番組の紹介
どうもヤーマンです。どうもハリーです。この番組は、教育会社を経営しているハリーと、デザイン会社を経営するヤーマンがお届けする仕事に役立つ情報を緩く紹介する番組です。
先週はちょっとお休みいただきまして申し訳ございませんでした。失礼しました。失礼いたしました。
大変大変忙しくてですね。収録する時間がなかなか取れなくてですね。
ちょっとお休みさせていただいたんですけども。はい。
ちょっとこれを機に、ちょっとヤーマン。いつもね僕自分のことデザイン会社を経営しているヤーマンって言ってるんですけども。
ちゃんと自己紹介した方がいいかなと思いまして。そうですよ。
はい。あなた何者ですかっていうところにね。
思ってくださってる方も少なからずいるかもしれませんので。
そうですよ。もうまとめ記事が立ってますよ。本名は年収は彼女は。
いやいやいや怖い怖い怖い。ちょっとねでも本当にもうこの番組も4年ぐらい続いててちゃんと自分のことを喋ってる回ってないなと思って。
ちょっと簡単に簡単というかきちんと何者かっていうことを説明したいと思います。この回。
えっと私ですね1985年3月生まれでございまして。
それでも39歳でございます。早生まれなんでね周りの同い年はみんな40歳とかになる年ですね。もう大台に乗るんですけども。
もともとね僕大学卒業後、健在勝者。健在勝者。健在勝者これ名前出してもいいか別に。
もう当省に一部上場している超大手健在勝者のJKホルディングス株式会社っていうところに就職してたんですよ。
新卒で。
新卒でそこで大阪の営業所で新人にしてはね結構大きい数字3000万ぐらいのノルマ持たされてやってたんですよね。
最初は1200万とかだったんですけどそこからねあの大阪の中心のスイタ営業所っていうところに回されてそこで3000万ぐらい持たされてねこれがね健在業界って大変だったんですよ。
ルート営業だったんですよ。
ルート営業。
ルート営業っていうのはそのすでにそのお客さんとつながりが持ってるところの営業ですよね。
新規営業だと今まで行ったとこないところにそのさっきも企業ラジオで言ってたけどウォーターサーバー買ってくださいみたいなんでピンポン鳴らすみたいな。
じゃなくてそのルートって言ってそのメーカーがあって商社があってトン屋があってその販売店とか小売店があってっていうそのルートがあるんですけどその中の営業ですね。
そういうことやってたんですよね。
でまあこの時にその卸売業界のそのルートとか商流の仕組みとかですね。
その辺を学ばせていただきまして。
はいはい。
でまあ上場しているそのルートなんで余震トラブルとかっていうのもあるんですよね。
余震トラブル。
余震トラブルこれってめちゃくちゃ大きな問題でその仕事するときに本当にここにと一緒に仕事していいかっていうのをちゃんと審査するんですよ。
で建材って扱う金額めちゃくちゃ大きいんですよね。
新人の僕が月に3000万円ぐらい売るぐらいの規模のことやってるんだよ。
例えば東東のキッチン1個200万とか。
イナックス、もう今イナックスってないか今リクシルか。
当時あの今パナソニックの松下電工とかっていうのがあったんですけど松下電工のお風呂1個150万とかね宝スタンドードのお風呂80万とかね。
日破のサイリングこんだけやって全部で80万とかそういうことをいろんな物件を何個も持っていろんなメーカーから仕入れて販売店に下ろすっていうことをやってたんですね。
その中で結構な金額を売っちゃってそこが支払い能力もないのに売っちゃうと回収できないんですよ。
だからそのそこの卸し先がどんぐらい金持ってるのかっていうのを審査するんですよまず。
ここだったらこんだけ土地持ってて最悪なことになってもここの土地を担保に銀行がお金貸してくれるだろうと。
デザイナーへの転身
だからここの会社には上限マックス3億まで売って大丈夫とかね。
ここの販売店はマックスでも5000万ぐらいだなとかそういうのがあるんですよ。
