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こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もよろしくお願いいたします。
7月も半ばを過ぎ下旬に入ってきました。あっという間ですよね。
私自身は、久しぶりに7月にパリにいる状態を送っています。
実は、子供をいつも日本の小学校に入れている関係で、毎年6月の終わりから7月にかけては帰ってたんですよね。
日本に戻ってました。
で、そのまま8月もずっと夏休みで旅行する場合と、あとは学校だけ終わって、こっちにフランスに戻ってくるっていうパターンと両方あったんですよね。
去年はフランスには7月の半ば過ぎ、7月25ぐらいかなに戻ってきたんですね。
去年は日本は、日本って私東京だったんですけども、東京は私が帰るまで梅雨が明けなかったんですよね。
久しぶり。
で、その前の年は私6月の終わり、20何日かに行ってるんですけども、2日後に明けたんですよ梅雨が。
なので、行ってからほぼ酷暑、毎日30度を超えるっていう生活を送ってました。
で、実際は去年はね、私がこの東京での梅雨を味わってる間に、パリがね、大酷暑だったんですよ。
40度近い、40度ぐらい行ってたんじゃないかな、35から40の間を毎日行く感じの暑さだったんですよね。
で、酷暑っていうのはフランス語だとカニキュールって言うんですけども、とにかくフランスはエアコンがないんですね。
まあ、南仏とかに行くとね、それでも増えていると思うんですけども、パリで考えた場合に、かろうじて、例えば映画館とかレストラン、レストランでもないところもいっぱいありますからね。
とか、そういうので増えては来てるんですよ。
で、電車もエアコンが増え始めました。
しかし、バスがない。
はい、とにかくバスはエアコンないですね。電気自動車になってるんだけどエアコンはない、みたいな感じで。
で、普段はいいんですけどね、35から40の間で、完全蒸し風呂で、体臭と何から何まで全部混ざった感じで、本当に時々吐き気がするっていう時もあるぐらいのすごい状態なんですね。
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で、私はちょっと去年のパリの国書っていうのは体験してないので、わかんないんですけどもね、だいたいね、7月か8月どっちか来てたんですよ。
で、今年は7月に関して言えばでしょ、これからわかんないんですけども、31、2度までは上がってるんですよね。
だけど、35とか、あといわゆる熱帯やみたいな、夜も暑苦しくて寝れないみたいな日は、今のところない。
なんとか、ちょっと1日ぐらいあったかな、きついかなっていうぐらいはあるんですけども、それでもまだ過ごしやすい。
これからね、8月どうなるかわかんないんですけどね。
うちは、私ごとなんだけども、2年前に家を変えて引っ越して、そこがフランスではまあまあ珍しい新築なんですね。
で、その新築の暖房が、いわゆるちょっと日本式エアコンなんですよ。上にくっついてるやつね。珍しいんですよ、フランスではね。
で、なんと富士通なんですけども、日本のメーカーでね。
で、その暖房が、実は工事さえすればエアコンもできると。しかし初期設定では暖房しかないんですよね。
なんかフランスの手続状の問題なのかわかんないんですけど、だからわざわざエアコンができるようにもう一回ちょっと工事をし直さなきゃいけなくて、
で、2年前入った時は夏なんとか暑かったけど乗り切りました。
で、その後、秋に入ってから、やっぱり次の年のことを考えてね、いつこのカニキュールっていうのが来るかわからないので工事をしました。
で、今年が最初の年なんですよね。で、今のところ1回だけ使ってます。
日中は使わないんですけど、夜寝る前に1時間、まあ設定をしてね、寝れるようにするっていう感じで1回だけ使いました。
でね、フランスは何が違うかって、建物の構造で石なんですよ。で、石ってきちんと締め切ると案外涼しいんですよね。
で、日本はやっぱり通気性の関係、湿気もあるので通気性をやっぱり重視してるから、その熱風も入ってきやすいんですよ、そういう意味では夏は。
なので、フランスの二重窓、これ二重窓であるってことがポイントなんですね。
一重の古い建物だと熱は入ってきちゃうんですよ。で、暖房の時も冬は熱が外に逃げやすいっていう。
なのでそういう意味では建物の構造とか窓の作りとかによって電気代が全く変わってきます。
そういう意味ではね、締め切っていればこの今の新しい家は建物の構造的に新しいので結構涼しいですね。
