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SD#3「Dead Cow Gully再び・後編」
2026-06-17 1:25:36

SD#3「Dead Cow Gully再び・後編」

AFAP(アファップ)。このプロジェクトは、「バックヤードウルトラ」という競技に魅せられたウルトラランナーたちによる共走と挑戦に光を当てます。「As far as possible 私たちはどこまでいけるのか?」走ることでつながった仲間たちとこの世界の魅力をお伝えしていきます。


今回は、SD#3 「2年目のDead Cow Gully・後編」


【内容】2026年のDead Cow Gullyに挑んだ3名の日本人、吉沢協平選手、小松広人選手、水野倫太郎。そして、日本人ランナーをサポートして3年目、ゴールドコースト在住のJunさん。レースを終えたばかりの6/4(木)に、今年のDead Cow Gullyについて振り返りました。今回は後編。無念のDNFを喫した吉沢さんがサポートクルーに回り、レースは続く。小松選手、水野倫太郎、オーストラリアのランナーたちは、どこまで走り続けるのか。レースの結末と余韻。前編と合わせて、お聴きください。


⚫︎ランナー

吉沢協平選手/ 通称・吉沢さん(Instagram: @kando_producer )

10日間走日本記録保持者。バックヤードウルトラの自己記録は76LAP。過密スケジュールをものともしない。


小松広人選手/通称・コマツさん(Instagram:@komahiroto)

昨年のDead Cow Gullyにも出場し、75LAPという自己ベストを記録。最後の1秒まで諦めない走りが、見る人の心を打つ。


水野倫太郎/通称・ミチタロウ(Instagram:@michi_bagman_ultrarunner)

昨年のDead Cow Gullyにて、Dead Cow Gullyにて94LAPを記録。BAGMANの愛称で知られ、「走るはつなぐ」をテーマに、海外バックヤード転戦中。


⚫︎サポートクルー

Junさん/通称・Junさん

ゴールドコースト在住。2024年、川満武徳選手の求めに応じ、バックヤードウルトラのサポートを買って出る。Dead Cow Gullyは3度目。


AFAP(Instagram:@afap_ultrarunning)

「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」をテーマに、2025年6月Dead Cow Gullyをきっかけに立ち上がった日本人ウルトラランナーたちによるプロジェクト。当初はドキュメンタリー制作が目的。現在は、大会主催やコミュニティづくりに至るまでバックヤードウルトラや「共走」の魅力を伝える活動を幅広く展開している。


Podcastでは「共走と挑戦のドキュメンタリー」をテーマに、以下のシリーズを配信しています。

・SDシリーズ:Seven-day Project(ミチタロウ7日間への道)

・もう一つのシリーズも始動予定です


Documentary映像「As Far As Possible 私たちはどこまでいけるのか?」視聴リンク:https://youtu.be/aY3RQz1ADoM?si=5t8dHO2wnGWrCu2m