でこの余震トラブルっていうのに巻き込まれると消費者が全部被らなきゃいけないケースが多いんでね。
相手が払えなくなった場合に消費者の方が払わなきゃいけなくなる。
そういうケースもある。
で消費者って基本的に右から来たものを左に流すだけなんでそういう工夫して絶対に儲かるんですよ。
消費工夫次第ではね。
で商品に関するそのリスクとかトラブルも基本的にメーカーが持つべきものなので。
でこの時に消費者マンとしての経験を2年ぐらいですね。
2年。
はい積みました。そのJKホルディックス株式会社。JAPAN建材って言ってね。今でも大きな会社ですけど。
知ってるって言ってくださってるリスナーさんがいるかもしれないけど。
JAPAN建材に勤めてて2年で辞めましたと。
でその辞める時も当時ねスマートフォンとかが普及し始めてたんですよ。
Facebookとかが出てきて。
でなんかIT扱うクリエイティブ産業になんか結構チャンスあるなーとかって思ってたんですよね。
でそういうことを感じつつもうその消費者マン時代にやってた営業って僕3000万やっててもう大工さんって朝早いんで。
本当に朝早い時間からもう夜も終電ギリギリまで働いてたんで結構過酷だったんですよね。
なんかフレックスタイムとかやって残業代もちゃんと出なかったしそういう会社でね。
今は知りませんよ。当時のJKホルディックスは結構過酷だったんですけど。
僕の12個上の先輩が5500万ぐらい持ってたんですよ。
すごいなと。
俺3000万でこんな一杯一杯なのに5500万も売ってるとすごいなーと思ってたんですけどやってること同じやったんですよ12個上なのに。
僕がやってることを丸で表現するとその12個上の先輩は5500万売っててもっと大きい丸なんですけどこの丸が例えば三角とか四角とか星型にはなってないんですよね。
つまり僕が先輩みたいにここの会社で一生懸命12年間働いても今やってることのボリュームが増えるだけなのかと。
そういう上の先輩を見て自分の将来像が見えちゃったんですよ。
その先輩もめちゃくちゃいい人で優秀な人だったんですけどどんだけ頑張って優秀になっても12年間これ続けるのかと思った瞬間にもう嫌になっちゃったんですよ。
で転職考えるようになった時にさっき言ったスマートフォンの普及とかフェイスブックとか出てきてITを扱うクリエイティブ産業に絶対これから広告っていうの絡んでくるなとかって思ってたんですよね。
とプラス僕昔から絵描くの好きやったんですよ。
僕は見たことないですけどね未だに。
本当ですか?僕結構絵描いてますよ。
そうなんや。
僕の絵を見たければBプラッツプレスっていうふうに検索してもらってBプラッツプレスの冊子、情報誌の冊子の表紙にいろんなイラスト出てくると思うんですけどその出てくるイラストを僕がちょくちょく描いてます。
へーそうなんや。
そうなんですよ。
なるほど。またリンク貼っておきましょう。
ありがとうございます。
でまあその僕が結構絵描くの好きだったんでなんかそれに関わるクリエイティブの仕事がないかなって転職活動してる時にグラフィックデザイナーっていう仕事があると。
グラフィックデザイナーね。
なんかよくわからんけどどんな仕事だと調べてみると会社のロゴマーク作ったり会社のホームページ作ったりチラシとかポスターとかパンフレットとか。
まあ今ではねグラフィックデザイナーでも動画のねプロモーションに関わったりすることあるんですけど。
まあそういう広報ですよね。広報のビジュアルを作るっていう仕事。
でまあ自分がその絵描くの得意だったんでこれはいいなと。
転職しようと思った時に大体のグラフィックデザイナーまあ今でもそうと思うんですけど実務経験2年以上絶対いるんですよ。
実務経験ね。
実務経験もないんでということで専門学校に行きました。会社を辞めまして。
辞めて専門学校。
当時ね僕貯金200万ぐらい貯めたんかなその時。
すごいじゃないですか。
200万ぐらい貯めてそのうちの100万使って専門学校行きましたね。
投資だ投資。
投資ですね。でパソコンとかアドビのやつとかいろいろ買って。