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2階に上がるとね、暑いんですけども、地上階、いわゆる1階ですよね。
握る分には結構22,3度ぐらいで保てられてるので涼しいですね。
そういう意味では光をある程度遮断すれば快適に過ごせる、エアコンなくても快適に過ごせる環境かなと思います。
あとね、地下にカーブっていう、要はカーブっていうのはもともとワインとかをストックしたりするとこなんですけども、
その地下があって、この地下がね、やっぱこの16度に常に設定されてるんですよ。
15度から16度ぐらいかな。
で、とにかくカーブっていうのは一定の温度でキープしてないといけないんですね。
だから湿度とか温度とかをずっと調整してて、
最初に私たちが入った年は湿気の調整がね、やっぱり大変で、
これは湿気がすごく上がっちゃったりとかして、
ちゃんと保たないとカーブの意味がなくなっちゃうんですよね、ワインの。
ワインだけ置いてるわけじゃないんですけど、そういうストックしておけるもので、
冷蔵庫に入れるものではないけれども、ある程度の温度をキープできる涼しいとこなんでしょう。
だからね、冬場は若干寒いんですけど、
夏はね、涼みに行きたくなったら地下に行くっていうのが一つポイントです。
なので、8月はね、どうなるかわからないし、
今回は今年は特別でコロナの関係もあって、
マスクは法律でマスクを装着する、結構珍しい国なんですけども、
一回ね、マスクつけなくても大丈夫っていう感じになったんですよね、
例えばお店入る時も。
だけどまた7月20日から、いわゆる閉鎖された公共空間、
今まではね、電車はマスクつけなきゃいけないとかだったんですけども、
いわゆる7月20日からは、公共施設ですよね、文化施設とか店舗とか、
なんか閉鎖された空間に入る時には、
もう完全にマスクの着用が決めつけられるようになりました。
で、違反すると、外出禁止の時と一緒で135ユーロの罰金となります。
ということで、日本みたいにマスクの種類もないし、
クオリティ的にもどうなのっていう感じはするんですけども、
なんとかね、暑いながらもマスクは常に持ち歩かなきゃいけない生活になってます。
ということで、本編スタートです。
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はい、本編です。
今回はプライベートも半分入っているんですけども、
ポッドキャストでお伝えしたいなと思っていたことをお話ししたいと思います。
ポッドキャストでインタビューをさせていただいたアイリン・クーパーさんが、
実はね、4月の30日にお亡くなりになりました。
で、その辺の話もちょっとしたいし、
彼女との思い出を今日はちょっと話したいなと思うんですけども、
実際はね、やっぱりこういう不法をニュースみたいな感じでお知らせした方がいいなとは思ってたんですけども、
私自身がやっぱりちょっと消化するのに時間がかかるというか、
彼女の話を自分の口で語ることがちょっとできない、準備が整ってないっていう感じだったので、
実際はもう7月になってしまって、もうほぼ3ヶ月弱なんですけども、
かかってしまいました。
もうすでにね、ご存知の方もいらっしゃると思うし、
彼女のフィールドを、Facebookとかのフィールドを見て分かっている方もいらっしゃるし、
私のところにも連絡がね、いろいろね、いろんな方からご連絡をいただいたりしたこともあったので、
そういう意味では、いろいろちょっと時間を要したっていう感じなんですよね。
簡単な経緯だけお話しすると、アイリンはもともとインタビューでもあったようにロンドンに住んでいて、
2月の終わりぐらいから仕事で沖縄に行ってたんですよね。
で、その後、今回のコロナのこともあり、そこから出れなく、出れないわけではなかったんですけども、
もともとそのお子さんが新婚旅行でニュージーランドかな、オーストラリア、多分ニュージーランドだったと思うんですけども、
に行っていて、その後日本に寄るから日本で旅行をしよう、みたいな計画を立ててたみたいなんですよ。
もちろんね、お子さんたちもその後ロックダウンでニュージーランドから出れなくなってしまい、
もちろんイギリスにいる家族はそのままだし、彼女の体調もちょっと4月に入ってから悪化してて、
私が最初に聞いたのは、彼女が4月の半ばぐらいに自分のフェイスブックで書いてたことだったんですね。
それを友人からこれ知ってた?って聞いて、実はそれを読んでなかったんですね。
私何故か飛ばしてたんですよね。
見てなくて、要は彼女のフィールドを見ると沖縄に入院していると、肝臓の病気と併発してしまっていて、
