AFAPこのプロジェクトは、バックハイドウルトラに魅せられたウルトラランナーたちによる挑戦と競争に光を当てます。
私たちはどこまで行けるのか、走ることで繋がった仲間たちと、この世界の魅力に光を当てます。
ということで、2026年6月4日、オーストラリアのJUNさん宅からお届けをしております。
デッドカウガリーバックハイドウルトラの振り返り、そしてそれについての私たちの率直な言葉を皆さんにお届けをしていきたいなと思います。
先ほど前半ですね、前半までは今年のレースに至るまでどういうことがあってとか、
レースの序盤、吉田さんが残念ながら8ラップでDNFをされてしまったというところまでお話をしてきたというところです。
ここからは小松さん、そして私の2人のランナーの残りの戦いと、
あとはそこに対してJUNさん、そしてサポートに回ってくださった吉田さんたち、それぞれの真目線でこのレースを振り返っていきたいなと思います。
はい、ということで小松さん、ちょっと選手が我々2人になってしまったというので、
ちょっとというかだいぶ、心細いじゃないですけど、
そうですね。
ちょっと心を整えるように時間が走りながらもあったような感じですけど、
でももうそこからすぐナイトパートに入ったということで、
初日の夜、バックヤードはもう本当最初の夜独特の難しさみたいなのがあったと思うんですけど、
今回もファーストナイトは小松さんとしてはどういうふうな感じでした?
ですね、去年のデッドカフガリーに比べて2つの意味でちょっときつかったなっていうのがあり、
1つ目が眠気。去年に比べて眠気がかなり1日目から強く出たなっていう印象でした。
いつもだいたいバックヤードを走ると、1日目は眠気は全く出ないってことはないですけども、
出たところでうまくやり過ごせることができるような範囲の眠気。
逆に言うと、他の眠くなっている選手を自分が結構起こしていくっていう役割を今まではすることが多かったんですけど、
今回は1日目からずっとフラフラしているっていうような状態で走って、
ただちょっと強いカフェインを入れたりとかっていうようなところはこのタイミングじゃないなっていうふうには思っていたので、
なんとか眠気をやり過ごさなきゃいけないっていうのは1つと、
もう1つが筋疲労がいつもよりかなり強く1日目の夜から出てたなっていうふうな気がしていて、
イメージで言うと2日目の夜ぐらいの足の痛みがもう1日目の夜で出ていたっていうのが自分の体感で、
まあねあの走られる方はみんな最初の24時間が辛いと言うそうですが、
サポートから見ると最初の24時間は辛そうに見えないというか、
なんか普通に淡々と時間が経っていく感じっていう印象でした。
ありがとうございます。
まあそうですね、確かに今言われて思ったところで言うと、
気温っていうのがなんかこう難しいというか、
寒いんだけど走り出すと暑いしっていうその体温調整というか、
ちょっといい具合のレイヤリングを見つけるのに、
なんかちょっとこう何ラップか時間を取ったような、
そんな印象は最初の夜ありました。
確かに。
そんな中ですけど、
まあ選手という立場からサポートの立場にこう変わって、
で、吉田さんがサポートみたいな感じで入り出したのは何ラップぐらいからでした?
ちょっと正確には覚えてないんだけど、
先ほども言ったように、自分の体調的には数時間で復活できたんで、
まあある程度ちょっとすっきりしてから、
多分終わってからどうだろう。
でも12時間目ぐらいからやってたと思います、正直。
で、自分の役目はもう2人というか、
主に今回で言うと小松さんがメインでサポートさせていただきましたけど、
何度か2人のラップを伸ばして入ろうっていうのが役割かなっていうのと、
やっぱり私の以外には順井さん含めて3人のサポートはいる中で、
まあやっぱり選手の立場でサポートできるのは、
経験値も含めて私が一番あるので、
どちらかというと選手としてだったら何が欲しいかというのをまず考えておりました。
で、一番お手伝いしたところというと、やっぱり小松さん補給面かなというところで、
普段どういうものを取られているかっていうのは本当にあんまり知りもしてなかった中で、
自分がこうだったらっていうところを想像したときに、
やっぱり質問、サポートから投げかけるとって、
で、考えさせるのが自分が今質問されて何欲しいですかとかって言われるのが、
どちらかというとあんまり自分的には苦手だったのがあるので、
まずそれをある意味こっちから勝手にいろんなものを出して、
で、取らない場合は本人の判断という形で指すのをまず意識したというところですかね。
で、多分比較的小松さんでいうとゼルを比較的取る人なのかなというところの中で、
で、私の場合結構炭水化物、主に米とか麺とかっていうのを比較的ランナーの立場で取る方だったので、
例えば麺だったり温かい系のものだったり、最初のある程度選択肢を用意して、
何が一番取れるのかなと見てて、だんだん後輩になればなるほど本当に選択肢を狭めてたという感じですかね。
1種類の動機もあれば2種類の動機もあればっていう形で、
こっちのものを出すものを調整しながらやらせていただきました。
小松さんは様子としてはどういうふうに見えてました?
