私がさ、もともと結構好きでさ、行こうよとか言ってもさ、全然乗り気じゃなかったけどさ、ある日ね、キュビズム展に行った時にね。
覚醒した。
感銘を受けてそっからね、私より美術の勉強してるからね。
あのピカソがね、一番好きな画家になったんだけど、ちょっとピカソが好きがね、言いにくくて。
こう聞くと鼻につくよね。
ピカソが好きがね、言いにくいんですよ。
まあでも、あの展示行ったらピカソは好きになるね。
キュビズム展に行ったら、だから結構限定するようにしてて、そのキュビズムの時のピカソっていう感じで。
青の時代とかじゃない。
そうそう、シルレアリズムでもない、本当にど真ん中キュビズム時代のピカソっていう風に限定するようにしてて。
それでちょっとなんかその、ピカソのさ、ピカソ性を薄めようかなと思って。
キュビズム展でね、ピカソがどうしてキュビズムに至ったかみたいな話とか、結構試行錯誤してさ、表現を探るみたいな時代がジョルジオブラックトだっけ。
ジョルジオブラックト。
そうだよね。ピカソが切磋琢磨して新しい画法を作り出すみたいなのにめちゃくちゃ感銘受けてね。
あんなに美術館興味ないって言ってたのに、クイール様に私なんかよりよっぽど楽しそうに見てたのね。
なんかね、それまで絵を見ないといけないと思ってたの、美術は。
それも楽しみ方の一つではあるよね。
それしかないと思ってて、日本人大好きな印象破天にね、一番最初の俺の美術館デビューは印象破天だったのよ。
良くないね。
モネだったかなって言って、何これ?
もうさ、絵より人を見てる時間の方が長いから。
人すごいし、でもその時はまだマシだった、今よりマシだった。どんどん増えてるじゃん。
もう山手線みたいだからね、通勤時間も。
美術のね、巡路がね、すごいよね、ギューギューで。
すごい。
自分のペースで歩けたもんじゃないし。
まあそれもあったし、でも俺がいた時は空いてたのよ、印象破天。
そうなんだ。
でもその絵の何がいいかも全然わかんないし、うーんみたいな。
これがすごいんだ、みたいな感じで、何が美しいのかもわかんないし。
そうだよね。
ちょっとダメだ、俺わかんないわ、美術ってなって。
それでまあ、あんまり言っても面白くないものになったのよ。
で、まあ一応めげずに、たまーに、本当にごく稀に気が向いたら言ったりすることあったんだけど。
あ、そうなんだ。
まあ面白くないと。
うん。
やっぱり俺には絵はわからんってなって。
描いてもさ、絵心ないから。
描いても見てもわからんなってね。
そう、ダメだった。やっぱダメだなって思って、諦めてたの。
でもキュビズム展で、めちゃくちゃロジカルな展示だったし。
そう、しかも音声ガイドもめっちゃ面白かったよね。
あれを超える音声ガイドないかも。
ね。
うん。
すごい良い音声ガイドで、すごい良い企画糸で。
ね。
で、それとバチッとハマって、キュビズムっていうのがどうやってできていったかっていう、本当に誕生した直後から最終形に至るまで、順番でこうね、描いていってくれてて、展示していってくれてて。
なんか絵が生きてる感じがしたよね、どんどん。現代のさ、画法になっていく感じが。
うんうん。コラージュとかがこうやって生まれたんだなとか。
うんうん。
すごかったね。やっぱ、現代のデザインとか、パッケージとかも含めてだけど、広告とかも含めて。
もしかしたらキュビズムがなかったら、このような大胆な画面分割みたいなことしなかったのかも、なんとか。
現代にも通ずるところとかを、なんとなく感じられるし。
何よりやっぱ、非常にそのロジカルに作っていってるから、理解できるのよ。
そうだよね。
こういうことやりたかったんだ、みたいな。
で、それを通して彼自身が何を表現したかったのかとか、どこから逃げたかったのかとかが、めっちゃよく分かって。
そこで初めて、やばいなこれってなり。
やっとね、美術って絵見なくていいんだ。
絵を見るという楽しめ方もあるのはあるけどね。
もちろんもちろん。それが主流だよ。それが主流なんだけど、絵を見なきゃいけないと思ってたから、そこからすると絵を見なくても、美術って楽しめるんだっていう、これはもう目から鱗だったのよ。
友達と美術館に行くなんて、数年前にはもう想像もできない話ですよ。
どっちもなかったからね。
そんなことあった?
