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RS#1「晴れのための雨|髙橋健吾選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道
2026-08-06 1:17:07

RS#1「晴れのための雨|髙橋健吾選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回は、RS#1「晴れのための雨|髙橋健吾選手」10/17〜バックヤード日本代表世界一への道

【内容】

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)が遂にスタート。第一弾は高橋健吾選手

ゲスト:たかけん(高橋健吾)したまちAC代表

https://www.instagram.com/takaken2/

https://www.instagram.com/shitamachiac2022/


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。


AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・RS シリーズ= Rising Sun Project(チームジャパン頂点への道)


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


編集: 岩崎智之

Aidpo (エイドポーション)オンラインプラットフォーム運営

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サマリー

このエピソードでは、バックヤードウルトラの世界に魅せられたランナーたちを追う「AFAP」プロジェクトの一環として、日本代表候補である髙橋健吾選手(たかけん)をゲストに迎え、バックヤードウルトラの世界と日本代表チームの世界一への挑戦について語られています。髙橋選手は、下町アスリートクラブの代表を務めながら、自身も驚異的な距離を走破するウルトラランナーです。特に、7月には月間2026.7キロという驚異的な走行距離を達成し、その過酷な挑戦とメンタル面の葛藤、そしてそれを乗り越えた経験について詳細に語られました。また、バックヤードウルトラとの出会いから、数々のレースでの経験、そして病気を乗り越えて再びトップレベルを目指すまでの道のりも振り返りました。2024年のサテライト大会での経験や、2026年のチームチャンピオンシップに向けた意気込み、チームワークの重要性についても触れられています。髙橋選手の「晴れのための雨」という言葉に象徴されるように、困難を乗り越えて成長していく姿が描かれています。