ご自分のおっしゃられたように補給面だけじゃない部分で、その痛みですかね。
最初多分テープを貼るお手伝いをして、あれ背中だったかな。腰の部分ですかね。
結構あれ早々に貼ってほしいっていうのを受けた覚えがあるので、
あの時はどうですか状態的には。
そうですね。腰自体にも疲労がちょっと出始めてるっていうような状態で、
全然走れなくなるとかクリティカルなものではないんですけれども、
ここに疲れ溜まってったりとかすると嫌だなっていうのがあって、それでちょっとお願いしたっていうのはありましたね。
あとは全体的に腰もそうだし、あとでん菌であったりとか、
ハムであったりとか、ふくらはぎみたいなところであったりとか、
筋肉が至るところが筋疲労が来てるっていう、痛いっていうような状態にはなってましたね。
ただその中で一つだけ自分がプラスだなと思ってたのは、
怪我した箇所にほとんど痛みとか違和感が多少ちょっと違和感出るタイミングがあったけれども、
その怪我してた毛付けの付着部分に痛みが出なかったっていうところは、
すごく希望が持てる材料だなっていうふうには思いながら走ってましたね。
ありがとうございます。
実際、最初の痛みとかそういうのは、ごまかしながら進むしかないというか、
なかなかここじゃ終われないみたいな部分は、精神的にはあるし。
それでなんとか夜を越して、最初に24時間終えた時、朝日を迎えてっていうところですけど、
今年、まだマスターズじゃなかったっていうこともあって、
割と去年よりも24時間の時点の人数は少なかったっすよね。
少なかったっすね。わからないっすよね。
30人、40人っていう、250人ぐらいでスタートしたところから、
200人以上がもう最初の24時間ではいなくなっていてと。
というようなことで、去年と比べて心境の変化とかありましたか?
24時間終えた段階で。
一方三沢郎君は青井ちゃんがメインでやってた中で、
だいたい二人を送り出した後はお互いどうだったみたいな形で言うと、
暑さっていうよりはちょっと呼吸面が結構心配だったかなっていう。
こっちは小松さんで言うと短席はしっかりとっているというところの中で、
今回また食べなかったんですよっていうのが実際結構そこまで会話って多かったんですね。
なのでそのご本人的には三沢郎君的にはどうだったのかなと。
そうですね。
だからこう、本当に前回のシドニーから試してる仮説、
シドニーよりもまたさらに変えてやったのは、
3月のポーランドの時は、本当にまず脱水から入ってしまって、
寒さもあって水分の補給が遅れて、でも甘いジェルとかを入れていった中で、
多分体内の胃腸内のいろんな酸とかそういうののバランスが崩れちゃって、
で、消化能力が落ちて、
でもそこに何かこう、何かとにかく食べなきゃみたいなのでタロリーを詰め込もうとして、
で、弱った胃腸に無理に詰め込んだことで、さらにその内臓の状態が悪化して、
で、最終的にはこう、また胃の中、胃腸内の中から出血して、
良くなくなっちゃった、痛みが出て、最終的には食べ物も受け付けなくなり、
その痛み、内臓の痛みがなくなることもなく、最後はダメになっちゃったっていうので、
まあもう、まず、4月のシドニーから特に一番気をつけてたのは、
1時間にとる水分の量、それは必ずとるっていうこと。
で、あとは、その時の胃腸の状態相談をしながら補給を入れていくっていう。
で、シドニーの時はある程度目安で、
2週に1回ジェルをとるとか、4週に1回おにぎりを入れるとか、そういうのは決めてたんですけど、
ただ、それもちょっと気持ち悪さとか、痛みに繋がるような恐れがあったら、
いったん補給を止めるっていうのを、シドニーの時からやり始めていて、
