1. 広告を楽しむ『アドバタラヂオ』
  2. #213 業界大注目の監督がケ..
2024-08-12 35:54

#213 業界大注目の監督がゲストで登場!萩原健太郎さんが映像の仕事へ進んだきっかけ #映画ブルーピリオド #映画傲慢と善良

業界専門度:★★★☆☆

▼萩原健太郎さんのSNSはこちら

https://x.com/KentaroHagiwara

▼企画家集団soloのHPはこちら

https://solo-tokyo.com/


2024年8月9日(金)全国劇場公開

映画『ブルーピリオド』


<STORY>

生きてる実感が持てなかった。あの青い絵を描くまでは―これはからっぽだった俺が、初めて挑む物語。

ソツなく器用に生きてきた高校生・矢口八虎は、苦手な美術の授業の課題「私の好きな風景」に困っていた。

悩んだ末に、一番好きな「明け方の青い渋谷」を描いてみた。その時、絵を通じて初めて本当の自分をさらけ出せたような気がした八虎は、美術に興味を持ちはじめ、どんどんのめりこんでいく。そして、国内最難関の美術大学への受験を決意するのだが…。

立ちはだかる才能あふれるライバル達。正解のない「アート」という大きな壁。経験も才能も持ってない自分はどう戦う!?

苦悩と挫折の果てに、八虎は【自分だけの色】で描くことができるのか。


<INTRODUCTION>

「マンガ大賞2020」受賞!国内外で絶賛された傑作漫画が、今最も輝く若手俳優陣で実写映画化!


眞栄田郷敦×高橋文哉×板垣李光人×桜田ひより


「マンガ大賞」「このマンガがすごい!」など国内外から称賛され、発行部数700万部を超える傑作漫画が待望の実写映画化!

周りの空気を読んで流れに任せて生きてきた高校生が、1枚の絵をきっかけに美術の世界に全てを賭けて挑んでいくー

好きなことに真剣に向き合う主人公の挑戦に、胸が熱くなる感動の物語。

主演には話題作への出演が絶えない眞栄田郷敦を迎えて、高橋文哉、板垣李光人、桜田ひよりと実力と人気を兼ね備えたキャスト陣が個性豊かなキャラクターを熱演。『サヨナラまでの30分』『東京喰種 トーキョーグール』の萩原健太郎が監督を務め、新進気鋭のスタッフと共に情熱の物語を創り上げた。

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#眞栄田郷敦

#高橋文哉 #板垣李光人 #桜田ひより

#中島セナ #秋谷郁甫 #兵頭功海 #三浦誠己 #やす(ずん)

#石田ひかり #江口のりこ

#薬師丸ひろ子

原作:#山口つばさ『#ブルーピリオド』(#講談社「月#刊アフタヌーン」連載)

監督:#萩原健太郎

脚本:#吉田玲子

音楽:#小島裕規 “Yaffle”

主題歌:#Wurts「NOISE」(EMI Records / W’s Project)

製作:映画「ブルーピリオド」製作委員会

制作プロダクション:C&Iエンタテインメント

配給:ワーナー・ブラザース映画 ©山口つばさ/講談社 ©2024映画「ブルーピリオド」製作委員会

公式X:@blueperiodmovie

公式Instagram:@blueperiod_movie 

TikTok:@warnerjp

公式HP:blueperiod-movie.jp

#映画ブルーピリオド

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2024年9月27日(金)全国劇場公開


映画『傲慢と善良』


<STORY>

仕事も恋愛も順調だった架だったが長年つきあった彼女にフラれ、マッチングアプリで婚活を始める。そこで出会った控えめで気の利く真実と付き合い始めるが1年たっても結婚に踏み切れずにいた。しかし、ストーカーの存在を告白された直後、「架くん、助けて!」と恐怖に怯えた着信を受ける。彼女を守らなければとようやく婚約したが、真実が突然姿を消した。両親、友人、同僚、過去の恋人を訪ね居場所を探すうちに、架は知りたくなかった彼女の過去と嘘を知るのだったー。


<INTRODUCTION>

《100万部突破!「人生で一番刺さった」と圧倒的な共感を呼び2023年最も売れた小説、映画化!》

男女それぞれの視点でリアルな恋愛観と価値観を描いた原作は第7 回ブクログ大賞を受賞し、20 代、30 代を中心に多くの共感を呼び、発行部数は100万部を突破!話題は広がり続けている。


主演は藤ヶ谷太輔×奈緒。藤ヶ谷は「人生で一番好きな小説」奈緒は「辻村作品に出演するのが夢」と熱望。婚活で付き合い始めるも1年も将来を決めない【傲慢】な架と、親の敷いたレールの上で【善良】に生きてきた真実を等身大で演じる。ラストには、映画版ならではのオリジナルな展開も待ち受けている。※ジュンク堂書店池袋本店調べ 2023年売上、文芸/文庫新書ジャンル