はじめに:AFAPプロジェクトとバックヤードウルトラ、そしてゲスト紹介
AFAP、このプロジェクトは、バックヤードウルトラという競技に魅せられたウルトラランナーたちによる競争と挑戦に光を当てます。
As far as possible、私たちはどこまで行けるのか、走ることで繋がった仲間たちと、この世界の魅力をお伝えをしていきます。
プロウルトラランナーの水野満太郎です。
本日は、2026年8月5日、ゲストをお招きして収録という形になります。
今回から、今年の10月17日に開幕をするバックヤードウルトラサテライト大会、正式名称はチームチャンピオンシップという国別対抗戦というものがあります。
国別対抗戦ってそもそも何よ、みたいなところから、ゲストにお交えてお話をしていきたいなと思います。
では、本日のゲスト、高橋健子さんです。よろしくお願いします。
どうも、よろしくお願いします。
1回目に呼んでいただいたみたいで、ありがとうございます。
よろしくお願いします。
バックヤードウルトラ・サテライト大会の仕組みと髙橋選手の自己紹介
でですね、高橋健さん、我々は高橋健さんと呼んでいるので、そうお呼びするんですけど、高橋健さんはですね、国別対抗戦の現状の日本代表、唯一の決定者ということなんですが、認識合ってますでしょうか?
はい、合っていると思います。
でですね、サテライト大会ってそもそも何よ、みたいなところなんですけど、その国ごとにですね、各国15人の代表者を決めて、その15人でバックヤードをその国の会場でやるというそんな形式です。
で、1人が1周するごとに1ポイントということなので、最初の第1ラップとか、当然15人でスタートするので、1周終えたら15ポイントが入るという形なんですけど、だんだんと人が脱落をしていくと。
そうなると、例えば60ラップで10人とかってなったら、その周回終えたら10ポイント、みたいな形で、最終的にはその国が最後1人になるまで続くということで、
逆に言うと、1人になってしまうとその国のバックヤードは終わりというので、じゃあスタートから終わりの時点で総ポイント、何点なのというのを国ごとに競うというそんな仕組みですが、高けんさん、実はサテライトは初じゃないですよね?
そうですね、2回目ですね。前回ミシタロウ君と一緒に走りましたよね。
2024年以来の。
という感じですね。
じゃあそんなサテライトに向けて、そもそも高けんさんがどういうふうに代表権を獲得したのかとか、そういうところも今日は聞いていきたいなと思うんですが、まずは簡単な自己紹介から伺っていきたいなと思います。高けんさんはどんな方ですか?
下町アスリートクラブという東京都の墨田区、下町でランニングクラブを運営、代表としても活動してます。その中で僕自身も一度はランナーとしては退いたっていう形だったんですが、今回改めて木島平を目指そうと思って走り出して、今代表に選ばれてという形ですかね。
墨田区のジュニアクラブなんですけれども、メインは大人も教えていて、ウルトラランナーとかも今数々育っているので、よくチェックしてください。
髙橋選手のランナーとしてのプロフィール:マラソン自己ベストと驚異の月間走行距離
本当に高けんさんを育成する人でもあり、そしてご自身もとんでもない距離を走る人であるというところですけど、わかりやすいランナーとしてのプロフィールみたいなところでちょっと伺いたいんですけど、プルマラソンとかって走ったりされますか?
プルマラソンは毎年走ってまして。
ちなみに自己ベストはどれぐらいですか?
自己ベストは今年の1月に勝田全国マラソンで、障害者の伴走をしてたんですけど、その際に出た2時間50分02秒っていうのが、公認記録でのベストタイムですね。
はいはい。公認じゃない記録もお持ちなんですか?
公認じゃない記録は、4月末かな?のときに、54キロぐらいサバイバルレースみたいなのを走り続けるっていうレースを走っていて、プルマラソンの通過が2時間41分ぐらいでしたね。
まあそれはGPSなんでね、計画にはっていうところですけど。
それはあれですよね、レッドブルの。
そうですそうです。
はいはいはい。
ワールドチャレンジマラソンですね。
なるほどなるほど。
実際、あんまりご自身の中ではプルマラソンにベストの状態で出てるってことは多分ないんだと思うんですけど、
ご自身の中で、やったら自分こんぐらいのタイムは出るんじゃないかみたいなのってどうですか?
正直言うと、半年前まで2時間50分はもう一生切れないと思ってて。
自分が前世紀と思ってた40前のときでも、2時間51分とかそのぐらいでしか走れてなかったので。
って思ったんだけど、今LSDをひたすらやっているだけで、ものすごいタイムが伸びてきてるなと思って。
で、実際自分のタイムを想像すると、2時間40分は切れると思います。
調整をしっかりすれば。
しかも現時点でってことですよね。
そうですね。
いやー、すさまじいな。
もう自分でも信じられないですね。
ジョグメインにしてこんなに早くなるんだったら、今まで生き方を見直すべきだったなぐらいに思う。
ちなみにそれ、前世紀だと思ってたのが40代前半ぐらいにおっしゃってましたけど、今はいくつなんですか?
今45ですね。前世紀は40手前ぐらいかなと思った。
前世紀だと思ってた時期もあったと思うんですけど、今が前世紀だという、そういう感覚で間違いないでしょうか?
間違いないですね。
おお、すごい。
ちなみに前世紀と思ってた時期が月間長くても300キロぐらいしか走ってなかったので、そもそも話にならないレベルでの練習だったのかなって思ってます。
なるほど、なるほど。
ちょっと、そんな300で全然話にならんと言ってる岡研さんの今の月間距離はっていうのはちょっと後で聞きたいんですけど。
はい。
後でね、楽しみはとっておきたいんですけど。
はい。
ちなみにレースでの最長距離っていうのは何キロぐらいですか?
この間の木島平が516かな。
で、2019年か20年の河野道の時が寄り道とかたくさんして、いろんな友達とかに会いに行ったりして、その時が530ぐらいだったので、まあその2つかなと。レースでは。
はいはい。
はい。
レース以外の最長があるっていうことですか?
いや、そんなことないですね。
最長っていうとその2つかなと。
うんうん。ある意味それこそ、先月7月の月間走行距離も一つのロングチャレンジみたいな。
そうですね。
ことだったかと思うんですけど。
はいはい。
7月の31日間で何キロ走ったんですか?
えー、2026.7キロ走りました。
俺、あの、2026年7月にかけて、ちょうどそこで終わらせようと思って。
はいはい。
もう一生忘れないだろうなと思って、2026.7キロにしました。
そういうことですね。
はい。
いやでもその、2000キロ超えるかどうかみたいな、なんか途中諦めみたいなことも通りとかでおっしゃってたと思うんですけど。
あ、そうですね。はいはい。
そこから、まあもはや2000キロ走っちゃうと、なんか26.7キロって少なく見えますけど。
はい。
あの、2000キロどうだろう、いけるかなぐらいのところからのプラス26.7キロって、よくそこまで積みましたね。
あ、もうね、あの、2000キロを超えないなって思ったのが5日前ぐらい最後、締め切り。
そこからなんか、できないなって自分で思うと、それを壊したくなる性格なのか、泡の弱なのか。
いや、できないと言いつつやったら俺らしいかなと思って、毎日11時55分まで走って、夜の。
で、その日のうちにアプリの中でスクショを取らないと、今日のランニング距離として出ないからっていうところもこだわってて、
もう55分までギリギリまで距離稼いでっていうところをやったら、ギリギリ間に合うじゃんっていうゆとりが出てきて、
で、最後の2日間ぐらいでは、あ、これ最後の日この調子なら100キロぐらい走ったら、
2050キロ、60キロは行くなっていう余裕の気持ちがありつつ、
でも遊び心で2026.7キロっていう形。
正直、間に合わないっていう時は辛くて、ここでやめてもいいかなとは思ったけど、
そこからの、ついなって思ってからの立ち上がったところが自分でも気持ちよくなっちゃって、最後は余裕でしたね。
いやー、なんかそのある意味メンタルが折れかけたところからの盛り返すみたいなのは、