でその1年間専門学校行く交通費とかいろいろお金足りませんでしたんで。
お姉ちゃんから100万借りました。
あの時ありがとうお姉ちゃん。
で専門学校行って専門学校行った時もねもう自分が25歳だったんかな。
で周りはもう21とか22とかでお父さんお母さんがもうそういうデザイナーでもうデザイナーになるレールを引かれたって大きくなってきた人たち。
だからみんな美大とか出てるよね。
自分絵が上手いと思って行ったのにデッサンの授業とかした時みんなもっと上手いよね。
ちゃんとそういう美大とかで学んできてるからいやこれはまずいと。
この子たちと一緒にやってて俺もう25だし絶対勝てないわと思って。
どうする。
でどうすると思った時に自分には2年間の営業の経験があるっていうことで専門学校行きながら就活してたんですよ。
まだまだ実務経験もないんだけど自分には営業の経験があると。
でこれから今専門学校行きながらデザインのことを学んでるから雇ってくれみたいなことでね。
そういうことをやりながら結構ねみんな1年かけて作るポートフォリオをめちゃくちゃレベル低いんですけど半年くらいで作って。
でそれを片手にいろんなとこに送ったりしてましたね。
まあ当然のごとく落とされてましたけど。
10ヶ月目ぐらいかな10ヶ月目ぐらいの時に自分の履歴書の自分の本を作ったんですよ。
自分の履歴書の本。
自分の本自分本です。
自分本っていうのを買ってその自分を自分で特集するんですよ。
自分で写真撮って自分はこういう人間だとかこういう偏見で生まれてきてみたいな。
で自分が大切にしているものはこうだ友達だとか趣味はこうだみたいなのをね一冊のこんなね英語ぐらいの大きさの12ページぐらいの冊子に小冊子にして。
12ページも作ったすごいね。
その時自分でその学校でインデザインの使い方とか学んでたんで。
で自分説明書っていうタイトルつけて。
で最後のページに履歴書のページ作ってちゃんと履歴書も書いて。
えー面白い。
そうなんですよ。
これがね今この前見返してもよくできてるなと思うほど当時のねまだデザインの地域そんなにない自分でもよく思いついたなと。
公開しましょうよそれ。
公開する?別にいいですけど個人情報が結構載ってるんで。
表紙だけでも。
全然いいですよ。
本当ですか。
はいそういうものを作ってね大阪の堀江にあるデザイン会社にはい転職しました。
でここで4年間ですね。
26歳。
そうですね25の時ですね。
5か。
5の時に。
でそこでようやく現場に入ってそこの会社が社長が元リクルートの社長さんでして結構ねいろんなペーパーの仕事やってたんですよフリーペーパーとか。
はいはいはい。
そういう仕事をやっててここでいい先輩がいたんすよ。
いい先輩。
いい先輩がいて結構いろいろ叩き込まれて4年間勤めたんですけど。
はい。
ここで結構ねインデザインインデザインって言ってそのアドビの基本イラストレーターっていうソフトとかフォトショップって使うと思うんですけどそのマガジン編集もの専用のインデザインっていうソフトがあってこのインデザインの使い方を結構マスターというか結構なレベルまで。
4年もやってたのね。
そうなんですよね。
でもう仕事も多かったんで。
うん。
で結構大阪にインデザインがっつり扱えるデザイナーって少ないみたいで。
へー。
うん。
これはすごい良かったのかなと思ってるんですけど。
うん。
まあ給料が安かった。
そうなんや。
はい。
まあ給料が安かった。
へー。
ふんふんふん。
だって僕もともと上場してる勝者マンですよ。
そうですよね。
デザイン業界での給料低下と副業の始まり
年収で言ったら100万ぐらい下がったよね。
はー。
はいはいはい。
だって当時僕新卒でも年収350万ぐらいあった。
おー。
ありましたから新卒でね。
でそっから1年専門学校1年弱専門学校行って大阪の堀江野が会社に就職した時の給料の低下にビビったもんね。
こっち金ないのに。
そうなんや。
250万とか60万とか。
あーまあ月20ちょっとと。