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#藤ヶ谷太輔 #奈緒


#倉悠貴 #桜庭ななみ #阿南健治 #宮崎美子


#西田尚美 #前田美波里


原作:#辻村深月 『#傲慢と善良』(#朝日文庫/#朝日新聞出版刊)


監督:#萩原健太郎


脚本:#清水友佳子


音楽:#加藤久貴


主題歌:#なとり「糸電話」(Sony Music Records)


製作幹事:エイベックス・ピクチャーズ


制作プロダクション:C&Iエンタテインメント 


配給・宣伝:アスミック・エース


Ⓒ2024 映画「傲慢と善良」製作委員会


公式X:@goman_zenryo

公式Instagram:https://www.instagram.com/goman_zenryo/

公式HP:https://gomantozenryo.asmik-ace.co.jp/


#映画善良と傲慢

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00:03
広告をやって楽しむ、見て楽しむ、話して楽しむ、アドバタラヂオ
ファーストナイティーの富永誠です。
砂犬でございます。
本日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すごい天気もいいですね。
天気がいい。
夏、めちゃくちゃ暑かったですよ。
真っ盛りというかね。
真っ盛りでございます。
そうですね、今日収録が7月の21日というところで、
昨日も大雨だったりとか、
梅雨はなかなか開かないかなというところはあるんですかね。
そうですね。
そんな中ですね。
はい。
砂犬さんからは非常に熱血的な方だというふうに疑っているんですけれども、
スペシャルなゲストを招いていただいております。
はい。
CMディレクター、映画監督の萩原健太郎ちゃんです。
監督の萩原です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
タイミングがちょっと、入るタイミングがわからなくて。
そうですね、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
砂犬さんからは非常に熱血的な方であるということと毎度言われるんですけれども。
そんなんですか。
優しい?
いや、違う。優しいんだけど、そのよーく見ると低体温症って言うの?
それいい意味ですか?
冷たいんだけど、なんていうんだろうね。
ドライアイスみたいな男って言うの?
なんかわかんない。
でもそれが結局仕事にたくさんつながっていらっしゃるというところはね、
後ほどいろいろお話していきたいと思うんですけれども、
皆さん改めてよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
ではまずちょっと知らない方もいらっしゃるかもしれないので、
萩原さん、紹介をお願いいたします。
萩原健太郎さん、CMディレクター、映画監督。
1980年東京生まれ、アードセンターカレッジオブデザイン映画学部を卒業後2008年帰国。
ザ・ディレクターズ・ギュードに参画し、テレビCMの演出を中心に活動。
2013年末、サンダンス映画祭にて長編映画脚本がサンダンスNHK賞を受賞。
2018年、比較歌集団ソロを設立されています。
ここから主に監督をされている映像、映画のお話しします。
2017年、東京グール。
こちら2020年ですね、映画、セアノラマでの30分。
こちらが2021年、ワウワウドラマW、いりびといほうじん。
2022年、こちらフールオリジナル、あなたに聞かせたい歌があるんだ。
次、2023年、ディズニープラス、ワンダーハッチ、空飛ぶ竜の島と。
このようなお仕事をされておりますが、
今年、最新監督作が、漫画大賞2020年受賞、ブルーピリオドの実写版が8月9日公開されます。
主演は前田ゴードンさん。
次ですね、累計90万部突破、2023年最大のベストワーク賞です。
ゴーマンとゼンリョウが9月27日公開。
こちら主演は藤谷大輔さんとNaoさんが、8月やった後に9月と。
03:03
すごいですね。
最も今、厚い映画監督が。
いやいやいや。
今日、やってきたんだと。
すごいですね。
これは2本同時、ほぼ同じタイミングで進行してたわけですよね。
大変でしたね。
大変でしたね。
ブルーピリオドの方は撮影が去年の6、7月ぐらいだったんですけど、
ゴーマンとゼンリョウが去年の11月、12月ぐらいだったんで、
仕上げと準備が割と重なってて、それがちょっと大変でしたけど。
ちょっとエピソードとしてちゃんと映画に関しては深掘りさせていただきたいんですけども、
なぜ今最も厚い映画監督と僕らが知り合いなのかというところを、
ちょっと伺ってきたいんですけど、