なんかバックヤードに行きそうな感覚ですね。
その通りで、なんか生活してても、ランニングとか練習してても、
辛いのが、あ、ここ乗り越えたらバックヤードの練習になるなみたいな考え方に最近なってて、
ちょっと病的だなって、バックヤードに取り憑かれてるなって。
職業病ですね。
そう。もう職業と言いたい。
いや、そうですね。もう職業と言えるくらいのことをやってらっしゃると思いますけど。
過酷な月間走行距離達成の裏側:メンタルとの葛藤と乗り越え方
ちなみにその期間の平均睡眠時間みたいなのって、どんな感じだったんですか?
序盤は普通に6時間ぐらいだったんですけど、
後半の11時55分とかまで走ってると、そこからお風呂入って、ご飯食べてってなっちゃうんで、
それですぐ寝ちゃダメだなっていうのとかあって、4時間ぐらいかな、3、4時間後半は。
体だけじゃなくて心もですけど、どんな感覚なんですか?
やってる量というか、体はその分疲れるわけじゃないですか。
でも回復する時間は、睡眠時間として減ってくっていう。
心と体はどんな状態になっちゃうんだろうっていうのが、純粋な興味として。
ペースは早くなかったから、身体的な疲労というか、関節は常にずっと痛い。
膝も足首も股関節も、死んでる感じで油刺さないとダメだなっていう感じではあったけど、
起きてトレッドミルの上に乗っちゃえば嫌で、ベルト回ってるからそこで動き出さればなんてことはない。
けど、メンタル的にこれやってる意味あんのかなっていうのと、
昔僕が指導とか自分も走ってた時も、距離なんか関係ないとか言ってたのに、
なんで俺こんな距離に追われてるんだろうってところもあったりして、
なんだろう、いちいち自分で決めたことに難癖つけてやめるきっかけをすごい考えちゃってたかなって。
逆にでは、なぜやり始めて、なぜやり抜いたんですか?
やり始めてっていうのもすごい漠然としてて、
6月なんかはもう500キロぐらいしか走ってなかったのかな。
で、もう結構骨折とかもしてたから、
まあ、あまり走るのも良くないかなってところだったけど、痛みもだいぶ良くなってきたし、
8月1日っていうところもあって、8月1日に50キロ越えでジョグをいっぱいしたところ、
これ明日から50キロ以上毎日走ればいいやみたいなのを自分に貸したら、
明日も50キロは最低走るなっていうところでやっていけるかなと思って。
そんなことしてたら1ヶ月1500キロぐらいは今月詰めるかなって、7月に。
あともう一つは、今8月なんですけど、娘の関東大会、全国大会とか、生徒たちの遠征とかのレースが重なってきて、
ほぼほぼ遠征でずっと月切りになっちゃったり、4日間、5日間とかってなっちゃうので、
自分が走るっていうところをメインには持っていけない、神経をそこには注げないから、
今7月にそこらへんの距離を稼いでおいて、8月は時短で結構早い練習をしたいっていうのがあったから、
そういう思いも重なってっていうのがあります。
ただね、一つ言えるのは、それらも後付けのきっかけで、
とりあえず8月1日から1日1日50キロ明日も走ろうみたいなところのノリだと。
のが楽しくなっていって、週間の距離を見てたら、あれこれ400キロ超えんじゃねえか、500キロ超えんじゃねえかみたいな、
そういう一つ目の前の目標が、ハードルを自分で上げてそれを超えるのが楽しいみたいな感じになる。
なるほど。でも途中も最後、結構精神状態がみたいなことをおっしゃってたじゃないですか。
病むよね。
それをやめないためにSNSに上げてるんだけど、SNS上げるために距離を踏んでて、
自分どこ向かってんだろっていう戦いではあったけど、
逆に言うとそうやって見られてるから、自分でやり通したらかっこいいなって思えたところもあったんで、
悪くはない決断だったかなと。
やってみて得たこととか、逆に失ったこととかありますか?
月間2000キロ達成で得たもの、失ったもの
得たことはやっぱり、これ終わってから8月入ってからちょっとペースを上げる、ペース走的な感じでやってるんですけど、
時間を1時間以内の練習っていう形で、すごい楽になって。
1キロ4分だったら息切れしないでずっと走れるかなっていう感じで。
でもそれだからといって、1キロ4分で30キロ走るとかではなくて、毎日10キロ程度を積み重ねていこうっていう感じだけど、
やっぱその得たものというか、基礎がついたのかなって。
私のフルマラソンでベスト出たときの1ヶ月前も1500キロぐらい走って、スピード練習してなかったのに、
マラソンが楽になったので、そういったところにまた持ってこれたかなって思います。
得たものはそういうところかな。
失ったものか。
失ったものは、これすごいちょっと僕自身の話になっちゃうんですけど、
先日ね、SNSでちょっと注意というかされまして、
僕2000キロ以上走っててすごいなと思って、よく見たらその裏で子どものクラウドファンディングをやってるみたいな。
2000キロ走る時間あるなら働けよと。バイトしろよみたいな。
僕走りながらも仕事しながらやったり食事の時間削ったりしながらそれを念出してるってとこなんだけど、
やっぱりね、そうやって外から見る人たちっていうのは、
その人たちが悪いじゃなくて、僕の見せ方もそうだったと思うんですけど、
勘違いというかね、見たところの一部分を切り取って見てしまうので、
そういうところも気をつけないといけないなと。
なので、ちょっと話脱線しますけど、寄付とかいただいてる方とかにもね、
そうやって勘違いされないようにいろいろと行動とかもしていかないとなとは思いました。
失ったところというか、そうやって信用問題みたいなところもあるのかなというところで、
僕自身がナイーブになりましたね、2321。
言葉で表現する力:ラップとブログ
ブログ読みましたよ。
そう。
もうね、何言いたいのかわからなくなってしまって、最後は。
とりあえず、あれは書き出しとかないと、僕が溜め込んで不のマインドのように陥りがちだったので、
すみません。
やっぱりそういうところが。
そうですね。
ちょっと揺らいだ部分ってことですよね。
そうそう。
心が揺さぶられたという。
はい。
やっぱでも、たかけんさんはラップもやられてたっていうところで、
何かあったときに言葉で外に出すっていうのは、もう身についてるというか、習慣化してる感じですか?
それはありますね。
だから言葉、ラップだとすぐ口から出すんだけども、言葉書き連ねるのも好きだからっていうのはあるかな。
で、それを記憶していくっていうことをしない。
ラッパーだからなのかな、フリースタイル的な感じで、その場限りの言葉をつらつら書き連ねちゃうから、
何言ってるか自分でもわからないなっていうところにも陥りやすいですよね。
でも、そういうので吐き出してるかなっていう部分は、すごいありますね。
うん。
なんか、ある意味で、あのブログを見て、僕なんかはちょっと安心しました。
揺らぎもあるし、ではなんかその揺らぎをちゃんと吐き出せてるなという感じが、はい。
ありがとうございます。
月間2000キロ生活の家族の反応と髙橋選手の精神状態
揺らぎもそうですし、やってる期間も、3日に1回ぐらい今日はいいかなって思いましたよ。
もう、なんかあの、はい。
それはもうストーリーズでも、はい、なんか見え隠れしてました。
感動してるーって。
GPSのあれなんか、アプリの距離を改ざんしちゃえばいいんじゃないかとか、思ったことすらもあった。
1日ぐらいこれ変えても、実質枯れてない時もあるから、いいよなとか。
測り忘れたりとかも結構あったりして、そういう時とかもほんとへこんじゃって、10キロぐらい損したなって。
でもなんかもう毎回それを投稿するのもすごいダサいし、言い訳がましいなって、
なんかそんなくだらないところもストレスに感じちゃって。
誰も感じてねーよっていうところを、なんかこう、自意識過剰になってたかな。
うん、いやいや。
ちなみになんですけど、その1ヶ月2000キロ生活を間近で見てた、なんかご家族からの反応とかはなんか、どんな感じだったんですか?
もうあんまりね、部屋にこもってるから、僕がいるかいないかもわからないぐらいのレベルで、
あ、走ってたんだーみたいな。
家庭内ベッドみたいになってるんですか?
そうそうそう。で、夏休み子供とか入ってきてるから、そのご飯の時に出てて、