友達も美術も持ってなかったから。
いいことですな。
見に行って、そしたらね、これがね、自分で一生懸命積み上げた積み木を自分で全部ぶっ壊して喜ぶみたいな感じで。
いつの作家さんが?
俺が。今まで俺が西洋美術を勉強する上で学んできたこととか積み上げてきた知識が全部ぶっ壊れるような展示だったの。
この画家さんがそうだったんだけど、前提としてさ、西洋美術のほとんどって宗教とめちゃくちゃ超密接に紐づいてるじゃんか。
そうだね。宗教のためみたいなところだよね。
それがスタートになっちゃってるから、絵に対して必ず目的があるわけ。
そうだね。神様の教えを伝えるとか。
必ず役割というか、社会的な要請があって絵っていうのが描かれてるじゃんか。
そうだね。教会が描いてくださいって言ったりとか。
新しい教会を作るから、そこのフレスコ画を描くとかもそうだしね。か肖像画がやっぱメインになって。
ブルジョア寺の。もっと前?
もっと前の。教皇とか王様とかもそうだけど。あの辺の話で本当に衝撃だったのが、肖像画ってその人本人描いてないっていう話がやっぱ衝撃すぎて。
え、どういうこと?空想でイケメンっぽい人描いてるってこと?今の。
肖像画描いてって言われたら、王爵と王冠をかぶってるとか、教皇の持ってるものとか服とかを着てさえいれば、別に誰とかどうでもよかったんだって。
え、じゃあ全然顔違うの?
全然顔適当らしいよ。
え、いいの?そんな雑な仕事でいいの?私もやりたい。
だからさ、いかに人間に対して価値がないと思ってたかだよ。
いや、ほんとだね。
徹底してる、そんなの。
え、誰でもいいんだ、王様であれば。
強いの持ってりゃいい。そんなことある?
そうなんだ。
やばいじゃん。だからなんか振り切り方がすごかった。うわ、そんな世界だったんだ。
それいつ頃の時代の話?
これもう本当に中世とかがそうだ。
中世って何年ぐらい?
ルネサンスの手前ぐらいまでそうだ。
ああ、そうかそうか。
だったらしい。ほらすごいな、そんなことあるんだ。
だから本当に権力を見せるためだけに書いてもらってたりとかしたってことか。
アイコンであればいいから、アイコンとして必須のものを絶対持たせておく。
それが肖像画の役割みたいな。じゃあ肖像で肖像と呼ぶなよみたいな。
そうだね。
そのぐらいの感じだったんだけど、そのぐらい目的がパキッとしてるわけ。
やっぱルーツがそうだから、西洋絵画って基本的には作者というか画家の目的とか意図が非常に分かる。
書かれてるもの一つ一つにちゃんと意味とかがあってさ、よく言うじゃん。
ここに犬がいるとどうとか。
そういうのが、だからこれって全部意図じゃん。
これをどのように画面に綺麗に配置していくかと、その一つ一つをどんだけ書き込むかみたいな、こういうので盛り上がっていくじゃない。
なるべくリアリティもある状態でね。
写実主義にバーンと走っていくとかは、すごいよくわかる。ロジックカルに理解できるんだけど。
高島矢次郎の絵を見たときに。
え、まってそもそも彼はどの時代の人なの?
戦後、戦時中、昭和。
じゃあ1900年。
1890何年とかから1900何年みたいな。
じゃあ割とピカソが活躍してたぐらいと。
そうかもね。
同じぐらいか。
ちょうどそのぐらいの時期、ゴッコの作品とかめっちゃ入ってきて、日本画家が超ゴッコに影響を受けて、みんなゴッコの真似してたときとか、そのぐらい。
の画家さんで、彼の絵を見たときに意味わからなさすぎて。
どういうふうに見たの?
