1. F1ファンの物語 #f1log
  2. Fandom 002 – 兵庫県旗を鈴鹿..
2024-10-20 1:06:40

Fandom 002 – 兵庫県旗を鈴鹿で振ろうと思いましたよ (Guest: Shinya.Sさん)

F1ファンのShinya.Sさんが、F1への興味の始まりや思 […]

サマリー

F1ファンのShinya.Sさんが、F1への興味の始まりや思い出を語ります。特に、小学校時代のプラモデル制作や友人との会話がF1への情熱を育む中心テーマとなり、70年代のF1とその影響を振り返ります。Shinya.Sさんは、高校時代からの車への興味を語り、雑誌やゲームを通じてF1情報を集めていく過程を描きます。また、日本のF1中継が始まった頃の様子や、周囲にF1ファンが少なかった中での孤独な楽しみ方も紹介されます。兵庫県の旗を鈴鹿で振ることを考えたきっかけや自身のF1ファン歴についても語られ、シューマッハやフェラーリなどの重要な選手やチームについても触れられています。ほかにも、Shinya.Sさんが鈴鹿サーキットでの体験や観戦の思いを語り、日本人ドライバーへの応援や過去のF1エピソード、チケットの高騰についても言及しています。このエピソードでは、鈴鹿における自動車レースファンとしての経験や小林可夢偉選手への熱い思いが語られ、兵庫県の旗を持参することについての考えやリスナーの反応も取り上げられています。

F1への興味の芽生え
桐野美也子
皆さんどうも、おはようございます。桐野美也子です。
今日のF1logは、F1logのスピンオフということで、F1ファンの物語を聞いていこうということで、
今日はリスナーの皆さんにお馴染みのShinya.Sさんに来ていただいてます。
Shinya.Sさんどうもおはようございます。
Shinya.S
おはようございます。車中泊でお馴染みのShinya.Sです。
桐野美也子
はい、車中泊お便りでお馴染みのShinya.Sさんです。
いつ頃最初にお便り送っていただいたかとか、覚えあります?
てか、僕が調べろって話ですよね。だいぶ初期なのかな?
Shinya.S
いや、あの、いつでしたっけ?
桐野さんがその、あの、iPhoneの話をされた。
桐野美也子
はい。
Shinya.S
あともう、これは、あの、お便りを書かねばと。
桐野美也子
そういう感じでした?
Shinya.S
はい、以前はもうサイレントリスナーでした。
桐野美也子
じゃあ。
Shinya.S
はい、その前世の時もサイレントリスナーでした。
桐野美也子
え、そうだったんですか?
Shinya.S
はい。
桐野美也子
そんな長いこと聞いてたんですか?
Shinya.S
ウォーキングでずっと聞いてたんです。
ウォーキングがちょうど1時間歩くので、ちょうどいいんです。
桐野美也子
ちょうどこのポッドキャストの。
Shinya.S
そうなんですよ。歩き始めで。
桐野美也子
全然、そんな長いこと聞いていただいたなんて、全然知らなかったですよ。
Shinya.S
あの、前世からということは。
今初めて私言いました。
桐野美也子
ですよね。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
ちょっとびっくりしました。ちょっと今冷や汗が出ましたけど。
Shinya.S
あ、そうですか?
桐野美也子
はい。あ、そうだったんですね。
Shinya.S
え、ですので、あの、ですから、あの、前世から、あの、
一時期あの、桐野さんが、あの、イギリスに行かれてた時ですか?
そうですね。
途切れてたじゃないですか。
それで、あの、今の桐野美也子のっていうやつの声を聞いて、
え、同じ人っていう感じでなったんですよ。
桐野美也子
特に何の説明もないしね。
Shinya.S
はい。
一度、一度、桐野さん忘れられてるかもわからないんですけども、
あの、X、まあツイッター以前のツイッターのDMに、
あの、桐野さんは、
キュージーさんですよねって、
桐野美也子
あ、来たぞ、なんか。
Shinya.S
DMしたことがあるんですよ。
桐野美也子
うん、なんかそのDM覚えてます。
Shinya.S
はい。で、桐野さんから、もう知れないですって。
で、来て、はい。
桐野美也子
あ、あれってShinya.Sさんでした?
Shinya.S
そうです。
あの時、Shinya.Sじゃなかったかもしれません。
桐野美也子
なんか、うん、だから全然繋がってなかったですね。
そのDMはすごいよく覚えてます。
Shinya.S
あ、そうですか。
桐野美也子
もしかしてみたいな。
あ、そうなんだ。いや、それは今初めて伺って。
で、そのサイレントリスナー歴が長い中で、やっぱり出すぞみたいな。
Shinya.S
そうですね。その台風の時にですね、やはりあの、
南コースを締め出された青いエピソードは聞いていただかないと思いまして。
桐野美也子
あ、そうだね。
Shinya.S
それが初めてですね。
桐野美也子
逆にそのこと全然僕覚えてないんですよね。
Shinya.S
あ、そうですか。
桐野美也子
何の話しましたっけ僕。
いつ何の話したんだろうな。
iPhoneの何の話でしたっけね。
調べりゃいいんですけどね、自分で。
まあいいや、それはちょっと今日の本題じゃないんで。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
また調べてみたいと思いますが。
70年代の思い出
桐野美也子
はい、という、じゃあ今日はShinya.Sさんに話を伺っていくということでよろしくお願いいたします。
Shinya.S
はい、お願いいたします。
桐野美也子
さてさてと。
えーと、これで大丈夫かな。
じゃあなんかあの、雑談するだけっちゃ雑談するだけなんですけど。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
まあ1時間ぐらいですけど。
最初F1に興味を持った、1回お便りいただきましたけどね。
Shinya.S
そうですね、はい。
桐野美也子
もう1回それを辿る感じでも全然いいですし。
そもそもなんで、いつ頃F1に興味を持ったのかなみたいな、なんかその辺からちょっと話してみようかなみたいな感じですね。
Shinya.S
そうですね、以前その、『ゆさぶるカルチュラル・スタディーズ』の読書感想文的なことで。
桐野美也子
そうですね。
Shinya.S
私の過去のF1ファンになったという経歴をお話したんですけれども。
桐野美也子
そうですよね。
Shinya.S
で、この話をいただいて、桐野さんからこの話をいただいて、ちょっと思い返してみたんです。
桐野美也子
はい。
Shinya.S
小学校の6年生ぐらいの時に、友達同士でプラモデルを作るのが流行ってた。
桐野美也子
プラモデル、タミヤ。
Shinya.S
はい、タミヤの。
桐野美也子
タミヤの。
Shinya.S
で、友達が、マクラーレン。
もうそのモデルの名前まではもう忘れましたけども。
マクラーレンの12分の1の。
桐野美也子
結構大きくないですか。
Shinya.S
大きいです、大きいです。高いです。もうお年玉をために。
桐野美也子
めちゃめちゃ大きくないですか、12分の1って。
Shinya.S
そうなんです。12分の1の箱がね、それこそ横幅が1メートル近くあるような箱だったと思うんです。
桐野美也子
はいはいはい。
Shinya.S
で、友達がマクラーレン買って、で完成したと。
で、あ、いいなと思いまして。
で、私はそのロータス。
桐野美也子
はい。
Shinya.S
はい、あのジョンプレイヤースペシャルの黒。
ただね、そのモデルもちょっと記憶は定かではないんですけども。
桐野美也子
黒と金のやつですね。
Shinya.S
そうですね。
ただそのジョンプレイヤースペシャルのカラーリングがいつまで続いてたのかっていうのがもう定かでないので。