あ、お前はご飯食べたーとか言ったら、あ、パパいたんだーみたいな。
そういう感じだったんですか?
そうそう。
ちょいちょいあのね、なんだろう、1時間じゃないな、3時間おきぐらいに子供たちの、こう、勉強やってるかーとか、
この時間、涼しいうちに、娘とかだと、練習済ましちゃいなよーとかそういう声かけとかしたりとか、
雨の日は、僕のトレッドミルを使うから子供たちも、そういう時に声かけたりだとかはするけど、
僕の存在自体が半分ぐらい消えてた感があった。
ランナーとしての実存はめちゃめちゃなんか、輝いてましたけど、
家庭では霊圧が。
だからSNS、家庭もそうだし、外にも出てないから、人とのこう、会話もなくて、
すごい人恋しくて、話をしたいけど、全部なんかストレスとかモヤモヤを考えながらこう自分で消化して、
自問自答しながらこう、トレッドミルでずっと回ってて。
だから家庭、なんとか、まあそこで保てましたんで、いいんですけど。
僕のメンタルの方が危うかったかなって、本当に思います。
でもそれを乗り切って、今8月に入られたということで。
髙橋選手の代表的なレース実績:前世紀と現在の活躍
まずは月間2000キロおめでとうございます。
ありがとうございます。おめでとうなのかな。
いやいやいや、もうこれちょっとね、みなさんたぶん、たかけんせんの走ってる7月のやつをご覧になってた方もたぶん、
このポッドキャストの方多いんじゃないかなと思うので、
どういう心境だったのかとか、たぶん気になってた方とかいると思うので。
全然関係ない人にも、たぶんたかけんさんバックヤードやってるし、僕もバックヤードやってるっていうので、
なんか僕に、いやなんかたかけんさんってほんとやばいねみたいな、
僕にこう、反響というか、そういう声も聞いたりしたので。
嬉しいですね、はい。
ちょっとあまりにも月間2000キロのコンテンツ力高すぎて、その話をしちゃったんですけど、
これまでのレースでの戦績みたいなところで、ご自身の中で、
これは自分の中の代表作だろうみたいなものはありますか。
2つにちょっと分けていいですか。
はい、大丈夫です。
僕の前世紀とさっき話してたんですけど、
その頃だと神宮外苑の24時間走が、
これは何年だ、平成30年って言うと、
2018年かな。
そうですね。
2018年に神宮外苑の日本選手権24時間で246キロ、6.5キロっていうのが、
その頃が前世紀かなと。
その頃の前世紀と思われていた頃の代表の結果かなと。
ここ最近、僕生まれ変わりまして、1年前に病気になって、
9ヶ月前ぐらいから急に走り出して、
小江戸を江戸を優勝させていただいて、その後に、
バックヤード木島平で77時間。
その後に弘前24時間走で優勝という形になりましたけど、
代表的に言うとやっぱり今、木島平のバックヤードかなと。
77時間ですかね。優勝できたっていうところと、
何といっても、そこに関しては絶対に優勝するっていうところで、
6ヶ月間のトレーニングを見据えてやってきたっていうところもあったので、
完全勝利かなっていうところもあるので、そこが僕の代表的な実績かな。
それに伴って、小江戸・大江戸も弘前24時間走も優勝できたっていうところが、
そこはおまけなぐらいな感じで思ってます。
木島平の地を目指して突き進んだら、小江戸・大江戸と弘前がついてきたと。
そうですね。
ちなみに小江戸・大江戸は2度目の優勝だったってことですか。
バックヤードウルトラとの出会いと初期の挑戦
そうですね。
1回目はいつですか。
2019年。なので2018年の24時間走の3ヶ月後に小江戸・大江戸を1回目の優勝してて、
2019年から6年連続でDNSかDNFしてましたね。
7年ぶりの間奏でまた優勝に入りたいと。
登りたいところたくさんあるんですけど、今の7年ぶりのとか7年前と比べてどう違いましたとかも聞きたいんですけど、
ちょっとなんかもうすごい大作になりそうな気がするので、
一旦ちょっと、まずはちょっとこういくつか全体感聞いていきたいなというところですけど、
まあ今回、いいですよ。
人間的にネタが多すぎるんでね。
いやいやいやもう。
すみません。
私もすみません。
皆さん楽しませてもらってると思うんですけど、
今回はサテライト代表というところで、
先ほどもおっしゃったように木島平の大会で優勝されたというのが代表権獲得というところで、
代表内定一番乗りみたいなという感じなのかなと思うんですが、
まあそもそもバックヤードとの出会いというか、
いつからバックヤードを始めて、逆にこれまで何本ぐらい走ってこられたのかとか、
なんかそういうのもバックヤードとの慣れそめから今に至るまでをちょっと聞いていきたいなと。
初めて出たのは2021年のタカオですかね。
2021年。
2021年のタカオ。
それに出るにあたってというのが、前年度かな、
日本代表のキャプテンの吉田さんが出ていて、優勝してたんですよ。
吉田とは古い付き合いで、一緒に大阪まで走る駅伝だっていうのも同じチームで出たりして、
そのときに日本代表チームに勝ったりしてたんですよ。
そのときの出会いからつながっていて、
吉田さんがバックヤードとか優勝したり、いろんなロングレースに優勝してる。
同じ仲間で走力もそこまでいかないなら、僕もできるんじゃないかなと思って、
吉田さんがキラキラ輝いてるのが羨ましくて、僕もバックヤード出てみようと思って、
高尾に出たっていうのがきっかけです。
なのでバックヤードの知識ゼロで高尾に出ました。
走ってみたらどうでした?
走ったらどう…高尾のコース自体が僕には合ってないっていうところはあったんですけど、
そうですよね。
もうね、序盤9時間ぐらいはトップで暴走するぐらい走ってて、
もうみんな全然じゃんって思ったら徐々に体蝕んでいって、
何やってんだろうっていうところになって、最終的には僕、川に落ちちゃったんですよ。
ちょっと大事件になりかけたんだけど。
それでやめたんだけれども、やめたというか強制終了になったんだけど、
落ちて良かったのかなって。
落ちてというか、やめれて良かったのかなって。
その時はやめる理由を探していたのかなっていうところもあった気がします。
だからね、わざと落ちたんじゃないけど。
それから、そのまま続けちゃっていいですか?
サテライト大会への挑戦と辞退の経験
はい、大丈夫です。
その翌年にサテライト大会が行われて、
サテライト大会でみんないい記録が出てたんですけど、
サテライト大会って労働の上野村だし、
それだったら俺だってもっと記録伸びるわいと思って、
翌年上野村に出ました。
そこで、
22だね。
サテライトと同じ年になってるんで。
はいはい。そっかそっか。
サテライトメンバーはそんなところでやったら距離伸びるのは当たり前じゃんと思って、
自分が出てみたら、全然フラットじゃないしと思って。
しかもお化けみたいな走り方をする塚田さんっていう方が、
58分ぐらいで戻ってきたりとかして、
終わると思ったら終わらないっていうのが一番自分にとってプレッシャーで、
最後の二人になった時に、そんなこんなで結局最終的に仲良くなって一緒に辞めちゃおっかって言って。
1回目の高尾の時はまずバックヤードを知らなかった。
2回目のその上野の時は、
塚田さんと一緒に辞めたんですけど、
バックヤードでそこでいい記録を出したらその上にサテライトに行けるとか、
そういうイメージまで持ってなかったのと、
あとは世界に行けるっていうのが可能性もあるという話もその場で聞いたんだけれども、
いや俺そんな休めないしお金もないし、
世界なんか行かないからいいやっていう言い訳で辞めちゃったんです。
それは塚田さんとも二人とも意見一致して終わったんですけど、
その後に吉田さんと話したら、
それは資格を取ってから辞退するならかっこいいけど、
それを言い訳にして辞めるのはかっこ悪いよと思って、
僕の目は覚めましたね。
吉田さんそんなことを言う方じゃないのに、
それを言ってきたので、言われたので、
すごい僕には刺さって、
病気を乗り越え、再びトップを目指すまでの道のり
その翌年は2023年上野村で絶対負けないっていう走りをもう完璧に整えて、
練習量ほどはないけど、
メンタル的にも整えて2023年、
中村さんって方とバックヤードを結構走られてて、
昨年も優勝されてたと思うんですけど、
