ヤナイ忠のニート時代
どうもハリーです。どうもヤマンです。ゴロゴロ起業ラジオは、教育外を紹介しているハリーと、デザイン外を紹介しているヤマンがお届けする起業やスタートアップに関する話を緩く紹介する番組です。
こやまさんはニート機関ってありますか? ニート機関はないです。 僕はあります。
サラリーマンを辞めて、そのデザイナーになるために専門学校を行ってたんですけど、 専門学校はニートじゃないですよね。専門学生はね。
夢がある人はニートじゃん。夢がある人は関係ないけど。 はいはい。
じゃあ無しということなんですけれども、今日本の長蛇番付1位誰か知ってますか? ユニクロの社長でしょ? あっそうです。
ヤナイさんね。ヤナイ忠さん。 ヤナイさん元ニートなんでね。 あっそうなの?ファーストリテイリングやったっけ? 正解ですよね。
会社名はね。 ニートからのね。今ユニクロ直総額14兆円ですから。 ユニクロというかファーストリね。というね奇跡の逆転劇成長を見せたね。
世界中に店舗がありますもんね。 だって。 ありますねー。 すげーよ。 すげーですよ。長蛇番付日本一のヤナイさんニートからいかにしてここまで成長したのかということをお伝えしてですね。
もう皆さんのキャリアのですねヒントになればいいんじゃないかなと。 いいですねー。 ということで、やっていこう!
ユニクロのヤナイさん、ヤナイ忠さんですね。 1949年生まれで今76歳らしいですね。
結構な、あれですね。もうお年いかれてるんですね。 出身がね山口県宇部市っていうところで。 山口かー。はいはい。 宇部って言ったらあれですよ。エヴァンゲリオンの劇場版のラストで出たあそこですよ。
全然わからない。山口県。朝日酒造じゃないですか。ダッサイじゃなかったっけ。 ダッサイ山口でしたっけ。山口県といえばもうエヴァとダッサイとユニクロと。 ダッサイですねー。
なるほどー。すごいじゃん山口。 すごいですね。でまぁそんなところでね、ヤナイ忠さん育ったんですけれども。
あの父親が会社をやっていて、地元では結構有名な人だったらしいですね。お父さんが。 いや数々の創業ストーリー聞いてきましたけど、お父さん創業者の人多いですよね。創業者は。
そうですねー。 これは遺伝するんかね。お父さんお母さんが学校の先生だと子ども学校の先生とかお医者さんとか。あるかもしれないですね。
なんか受け継ぐものあるのかもしれないですね。 うーんやっぱねお父さんお母さんの仕事興味持ちますからね。
その中で後で出てきますけれども、後にユニクロになる新私服店をこのお父さんがやっていたり、それ以外にも建設会社とか喫茶店とか映画館とか、なんかいろいろやってたみたいなんですよね。
でまぁそんなヤナイ忠少年なんですけれども、これがね少年時代のエピソードがとにかくない。ないんだ。とにかくない。
これね本、今回のタネ本がユニクロっていうタイトルの本がありまして、去年出たのかな?すごい売れた本があるんですけれども、その本の内容をですね引用しますと、
とにかく目立たない大人しい性格の少年だったということだ。特に成績が優秀だったわけでもなく仲間をまとめるような存在でもない。後の成功を予感させるようなエピソードは皆無である。
ひどい言われようですよ。
ひどい言われようですね。
はい。ということでもうこれ以外のエピソードがなかったので、ちょっとここ飛ばしまして、そこからですね大学がですね早稲田大学入学します。
うん。
ということで東京へ上京するわけですね。でここでもね残念ながらエピソードがなく、もう毎日麻雀に明け暮れる日々と。
なんかあるでしょ。
なんかね何も書いてないんですよね。
へー。
でこれは本人のインタビューからの引用なんですけれども、当時は何もしたくなかった。仕事もしたくないし勉強もしたくない。だらだらだらだら生活をしていたと。
おー。
俺たちのことですよもうこんなの。
いやそうよ。あの時の俺じゃないかそれ。