この小学校6年生の時に、確かにそれを買って、で作り上げて、でワーワー言ってたんです。
桐野美也子
それも12分の1なんですか。
Shinya.S
はい、12分の1です。
桐野美也子
12分の1。
Shinya.S
はい、親からめちゃくちゃ怒られまして。
桐野美也子
今タミヤのね、12分の1、確かにビッグスケールモデルみたいなのがあったっぽいですね。
今もあんのかな。相当高いでしょうね。
Shinya.S
当時ですんで、もうお年玉、1回のお年玉では足りなかったような記憶が。
桐野美也子
1お年玉では足りないんだ。
Shinya.S
ええ、ええ。なんか貯めてたような。で満を持して。
桐野美也子
満を持して買ったのがこのビッグスケールなタミヤのプラモデル。
Shinya.S
そうなんです。
桐野美也子
これが何年頃なんですか。70年か、80年か。
Shinya.S
70年か、7年かそのあたりだと思うんです。
桐野美也子
そうですね、ロータスだってそのあたりの時代ですよね、70年代の。
Shinya.S
その時にその友達連中と、ニキ・ラウダが火傷したとか、再度チャンピオンを取ったとかすごい奴だという話で盛り上がってたのは覚えてるんです。
桐野美也子
それは記憶があるんですね。
リアルタイムに。
Shinya.S
ニキラウダが何故、火傷をしたのに、再度チャンピオンを取るという、なんていう男だと。
桐野美也子
ラウダが燃えたのは76年のドイツだったですから、やっぱりそのあたりの時代ですね。
Shinya.S
だいたいそのあたり、はい。
でその頃に、すでにF1には興味があったというか。
F1中継とその影響
桐野美也子
でその頃ってまだテレビ中継は。
Shinya.S
全くないです。
桐野美也子
ないですよね。
はい。
それで何か友達の間で話題になる。
Shinya.S
それこそね、小学6年生とか雑誌ありましたよね。小学5年生とか。
桐野美也子
あの子供のね雑誌。
Shinya.S
あれにたまに2、3ページ、フォーミュラー1とか。
あのレース系。
桐野美也子
はいはいはい。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
あ、じゃあ何。そのみんな友達もなんとなくその小学。
Shinya.S
そうなんですよ。4、5人の友達だったんですけども。
はい。
みんなでその車の、そのF1を作らないやつはフェアレディZだとか。
桐野美也子
あーなるほど。
Shinya.S
そういうのを、はい。
桐野美也子
スポーツカー。
Shinya.S
ですね。その連中とF1の話は。
知ってたよな。
桐野美也子
え、それってつまりこう動いてるF1を見ないままってことですか。
Shinya.S
そう、そうなんですそうなんです。
全て。
雑誌というか本というか。
想像上の。
もうかなりのその情報量の少ない中で。
桐野美也子
ですよね。
Shinya.S
だからそのニキ・ラウダの名前は知ってましたけど、ジェームス・ハントの名前は知りませんでした。
桐野美也子
じゃあそのやっぱりラウダのその事故から乗っているのがすごい衝撃的な。
Shinya.S
あのその雑誌にもかなりそういうすごい奴っていうことで、その世界の偉人というかそういう形で乗ってたというような記憶があるんです。
桐野美也子
じゃあ当然偏りますよね。そんなね。そんな。
Shinya.S
ですね。
桐野美也子
雑誌に乗ってて、しかもこう動くところのレースとか見ないわけだから。
えーじゃあ何もうレースっていう競争っていう意識はあんまないんですか?
Shinya.S
その時はなかったですね。
桐野美也子
なんかかっこいい車とかかっこいい人が走っているみたいな感じなんですかね。
Shinya.S
そうですね。もうそのF1マシンがそのプラモデルでタミヤのプラモデルですごい。
そうですよね。タミヤのプラモデルすごいっすね。じゃあもう一番リアルに近いじゃないですか。
タミヤ様様で。
桐野美也子
タミヤが見せてくれたみたいなもんですね。
Shinya.S
そうですね。はい。
桐野美也子
すごいもうなんか元祖見ないF1ファンなんじゃないですかね。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
中継を見てないですけどみたいな。そんな時代じゃないのかな。
Shinya.S
その時代ですから、富士でF1があった頃ですけども、当然小学生ですので見に行けるわけでもないですし。
桐野美也子
そりゃまあそうですけど、それはやっぱり富士でありましたよみたいなのは。
Shinya.S
多分その本に載ってたような気がするんです。
桐野美也子
じゃあもうそれはそれで興味はあるけどっていうことですよね。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
あれはいつ頃なんだろう。76年とか77年とかか。
Shinya.S
そうですね。76年がジェームスハントがチャンピオン。
桐野美也子
やっぱ同じ時期ですね。やっぱね。
Shinya.S
ですね。はい。
桐野美也子
じゃあなんかそれは富士スピードウェイでやってるぞっていうのでワンチャンいけるって話はないですよね。小学生はね。
Shinya.S
まずないですね。
桐野美也子
まあないですよね。
Shinya.S
親が好きだったら話はあるかもしれないですけど。
桐野美也子
僕も子供の時に親と話すっていうのは結構記憶ありますけど、なんか行ってみないみたいな話はしなかったんですか。
Shinya.S
いやもう全くそれはなかったですね。
桐野美也子
それしてもしょうがないかなっていうか。
Shinya.S
多分そうですね。
桐野美也子
なんか彼方の富士スピードウェイという。
Shinya.S
じゃあ別にそれがドイツのホッケンハイムでも富士でもあんま距離変わらない感じですかね。
桐野美也子
その頃親愛してたのは何?まだやっぱずっと関西ですか?
Shinya.S
そうです。もう生まれてからずっと兵庫県です。
ああそうなんですね。じゃあもう本当に富士は遠いですね。
桐野美也子
大学時代は一時期4年間ほどちょっと関東にいましたけども。
じゃあもう富士スピードウェイは遠かったっていう。
そのあたりの話は何か思い出したことあります?
そうですね。それが70年代の終わりというかぐらいですよね。小学生ぐらいですか。
Shinya.S
小学校6年生か中学校1年生あたりだったと思うんです。
桐野美也子
その後だからテレビ中継が80年代の終わりが始まるわけですよね。後半の。
Shinya.S
ですね。ですので中学生のあたり、高校生のあたりは全くそのF1にはほとんど触れてなかったと思うんです。
桐野美也子
え、何?もう小学6年生も卒業するし、雑誌も?
Shinya.S
そうです。
え、なんかその間にF1触れてないような気がするんです。
桐野美也子
え、その頃どうだった?何か覚えてる?
Shinya.S
その後、この間のお便りにも書いたように、富士テレビがたまーにやるF2であるとか、グランチャンであるとかを。
関西ローカルですからなかなか映らない時もあるんで。
桐野美也子
そうですよね。
Shinya.S
それを必死で見てたのは覚えてるんです。
桐野美也子
じゃあ富士のグランチャンピオンレースとかもたまにやってたんですか?テレビで。
Shinya.S
ごくたまに日曜日の3時とか、2時か3時あたりで。
桐野美也子
今でいう日本のトップカテゴリーですからね。
そうですね。
F2もやってた時があった?
Shinya.S
ありましたね。中嶋とかが。
桐野美也子
まさにそういう時期ですよね。
Shinya.S
それもずっと続けて見れるんじゃなくて、たまーに。
桐野美也子
たまに気がついたらやってるみたいな。
ですね。新聞見て、テレビ欄見て、「おーっ!」とか。
それはラウダとかの話と繋がってるんですか?
