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#70 「歯にしみ通る」
2026-10-27 12:17

#70 「歯にしみ通る」

※このコンテンツはjazzywadaが書いたメルマガ記事をNotebookLMで処理、出力したものです。

※AI音声特有の誤読等たくさんありますがご容赦ください。

元ネタは https://jazzywada.blog.jp/archives/1085541821.html

このテキストは、「珈琲とJazzと巡礼と…」というブログに掲載された、2002年発行のメールマガジンを振り返る回顧録です。筆者が秋の夜長に訪れた焼き鳥店でのひとときが描かれており、自分好みの濃さで楽しむ焼酎のお湯割りや店主との昔話が情緒豊かにつづられています。後半では、ブルーノート・レーベルを中心としたジャズCDの収集や専門書の購入といった、音楽への深いこだわりが紹介されています。全体を通して、お酒とジャズを愛する筆者の日常と、当時の文化的な興味関心が鮮明に記録されています。若山牧水の短歌を引用しつつ、趣味に生きる大人の風流な生活スタイルを伝える内容となっています。

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秋の夜長を、白玉の歯にしみ通る一献と。ブルーノートの迷宮で見つけた、大人のための「不完全」の美学

日ごとに夕暮れが早まり、紅灯の巷を徘徊する楽しみも一段と深まる季節となりました。朝晩の空気には、肌を薄く撫でるような「うそ寒さ」が混じり始め、私たちは本能的に、身体の芯を温めてくれる何かを求め始めます。

歌人・若山牧水は、その情緒をこう詠みました。

「白玉の歯にしみ通る秋の夜の 酒は静かに飲むべかりける」

「歯にしみ通る」という言葉。それは単なる温度の形容ではありません。澄み渡る酒が口内を通り、五感を震わせ、魂の奥底まで静かに浸透していく——その至福の瞬間を見事に射抜いています。今回は、そんな秋の夜にふさわしい、日常の些細な「こだわり」が生む豊かさについて綴ってみたいと思います。

馴染みの焼き鳥屋「T新」の暖簾をくぐったのは、そんな冷え込みを感じる夜のことでした。ここで出会ったのは、客を単なる「受け手」にさせない、実に見事な「お湯割り」の流儀です。

供されるのは、アルミの銚釐(ちろり)にきっちり一合量られた焼酎。アルミの銚釐は熱伝導こそ良いものの、底がすぼまっており、中身が減るほどに頼りなく揺れます。しかし、そこには真鍮や銅で設えられた重厚な「袴(はかま)」が添えられ、どっしりとした安定感を保っている。この、軽やかなアルミと重厚な金属のコントラストに、まず作り手の「粋」を感じずにはいられません。

手元には、半個の酸橘(すだち)が忍ばされた陶器のコップ。そこに自分の手酌で焼酎を落とし、魔法瓶のポットから熱い湯を好きな加減で足していく。

一見すればセルフサービスに過ぎませんが、これこそが真の贅沢というものです。温度、濃度、酸橘の香り立ち——その瞬間の自分が最も欲している「最適解」を、自らの手で探り当てる。店主が客の好みを信じ、その自由を委ねるというこのシステムは、何物にも代えがたい「有り難い」配慮なのです。

酒の温度に対するこだわりは、その店の品格を雄弁に物語ります。 大型の酒燗器に頼り切ったチェーン店では、時として悲劇が起こります。客の回転に追いつかず、調整を誤った結果、供されるのは「酒臭い砂糖水」とでも呼ぶべき代物。これはもはや、酒に対する冒涜と言っても過言ではありません。

対照的なのが、熟練の蕎麦屋です。彼らは日々、湯と真剣に向き合っています。その「湯の扱い」の巧さが、酒の燗にも如実に表れる。飲み手にとって温度は、味の骨格そのものです。絶妙な温度管理で供される一献こそが、牧水の言う「しみ通る」感覚を呼び覚ましてくれるのです。

こだわりが深まれば深まるほど、人は迷宮へと迷い込みます。ジャズの蒐集、とりわけブルーノートの1500番台という「沼」もまた、その一つです。

先日、少しばかり気恥ずかしい失態を演じました。中山康樹氏の『超ブルーノート入門』を駅の本屋で見つけ、高揚感のままに買い求めたのですが、数日後、ネットで予約していた同じ本が自宅に届いたのです。コレクターの情熱が空回りした「二重購い(にじゅうがい)」。なんとも悩ましく、それでいて笑うしかない「蒐集家あるある」です。

「CDの購入の段階でなかなか気が揉める。(中略)蒐集の勢いも鈍りがちの今日この頃。いやはや悩ましい限りだ。」

1500番台を極めようとすれば、パロ・コンゴのサブーに首を傾げ、ジミー・スミスのオルガン攻勢に圧倒され、完璧を目指すほどに足取りは重くなります。そんな時、ふと気づくのです。完璧なコレクションなど、この世には存在しないのだと。

時には1500番台の呪縛から解き放たれ、4000番台の有名盤を混ぜてみる。そんな柔軟さ、いわば「作戦変更」を受け入れることこそが、趣味という広大な海を長く健やかに泳ぎ続ける秘訣ではないでしょうか。

店での充足感は、決して金額に比例するものではありません。 「T新」のカウンターで、店主や常連客と交わす昔話。かつて駅前にあった店が火事で焼けたこと、兄から店を引き継ぎ、妹が守ってきた歴史。そんな街の記憶に耳を傾けていると、刺身で頂く「肝サシ」の味わいも一層深まります。生姜醤油と、香ばしいごま油醤油。その鮮烈な旨みが、解きほぐされた心身に染み渡っていく。

そうして歴史と会話、そして肴と酒を存分に堪能し、勘定を請えば——わずか「七百八十円」。 この現代において、これほど豊かな時間を過ごしてのこの価格。提供された価値と対価のあまりのギャップに、私はただ、深い感謝と共に店を後にしました。

夜の冷気が心地よく、火照った頬をなでていきます。店を出た瞬間、「ああ、良い気分だ。今日も元気に呑むぞ!」などと、少し滑稽で、しかし底抜けに前向きな活力が湧いてくるのを感じました。

日常のなかに、自分だけの小さな「こだわり」を持つこと。それは、単なる贅沢ではなく、明日を生き抜くための静かな、しかし力強い儀式です。五感にしみ通るような体験を積み重ねることで、私たちの日常は色鮮やかに彩られていきます。

あなたにとって、心に深くしみ通るような「自分だけの儀式」は何ですか? 今夜は少しだけ静かに、自分と向き合う一杯を愉しんでみてはいかがでしょうか。

銚釐と袴、そして酸橘の調和「酒臭い砂糖水」を遠ざけるプロの矜持収集家を惑わす「千五百番台」という甘い沼七百八十円のなかに宿る、歴史と温もり明日の活力を生む「自分だけの儀式」

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