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お腹が凛月の妊婦さんみたいにすごく膨れ上がっちゃって大変だと、
結局4月の半ばなので完全にイギリスもロックダウンしてるし、
もちろん東京とか日本も外出自粛という状態になっているから、
一人ぼっちで入院をしていると。
だけど一応チャットとかビデオとかでコミュニケーションはとっている。
私はそれでも強く前向きに行くみたいな感じで書いてた。
確か英語で書いてたんだと思うんですけどね。
だったんですよ。
その後、結局2週間後に亡くなったんですよね。
だから今回のコロナっていうのもすごい重なって、
結局家族と会えないまま亡くなったっていう感じだったんですよね。
彼女は頻繁に日本に行ったり、結構精力的に活動しているっていうことはもちろん知っていて、
私自身は彼女に最後に会ったのが、私がロンドンに行った時だったんですね。
去年の春なんですよ。
その時にちょうど友人とインタビューさせてもらったエリオとゆかりさんなんですけども、
彼女とアイリンと3人でランチをしようと言ってたんですね。
アイリンはちょうど次の日から日本に行くからちょうどグッドタイミングだよって言って、
じゃあ会おうみたいな感じだったんですね。
ところが彼女が直前になって、実はちょっと副作用が出てきてるから薬の関係でね、
それを抑える薬をちょっともらうために病院に行かなきゃいけないと。
日本に行く前日だから、その時間しか病院に行けないから、申し訳ないけど私は参加できないっていう感じで言ってたんですね。
そりゃしょうがないよねっていう話をしてて、
元々エリオとゆかりさんとランチをするっていう前に彼女に、アイリンにお土産を持ってきてるから、
その次の月に会う予定だったんですよね、別のイベントで。
だからアイリンにこれ渡しといてくれるっていう風に彼女に言ったんですね。
最初は彼女は分かったって言ってたんだけれども、
その後に彼女がやっぱり秋ちゃん会っといた方がいいと思う。
アイリンに直接渡した方がいいと思うっていう風に言って、
とにかく病院から帰る夕方とか、私たちも予定があったから、
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その帰り際に彼女の家に行って、お土産を本当に渡すだけでもいいから直接会いに行かないっていう風に言われて、
もしそれができるんだったら、私も一目だけでも彼女に会いたいって言って、
やり取りをしてくれて、結局夕方アイリンの家のところまで行き、
外で15分かな、20分くらいワンちゃんと一緒に喋れたんですね。
でも本当にそれが実は最後だったんですよね。
だから本当にそういう意味では、ゆかりさんがその一言を言ってくれたおかげで、
彼女に短い時間では会ったし、日本に行く直前で大変だったとは思うけれども、
会えたっていうのが実は最後になってしまったんですね。
彼女のインタビュー自体は2016年にやってるんですね、秋にやっていて、
私自身は彼女とはパリで会ったり、
たまたま日本に行ったタイミングが一緒だったりして、
日本で東京で会えたりして、最後ロンドンで会えたっていう感じなんですけども、
結構ね、タイミングが合えば会ってたんですよね。
彼女も結構頻繁にパリに来てくれていたので、
その度に声かけてくれて会えたっていう感じでもあったんですけども、
久しぶりにね、この2016年のインタビューを聞いたんですよね。
このアイリンのインタビューは、この癌と共存するっていうことも含めて、
とにかく強烈なメッセージをね、伝えてくださっていて、
結構インタビューの中でも人気が高いんですよね。
やっぱりどのインタビューが好きって聞くと、結構アイリンのインタビューが好きっていう人が多かったぐらい、
すごいインスピレーションにあふれたインタビューだったんでしょうね。
私自身も、インタビューの後ぐらいは、
2016年ですかね、4年近く前なので、何回か聞いてたこともあったんですけども、
ここ数年、2年ぐらいとか、3年聞いてなかったので、
今日彼女の話もしたいし、また聞き直したんですよね。
どうやら私自身は、そのインタビューで思い出したんですけど、
思い出したっていうか、そこで知ったんですけど、
それが初めて彼女に会った時ではなかったみたいなんですよね。
その前にすでに彼女に会っていて、その後インタビューを申し込んだのかなっていう感じで、
去年よりめちゃめちゃ元気だよねっていう話をしてたので、
その前の年に会ってたんだと思うぐらい、ちょっとすっかり忘れてるんですけども、