高校時代の興味
Shinya.S
いや、自分の中ではもう繋がってなかったですね、実は。
桐野美也子
繋がってないんだ。
じゃあ別物ってことですか?
Shinya.S
何かそんな感じがしてました。
桐野美也子
別物だけど見れた。だからやっぱり車。
Shinya.S
やっぱり好きだったので。
中学校の頃は全く車の興味というか、離れてたんですけど、
高校に入ると普通の乗用車の方に興味が。
そういう友達ができまして。
桐野美也子
じゃあもうフォーミュラーカーがっていうよりは、いわゆる車ね、乗用車。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
それは何?自分が免許を取るのか、リアリティですか?
Shinya.S
そっちですね。それでこれに乗りたいや、あれに乗りたいとかいう雑誌を見ながら、
友達とワイワイガヤヤ言ってたのが高校時代だったと思うんです。
桐野美也子
だからその頃日本ではF1をやってる中継もないしレースもないし。
ですね、はい。
Shinya.Sさんの周りでは特にF1に触れる情報ソースがなかったってことですか?
Shinya.S
なかったですね。全くじゃなかったんでしょうけど。
情報収集の方法
Shinya.S
自ら。
あったと思います。
ですから自らその手を伸ばすわけでもなく。
桐野美也子
ですよね。
じゃあF1に帰ってきたのはいつなんですか?
Shinya.S
ですので、高校を卒業して、その雑誌かな?
アラン・プロストがマクラーレンTAGポルシェに乗ってた時代から何か。
実は前にもチラッと書きましたけども、アイルトン・セナよりアラン・プロストの方が好きで。
いぶし銀の走りの方が好きだったので。
あの頃80年代の83、4、5、あの辺りに一度プロストが優勝。
チャンピオン獲ったかちょっと定かではないんですけども。
その頃に久しぶりにF1、そういえば昔プラモデル作ってたなということで帰り咲いてきた。
情報を得るようにはなったと思うんです。
桐野美也子
その情報がだんだん周りに増えてきた感じもあったんですか?
Shinya.S
いや、なかったんですけども自分から探したというか。
本を買ったり。
桐野美也子
それは興味がまた出てきてみたいな。
Shinya.S
プロストがチャンピオンになったのは85年くらいですかね。
桐野美也子
TAGポルシェはたぶん86くらいかなって感じがしますね。
でもそれはまだフジテレビで中継をやる前ですね。
まだですね。
Shinya.S
その頃テレビ中継やってたのはインディーカーとか。
桐野美也子
インディーカーはやってたんですね。
Shinya.S
夜中の1時くらいから始まって朝の5時くらいに終わるという。
桐野美也子
すごいスケジュールになるんですね。
Shinya.S
大学の何年生かの時に、暇ですし、夜中起きててそれを見てたような気がするんです。朝まで見てた。
桐野美也子
プロストのとか、それが雑誌なのかな。たまたま入ってきたのが結構大きいんですかね。
Shinya.S
思うんです。その頃の記憶がまだ飛んでるというか。
桐野美也子
わかんないですよね。
友達経由じゃなかったってことですね。
Shinya.S
その頃の友達は全くF1ファンはいなかったと思うんです。
車の好きな人間も少なかったと思うんです。
桐野美也子
そもそもですね。
リアルな友達のあたりではそういう話題はあんまないけど。
Shinya.S
いなかったけどもっていうところですね。
桐野美也子
Shinya.Sさんは昔のこともあってか、引っかかるところがあったわけですね。
Shinya.S
そうです。
桐野美也子
そうなると徐々に日本でもF1が盛り上がり始めるような時期に差し掛かってきますね。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
その後どうなるんですか。マクラーレンTAGポルシェのあたりから。
どういう風なのか覚えてますか。
Shinya.S
あの、その頃雑誌は買ってたという。
毎月じゃなかったと思うんですけれども。
たまに本屋で立ち読みしたりとか。買ったりして。
その情報はその雑誌で得てたと思うんです。
その雑誌が何だったのかはもう完璧に記憶がないんですけれども。
桐野美也子
本当に本屋に行ったらなんか表紙に。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
雑誌を読んでたよみたいな。
Shinya.S
そんな感じです。
桐野美也子
じゃあそれが何かわかんないけど雑誌で情報を得てたと。
Shinya.S
それとあとね、きらっと記憶にあるのが週刊プレイボーイでレース関係が何ページか載ってたような。
桐野美也子
あーなるほど。
それも結構身近で読める。
Shinya.S
そうですね。立ち読みもできるし。
桐野美也子
そうか。
Shinya.S
買うことも当然週刊プレイボーイは安かったですから。
桐野美也子
そうですね。
週刊プレイボーイか。なるほどね。
それもかなり自分から読みに行かないと情報が入ってないもんね。
人間関係とF1ファン
桐野美也子
相当ですよね。
だんだんF1の情報がまた集まってきましたね。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
集まってきますよね。
この後Shinya.SさんはスルッとF1のフジテレビの中継に入っていっちゃう感じなんですか?
Shinya.S
そうです。
桐野美也子
なるほど。その頃のことは何か覚えてます?中継始まったというか。
Shinya.S
その前にファミコンとかスーパーファミコンでF1のレースを探してやってました。ゲームを。
桐野美也子
はいはいはい。
まだファミコンじゃないですか?スーパーファミコンもありました?
Shinya.S
そうです。85年でファミコンですね。
桐野美也子
ファミコンですね。
Shinya.S
ですです。
桐野美也子
あ、ファミコンのF1を遊んでた?
Shinya.S
はい。
桐野美也子
今から考えると、どこがF1だっていう。
Shinya.S
涙ちょちょ切れるようなもう。
桐野美也子
とりあえずこう左右に車が動くぐらいでしたね。
あ、それはやってたんだ。そっちの方が先なんですね。
Shinya.S
はい。ですね。
桐野美也子
そうですね。ファミコンの方が先ですね。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
じゃあファミコンのF1レースとかレースゲームはかなり時代を先をいった。
Shinya.S
レースゲームははい。
桐野美也子
レースゲームはブーム前に来てたんですね。
Shinya.S
ええ。
桐野美也子
それをやってて。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
その頃もうShinya.Sさんは大人じゃないのか。
Shinya.S
もう社会人でしたよ。
桐野美也子
社会人でっていうことか。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
なるほどね。だから小学生がファミコン遊ぶとちょっと違いますよね。経験としてはね。
Shinya.S
ですね。はい。
桐野美也子
そうですよね。大人がファミコン買ってきて遊ぶわけだから。
Shinya.S
大人買いができましたから。
桐野美也子
そうか。財力が違うから。
子供のファミコンの思い出とは違うわけですね。
Shinya.S
ええ。
桐野美也子
F1やってて。
じゃあそれでF1か。
Shinya.S
ねえ。
桐野美也子
なるほど。
はい。じゃあファミコンでF1遊びます。
で、その後やっとレースですか。
Shinya.S
やっと。そうですね。フジテレビは。
はい。
中継を。
桐野美也子
中継を始めて。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
何か覚えてることってあります?中継でそんな。
僕そんな初期見てないんですけど。
Shinya.S
その87年に中継始まる前に、
ホンダが参戦はしてたんですかね。
桐野美也子
そうですね。
Shinya.S
そうですね。その情報は雑誌なり、当然ホンダがF1に参戦したということで
結構雑誌も取り上げ始めてたと思うんです。
桐野美也子
はいはいはいはい。
Shinya.S
ですのでその情報はかなり得たと思うんですね。
桐野美也子
そうなんですね。
Shinya.S
ただ見ることは当然動いてるのは見ることができませんので。
桐野美也子
まあそうか。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
ホンダは結構だからいわゆる第二期ってやつですよね。
Shinya.S
そうね。
桐野美也子
だから83年ぐらいからかなっていう。
Shinya.S
エンジン供給を。
桐野美也子
そうですね。
なのでその情報もそこから出てきて。
Shinya.S
そうですそうです。
桐野美也子
そうですよね。
Shinya.S
その頃にプロストのTAGポルシェとの争いというかをやってたという情報は得たと思うんです。
桐野美也子
得てたんですね。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
意外とだからその辺断片的とはいえかなり。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
追ってますね情報を。
Shinya.S
だからそのあたりはもう自分一人です。
もう周り誰もファンいなかったと思うんです。
桐野美也子
えーぼっちで?