走ってもう負けないっていう形で、
初のバックヤード、ラストサムライにならせていただいて、
その翌年が2024年のサテライトですね。
その時結構プライベートや仕事で色々問題を抱えてて、
練習が全然できなくて、
最初から言い訳を前提にしてやっちゃってたんで、
58時間で終わってしまいましたが、
今バックヤードの歩みでいいんですよね?
いいです。
ごめんなさい。自分で話してて迷子になっちゃう。
そのサテライトですごい忙しくて、
サテライトの内容は後で話せたら、
ミッチーとかも色々と一緒に走った部分もあるので、話せたらと思うんですけど、
そこで忙しいからっていうのと、
子供たちの育成や遠征っていうのがたくさんあるので、
自分の競技はいいやっていうところもあって、
練習不足なのにそんな走っちゃったから膝がぶっ壊れちゃって、
人体が断裂って言われたんだけど、
いつの間にか今別に跡が残ってるぐらいで普通に走れちゃうんで、
不思議なもので。
嘘だろって思われると思うんですけど、
お医者さんも言ってるぐらいなんですけど。
その後の三次太郎くんのパンダは、
2025年。
そこはもう出るだけでいいやっていう形で、
すみませんけども、最後まで残れるなんて思ってなかったので。
出走記念みたいな感じで。
そこでフェイドアウトしようと思ってたら、
昨年の夏、ちょうど一年なんですけど、今日で倒れてから。
病気が発覚して、お酒も飲めないしっていうところに生活も改善して、
11月2025年の高尾にバックヤード大会に見に行って、
あれは安倍さんと大河原さんと小池さんが最後3人残ったのかな。
その時に、やっぱ僕は走るしかないなっていうところと、
木島平っていうのがその時に決まってたから、
そこを目指して今一度やりたいなっていうところがあったのと、
その3人が僕の記録を58時間っていうのを超えたんですよね。
それによって僕はサテライトに、今度出るサテライトに出る権限がなくなって、
諦めがつくかと思って、その3人を応援してたんですけど、
逆に微妙に61時間だったかな、3人が。
62とかだった。
逆にそんな近いところで辞められちゃうと、
諦めつかないなと思ってちょっと練習して、
さらに化け物レベルのところを目指してみようかな、
1回ぐらいはと思って。
で、サテライト権を取るために、
まずは木島平でもう一発だけでも、
体調が悪くてもう1回だけならいいやという気持ちで練習を始めて、
今に至りますね。
で、木島平を見ようと優勝したら、
あれ、別に一発だけじゃなくて何発でも走れるんじゃないっていう、
そんなに体悪くないじゃんって思い出して。
濃密な、濃密なバックヤードヒストリーが。
そう、すごい長々と、
いやいやいや。
喉、乾きました。
髙橋選手のバックヤードレース実績詳細
すみません。
水分取ってください。
これちょっとまたいくつか質問していきたいんですけど、
2021年のタカオは何ラップだったんですか?
36だったかな。
今ちょっとリザルト見ようと思ったら、リザルトページが消えちゃってて。
結構、その当時36ラップだったら、
割と最後のほうまで残ってた感じですか?
そうですね。最後の5人ぐらいだったと思うんですけど。
でもまだ5人残ってたんですね。
で、その次の上野村で塚田さんと辞めたときは何ラップだったんですか?
46だったかな。
45。
45。
ベストは出したけどというので、2人で辞めちゃったと。
そうですね。
で、2023、翌年、その吉田さんに権利も取らないのに、
別に欲しくないとか言うのダサいよみたいな。
言われてからの上野村は何ラップだったんですか?
42ですね。
それは42。
で、サペライト、2年、2024が58ですよね。
58、はい。
で、丹沢が?
32ぐらい。
そう。そんなだけど、かなりつらかったけどね。
あれ、元気な体であっても、70とか見えないよね。
やっぱあれですよね、ちょっと砂利道というか、
そうされてない道は苦手ですよね、高瀬さん。
そうだね。
砂利はいいけど、滑る岩っぽいところが非常に怖く感じちゃって、
一回怖く感じちゃうとずっとネガティブなモードで、
そこ通るたびにうわーってなってから、
メンタル負けしてました。
早く痛くなれとかって思ってたぐらいかもしれない。
やる前から痛かったけど。
なるほど、なるほど。
病気の発覚と克服:生活改善とランニングへの復帰
で、丹沢でのその32ラップから、
結果だけを見れば翌年木島ダイラー、
1年ちょい経った後に出たその大会が77ということで、
ある意味で倍以上に1年で記録が伸びたっていうことですけど、
ここでワンキャッド以外に高瀬さんについて、
触れないではおけないトピックですけど、
生まれ変わったという、
2025年8月5日病気が発覚してっていう、
そこについても聞いてもいいですか。
はい。
突然じゃないんですけど、
ずっともうお腹とか調子が悪くて、
溝落ちも痛くてっていう感じだったんだけど、
お酒飲めば治るぐらいな感じで、
ずっと一日中お酒に依存してるような生活だったかなと。
朝が良いなのかなと思ってムカついたり頭が痛かったりするのも、
朝ビールいっぱい飲んだら治るから大丈夫だみたいな感じになって、
できる限り食事の時にビールいっぱい飲んでみたいな、
ちょっと腹痛かったけど大丈夫かなみたいな。
だけどやっぱりそれが余計に悪くしてたみたいで、
水蔵が半分溶けちゃってて、
水蔵に石が溜まっててっていう。
もうね、手足が痺れちゃってて、
糖尿病も合併するんですよ、水蔵が悪くなると。
インスリンっていうのが出なくなりました。
そのインスリンが出なくて手足が痺れちゃって、
冷え性の極みみたいな、お腹とかは冷凍庫、氷みたいな生活になっちゃって。
それでも毎日当たり前のように過ごしてて、
いよいよ救急で運ばれるようになって、
そこで結構やばいっていう話をして、
お酒をやめて、
お酒をやめて生活が、
睡眠障害とかもその頃あったりして、
すべてがお酒を起因してたのかなと今となって思うんだけど、
睡眠障害も改善されることによって、
生活してる時間っていう中で生まれてくるようになって、
心の余裕も出てきて、
でも走るのは今の体ではあんまり良くないっていう話を医師から聞いてたから、
まあほどほどにっていう形で、
指導がてら走るって程度の月100キロぐらいだったかな。
でもバックヤード、今回のサテライトの権利がまだ58時間であるというところで、
諦めなければいいなと思ってタコを見に行きました。
みんながその時間、
61か62だったときに、終わった後走りました。
走ったら、あれ別にそこまで体にジョグだったらないなと思って、
医師に相談したら、ジョギング程度だったらいいですよ。
ということで、
毎日その日から半マラソンぐらいだったらいいかなと思って走っていたら、
距離がどんどん伸びだして、年末にはバックヤードを5回ぐらいやって、
バックヤード練習24時間、160キロか200キロを4,5回やって、
そのときに血液の数値と精密検査全身をやったりもしても、
医師から悪くなってない。
血液自体は、体自体も悪くなってない。
落ち着いている。
ただこの病気は一生治るものではないから、
お酒を二度と口にしたりするとさらに悪化していって、
がんになってしまうという可能性が、
すごい人よりも26倍とかある体なんだから、
控えるようにしていれば、20年後に生きている人もいますしっていう話で、
とにかく気をつけつつ、走るならいいですよっていうことで、
医師からもOKというか、くれぐれも無理はしないでくださいって言われて、
そこを始めたっていうところですね。
なので、今病気の話なので、
病気自体は僕が20何年間も、
毎日のようにあべるように酒を飲んできたっていうのがたたって、
難病になったので、
これに関しては、
自分で不節制で壊したので、
難病って言っても、難病指定で保険が下りるとかそんなことはなく、
じっぺりでやらなきゃいけないというところなので、
自業自得なので、気をつけてくださいっていう。
ちょっとほっすくしておきます。
髙橋選手の性格:とことん追求する姿勢と家族からの評価
なんかこう、たかけんさんって、
僕はお酒をやめる前のたかけんさんから知り合いでしたし、
でもその当時からもガンガン超ウルトラを走ってらっしゃるたかけんさんでもあったし、