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彼女のインタビューをやっぱりもう一回聞き直して、
彼女が教えてくれたことっていうのを、すごく実感としてわかりますね。
その時にやっぱりちょっと、2020年が一つの、5年での生存率がみたいな話をしてて、
どんぴしゃ2020年だっていうのをちょっと知った時に結構ショックだったんですけども、
でもすごく、私がインタビューさせていただいたタイミングからの彼女の数年っていうのも一応知ってるし、
すごく精力的にやっていたし、
人っていうのは、彼女が自分の存在とかこの出来事に意味を持たせるってずっと言ってたけれども、
そこにまつわる彼女の思いっていうのを本当にそのまま体現された人だなぁと思います。
だから、彼女もね言っていたことなんですけども、
病気にならないとこういうことに気づけないんだよねっていう話をしてて、
人っていうのはやっぱり、でもいつどうなるかわからないのは誰でも一緒っていう話で、
なんかこうグズグズしてる場合じゃないんだよっていうのをすごく教えてもらったなって思ってます。
実際にやっぱり日本は災害があったりね地震があったり、本当にいろんなことがある中で、
でも日常を取り戻すと人って忘れていくんですよね。
死に迫ってることを体験したりしてるのにもかかわらず、
やっぱりその部分から少しずつ日常を取り戻そうとね忘れていくものではあるんですけども、
でも人って結局時間は有限であって、普通に寝て次の日が来てるけれども、
でも実際はその短い中で、まあ短いか長いかはもう主観ではあるんだけれども、
自分が本当にしたいことをやって、ある意味納得できる一生を終えたという実感を持っていきたいなぁと思った時に、
彼女のやっぱりメッセージっていうのは本当にいろんなことをね考えさせられます。
正直まあ本当にその彼女のことを考えるとあんまり話せることがないというか、
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まあでも私はあのインタビューを残すことで、彼女の生きざまっていうのを知っていただけるかなぁと思ってます。
実際にやっぱり彼女がやっぱりいかに他の人からも愛されてたかっていうのが、
まあその後のお友達のやりとりとか彼女へのメッセージとかを見るとすごく感じるし、
本当に前向きに明るく自分のインスパイアできることを本当に体現してきたっていう意味ではすごく尊敬しているし、
本当に大好きだったし今でも大好きですけど、本当お姉さん的な存在ではありました。
まああんまり締めっぽい話はしたくないんですけども、実際はね正直な気持ち明るく話したいけど、
ちょっと感情的にね、まだ難しいところもあって、3ヶ月経ってもまだ難しいところもあります。
でもそういう意味ではね、一回はちょっと皆さんにお伝えしたいなぁと思って話をさせていただきました。
まあ実はね、本当に私事ではあるんだけど、彼女の不法の数日前に、数日か一週間経ってなかったと思うんですけど、
実はアイリーンと同い年ぐらいの方がね、私のすごい尊敬している人間的な器も本当に大きい方が亡くなったんですよね。
だから50代の半ばぐらいで、多分アイリーンと一緒ぐらいの年だと思うんですけども、結構ね、すごく有望とされて、
会社のCEOもされて、影響力も高くて、でも人間的な器っていうのもすごく大きい方が急に亡くなられて、
その直後がこのアイリーンだったのでね、やっぱりちょっとやっぱり考えさせられたというか、
自分の中でね、まだ気持ち的に納得、納得っていうかすっきりできない部分がね、続いてたっていうのが結構大きいかなと思います。
でも本当に久しぶりに彼女のインタビューを聞いて、4年前とは思えないくらい色あせない本当に本質的なメッセージを伝えていると思うし、
よかったらアイリーンのインタビューをぜひ聞いていただきたいなと思います。
2016年の10月だと思うので、
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ポッドキャストで言うと第28回と29回、本当初期の頃ですよね、考えると。
なのでぜひ聞いていただきたいと思います。
彼女の冥福を祈りつつ、また彼女が残してくれたことをね、
私たち自身が体現していくっていうことが、彼女への感謝と供養になるかなと思います。
ちょっとね、締めっぽい話になってしまいましたけども、また次回からは楽しい話で明るくいきたいなと思います。
ありがとうございました。
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。