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00:01
AFAPこのプロジェクトは、バックハイドウルトラに魅せられたウルトラランナーたちによる挑戦と競争に光を当てます。
私たちはどこまで行けるのか、走ることで繋がった仲間たちと、この世界の魅力に光を当てます。
ということで、2026年6月4日、オーストラリアのJUNさん宅からお届けをしております。
デッドカウガリーバックハイドウルトラの振り返り、そしてそれについての私たちの率直な言葉を皆さんにお届けをしていきたいなと思います。
先ほど前半ですね、前半までは今年のレースに至るまでどういうことがあってとか、
レースの序盤、吉田さんが残念ながら8ラップでDNFをされてしまったというところまでお話をしてきたというところです。
ここからは小松さん、そして私の2人のランナーの残りの戦いと、
あとはそこに対してJUNさん、そしてサポートに回ってくださった吉田さんたち、それぞれの真目線でこのレースを振り返っていきたいなと思います。
はい、ということで小松さん、ちょっと選手が我々2人になってしまったというので、
ちょっとというかだいぶ、心細いじゃないですけど、
そうですね。
ちょっと心を整えるように時間が走りながらもあったような感じですけど、
でももうそこからすぐナイトパートに入ったということで、
初日の夜、バックヤードはもう本当最初の夜独特の難しさみたいなのがあったと思うんですけど、
今回もファーストナイトは小松さんとしてはどういうふうな感じでした?
ですね、去年のデッドカフガリーに比べて2つの意味でちょっときつかったなっていうのがあり、
1つ目が眠気。去年に比べて眠気がかなり1日目から強く出たなっていう印象でした。
いつもだいたいバックヤードを走ると、1日目は眠気は全く出ないってことはないですけども、
出たところでうまくやり過ごせることができるような範囲の眠気。
逆に言うと、他の眠くなっている選手を自分が結構起こしていくっていう役割を今まではすることが多かったんですけど、
今回は1日目からずっとフラフラしているっていうような状態で走って、
ただちょっと強いカフェインを入れたりとかっていうようなところはこのタイミングじゃないなっていうふうには思っていたので、
なんとか眠気をやり過ごさなきゃいけないっていうのは1つと、
もう1つが筋疲労がいつもよりかなり強く1日目の夜から出てたなっていうふうな気がしていて、
イメージで言うと2日目の夜ぐらいの足の痛みがもう1日目の夜で出ていたっていうのが自分の体感で、
03:06
ミッチャロとも夜話しながら走ってた時に、これ過去一1日目の夜できついんだけどっていうような形で話してましたね。
なんか本当に1日目の夜の率直なその印象というか感想というか、そんな感じでした。
はい、ありがとうございます。
本当なんでなんですかね、バックヤードって最初の夜が辛い、最初の24時間が辛いっていうのが割とある中で、
私も似たようなきつさを感じながら。
でも正直なんか最初の夜すごいきつかったことだけ覚えていて、なんか具体的にあんまり覚えてないんですけど、
逆に小松さんから見て僕どういうふうに見えてたとかってありますか。
いや、でもね、自分はミッチャロはいつも通りくらいな感じだった。
そうですね。
で、なんだろう、すごい1日目、炭沢とか1日目からもうやばい状態だったけども、そこまでじゃないような感じだったし、
体痛いとかそういうことはあんまり言ってなかった印象があって、体元気なのかなっていうのは思ってて、
逆に自分が体は結構痛くて、さすがにこの状態で体痛いのって結構やばいよなみたいなふうには感じながらプレイしてて、
っていうような、でミッチャロに足の状態とかどうなのみたいなことを言ったら、
まあなんかその、どこが痛いっていうわけではないけれども、もうこの時間帯はただただ足を前に回して進めていくだけだからっていうような話は、
なんかその話したのは覚えてるっすね。
そうですね、確かに確かに。
なんか足裏とか全体的に痛いは痛いっすよみたいなことはなかったような気はしますけど、
まあ動かすしかないですからねみたいな。
確かに。
まあそんな風に選手は最初の夜を迎えてたわけですけど、サポートの立場から見たときにこう、
昼と夜でなんかこう、変化というか、夜に変わったことでなんかこう、
特にこういうふうに備えたとか、なんか選手の様子がこういうふうに変わったように見えたとか、
なんかそこら辺ジュンさんどうでした?
なんか夜寒かったですね。
うん、そうかそうか。
ねえ、すごい寒くて、なんか。
それもありましたね。
それはなんか選手寒いだろうなっていうのは感じてて。
ただどう、それで選手がどう変わったっていうのはまだ時間的に早かったっていうのがあって、
一晩目っていうのはだいたいまああんまり、
06:00
まあねあの走られる方はみんな最初の24時間が辛いと言うそうですが、
サポートから見ると最初の24時間は辛そうに見えないというか、
なんか普通に淡々と時間が経っていく感じっていう印象でした。
ありがとうございます。
まあそうですね、確かに今言われて思ったところで言うと、
気温っていうのがなんかこう難しいというか、
寒いんだけど走り出すと暑いしっていうその体温調整というか、
ちょっといい具合のレイヤリングを見つけるのに、
なんかちょっとこう何ラップか時間を取ったような、
そんな印象は最初の夜ありました。
確かに。
そんな中ですけど、
まあ選手という立場からサポートの立場にこう変わって、
で、吉田さんがサポートみたいな感じで入り出したのは何ラップぐらいからでした?
ちょっと正確には覚えてないんだけど、
先ほども言ったように、自分の体調的には数時間で復活できたんで、
まあある程度ちょっとすっきりしてから、
多分終わってからどうだろう。
でも12時間目ぐらいからやってたと思います、正直。
で、自分の役目はもう2人というか、
主に今回で言うと小松さんがメインでサポートさせていただきましたけど、
何度か2人のラップを伸ばして入ろうっていうのが役割かなっていうのと、
やっぱり私の以外には順井さん含めて3人のサポートはいる中で、
まあやっぱり選手の立場でサポートできるのは、
経験値も含めて私が一番あるので、
どちらかというと選手としてだったら何が欲しいかというのをまず考えておりました。
で、一番お手伝いしたところというと、やっぱり小松さん補給面かなというところで、
普段どういうものを取られているかっていうのは本当にあんまり知りもしてなかった中で、
自分がこうだったらっていうところを想像したときに、
やっぱり質問、サポートから投げかけるとって、
で、考えさせるのが自分が今質問されて何欲しいですかとかって言われるのが、
どちらかというとあんまり自分的には苦手だったのがあるので、
まずそれをある意味こっちから勝手にいろんなものを出して、
で、取らない場合は本人の判断という形で指すのをまず意識したというところですかね。
で、多分比較的小松さんでいうとゼルを比較的取る人なのかなというところの中で、
で、私の場合結構炭水化物、主に米とか麺とかっていうのを比較的ランナーの立場で取る方だったので、
例えば麺だったり温かい系のものだったり、最初のある程度選択肢を用意して、
09:04
何が一番取れるのかなと見てて、だんだん後輩になればなるほど本当に選択肢を狭めてたという感じですかね。
1種類の動機もあれば2種類の動機もあればっていう形で、
こっちのものを出すものを調整しながらやらせていただきました。
小松さんは様子としてはどういうふうに見えてました?
ご自分のおっしゃられたように補給面だけじゃない部分で、その痛みですかね。
最初多分テープを貼るお手伝いをして、あれ背中だったかな。腰の部分ですかね。
結構あれ早々に貼ってほしいっていうのを受けた覚えがあるので、
あの時はどうですか状態的には。
そうですね。腰自体にも疲労がちょっと出始めてるっていうような状態で、
全然走れなくなるとかクリティカルなものではないんですけれども、
ここに疲れ溜まってったりとかすると嫌だなっていうのがあって、それでちょっとお願いしたっていうのはありましたね。
あとは全体的に腰もそうだし、あとでん菌であったりとか、
ハムであったりとか、ふくらはぎみたいなところであったりとか、
筋肉が至るところが筋疲労が来てるっていう、痛いっていうような状態にはなってましたね。
ただその中で一つだけ自分がプラスだなと思ってたのは、
怪我した箇所にほとんど痛みとか違和感が多少ちょっと違和感出るタイミングがあったけれども、
その怪我してた毛付けの付着部分に痛みが出なかったっていうところは、
すごく希望が持てる材料だなっていうふうには思いながら走ってましたね。
ありがとうございます。
実際、最初の痛みとかそういうのは、ごまかしながら進むしかないというか、
なかなかここじゃ終われないみたいな部分は、精神的にはあるし。
それでなんとか夜を越して、最初に24時間終えた時、朝日を迎えてっていうところですけど、
今年、まだマスターズじゃなかったっていうこともあって、
割と去年よりも24時間の時点の人数は少なかったっすよね。
少なかったっすね。わからないっすよね。
30人、40人っていう、250人ぐらいでスタートしたところから、
200人以上がもう最初の24時間ではいなくなっていてと。
というようなことで、去年と比べて心境の変化とかありましたか?
24時間終えた段階で。
12:00
そうですね。いやー、心境の変化か。
24時間終えた。でもそうだな。