そうですよ。その後どうなっていくのかと言うと就活の時期になるんですけれども、就活もする気ないと。
うんうん。
というよりねこれ親父さんからですね大きくなったら会社員にはなるなと言われてたらしいんですよ。
おー。
会社員になるよりも自分で商売する方がいいよと。
うんうん。
いうこと言われてたし、就活もしなくていいかと思ってぐたらしてたんですけれども、ちょっとあまりに何もしないなと親父も心配になり。
うん。
で親父さん結構ね影響力ある人なんでちょっと親父さんのコネでイオンに就職することになります。
イオンかー。
イオン。当時はジャスコですね。
はいはいはい。
イオンに就職して新卒として頑張っていくぞとなるかと思いきや、やる気が起きず俺はこんなことしていていいんだろうかということで10ヶ月で辞めます。
いいねー。元気をもらえる。
あの時の俺だ。
俺たちのことですよ。
俺たちのことだ。
ここまでは一緒ですから。
もう毎日あの幼稚園時代に戻りたいと思ってたもん。
そんなに戻る?
もう何も考えたくないっていう。
はいはいはい。
えーはいで10ヶ月で辞めてこっから新卒です。
いいねー。
何ヶ月かニートしてたんですけれどもちょっといろいろありまして父親から戻ってこいと言われて東京でのお気楽ニート生活が終わり、故郷山口県に戻ります。
山口県に戻ってきてやったのがさっき言ってた父親がやっていた新私服展これをお前に任せると言われてそこを見るというのがユニクロの原点ですね。
お父さんの影響ですね。
服屋への挑戦
お父さんのおかげです。
いや逆にお父さんいなかったらもうそのままニート真っ白でしょ。
そうですね。
すごい人の父親はすごい。
それはありますね。
ただねこれもねやっぱりいろいろ大変なんですね。
服屋さん新私服展あったんですけれども服屋さん2個持っててスーツを売ってる店ともう1個がバンっていうねちょっとカジュアル服。
分かります?VANバン。
VAN?
当時流行ってたらしい。
あーバンチャケットって出てきた。
その2つをやっていたわけですね。
でもうお父さんは正直建設会社の方をメインでやっていたのと建設会社やってると結構その政治家さんとのお付き合いみたいなのがあったりしてもう服屋に顔出すことがほとんどなかったんですね。
なんでもう実質この屋内ただしさん息子さんがね見ていたということで息子さんをただしさんは何と言ってもイオン出身ですから10ヶ月で辞めたけど。
それ出身って言っていいのか。
もうイオンで得たノウハウがあるわけなんで。
当時新しかったんですよね。
そのイオンのやり方っていうのが小売りのやり方というのがあってそこをね知ってるんでこの紳士服展を見てなんだこの効率の悪さはと何十年も同じやり方してるやないかと。
ということで店員さんの動きを見てもっとこうした方がいいぞということをチクチクチクチク言ってたらみんな嫌になって全員辞めちゃうんですね。
まあニートですからね。元ニートですからね。
元ニートがその親父のコネで来たなと。
そいつがなんか言うとるわと。
やってられんわということでみんな辞めちゃう。
正確には一人だけ残るんでその人と2人でまた1からのスタートみたいな形でこの服屋を運営するということなんですね。
ただやっぱりこの今までと同じこのスーツを売って店を回していくみたいなやり方は今後続かんぞっていう思いはずっと持っていたので何とかしないとなっていうのをずっと考えていてどうしようどうしようと。
そこからユインクロにつながっていくわけなんですけれどもユインクロにつながるヒントがですね2つ紹介します。
1つはねこれ小山さんも大好きレイクロックですね。
ドナルド帝国を築いた男レイクロック。
あの人の話聞くとね元気もらうんですよねなんか。
そうなんですか。
晩年成功してるじゃないですか。
15とかでしょやり始めたの。
なんでまだまだ自分にもワンチャンあるぞって思えるんで。
そうですよもう始めるのに遅すぎることないですから。