もうね、意図が全く感じられないの。
でもさ、印象派とかもさ、ぱっと見意図は伝わらないじゃん。
ぱっと見は伝わらない。
なんかぼやーと描いてるなぐらいの、やっぱそういう印象しか受けないんだけど。
それとはまた別の。
それとはまた別の。
え、何描いてんだろうみたいな。
え、どういう画面?それ。
何のために描いてんだろうとか。
これはさ、別に生物画とかもそうなの。
りんごを描くとか、全部そうで。
高島弥十郎の特徴的な絵っていうのが、ろうそくの絵と月の絵が一番その特徴的で。
今私の手元に図録があるけど、この裏拍子の。
そう、ピックアップされることよく。
本当になんかグレーの色面にぼわーっと綺麗に月が真ん中に描かれて。
真っ暗な画面に月だけポンって描いてる。
あとちょっと下の方に浅い色で雲が描いてあるみたい。
で、こういう月だけを描くとか、ろうそくだけを描くみたいな画があって、高島弥十郎まではあんまりいなかったんだって。
日本で?
日本で。
そういうのを描いてる人なんだけど、これね、何でか分かんなかったけど、パッと絵見たときに、え、これ何のために描いてんだろうみたいな。
ってなるわけ。風景画を見ても、生物画を見ても、感覚として、え、何のために何を描いてるんだみたいな感じになるの。
そもそもこの感覚になるのは、西洋画が何のために描くのかというのが基本的なベースの答えとしてあるのに。
え、でもさ、最近のそれこそシルエアリズムとか以降のものって別にそんななくない?
まあ、そりゃそう。
でもだいたい時代一緒じゃん。
時代は一緒だけど、今まで自分がインプットしてきた絵のルールみたいなのが、大前提のルールっていうのがやっぱりそうだから。
そうっていうのは何?
ちゃんと意図がある。意図と目的がある。
でもこれ西洋画は現代も別に意図も目的もあると思うんだよね。
まあまあまあ、そのなんていうの、文脈をたどればさ、わかるけど、シルエアリズムの絵単体だけを見て、意図があるとはなんかわかりにくいというか。
でも何かのためにああいう絵を描いてそうではあるじゃん。何を描きたかったんだろうみたいなさ。
なんか、泣く女とかもそうだけど、泣く女って女性が泣いている顔ですという絵を描いてて、
それをなんでこんな表現にしてさ、描くんだろうって普通に思うし、それはそれなりの意図がピカソにはあって、ああ描いてるじゃん。
だからピカソが表現したいものみたいなのがあって、そのための絵っていうのがちゃんと存在しているという感覚があるんだけど、
高島矢十郎の絵に関しては、絵の前に立ったときの感覚でしかないから何とも言いがたいんだけど、
これ何のために描いてるんだろうみたいな。何の目的で描いてるんだろう。どういう意図で描いてるんだろうっていうのが、本当に全然つかめない。
それはみんながそうなの?それともポーキーがそう感じたの?強く。
俺がっていう話。俺の感覚として、何これってなった。
それは何が違うんだろうね。
初感ね。最初の初見で立って、何だこれってなって、俺の知ってる絵画の形式と、やっぱ違いすぎるもん。
当たり前に西洋美術をずっとやってきて、崩されるために積み上げてきたから、それをやっぱ絵見てバーンってなって。
だから、彼の中に目的みたいなのが設定されないんだよね。社会っていう観点において。
だからさ、今まで西洋絵画で見てきたような、妖精があって描くとか、宗教があって描くとか、社会っていうものが存在して描かれてきた絵と、たぶん根本的に感じるものが違ったんじゃないかなっていうのを予想してて、僕がね。
うん。
だから、すごい彼が見たものを本当に描きたいように描いてるようにしかやっぱ見えないわけさ。で、それでいいし、別に。
でも、その中で結構やっぱりその、今になって評価がどんどんどんどん上がっていって、有名な画家になっていくっていう。
ま、生前は全然評価されてなかったけどっていう。ま、なんか、画家とかによく聞くね、感じなんだけど。
へー、そうなんだ。
うん。