Shinya.S
ぼっちでもう一人で楽しむという。
はい。
桐野美也子
いやいやそれはなんか相当すごいかも。
Shinya.S
でもそういう人が世の中にたくさんいたってことなのかな。
桐野美也子
好きな人間はいたんじゃないですかね。
ちょっとこれからまたいろんな人の話を聞いていきたいと思ってるんですけど。
Shinya.S
みんなその頃一人で楽しんでたらちょっと面白いですけどね。
桐野美也子
じゃあそっか。
まあそのホンダの情報も入ってきてたと。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
じゃあその後どうですか。
みんな周りがF1の話をし始めるみたいな、そういう感じありました?
Shinya.S
いや職場ではなかったですね。
桐野美也子
職場だとまた違うのか。
Shinya.S
なんかそのF1っていう言葉というか、
それは皆さんその当然中継が始まって、
いろんなテレビニュースなり何なりでやってるので、
それは皆さん知ってるけれども、
夜中にそういうのを見るという人はほとんど皆無。
桐野美也子
皆無。
じゃあF1っていうのがあるらしいねみたいなことは。
そうですね。ホンダがエンジンあれしてるらしいねっていう話は。
それはニュースにもなってるし。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
みんな知ってる感じはあるけど。
それが話題になるかっていうと職場ではねっていう感じか。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
じゃあまた一人じゃないですかそんな。
Shinya.S
そうです。ほぼぼっちです。
桐野美也子
そういう時ってもう慣れてるからいいんですか?ずっと。
Shinya.S
もう全然、はい。自分一人で。
桐野美也子
特には別に繋がりを求めるたってどうしていいかはちょっと分かんないですしね。
Shinya.S
そうですね。はい。
桐野美也子
じゃあもう一人ですね。中堅を夜中見たりもするけど一人で見ててみたいな感じですかね。
Shinya.S
そう。で、当然仕事もあるし、VHSで録画して次の日に見るという。
桐野美也子
はいはいはいはい。
3倍とかで撮ったりするんですかね。
Shinya.S
そうですね。画像がもうかなり悪く。
桐野美也子
そうですね。
そういう感じか。じゃあもうずっと一人で社会人になってですけど。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
そのまま何か変化が起きた瞬間というかなんかなかったんですか。ずっとそんな感じ。
簡単と。
Shinya.S
はい。簡単と。
それこそF1が中継、なんせ録画して見てた時に家族から。
寝落ちしちゃうんですよね。録画してるやつを見てても。
また次の日にも同じところを見てるってよく文句を言われました。
桐野美也子
あんたそこ見てたやんみたいな話になるけど。
Shinya.S
あと昨日も見てたんですね。
桐野美也子
周りが。
Shinya.S
見てないとかって。
桐野美也子
はいはいはいはい。一緒やけど違うと。
Shinya.S
そうそうそう。
桐野美也子
確かにね。同じに見えますわね、それはね。
Shinya.S
ですね。
桐野美也子
うーん、そうか。じゃあなんか、家族もっていうか、まあでもやっぱり一人で見てるわけか。
Shinya.S
ですね、はい。
桐野美也子
なんか、Shinya.Sさんって今、鈴鹿にお友達となんかいらしてるじゃないですか。
ああいう感じのなんか、F1観戦友達みたいなのは、あれはどの辺から湧いてくるっていうか、生まれるんですか。
Shinya.S
あの友人は、職場で、我々の職場は転勤がありまして。
何度か一緒に仕事をした時に、好きだっていうのを、F1が好きだ、まあ車が好きだっていう。
桐野美也子
偶然知ったんですか。
Shinya.S
知りまして、はい、そうですね。
で、まあ、でも職場の中で、好きなやつっていうと、あいつともう一人、それは私全く知らない人なんですけれども。
はい、鈴鹿に何回か観戦に行かれてる方が、実質3、4人しかいないんです。
桐野美也子
え、だいたい同じ年代なんですか、みんな。
年齢的に。
Shinya.S
ほぼほぼ、はい。ちょっと若いか、はい。
いうところですね。
桐野美也子
じゃあもうそれぐらいで。
じゃあそっからはもう、広がってないっていうか、もうなんか。
Shinya.S
ですね、はい。
桐野美也子
やる友達というか、なんかそういうところでは。
Shinya.S
もう好きなやつだけで、はい。
桐野美也子
なんか、すごいだから、人間関係的にはすごい小さい中で、やってきたって感じですよね。
Shinya.S
はい、我が道を行くで。
桐野美也子
ね。
ですね。
でもなんか、こう、なんか友達が好きだったから一緒に見るようになったとかな。
結構あまりに影響されてっていうような話も、まあ聞かないでもないので。
兵庫県旗と鈴鹿
桐野美也子
なんか、僕ももしかしたらそうかなっていうところもあるから。
Shinya.S
で、ですからあの、いつも行ってるあの友人が、
そのF1のレースがあった後、情報を漏らしてくるんですよ。
こちらはまだVHSで撮って、見てないのに、昨日誰々勝ちましたねって。
言うなー!とかです。
まだ見てない!ってね。
桐野美也子
ネタバレが。
Shinya.S
そうだね。
桐野美也子
そらだってね、ご友人も言いたいですよ、そらね。
Shinya.S
そうそうそう。
桐野美也子
盛り上がりを共有したいって。
Shinya.S
すごかったですね、とか言うなとか。
桐野美也子
もうなに、一日待ってくれっていう感じですかね。
Shinya.S
そうそうそう。
今日帰ってみるとかってね。
桐野美也子
月曜帰ったら見るからって。
Shinya.S
そうそうそう。
桐野美也子
あ、それはだから、そうですね、僕、僕の世代より上なのかな。
なんか小学生の時にやってることですね、たぶんそれね。
Shinya.S
あー。
桐野美也子
80年代が子供の人たちはね。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
それが職場で行われたっていう。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
でもそっからもう何十年ですね。そっから数えてもう30年か。
Shinya.S
ですね、はい。
桐野美也子
すごいな、30年。
Shinya.S
はい。ただね、桐野さん、あれなんです。
私、鈴鹿で開催が始まってから、
ずっと、あれなんです。
インドア派だったんで、
観戦には行かなかったんです。
桐野美也子
うん。
Shinya.S
で、当然初期は抽選だったらしくて。
桐野美也子
あー、なるほど、大人気で。
Shinya.S
はい。
それとあと、そこまで人が多いの嫌だなとか。
桐野美也子
嫌ですよね、単純に。
Shinya.S
で、実はその、いつも行く友人が、
2009年に、鈴鹿が再開催。
2007年、8年と富士だったので、
2009年の時に、
彼の奥さんと二人で鈴鹿に行くと。
で、チケットを買ったらしいんです。スプーンの席を。
その頃まだ1万5千円だったんですけども。
桐野美也子
まあまあな感じですね。
Shinya.S
で、「頑張って行ってきてね。」って言ってたのが、
奥さんが都合が悪くなって、
で、「行きませんか?」って。
桐野美也子
おお。
Shinya.S
で、「チケット代というか、いいですいいです。」って。
桐野美也子
うん。
Shinya.S
え、タダで?とか言って。
で、「じゃあ、車はこちらで出すよ。」と。
桐野美也子
あー、なるほど、いい。
Shinya.S
そこからです、車中泊は。
桐野美也子
そこから?
