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Saito Kohei and the Apocalypse of Global Capitalism
2026-07-15 15:45

Saito Kohei and the Apocalypse of Global Capitalism

元ネタ https://youtu.be/iHTckjCFCU4?si=vpVRFLSi5s-sKhS1

異常気象はもはや「異常」ではなくなり、戦争は終わる気配を見せず、世界は分断を深めています。数年前まで盛んに語られていたSDGsや「持続可能な未来」という言葉も、最近では以前ほど力強く響かなくなりました。

東京大学大学院准教授であり、マルクス研究で国際的な評価を受ける斎藤幸平氏。その最新刊『人新世の黙示録』で語られるのは、「文明の終わり」という刺激的なテーマです。

もちろん、人類滅亡の予言ではありません。

私たちが戦後三十年以上にわたり当然のように信じてきた、「経済は成長し続ける」「市場が社会を豊かにする」という文明の前提が、限界に達しつつあるという問題提起です。

私には、この本は未来を予言する書物というより、「すでに始まってしまった変化」を確認するための一冊のように思えました。

2020年、『人新世の「資本論」』が出版された頃、世界はパンデミックの真っただ中にありました。

当時はまだ、危機を契機として社会を変えられるという期待がありました。

「脱成長」や「コモン(共有財)」といった考え方にも、多くの共感が集まり、「資本主義を少し修正すれば未来は変えられる」という空気が確かに存在していたのです。

しかし、その後の五年間はどうだったでしょうか。

ロシアによるウクライナ侵攻、ガザで続く悲劇、世界各地で強まる安全保障重視の政策。

気候変動よりも国家の生存競争が優先される現実を、私たちは目の当たりにしました。

斎藤氏は、この五年間で世界は決定的な転換点を越えたと語ります。

私も、この見方には強くうなずかされました。

「まだ間に合う」という希望の時代は終わり、「避けられない危機とどう向き合うか」を考える時代へ入った――そう考えたほうが、現在の世界はむしろ自然に理解できるように思えるのです。

本書で最も印象に残ったのは、世界のエリートはすでに「全員を救う」という発想を諦めている、という分析でした。

かつて環境問題を積極的に語り、SDGsを掲げていた先進国の指導層も、国際情勢が緊迫すると、自国の利益を最優先する方向へ急速に舵を切りました。

理想より国益。

普遍的人権より安全保障。

環境より経済。

そんな優先順位の変化が、近年あまりにも露骨になったように私には映ります。

トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、その象徴の一つでしょう。

世界全体を救うという発想ではなく、「まず自分たちが生き残る」という論理。

その潮流は、アメリカだけの話ではないように思えます。

さらに象徴的だったのが、気候変動運動の象徴だったグレタ・トゥンベリ氏をめぐる評価の変化です。

環境問題を訴えていた頃は歓迎されていた彼女が、ガザ問題について発言すると、一転して激しい批判の対象となりました。

この変化を見ていると、理念は普遍的であるように見えても、実際には政治や国益の前で簡単に後退してしまうのではないか――そんな疑問が湧いてきます。

斎藤氏は、研究生活を送ったドイツにも厳しい視線を向けます。

民主主義や人権の模範とされてきた国でさえ、ガザ紛争をめぐっては、その理念が大きく揺らいだと指摘します。

私も、この点は非常に重い問いだと思いました。

もし「普遍的人権」が、状況によって適用されたりされなかったりするのであれば、それは本当に「普遍」と呼べるのでしょうか。

気候運動の国際ネットワークがガザ問題をきっかけに分裂した出来事も、「連帯」が決して盤石なものではないことを示しているように見えます。

私たちが信じてきたリベラルな国際秩序は、すでに静かに軋み始めているのかもしれません。

本書で最も刺激的な言葉が、「暗黒社会主義」です。

名前だけ聞けば過激ですが、斎藤氏が言いたいことは意外なほど現実的です。

これからの時代、経済成長は保証されない。

資源も不足する。

そうした社会で、奪い合いではなく、民主的な分配をどう維持するのか。

それが、この言葉に込められた問題意識なのでしょう。

私は、この概念を「未来像」というより、「最悪の未来を避けるための思考実験」として受け取りました。

何もしなければ、待っているのは資源を巡る排除や強権政治かもしれない。

だからこそ、今のうちから「限られたものをどう分かち合うか」を考えようという提案として読むこともできます。

私は、「文明の終わり」という言葉を、人類滅亡とは受け取りません。

終わるのは、「経済成長さえ続けば社会は豊かになる」という近代の物語なのだと思っています。

そして、その物語を最も早く見限ったのが、世界のエリートなのではないでしょうか。

もしそうだとすれば、これから問われるのは「何を成長させるか」ではありません。

誰を守るのか。

何を分かち合うのか。

どのような社会なら、人間らしさを失わずに生きていけるのか。

斎藤幸平氏の『人新世の黙示録』は、その答えを与える本ではありません。

しかし、「文明が静かに形を変え始めている」という現実を直視するための、一つの羅針盤にはなり得る一冊だと、私は感じました。

世界のエリートは「全員を救うこと」を諦めたのか?──斎藤幸平『人新世の黙示録』が突きつける「文明の終わり」「まだ間に合う」は、どこへ消えたのかエリートは「全員を救う」という発想を捨てた「普遍的人権」は、本当に普遍だったのか「暗黒社会主義」という挑発おわりに──文明は、静かに形を変え始めている

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