日曜パーソナリティーのリリコさん、お疲れ様でした。
そして、アフターセブンをお聞きの皆様、お盆明けの月曜日をいかがお過ごしでしょうか?
控えめに言って、くっそだるいですね。
わかりますとも、皆さん、ほんまにお疲れ様でございます。
本日は、あなただけのゲイ友、豆腐邸ウルフがお届けするアフターセブン、まもなくスタートでございます。
8月19日、月曜日、時刻は19時でございます。
毎日、多種多様なポッドキャスターが日替わりでお送りするラジオ番組、アフターセブン。
本日は、豆腐邸ウルフがパーソナリティーを務めます。よろしくお願いいたします。
Are you ready?
皆さん、8月22日にですね、なんとですね、ネットフリックスで劇場版美少女戦士セーラームーンコスモスの配信がスタートするんですよ。
いやー、待ってました。もう待ちくたびれました。
映画館での上映から1年2ヶ月ですか、最近の映画にしては配信まで割と長いこと待たせてきたなという印象でございます。
僕、セーラームーンはアニメ200話はもちろん見てますし、原作コミックも実家にありますくらいのね。
まあ多分、界隈ではかなりライトなセーラームーンファンなんで、劇場版のね、セーラームーンコスモスは映画館に見に行ってないんですよね。
ライトなんで、あくまでも僕ライトなんで。
2014年ですか、ニコニコ動画で始まったセーラームーンクリスタルシリーズはシーズン1とシーズン2の作画崩壊ばかりが話題となっておりましたけれども、
ストーリーについては原作住居でございましたし、
シーズン3からはキャラデザインにですね、プリキュアシリーズでおなじみの高橋あきら氏が抜擢されたりとね、ストーリーも旧アニメの要素も少し加えたシリーズになっております。
で、その次のセーラームーンエターナルから劇場版作品となっていくんですけども、
この最終章であるセーラームンコスモスというのがですね、原作読んでる方ならおそらくわかっていただけるんですけれども、
ストーリー的にも最も残酷な展開を繰り広げていく内容となっております。
だからめちゃくちゃ楽しみにしてるんですよね。
というわけでですね、本日のテーマはこちら!
ネットフリックス配信記念、美少女戦士セーラームーンを当時の時代背景とともに考察してみた。
アッパーセブーン!
アッパーセブーン!
アッパーセブーン!
アッパーセブン!
その1、1990年代の日本社会と女の子らしさという価値観。
セーラームーンの初回放送というのは、1992年3月7日でございます。
とふてがまだ2歳にもなる前のお話なんですね。
セーラームーンは少女漫画として、女の子向けアニメとして放送が開始されました。
そんな当時の時代背景と言いましょうか。
世間が女の子に求めていた女の子らしさというのが、俗に言う大和なでしこみたいな存在だったわけですよね。
女性は家庭を守り、優しさや従順さを持つのが良いとされている風潮がまだ根強く残っていた時代でございます。
今考えると、女性にとってはとても生きづらい時代だなあなんて思いますね。
型に収まる方が楽という方であれば、もしかするとその時代の方が生きやすかったのかなあなんて思うんですけれども、
ただ、その型というのもたまたまその人の個性と時代が求めている女性とが合致していただけなので、
今の時代であればね、そういった個性もそうでない個性も受け入れられることのが多いのではないでしょうか。
ですから、やはり全体的に見て女性にとっては生きづらい時代、世の中やったんかなという風に僕は推測しております。
また、恋愛観にもこういった文化は反映されておりまして、
当時は男性が好むような可愛らしい服装やメイクが重視され、
今でもモテファッションなんていうのがありますが、今以上にそれが顕著に出ていた時代であったようです。
つまりですね、当時の女の子らしさという価値観は、
意思の強さや女性が自分の考えを持って何かをアクションするということよりも控えめで従順であり、
可愛らしさや優しさが重視される、将来は両才賢母になるのが良しとされていたような時代なんですね。
そんなクソくらいみたいな女性像を押し付けられていた時代ではありますが、
セーラームーンが放送開始となった1992年というのは、少しずつ時代に変化の兆しも現れ始めた頃でございまして、
90年代前半といえば、バブルの崩壊後、女性の社会進出が進み始めている頃でもございます。
その裏っけとなるのが、1986年に施行された男女雇用機会均等法の営業が徐々に現れ始めているというところになってくるんですね。
これにより、これまでの大和なでしこ的な控えめで優しさなどを重んじる女性像から、
新たな女性像が模索され始めた時代でもあるというふうに言えるんですね。
そんな時代にアニメの放送が始まったセーラームーンは、
当時求められた女の子らしさの枠組みからはみ出る部分とそれを踏襲する部分の2つの要素が入り混じっているという作品なんですよ。
ここまで聞いてくださった皆さんどう思われますでしょうか。
僕としては当時の時代背景をうまく活用した、うまく利用した作品だったのかなというふうに僕は考えております。
セーラームーンがもたらした新しい女の子らしさという女性像について1つ目は戦うヒロイン像というものですね。
これまでに求められた女の子らしさという要素の1つである可憐さを持ち合わせているのはもちろんなんですけれども、
それに加え敵と戦う強さや仲間との絆を重視した姿というのは従来の少女漫画の枠を超えてきたんですね。
当時はまだまだ恋愛史上主義的な価値観が強い時代でございますので、