遅すぎることはないという元気をもらえる人ですね。
今日が残り人生の中で一番若いんですから。
何の話でしょ。
レイクロックの成功はゴミ箱の中にっていう本があるんでそれを読んで感銘を受けるんですね。
どこに感銘を受けたかというとレイクロックさんもともといろんな仕事をしてて最終的にこのミルクシェーキのメーカー機械の販売をしてたんですよね。
それでマクドナルドっていうハンバーガー屋と出会うと。
そのハンバーガー屋を見て昔の映画とか見るとそうなんですけどハンバーガー屋の店員ローラースケートみたいなのでこの駐車場に注文して。
車に持ってきてくれるタイプだね。
そういう時代だったんですけれどもセルフサービスですということで車降りて店の中に入って注文してそこで受け取るっていう方式とさらにスタッフの効率化された仕組み。
スタッフの動きを最小限にしてほぼ動かなくても済むように設計されたオペレーションとか店舗設計みたいなこれはすげーぞということでなるほど店舗運営というのは仕組み化が大事なんだなと。
手でそのまま食えるっていうのも画期的だったっていう話ですよねハンバーガーって。
昔のファーストフードってフォークとナイフでカチャカチャ食べるみたいなのが普通だったんだけどマクドナルドのハンバーガーって袋でがぶってかぶりつけれるじゃないですか。
当時このこれどうやって食べるんだっていう声が多かったみたいですね。
いやそのままもう思うがままにかぶりついてくれっていうのにみんな気に入ったらしい。
映画にそんなシーンありましたね。
あったあったでまぁ食べ終わった後のこの袋がゴミはそのゴミ箱に捨てればもうこれであなたの食事は終わりだと。
そういうところにすげーってなったね。
洗う手間もない。
洗う手間もないと。
そういうことです。
レイクロック。
そういう仕組み化をしていかないといけないなっていうのが一つと、もう一つヒントになったのが大学生教。
生教か。
大学の中にねありますよね。
ある。
本とか教科書とかいろいろ売ってる店が。
ありましたありました。
でそこに行った時にふと気づくんですね。
福屋ってやっぱ福屋に行くと定員さんが話しかけてくるのが当たり前だったんですよね。
最近はね少なくなってきましたけれども。
それは柳井さんも鬱陶しいなというふうに感じていたんだけれどもそれが当然だというふうにも思っていたので。
特にそこに疑問を感じなかったんだけれども。
大学生教って別に話しかけてこないよな。
他にも別に本屋に行っても話しかけてこないしCD屋とか行っても話しかけてこないなと。
福屋も別に話しかけなくていいんじゃねという当時としては画期的な考えだったんですよね。
話しかけずにセルフサービス方式だと。
そうなると巨大な本屋とかまさにそんな感じなんですけど。
店というより在庫が置いてある倉庫にお客さんが足を運んできて勝手に欲しいものを選んで買っていく。
これこそが画期的な小売りの仕組みじゃないかと思いつくわけですよ。
ということで誰でも好きな服を選んで買える巨大な倉庫を作ろうという計画がこのユニクロの出発点になりますと。
なるほどね。
店っていうのはお客さんとコミュニケーションを取って物を売るっていう場所っていう考えだったんだけれども、
いやもうそんなのいらん。倉庫でいいんだと。
倉庫にお客さんが来て好きな物を選んで買っていけばいいじゃんっていう。
なるほどね。
それは福屋からじゃなくてそういう他のお店の運営から着想を得て福屋でもできんじゃないかなっていうところがアイデアの原点だったわけですね。
経営者としての覚悟
アイデアというのは既存の物の組み合わせでできる。
なるほど。
さすがにこの頃になるともうちゃんと経営セナっていうマインドにビシッと変わって、
今後10年間でこうしていくみたいな計画とかを毎日ノートに書いたりして、役割を与えられる人は伸びる人っていうのがいるんでね。
でももっとニートでしょ?なんでそんないきなりやる気になるの?