去年と比べてっていうので、去年があんまり24時間終わっちゃった時にどうだったかっていうのを覚えてないんですけれども、
朝日を見た時にすごく元気になったんですよね。
不思議なんですけど、関係ないはずなんですけれども、
足が痛くて動かなかったっていうのも、全部消えるわけではないんですけども、
だいぶ良くなって足が動き始めるっていうような感覚が朝日見てあって。
で、今日はもしかしたら、このままこのトラブル乗り切っていけるかもしれないなっていうふうに、
自分は朝になった瞬間にそう感じたんですよね。
本当朝日の力ってすごいですよね。
今年、しかも去年もちょっと、去年の朝日と比べることできなかったけど、
一晩目が明けた時の朝日が本当に、今までに見たことのないような綺麗な空の色で。
いや眠いなーっていうのをずっと思いながらその最初の夜を走ってたわけですけど、
もう僕も朝日を迎えたら、その週ちょっと一周走ってる間ずっと眠くならずに、
ちょっと早く帰ってこれて、ちょっと着替えをしたりとか、
なんかそんなような感じで、やっぱ気持ちが切り替わる感じは僕もあったなというところですけど、
サポートの皆さんから、お二人から見て、朝日、初日の朝を終えたと、迎えたと、
2日目の朝か、を迎えたっていうところで、
なんかこう、どんな心境になったかとか、
選手の様子がこう、変化を感じたかとか、
そうですね、これは私のランナーとしての経験もあるんですけど、
やっぱりこう、明け方、日が昇ってくると、
これは今回のレースに限らず、比較的毎回元気になるランナーが多い。
これは自分も含めてなんですけど、
ちょっと高校生みたいな言い方をするときがとても昔とありますけれども、
そこで言うと、お二人が比較的明るくなったラップでは、
それまで本当にきつい眠い睡魔に襲われている中で、
やっぱりそれまでの暗い時間帯よりは元気に帰ってくるっていうところですね。
ある程度ラップの時間も多少早く帰ってきてたんですかね。
ちょっと正確に時間までわかんないですけど、
やっぱりそういう傾向はあるのかなというところですし、
やっぱりこの暗い時間帯、睡魔がある意味ちょっと取れるというか、
っていうのはあるかと思うんですけど、
実際どうですか、明るくなったタイミングで、
睡魔的にそれまできつい時間帯が取れるっていう。
全然もう睡魔も一気にパッとなくなって、
15:00
ちょっと1日目の夜にカフェに取りたかったけれども、
吉田さんの方からこれ飲んだほうがいいよって言われたので、
コーヒーを何口か飲ませてもらって、
あれも明け方ぐらいですかね、飲んだのは。
それでもう含めてパッと開けたら睡魔が消えていって。
本当に1日目の夜、夜が辛すぎて、
朝帰ったらすごいすっきりしたっていうのは本当にありましたね。
ただラップっていうところで言うと、
前編の方で小松さんおっしゃってたように、
やっぱコースの変化。
だから夜は眠くて、コースはイージーだけど眠くてペースが落ちていて、
朝日を迎えてコースが元のレーループに戻って、
眠気がない分早く走れるかと思いきやコース自体は、
どうですかね、僕実際走ったときに、
意外と普通にデイブープの方が、
なんかちょっと早く帰ってこれた感覚が、
2日目の朝はあったんですよね。小松さんどうでした、そこ。
2日目の朝はあったかもしれないな、それは。
2日目の朝は、なんかその、
あったかもしれないな。
そうっすよね。
ただなんか、そう思い出した。
2日目の朝で、1週目がちょっとなんか、
足のさばき方とか慣れないなっていうような、ちょっとぎこちなさみたいなものがあったんだけども、
2日目のデイループの、あ違う、2日目のデイループの2時間目を走るときは、
まあ結構なんかそれなりにリズムができてくるっていうか、
なんかそんな感じでしたね。
なんかなじんでくる感じがした。
そうっすね。
確かに。
ただこう不思議なのは、日が明けてぱっちりしたと思って、
なんか2、3時間経ったくらいになんか振り返しろみたいな気持ちになって。
ちょっとなんか気が抜けるのかわかんないですけど、
なんかちょっと夜から救われたみたいな感じからの、
少しタイムラグで、もっかい眠気が襲ってくるっていう、
なんかそんなのもありましたけど。
ただというか、その2日目で言うと、
より気温が初日よりも上がったっていうのが、
日中の特徴だったかなと思うんですけど、
その日中、2日目の日中ってどこがどうでした?
そうですね。
首に濡れたタオルを巻いたりとかっていうのをして、
自分は退社するようになっていて、
最初に氷をちょっと巻いてたんですけども、
18:02
氷巻くほど暑くはないなっていうのは自分は感じて、
あと氷を巻くとウェアがちょっとビショビショになっちゃうんで、
そのビショビショのウェアよりは、
比較的乾燥したウェアで走りたかったなっていうのもあり、
濡れたタオルを首に巻くっていう、
霊感タオルを持ってきてたんですけど、
その霊感タオルを首にずっと巻いて走ってましたね。
それはすごく良かったと思います。
そうですね。
確かに確かに。
実際そこのところは、私はもう暑さっていうところ、
氷巻いたりとか、ビショビショにするほどではないなと思いつつ、
これ結構、日中になって眠気も少しは収まって、
ペースを上げたくなるけど、
これをなんか上げすぎちゃうと、
こう疲労、熱による疲労とか、
体がホテルとかがきそうだなと思って、
2日目の日中は結構その、
あえてペースを抑えるっていうような感じで、
できる限り汗をかかないように走ってるのはあって、
それ自体はすごい上手くいったんですけど、
逆に眠気を最小限に抑えられる時間帯にペースを稼いで、
で、ちょっとこう、とはいえもう一晩を超えて眠気とかもあるので、
本当だったら早く走って、
そこで日中ちょっと寝だめをするみたいなことをしたかったんですけど、
実際その暑さ対策を優先してそこをできずに、
結構2日目の日中はなんか55分とか、
それよりちょい遅いぐらいで帰ってきてたような、
そうですよね。
そんな過ごし方だったなという。
なんか一回体調が悪いのかなと思って声かけたことがあって、
そしたら、
あ、ちょっと汗かかないけれどに、
もう運動強度で進んでるだけなんで大丈夫ですとは言ってたんで、
あ、そうなんだっていうようなところで、
その時は自分とほんと前後する感じだったよね。
たぶん自分のほうが早く帰る時間帯も結構あったりとか。
自分は54分とかできたのかな。
そういう意味では本当にこうまとまって長く寝るっていうのが、
もう1日目夜から2日目の日中からできてなかったっていうのが、
ちょっとこれもね後々の話に繋がっていっちゃうところかなというところですけど、
2日目の日中ってところで言うと、
選手のこう見てた様子とか、
逆にサポートサイドの動きみたいなところを、
じゅんさんには聞いてみたいなと思うんですけど、
どうでしょう?
1日目ですか?
あの正直ほら今回は、
牛田さんは早くサポートに回っていただけたということで、
私はそのサポートのサポートという状態になった感じなんですよね。
21:05
私から見てて何か感じたことはどうですかね。
去年と比べたら小松さんすごく調子が良く見えて、
去年が走り始めてすぐに足が痛いって、
サポートからしてみたらあれ小松さん終わっちゃうのかなっていう不安がずっとあって、
それからまた横に傾いてしまうという症状がずいぶん早くから出てて。
去年ですね。
去年ですね。
それがあったのは今年は全然なかったんで、
すごく調子が良さそうだなという印象はありました。
牛太郎はどうですかね、あんまりこう、
ほら牛太郎さんの場合には、
青井さんがずっとサポートを専属でしてた形があったんで、
走ってるときは普段通りかなという印象ぐらいでしたね。
そうですね。
ある意味直近で3本バックヤードやってきた中で、
ある程度こういう時はあるよねとか、
こういう時はこういう風に走ればまとめられるなみたいな感覚はあって、
何かかもなく不可もなくでもまあ大丈夫みたいな、
いうような感じで自分なりには走ってはいたんですけど、
まあまあ結果から振り返っちゃうとちょっとこう、
ある意味淡々と行き過ぎた、
粛々と無になって走るみたいな、
そういう感じに持ってきすぎちゃったのかなっていうのは後からあるんですけど。
吉田さんから見て2日目、小松さんなり私なりどうでした。
その日中でいうと暑さっていうところの中で、
小松さんのところはメインにさせていただいてましたけど、
ちょっとこちらで気をつけたところは外側からでいうと、
ご本人おっしゃられたようにこの冷感、
首の巻いたタオルとかっていうところでしたけど、
中からでいうと先ほどちょっと洗濯紙の話になるんですけど、
暖かいものと冷たいものを実は用意してて、
冷たいものでいうと、例えばそれも炭水化物にしたんですね。
米系を一回はお湯を入れて沸かして、
それを氷で冷やすっていうのをある意味食べさせてあげたり、
麺もそうですね。
麺も一回麺の状態にして一回お湯を捨てて、
それにちょっと冷たい汁とかにしたりっていうのをできるだけ、
日中の暑い時間帯は中から、胃臓から冷たくするように、
うちと外からっていうのをちょっと気をつけてやってたかなっていう中で、
たぶんご本人なりつらい部分あったと思うんですけど、
そんなに心配はしないでできたかなっていうのは運命ですかね。
24:05
一方三沢郎君は青井ちゃんがメインでやってた中で、
だいたい二人を送り出した後はお互いどうだったみたいな形で言うと、
暑さっていうよりはちょっと呼吸面が結構心配だったかなっていう。
こっちは小松さんで言うと短席はしっかりとっているというところの中で、