でもなんかすごい、私は全然日本の絵とかも、全然絵に詳しいわけじゃないけど、確かになんかこう、純粋に美しいものをなるべく、なんていうんだろう、自分の美しいと感じた瞬間を絵に収めておきたいんだろうなーっていう感じがあるね、風景とか。
そういうロウソクのさ、絵が6枚とかあるけど、全部その日の揺らめきが若干違ったりとか、たぶんその瞬間の刹那の美しさを、こう1枚の絵にどう収められるかみたいなのをずっと探求してたのかな。
なんかそれ、6枚がゼロクとかにはついてんだけど、何ヶ月もこもってロウソクの絵ばっかり描いてるとか、あったらしいね。
何かにやっぱ執着してたんだね、その日の表現か何かわかんないけど。
でもそれはさ、大切な人に送るための絵だから、ロウソクっていうのは彼の中で。なんでそのロウソクを送ろうと思ったのかもわかんないし。
なぜだろうね。
そのためにやっぱ本気で描いてたとかも、なんかすげー話だなと思って。人にあげるための絵を描くのに何ヶ月もこもってさ、絵を描き続けるみたいなこととかも含めてさ。
えー、でも私本当に詳しいわけじゃなくてさ、たまに美術館の展示で見るぐらいだけど、日本の画家の人ってこういう絵多い気がする。
そうだと思うよ。
美しいものをなるべく美しく、自分の表現で描きたいみたいなのが多い気がするな。
これさ、美術の技術の歴史の発展とかを考えると、なんで写実的にするのかとか、なんで点描をするのかとかっていうのはさ、ルーツがあり、誕生とかしてきてるわけじゃんか。
そういうのが、ただただ技術としてだけ伝わってきて、ルーツがなく技術として伝わってきたときに、もともとさ、それが生み出される背景になったものをすべてすっ飛ばして、この技術だけを使ってガチャガチャっと組み合わせて、自分の描き出したいものみたいなのを、いい意味で切層なく技術を使って一枚の絵にしてるとかも、ものすごい衝撃だったのよ。
このゴッホっぽいタッチを、文脈もなくというか、この表現が美しいんじゃないかと思って多分やってる。
そうそう、面白そうとか言ってやるとか、そのゴッホの表現を背景の壁だけに使って、
へー、そんなことしてんの?
そう、全面は全然そんなゴッホっぽく描かないとかやるの。
へー、面白いね。
そんなことする?みたいな。
だからゴッホはさ、自分の見てる世界とかその自分の情熱みたいなのをさ、わーって描き出してさ、一枚のああいう画風みたいなのを作っていたわけじゃんか。
彼の中では生きることでありさ、闘争でありさ、宗教のさ、神分になりたかったのになれなかったとか、そういうのを含めた人生がかかってる感じはするんだよね、あの技法に。
でもその技法だけの表面をピッて取ってきて、背景には使いますみたいな、全面は写実的に描きますみたいなことをやっちゃうとか。
まあこの人の中でそれなりの表現を使うことの模索もあったかもしれないけどね。
うん、全然あったと思うけど。
ペット使ったかわからないけど。
でもなんかそういうのを全体的に感じるんだよね。点描をちょこっとこの箇所だけに使ってみましたみたいなのとか、
技術と描きたいこととルーツみたいなのが噛み合ってないのにめっちゃ綺麗な絵になってるのよ。がやっぱすごくて、こういうのめっちゃ日本人の精神性にありそうだなと思って。
クリスマス持ってきて。
確かに。
そう、仏教徒なのにクリスマスやりますとか、意味もルーツもなんにも知らないけど、なんかプレゼントもらえて楽しいっつってやるとか。
で、3ヶ月後ぐらいにおじいちゃんの七回帰とか出てね。
そうそうそうそう。ごちゃごちゃじゃん。ガチャガチャじゃん。
そうだね、正月でお年玉もらって神社に行ってね。
意味わからんすぎるじゃん。
お寺巡りもするしね。
神道なの?仏教なの?キリスト教なの?みたいな。
そういう技術とか形式を輸入して、自分が生きることに技術をフィットさせるみたいな行動の習性みたいなのをすごく感じるのよ。
で、めっちゃ感動して、これやっぱ日本画家取っといてよかったなと思って。