今のお酒をやめてからの走ることへの入れ込み具合みたいなところも含めて、
なんでもとことんやるみたいな。
ある意味、お酒もとことん飲んできちゃったしみたいな。
それはやっぱり、ご自身の性格みたいなところなんですか?
とことんやりすぎちゃうみたいなところも含めて。
言い方のことをやるっていうのはかっこいいけど、
家族からすると、しつこい。
全てにおいてしつこい。
執着しすぎだとか、そういう感じで言われるかな。
本当にね、確かにそうだなって思うし、
お酒の席でも絶対自分が一番最後まで残るっていう。
もうね、最後ね、どんなにつらくてもコンクラベのように最後までいる。
意識を失いかけてもっていう、最後の一人になりたいかった、お酒飲み。
っていうのがあったから。
バックヤードピースですね。
そうかもしれない。
仲いい友達とかにはマジでしつこくて嫌だって。
あいつと飲むと嘆えからなってよく言われたりしてて。
そうそう。
なのでバックヤードキスかなと。
いやー確かに。
最後の一人になりたいっていうのは、
以前も今も変わらないってことですね。
そうだね、お酒。
ただ最後の一人にお酒でなりたいっていうか、
まあ同じか。そうだね。
バックヤードの魅力:帰る場所があるということ
なんか最後の一人になるって、酒の席だと寂しいけど、
みんなの帰る背中まで見たいから。
うんうんうん。
一緒だね、最後の一人だね。
いやーそうですね。
僕もバックヤードに惹かれる理由って、
走り続けると確かに減ってくから寂しいんですけど、
ある意味、相手に寂しい思いはさせないわけじゃないですか。
そう、それはある。
なんか自分が最後まで見届けて、
誰かを残して自分が終わっちゃうのは、
なんか寂しい思いをさせちゃうなっていう感じですけど。
すごいわかる。
はい。
なんかたかげんさんの言葉から今、
ちょっと私も通じるものをなんか思いました。
いやいやいや。
2年前のサテライト大会の経験と現在の変化
そんなこんなで、
まあバックヤードの歩みは効いてきましたけど、
まあ2年前のサテライトっていうところも、
改めてフォーカスをしてみると、
ああ、はいはい。
はい。
まあね、ある意味、
たかげんさんと同じレースを私が走るっていうのも、
そのサテライトがすごい久々な感じでしたよね。
そうだね。
もうほとんど一緒のレースを走ってるっていうのは、
感覚はなかったからね。
このサテライトが初めてだったかなと。
うん、そうっすよね。
まあそういう意味でも、
なんか僕からすると、
超ウルトラとかをやり始める前ぐらいから知ってた、
たかげんさん、ある意味いいあんちゃんと、
またなんか代表チームとして走れるっていう、
ワクワク感はあったんですけど。
あのサテライトってちょっと独特じゃないですか。
ランニングなんだけど団体戦みたいな。
で、なかなかそういうフォーマットの大会って、
それまで出てきたことはあんまりないのかなと。
まあ駅伝とかはあったかもしれないですけど。
そうだよね。
そういう意味で、サテライト決まりました。
日本代表チーム15人で走りますってなった時は、
どんな心境だったとか、
どういう風なモチベーションだったのかとか、
そこらへんってどうですか。
2年前を振り返ってみて。
その当時は、
まあちょっといろいろとごちゃごちゃしてたから、
そこまであまり考えられなかったかなっていうところが、
正直なところで。
直前の2ヶ月くらいからやっと300キロ上を、
400キロとかを走れたかなってところだったと思います。
まあバックヤードの最初の歩みのときと一緒で、
サテライトのこともあんまり自分自身で深くわかっていなかった。
だから現地行って田中さんだったり、
すごい熱い思いを語られていたところに、
正直気持ちが最初ついていけてなかったのかなって。
これらすべてが経験して、
その翌年に、
僕自身は翌年というか次回に強くなれてるのでいいんですけど、
その当時代表メンバーたちに気遅れしていたかなっていうところはありますよね。
すごい今となっては代表メンバーに申し訳なかったなとは思いますけど、
それも含めて自分自身の糧にはなってきてるかなと。
今名前が出た方とかもいましたけど、
2年前のサテライト大会での印象的な選手と出来事
2年前のサテライトで印象的だった選手とかいらっしゃいますか?
田中さんかな、やっぱり今話をした。
田中選手はすごい代表メダルを取りたいということでね。
その年4位で、その前のときもサテライト大会で日本4位だった。
どうにか押し上げたいっていう気持ちがあるし、
チームをみんなで頑張ろうっていう気持ちが熱かった。
その気持ちが最初から60時間までは当たり前にいくみたいな話をしてて、
マジかよこの人たちって内心にすごい思ってて、
それがプレッシャーになって、
一緒のグループで走ってられないみたいなぐらい、
僕自身は辛い時間とかがあったりしましたね。
これ悪い意味ではないんですけど、
田中さんが一番僕にとっての、
サテライトのときの印象深い選手かなと。
なるほど。
ある意味こう…。
いいですよ。
いいですか。
一緒に走りながら僕はお酒すごい飲むし、
タバコも吸っちゃうしみたいな話を田中さんにしてて、
田中さんはお酒も一切飲まないし、
今自分が両方ともできない体になってしまって、
思うことは、すごい真摯に向き合って、
体のことも気遣いながらやってた田中選手に、
田中さんに申し訳なかったのかなって。
でもそれが僕のスタイルで当時はあったから、
いろんな今昔みたいなところで考えながらやってますね。
また全然、その2年前とも今の高けんさんも、
大きな変化がありましたしね。
そうですね。別人ですね。
他にその2年前のサテライトで印象的だった出来事とか、
日越の中で心に残っていることとかありますか。
心に残っていること。
なんかネガティブな話になっちゃっても大丈夫ですか。
大丈夫です。はい。
僕ね、すごい被害妄想に陥ってて、
一緒に走ってるのにもう50時間過ぎたぐらいから、
もう周りがみんな敵でラストサムライ勝負してるんじゃないか、
みたいな妄想に陥ってましたね。
それっていうのも一番後ろで遅れだしてなってたからかなって。
こんな話するとドン引きかもしれないんですけど、
戻ってくるじゃない、1時間ごとに。
戻ってきたときに周りのテントから笑い声聞こえてると、
なんか僕が笑われてんのかなとか思ったりとか。
それぐらい被害妄想になってて。
で、街の人が立ってるのに僕がワープしないように監視員つけてるのかなとか。
すごい仲間としてやってるはずなのに、
スタッフさんにも周りの選手たちにも疑念を抱き出して仕方なかったな。
それが僕はバックヤードの地獄、今までで過去最大の地獄の時間だったなっていうところかな、印象的なのは。
その後のバックヤードでは似たような精神状態にはなってないんですか?
似たような精神状態にはなることはありますね。
やっぱりそこでそういうあれって出るのかなって勘ぐりみたいな。
だけれども、人が敵とかそういうことは感じてない。
そこは大きく違うかな。
寝不足だから、やっぱりサポートの方とかに応援してきてくれる方とかに声かけられても声返せなかったりとかして、
走ってる途中で、あれ、俺さっき何か無視しちゃったよとか、あんな返答しちゃったなとか、
そういうことを考えて反省するっていうのはバックヤードのいつもの流れかなと思っているので、
そこはちょっと違うかな。
そのサテライトの時の人に対する疑念というか、そういうところはそれからはないかな。
なるほど。
選手引退から現在への変化と座右の銘
で、あれですよね。僕が印象的なのは、サテライトの時のこともそうですけど、
終わった後に、もう自分はもう選手として引退だみたいなことをおっしゃってたのがすごい印象に残っていて、
そこからこの約2年後の今を、何か想像できてました?
いや全くできてない。
どれだけお酒を飲む時間が無駄だったかなって自分で思っちゃうぐらい。
その時間すべてを費やして、仕事や生活に回せたら、これだけ変われるんだなっていうのも。
病気っていうのも、ハンデなのかわかんないけど、そういうマイナス要素を背負ってもプラスに変わるんだなっていうぐらい慣れたので。
けばとかも気づいたら良くなってたし。
やればできるなと。
なんか今の言葉でちょっと気になったのは、高瀬さんなんか座右の銘とかありますか?