僕もちょっと共通の知人はいるものの、
スナケンさんが元々結構仲良いというところがありますよね。
ちょいちょい何かのタイミングで声をかけているっていう。
なぜか。
それは一番最初の出会いとか覚えてます?
一番最初は、僕がまだディレクターズギルドだった時に、
スナケンがディレクターズギルドの広報的な立場に入ってくれた。
あのね、執念記念があって、ディレクターズギルドの。
後ほどね、ディレクターズギルドはご紹介しますけども。
ディレクターズギルドという組織というか形があって、そこが執念なので、
当時僕はちょっと前までそういうライター業をしていたので、
インタビューをしてほしいと。
ディレクターズギルドのメンバーとプラス仲の良い人。
一緒にクラフトしている人たちを取材してほしいんだけど、
インタビューしてほしいんだけど、そんな奴がいない。
広告好きで、文章を書くの好きで、人好きで、なれなれしくて。
そういうのが、そういえばいないということです。
当時僕フリーだったので、え?願ったり叶ったりなんすけど。
っていう時に萩原監督、ここではパギーと言おう。
パギーがいて、その時に取材をさせていただいたっていうのが最初ですね。
その大体何年くらい前?
でも、まだ後ほど話に出ると思いますけど、
ザ・ディレクターズギルドの下にこのザ・ディレクターズファームっていう株組織みたいなのがあって、
多分その時代性的なところですかね。
そうですね。
だから何年前だろう。
10数年前。
そんなに経つか。
でもそれくらい経つのかな。
そこからのお付き合い。
それで先輩ディレクターとかクリエイティブディレクターの人と共通の方がいらっしゃって、
もしくは飲み会があった時に、こういうところにパギーいたら面白いかもって、
06:03
俺が勝手にキャスティングをして、
みんなでブワーって言う時もあったでしょ?
ありました。
あの、道元。
渋谷の焼肉屋さん。
あそこで来て。
でも呼んで来てくださったわけですかね。
来てくれた。
で、ちゃんと誰が来るって先にバーって。
大事ですもんね。
誰が来るか分からない飲み会ほど怖いものはないですからね。
ほんとそうですよね。
先に誰が来るかうっすらちゃんとお伝えしておくっていう。
そこから10何年前から。
そうですね。そういうお付き合いをさせていただいて、
で、彼の先ほどお伝えさせていただいた配信系のとか、
もしくは映画とかそういうものをチェックさせていただいた時は、
そんなに長く送っても大変だろうかなと思った時に、
不気味とか送ってですね。
センテンスだけ送られてくるんですよ。
センテンスが。
怖っとかですね。
なるほど。
お会いするの久しぶりですか。
そうだよね。
最後2年くらい。
そうですね。
ご飯食べた以来。
ご飯食べた以来ですね。
長い10何年お付き合いしてます。
そうですね。
印象はどんな感じなんですか。
呼ばれていくって言うぐらいだから。
なんか子供ままですけどね。
なんかすごい人の懐にふわっと気づいたら目の前にいるみたいな。
入ってきて。
お仕事一緒というか、そういう広げる時にご一緒したりとかっていうところをされてたってことですか。
そう考えるとだから、萩原さん自身が広告をやられてて、
今映画もやられてるっていうところだと思うんですけど、
広告業界で仲良くなる人たちも多いっていうのがここまでだと思うんですけど、
そもそも広告業界に入った理由というのが正しいか、
映像業界に入った理由とかってあるんですか。
僕がアメリカで行ってたアートセンター、
カレッジオブデザインっていう美大なんですけど、
の映画学部が、映画もそうなんですけど、
わりと広告のCMの映像が強かったんですよ。
だからわりとそういう授業もあって、
当時イケイケのアメリカの監督たち、
スパイク・ジョーンズとか、アメリカじゃないですけど、
ジョナサン・グレイザーとか、ミシェル・ゴンドリーとかいたじゃないですか。
すごかったですね。
すごかったですよね。
だからその短い尺で、いろんなアイデアを詰め込んだ。
当時まだ、たぶん2000年代だったと思うんですけど、
当時VFX技術バリバリ使ってるものとかっていうよりも、
アナログでどう面白い表現をするかみたいなものがすごく多かった。
なんか勝負みたいな感じですよね。
そうです。
そこにすごく強い強固なコンセプトがあるっていう、
それがすごく好きで、CMに興味を持った。
09:02
ということが大きかったですね。
映画はもちろん好きだったんですけど。
海外で勉強されたっていうのは、日本は選択肢なかったんですか?
高校出て、日本で東宝学園っていう専門学校に2年間いたんですよ。
映画の監督になりたかったんで、勉強したんですけど、
何か業界自体に違和感を当時生意気にも感じて、
分析の監督の講師の方が最初の順位に来たんですよ。
面白いですね。
いきなり監督なんかにならない方がいいみたいなことを言ったんですよ。