今回また食べなかったんですよっていうのが実際結構そこまで会話って多かったんですね。
なのでそのご本人的には三沢郎君的にはどうだったのかなと。
そうですね。
だからこう、本当に前回のシドニーから試してる仮説、
シドニーよりもまたさらに変えてやったのは、
3月のポーランドの時は、本当にまず脱水から入ってしまって、
寒さもあって水分の補給が遅れて、でも甘いジェルとかを入れていった中で、
多分体内の胃腸内のいろんな酸とかそういうののバランスが崩れちゃって、
で、消化能力が落ちて、
でもそこに何かこう、何かとにかく食べなきゃみたいなのでタロリーを詰め込もうとして、
で、弱った胃腸に無理に詰め込んだことで、さらにその内臓の状態が悪化して、
で、最終的にはこう、また胃の中、胃腸内の中から出血して、
良くなくなっちゃった、痛みが出て、最終的には食べ物も受け付けなくなり、
その痛み、内臓の痛みがなくなることもなく、最後はダメになっちゃったっていうので、
まあもう、まず、4月のシドニーから特に一番気をつけてたのは、
1時間にとる水分の量、それは必ずとるっていうこと。
で、あとは、その時の胃腸の状態相談をしながら補給を入れていくっていう。
で、シドニーの時はある程度目安で、
2週に1回ジェルをとるとか、4週に1回おにぎりを入れるとか、そういうのは決めてたんですけど、
ただ、それもちょっと気持ち悪さとか、痛みに繋がるような恐れがあったら、
いったん補給を止めるっていうのを、シドニーの時からやり始めていて、
で、今回のテッドカオガリーでいうと、
まあ何ですかね、シドニーの時とか、あと他のレースでもあるんですけど、
やっぱりその最初の24時間が、胃腸の調子も落ち着かないんですよね。
だから計画通りにとろうとしても、なんかちょっとこう、胸焼けじゃないですけど、
うーっと上がってくるような感じがあって、
まあでもとんなきゃいけないからといってとると、悪化しちゃうっていう経験が、
27:02
あれにポーランドのトラウマであったので、
まあそういう意味では、まずは水分だけは欠かさないっていう。
逆にでも、多分時期的にその水分の温度が多分低かったのかなと思うんですよね。
それでちょっと胃腸があんまりこう温まらずに、消化能力がそれによって落ちちゃっていた。
っていうので、その夜の間は特にこう、アオイちゃんから、
こうちゃんと食べてとかって言われても、
いや、今は補給はこうちょっと受け付け、受け付けないわけじゃないけど、
もう意図的に止めたいっていうので、
まあ断り続けたという。
そういう意味では心配かけてたし、
ただ逆に、水分自体は取っていたので、
致命的に胃腸が壊れるってことはなくて、
多分温度が上がってた2日目の日中ぐらいからは割とこう、
食べるよう、食べられるような感じになってたかなっていうのは記憶としてはありますね。
だからもしこう、反省として言うのであればやっぱその、
最初の24時間、こう胃腸が整うまでの24時間は、
やっぱこう、飲み物の温度もちょっと気にしてあげるってことを
今後はしたいななんてことはちょっと思ったりはした感じですね。はい。
まあそういう意味では確かにそう、最初の夜、
何時間目以降から24時間目まではなんかちゃんと言う、
ちゃんとした呼吸所、あの呼吸色が入れなかったような、
確かにそんな記憶はあります。
ありがとうございます。
あのちなみに、どうでした?私とあおいちゃんのペアはなんかこう、
結構バツバツしてた部分とか、周りから見てありましたね。
じゅんさんどうですか?
特にそれはなかったんじゃないですかね。
いやいや、あのあおいちゃんすごく大人、大人というか、
まあそうなんで、別に特にバチバチは感じなかったと思います。
ただ冗談で言ったのは、こうあおいちゃん結構心配されて、
全然食べてないっていうことなんで、私が冗談で言ったのは、
では吉澤さんにちょっと食べろと言ってもらったら食べるんじゃないの?
という冗談で言ってましたけども、
特にバチバチはなかったかなという印象です。
ありがとうございます。
まあまあそんな感じで、
まあ一応のちょっと整わさを2日目の日中にかけて何とかときまえてとか、
小松さんは小松さんで、
まあ痛みの部分をうまくごまかしつつ、
2日目に走っていたというところがあると思いますけど、
なんかそこぐらいから割と人数も絞られてきて、
選手同士のコミュニケーションがちょっとずつ増えてったかななんてことも思うんですけど、
30:00
なんかその段階?
2日目の日中とか2日目の夜にかけて、
印象に残った選手とのやり取りとかエピソードとかってあったりしますか?
2日目…そうですね、2日目…
2日目の…
一つ…
2日目の…夜の話でもいいかな?
はい、大丈夫です。
道太郎が道ずトレインっていうのを作って、
道ずバスか、道ずバスっていうのを作って、
トラソンしている選手を拾っていきながら、
夜は一人で走るよりみんなで走った方が楽だからっていうので、
一緒に行こうよって声をかけながら、
4人ぐらいでパーティー組んで行ったんですよね。
で、その時に、
ちょっと下りの…最後の2キロ。
最後の2キロがちょっと長い…
ナイトパートですね。
ナイトパートの最後の2キロが前回転。
行って帰っての、ちょっと勾配はかなり緩い。
ちょっとだけ下ってるっていうような、
すごく走りやすい自分の角度だなっていう風には思ってたんだけども、
その時に道太郎のトレインバスに乗った時に、
自分がいつも走る速さよりもちょっと速かったんだよね。
その下りが、2キロの下りが。
で、その2キロの下りを一緒に走って、
それでもうそこの選手のみんなとも、
次の周回とかも一緒に行こうよみたいな話とかをして、
何週間やってっていうのを繰り返した時に、
結局、ちょっと色々と選手のリズムがバラバラになり始めちゃって、
道太郎のトレインバスは3時間ぐらいで解散したんだけど。
ただそこで、下りの2キロ、2、3本、
ちょっと自分のペースよりもわずかに速いぐらいのペースでちょっと走ったことによって、
なぜか2日目の夜は筋疲労全くなくて。
なんか、足の中から疲労が1回綺麗になったような感覚が。
今までバックヤードで、
足の疲労がそこまで綺麗になるっていうことは経験したことがなくて、
なんでこれこんなに綺麗になってんだろうっていうのがあって、
それが夜のそんなに遅くないパートだったよね。
だから2日目の晩は自分は身体的にはすごい楽だった。
たぶん眠気はめっちゃあるけど、身体的にはすごい楽になって、
1日目よりも足は全然痛くないっていう状態で、
で、2日目の夜は足はすごい元気になったから。
だから眠くても足元気だから、
眠くてちょっとスペースが落ちても後で飛ばせば絶対うつけるっていうような自信が結構あったので、
なんかあの、悲壮感がそんなに出たっていうよりは、
33:05
なんかその疲労がなくなったことに結構ワクワクしたっていうのが、
ちょっとエピソードしてあったのは覚えてますね。
で、もう一つ2日目の夜に、
ちょっと眠気はどうしても我慢できなくてカフェインピルを入れました。
カフェインピルは1錠で200mg。
カフェインピルを入れたときに、
カフェインピルも飲んだときになんか、
なんだろう、眠気だけじゃなくてそれによって身体がすごく動く感覚があって、
なんかカフェインって眠気を取る、
眠気が取れると当然のことながらパフォーマンス、
良いパフォーマンスにすごく影響があるんで、
出力も出しやすくなるんだなっていうのが、
で、疲労がある程度抜けててカフェインピルで出力出せるっていう状態になってたんで、
身体的にはすごく元気になった瞬間が2日目の夜にあって、
で、その時、夜は、
ちょっと拒ましいけれども、
これ最後まで残ることができるんじゃないか今年は、
っていう期待がちょっと自分の中に少し芽生えた瞬間があったっていうのはありましたね。
ラストワン、ラストワンスタンディングで。
ラストワンスタンディング。
これだったら、これで今この状態で足こんなに復活して、
もう疲労ほぼない状態になってるからいけるんじゃないかなみたいな風に、
ちょっと思った瞬間があったって感じでした。
2日目の夜ですね。
眠くて、でもやっぱ眠いときはやっぱ人と喋るのが一番だってのは思ってたんで、
なんかこうちょっと偉そうにバスを組もうぜって言って、
去年、ハッピーバスって言ってやってたんだよみたいなのを、
他の選手にエピソードを話しながら、
ああそうなんだみたいな、
じゃあ道ずバスだねとかって言われて、
そうだ行こうぜみたいな。
いう感じではやってたんですけどね。
でもやっぱなんかこう、そういう風にやって何ラップかごまかしつつ、
やっぱ自分自身の眠気が強くて、
ちょっとでも先行ってみたいな、
ちょっとだけ寝てから行くからみたいなのとかは、
その頃がちょっとあって。
2日目の夜きつそうだったね、眠気がね。
2日目の夜はでも結構近くにいること多かったよね。
道太郎が寝てるところを、
自分が背中叩いて起こして、
そしたら道太郎が、えーもう!って言って、
先にちょっと走っていって、
もう一回背中叩いてっていうのを繰り返して、
ゴールまで一緒に行くみたいなパターンも何時間かあったっていう。
すごいやっぱこう起こしてこういう感じで、
なんか声かけてくれたのがありがたいんですけども、
なんかちょっと、中場ちょっとこう鬱陶しくて、
36:02
なんかイライラしちゃってみたいな。
いや、それは分かったよ。
いやいやだと思うけどさ、とか言いながらもね。
鬱陶しいと思うけど起こし続けるからね、いる限りは。
そうですね。あれはありがたかったですね。
というその2日目の夜に選手たちが入っていったわけですけど、