はいボーナスなしのそんな感じですよね。
うーん。
でーこれはいかんと。
うーん。
まあ4年間頑張ったんですけど。
はい。
楽しかったですしね。
うーん。
でもまあさすがに危機感を感じまして。
危機感。
はい。
はい。
この会社で勤めててもやべえと。
うーん。
独立後のデザイン業界での挑戦
結婚もできねえぞと。
うーん。
ということであのー副業をね会社に内緒でやり始めてたんですよ。
副業ね。
うん。
まあ自分のデザインの仕事ができるんでね。
うん。
で友達がなんかお店やってたチラシ作ってあげるよとかロゴマーク作ってあげるよみたいな。
副業をやってて副業がね自分の給料よりも高くなっちゃったんだよね。
うははは。
うふふふ。
自分の給料だって17、8万だったから。
うーん。
ちょっと気に入ってくれるお客さんがいるとねそのぐらい稼げるようになってもうこれ自分でやろうと思って28歳の時に独立したんですよ。
はい。
でこっからフリーランサーとしてデザインの仕事をやりまして。
うん。
でそこから4,5年経った時に結構世話になってる先輩が会社を立ち上げると。
はい。
ということでその先輩が立ち上げた会社を手伝うような形で僕が出資して一緒にやってたんですよ。
ほうほうほう。
でそこで一緒にやりながらいろんな案件の仕事を結構やってたんですけど、
それやりながらそのデザイン業界でそこでねいろんな人も雇ったりしたんですよ新人をね雇ってその自分のデザインのスキルを教えてやっていくっていうことにすごくこう広がりを感じれなかったんですよ。
ん?感じなかった?
感じれなかったんですよ。
へー。
なぜ?
デザインってサービス業じゃないですか。
うんうんうん。
D2C事業の展開
その牛丼屋と同じなんですよ。
牛丼屋ってサービス業なんすか?
サービス飲食のサービス業まあ要はお客さんから注文もらうと。
うん。
牛丼の大盛り味噌汁と注文もらってから厨房行って作りますよね。
うん。
で作って出して食べて食べ終わった後にお会計してくれてチャリンってお金入ってくるじゃないですか。
うん。
デザインの仕事も同じような感じなんですよね。
そのお客さんからこういうポスター作って欲しいって言われてポスターを作って納品して納品したタイミングでチャリンって入ってくるじゃないですか。
うん。
だからこれをこれで会社経営していくと生産性を上げる今まで5時間かかって作ってたポスターを4時間でできるようになる3時間でできるようになる2時間でできるようになるっていうその生産のスキルを上げていくか
一つの今まで5万で受けてたロゴマークを30万で受けるという単価を上げる。
うん。
この料理にしか方法がないなと思ったんですよね。
はい。
でその時にアドビがめっちゃ進化してたんですよ。
今も進化してますけどその例えばフォトショップの切り抜きとかもさ昔はあのペンツールでこうなぞってたよね。
あーその時代。
切り抜きをね。その時代ですよ。
でも今ってさもうなんか自動でブヤってこう自動選択ツールがあってさ。
クリック一つですよ今は。
クリック一つで切り抜いてくれるしその壁を引き伸ばしたりするのもさもう生成ツール使ったら生成拡張ツール使ったらそうなんか自動でボーンって作ってくれたりするじゃないですか。
そうですよ。
とかまぁイラレとかねそのソフトがむちゃくちゃ進化してるなって感じたんですよね。
はいはい。
なのでその変な話素人でも本屋さんでイラストレーター完全攻略とか素人でも作れる名刺の作り方みたいな本を3冊とか4冊ぐらい買ってきて。
うん。
わーって読み込んでいられちょっと勉強したらもうデザイナーになれるなっていうような時代じゃないですか。
うん。
そのプロのプロのプロとかすごい尖った企画とか無理ですけど。
一般的なその世に必要とされているいろんな反則物ってある程度もう本屋さんの本で買ってadobeのイラレ体験版ダウンロードしたらできちゃう時代じゃないですか。
そうだそうだ。
なんでそのデザイン会社としての拡張性って結構難しいなと思ったんですよ。