で、今回のテッドカオガリーでいうと、
まあ何ですかね、シドニーの時とか、あと他のレースでもあるんですけど、
やっぱりその最初の24時間が、胃腸の調子も落ち着かないんですよね。
だから計画通りにとろうとしても、なんかちょっとこう、胸焼けじゃないですけど、
うーっと上がってくるような感じがあって、
まあでもとんなきゃいけないからといってとると、悪化しちゃうっていう経験が、
あれにポーランドのトラウマであったので、
まあそういう意味では、まずは水分だけは欠かさないっていう。
逆にでも、多分時期的にその水分の温度が多分低かったのかなと思うんですよね。
それでちょっと胃腸があんまりこう温まらずに、消化能力がそれによって落ちちゃっていた。
っていうので、その夜の間は特にこう、アオイちゃんから、
こうちゃんと食べてとかって言われても、
いや、今は補給はこうちょっと受け付け、受け付けないわけじゃないけど、
もう意図的に止めたいっていうので、
まあ断り続けたという。
そういう意味では心配かけてたし、
ただ逆に、水分自体は取っていたので、
致命的に胃腸が壊れるってことはなくて、
多分温度が上がってた2日目の日中ぐらいからは割とこう、
食べるよう、食べられるような感じになってたかなっていうのは記憶としてはありますね。
だからもしこう、反省として言うのであればやっぱその、
最初の24時間、こう胃腸が整うまでの24時間は、
やっぱこう、飲み物の温度もちょっと気にしてあげるってことを
今後はしたいななんてことはちょっと思ったりはした感じですね。はい。
まあそういう意味では確かにそう、最初の夜、
何時間目以降から24時間目まではなんかちゃんと言う、
ちゃんとした呼吸所、あの呼吸色が入れなかったような、
確かにそんな記憶はあります。
ありがとうございます。
あのちなみに、どうでした?私とあおいちゃんのペアはなんかこう、
結構バツバツしてた部分とか、周りから見てありましたね。
じゅんさんどうですか?
特にそれはなかったんじゃないですかね。
いやいや、あのあおいちゃんすごく大人、大人というか、
まあそうなんで、別に特にバチバチは感じなかったと思います。
ただ冗談で言ったのは、こうあおいちゃん結構心配されて、
全然食べてないっていうことなんで、私が冗談で言ったのは、
では吉澤さんにちょっと食べろと言ってもらったら食べるんじゃないの?
という冗談で言ってましたけども、
特にバチバチはなかったかなという印象です。
ありがとうございます。
まあまあそんな感じで、
まあ一応のちょっと整わさを2日目の日中にかけて何とかときまえてとか、
小松さんは小松さんで、
まあ痛みの部分をうまくごまかしつつ、
2日目に走っていたというところがあると思いますけど、
なんかそこぐらいから割と人数も絞られてきて、
選手同士のコミュニケーションがちょっとずつ増えてったかななんてことも思うんですけど、
もう青井さんと目を合わせてしまって、
ああ、行ったばっかりじゃんっていうね、そういう話をしたのを覚えてますね。
ちょっと残念だったというか、
ね、びっくりしましたね。
ありがとうございます。
いや、ほんとね、ちょっとこう、さられ場でいろいろあるっちゃあるんですけど、
でも、ちょっとこう、レースが終わった翌日の夜の話になるんですけど、
小松さんからこうふと言われて、道太郎がなんか楽しんでたみたいなことを言われたときに、
ちょっとハッとした部分はあって、
まあ、レース自体は眠気にありに負けて終わっちゃったっていう感じだったんですけど、
ね、ちょっとその言葉を言われてハッとした部分はあったんですよね。
小松さんから見て、今回の私っていうのはどういうふうに見えてたって感じですかね。
