が言えることっていうのは、お父さんの仕事に対する情熱っていうのは素晴らしいんだけども、ただその人、私と同じくらい年代の人、年代が変わるによって仕事っていうのをどういうふうに認識しているのかってすごく変わってくると思うと。
それに、その人がどういうふうな意識の中で仕事をしているのかも知らないし、お父さんとは違うんだよっていうふうに言ったのを覚えてますね。
どうしてもやっぱり、我が強いっていうのは自我なんで、自分っていう主語が大きい状態なんですよ。
ただね、別に自我が強いこと、我が強いことが悪いっていうわけではなくて、人と携わっている時に、我が強くなると自分視点になりやすいから、問題とか衝突とかって起きやすくなるよっていうことなんですよ。
我が強くて、それをそのまま仕事にしている人って全然いますよ、世の中。特に芸術関係の人って尖ってる人っているじゃないですか。
そういったものを、自分の内なる何かっていうものを作品として世に出しているっていう部分っていうのもあるから、一概に我が強いことが悪いというふうには思わないけども、
06:10
ただ、あまりにも自分の自我にこだわりが強ければ強いほど、人がいたら人と衝突しやすいし、
あとは願望実現とか、現実創造っていうところにも、なかなか前に進まない、作られていかない現実ってのは起きやすいのかなと思いますね。
我が強くて、自分自身のこだわりが強い状態っていうのは、これじゃなきゃ嫌だっていう風な感情が湧いていると思うんですよね。
そう、だから、願望実現なんかはさ、いつ何時どうなるかなんてわかんないわけですよ。このちっちゃな人間の脳みそだと。
ちっちゃな人間の脳みそって何を指しているのかって言ったら、おそらく健在意識の部分だと思うんですよね。健在意識と潜在意識っていう意味ではね。
意識している部分の中で理解できているものなんて、この世に存在しているものでね、ほんの一部でしかないと思うんですよ。
そういった意味で、それにしがみつけばつくほど、何か実際じゃあ自分のところに来てたとしても、意識にも上がってこない。
それじゃなきゃいけないっていうことは、そこだけしか許されないし、そこに強くフォーカスをしているんですよね。
スポットライトが当たっている状態で、周りが真っ暗なんですよ。
自分自身でその真っ暗な暗闇っていうものを作っちゃってるから、こだわりって、いろんなものを跳ね返しちゃってるのかなっていうふうにも思うし、余白がない状態なのかなって思うんですよ。
人間関係もね、柔軟性を持っている人っていうのは、年齢が言ってようがそうじゃなかろうが、やっぱり問題ってのは起きにくいですよね。
私の友達で、父親と同じぐらいの年齢の人って2,3人いるんですよ。
そういう人と会って話をしているときに、2人とも柔軟性がすごいあるんですよね。
09:02
若い人の考えていることとかに興味を持っているし、自分と違う価値観というものに対して、受け入れるキャパって言ったらいいのかな。
そういうものがあるんですよね。
もちろんね、自分の父親もいろいろ話をしていてさ、キャパ自体はあるんだけども、特に仕事を経営者としてやってきたから、そこはね、譲れない何かっていうのはあるんでしょうね。
画が強くなる部分ってやっぱり人間あると思うんですよ。特に自分が作ってきたもの、コツコツと積み上げてきたものに関しては、そこに対しての矜持が大きくなると言ったらいいのかな。
変なプライドいらないよっていうのはそういう部分なのかなっていうふうにも思うんですけどね。
このね、今日のテーマであるPNSEの悟りっていう部分もそうなんだけども、観察者の視点。
最近ポッドキャストの中で私結構言ったりとかしてるんですけども、これって要は、今自分が認識している自分という本質の部分なんですよね。
大体がこの肉体から、この肉体そこに付随する魂、意識とか感覚っていうものを自分というふうに認識していると思うんですよ。
でもこれすらも見ている自分っていうのがいるはずなんですよね。
それが要は、あなたの本質なんじゃないかっていうふうに、人間の本質部分、本体なのかなっていうふうに私は最近は認識しているんですけども。
その視点でいることが増えてくると、やはり自分自身のこのもの自体にそれすらもこだわりがなくなっていく。
その中から派生しているもの自体にも、そんなに強くこだわりを持たなくてもいいんじゃないかっていうふうに思ってくるんですよ。
去年10月に私は認知科学コーチングというのを半年間受けて、その中でやったワークの中で、過去の体験を言語化したりとか、今までやってきた仕事っていうのを細かく言語化したりするワークがあるんですけども、時間軸としては要は過去を扱ってるんですね。
過去を扱って、そこから無意識のパターンだったり、自分が本当に好きなこととか、自分の持っている武器っていうものをコーチと二人三脚で見つけていく、気づいていくっていうセッションでもあったんですけども。
12:12
まあね、過去はあんま関係ないっすね。
過去も扱ってもいいけども、過去に囚われすぎると、何でもそうだなぁ…
なんか見つけた原因に対して、全部過去に紐付けちゃうっていうことが増えちゃって、それはそれで、原因が全部過去のところからあるんじゃないかっていうふうに遡って探すようになっちゃうから、すごく時間がかかる。
あんま関係ない、そこは。
過去は別にどうでもいいって感じですね。
常に人間って自分自身だっていう認識しているものって、ほんの一部でしかないし、常に自分自身っていうのは真っ白いキャンパスなのかなって思うんですよ。