よっぽど専門的なことやってよっぽど専門的な生産性能が生まれるような仕組みを作らなきゃいけないなと思ったんですよね。
そうですね。
なんでそのデザイン会社としてやっていくの結構難しいなと思った時に僕がその商社マンで働いてた時のアイディアが思いついたんですよね。
アイディア。
うん。物流だと。
物流とな。
その物流とデザインを掛け算すると面白いことできそうだなと思って今の自分の会社を立ち上げたんですよ2019年に。
おっ一気に飛びましたね。
一気に飛びましたね。ちょっとね飛びましたけど。
はい。
それが今の会社なんですけどもここでは元々僕中国にネットワーク商社マン時代で貿易も少しやってたんで中国にネットワークがあってその中国で仕入れたものに対してデザインをして日本のアマゾンとか楽天に売るとか
逆にその日本で作ってるものをその海外向けに中国のタオバとかアリババとかまあ中国今ティックトックとかすごいんですけどティックトックとかあとまあアメリカとかだったらアマゾンとかになるんですけどヨーロッパとかね。
はい。
まあそういうものを発送、サポートするというような事業をメインにその会社を立ち上げたんですよ。
おおはいはい。
でこれだとまあもちろんリスクはあるんですけど例えばなんで何にしようかな。
例えばこのスマホ。
スマホ。
スマートフォンあるじゃないですかiPhone。
うん。
AppleのiPhone。
このiPhoneのプロダクトのデザイン費ってさいくらか知らんけど例えば100万だとするじゃないですか。
デザイン費ってこの。
形状。
形状のことを言ってるんですか。
はいはいはい。
プロダクトデザインですね。
うん。
スマホじゃなくてもいいしこのコップでもいいですよこのコップでも。
はいはいコップをねモデリングして。
はいこのコップをモデリングしてデザインを100万でこのコップのデザインしますと。
はい。
だけどこのデザインのそのデザイン費で100万儲かるよりもこのコップのデザインをただですると。
うん。
その代わりこのデザインによって売り上げた売り上げの5%頂戴っていう形の方がいいなと思ったんですよ。
はいはいはい。
iPhoneなんかって言ったらすごいじゃないですかさっき言ったiPhoneなんてもうこれさ15万円ぐらいするものが世界中に売られてるじゃないですか。
うん。
もうそれの5%っていうだけでさもうその100万とか桁違いの金額がそのデザインによって生まれてるわけで。
うん。
なんかそういう形の方がいいなと思ったんですよね。
うんうんうん。
じゃあそのデザイン会社としてのその牛丼屋形式離れができるなと思ったんですよね。
はいはいはいはい。
なるほど。
っていうことで自分で物販始めたんですよね。
うん。
自分で中国から物仕入れて自分でデザインすると。
うん。
で自分でその広報のパッケージとかいろんなことをデザインしてそれを売ると。
物を仕入れてデザインするっていうのは物って何なんですか。
物って何でもいいですよ。
今うちでやってんのはあれですねアパレル商材とかですね。
アパレル服。
服とかバッグとか。
うん。
をSEでってどこをデザインするんですか。
例えばそのパッケージだったりとかそのバッグだったらそのバッグのデザインもやりますよね。
そうなんですね。
ここにポケットつけるとかこういうシチュエーションでこういう時に使いたいバッグだからって言ってその中国の工場と打ち合わせしてバッグを作りますよね。
はいはいはい。
で例えば今日本ではこういうものが売れてると。
うん。
こういうものが売れてるんだったら例えばでいくと今うちがやろうとしてるのはレジャーシートなんですよ。
レジャーシート。
レジャーシート。
ピクニックとかで。
今レジャーシートってめちゃくちゃ売れてるんですよね日本で。
そうなんすか。
Amazonとかでも。
100均で売ってるじゃないですか。
100均でも売ってるんですけどファミリー用の2m×2mでちょっとふわってしててあのちゃんと撥水加工も施されてて。
へー。