え、じゃあ、2009年の鈴鹿に帰ってきたタイミングから、
Shinya.S
F1はもうずっとです。
はい。
桐野美也子
そうなんですね。
Shinya.S
もうそこで、やはり、
生は違うと。この間のMotoGPじゃないですけども。
桐野美也子
はいはいはいはいはい。
あの頃のエンジンの音、また今と全然違いますしね、ファン的にもね。
じゃあ、2009年から鈴鹿に通い始めたという。
Shinya.S
そうですね。
ですので、その友人のおかげです。
桐野美也子
すごいっすね、その。
ご友人の話を聞きたいですね、またね。
どういう風だったんだっていう。
また鈴鹿で聞けるかなって感じですね。
Shinya.S
彼は出鈴から2006年の、
シューマッハが最後の年とか、何回か行ってるんですよ。
もうとんでもない人の時に。
桐野美也子
じゃあもうその全盛期というか、
もうめちゃめちゃ人がいた頃の鈴鹿を知ってる人なんですね。
Shinya.S
そうなんです、そうなんです。
夜中に席取りにレジャーシートを引きに行って、
次の日に行くと、自分のレジャーシートがどこだったかわからなくなったという。
桐野美也子
え、あれかな、自由席が芝生だったって。
Shinya.S
そうです、そこに行ってたらしいです。
桐野美也子
なるほど、ある意味じゃあ先輩ですね。
Shinya.S
F1ファンの先輩ですね。
桐野美也子
先輩ですね。そうか、観戦の先輩がいたってことですね。
Shinya.S
鈴鹿ファン、鈴鹿の先輩ですね。
桐野美也子
鈴鹿の先輩がいたってことですね。
じゃあもうそっからはね、2009年からF1で鈴鹿に通うようになると、
まあなんかずっとルーティーンですね。
Shinya.S
そうですね、もうしょうがないというか。
桐野美也子
それはその、富士で子供の時にやってたF1を見に行けなかった少年の頃を思うと、
いいんじゃないですか、どうです?
Shinya.S
やはりその、大人がいいじゃないですけれども、お金に余裕ができてるからですね。
桐野美也子
そっか、確かにな、お金にね。
Shinya.S
あとその職場にも恵まれて、有給を取りやすい職場だったという。
確かに時間はね、結構大人には問題になりますけど。
桐野美也子
そこは結構、融通が。
Shinya.S
融通がきく職場だったので、はい。
桐野美也子
なるほど。
なるほど、なんかすごい、何だろう、40年とかかかったF1の興味を持った歴史でしたね、ここまでね。
じゃあ、そもそもですけど、子供の時に小学6年生とかでF1の記事が目に止まったっていうのは、
どこが良かったと思います?今振り返ってみると。
Shinya.S
そうですね、自分の周りに全くない世界というか。
桐野美也子
なるほどね。
Shinya.S
当然そのF1マシン、プラモデルで作ったロータスであるとかマクラーレン。
周りを走ってるわけじゃなくて、なんていう形のこの車なんだと。
桐野美也子
確かに。
Shinya.S
やはりそこで、やはりもともと自動車が好きだったので。
子供の頃から乗り物が、車に乗せると泣き止んだ子供だったらしくて。
なるほど。
隣のおじさんのオートバイにまたがらせてもらうと喜んだという。
桐野美也子
そういう子供だったよと親に聞かされた。
Shinya.S
そうなんです。ですのでそれがあったのかなと。
それで世界一早いF1マシンをプラモデルで見るなりして、すごい世界だと。
桐野美也子
小学6高年生とかだと、たぶんプロ野球とかも乗ってるんですよね。
たぶん大長嶋ですよね。
全盛期というか。そっちにはなびかなかったんですね。
Shinya.S
やはりそうですね。どうでしょう。
長嶋みたいになってますけどね。
野球はしてたことはしてたんですけども。
グローブ持って自転車の横にバット挟んで走り回ってたのは覚えてるんです。
一生懸命みんなでプレーする野球はやってたんですけれども、
見るほうのプロ野球とかは別にどこが勝っても。
っていう感じでしたね。
桐野美也子
よっぽどプロ野球のほうがテレビで流れてたじゃないですか。
そこじゃなかったんですね。
学校行ったら周りの友達は野球の話してたりしたんじゃないですか。
Shinya.S
そうですね。それで盛り上がってたと思いますよ。
桐野美也子
盛り上がってたと思いますよっていう微妙に他人事な感じなんだけど。
そこにはいなかったみたいな感じじゃないですかね。
ラウダとかプロストの名前は出てきたんですけど、
応援するチームとかドライバーで傾向とか軸みたいなのってあるんですか?
Shinya.S
もともとラウダはフェラーリですごいなと。
フェラーリでやけどして次の年はチャンピオンになる。
1回チャンピオンになって次の年はなく、その次に復活したというすごい奴だなと。
その後アラン・プロストが好きで。
当然マクラーレン・ホンダの時代ですけれども。
鈴鹿のシケインでぶつかった時も。
その後セナが悪いやろと。
桐野美也子
みんなプロストが悪いと思ってたかもしれないけど、セナが悪いやんという話ですね。
ラウダーとプロストって繋がりはあるような気がするんですかね。
Shinya.S
そんな感じですね。自分も思います。
桐野美也子
そっからどうなるんですか?プロスト以降はどういうファンをしてくることになるんですか?
Shinya.S
そうですね。プロスト以降は次シューマッハですね。
桐野美也子
なんか違うな。
Shinya.S
そうなんですよ。シューマッハというよりも長年フェラーリが勝てなかったところに、シューマッハがやっとチャンピオンでフェラーリを復活させたという。
シューマッハというよりもフェラーリですね。
桐野美也子
その何?歴史に?ドラマに?
Shinya.S
そうですね。フォーメーションラップですぐ煙が出てしまうプロスト時代のフェラーリとか、マンセル時代のフェラーリとか。
桐野美也子
V12エンジンがね。
Shinya.S
そうですね。キルスイッチを押してしまうマンセルとか。
桐野美也子
そうですね。
F1ファン歴の回顧
Shinya.S
あれで情けなく感じてたところをシューマッハが2000年に復活させて。
桐野美也子
フェラーリはずっと好きだったんですか?
