人生というものは、不思議なものである。
振り返ってみると、その時々では遠回りに思えた道が、実は一本の長い線になっていたことに気づく。
私にとって、その道にはいつも音楽があった。
1972年9月8日、午前0時5分。
山陰放送『わだひろとのミッドナイト・パートナー』最終回。
大学4年生だった私は、卒業と就職を目前に控え、深夜のマイクの前でリスナーに別れを告げていた。
当時、ラジオは若者にとって特別な場所だった。
顔も知らない誰かと、同じ音楽を聴き、同じ夜更かしをし、同じ時代を生きている。
そんな不思議な連帯感があった。
あれから半世紀以上。
まさか再び、人前でレコードを回し、マイクを握ることになるとは思ってもいなかった。
現在、私は福山市で「コーヒーとレコード音楽で愉しむ会」を続けている。
気がつけば10年以上。
参加費は無料。
商売でもなく、イベントビジネスでもない。
理由は実に単純だ。
「自分が飲むコーヒーを淹れて、みんなで一緒に飲んでいるだけ。」
それ以上でも、それ以下でもない。
好きな音楽を流し、美味しいコーヒーを淹れ、その時間を誰かと共有する。
その積み重ねが、地域の小さなコミュニティになっていった。
誤解されることがある。
レコードを聴き、コーヒーを自家焙煎していると、「昔ながらの人ですね」と言われる。
しかし、実際はそうでもない。
レコードは約3,000枚。
その管理はデジタルデータベース。
イベントの選曲ではAIも活用している。
開催日、会場、参加者の年代などを入力すると、AIはそれらしいキューシートを作ってくれる。
便利な時代になったものだ。
ただし、最後の最後だけは任せない。
実際にレコードへ針を落とし、自分の耳で確かめる。
その作業だけは、人間がやる。
AIは優秀だ。
しかし、どうしても「ベタ」なのである。
無難で、平均点が高い。
だからこそ、その日の空気、その場の匂い、人の表情までは拾えない。
最後の一枚を決めるのは、データではなく感覚だ。
そこだけは、まだ人間の仕事だと思っている。
コーヒーも同じだった。
豆の価格が高騰したことをきっかけに、自家焙煎を始めた。
使っているのはケニアAA。
焙煎がうまくいった瞬間、部屋いっぱいに甘い香りが立ちのぼる。
あの香りだけは、どんな最新の機械にも作れない。
レコードもそうだ。
盤を取り出し、ジャケットを眺め、針を落とす。
音だけではない。
紙の質感も、インクの匂いも、ターンテーブルが回り始める静かな時間も含めて、一枚のレコードなのである。
便利さだけを追い求める社会では、こうした「手間」は無駄と言われるかもしれない。
しかし私は逆だと思う。
人間を人間らしくしているのは、案外その無駄の部分なのではないか。
学生時代、私は落語研究会にも所属していた。
「風紋亭」という名前も、その頃につけた高座名である。
鳥取砂丘に風が描く模様、「風紋」。
現れては消え、また現れる。
そんな儚さに惹かれた。
レコード会では、曲を流すだけではない。
ジャケットを見せながら、その曲が生まれた時代やミュージシャンの物語を語る。
音楽を聴くというより、紙芝居のように物語を楽しんでもらいたいのである。
音楽は、背景を知ると何倍も面白くなる。
1972年の最終放送で、私はリスナーへこんなことを話した。
「大人になっても、何かを知りたいという気持ちだけは忘れないでください。」
あの頃は若者だった。
今では、その何倍もの年月を生きてきた。
けれど、自分ではあまり変わった気がしない。
AIを触るのも面白い。
コーヒーを焙煎するのも面白い。
新しいレコードを探すのも楽しい。
結局、人は歳を取るのではなく、好奇心を失った時に老いるのかもしれない。
人生は、一直線ではない。
寄り道もする。
迷子にもなる。
遠回りもする。
けれど、そのすべてが一本の「Long and Winding Road」だったのだと、今なら思える。
レコードの針を落とす音。
焙煎した豆から立ちのぼる甘い香り。
コーヒーカップを手に笑う人たち。
AIと向き合いながらも、最後は自分の耳と手を信じること。
そのどれもが、私にとっては同じ一本の道の上にある。
今日もまた、その道の続きを歩いている。
ゆっくりと。
遠回りをしながらも…
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!