お金にならないしみたいな。
この人は何を言ってるんだろうと、僕はそのとき思って。
成り立つ人たちの前でそれを言うわけですもんね。
そうなんですよ。
何の目的っていうのか、こぶしようとしてるのか、
でもよくわからなくて、結局それ2年間わからないままで。
アメリカという国には子供のときからすごく興味があって、
アメリカの映画もすごく好きだったんで、
しかも産業として世界トップであったので、
やっぱり一番上を見てみたいっていう思いが一番大きくて、
それでアメリカに行ったっていう感じです。
結構一大決心。
卒業してから都米するって感じですか?
もうすぐ行きましたね、卒業してから。
それはじゃあもう自分で調べて、ビザもワーッと取って、
すごい行動力ですね。
確かに思う人たちもこうやって聞いてくださってる中でいると思うんですけど、
なかなかそういう実現というか行動に移せない人が多いと思うんですけど。
もうそれも全然英語できない。
その当時どうですか?
その当時できなかったです。
結局アメリカに何年いたんですか?
7年。
結構いたんですね。
結構いました。
本当はずっといたかったんですけど、なかなかビザの関係で難しくて。
そうですよね、そこはハードになってきますね。
僕一個でも伺いたいのは、
萩原さんが映画監督になりたいと思ったきっかけの作品とかってあるんですか?
何ですかね、分かんないですよね。
よく聞かれることはあるんですけど、
当時はティム・バートンのビートル・ジュースっていう映画がすごい好きで、
今度続編公開されますけど、
それがやっぱりすごい好きだったって思いはありますけど、
でもそれを見て、ああいうものを作りたいと思ったっていうのは
また違う気がしていて。
でもティム・バートンの初期の作品はすごい好きでしたね。
そういえば、だから住んでた町もティム・バートンの地元に住んでたんですけど。
そうなんだ。
アメリカで。
バーバンクっていう町があるんですけど、
割と郊外なんですよ。
八王子みたいな。
日本でいうと。
イメージしてくださいね、八王子なんですよ。
で、八王子なんですけど、すごく映画のスタジオがいっぱいあるんですよ。
ディズニースタジオだったり、
あとワーナーブラザーズのスタジオだったり、
で、ちょっと行くとユニバーサルスタジオがあったりとか。
で、いろんな機材屋さんとか、
あとフィルム屋さんとか、
12:01
ほんと業界の人がいっぱいいるところだっていうのを後から知ったんですけど、
ティム・バートンが好きで住んだだけなんです。
ほんとに近所の喫茶店とか行くと、
もう脚本から脚本返したりとか、
若い女優がプロデューサーに自分の資料、プロフィル見せてたりとか、
そういう中にいて、
アメリカなんで割と車で生活しないといけないじゃないですか。
で、ほんとにワーナーブラザーズスタジオの一本裏に住んでたんで、
毎日通るんですよ。
フィジカルに近い。
フィジカルに近いから、
監督なれるかなと思うんですよ。
近いから。
あとアメリカ人ってすぐ褒めるんで、
学校でもものすごく褒めてくれるんですよ。
なるほど。
行けるかなとか思うんですけど、
やっぱりそんな簡単には行かないじゃないですか。
っていうのがあって、
大学卒業して今後の進路を考えたっていうのが
一つ大きな転機だったと思います。
いいですね、その環境でも。
なんか忘れないですよね、自分のエネルギーを。
そうですね、忘れないですね。
やっぱり辛いなとか思ったら、
ただ別の文化のところですし、
帰りたいなと思うところを。
いいですね、喫茶店で脚本書いてるとこめっちゃ素敵ですね。
そうなんですよ。
フォワーナーの裏に住んでんだぜ。
それ言えますもんね、一生言える話ですもんね。
毎日通るんですよ。
で、ロゴを見るわけだろ。
そうです。
すごいそれ。
ちょっと行けばディズニーのスタジオがあって、
ディズニーの小人がバーって並んでるんですよ。
とかでも見れるから、
モチベーションは常に上げられましたけど。
7年間そこのカレッジで勉強してたんですか。
最初はオレンジカウンティーっていう別のところにいたんですよ。
ロサンゼルスカウンティーっていうロサンゼルス郡があって、
その下にオレンジ郡っていうのがあるんですけど、
そこでコミュニティカレッジに行って、
成績を貯めて、
で、編入したっていう感じです。
じゃあ結構割と7年間がっつり勉強してたっていう機会になるんですか。
そうですね。で、途中でアートセンターとか行ってからは、
割と珍しく、アメリカってだいたい2学期制か4学期制なんですけど、
3学期制で結構きついんですよ。
だからだいたいみんな2学期やったら1学期休んで、
帰ってきてバイトするみたいな。
ただそういうのをやってたんで。
確かにそうですね。お金貸す、キープするのが大変ですもんね、生活を。
え、極貧生活だったんですか。
そうですね。バイトしてましたね。
アメリカで。