Shinya.S
やはりF1は赤いマシンが頑張らないとダメじゃないですか。
桐野美也子
ダメじゃないですかって言われてもな。そういう価値観でね。フェラーリ。
Shinya.S
推してるわけじゃないですけども、やはり頑張ってほしいという。
桐野美也子
そういう感じなんですか。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
今までフェラーリの話なかったですよ。ロータスのプラモとか。
Shinya.S
ですね。
桐野美也子
マクラーレンの話して。
Shinya.S
そんなに好きじゃないんですけども。
桐野美也子
好きじゃないんだけど。
Shinya.S
赤チームは、はい。
桐野美也子
あのチームだけずっと赤いカラーリングでね。
Shinya.S
です。もうやはり貫くその精神が素晴らしいのと。
桐野美也子
じゃあもうなんとなく心の片隅にはフェラーリが常にいたと。
Shinya.S
そうですね。ですから鈴鹿へ行っても赤チームを応援してる人たちは嫌いじゃないです。
桐野美也子
結構いますよね。
Shinya.S
そうですね。
赤で固まる。
かなり激しい方がいらっしゃいますけども、嫌いじゃないです。
桐野美也子
嫌いじゃない。そこはフェラーリの旗パサパサ振ってても全然。
Shinya.S
頑張れよ。
それでこそ。
桐野美也子
じゃあその前にフェラーリを復活させたミハエル・シューマッハですよね。
じゃああの頃のシューマッハだからフェラーリの全盛期でもずっと勝ってた時。
Shinya.S
あの時勝ちすぎてちょっと中だるみ的なのは起こりましたね。
桐野美也子
ありましたありました。
でもそれでも一応はずっとフェラーリ・シューマッハ推しで。
Shinya.S
推しというか、勝てばはいはいそうですねっていう感じで。
桐野美也子
まだ全然ですね。それでシューマッハとフェラーリだからその後はどうなるんですか。
Shinya.S
あのですからシューマッハが2006年に一回引退した後。
なんかねその後ちょっとアロンソがチャンピオンになった頃あまりなんかそのF1を見てたとは思うんですけれども。
フェラーリの支持
Shinya.S
その真剣さがなくなったというか。一応録画はして見てたんですけども。
桐野美也子
はいはいはいはい。
Shinya.S
なんかちょっとこう、ん?っと、こういう感じで。
桐野美也子
何こうちょっと気が抜けたというか。
Shinya.S
冷めてたというかはい。
桐野美也子
冷めたような時代が。
Shinya.S
ええあったような気がするんです。
まあその頃仕事が忙しかったのかもしれないんですけども。
桐野美也子
うーん。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
じゃあなんかシューマッハが勝ってた頃というかもうその引退してアロンソが来たあたりでちょっと。
Shinya.S
そうですねなんかちょっとこうはい。
自分的に自分の中にはそのはいF1熱というのがちょっとこう下がったというか。
桐野美也子
なるほどね。
Shinya.S
はいですからあのねあのシューマッハとミカ・ハッキネンであるとかの戦いの時は一生懸命見てたと思うんですけれども。
その後何かこうシューンとこうあの絞んでいったというか。
桐野美也子
なるほど。
Shinya.S
であのしぼみ切りはしなかったというかはい。
桐野美也子
だからもうしぼみ切っちゃうと本当に見なくなっちゃうという感じですもんね。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
じゃあもうそこは何とか何だろうやり過ごしたというか。
Shinya.S
そうですね一応一応見てたというかはい。
桐野美也子
一応追いかけてはいたというか。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
もうねテレビ中継もちゃんとやってましたしね。
Shinya.S
ずっとねはい無料で。
桐野美也子
無料でそう無料でね。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
見れたから追いかけることができますもんね。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
じゃあちょっとあれだなんかあのファンがあんまいなかった時期ですねじゃあねその推しが。
Shinya.S
そうですね。
うん。
あの頃そうですねいなかったですね。
桐野美也子
やっぱいないと辛いんですかねShinya.Sさんの場合なんかこう。
Shinya.S
やはりうーんまあでもだからといってそのドライバーを絶対応援してもうあの熱狂的に応援してるかっていうんじゃないんですけどね。
はい。
自分。
まあ好き誰をうーんそうね誰を応援するかというとこのドライバーかなっていうところで。
鈴鹿サーキットの思い出
Shinya.S
かといって別に負けてもうーんそううーんああそうなのっていう感じで。
桐野美也子
結構軽いですねそこは。
Shinya.S
そこははいですのであのどういうかあの結構そのチームの方が好きかなっていう。
桐野美也子
うーんなるほどなるほどチームだとまあフェラーリが出てましたけど。
Shinya.S
はい。
桐野美也子
その後もまあ一応フェラーリですかじゃあ。
Shinya.S
いやですからそのまあ2007年2008年とまあ興味が伏せてたというか。
はい。
で2009年にその友人に連れられて行った時に鈴鹿に行った時にあのセバスチャン・ベッテルを見たんですよレッドブルを。
桐野美也子
はいはいはいはい。
Shinya.S
こいつ若いのにやるなと。
桐野美也子
はい。
Shinya.S
であのレッドブルのあのマシンかっこいいじゃないかと。
桐野美也子
うーん。
Shinya.S
でそのまあセバスチャンベッテル推しでもなくあのなんかレッドブルファンというかレッドブル推しになりましたね。
桐野美也子
あっ。
それで現在に至るぐらいですかじゃあもう。
日本人ドライバーへの応援
Shinya.S
そうですね。
あの途中あの小林可夢偉の時に。
桐野美也子
はい。
Shinya.S
ちょっとザウバーにあの。
一瞬浮気しましたけども。
桐野美也子
一瞬ザウバーに。
Shinya.S
やはりあの同じ兵庫県出身の。
親父は応援してあげる応援しなくちゃと思いまして。
桐野美也子
なるほどね。
じゃあそのちょうど可夢偉の話も出たんですけど。
日本人ドライバーとか日本企業はずっと別にいるじゃないですか。
Shinya.S
そうですねはい。
桐野美也子
それはなんか全然引っかからなかったんですかもうその兵庫県に来るまでは。
Shinya.S
まあその当然ホンダが演技供給16戦15勝の時はすごいなと。
あとそのスポンサードしてたところはあまりコマツであるとか。
シオノギもやってましたね。
桐野美也子
そうですねやってましたね。
Shinya.S
昨日のアメリカグランプリのスプリント予選かな。
あのP1見てたらハースにメルカリがスポンサー。
桐野美也子
限定なんですかねアメリカの。
Shinya.S
びっくりしました。
げ!とか。
すげえなとか。
メルカリ。
桐野美也子
メルカリがついてるってね。
あの車売ってくれるのかなって。
Shinya.S
日本人ドライバーには中嶋であるとか右京であるとか。
鈴木亜久里はあんまり好きじゃなかったですけど。
桐野美也子
なんだそれ。
でもあんまりそこにも肩入れしてる感じもないですね。
Shinya.S
はなかったですね。
応援はしてるけども、日本人頑張れよっていうのはありましたけども。
桐野美也子
そこまではい。
その頑張れよっていうのは別に他の国のドライバーにも同じぐらい頑張れよ的な感じじゃないですかShinya.Sさん。
Shinya.S
そうですねそれはあったかもわかりませんね。
桐野美也子
でもやっぱちょっと日本人の方が応援しちゃう感じなのか。
Shinya.S
それもやはり日本人ですので。
桐野美也子
そこはちょっと僕も興味あるとか。
どれぐらい肩入れの具合が違うのかなみたいな。
テレビの中継ではだいぶ日本を煽るような感じはあったんじゃないかなと思うんですけど。
Shinya.S
でも以前、中嶋であるとか鈴木亜久里さんとか片山右京が出てたとき、
だいたい途中でリタイヤするじゃないですか。
桐野美也子
そうですねそういうことありましたよねたくさん。
Shinya.S
なんかギアボックスがどうとか、エンジンブローしたとか。
そこで完走しろよと。
ですからもうやはり頑張れよっていうぐらいのレベル。
よくわからないけど。
何がっかりしちゃうから応援しないみたいな。
いつも勝てないなと。
あのタナボタで鈴木亜久里が3位に入ったのは、いやそれはタナボタだぞと。
3位3位って言うなと思ってましたけどね。
桐野美也子
みんな喜んでたけども。
Shinya.S
まあタナボタだと。
上がいなくなったからだと。
桐野美也子
じゃあ小林可夢偉が。
Shinya.S
小林可夢偉の3位はもうあれは素晴らしい。
身贔屓です。
兵庫県民身贔屓です。
桐野美也子
そこはもう何?日本人がというか兵庫県民。
Shinya.S
なんかそれがあるんです。
あいつはいつも小林可夢偉ずっと関西弁でしょ。
染まらず。
桐野美也子
そうですね。
Shinya.S
ああいうところも好きなんです。
桐野美也子
なるほど。それも大事なポイントなんですね。
Shinya.S
やはりポイントです。
トヨタドライバーだけども、
尼崎出身のずっと尼崎の兄ちゃん的なところがいいなと。
桐野美也子
それはね、Shinya.Sさんの兵庫県の感覚からすると
ああいうやついるよなみたいな感じになる。
Shinya.S
そうです。
桐野美也子
じゃあ全然日本人より近いですね。兵庫県民の。
Shinya.S
そういうか、F1ドライバーの日本人のドライバーの数が少ないですもんね。
その中でやはり関西出身というか。
可夢偉ぐらいだと思うんです。
桐野美也子
あんまり聞かないですよね。
Shinya.S
はい。
関西でって。確かにそれはあるかもしれないですね。
桐野美也子
なるほど。じゃあまあ、日本。
じゃあ今は?角田はどうですか?