やる気はやっぱ覚悟ですね。
覚悟か。俺らには覚悟が足らないのか。
覚悟が足りなかったかもしれないですね。
覚悟って何?
ヤナイさんの場合で言うと20歳そこそこでニートになり山口県故郷に戻り、
親父に店を任され、その時はまだ別に経営者だって意識はあんまないんですよ。
25歳の時に父親から通帳と印鑑バッと渡されて、あとはお前の好きなようにやれと言われて、
親父さんはすごいコツコツと商売をしてきた人なんで、
本当に一円を大事にしろと、信頼の積み重ねだということをずっと言っていて、
その蓄積が通帳の中に詰まってるわけですよね。
で、それを全部預かったという、この親父が築いてきた礎を俺がどうするのか。
そこでさすがにぐーたらな青年、ただしさんも、ちょっとちゃんと背ななっていう。
背地入ったわけか。
ユニクロの誕生
決まるわけですね。
どんどんとこの福屋を展開していかなければならないと思って、
さっき言ったユニクロのアイディアの元になるものを思いついて、
最初広島で店開くんですよ。
広島なんだ。近いもんね山口からね。
そうですね。そこがいわゆる1号店になるのかな。
当時の名前がユニーククロージングウェアハウスと。
ユニーククロージングかユニクロって。
そうですね。
知らなかった。
確かにね。
ユニーククロージングか。
特徴としてはね、やっぱり安いと。
このユニクロ1号店に置いていた商品ほとんどが1000円か1900円どちらか。
めちゃくちゃ安い。
そんな店が広島にオープンするぞということでオープンしたらですね、
なんとこれがもう人が鬼のようにあふれかえって。
でも本当にね、人が入ってきすぎて入り口から買った人が出れないという状態になって。
仕方ないから2階の裏口みたいなところを経由して出てってくださいだとか、
トイレの裏の裏口みたいなところに出てくださいみたいなことをする事態になるという大盛況で、
1号店は大当たりなんですよ。
ということでね、この矢内さんの構想は正しかったということなんですけれども、
まあ2号店大きく失敗したりだとかいろいろあるんですけれども、
ここでようやくユニクロというもののベースが生まれてきたと。
ユニクロの成長
なるほどね。今でもユニクロってもはやそんなに安くないよね。
そのファストファッションが出すぎて。
だって昔というか僕らが小学生ぐらいの時とかユニクロありましたけど、
ユニクロはダサいっていうイメージがあったよね。
でも佐藤嘉島さんがデザインしたじゃないですか。
CI入ったぐらいからちょっと変わったもんね。なんかイケてる感じになったもんね。
ロゴマークができてから。
昔のロゴも覚えてないな。
コマーシャルとかもひどかったもんね。ユニクロのコマーシャルとか。
大阪のおばちゃんがブワーやってきて、これいくらみたいなんで。
言うちゃ悪いけどひどかった。
ユニクロは恥ずかしいっていう印象がすごいあって、
みんな服買ってきてもタグ外すとかやってましたもんね。
ユニクロってバレないように。
やってたやってた。
YouTubeでCM1996ユニクロおばあさん下着編というのを一回検索してみて。
ひどい名前だな。
こういうコマーシャルが流れてたからね。
ユニクロは理由を問わず返品交換いたします。
これちょっと概要欄に貼っておきましょう。これ面白いから。
10秒ぐらいなんでちょっと見てほしい。
あー懐かしい。覚えてるわー。
こんなんだったよねユニクロね。
あーそうだこんなロゴでしたね。懐かしい。
昔はこういうイメージがあったけど、化けましたね。
佐藤柏さんすごいな。そう思うと。
懐かしい。
いつの間にかモデルも外人使うようになって。
そうですね。
もう世界に。
そうですねアパレル業界だと世界今3位ですね。
ギャップとかザラとかと並んでますもんねユニクロって。
1位わかります?1,2,3位。
今言ったのがトップ3?