座右の銘。
自分の中で大事にして。
開けない夜はない。
開けない夜はない。
止まない雨はない。
一つとかっていうわけじゃないけど、やっぱ諦めないというか、時間、時が経てばね。
止まない雨はないだし、晴れのための雨。
全て同じような内容なんですけど。
なんかその晴れの日のための雨みたいな言葉、なんか面白いですね。
昔ラップの歌詞でね、歌手に歌ってた相方が、晴れのための雨って。
まあ晴れのための雨って韻踏んでるんだけど、すごい俺自身でもすごいぴったりだなって当時から思ってて。
先に使われちゃったなーぐらいに思ってたんだよ、僕は。
いい言葉ですね。
2026年サテライト大会への意気込みとチームワークの重要性
まあバックヤードとそうすべて被せていろいろ考えちゃうんだけど、
ミッチーもわかると思うけど、晴れのための雨。
辛い時もね、乗り越えた後っていうところがあるかなと。
ありがとうございます。
いや楽しいですね。ちょっといくらでも聞けちゃうんですけど。
僕が話しすぎちゃうからね。
いやいやいや。
そんな2年前があっての、今年牧島平で77ラップで優勝して、
タテライターの権利を確実なものにされたわけですけど、
今年の意気込み、10月17日のタテライターに向けてはどうですか?
もちろん日本が世界一位になるために、
引っ張っていけるっていうような存在になりたいなとは思ってます。
とはいえ日本代表メンバーもすごいメンバーが揃うと思うので、
引っ張るって言っても戦闘を引っ張ろうとは思ってないので、
自分のペースではありますけど。
その上で世界記録を目指したいなと思ってます。
123時間は超えたいなと思ってるんですけど、
最近フィルゴアさんが、選手が168時間チャレンジとかやるみたいなので、
やるみたいなんですけど、
そういうのとかは度外視して、
サテライトっていう大会で日本代表が優勝できるようなところに、
少しでも力になれたらなとは思ってます。
一度サテライト経験されてるわけじゃないですか、
そういう中で、サテライトで日本代表が一位になるとか、
チームとして結果を出すっていうために、
鍵になりそうだなとか、大事だなと思うことってありますか?
チームワークかな?
それってどういう意味のチームワークですか?
結構、それぞれの人のタイプにもよるから、
一概には言えないんだけど、
一人で黙々と走るタイプの方とかもいると思うんですけど、
そういう方々ってプツリと辞めたりしちゃうようなイメージがあって、
そういう人たちをうまくみんなで引っ張りながらできたらなっていうところが。
前回の時、サテライトの時、ミッチーとかがそういうのをみんなでやってたんで、
そういうところも今回はできるのかなと思ってますね。
ホリツーしてきてヤバいなっていう時こそ、
みんなで声をかけられる。
俺は一人だからいいんだよみたいな感じの方もいるかもしれないけど、
そこをなんとかうまく。
距離感も大事だと思うので、あるのは思うんですけど、
仲間として意識してできるかどうかかなと。
みんなが、15人が。
だから僕はそこで言うと、
疎外観じゃないけれども、
そんなことは誰も思ってないんだけど、
自分から輪から外れてしまったかなっていう部分があったんで。
前回。
競争で共に走るじゃなくて、
互相になってたので、
そういうところをもうちょっと打ち解けられたらなと思ってて。
だから今からサテライトに出そうな方々とコミュニケーションを取るっていうのも
すごい大事かなと思っていて。
誰一人敵じゃなく、仲間であり味方でありっていうところの感情を高めたいなと思ってますね。
一度経験したからこそのその言葉は重みがありますね。
日本代表チームメンバーへの期待とコミュニケーション
偉そうにまだ働く一回だからね。
他の先輩方もいっぱいいるんで。
今回のメンバー、すでに完全に確定はしてないですけど、
おおむねこういうメンバーだろうなっていうのが見えてきてる中で、
結構大体皆さんお知り合いですか?
あまり接点がない方もいらっしゃいますか?
ほぼバックヤードでもそうですし、接点はほぼあるかなと。
そうっすよね。
ヒカホイさんとかともなんかね、いろいろ因縁があったりなかったり。
一番僕は注目というか、タイプ的に勝手にライバル視をしつつ好きなタイプなのかなって。
それこそ小江戸・大江戸の優勝・準優勝をやりあったりしてて。
彼実際そんなペラペラ僕みたく喋るタイプじゃないし、僕が話しかけても、
あーどうもーみたいなノリなんだけど、すごいその辺のストイックさもすごい面白くて、
勝負にこだわってる感もあるし、自分と戦ってる感もすごいかっこいいなって思ってますね。
いやどうっすね、ヒカホイさん。
サテライトでどんな走りをされるのか。
楽しみですね。
何かしらネタを持ってくるんじゃないかなと。
そうっすよね。
今後の練習計画と怪我への注意
なんか他にもサテライトで今年楽しみにしてることありますか?
楽しみにしていること。
していることというと、前回のサテライトで会った、
まあ意識してることでもあるのかな、ベルさんとは前回のサテライト以外で接点がなくて、
結構いろんなところで活躍されてるけど、会うのが楽しみなのと、
やっぱり前回サテライト前に話したときに、それこそヒャッホイくんのラジオだったかな。
で、ベルさんとたまたま入ったときに、僕が上野村優勝した後でその話とかしてたら、
お互いに負ける要素がない。
人に勝つじゃなくて、最後まで走り続けてるっていうイメージしかない。
負けるっていうイメージがないっていう話をしてて、
今の僕の状態でね、そんなベルさんと最後まで走ったらどれだけの記録が出るんだろうっていうところも思ったりもしてます。
ベルさんと一騎打ちになるとは限らないんですけど、
その時のセリフがね、すごい印象的だったので、同じマインドだなと思って。
そうですね。
実際ね、公認はされなかったですけど、ロシアで世界記録が出たときは、
120ラップをもう3人が超えてみたいな、そういうのもありましたし、
100ラップ超え、120ラップ超え、5、6人残ってたってね、おかしくないわけですからね。
そうですね。
楽しみですね。
そうですね。それが楽しみかな。
そこに向けての準備とか練習っていうので、7月その2000キロやったっていうのはあると思うんですけど、
他に今後こういうことをやろうと思ってるとか、逆にこういうことやってきてるみたいなことってありますか?
今は特に意識してなくて、
エビデンスとかそういうものってないから、もう自分で作り上げていくしかないなと思ってて。
4月どか走りして、8月は意識的にはペースを押しつつ、
週末とか休みのタイミングで4時間バックヤード方式で練習をしたりとか、
そういうのを重ねていこうかなと。
っていう漠然としたところかなと思ってます。
あんまりやりすぎて疲労を貯めてたり怪我したりしてもしょうがないなっていうところはあるので、
その辺は気をつけつつ。
今のところ怪我の予兆とか、ここが痛いやそこが調子悪いとかはないんですか?
骨折はしてるんだけど、走れちゃうしダッシュもできるから、まあ大丈夫かなって。
それよりも、やっぱり8月入ってペースを上げると筋肉がなんかピクピクするから、
その辺はちょっとやっぱり2000キロ走るよりも10キロのスピード練習の方が危ないなってところを気をつけたいなと。
年齢が年齢なのかもしれないなと。
なるほど。
積み上げる焦らずゆるジョブで重ねるのもいいかなと。
まあ時間かかるんで大変だけど、そっちの方が。
バックヤードの魅力:帰る場所とサポート体制
確かに。
いやー、またね、ちょっと8月は8月で違うアプローチでというか、ステージを変えるみたいなことをおっしゃってたので。
その様子もSNS通して、私もさすがってちょっとみんな楽しみにしてるんじゃないかと。
すいません、なんか見ててもらって光栄で。
いえいえいえ。ありがとうございます。
まあそんな中でもう1時間ぐらいお話いただいて、深掘ればもっといくらでもいけるんですけど、
かなり高原さんをご存知の方もそうじゃない方も、結構パンチのあるエピソードを語っていただいたかなと思うんですけど、
バックヘアドっていうところ、高原さんが魅力に感じているところはどんなところですかね。
うーん、帰る場所がある。