Shinya.S
あの、いや、あの頑張れよって思うんですけども。
桐野美也子
軽いな。
Shinya.S
何かね、あの、まあ角田選手ね。
まあ私的にね、何かあの、よそよそしい感じがするんですよね。
あの、というかあの、もう完全に個人的な意見なんですけども。
日本人だったらもっとその、あの、川井ちゃんがインタビューしてる時でも
もっと日本人であるというその、はい、みたいな感じがしないんですよ。
何かよそよそしいというか。
それを私だけ感じてるのかもわからないんですけれども。
何かそんな感じがして、あまりその、好きになれないというか。
桐野美也子
それは何だろう。日本人のインタビュアーがいたらもうちょっと何か親しみを持って喋れよと。
Shinya.S
以前その中嶋が川井ちゃんのそのインタビューに笑いながら
それこそ古舘の「きざみ納豆走法」じゃないですけど、そういうところをチクチクっと言うとニコニコっと笑って
日本人だけのためにコメントをする。
まあ今はそのね、F1界でそういうことがダメなのかも、規制がかかってるのかもしれないんですけれども。
何かちょっとよそよそしいところがあるなあという。
まあそういう世界になっちゃってるのかもわかりませんけども。
ですのであまりその、頑張れよとは。
桐野美也子
なんか面白いですね。
チケットの高騰
Shinya.S
なんかあの、後で怒られそうですが。
桐野美也子
誰も怒らない。誰も怒らないでしょうけど。
なんかみんな角田のこととかどういう応援っていうか思ってるのかなっていうのは本当に面白くて。
みんなそんなガツガツ来ない人も多いんでね。
鈴鹿でね、ファンの人と一緒にリスナーの人と話してて。
そんな角田の格好してる人あんまりいないんですよね。
Shinya.S
22番少ないですよね。
桐野美也子
そんなにいなくて。
ガチガチがいないですね。
Shinya.Sさんの言う、よそよそしいっていうか、それはなんかちょっと面白いですね。
Shinya.S
そう感じてしまうんですよね。
桐野美也子
ホンダのあれは、ホンダはどうですか?
ホンダは今頑張ってますもんね、もっとね。
Shinya.S
そうですね。ホンダは、はい。
ホンダは、はい、もう当然頑張っていただかないと。
この度なんか、トヨタがHaasと提携したと言いますけど。
桐野美也子
トヨタも頑張ってほしいけど、ホンダ?トヨタって感じになっちゃうんですかね、日本人たちの中から。
Shinya.S
私的にはやはりホンダの方が上なんですけども。
桐野美也子
なんとなくあれですね、応援はしてるけど別に日本人だからみたいなのはないのかなっていうのが、
ちょっと面白いかなって感じがしますね。
小林可夢偉は特別だった。
Shinya.S
ですね。
桐野美也子
ことなんですね。
なるほどね。
で、なんかちょっと最近、これ最後の話題ぐらいかなと思うんですけど、
鈴鹿サーキットのチケットが見上がりがすごいからって言って。
Shinya.S
そうですよ。
桐野美也子
もうShinya.Sさんからの愚痴が止まらないですけど。
Shinya.S
でもこの間、10月13日のチケット争奪戦。
とりあえず抑えましたけども。
っていうか、例の友人がですね、Q2席しかダメだと言うんですよ。
桐野美也子
他NGなんですか?
Shinya.S
彼はQ2大好きなんです。
でもQ2の位置の最上段を取れと。
取る係が私なんですよ。
桐野美也子
命令が来るだけなんですか?
Shinya.S
頼みましたよって。年齢は彼の方が下なんですけれども。
頼みましたよ、チケット。
はい、わかりました。
桐野美也子
取る側はそんなにモチベーション高くなさそうですよね。
Shinya.S
それでも、今回も11時にチケット、
サイトに入れたんですけれども。
最初に待ち時間19分とか出たんですよ。
11時19分に入れますと。
ラッキー、20分かって思ってたら。
ちょっとすると、12時。
いきなり90分待ちくらいになったんですよ。
桐野美也子
そんなにパッと伸びたんだ。
Shinya.S
とか思って。
さっきの20分は何だったんだ。
それで実際サイトに入れて、席を見ると、
もうほとんどなかったという。
桐野美也子
上段なんか絶対ないんですよね。
Shinya.S
もう全くなかったです。
もう下からね、Aから、
Q2-1はGまであるのかな。
A、B、C、D、F、G。
そうですね、Gまであって。
上段の下から3段目ぐらいしか空きがなかったです。
桐野美也子
一応でもQ2の中では引っかかったですね。
Shinya.S
引っかかりましたけども。
あと友人からの苦情が怖かったです。
こんな低い席とか言われたらどうしようとか。
桐野美也子
大丈夫だったんですか。
Shinya.S
それはもうしょうがないという。
妥協していただきました。
桐野美也子
Q2に入れたからいいだろうっていう。
Shinya.S
でも駐車券はもう全くその時にソールドアウトでした。
桐野美也子
もうダメ?