もう一回いいですか?
ギャップ、ザラ、ユニクロ。
ギャップ、ザラ、ユニクロ。
違います。
違うんかいい。
ちなみにユニクロ3位は合ってます。
あ、そうなの?1位ギャップじゃないでしょ。2位ギャップ。
ギャップはベスト3入ってません。
あ、そうなの?
はい。
アパレルブランドで世界ナンバーワン?絶対わかる絶対わかる。
脱突ですよ。ユニクロの売上高ベースだと倍ぐらいありますね。
え、アパレルだね。倍ぐらいある。
ザラ?
正解。
1位ザラ。
ザラやザラや。
で、3位がユニクロのファーストリテーリングなんで2位は。
え、スポーツウェアとかも入るの?じゃあナイキとかすごいでしょ。
うーん、そこまで行くと違うのかな。ナイキはちょっとわかんないですね。
たぶんナイキとかめちゃくちゃすごいと思います。
まあでも違います。
ナイキじゃないんだ。え、ザラ1位2位が何かで3位がユニクロ?
はい。
何だろう。絶対知ってるよね。
絶対知ってますよ。
出てこない。今日もう疲れが溜まっていて答えたい。
こういう時はね、だいたいね、トウトンボリューを頭の中で歩くんですよ。
はいはいはい。
はい、ザラあった、ギャップあった、ユニクロあった。
え、ファッションブランドだよね。
はい。
え、高級ブランドとかもしかして売上高で言ったら?
いや、ビトンとかグッチとか。
うーん、じゃないです。
そういうのじゃないですよね。
あの、僕でも買ったことあります。
マジ?スポーツウェアブランドじゃないんでしょ?
あ、でも確かに、ナイキ入れるとナイキは。
いや、ナイキはすごいですよ。マジで。
入りますね。
ですが、純粋な服屋さんっていう感じかな、このランキング。
はいはいはいはい。
あ、でもちょっと待って。まあいいや。
まあ、もしこれちょっとね、どこまでこの会社を入れるのか入れないかみたいなので、結構変わるっぽいので。
まあ、そのザラとユニクロの間にあるメーカーをとりあえず当てましょう。
あ、わかった。
はい。
H&M。
あ、正解です。
うぇーい。
はいはいはい。あるあるドトンボリに。
あったわ。
ありましたね。
TSUTAYAの斜め前にあったわ。
あー。
はいはい。そうだそうだ。
もう、疲れてる時にこういう問題やめて。
問題かしら。
ギャップは、えーと、僕の見てるやつだと4位に入ってますね。
あ、そうなんだ。
で、スポーツブランド入れると、ナイキ、アディダス、ザラみたいな感じになる。
そうだよね。しかもナイキダントツでしょ。アディダスとかなり差は広げてんじゃない。
どうなんでしょうね。ちょっと今見てるデータ数字載ってなくて。
昔その辺調べたことあって、ナイキすげーってなったことがある。
さらにね、さらにナイキアディダスを含めると、ザラの上にですね、シーンが入ってますね。
シーンは、あれはブランドなの?