少女漫画イコールチュッチュポッポしちゃうような恋愛に重きを置いた少女漫画が多いんですよね。
なので原作準拠のセーラームーンクリスタルシーズン1シーズン2あたりは、
わりとチュッチュしては頬をあからめているような描写が多いのが印象的でございます。
幼少期に僕は熱血系のセーラームーンを見て育ったので、ちょっと違和感というかこういう時代やってるなあというふうに思いながら見ておりました。
そんな恋愛だけの枠組みに収まらなかった主人公というのが月のうさぎというキャラクターですね。
彼女は泣き虫で少しドジという可愛らしさを持つ一方で、
強い責任感と正義感を持つ努力と成長の象徴として原作版旧アニメ版の両方で描かれています。
彼女が天使として活躍する姿というのは当時の女の子たちに新しいアイデンティティをもたらしたと言ってもいいでしょう。
また月のうさぎだけではなく多数な個性豊かなキャラクターを描くことで、
こんな女の子だっているよ、こんな女の子だっていいんだよという当時の道しるべになったのではないでしょうか。
当時ですねセーラーマーキリーこと水野亜美というキャラクターは劇場版セーラームーンの同時上映された外伝で主役に抜擢されたりと、
それはそれはものすごい人気があってですね、特に大人の男性からの人気があったんですよね。
それはなぜかというとやっぱり当時の男性が求めていた女の子らしさ、
可愛くて控えめで優しいという男性の理想像に最も近いキャラクターだったからなのかなというふうに考えております。
対照的にですよ、当時リアルタイムでセーラームーンを見ていた世代の、
僕らと同じぐらいの世代の女の子から人気があったキャラクターって、
セーラージュピターこと木野真子とやったと思うんですね。
あくまで僕の周りに限った話ではあるんですけれども、
可愛いものが好きで女の子らしい一面も持っているんだけれども、
劇場版タイプのかっこよさも兼ね備えているっていうのが、
たぶん一番わかりやすく他のキャラクターたちよりも個性が突出している女の子なんですね。
僕はセーラームーンの意思の強さとかが今大人になってみてみるととても好きなんですけれど、
でもそういうのって子供やったりとかパッと表面だけ見ただけでは、
わかりにくい個性でございますので、
当時ジュピターが女の子たちに人気があったのは、
やはりわかりやすく新しい女性のアイデンティティを描いていたからこそ、
憧れる女の子っていうのが多かったのかなというふうに考えております。
こうしてセーラームーンは多くの女の子に、
従来の女の子らしさを超えた新たなヒロイン像に憧れや共感を与え、
女の子だって強くなれるというメッセージ性が広く受け入れられた作品として広がりを見せます。
天王遥の男装はジェンダーの枠組みを超えた存在として、
多くの視聴者に強い印象を与えました。
また、ビランズであり、アニメオリジナルキャラクターであるフィッシュアイというキャラクターは、
男性の姿でありながらも女性の姿へと変身し、
男性である千葉守に恋心を抱いたりと、
性別にとらわれない自由な恋愛感を持つキャラクターとして描かれています。
フィッシュアイはジェンダーの曖昧さを持つキャラクターなんですよね。
あとは今回のセーラームーンコスモスや、
セーラースターズに出てくるスリーライツという3人組のキャラクターですね。
彼らは変身する前の性別は男性なんですけれども、
セーラー戦士として変身すると女性になるというね、
性の誘導性を描いたキャラクターも存在しております。
ざっとですね、セーラームーンに描かれるLGBTQプラス的な、
あくまで彼らがLGBTQプラスというわけではなく、
的な表現をまとめたんですけれども、これすごくないですか?
これ全部1992年から1997年頃の間に描かれているわけですよ。
すごすぎへん?
こういった多種多様なキャラクターが社会にもたらした影響というのは、
とても大きいというふうに僕は考えております。
まずLGBTQプラスの存在が大きく価値化されたというのが一つですね。
メインストリームのアニメの中でLGBTQプラスのキャラクターが登場するということで、
多くの視聴者にその存在をアピール、認知されたと言えるでしょう。
特に若い世代においては、
異なる性の在り方や愛の形を早い段階から接する機会を与えているというふうに僕は捉えております。
1990年代の日本ではLGBTQプラスに対する理解が乏しく、
今以上に偏見や差別も根強く残っていて、
僕より多分10個とかそれ以上上のセクシャルマイノリティの方達というのは、
そういったねLGBTQプラスっていうような情報もなかったために、
人と違うセクシャリティのことを自分は病気だとか異常であるだとか、
というふうに思い悩んだりした世代でもありますので、
セーラームーンというメインストリームのコンテンツがこういった多様な性の在り方を描いたということは、
セクシャルマイノリティへの理解を深める一助となったのではないかなというふうに考えております。
リアルタイムでセーラームーンを見ていたLGBTQプラスの視聴者というのは、
セーラームーンを見て自己肯定感や自己需要の感覚を得ることができたのではないでしょうか。
もちろん時代的にこういった多様な性を描くということは、
一部の視聴者から批判を浴びせられることもあったそうです。
でもやはりですね、批判があるからこそ議論や考えるきっかけを生むんですよね。
こういったセーラームーンにおけるLGBTQプラス的表現というのは、
賛否両論を巻き起こし、社会の中でも議論が活発化するきっかけとなっていったそうです。