吉田さんとかどう見えてました?
なんか変方が出ました?
なんか劇的に大きい変化は正直見えてなくて、
まあ辛いのはもちろん分かるけど、
だからまだまだ全然いけるんじゃないかなっていう、
こちら側の外にの目線ではあって、
こちらのサポートも比較的こうルーティンで変わったこともせず、
いけたのかなとは思いますね。
リュウさんどうですか?
あれさっき小松さんなんかいけるかなって話したじゃないですか。
あれ何週目ぐらい?朝どれぐらいでしたかね?
朝?
夜の間ですよね。
夜ですね。だから夜の、
40時間とかするぐらいかな。
40時間ぐらいですか?
40いかないか。40までいかないか。ごめんなさいよ。
いやいや、40ぐらい。
というのはほら、他の競合という意味で、
ライアン・クロコードさんがね、43週でスターになってしまって、
95だったんです。
その後にね、小松さんにライアンみたいにしかいけるかもしれないよって、
ちょっと吹き込んだ覚えがあるんですよ。
え?
ということは、ライアンがリタイアしちゃったから、
小松さんにチャンスあるかもよって、ちょっと耳元で吹き込んでた覚えがあるんですね。
それがどっちだったのかなというのはちょっと今、
どっちかというかかなと思って、
小松さんの中でもいけるかなというのがあったですね。
なんかそれの時とは全く別だったんですけどね、
それはもう本当は走ってる時に足動くっていうのがなんかすごくあって。
だからその、いける空気はありましたよね、なんかね。
2日目の夜に入った、もう35ラップ目ぐらいで、
すでに選手自体も10人ちょっとぐらいになってましたかね。
ずいぶん水減るの早かったです。
ちょっと数は覚えてないですけど。
ね、でも途中なんかこう、
結構苦しそうにしてる選手とかもいて、
でもなんかこう、落ち着けとかって言って。
なんかでもちょっとこう、やっぱ少しでも。
そうですね、39ラップで残り9人、10人減ってると。
39ラップだと夜の10時ぐらいですかね。
うんうん、夜の8時ですね。
結構やっぱり2日目の夜になってポロポロポロポロ人が落ちてきたっていうのはあった中で、
39:06
で、丸2日経った48時間、3日目の朝を迎えた時に、
ランナーは5人になってたと。
どうでした?もうやっぱいけるわ、これいけるわみたいな感じですか?
いやこれで、夜中結構調子良かったから。
で、前の日の朝に大復活したあれがあったから、
これでもう夜調子良い状態でこの朝迎えて体が完璧な状態になったらどうしようって思ったんだけれども、
今回は朝のエネルギーチャージがなかったっていう。
なんか蘇る感じがなかったってこと?
蘇る感じがなかった。
逆に朝からどんどんちょっと辛くなっていくっていうような、
ちょっと体がうまく走れてないような感じっていうか、感触が。
なんかちょっと重くなってきてるな、足がまた重くなってきてるなっていうような感覚がありましたね。
うん、なるほど。
私はですね、やっぱ眠気がひどかったんですけど、
48日目のナイトパートが終わってデイパートに変わった部分でも、
足自体は結構動いていて、
2日目の朝と3日目の朝の同じ出力で走った時のペースの感覚がそんなに変わらなくて、
なんかもうなんだろ、初日の夜ぐらいから足はきつかったけど、
でもこれもうキープできてるわって思って、
これを淡々と1ラップ1ラップ1ラップ1ラップって感じでいけば、
おのずといろんな記録が伸びるなり、最後の何人か、最後の一人に残るなりがちょっと見えるなみたいな、
逆にちょっと僕は3日目の朝に一瞬油断じゃないけど、
ちょっといけるかもなって一瞬よぎった時はあったんですよね。
でもそこから先がもう延々と眠いから、
とにかく別に体は動くんだけど延々と眠くて、
走り続けられてたらこれぐらいで戻れるなっていう予測と、
実際でも走り続けられずに途中300メートル400メートルで走ったら何か数秒数十秒フリーズして、
ハッとしてまた走ってっていう、
ちょっとそれを延々と繰り返してるのがもうちょっとうんざりというかもうなんか、
いやーもうちょっとこの眠気でなんとかならないのかなーっていう、
42:00
そんななんかこう、
若干のうんざり感と、
まあでも淡々といけば、まあまあ淡々といけばいいんだよ淡々とみたいな、
いやなんかその、そんな感じはありましたね。
小松さん2日、3日目か、3日目の日中はどうですか。
日中は結構きつくて、
やっぱり体は、
足もやっぱり重いし、
実際眠気もきついっていうのがあって、
道太郎を、でもね後ろ結構、
道太郎がそれまでは結構前を走ることとか多かったんだ。
その前に走ってる道太郎に追いついて起こすみたいなことを、
夜やってたことが、道太郎がずっと昼間後ろから走ってて、
最後に追いついてくるっていうようなパターンだったんだよね。
だから道太郎いつ来るかなっていうのをいつも気にしながら、
まあ走って、で自分たち帰りが全部もう、
55分オーバーみたいな感じになっちゃっててっていうような、
ただその55分オーバーでも全く余裕はないというか、
っていうような状態で走ってたかなっていう印象でしたね。
あと今回その、数字上の気温で言うと、
日に日に日中の気温が上がってる感じでしたよね。
1日目の。
1日目が10度超えたかぐらいの感じで。
で、今思い出したら、
この私のペースが上がりきらなかったら眠さもあったんですけど、
頭の中で、とにかく気温のことを考えると、
体力を抑えるために汗をかいちゃいけないっていうイメージが、
自分の中でその制御をすごいかけてしまうので、
なんかこう、今までだったらそれこそこう、
眠い時は先にガーって行って、
後から来た選手に起こしてもらうとかをやってたんですけど、
それは要はこう、ダッシュして汗かいちゃうから、
逆にそうはせずに、
淡々と淡々と自分のペースで温存しながら走るみたいな。
なんかそこにこだわりすぎたのかなっていうのもあった中で、
3日目のお昼はなんとか超えて、
日中ってそんなに転換しないじゃないですか。
まあまあ、このまままずは夜まで、
なんとかこの暑い時間を耐えしのごうかっていう、
そんな感じだったんですよね。
でもね、きつかった本当に。
暑さはきつかった。
3日目は。
そうっすよね。
で、その3日目の昼を過ぎたぐらいの選手たちの様子、
一番暑さでいうとピークを迎えて、
眠気もある意味、
それぞれ小松さんも私もだいぶ眠そうだったっていう中で、
45:03
サポートクルーからどういうふうに見えてました?
じゅんさんどうっすか?
そうですかね。
私の中で見えてた限り、
この去年との比較っていうのはすごくたくさんあって、
小松さん実は私の方からは調子よく見えてたんですよね。
その調子よく見えたというよりは、
去年ほど悪く見えてなかった。
去年の方が全然いつ終わってもおかしくないような。
それでピーターさんとかからいろいろ話を聞いたら、
ピーターさんが距離を長く走れる選手は
だいたい平均で48分ぐらいで帰ってくる
という統計があるらしいんですね。
それでだからちょっと遅すぎるんじゃないかって
ずっと言われてたんですけど、
私の経験でいうといつも毎回帰ってくるのはそれぐらい遅い。
心配は全然なかったですね。
それは小松さんに対しても私に対しても。
そうです。
いつもピーターさんにちょっと遅すぎるんじゃないのって言われてる中で、
私はいつもこんなのですよって。
吉田さんどうですか。
まず小松さんに関しては戻ってくる時間は
比較的遅めにはなってたけど、
ある意味安定した時間に戻ってきてるなっていう印象があって、
引き続きそんなに心配はしなかったかなと。
ちょっと実際の戻ってくる時間はそんなに正確に覚えてないけど、
ミッチャーログに関しては比較的不安定に
時間が戻ってくるなっていうのがなんとなく感じは取ってたので、
同時に何が起こってるかまではちょっと見れてないので、
何かちょっと変化がミッチャーログの方はあるのかなっていうのは
なんとなく想像がつききましたね。
その不安定さというか戻ってくる感じ。
それは実際どうですか。
全部ペースが眠気に左右されてる感じだったんですよね。
その週どれだけ眠くて動けないかで戻ってくるペースの
時間が変わるというので、
とにかく眠気に鬱陶しいうんざりするような気持ちでいて、
そして迎えた3日目の2時台。
1時台ってことですね。
1時台に入って、暑さで言うと一番ピークで、
睡眠時間を稼ぐために早く走るっていうのも気温のことを考えると
あんまり撮りたくないなみたいな、特作じゃないなと思って。
でも眠くてどうしても残り、もうその時点で残り4人になってたんですけど、
48:01
他の3人に先に行かれちゃうし。
途中、左右一周的には残ってたオーストラリアは若手ですね、2人。
ジェイデンが26歳、サムが29歳っていうその2人ですけど、
サムと最後2人になって、先に小松さんとジェイデンが先行っててっていう感じだったんですけど、
そのままサムと行けばよかったんですけど、
一緒に行こうぜって彼も言って、声かけながら僕のことをちらっちゃって、
後ろを振り返りながら待ってくれて一緒に行ってるっていう状態で3分の1くらいまで行って、
でもやっぱあまりに眠いし、このまま待たせたり、タイムロスさせるのもなって思って、
先行っていいよ、2分くらい寝てから行くかなって思って言って、
時計のタイマー2分かけて横になったっていうのが、
そして気づいたら20分経ってたっていうのが、
時計を見たら13時44分だったんですよね。
コースで3分の1を進んでて残り3分の2くらいって、
3分の2よりはもうちょっと切ってたかもしれないですけど、
残り3分の5くらいで、パッと見たときは4分。