でキャンプでも使えるようにちゃんとペグが打てたりとかするレジャーシートちゃんとした。
ちゃんとしたやつ。
100均でも売ってますよあのビニールシートみたいなさこんなコンパクトにさ。
ペラペラのやつだね。
ペラペラのやつもあるんですけどみんなピクニックとかキャンプとか行くときにレジャーシートって結構売れてて。
へー。
面白いなーって目をつけてレジャーシートを作れる工場をまず中国で探しますと。
で中国の工場と打ち合わせしながら日本ではこういうものが流行っててこういうもの作れるかみたいな。
でもっとこうした方がいいっていうのアイディアがあるからっていうのを打ち合わせしてサンプルが届いてきますと。
これだったら売れるかもしれない柄をもうちょっとこういうデザインにしようとかね。
みたいなことをやってわかったじゃあこれ注文は何個かだったら5000個だと。
小ロットでも5000個注文してくれたらこれ作れるよってなったときにそのリスクを背負うわけですねこっちで。
でそれで売れるかどうかみたいな勝負を今してるんですよね。
D2Cってやつですね今言われてる。
D2Cじゃなかったっけ。
ダイレクトトゥカスタマーってやつ。
そうそうそう今それをやってますね会社の方で。
その企画から販売までをすべてやるっていう。
そうそうB2B B2Cとかいろいろあると思うんですけどD2Cっていうのがあって今それがねすごいやりやすい世の中なんですよね。
だからそれってそのデザインに対するリスクももちろんそのまんま受けますけど恩恵もそのまま受けれるわけなんですよ。
だから僕はこのやり方がすごく僕の求めているデザイン会社のあり方だなと思ってて。
で今まあこのD2Cの方はねものすごく好調でして。
あのメインのデザイン事業の売り上げを追い抜いて今こっちを頑張っていこうというところですね。
なるほど。
このD2Cの方が忙しくて忙しくてもう大変すぎてあの先週あのゴロゴロトーキング休ませていただきました。
休まないでくださいよ。
すいませんでした。
というお持ちになるわけなんですけども。
なるほど。
なんかねあのこういう人間でございます。
はいはいはいいや僕も知らないことがゴロゴロ出てきますね。
本当ですか。
うん。
やっぱねでもそのなんかこの国にこういう今このタイミングでこの詳細ぶつけたらめっちゃ面白いみたいながいっぱいあるんですよ。
へー。
一個ね飛んじゃったんですけど戦争で。
戦争?
ウクライナとロシアで。
昔ねウクライナに歯ブラシを下ろそうとしてたよね。
ウクライナでのムーブメント
ウクライナに歯ブラシを下ろそうとした男。
日本の歯ブラシ。
これねウクライナって当時あの金持ち増えてたんですよ。
ほうほうほう。
一人当たりのGDPも伸びてってそのショッピングモールとかができ始めてたんですよね。
うーん。
ちょっといい雑貨品みたいなのが売れるタイミングだったんですよ。
はい。
でそこをやってるあのまた別の勝者のつながりある人が日本のパンパス。
オムツ。
オムツ。めちゃくちゃ下ろしててめちゃくちゃ稼いでたよね。
そうなんや。
ウクライナにパンパス下ろしてね。
でその人といろんな話してて、
今あの日本の歯ブラシとか歯磨きこうすごいチャンスあるよと。
そうなん。
って言って、僕あの大阪に住んでるんで、大阪の東大阪って歯ブラシの聖地なんですよ。
うんまあ八王東大阪。
八王東大阪って歯ブラシ工場すごい多いんで。
生産量日本一ですかね八王は。
でそこのこういろんな会社回っていい歯ブラシ見つけてそこを下ろそうとしてたんですよね。
うん。
あれやりたかったほんとやりたかった。
ちゃんとブランディングとかもちょっとやりながらね。
ウクライナ向けにブランディングとかしながらやろうとしてたんですけど、
ちょっとねあのいろんなことがあって飛んじゃったんですけどね。
へー。
はい。
とかあと中国にあのコンロリンラインのコンロってわかる?
コンロガスコンロ。
ガスコンロ。
うん。
あれをね大量に下ろすっていう話もあったりして。
ないの?