アメリカでは日本原作の脚本をアメリカで映画化するときに、
当たり前ですけどアメリカ人の脚本家が英語で書くわけじゃないですか。
原作は日本なので、その日本の出版社に見せるように、
それを日本語に翻訳するっていう。
じゃあ全く全然関係ないバイトじゃなくて、
やっぱり自分に近いところのバイトはしてたわけね。
それはすごい勉強になりました。脚本の勉強になりました。
なるほど。
15:00
そうですね。脚本に触れるわけですもんね。
それをトランスレートするから。
なるほど。
映画付けの日々だった?
映画付けでしたね。だから7年間本当にカリフォルニアにいて、
1回も海に入ってないですからね。
あの綺麗なカリフォルニアの海。
いろんな名だたるビーチがありますけど、1回も入ってないです。
ビーチ数。
数ですね。
映画付けの日々が7年間あって、日本に戻ってくる。
日本に戻ってくるきっかけもいろいろあると思うんですけど、
そこでやっぱり仕事としては映像関係の仕事をしていきたいというところ?
そうですね。AFIっていう大学院があるんですよ。
映画の大学院しかない学校があって、コッポラとか出てるような。
そこに行きたいと思ったんですね。
でも年ももう27くらいだったんで、
働くっていう選択肢もあるのかなと思って、日本に帰って。
意外に日本に帰った方が、監督になってアメリカに戻るのが早いんじゃないかと思って、
日本にどういう場所があるんだろうっていうのを調べたんですね。
やっぱCMの監督になりたいと思ってたんで、
そうするとワンカットにかけられるお金が一番高いじゃないですか。
そうですね。
特に当時ってまだ今よりも潤沢に日本の広告の予算があったんで、
一本作る期間も短いじゃないですか。
だから経験も詰めるなと思って、いろいろ調べてたんですよ。
そしたらThe Directors Guildっていうところを見つけて、
今よりも当時って本当にCMの監督って、
制作会社の演出部に所属してる人がほとんどだったじゃないですか。
今フリーの人とかいっぱいいますけど、若い人とか。
The Directors Guildっていうところは、
いろんな制作会社の演出部にいた人たちが独立して作った、
CM監督のエージェントみたいな場所でしたよね。
その走りみたいな。
5人監督がいて、作るものがどれもすごくかっこよくて、
しかもビッグクライアントとやってたじゃないですか。
尖ってたし。
時代を作ってましたよね。
すごかったですよ。
ここにどうしても入りたいと思って。
そういうモチベーションがあったんですね。
そうなんですよ。
自分の作品集と資料をホームページに見て、そこに郵送したんですよ。
そうしたら当時池尻に事務所があったんですけど、
マネージャーの井上と、僕の後に師匠になる細野秀明っていう監督が、
たまたまその日事務所にいたみたいなんですよ。
そうしたら細野秀明は、僕のアメリカに行ってた大学の卒業生だったんですよ。
そんな巡り合わせがあったんですね。
そうなんですよ。
それで会ってくれるってなったんですよ。
すぐ日本に帰って、秀さんに会いに行って、
18:03
そうしたら当時ディレクターズギルドの下に、さっきも言いましたけど、
ディレクターズファームっていう組織があって、
そこに3人の、今はすごく活躍してる柳沢翔と、朝日えりと、大沢陽平って3人いたんですけど、
3人はものすごい競争率の試験を受けて、そこをくぐり抜けて入ったんですよ。
僕はコネで、秀さんのコネで、
言っていただいて気持ちよかったですね。
試験も何も受けずに、しかも別に特に募集もしてない時期に、
じゃあ入れてやるよって言ってくださったんで、
もうアメリカに戻って、荷物まとめて帰ってきたっていう。
確かに、僕もその時制作会社の時ですけど、ファームやるよって言って、
ガーって入られて、3名の方。
で、その後に萩原さんだけポツンって入ったのは、一応残ってます?
コネです。
ファームという弟子部みたいな、
徒弟制度ということの形じゃないけど、
その5人の有名なCM映像ディレクターの仕事の現場に連れて行ってもらったり、
作業を見たり、
広告会社さんの企画にも参加される方もいらっしゃるから、
広告会社さんのところに行って、企画打ちっていうのはこういう風にやるんだよ、
名刺ってこういう風に交換するんだよっていう業界の、
だって制作会社からこうなってる人じゃないから、世に言う。
でも一回挟んでどっか行ってるけど、がっつりやってないから、
みんなそこの礼儀、作法から。
名刺交換の仕方それは分からなかったですね。
嘘です。習ってないです。
会社に生活がないから、言葉遣いとかメールの書き方とか分からないから。
そういうのをマネージャー陣含め、そこの5人の人たちも忙しいけど、
一応みんな経験を経てなってるじゃん。
そうですよね。会社入られて。
だけどそういうのもあって、共同生活、何とか層ってあったもんね。
そうですね。ファーム層っていうのを作って、