まあ、小売店ですかね。服屋。
そうか。え、セレクトショップじゃないんか、シーンって。
シーンはセレクトもあるし、それこそユニクロ的に自社でデザインしたやつも作ってますね。
あ、そうなんだ。
でもシーンも、なんかね、今は多分まだ安かろう悪かろうみたいな状況だと思うんすけど、
それと同じような感じだったですね、昔。ユニクロも。
確かに確かに。
安いけど、あんま着たくないなって。母親が勝手に買ってくる服みたいな。
そんな感じだった。パンツ3枚でなんか900円とかだったもんね。
ということでユニクロ、まあ広島にオープンしたのが1984年ですね。
そうですね、なのでそこでこの柳井さんは金脈を掘り当てたと言うんですね。
この今までの紳士服、スーツ。スーツなんてせいぜい年に1回とかしか買わないわけですよ。
一着確かに単価は高いけれども、在庫も結構持たなきゃいけないし、回転率も悪いし。
ヒーヒー言ってたと。がこの安いカジュアルウェアというところで、めちゃくちゃ回転率を上げて、
安くてもいいものをどんどん売ろうというところがこの柳井さんの金脈だと。
このユニクロ良かった点としては、カジュアル服は年齢も性別も関係なく需要がある。
さらにこの都心、その家賃の高い都心よりも郊外の方がむしろ人気がある。
当時そのようやく車というのがだいぶ普及が完了して、
ちょっと遠くても車乗って家族で出かけるっていうそこの需要にピタンとはまったというところと、
あとはトレンド追いかけなくてもベーシックなものを毎年同じものを作ってても、
それが需要が常にあるから安定して需要が見込めるっていうね。
っていうこの3点がユニクロのベースになってるんですけれども、
成功の秘訣
これを仕組み化できたということでユニクロどんと広がっていくっていうわけなんですね。
なるほど。
だからまあ仕組み化ですよ。
仕組み化か。
つまりここから学べることって、その仕組み化もそうですけど、ニートでも大丈夫ってことだね。
ニートでも、だからある日、多分運命の日が人生に1回はあると思うんですよ。
そのシンデレラキスを待っとけばいいんだね。
まあまあまあ、待ってたら人生には1回は多分あると思う。
ただその日にやっぱぼーっとしてると、
あの日だったっていう。
それ虚しいな。
もしかして俺の人生あれがワンチャン。
やめようその考えは。
あぶないあぶない。
そっか。
いやでもユニクロほんとすごいですよね。
ユニクロね、素晴らしいですよ。
こういうカジュアルな日常の服に目つけて展開していったっていうのは、
本当になるべくしてなったなっていう感じがします。
もう一つ成長のヒントとしては、
ユニクロ安くていい服を売ろうというところがコンセプトの一つなんですけれども、
これもある日急にきらめいたというよりは、他のところ見て気づいたんですけれども、
それは香港に行った時にジョルダーノというお店にふらっと入りましたと。
そしたらポロシャツがめっちゃ安いなと。
うちユニクロ、うちで売ってるポロシャツより安いぞと。
もううち限界だと思ってたけどまだ下げれんのかと。
いうのを不思議に思って、
そのジョルダーノというお店の創業者ジミーライさんという人に会いに行くんですね。
会いに行ってどうしてるんですかみたいな話を色々聞き出すんですけれども、
この詳しい人に会いに行くという。
それをさりげなくすごいこと言ったなと思って聞いてたんですよね今。
普通会いに行く?
行かない。
行かないっすよね。
そこがすげーわ。
そうですよね。
まして海外ですからね。
通訳連れて行くの?
いや、その時はそんな感じではなかったらしい。
逆にこのジミーライさんの奥さんが日本人だったんで、
ちょっと助けてもらいながらなんとかみたいなエピソードは書いてましたね。
いやー。
いやーこれですよ。
これや。
自分の頭で考えるよりも、
もう成功してる人がいるんだったらその人に教えをこうと。
うんうんうん。で会いに行って聞くと。
うん。電話しようと。
すげー。
気合いだ気合い。覚悟これが覚悟だね。
かもしれない確かに。
もうやるぞと決めてとにかく行動しまくると。
どんだけ難しそうに思えることもやっちまうと。
そうっすね。
いやーこういうことさらっとできるからすごいんすよ。
やっぱしつこさとも言われますからね。
起業家に大事な資質。
はいはいはい。もう会うまで引き下がらねーぞっていうね。
また来たのかおめ。
俺だったらメールの文章を考えるのに3日ぐらいかかりそうだな。
そうっすね。
ここもうちょっとこういう言い回しのほうがみたいな。
うーん。
いやそんなこといらんと。電話すりゃいいと。
そういうエピソードあります?