正直、1日目の晩…
1日目始まったときはすごくいろんな人と楽しそうに喋ってるシーンが結構印象的だったんだけども、
それ以降眠くなっちゃってから、たぶん1日目も晩からずっと眠いと思うんだけど、
その眠気をなんとか我慢しながら、無理やりその1時間を何とか何とか繋ぎ止めるっていうようなこと。
眠気を追ってどうにか克服しないとっていうような。
で、ほんとその状態で、それがどんどんどんどん走れば走るほど強くなる。
昼間も回復することはないっていうような状態。
で、見ててやっぱり走ってても、めちゃくちゃ眠い中で走り続けなきゃいけないし、
そこでどっかでね、ちょっと意識飛んでペースダウンしちゃったりとかすると、
それを取り戻すためにその後ペースアップしなきゃいけない。
で、そんな風に走りながら、毎回ラップ自体も早く帰ってくれるわけでもないから、
休憩自体もほとんど休憩することができずにそのまま出てくるっていうね。
永遠にその眠い状態で走り続けるっていうのを何十時間繰り返すって、
なんか市太郎って、なんかこのバックヤードに見せられて、
バックヤードに人生かけて仕事を辞めてプロランナーとして活動してっていうのをやってるはずなんだけど、
こんな辛い思いをするためにこいつはいろいろ態度を立っていろいろやってんのかなっていう風に思った時に、
もうちょっとバックヤードって楽しいもんだと思うし、
市太郎と初めて高尾で走った時、それは2023年、自分にとっても市太郎にとっても初めての高尾大会だったと思うけども、
その痛み的にはその悪化具合はどうですかね、本人的には。
そうですね、全身ちょっともう一晩目の身体の痛みと結構近くて、
1日目の日中ぐらいからやっぱ出力出すのがきつくなって、
自分自身身体がそんなに曲がってる自覚はなかったんだけれども、だんだん真っ直ぐ走るのが結構厳しくなってきてて、
気づくと左側のロカタの方に向かっていくっていうので、それを元に自分ちょっと傾いてるなっていうのは自覚はしてて、
ただそれがどうしたらいいのかっていうようなことの解決策がちょっと決定的なものを見出せないまま、
なんとかやり過ごしてっていうような状態で進めてましたね。
なのでもう本当に55分オーバー、3分前の笛が鳴ってる状態の後に入っていくっていうようなところから、
そのペースよりも早く戻ってくるのが身体的にちょっと難しいみたいな。
ただ、一丁は吉田さんが出していただいたもので不安はなくて、逆にすごくありがたかったなと思ったのが、
吉田さんには特に一瞬静止して走るので補給のことも事前に話したりとかはしてなかったんですけども、
今回は補給をしっかりとるっていうようなことをテーマにやろうとしていた中で、
毎時間毎時間お米、おにぎり一粒ぐらいのお米っていうのは出してくれてて、
それぐらい取りたいなっていうふうに思ってたので、それが毎回言わずとも出てくる。
かつ、自分の身体の調子に合わせて少し汁物みたいなものを混ぜてご飯を足していただいたりとか、
カップ麺みたいなものの麺をかなり砕いた状態で、そこにお米を入れて出していただいたりとかっていうような形で、
時間のない中でおにぎり一個分ぐらいを15秒20秒で流し込めるっていうような状態でいただいてたっていうようなところで言うと、
それはもう何も伝えてないんだけれどもそういうのが出てくるっていう、
自分が欲しかったものが出てくるっていうのはめちゃくちゃありがたくて、
あとはもう残った時間を使って、
just one more loop、この一周だけ戻ってこようっていうようなことを意識して走り続けるっていうようなことをやってましたね。
そんな小松さんですけど、じゅんさんどんなふうに見えてました?