自分というものにこだわらないっていうのは、この性格も価値観も全てどっちでもいいっていうんですね。
それがあろうがなかろうが関係なく、その時々に応じて、その場面によって役割を演じればいいのかなっていうふうに最近は私は思っているんですよ。
その役割を演じるっていうのは、人ってそれぞれ顔があると思うんですね。
家庭で奥さんとしている顔、子供の前の母親としている顔もそうだし、職場で仕事をしている時の顔っていうのもあると思うんですよ。
それってそれぞれの役割をしていると思うんですよね。
なので、またね、自我が強いとこの役割っていうのも変えられないんですよね。
これも結構仕事場だと厳しい状況になるのかなと思いますね。
ちょっとそれは別で話そうかなと思うんですけど。
観察者の視点っていうのは、日常の中に置いておくと、感情が生まれる前に空白、空間みたいなものができるんですよ。
15:09
何か物事が起きた時に、人ってそこから自己解釈をして、感情が生まれて、そして感情から行動しているっていう一連の流れがあると思うんですけども。
その感情の前の空白ができることによって、一旦冷静になるんですよね。
冷静になるから無駄な凹みとか怒りとかっていうのがだいぶ減るんですよ。
人間ぽくないって言ったら人間ぽくないのかもしれない。
楽しいんですか?っていう人もいるかもしれない。
普通にでも感情はあるんですよ。
感情はあって、楽しいとか全然あるんですよ。
ムカつくもあるけども、ムカつくって感情が触れた時に、
普通のゼロの位置が通常だとすると、ゼロに戻ってくるのが早くなるって言ったらいいのかな。
もっとその悟り、PMSEの悟りっていう部分になってくると、その空白が大きく、もっともっと大きくなるから、
あまり本当に感情に揺さぶられない、感情に飲まれることがないっていうことがほぼなくなってくるのかなと思います。
感情を楽しんでいる人からしたら、えー?みたいに思うんですよ。
私自身もすごく感情表現豊かなんで、それって人としてどうなの?っていう思っていたんですけども。
でも楽しい時は楽しんでるし、別にいいんじゃないの?って。
無駄になんか変なものに巻き込まれないから、結構生きやすいんじゃないのかなと思いますね。
自我にこだわらないって結構…どうなんだろうね。
人間が生まれて、2歳くらい?2,3歳くらいかな?自我が生まれるんだよね。
自我って、要は自分とその他っていう境界線が生まれることを指すじゃん。
そこからさ、いろんなことをさ、人間は学んでいくわけだよね。
自分を通して見ていくわけなんだよね。
そこから自分の性格とか価値観とかっていうのが形成されていくと思うんだけども。
最終的にはそこを通って、その自分の自我のこだわりすら薄くしていくっていう流れが悟りなのかなと思うんですよ。
18:05
すごいよね。なんか面白いなと思う。
私、提供しているサービスの中で、シュハーリの大終点という機構の伝授、タイトルをちょっと変えようかと思うんですけども。
これも本当に一連の流れが一緒で、まず最初は大終点という技術をしっかり基礎を学びながら、
抽象度を上げていく客観的な視点とかメタ認知とかっていうところを日常の中に落とし込みながら慣れていくっていうところがあるんですよ。
シュなんですよね。
ハーっていうのは、そこからさらにもう一段階上げるっていう部分になっていって、
さらにもっとより深く客観的に自分自身を見るっていう段階になってきて、そこからもう一個やり方を与えて、
最後ハなんですけども、自分自身を通して見てるっていう世界観をなくしていくんですよ。
これが本当にさっき言った観察者の視点のところにつながっていくんですけども、その流れになってるんですよね。
だからなんか、人間の人生じゃないですけども、全部それとつながってるのかなっていうふうに最近はなんか思いますね。
ちょっと話の流れがね、すごいどこに着地するんだろうって今話してて思ったんですけども、
ここら辺の領域、すごく抽象度の高い領域だと思うんですよ。
もう何だろう、物理的に見えないものじゃないですか。すごく独特の世界なんですけども。
ただこの観察者の視点っていうのは、やっぱりそれよりももうちょっと薄い大終点、さっき言った大終点なんですけども、
やっぱり私はここが人生の中ですごく大事だろうなっていうのを、大終点を機構の技術として教わった時からすごく感じているんですよ。
実際それを実践していって、たくさん自分を外側から見るっていうものをすることによって、
今まで見えてきてなかったもの、気づかなかったものっていうものを見えたんでね。
それによって意識が変わるって言ったらいいのかな。
起きたんでね。やっぱりここがすごい大事だなと思うんですよ。
なんでぜひともね、この自分というものにこだわらない視点というものを持ちながら、そして観察者の視点、PNSEの世界観ですよね。
21:06
っていう視点で持ちながら、日常の中でね、生きていったら結構その見えてくるものって変わると思うんで、
ぜひとも取り入れていってほしいかなと思います。
すごい今回の収録、なんか抽象度高いよね。
なんかもう、えーみたいな。
こういった収録は今後もすると思うんですけども、
ただやっぱり自分の中でね、興味のある分だし、
そしてその観察者の視点は誰しもが持った方がいいと思うし、
持ったらもっと気楽に生きられると思ってるんで、
これからも発信し続けていこうかなと思います。
ということで今回は以上となります。またです。