うーん。
ちょっと強引にどうしても会いたいんですって。
いやないですよそんなの。
ない。
僕の人生にそういうそこまで会いたいって強く渇望した人いないもん。
あー。
僕もねあんまないんですけど。
唯一覚えてるのは大学生の時なんですけど。
大学の僕メディア系の学校だったんで。
実習みたいな授業があって。
5分10分ぐらいの映像作品作らなきゃいけないっていうのがあって。
僕当時その起業家に憧れてたワナビー系の大学生だったんで。
ワナビー系大学生いいね。
それ系の人にせっかくだから話聞きたいなと思ったんですけど全くつてがないので。
昔名刺交換したエンジェル投資家の人っていう名刺があったのを思い出して。
エンジェル投資家が何か全く知らんがとりあえずこの人に行ったらなんとかなるんじゃねえかって。
電話して断られてるんですけど。
断られたけど当てがないからもう一回電話してっていうのを3回くらいやったら、
もういいよと来なよと言ってもらえたっていう経験は覚えてますね。
それで会えたの?
会いました。
こういう取材したいんですけど、起業家の人紹介してくれませんか?
創業のはじまり
だったら2人くらい紹介していただいて、それで無事撮影もできて。
こういう人が起業家なんだっていうね。
いい経験してるじゃないですか。
その時の気持ちを常に持ち続けていればもっと違ったかもしれないね。
なんかそこまでまず会いたい人を自分の中で見つけないとダメだよね。
でもなんか無意識のうちにそんな人に会えるわけないっていう風にフィルタリングしても考えない可能性がありますよね。
自分でブレーキかけちゃってるってこと?
そう。
俺もちょっと会いたい人を見つけよう。
電話しましょう。
でもよく考えれば会いたい人いっぱいいるでしょうね。
だって矢内さんとかにも会いたいもんね。
会いたいですね。
会いたいですよね。
本読んだでこの時どうだったんですかっていう話とかは今は聞きたいですね。
もっと貪欲に生きていかないとダメかもしれないですね。
でも本当そういうエピソードいろいろあるなと思って。
それこそ本当にちょっと具体例忘れちゃったんですけど、めちゃくちゃ会いたい人がいると。
この社長にどうしても会いたいけど連絡先がわからんと。
普通に電話しても繋いでもらえないどうしようっていうので。
おそらくこういうメールアドレスだろうなっていうこの人の名前からして。
メールにひたすら当たるまでメールし続けて。
そしたら返事もらえたっていう。
すごいな。それで当てんのすごいな。
いやーハリさんだいぶ気合い入ってるよそれ。
僕じゃないですよそれ。
ハリさんじゃないんだ。
皆さんそんな会いたい人いるんですか?コメント欄でぜひ教えてください。
参考にさせていただきたいです。
もうこの年なってなんかそんなに会いたい人って、そこまで自分の労力と時間割いてまで会いたい人って。
会いたい人か。会いたい人でもいいですし、聞きたいことがあるけど聞く人がいないなみたいな時に。
でも多分この人だったら知ってるだろうっていうのはあるんじゃないかなと思うんですよ。
聞きたいこともねよく考えればいっぱいあるよね経営に関してはね。
やっぱ本当はなんかわからないことがある時に答えを知ってそうな人に聞くべきなんだけど聞ける人に聞いちゃうじゃないですか。
むしろ聞かないよね俺。
そうなの?