で、今何やってんだっけみたいなので、
事態を理解するのにちょっとぼーっと周りを見て、
あれ進む方向どっちだっけとかってやって立ち上がって45分みたいな。
で、うわ、え、やばっと思ってとりあえずもうダッシュして、
これキロ4で行けば間に合う?間に合う?とかって、
まあでももう考えてもしょうがないからとにかく動かせるだけ、
体を動かそうっていうので、
途中一時キロ4とかもパッと見たりしたときにはなってたけど、
でも結局間に合わず14時過ぎてスタートラインに帰ったという。
それが54を終えて55に戻ってこれなかったというような、
いう感じでしたね。
はい。小松さんはなんかその、
あれ樹下になって見せたら来ないぞみたいな。
いやなんかちょっと信じられなかった。
絶対来ると思ってた。
で、やっぱりそのイタイヤする直前にも声かけ、
その前の話集もちょっとキノコかけで寝てみたいなことをやって、
で、その後追いつくってくるっていうような感じだったから、
まあ絶対それは道太郎のある種ルーチンみたいな感じになって、
戻ってくるだろうなっていう気がしたから。
ただ、自分もその道太郎が帰ってくる週は結構遅くて、
56分7分とかになってたんですよね。
51:00
で、その56分7分で後ろ見ても道太郎が全く来てないから、
あれなんでこれこんなに来てないんだろうっていうようなことを、
あのコース上では思いながらちょっと走っててっていうような感じだったんですよね。
で、ちょっとこのそこからスタートするときに、
ちょっと道太郎の分も頑張ろうっていうふうに思いながら、
3人で、残りラスト3人で、お二人の若い2人を、
自分が追っかける形でスタートしてたっていうのが記憶に残ってますね。
はい、ということで、私が54ラップでDNFをしてしまったってことなんですけど、
それをいつ帰ってこねえってなった時の会場の雰囲気とか、
サポートチームとしての受け止め方とかどんな感じでしたか?
吉田さんどうですか?
そうですね、本当に戻りが、あっち側?
ミデルトからじゃないですか。
で、たぶんおじちゃんがいてて、
で、たぶんちょっともう難しいような話を戻ってきてしてくれて、
何かやっぱり寝ちゃったのかなっていうのは一番想像しやすいとこだったんですけど、
結果、今見ると2,3分かな?間に合った時間で言うと。
まあ、たぶん三沢君だけの不本意な終わり方だったのかなというところと、
でも、怒ってしまったことしょうがないし、終わりは決まったことなんで、
ある意味自分の辞めた時もそうだったように、
残った人のことを全力で支えようっていうところで、
熊津さんを何とか最後まで生かしてあげたいなっていうのに、
こっちは切り替えで。
三沢君には青井ちゃんがついてるから、
しっかり心のケアを含めて、奥様でもありますし、
そこは任せていいかなとは、あとのことは。
ありがとうございます。
熊津さんどうでした?
実はその週の前に、
青井さんが、三沢君がちょっと寝てから走るとかって、青井さんと話をしてて、
青井さんはそれに対して、それができるんだったら、
さっさと走って帰ってきて寝たほうがいいんじゃないのと言ったそうなんですね。
で、私にその話をして、それを言ったら、
どんなことができるんだ、最初からしてるよとかっていう話があったっていう話を聞いてた週なんですよ。
それで帰ってきて、帰ってこれなくて、
で、話を聞くと、
2分寝るつもりだったのに、20分寝てしまったということで、
54:01
もう青井さんと目を合わせてしまって、
ああ、行ったばっかりじゃんっていうね、そういう話をしたのを覚えてますね。
ちょっと残念だったというか、
ね、びっくりしましたね。
ありがとうございます。
いや、ほんとね、ちょっとこう、さられ場でいろいろあるっちゃあるんですけど、
でも、ちょっとこう、レースが終わった翌日の夜の話になるんですけど、
小松さんからこうふと言われて、道太郎がなんか楽しんでたみたいなことを言われたときに、
ちょっとハッとした部分はあって、
まあ、レース自体は眠気にありに負けて終わっちゃったっていう感じだったんですけど、
ね、ちょっとその言葉を言われてハッとした部分はあったんですよね。
小松さんから見て、今回の私っていうのはどういうふうに見えてたって感じですかね。
正直、1日目の晩…
1日目始まったときはすごくいろんな人と楽しそうに喋ってるシーンが結構印象的だったんだけども、
それ以降眠くなっちゃってから、たぶん1日目も晩からずっと眠いと思うんだけど、
その眠気をなんとか我慢しながら、無理やりその1時間を何とか何とか繋ぎ止めるっていうようなこと。
眠気を追ってどうにか克服しないとっていうような。
で、ほんとその状態で、それがどんどんどんどん走れば走るほど強くなる。
昼間も回復することはないっていうような状態。
で、見ててやっぱり走ってても、めちゃくちゃ眠い中で走り続けなきゃいけないし、
そこでどっかでね、ちょっと意識飛んでペースダウンしちゃったりとかすると、
それを取り戻すためにその後ペースアップしなきゃいけない。
で、そんな風に走りながら、毎回ラップ自体も早く帰ってくれるわけでもないから、
休憩自体もほとんど休憩することができずにそのまま出てくるっていうね。
永遠にその眠い状態で走り続けるっていうのを何十時間繰り返すって、
なんか市太郎って、なんかこのバックヤードに見せられて、
バックヤードに人生かけて仕事を辞めてプロランナーとして活動してっていうのをやってるはずなんだけど、
こんな辛い思いをするためにこいつはいろいろ態度を立っていろいろやってんのかなっていう風に思った時に、
もうちょっとバックヤードって楽しいもんだと思うし、
市太郎と初めて高尾で走った時、それは2023年、自分にとっても市太郎にとっても初めての高尾大会だったと思うけども、
57:01
その時はもっと生き生き走ってて、自分も市太郎にカウベルを持った市太郎がガランガランガランガラン言わせながら走ってきて、後ろから来て、
小松さん、あの電柱のところまで走って、そっから先は次の電柱まで歩いてっていうのを繰り返しましょう。そうしたらいけますよ。
眠そうな時間もあったけど、でもその時は初めてのバックヤードにすごく神聖な気持ちで楽しそうに走ってるっていう印象があって、
別に何か市太郎に言いたかったわけではなく、全然楽しそうじゃなかったけど楽しかったっていう風に、
そういう思いをするために市太郎ってバックヤードやってんだっけっていうようなことを、
聞いちゃいけないことだったのかもしれないけど、聞いちゃったっていうか。
それ結構ハッとさせられて、直接的な理由は眠気っていう風に言えてしまうというか、寝過ごしたってことなんですけど、
なんで眠いとか、眠い時に、でもちょっと一回頑張って時間を作り出すことがなんでできなかったんだっていうのを思った時に、
いや、そこだなと思って、なんかこう耐え忍ぶゲームモードに入っちゃってたなっていうのはすごい思っていて、
結局その眠気って、まあ疲労してるから眠くなるっていうのはもちろん、寝不足だから眠くなるっていうのはもちろんなんですけど、
だから脳みそに変化がなくなる、新鮮なものがなくなると退屈するわけですよね。
だからその最初に言ったように、夜とか人と喋ってるときは一番眠気が覚めるみたいな中で言うと、
むしろその、もう人とも喋る、もうペースも合わない、人と喋れない、でもなんか自分で一人でいてもなんか楽しいことを、楽しいわけでもなんだろう、
楽しさを見つけることをなんかこうしなくなっちゃってたなっていう、
眠いけども、その集中は頑張って人に話して会話しながら頑張ってペース保ってちょっと早く帰ろうとかって選択肢が多分あったと思うんですけど、
なんかそこはできなかった、できてなかったなっていうのだし、結局自分がバックヤード楽しむってなんだろうと思ったときに、
さっきその鷹尾大会の話がありましたけど、なんかこう人にこう話してとか、今こんなこと思いついてみたいなこととか、
あとはこう人の話を聞いてとかっていう、なんかそこが多分僕がバックヤードに対して持ってた面白さ楽しさで、
なんかそこをこう、ある意味こうちょっと置き去りにして、でまぁもうある意味こう参戦目だっていうその経験値とかそういうので、
1:00:03
なんかテクニックだけで走ろうとしちゃったのかなっていう、なんか日中をペースを上げるとこう体力を消耗してとか、
体温が上がっちゃうからどうこうでとか、汗をかかないためにはこれぐらいのペースじゃないといけなくてとか、
でも一番もっと言うとその人と話した方が楽しい、バックヤード楽しめるんだったら別に一瞬そのペース戦略とか日中だからどうこうとかは度外視して、
もう無邪気に楽しい方に振っちゃうっていうのが、なんかそれが一番の走り続けられるための戦略だったんだなっていう、
もうまぁ終わってから気づかせてもらえたっていう、逆に言うとだから走ってる時はそこに楽しさを身に出すことを、もうなんか思考停止しちゃってたというか、
まぁでもね、余裕が本当にね、頭も体も余裕が多分なくなってくから、
判断も、いろんなことを判断したりとかっていうのとか、もういろいろ難しくなってくる時にね、なんかね。
はい、なわけですが、まぁね、私の後に小松さんを走り続けてくださってと、
言うので、そっからがむしろこうサポートのお二人からすると結構、言い方あれですけど、結構ネタが生まれた時間帯でもあるか。
はい、その私がレース降りてからのその小松さんの戦いどうだったのかってところを、吉田さんからまず。
まず、先ほど言ったように補給中心なとこを主にサポートしてた身としては、