今ずっと同じパターンを繰り返すっていうような形で、
で、戻ってきたらまた行く、戻ってきたらまた行くっていうのを繰り返して、
どんどん疲れも蓄積し、眠気も蓄積し、
でも間に合わせなきゃいけないっていうのをひたすら繰り返すっていうようなことをやってた。
まあ苦しい時間帯だったけど、
もうジャストワンモアループやるしかないっていうような形で考えてましたね。
まあなんか小松さんのこう姿を見てたら迷いはなかったですよね。
余裕はないけど迷いはないっていう。
そうね。なんかそこで諦めるっていう選択肢はなさったかもしれないな。
その59分に帰ってきても。
ほんと今こう吉田様手元で映像を振り返ってますけど、
横になってマッサージしてもらいながらさらに同時に補給も入れて、
最後装備を持って立ち上がるっていう。
生命力を感じる。
その間20秒とかでやるっていう。
マッサージ受けさせられながら補給をワシャワシャワシャ。
で、転がりながら食べて。
それもね、もうほんと数十秒の中でそれを全部やるっていう。
ほんとっすね。
逆に言うとなんかいろんなことをもっとほんと、
同時並行ですごいギュッとした時間でできるのかもしれないっていう、
そういう可能性でもありますよね。
そうですね。
寝ることにゼンブリして、1分前に起きてこれをやるっていうのもありかもしれない。
実際これ30秒ぐらいの出来事なんで。
いやーすごいですね。
そして結末はどんな形で迎えたんですか?
結末は最後63ラップ目にチャレンジしているところで、
毎回毎回出力が落ちているのは感じている中で、
ずっと59分台にゴールするっていうのを繰り返していて、
今回もギリギリになるだろうなっていうようなところで走っていて、
最後のラップは途中更に出力が落ちちゃったんですよね。
最後のバックストレートの2キロ、若干下り基調みたいなところで走っていて、
そこを10分ちょっとでも持っていかないといけなくて、
どんどん借金が積み重なっていって、
最後の1キロをキロ4で行けば間に合ったということで、
ちょっとキロ4出せるかどうかやってみようっていうので、
そこで思いっきりバーッと走って、
もうペースなんかも見ることができずにバーッと。
3分前の笛、2分前の笛、1分前の笛っていうのがどんどん聞こえてくるんだけども、
その笛は確実に近くなってくる。
もしかしたら間に合うかもしれないっていうところで、
でも本当にスタート地点が見えるところで無情にもカウエルが鳴って、
そこで間に合わずっていうような。
でもね、今振り返ると、もうちょっと最終ラップもプッシュしようと思えば、
最後のタイミングではなく、もうちょっと前の段階でプッシュはできたんだろうなっていう気はしてて、
出力が毎回落ちていくのって、
押そうと思えばまだ押せるんだけど、
どうしてもやっぱり腰が曲がってきちゃうと、
腰が曲がっているものがどんどん悪くなっていくのが分かってて、
その腰がやっぱり曲がっている状態で出力を上げて、
さらに腰に負担をかけてっていうのをやり続けていいんだろうかって。
じゃあそれがもし、そのプラス1周で勝負が決まりますっていうところだったら絶対やってたと思うんだよね。
腰が砕けようとも。
だからそういう意味では自分が限界までやれたかっていうようなところで言うと、
まだまだ限界ではなかった。
ただ、去年みたいに75までいけたかっていうと、
ちょっと今回は無理だったなっていうのが、
自分のデッドカウガリーの振り返りというか、最後の結末。
ただ、ビッグス終わった時に、ビッグスは54ラップで終わって、
その時はもう最後まで自分の力を出し切れずに終わってしまったので、
今回デッドカウガリーでは力は出し切って終わりたいなとは思ったので、
今の出せる力は出し切って終えることができたかなっていう気はするので、
そういった意味では自分はすごく、
結果は悔しいけれども晴れ晴れとした気持ちではあるし、
あとは心配してたアキレス腱の付着部の痛みっていうのは、
レース終わった後も全く出てないので、
ここはオーバーユースで悪化するっていうことがなかったことっていうのが、
2つ良かったかなというふうに思ってます。
ありがとうございます。
いやーなんかあれっすね、62ラップ分を追体験したような。
でも忘れちゃってるよね、話そうとすると。
でも話してる中で、そうだったそうだった、
なんであの時ああいうタイム上げれなかったんだろうみたいなことも含めて、
話してると見えてくる。
ちょっとこのバックヤード、デッドカウガリーを振り返って、
次に活かしていくってこととか、
またじゃあ去年のデッドカウと何が違うのかみたいなこととか、
そういうのはもう少しこう例えば切り口を変えて文章で振り返ったりとか、
なんかそんな形でアプローチはしていきたいなと思うんですが、
ちょっと今日のところはだいぶ長丁場の収録になってしまったので、