自分の中で一旦答えはあるんでそれを信じてやっちゃうパターンの人ですね。
でも聞いた方が。
いやそうなよね。絶対聞いた方がいいよね。多分やり方間違ってるよね俺。
間違ってる答えとか効率の悪い答えをずっと信じてやってるっていうパターン。
あーうん。
そうだもっとあれか外からの意見取り入れた方がいいよね絶対。
たまにはやってみてもいいんじゃないですかね。
飲みに行ってもアホな話しかしてないからね。
それこそサードドアですよ。
普通にやっても会えない人に会うためにはそういうちょっと抜け道を探さないといけないんで。
秘密の通路をね。
押しても引いてもとかそういう次元じゃない違う道だね。
第三の扉か。
そうですよ。
これから俺どうしたらいいですか。
これから?まず電話しましょう。
中山さんだったらそうね。やっぱ三木谷さん?
僕7月30日に楽天のイベントで東京行きますんで。
来るんですか?
はい。
三木谷さんが。
来ると思いますけど。
そこでもう最後に質疑応答とかがあったら。
はい。
僕はこれから何をすればいいんですか?
なんだこいつって。
怖いな。
おかしいテンポが来てるぞって言われる。
あいつつまみ出せよ。
そこまでは言われてないじゃん。
そんなわけでこの矢内さんはね。
安いポロシャツを作っていた理由というのをちゃんと聞き出して。
でまあそれによってあのどうやらこの卸屋さんというのを通さずに直接工場とやり取りして作るということらしいぞというのを突き止めて。
そういうことですかと。
はい。
ということでこの自社製作路線SPAっていうね。
SPAっていうよね。
それにつながってきたってことか。
そうなんですよ。
ということでねここからまだまだね。
ユニクロ。
躍進もあり。
転落もあり。
転落もありという話があるのでちょっとねまた次回続き話そうかなと。
今後の展望
やるんですか。
そうですねなんかフリース販売とかヒートテックあの辺ぐらいまで行ってほしい気持ちはありますね。
そうですね。
結構身近なんでユニクロって本当にもう僕今40歳ですけど一緒に成長してきた感じがありますからね。
わかる。
本当になんか一緒に時代歩んだよねユニクロと。
歩んだのかな。
僕でもなんかある日急にユニクロがいいよねっていう風にある日急にパタンって裏返った感覚があるんですよね。
もうなんかあったらユニクロで買うみたいな。
うん。
そういうマインドで生きてきたんでね。
うんうんうんうん。
未だにGU1,2回しか行ったことない。
本当ですか。
でもGUもめっちゃいいらしいんで。
いいですよ。
GUとユニクロ何が違うのかわかんないですもん。
やっぱり品質が違うんかね。
ちょっと僕にはわかんないですね。
結構服ってこう着てるとやっぱり安物だなっていうのがわかりますからね。
こうなんか糸がビューって出てきたりとか。
ありますね。
洗濯したらもう一回でダメじゃんって。
洗濯したらもう首がすぐヨレヨレなるとか。
今ないですよね。
そういうの1000円ぐらいのTシャツとか買っても。
でも布巾とかはねやっぱりすぐ臭くなるやつとかあるよね。
やっぱあれねちゃんとこのノリが抜けてないんですよね。
雑巾が溜まりやすいんですよね。
ノリが抜けてないと。
なんでもううちはもう使い捨てですね。
あーわかります。
僕も100均のこの3枚入り雑巾を使って床掃除してそのまま捨てるっていう。
捨てるっていうね。
まあエコじゃないのかもしれないけど。
まあ。
いいでしょう。
はい。燃やすしね。
そういうね発明がねいろいろありますのでその辺もねちょっと面白いのでご紹介していきたいなと思いますのでぜひまたお楽しみにしていただけたらと思いますと。
ということで本日はユニクロの創業エピソードをご紹介してきました。
本日の感想をメールまたはApple PodcastのレビューはSpotifyのコメントボックスのコメントでお待ちしております。
二人でコメント欄を全て読んでいますので今後の番組に入力するためにあなたの感想や話してほしいテーマをお待ちしております。
ということで今週も聞いていただきありがとうございました。
また来週お会いしましょう。
さらば。