まず感想として、胃腸本当に強いなって思ってて、先ほど言ったように本当に炭水化物というか米を、
本当は言い方悪いですけど、もう餌のように与えてたんですね。
で、それを本当にしっかり食べてくれるっていうところで言うと、補給面は本当に心配しなかったっていうのと、
あとザックもしくはコシベルトで、その時間帯で言うと本当に交換して、
週ごとに最早めに用意したのを渡して、持ってきたのを引き取るっていうところで、
だいたいセットとしてはジェルと、あと洋館系かな、あとカロリーメイトをメインに入れてて、
だいたい必ずそれも何かしら食べて、要はゴミになって戻ってくるっていうので、
胴中もしっかり食べてて、補給系は本当に心配は入れなかったかなというところですかね、まずは。
一方、痛み的に腰も曲がりだしてる時間も長くなってたので、そこのちょっとしんどさっていうのは正直あったと思うんですけど、
1:03:08
その痛み的にはその悪化具合はどうですかね、本人的には。
そうですね、全身ちょっともう一晩目の身体の痛みと結構近くて、
1日目の日中ぐらいからやっぱ出力出すのがきつくなって、
自分自身身体がそんなに曲がってる自覚はなかったんだけれども、だんだん真っ直ぐ走るのが結構厳しくなってきてて、
気づくと左側のロカタの方に向かっていくっていうので、それを元に自分ちょっと傾いてるなっていうのは自覚はしてて、
ただそれがどうしたらいいのかっていうようなことの解決策がちょっと決定的なものを見出せないまま、
なんとかやり過ごしてっていうような状態で進めてましたね。
なのでもう本当に55分オーバー、3分前の笛が鳴ってる状態の後に入っていくっていうようなところから、
そのペースよりも早く戻ってくるのが身体的にちょっと難しいみたいな。
ただ、一丁は吉田さんが出していただいたもので不安はなくて、逆にすごくありがたかったなと思ったのが、
吉田さんには特に一瞬静止して走るので補給のことも事前に話したりとかはしてなかったんですけども、
今回は補給をしっかりとるっていうようなことをテーマにやろうとしていた中で、
毎時間毎時間お米、おにぎり一粒ぐらいのお米っていうのは出してくれてて、
それぐらい取りたいなっていうふうに思ってたので、それが毎回言わずとも出てくる。
かつ、自分の身体の調子に合わせて少し汁物みたいなものを混ぜてご飯を足していただいたりとか、
カップ麺みたいなものの麺をかなり砕いた状態で、そこにお米を入れて出していただいたりとかっていうような形で、
時間のない中でおにぎり一個分ぐらいを15秒20秒で流し込めるっていうような状態でいただいてたっていうようなところで言うと、
それはもう何も伝えてないんだけれどもそういうのが出てくるっていう、
自分が欲しかったものが出てくるっていうのはめちゃくちゃありがたくて、
あとはもう残った時間を使って、
just one more loop、この一周だけ戻ってこようっていうようなことを意識して走り続けるっていうようなことをやってましたね。
そんな小松さんですけど、じゅんさんどんなふうに見えてました?
1:06:05
まず食べ物の話をすると、
私はほら自分が走らないからどういうタイミングで物を出すとかっていうのは分からず、
レースの随分2週間くらい前ですかね、ZOOのミーティングの時に、
それもちゃんと私は分からないんで、
選手の方は皆さんも確実に私に分かるように紙に書くなり、
ちゃんと用意しておいてくださいというお願いをしたんですけども、
当日になったらやっぱりそういうことはなく、
私はじゃあそうすると言われたものだけ、その都度その都度言われたものを出すのかなということで対処をやってたんですけど、
その吉田さんすぐリタイアしてしまって、
その吉田さんがサポートを始めてくれて、
私が分からないのを見てると、吉田さんがニヤニヤしながら、
出したら食べるよ、出したら食べるよって言って、
ああそうなんだと思って、
そんなずっとずっと吉田さんだって、
小松さんが出た後はもう小松さんの食料の入っている袋を2つぐらいずっとどれとどれしようかな、どれとどれしようかなっていうのを見て、
それでちゃんと用意して、いろんな創作料理ですよね。
なんか不思議なものを混ぜたりしてました。
そんなのをしてたんで、
あれ多分吉田さん早くリタイアしなかったら私にはできなかったなって正直思いますね。
だからこれから他のバックヤードでやっていく人もね、
サポートの人とのコミュニケーション、
サポートの人がもし、
あれですよ、時間のある時はね、
じゃあ次これお願いします、次これお願いします、できると思うんですけど、
最後時間なくなるわけじゃないです。
その時に伝える情報で次に返ってくるものということを期待していると、
間に合わないんですよね。
だからもうどうしたらいいんですかね、そういう時。
吉田さんみたいに分かっている人がいれば出していけばいいんでしょうけど。
それはね、完全に選手側の落ち度というか、
ちょっと、
僕たちも今回サポートが少ないイベントだったので、
お湯だけ用意しておいていただければ、
そのお湯を使って自分たちでお米をあれして食べるぐらいな感じで、
その心積もりで今回はやろうっていうような話を、
ずれ捨てて、ただ蓋を開けてみたら、
ちょっと余裕がない一杯一杯の状態で退力になってしまいましたっていうような感じでしたんで。
それであれじゃないですか、結局10時間ぐらいですかね、最後の。
10時間ぐらいはもうほとんどタッチアングを。
1:09:01
あっちのスタートゲートのところにもう拠点を構えて。
その時は結構いろいろもう、
結局ピーターさんと私と虫田さん3人で一気にサポートしていた状態。
結局私はパッとやることがなくなれば、
あとは時間を読んでいるぐらい、
20秒も40秒も私になったと思うんですけど、
そこの最後の10時間は、
暑かったですね。
チーブワークは良かったから、
ケア面はピーターにやってくれてお給は私。
ピーターのマッサージ上手でしたね、すごい上手でした。
やっぱりかなりヘロヘロの状態で戻ってきて、
ピーターにマッサージしてもらうと、
端々はそんなに感触が悪くない。
でもそれがしばらくいくと全然もう辛くなっていくっていうような形で、
根本的に治るってことはないんだけれども、
延命措置としてはかなりマッサージが良いかって出会っていただいたという印象がありました。
ちなみにピーターさんにマッサージできるって聞いたら私です。
マッサージできるんだったらお願いしますと。
アシストみたいな。
結構その日中の、多分4,5時間前ぐらいだったと思うんですけど、
そこのパートが一番きつくて、
レイパートの西尾になってた時に、
西尾がもう真横から当たってて、
で、その西尾がもうめちゃくちゃ横から当たってるところトレイル走ってて、
その時に一瞬自分が何をしてるかわからなくなってしまって、
熱中症気味?それは眠気によるものではなく、ちょっと熱中症っぽい形で、
なんかちょっとフラッとなってしまって、
少し何をしてるかわからないんだけど進めなきゃいけないっていうような形で、
歩いてるシーンがあって、
多分そこでリカバリーが効かないぐらいタイム落としちゃったんですよね。
で、そこ、ただ間に合わないようなタイムではなかったんですけども、
そこから頑張って今後貯金を作っていくみたいなことは、
できないような体になってしまったなっていう印象が、
西尾だから落ちてくる4時とかそれぐらいかな、多分夕方の3日目の4時ぐらいが
そんな状態でしたっていうようなところでしたね。
で、その後にまた走って、
で、デイループの最後はライトを持ってデイループ行かなきゃいけないので、
それは5時から6時、5時6時、そこもきつくて、
1:12:04
その4時5時の西尾のきつかった次の週が5時6時で、
そこがやっぱりこのデイループ、
デッドカウントリーの一番辛い時間帯なんだなっていうのは、
その時走って初めて気付いた。
で、それなぜかっていうと、
暗くなっているタイミングなんだけれども、
シングルトラックのトレイルとかも含めて走らなきゃいけないっていうようなところで、
自分が思っているよりも相当タイムが遅れていて、
なんなら少し今回は3分前、4分前ぐらいに帰れるかなって思っていたら、
実際帰ったのは59分台で帰って、
もうすぐにスタートラインに立って出るっていうような状態だったので、
自分の中でその体感の辛さとスピードみたいなものっていうのが、
実際のものとかなりかけ離れているループだったなっていうようなところで、
そこも最終的に間に合うかなと思い、
全然余裕で間に合うでしょうって思って、
最後の方で間に合うのがギリギリになりそうだっていうので、
またそこでもダッシュ使ってっていうようなことをやったりとか、
そんなことを繰り返していくっていうような感じでしたね。
あとちょっと個人的に辛かったのが、
3人で残って走ってて、
オーストラリアの若い2人、
ジェーデンとサムさん、
その2人に関しては、
自分よりも常に前を走ってるんですよね。
多分おそらく50分くらい帰ってきてたのかな、2人とも。
どうでした?
50分くらい帰ってきてて、
やっぱり走ってて差がつくんですよね。
そうすると、自分はその3人になってからずっと一人旅になるっていうような状態の中で走らなければいけなくて、
その一人旅になって走っていると、
そもそも自分でペース作れないっていうのもあるし、
そこに疲れと眠気が来て、判断がちょっとおかしくなってきて、
あの2人に離されちゃいけないっていう、なぜか思考になっちゃったりとかするんですよね。
で、頑張らなくてもいいところで頑張っちゃったりとかっていうようなことをしたりとか、