やっぱりすごい、これ聞かれた時に何回か言ってるかもしれないんだけど、行ってらっしゃい、お帰りなさいっていう、
何気ない普段からの生活からの挨拶でもあるんだけど、すごい大事だなっていうのを編みしめられるタイミングが来るんですよね。
ふとした40時間だったり50時間だったり、行ってらっしゃい、帰り待ってるからねってお帰りなさいって言われるのが、すごい涙が出てくる時がある。
あの瞬間になんか、やっててよかったなって、なんか続けてよかったなとか思える。
今思い出しながらちょっとうるうるしちゃってる。
そうかな、魅力ってたくさんあるけど、今パッと思ったのが。
すごい今だって、高原さんが一瞬こう考えて、帰る場所があるって言った時になんかこう、僕はなんか今、なんかちょっと感情揺さぶられました。
そうですね、バックヤードそうだ、そうなんですよね。
生きて帰ってきてさえすればいいやっていう、何だろう複雑な、複雑というか単純なんだけど、すごいお帰りなさいって言われた時にほっとする瞬間があって。
ちょっと脱線するんですけど、帰る場所があるってとこで言うと、普通にこう会場をスタートしてまた戻ってきてっていう、それ自体も帰る場所があるってことだとも思いますし、
バックヤードの場合はサポートクルーをつけられるっていう、ある意味のこと、本当にレース会場に自分の1個の家を立てるみたいな、そういう部分もあると思うんですけど、
2年前のサテライトの時って、高原さん、固定のサポートクルーってあんまり用意というかしてなかったようなイメージがあって、
そういう意味で、走る総力っていう意味では、もうこの2年、とてもさらに飛躍されたのかなと思うんですけど、
今度のサテライトに向けては、例えばサポートクルーとか、どういう陣地というか、それこそ帰る家をどう作っていくのかみたいなところで言うとどうですか。
テントとか陣地というか、そういうのはちゃんと整えますけど、やっぱり今回の木島平の時もわかったのは、苦手。まとめるのが。
もうね、サポートに全振りしてしまったんですけど、今回の木島平のサテライトにあたっては、そういうこともまとめてね、できないといけないなって。人間的にそこが一番の課題かなと思ってます。走ることより。
難しいっすよね。
マネジメント。木島平の4月の時は、1人にずっとシーシーって方にお任せしちゃったんだけど、相当な負担だったと思うから、ローテーションだったりね、そういうのを作ったりして、やらないけないなと思ってますが、
なんかね、考えるのが嫌になってその時間走っちゃおうみたいな。毎日逃げていって。小さくなったら誰か募集かけてやればいいのかなとか、今迷ってる最中にその質問が来たんで、ちょっとね、そこも向き合わないといけないなと思ってます。
今の時はフォローはもうサポートなしで、もうその場で来た方にちょっと手伝ってもらったりとかっていうぐらいでもいけるのかなぐらいに思ってますが、多分無理でしょうね。ちゃんとしないといけない。
123ラップやるんだったらね。
123時間、一人で付き合えるわけがないから。
いやー、そうですね。
10人とかね、ちょっと正直なところね、ボランティアとかで募集とかするかなというところでも考えています。
もしね、これを聞いてね、興味がある方はダイレクトメールとか送っていただいても構いません。ごめんなさい、この場をお借りします。
いえいえいえ。でもある意味ね、その長時間付き合ってくれるサポートクルーの、どう集めていくかはね、私自身もあれなので。
そうですよね。
みなさん同じ。
平通になってくるとね、ほんと。
それこそでも、ひたまちACというあるご自身のチームがある中で、そこら辺を手伝ってくれそうな方とかっていたりはしないんですか?
まあ、いるけど、そういう場にお願いしますみたいに言うのが意外と僕苦手なのかもしれない。
なので今回はそういうところもね、人間的に変わっていってお願いして感謝を返せるようなお金とかそういう部分だけじゃなくて、
応援される側の人間に練習ばかりして総力だけあげるんじゃなくてっていうところは意識してます。これは親子共々にかな。
応援される側の人間に。早ければいいじゃんっていうところだけで終わらない人間になろうと今、悩みながら考えてます。
ありがとうございます。
でもそれこそ、ひたまちACは今や日本バックヤード界の名門としていらっしゃるので、
そういうメンバーもね、ある意味でサポートクルーを経験するっていうのは、ご自身たちにも感じることがあるかもしれませんし。
そうですね。
頼んじゃうと、僕自身が使用対応になった時に、やっちゃったなーみたいな悩むっていうのがすごいあって、
その辺がね不安でね、簡単にみんなにお願いお願いってあんまり言えないかなっていう。
直前からピリピリしだしちゃって、準備の前から。自分でまとまらないまま、とりあえず荷物全部持っていけば向こうで説明するからみたいな感じになっちゃうから。
そういうのもちょっとね。
そうですね。
でも僕、この前アベックバックヤードとか一緒に参加してる中で、下町ACのメンバーは一定、ある一定はもうたかげんさんのそういう部分をもう分かってるんだろうなっていう、
なんかそんな風な印象も受けましたけどね。
そうですね、もうみんな分かってて、その上で、みんなもみんな協調性がない集団なので、
どうだろうな、ゴーターさんとかすごい協調性あるかな。誰がないとかあるとかっておかしな話になっちゃうんですけど。
みんなそれぞれのベクトルというか向かってるっていう部分で、その中に突出して僕が我が道を行くって感じなので。
チームメンバーにも聞いてみますが。
仕事もありますんでね。
まあそうですね。
まあでも個人的な来としては、サテライト大会でまた下町ACのチーム力みたいなのを見れたら面白いななんてことも。
そうですね、チーム下町とかね。できたら。
あれじゃないですか、出てくる間にメンバー増えちゃうんじゃないですか。代表メンバーをリクルーティングして。
いいねいいね。
もう名門校がどんどん銀河系軍団になっていくっていう。
それあの競争している仲間からの舌打ち食らうパターンなら引き抜きみたくなっちゃってね。
いやいやいや、楽しみなことがまだまだたくさんありますね。
ですね。そういうのも考えていくのもすごい楽しいところの一つかなって。
そうですね。自分がどう走るかだけじゃないっていう、どういうチームを自分をある意味支えてくださる人もだし、支えてくれる人を楽しませたいっていう気持ちもあるわけじゃないですか。
そうそうそうそう、それもある。
はい、というところで、まだまだいろいろ聞きたいんですけど、最後2つだけ質問したいなと思っていて。
吉田選手への質問とリスナーへのメッセージ
今日実は、また夜、いろいろお名前も出ていた吉田さんのインタビューがありまして、吉田さんにしたい質問、聞いてみたいこと。
わお、すごいいきなりだな。
はい、そして最後は、これを聞いてくださる方とかへのメッセージという、その最後2本立てで終わりたいなというとこですが、まずはどうでしょう?吉田さんへの質問。
吉田さんへの質問。
はい。
僕は120時間を目指してます。吉田さんそこまで付き合ってくれますか?
いい質問ですね。
じゃあちょっと伝えておきます。
はい。
聞いてくださっている方々へのメッセージですね。
はい、皆さん応援してくださってありがとうございます。またこれをして応援してくださる方も、日本代表としてアジナに走りをしたいなと僕自身思いますが、
それをね、他の周りの人たちに押し付けることなく、その上なんだろう、エンターテイナーとしても盛り上げられて、見てる側も楽しくなれるような、そんな姿をお届けできたらなと思ってます。
で、その中のね、バックヤードの魅力っていうのが伝わって応援したいなって、僕だけのみならず日本チームで思ってくれるように頑張ります。なので応援してください。ありがとうございます。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
それではまたバックヤードサテライトシリーズ続きますので、引き続き楽しみにしていてください。今日は高けんさんありがとうございました。
はい、どうもありがとう。
ありがとうございました。
01:17:07

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