Ep.1578 Anthropicが創薬支援の初期成果を発表──分子設計から規制文書作成まで製薬6社と実証、自社創薬へも参入(2026年10月29日配信)
2026-10-29 10:16

Ep.1578 Anthropicが創薬支援の初期成果を発表──分子設計から規制文書作成まで製薬6社と実証、自社創薬へも参入(2026年10月29日配信)

タイトル


Anthropicが創薬支援の初期成果を発表──分子設計から規制文書作成まで製薬6社と実証、自社創薬へも参入


このエピソードで登場するキーワードを説明します。


Anthropic: 大規模言語モデル「Claude」シリーズを開発する米国のAI企業。2026年10月26日にIPO申請書類を公開した直後の10月27日、ライフサイエンス領域での包括的な創薬支援成果を発表した。


Generate Biomedicines: 機械学習とバイオハードウェアを用いてタンパク質医薬品を設計する米国のバイオテクノロジー企業。


Enveda: AIを活用して自然界の植物などから新薬候補を探索・開発する米国のバイオテクノロジー企業。


Mithril Medicine: 希少な小児筋ジストロフィーの治療薬開発を目的に設立された1人運営のバイオテクノロジー企業。今回Anthropicによって買収された。


コディ・トランバーガー: Mithril Medicineの創業者。Claudeを活用して外部の11の研究所と実験や契約を管理し、現在はAnthropicの社内研究者として創薬プログラムを率いている。


Claude Science: Anthropicが研究者向けに提供を開始した、科学データ分析や実験計画を支援するAIワークベンチ。


CAR-T細胞療法: 患者自身の免疫細胞を取り出し、がん細胞を攻撃するように遺伝子改変を加えて体内に戻す免疫療法。


IND (Investigational New Drug): 治験薬。米国食品医薬品局などの規制当局に対し、ヒトを対象とした臨床試験を開始するために提出する申請書類を指す。


それでは解説に入ります。


AIによる創薬支援といえば、これまでGoogle DeepMindのAlphaFoldに代表されるような「タンパク質の構造予測」や「初期の分子設計」に注目が集まりがちでした。しかし、実際に1つの新薬が世に出るまでには10年から15年の歳月と莫大なコストがかかっており、そのボトルネックは基礎研究だけでなく、製造工程の最適化や膨大な規制当局向け書類の作成、臨床試験の計画など、開発パイプラインのあらゆる場所に分散しています。米国時間の2026年10月27日、Anthropicは製薬大手やバイオベンチャー6社との共同研究を通じ、創薬プロセス全体に大規模言語モデル「Claude」を組み込んだ初期の実証成果を発表しました。前日の10月26日に新規株式公開に向けたS-1登録届出書を公開し、医療や生命科学を長期的な成長の柱に位置づけたばかりの同社にとって、その具体像を投資家や産業界に示す象徴的な発表となります。


今回の発表で最も興味深いのは、AIが単なるチャットボットとしてではなく、実験の計画からデータ解析、さらには事務作業までを自律的にこなすエージェントとして現場に深く入り込んでいる点です。まず分子や遺伝子の設計フェーズでは、Generate Biomedicinesの6人の科学者チームが「Claude Code」を用いてAIエージェントシステムを構築し、血液がんで実績のあるCAR-T細胞療法を固形がんにも応用するための遺伝子配列の再設計に挑みました。免疫細胞に攻撃指令を出すシグナル伝達ドメインと呼ばれる部分を短くし、他の機能を詰め込む空き容量を作ることが目的でしたが、Claudeが提案した186種類のデザインを実験した結果、標準的な配列より約70パーセント短いにもかかわらず、細胞表面の受容体を約10倍多く生成し、腫瘍細胞をより効率的に殺傷できる設計が見つかりました。


また、食物アレルギー治療薬を開発するDivergence Labsとの取り組みでは、免疫細胞に結合したIgE抗体を直接引き剥がすという高度な二腕型抗体の設計にClaudeが投入されました。ClaudeはNVIDIAのH100 GPU上で合計約2750時間にわたる22回の自律作業セッションを実行し、約1カ月間でおよそ3万5000種類の抗体デザインを生成しました。その中から実験に進んだ候補のうち、3種類が既存の承認薬であるゾレアを上回る効率でIgEを引き剥がすことに成功しています。従来なら最大9カ月を要していたアイデアから初期実験までの工程が、わずか3週間から4週間半へと劇的に短縮されました。