なぜか冷静に判断ができない思考モードに入ってしまって、
それもちょっとレースで崩れた要因の一つだったなっていうふうには考えてます。
でもどちらにせよ、もう本当に帰ったらすぐ出て、
で、そこから前半は上りある程度全部走るんですよね。
出力が弱いから全部走って、
で、その時はサムとジェイロン結構近くにいるような状態なんだけども、
そこから先が平坦なところとかシングルトラックのトレイルとか入っていったりとかすると、
もうそこでバーって離されていくっていうのが、
1:15:00
今ずっと同じパターンを繰り返すっていうような形で、
で、戻ってきたらまた行く、戻ってきたらまた行くっていうのを繰り返して、
どんどん疲れも蓄積し、眠気も蓄積し、
でも間に合わせなきゃいけないっていうのをひたすら繰り返すっていうようなことをやってた。
まあ苦しい時間帯だったけど、
もうジャストワンモアループやるしかないっていうような形で考えてましたね。
まあなんか小松さんのこう姿を見てたら迷いはなかったですよね。
余裕はないけど迷いはないっていう。
そうね。なんかそこで諦めるっていう選択肢はなさったかもしれないな。
その59分に帰ってきても。
ほんと今こう吉田様手元で映像を振り返ってますけど、
横になってマッサージしてもらいながらさらに同時に補給も入れて、
最後装備を持って立ち上がるっていう。
生命力を感じる。
その間20秒とかでやるっていう。
マッサージ受けさせられながら補給をワシャワシャワシャ。
で、転がりながら食べて。
それもね、もうほんと数十秒の中でそれを全部やるっていう。
ほんとっすね。
逆に言うとなんかいろんなことをもっとほんと、
同時並行ですごいギュッとした時間でできるのかもしれないっていう、
そういう可能性でもありますよね。
そうですね。
寝ることにゼンブリして、1分前に起きてこれをやるっていうのもありかもしれない。
実際これ30秒ぐらいの出来事なんで。
いやーすごいですね。
そして結末はどんな形で迎えたんですか?
結末は最後63ラップ目にチャレンジしているところで、
毎回毎回出力が落ちているのは感じている中で、
ずっと59分台にゴールするっていうのを繰り返していて、
今回もギリギリになるだろうなっていうようなところで走っていて、
最後のラップは途中更に出力が落ちちゃったんですよね。
最後のバックストレートの2キロ、若干下り基調みたいなところで走っていて、
そこを10分ちょっとでも持っていかないといけなくて、
どんどん借金が積み重なっていって、
最後の1キロをキロ4で行けば間に合ったということで、
ちょっとキロ4出せるかどうかやってみようっていうので、
そこで思いっきりバーッと走って、
もうペースなんかも見ることができずにバーッと。
3分前の笛、2分前の笛、1分前の笛っていうのがどんどん聞こえてくるんだけども、
その笛は確実に近くなってくる。
もしかしたら間に合うかもしれないっていうところで、
1:18:00
でも本当にスタート地点が見えるところで無情にもカウエルが鳴って、
そこで間に合わずっていうような。
でもね、今振り返ると、もうちょっと最終ラップもプッシュしようと思えば、
最後のタイミングではなく、もうちょっと前の段階でプッシュはできたんだろうなっていう気はしてて、
出力が毎回落ちていくのって、
押そうと思えばまだ押せるんだけど、
どうしてもやっぱり腰が曲がってきちゃうと、
腰が曲がっているものがどんどん悪くなっていくのが分かってて、
その腰がやっぱり曲がっている状態で出力を上げて、
さらに腰に負担をかけてっていうのをやり続けていいんだろうかって。
じゃあそれがもし、そのプラス1周で勝負が決まりますっていうところだったら絶対やってたと思うんだよね。
腰が砕けようとも。
だからそういう意味では自分が限界までやれたかっていうようなところで言うと、
まだまだ限界ではなかった。
ただ、去年みたいに75までいけたかっていうと、
ちょっと今回は無理だったなっていうのが、
自分のデッドカウガリーの振り返りというか、最後の結末。
ただ、ビッグス終わった時に、ビッグスは54ラップで終わって、
その時はもう最後まで自分の力を出し切れずに終わってしまったので、
今回デッドカウガリーでは力は出し切って終わりたいなとは思ったので、
今の出せる力は出し切って終えることができたかなっていう気はするので、
そういった意味では自分はすごく、
結果は悔しいけれども晴れ晴れとした気持ちではあるし、
あとは心配してたアキレス腱の付着部の痛みっていうのは、
レース終わった後も全く出てないので、
ここはオーバーユースで悪化するっていうことがなかったことっていうのが、
2つ良かったかなというふうに思ってます。
ありがとうございます。
いやーなんかあれっすね、62ラップ分を追体験したような。
でも忘れちゃってるよね、話そうとすると。
でも話してる中で、そうだったそうだった、
なんであの時ああいうタイム上げれなかったんだろうみたいなことも含めて、
話してると見えてくる。
ちょっとこのバックヤード、デッドカウガリーを振り返って、
次に活かしていくってこととか、
またじゃあ去年のデッドカウと何が違うのかみたいなこととか、
そういうのはもう少しこう例えば切り口を変えて文章で振り返ったりとか、
なんかそんな形でアプローチはしていきたいなと思うんですが、
ちょっと今日のところはだいぶ長丁場の収録になってしまったので、
1:21:00
ちょっとここでね、一旦終わりにしたいなというので、
本当はこう我々が次に控えるバックヤード、
10月のデッドカウガリー、もう疲れてますね、
10月のサテライト、国別対抗戦とか、
あとは実はなんかこうもう一個、
その10月の前に日本人チームでバックヤードを海外に出るかもみたいな話も出てたりとか、
ちょっとそんな話もね、時間があれば触れたかったんですけど、
ちょっと今日のところはここで締めくくりにしたいなと思います。
最後に吉田さんとジュンさんからなんか一言ずつコメントもらうと終わりたいんですけど、
吉田さんどうですか、この間に選手たちの戦いを。
そうですね、まあちょっと自分個人的には残念な結果であったんですけれども、
なんかまあそれぞれの結果はどうであれ、
このメンバーでこの異国の地に臨めたのはすごい良い経験になったと思いますし、
ちょっと次の回長いかもしれないけど、
次に生かせるような建設的な話とか、
我々にとって、あと日本チームにとって財産もある、
というイベントだったんじゃないかなと思いますんで、
それを我々だけじゃなくて、今後の日本代表になり、
今後のパックヤードに臨む日本人の皆さんにとっても有益な情報発信が
今後できるようにしたいなと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。吉田さんありがとうございます。
そしてこの人なくして我々のデッドカブはないというジュンさんですが、
どうですか、2026年のこの大会を振り返って。
2026年に限らずなんですけど、
もともとタケノイさんをサポートするって受け入れたときの
自分の中での理由付けというのは、
私が大好きで住んでるこのオフスタイルのクイズランド州を
もっと日本の人に分かってもらいたい、
そういうのがありまして、
多分海外のレースってすごく遠いところに感じてる人いっぱいいると思うんですよね。
だけどオーストラリアって結構安全というか、
不安もない国だと思うんですよ。
なんで、そういうの興味があるなっていう人いたら
ファップの方に相談してみてもらうとか、
なんかいろいろ聞いてみてもらうっていうのもいいかなって思いますね。
正直なところ私がどこまでサポートしていけるかっていうのはわからないんですけども、
すごく何回かも3年目ですかね、来てもらってるところがあって、
いろんな経験の蓄積っていうのもあるかと思うんで、
何かね、そういうサポートっていうのも、
情報だけのサポートになるかもしれないけども、
いろいろあるかと思います。
そういうところで、私が最初に理由付けした、
自分が大好きで住んでるこのオフスタイルのクイズランド州の
もっと日本に紹介していきたい。
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そして日本の人に、
クイズランド州の良さをわかっていただきたい。
そういうところですね。
そういう形で、ファップの方に
お話しかけていただくといいかなと思いました。
今回、2026年のことですか。
そんな感じで、これからもどうですかね、続いていくんですかね。
いろいろ未知、将来が未知数ということだよ。
それこそがまさに、私たちはどこまでいけるのかという、
その一つの問いかけなのかなと思いますし、
わからないからこそ見てみたい。
続けていけるのか、嫌でもいきたいっていう、
そういうようなことなのかなと思うので、
本当にじゅんすさん最後に言ってくださったように、
本当にここに今日いるメンバーだけじゃなく、
オーストラリアのバックヤードに限らずですけど、
バックヤードを通していろんな景色とか挑戦をしたいという方は、
今後もこういうPodcastを聞いていただけたら嬉しいですし、
私たちは世の中に実在する人間なので、
何らかの形でいろいろ関わっていただけたらなというふうにも思います。
ということで、本日は聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございます。
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