他の制作会社の若手監督たちがやらないことをやろうって言って、
共同生活だって言って、全員で一軒家に住んで、
後に入ってくる高松昭子っていう元TYOと、
あと森垣幸寛っていう、今監督映画はやられてますけど、
と一緒に全員で住んで、もうこの私生活をなくそう、
全部オンでいくんだみたいな。
なんならカメラをつけて、それを配信しようみたいな話とかもあったんですけど。
いいですね。実験されてるわけですよね。
本当そうですよね。
そういうのをやられてたり、あとファームから卒業されてギルドに上がるっていうときは、
卒ファー式って言って、みんなどっからか借りてきた、
21:01
えり詰めたあれを卒業おめでとうっつって、そういうイベントまでやるわけよ。
謎に千田光雄さんが来てね、なはなはって言って、卒業おめでとうみたいな。
縁もゆかりもあったりとかしてるからね。
わかんないけど、そういうのをリリースだけパンって流しておしまいとかじゃなくて、
イベント化して盛り上げようっていうような熱を帯びてるところに、
コネで入ったんですよ。
コネで入る場所なのかという、すごい面白いことしかやってない会社でしたもんね。
そうですね、先輩たちはCMディレクターは芸人だみたいな理屈というか考え方があるみたいで、
自分たちで面白いことを発信してけみたいな。
ただ僕らファームはそういうのが本当苦手だったんで、
先輩たちはザ大会系で、僕らはザ文系だったんで、
その子の絵をどうしよう、何をしたらいいんだろうという面白いことが。
でもそう考えると今ってそうじゃないですか。
クリエイターって尖っている、表現者であるっていうのは今の時代普通だけど。
そうですね、確かに。
だから僕らは当時別に作品で尖ったりとか表現すればよくて、
そうですよね。
自分たちが。
尖る必要あるんだっけみたいな。
みたいな思いましたけど、先輩が言うならっていう。
間違いなのかみたいな。
でも今の時代考えてもプロモーションという意味でも、
自分たちも表現していかなきゃいけないというのは。
確かに今はそうですもんね。
面白い視点ですね。
先輩たちそう考えてすごいですね。
やっぱ大変でした、下積み時代と言いますか。
僕はでも割と本当にhideさんがよく知ってくださったんですけど、
僕の以前にいたその3人は結構大変だったみたいですからね。
オサベっているんですけど、
お前はオサベだからオサゲにしろって言われて、
オサゲにしてた時代もあったみたいですよ。
割と先輩たちも育て方を試行錯誤していたっていう。
模索してたっていう。
そうなのよ。
志のすごく高い5人なわけ。
そうですよね。
弟子分を抱えていい感じにCMディレクター、映像ディレクターっていうのを、
工場とかいろんなことをさせたいと思ってるんだけど、
育てるってこういうことだよなって教科書を書いてる段階だから、
オサベだからオサゲみたいな感じ。
ノリですよね。
トライ&エラーみたいな。
今思えば笑えますけど、
その時は狂気ですよね。
だけどオサベ君も先輩から言われたらオサゲだみたいな。
だからスナッキ園が僕の元パギーって言うんだけど、
それも入ったばっかの頃に師匠の細野秀明さんが、
オマダナなんだって言われて、
パギーって呼ばれてますって言ったら、
じゃあパギーだなって言われて、
はいって。
よく分かんないけど、はいって。
24:01
パギーでお願いしますって。
聞かないわけですよ、理由は。
理由聞かない。
愚問ですよ。
いいですね、いい時代ですね。
でも本当そう考えると、
ディレクターズギルドさんたちがやったことって、
非常にすごい業界を見ていることというか、
ディレクターの人たちが会社という形ではなくて、
指定関係で次の世代を作るっていうところだと、
めちゃくちゃチャレンジングな、
本当、佐々木さんおっしゃってたように、
教科書を書いてる状態だったと思うんですけど、
そこで実際にお弟子さんの方々が、
今どうなってるかというと、
めちゃくちゃ活躍されてるじゃないですか。
そう考えると、5人の方々すごいですね。
本当にお世話になりましたね。
本当に弟子みたいな形で、
いろんな現場に行かせていただいて、
皆さん本当にトップの仕事をしてたんで、
広告って当たり前ですけど、
代理店のクリエイティブから仕事をいただけるわけじゃないですか。
ってことは仕事をしているクリエイティブの人たちも
トップの人たちなんですよ。
そういう人たちと現場で知り合える機会って、
なかなかないんですよね。
それが知り合えて作品を渡したりとか、
そこからまた後々仕事をいただけるようになったりしたんで、
本当に感謝してますね。
顔を得る機会というか、
場所を呼んでくれるのはすごいありがたいですもんね。
でも本当に女監督ってことじゃないですもんね。
本当に補佐として。
もう後ろでただ見てるだけですね。
飲み物買ってったりとか、たまに運転したりとか。