さらに、ウェットラボでの実験ループの最適化でもAIの分析力が威力を発揮しています。自動化された実験施設を持つBigHat Biosciencesとのプロジェクトでは、実験データ管理システムに直接接続されたClaudeが約10週間にわたり約1010種類の抗体フラグメントの変異体を提案・検証しました。その途中で「熱安定性や凝集性を測る従来の評価指標が実態を正しく反映していないのではないか」という疑問が浮上した際、Claudeは生データを再解析して新たな評価指標と実験プロトコルの変更を提案しました。結果として、元の分子よりも結合力が6倍から9倍強く、耐熱性が8度から18度高い有望な分子の獲得に至っています。


一方で、製薬業界の隠れた最大のボトルネックとも言える「書類作成と監査」の領域で圧倒的な投資対効果を示したのが、Envedaとの事例です。新薬の臨床試験を行うには、製造された各バッチが厳格な品質基準を満たしていることを示す膨大な記録を米食品医薬品局などの規制当局に提出する必要があり、同社の製造化学者は労働時間の最大75パーセントを書類作業に奪われていました。そこで第2相臨床試験に向けた1061ページに及ぶ製造記録の監査にClaudeを導入したところ、人間のレビュアー2組と外部コンサルタントが見つけた11件の不備をすべて検出しただけでなく、人間が見落としていた7件の新たな問題まで洗い出しました。これにより、従来25.9時間かかっていた監査時間が2.8時間へと89パーセント削減されています。さらに、手作業では約3カ月を要していた治験薬申請書類のモジュール2の初稿をわずか4時間で書き上げ、プロのメディカルライターと同等の品質と評価されました。


このほか、大手製薬企業のBristol Myers Squibbとは早期臨床試験のデータ分析と成功確率の予測で提携し、数日かかっていた開発オプションの評価を1回のプロンプトから迅速に導き出す実証を進めています。また、バイオ系ベンチャーキャピタルのThe Column Groupとは、少人数のチームでもClaudeを活用して多数の創薬プログラムを並行稼働させる新会社「Pleiades」を立ち上げ、ハイリスク・ハイリターンな新薬開発への投資ハードルを下げる試みも開始しました。


そして今回、業界を最も驚かせたのは、Anthropic自身がパートナー支援にとどまらず「自前の創薬プログラム」に乗り出したことです。同社は、希少な小児筋ジストロフィーの治療薬を開発していた「Mithril Medicine」という1人運営のバイオスタートアップを買収したことを明らかにしました。創業者のコディ・トランバーガー氏は、外部の11の受託研究機関との契約書作成から物流手配、実験計画の管理までをClaudeに委任することで、通常なら大所帯のチームが必要な創薬プロジェクトをたった1人で回し、アイデア段階からわずか18カ月未満でマウス実験における筋機能改善の確認まで到達させました。現在トランバーガー氏はAnthropicの社内研究者として研究を継続しており、順調に進めば2028年後半にもヒトでの臨床試験を開始できる見通しです。


もっとも、Anthropicや外部の専門家たちは、今回の成果がまだ「前臨床段階」、つまり試験管内やマウスでの初期実験にとどまっていることを強調しています。AIによって有望な分子候補を見つけるスピードや書類作成の効率が劇的に上がったとしても、実際にヒトの体内に投与した際の安全性や薬物動態、そして数年がかりで行われる臨床試験の厳しい壁そのものが消えたわけではありません。また、実験の途中で行き詰まった際にどのタイミングで方針転換するかといった大局的な判断においては、依然として人間の科学者の知見が不可欠であることも報告されています。


それでも、Anthropicはライフサイエンス分野への展開を本格化させるため、研究者向けワークベンチ「Claude Science」の提供を開始するとともに、生物兵器への悪用を防ぐ安全制限を維持しつつ正当な医学研究にはより踏み込んだモデルの利用を認める「ライフサイエンス認証プログラム」を創設しました。創薬の一部分だけをAI化するのではなく、基礎研究から製造監査、治験計画、さらには1人バイオ企業の運営までを丸ごとエージェントで加速させる今回のアプローチは、高騰し続ける医薬品開発コストの構造を根本から変える大きな転換点となりそうです。


今回のエピソードは以上で終了です。また次回お会いしましょう。

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