やっぱねその中国当時ちょっとコロナ前の話なんで。
はい。
今は結構D2Cの方に特化してるしてて今そういうことあんまりしてないんです。
昔はそんないろんな商材扱っていろんなことやってたんですけど。
うん。
結果的に中国のガスが13Aじゃなくなったから法律的にその話飛んじゃったんですけど。
ほう。
中国の金持ちって日本の建材のレベル高いから使いたがるんよね。
なんであの当時はそういうガスコンロとかいう話があって。
へー。
それを船で大量に運んで持っていくみたいな話があったんですけど。
はい。
中国ってねもうお館様の一言ですぐ法律変わるから。
うーん。
それが飛んじゃったりしてたんですけど昔はそういうこともやってました。
そうなんすね。
うん。
なんかそういう自分が今までやってきたデザイナーとしてのあれとその営業とか。
そうですねその商社マン時代の。
商社の。
商流ですよね。
うん。
でその余震の件本当にここにこんだけの規模のものを売って大丈夫かみたいな経験もたくさんしてきたんで。
はい。
まぁ商社マンとして働いてた時って本当に大変でそこまでなんか身振りするほど面白い仕事だなって思ったこと一回もなかったんですよね。
うーん。
なかって転職してデザイナーとしての経験積んだんですけど。
はい。
その今この推しになっていろんなこと考えた時にその自分がやってたその商社としての経験とその自分が積んできたデザインっていう経験がなんか合わさって今の会社の自分のやってる事業になってるんで。
うん。
今はめちゃくちゃ楽しいですね。
ほうほうほうほう。
正直大変で忙しいんですけどめちゃくちゃ楽しいですね。
じゃあもうあの時の苦労をしといてよかったなと。
あーそうっすね。
あの本当にデザイン学校行ってる時って俺あの商社で働いてた経験の分だけ遅れを取ってたって思ってたんですよ。
はいはいはい。
なんだけど今思うとあの2年でみんなにこんだけ差つけ出てるのかなって思う。
うーん。
あの経験のおかげでそのみんなとは違う形のデザイン会社やってきてるんで今。
うん。
商社マンからの転職
そこはいいですね。
いやすごいっすね。小山氏。
小山氏。
小山氏。
歴史の氏ね。
ヤーマン氏。
ヤーマン氏ね。
うん。
いやねなんかこれ聞いてくださってる方もデザイン会社を経営してるヤーマンですって言ってもなんかあーそうなんだっていう感じじゃないですか。
誰って別に顔出しもそんなしてないし。
誰ってしないしちょっとなんかある意味ステルス的にやってた、やりたかったっていうのもあったんですけど。
うん。
まあなんかこんだけね続けられてるのも聞いてくださってるリスナーさんのおかげなんで。
そうですね。
ちゃんと自分のことをちゃんと説明する回もどこかで入れなきゃなっていう。
回でございます。
じゃあ順番にやっていきましょうか。
いいかもしれないですね。すいませんねこんな僕の話に付き合っていただきまして。
じゃあ次回は幼少期編ということで。
いやいやもうこれで終わりにしましょう。
もうこの辺でもう僕は語り尽くしたと思うので。
もういいんですか?僕との出会いがまだ通ってないですけど。
確かに。ハリーさんとの出会いはあれですね。独立してから僕があれですよね?出資してる会社の時でしたっけ?
そうですよ。僕は覚えてますよ。南森町のドーナツ屋さんで初めて会ったのを。
あのドーナツ屋さんでね。覚えてますよ僕も。
まあまあそんなコーナーでね。今回は私のちょっとした自己紹介も兼ねてご紹介させていただきました。
何もね何一つ仕事の役に立つ情報はなかったと思うんですけども。
まあまあ今後もよろしくお願いしますということで。
よろしくお願いしていきましょう。
はい。今回の感想をメールまたアップルポッドキャストのレビューでお待ちしています。
2人でコメント欄をすべて読んでいますので今後の番組をより良くするためにあなたの感想をお待ちしています。
本日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
それではまた来週お会いしましょう。さだろ!
兄弟番組のゴロゴロ企業ラジオではハリーが企業やスタートアップに役立つ情報を緩く紹介しています。
概要欄にリンクを貼っていますのでこちらもよろしくお願いします。