そういうことまでやってたんですね。
それは直接こうやってやるんだよっていうよりかは、
背中を見ながらっていう感じだったんですか?
背中を見て、たまに飲んだりしてると
演出論みたいなのを教えてくれるんですよ。
で、秀さんがパーギーみたいな。
演出ってなんだか知ってるかって言われるんで、
いやーちょっと分かんないですねって言ったら、
演出はな、愛だよって言ったんですよ。
愛ですか?
いいですね。
そこからなぜかとは聞かないわけですよね。
聞かないです。愛なんですよ。
受け止めなんだよね。
ちょっと大きすぎて。
受け止めらんないですけど。
でもずっと残ってるんですよ。
それが頭に。
確かに言ってもらってる。
どういうことなのか未だにつかめないですけど、
でもそういう割と哲学的なことが好きな方だったんで、
それを色々考えるきっかけに、
未だに覚えてる言葉がすごい多いですね。
ディレクターズギルドでファームで何年だったんですか?
具体的に覚えてないんですけど、
多分3、4年かぐらいですかね。
秀さん30ぐらい?
そうです、30ぐらいで。
ファーム卒業するって。
そっからディレクターズギルド、
いわゆる一軍と言いますか。
そうですね。
仕事受けれるっていう。
今は分かんないんですけど、
27:00
ディレクターズファームの名刺って、
ディレクターって入ってないんですよ。
ギルドになると、
ギルドの名刺にはディレクターって書いてあるっていう。
それってどういう基準なんですか?
5人の間隔ですね。
そうなんですか。
柳澤賞っていうのが、
最初にディレクターズギルドに上がったんですけど、
そのときに墓川香織さんっていう、
もう一人別の師匠に、
どうしてですかって聞いたんですよ。
どうして柳澤なんですかと。
柳澤さんが聞いたら、
ディレクターズギルドの5人と並んでも、
別の個性が遜色なく投出して出てるからだって。
すごい良いこと言ってくださって、
そこで初めて、
自分の個性って何だろうとか、
自分にやりたいこともそうだし、
できることって何だろうっていうのを、
そこからすごい考え出したっていう。
個性がちゃんと立ってるからっていうところを。
そうですね。
この5人だけじゃなくて、
当時CMディレクターたぶん600人ぐらいいたんですけど、
その中でもどう個性が立つかってことだと思うんですよね。
柳澤賞はそれがあったし、今もすごくある。
あのポカリの新作とかもすごく良いじゃないですか。
だからじゃあ柳澤さんにはできないけど、
僕にできることは何だろうとか、
hideさんにはできないけど、
僕にできることは何だろうとか、
じゅんぺいさんにはできるけど、
僕にできないこととか。
っていうのを柴田さんとか森田さんとかと、
比較してすごい考えたっていう。
すごい視点ですね、そこが。
業界を見渡したときに目立つかどうかっていうか、
特性があるのかどうかっていう。
そっか、だから誰か、
こういうことができますとか、
ちゃんとディレクションができますことじゃないんですね。
はい。
面白いですね、その視点は。
だからhideさんに言われて覚えてる別のことって、
お前が何をやりたいかはどうでもいいんだよと、
広告なんだから。
お前がやりたいことはあるのはわかると。
だからそれを相手がやりたいことのように見せて、
お前がやりたいことをやらないとだめなんだと、
って言われたんですよ。
で、hideさんって作るもの自分がやりたいこと
やってるじゃないですか、確実に。
そうね。
そうなんですよ。
そうだね。
確実にやってる。
だからそれはでもすごい覚えてるんで、
だから多分そういう思考になってたんだと思うんですよね。
なるほど。
本当視点がそうですもんね。
話を増やしてもしょうがないっていう、
多分業界を見ての皆さんの判断だったんですね。
ベタズキ自体だからもう3年間、4年間ベタズキで、
もうめちゃくちゃ大変でも。
でも最初の1年ぐらいですね、ベタズキは。
そこからお仕事をいただけるようになったので、
2年目から監督としてやらせていただいてました。
アメリカで映画も学んで戻ってこられて、
3年経ってじゃあいざディレクター、
CMディレクターだってなった時の
広告業界の見え方はどうだったんですか。
最初に監督やり始めてびっくりしたんですよ。
30:01
こんなに緊張するものかと。
要は先輩の後ろ姿見てて、
自分は立ち位置的に、
物理的には3歩前に進んだだけじゃないですか。
後ろで見てたところから。
こんなに緊張するんだと思って。
あといろんな人の声を聞かないといけないじゃないですか。
クライアントさんの声もあるし、
代理店の方の声もあるし、
キャストの声もあるし、
事務所の声もあるし。
僕らでも消費者の声を大事にしないといけないけど、
そこにアウトプットするまで、
いろんなところを考えて、
全員がハッピーになるようにしないといけない
っていうのがすごく難しい仕事だなと思いました。