Shinya.S
はい、引っ付いてる駐車券というか。
全くダメでした。
桐野美也子
なんかハードルが上がってますね。色々な価格の差率でも。
Shinya.S
絶対高いですよ。
桐野美也子
高いよね。
かろうじて友人に引っ張られて取ってみたものの、
一人だとちょっともう撮らないんじゃないかっていう雰囲気を。
Shinya.S
というかね、この間MotoGPに行ってきまして、
あそこはスタンド以外かな。
土曜日まで全て自由席なんですよ。
桐野美也子
なんか書いてありましたね。
Shinya.S
ですので結構色んな席で見れて。
鈴鹿は金曜日までじゃないですか。
その自由度というか、それとチケットの価格を比べると
全然違うなと思ってしまいまして。
桐野美也子
全然競技が違うと言えばそれまでですけど。
Shinya.S
じゃないんですけどもね。
桐野美也子
なんかそれぐらい自由でもいいんじゃないかみたいな。
Shinya.S
なんかその昔の2009年とか2010年のあたりの
鈴鹿はそんな感じだったんじゃないか。
チケットの価格はもう既に高かったと思うんですけれども。
西コースというかスプーンであるとか、
あの辺の価格を比べるとMotoGPの場合そんなに歩かなくてもいいし。
桐野美也子
なるほどね。
Shinya.S
意外と行ってみたらよかった。
結構そのリーズナブルでよかったなって。
で価格を考えるとえーとかね。
桐野美也子
それを知っちゃったから逆になんかちょっと。
Shinya.S
そうなんです。知らないですけど。
桐野美也子
今まで知らなかったけど知っちゃうと
鈴鹿のF1なんかめっちゃ高いし。
Shinya.S
人は多いしですよね。
桐野美也子
ってなっちゃうかと。
いやもうこれはねいつまでShinya.Sさんが鈴鹿に通い続けるか
Shinya.S
チキンレースが始まってるか。
桐野美也子
感じがしますけどね。
そういう方多いのかもしれないですけど。
Shinya.S
あとはもう自分の体力ですね。
桐野美也子
そっか。
まあ車中泊含めね。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
体力がどこまで持つかっていうのもあるんですね。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
確かにね。
観戦は体力がいりますからね。
本当に元気じゃないと無理ですからね。
Shinya.S
まずは足腰がね、丈夫じゃないと。
桐野美也子
これはね、登山ですからね。
アウトドアでやはり登山ですから。
Shinya.S
その辺をみんな勘違いしてほしくないなって感じますよね。
桐野美也子
はい、という。
はい、まあこんなんで大体もう1時間ぐらいお話ししまして。
Shinya.S
そうですね、はい。
ファンの経験と思い
桐野美也子
ありがとうございました。
Shinya.S
いいえ。
桐野美也子
どうですか、なんか昔のこと思い出せました?なんか。
Shinya.S
やはりそのかなり記憶は飛んでますね。
そうですね。
桐野美也子
だからね、今日ここで話した内容も5年後には忘れてるかもしれない。
Shinya.S
かもしれないですね。
桐野美也子
ちょっとこれを聞き直して思い出してもらうっていう。
Shinya.S
ですね。
桐野美也子
ことになるのかもしれないんですけど。
でもなんか聞いててやっぱりこう、なんだろう。
レースの中継がない時でもファンになれるっていうかね、なんか。
Shinya.S
そうですね、やはりその。
やはり自分が好きだっていうところですよね。
桐野美也子
そこでね、好きになるきっかけそれぞれだし、素質もね、あるのかもしれないですけど。
Shinya.S
ですね。
全く興味が。
車というかそういうものに興味がなければ、
あ、そうっていう感じで終わってしまってたと思うんですよね。
桐野美也子
でしょうね。
ですよね。
Shinya.S
プラモデル作っても、そっちじゃなくてそのプラモデル道の方に。
桐野美也子
なるほど。
Shinya.S
ですね。
桐野美也子
そりゃそうですよね。
Shinya.S
作ったは作ったけども、やはりその道はプラモデル道を極めたんじゃないですから。
桐野美也子
まあそっか、プラモデル道に行く可能性もあったわけですね。
Shinya.S
ありますね、はい。
桐野美也子
ですよね、だって12分の1の超高価なプラモデルね、精密な。
Shinya.S
それを一生懸命、下手くそな割に一生懸命作って、
友達と見せ合って喜んでたっていう。
桐野美也子
全然そっちの道もあり得たけどっていう。
そこは車側に残ったわけですね。
Shinya.S
ですね、はい。
桐野美也子
いろいろ分岐点はあったのかなって気はしますけど、
ここに残ってたっていう感じですよね。
いやそんなに小林可夢偉に対するこんな熱い思いは、
この機会がなかったら聞けなかったなって。
Shinya.S
ああ、そうですね。
桐野美也子
今の鈴鹿ではね。
Shinya.S
はい、そうですね。
兵庫県の旗を持って行こうかと思った時もあったんですけど、それはやめましたね。
桐野美也子
それはやるべきだったんじゃないですかね。
今もいいんじゃない?なんか引退したドライバーの旗持ってる人いるから。
Shinya.S
そうですね、それこそQ2に長い間、
キミ・ライコネって横断幕が貼ってあったんですよ。
桐野美也子
あれが許されるんだったら兵庫県の旗も許されるじゃん。
Shinya.S
そうですね。
桐野美也子
兵庫県旗がたなびいてたらめちゃめちゃ面白いけどね。
何なんだろうっていう。
一回やってみてもいいかなって感じがしますけど。
という、はい。
兵庫県の旗とリスナーの声
桐野美也子
はい。
ありがとうございました。
Shinya.S
いえ、こちらこそありがとうございます。
桐野美也子
いやいやいやいやありがとうございます。
なんか応援のメッセージも来てますね。
てるりんさん「ライブありがとうございました。
可夢偉ファンの思い、私もよくわかります。
今でもスーパーフォーミュラで応援してますよ」
可夢偉への愛が通じたみたいですね。
よかったです。
はい、というわけですみません。
じゃあ1時間お付き合いいただいてありがとうございました。
貴重な日曜日のご参加ありがとうございました。
Shinya.S
いえいえ、暇ですので。
桐野美也子
いやいや助かりました。
次なんかここに呼んでほしいリスナーとかいますか?
Shinya.S
あれ、HASHIWMさんであるとか。
桐野美也子
はいはいはい。
Shinya.S
あとあの、あれですね。
Z32に乗ってみたいさんですね。
桐野美也子
はいはいはい、Z32乗りたいさんですね。
Shinya.S
はい、Z32、はい。
桐野美也子
鈴鹿でいつもご一緒して。
Shinya.S
そうですね、いつもはい。
お話しさせていただいた。
桐野美也子
じゃあ、テレフォンショッキング方式じゃないんですけど、
その辺りちょっと。
Shinya.S
そうですね、面白いですね。
桐野美也子
ちょっと声かけてみます。
実は今日Shinya.Sさんに声かけたのも、
前回出てくれた石橋さんっていう方が、
あの普段お便りで聞いてるShinya.Sさんの話が聞きたいです。
Shinya.S
あ、そうなんですか。
桐野美也子
っていう、全然面識はないんですけど。
はいはい。
あの、普段お便りでよく聞くので。
Shinya.S
なんか嬉しいですね。
桐野美也子
そう、なんかShinya.Sさんの話が聞きたいですっていうこと言ってたんで。
Shinya.S
ああ、ありがとうございます。
桐野美也子
テレフォンショッキング方式で声をかけてみました。
Shinya.S
あの、いや嬉しいです。
桐野美也子
はい、という事で何か、実はリスナーの中にはかなりShinya.Sファンがいるのでは folk
Shinya.S
ほう、そうなんですか。
桐野美也子
そういうね、ことは私も感じましたが。
そういう事で。すいません。長々と引っ張ってしまいましたね。
ありがとうございます。
Shinya.S
はい、じゃあ。
桐野美也子
すいません。じゃあ、あの。
今日日曜日、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
Shinya.S
は、はい。ありがとうございました。
桐野美也子
はい、ありがとうございました。
じゃあ、ここまでで。ありがとうございました。
Shinya.S
はい、失礼しまーす。
01:06:40

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