いざついてる時じゃ分かんないですもんね。
全然分かんなかったですね。
ふたを開けてみて、めちゃくちゃいろんな人がいろんなことを言うなみたいな。
そうですよね。
確かにそれは結構びっくりしますね。
結構戸惑うというか、
意外と大変だなって思われたんですね。
そうですね。
スタッフとかも結構大人数いるじゃないですか。
当時は僕も幼く見られがちだったんで、
監督にも見られなくて、
照明部に怒鳴られるみたいな。
スタジオとかに、どけよ!みたいに言われて、
すみません、みたいな。
っていう、修行時代。
ディレクターズギルドとして3年になって一人立ちしても、
そういう違う環境での修行期間があったり。
そうですね。
あと思い出しましたけど、
ディレクターズギルドの人たちって面白いCM作るんですよ。
割とギャグっぽかったりとか多かったんで、
それを求められて来た仕事とかもあって、
僕はそういうタイプじゃないんで、
ギャグとかじゃないんで、
こいつ違ったな、みたいなのもありましたけどね。
絶対今、そういう目で見られてるなっていう瞬間がありました。
確かにディレクターズギルドさんって多いですもんね。
そうですね。
やっていく上で、どんどん萩原さんの中での
自分の個性っていうものを
仕事に落とし込めるようになってきたと思うんですけど、
そういう時に気をつけてたことっていうか、
どういうように自分でチャレンジしていこうとかって決めてたんですか?
それも転機があって、
羽賀カオルさんにそう言われて、
自分に何ができる、あと何がしたいって考えた時に、
ある種抑えてた部分があったんですよ。
それはなぜかというと、
まだその修行時代に小島純平さんという
すごく厳しい監督がいて、
でもすごくお世話してくださったんで、
例えばミュージックビデオの企画とか出すんですよ。
すごくキレられるんですよ。
こんなものを面白いと思ってたら、
お前ヤバいぞみたいな。
自分のこの思考ってヤバいんだと思って、
それを抑えてたんですよ。
それが羽賀カオルさんに言われて、
やっぱり出そうと思った部分っていうのは、
割とエモーショナルな部分だそう。
33:01
それで純平さんにお前クサいって
すごい否定されてたんですけど、
逆にそういうのを出していこうと思って、
あと割と映像的なクオリティも担保できる。
映像的なクオリティも担保できて、
人を描ける監督として、
この年代はいないんじゃないかなと思って、
そこを全面に出していこうと思って出していったら、
すごく仕事をいただけるようになったっていう。
本当に先輩たちのいろんな言葉が
あったからこそっていうのは。
ある意味否定じゃないですけど、
違うよって言われてきたことでさえも、
その良さとしてうまく、
じゃあどう調整していけばいいんだっけ
っていうところをトライしていた。
そうですね。
そうですよね。
僕らも萩原さんの仕事を見させていただいたときに、
ディレクターズゲートのことなんだって思ったことありますもん。
暗いんですよ。
どうしても僕が作る広告って。
暗くなっちゃった部分もあったんで、
その辺の調整は後々していきますけど、
広告って明るくて楽しいみたいな要素が、
どうしても物を売るとなる必要。
そんな部分ではあるんですけど。
結構そのとき、若手のときの印象ってどうでした?
僕最初にお会いしたとき、
淡々と喋るんだけどそこに核があって、
暑い人なんだろうなと思ったの。
意思があるからそこに対して、
これ間違ってますよねって、
ストレートに言うと暑苦しいなって思っちゃうんだけど、
なんかね、ソフト暑い感じよね。
ソフト暑い感じ?
ソフト暑い感じが来て、
この人は面白い人だなと思ったし、
ちゃんとそれを自分がこうするために、
まっすぐ言うことも大事だけど、
そうじゃなく自分の言いたいようにどうこう、
みたいなこともちゃんと考えて、
お話しされてるんだなっていうのが感じて、
面白い人だなって思ってた。
多分そのときにいろんな先輩たちから、
くせえよお前この比較がとかって、
いろいろ言われた中で、
また小島純平先輩っていう人がね、
一見チャラく見えるのよ。
ものすごく。
だけどね、あの人もまた暑いんだよな。
暑いですね。
今回のエピソードはここまで。
萩原さんの業界に入られてからこれまでの経緯は、
とっても盛り上がったので、
前編後編の2部構成でお届けします。
前編いかがでしたでしょうか。
とっても面白かったですよね。
後編では、萩原さんがCMディレクターとして
独り立ちしたときに驚いたことや、
そこから初の長編映画、
東京グールを監督することになった経緯などを
伺います。
次回の配信は、8月14日の水曜日。
ぜひ聴いてください。
それでは、アドバタラジオの
富永誠でした。ありがとうございました。
35:54

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