「それって数字で説明できる?」
これはエンタメ企業で事業統括やプロデューサーをやっていた頃、何度も言われた言葉なのですが、会社にいると、これをほんとうによく言われますよね。だけど今日は、その逆の思考について書きます。
クリエイティブを殺さないほうが、結果的に儲かるし、成功するよね。という話です。
もちろん、「数字で説明しろ」が悪いわけじゃないんです。上司に、株主に、役員会に。説明でいちばん通りがいいのは、いつだって数字です。誰が見ても、同じ意味に受け取れる。感想やこだわりは人によってブレるけど、数字はブレない。大勢が同じ絵を見て動く会社では、数字がいちばん、全員が納得できるんですよね。だから、数字そのものは、悪者じゃないんです。
ではなぜ、才能を殺さないほうが儲かるのか。
どうやって才能は殺されていくのか
漫画を例に見ていきます。一巻の漫画を出したとします。
初版で刷るのは、いまの時代は新人作家ならだいたい5,000部から7,000部くらいと言われています。それが売れて、半分を過ぎたあたりで重版がかかる。悪くない滑り出しです。でも、会社として編集部として正直に言えば「ものすごく、すごいこと」ではありません。「良かった」くらいの話です。
この例から分かる通り、「良かった」「すごい」と評価するとき、いちばん手っ取り早いのは数字です。何部刷って、何部売れて、いくら回収できたか。全部、数字で出ます。出せてしまいます。外から見ていると、それで十分に思えます。売れたなら成功、売れなかったなら失敗。分かりやすい。
でも、わたしはその分かりやすさが、いちばん怖いと思うんですよね。数字はきれいに見える分、それだけ正解か不正解か、成功か失敗か、すぐに烙印を押されるからです。失敗したら終了、成功しても次の3巻でまた数字を見る。次は5巻。正しいんですが、その判断だけだと、結果的にほとんどの漫画がすぐに連載終了になってしまいます。
なぜか。「すごい」「過去最高」のような数字をつくる作品は、めったに出ないからです。だとすると、本当に見るべきなのは「その一巻でいくら売れたか」ではなくなってきます。
その一巻が、どれくらい話題になったのか。読者の中に何が残ったのか。作家性のなにを出せているか。など、つまりプロセスです。そしてもうひとつ、そもそも自分たちは、この一冊を「何をもって成功とするか」を決めていたのか。未来の成功の定義です。
プロセスと、未来の成功定義。このふたつは、初版の部数には映りません。
そして、ここを見極めるのに、数字的な視点だけではなく、クリエイティブの視点がいります。「この作家は、次にこう化ける」「この読者の熱は、こういう順番で育つ」。まだ数字になっていないものを読む力です。センスとも言いますよね。
ここが金融的なルール、つまり目先の数字を健全に伸ばせるかどうかだけで判断することに縛られすぎると、どうなるか。みんなが目の前の数字だけを追いかけるようになります。現場が、少しずつ息苦しくなっていきます。
そして、いちばん割を食うのが、クリエイター(作家含む)です。数字にならない工夫や粘りが評価されないので、クリエイティブな部分から順番に削られていく。最後には、クリエイター自身が生きづらくなって、離れていきます。
これが、じわじわ効いてくる殺し方です。でも誰も、殺したつもりがないのが一番怖いんですよね。
では、才能を殺さないためには、なにをどうやって見ていくべきか。先に結論を言うと、一発では見抜けません。二度目以降の打席で、差が出るからです。
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ほぼ全員が二度目以降で当てている
残酷なようですが、まずデータの話をします。
ハーバードの研究者たちが、1万社を超えるベンチャー投資先を調べた研究があります(過去に成功した起業家は次も30%成功する。初回は18%)。一度成功した起業家が、次も成功する確率はおよそ30パーセント。初めて挑む人は18パーセント。ここでよくある物語は「一度失敗した人は、そのぶん次に当たる」ですが、データはそう言っていません。過去に失敗した起業家の次の成功率は20パーセントで、初回の18パーセントと、ほとんど変わらないんです。
つまり、失敗そのものは、次の成功を保証してくれません。
この研究がほんとうに示しているのは、別のことです。当たる人は、二度目、三度目の打席で当てている。実績は、打席の数だけ積み上がっていく。一度の数字で打席を取り上げてしまうと、その人がいつか当たる人だったのかどうかを、永遠に分からなくしてしまうのです。
漫画の世界だと、これがもう、笑ってしまうくらい、はっきり見えます。
久保帯人さんの最初の連載『ZOMBIEPOWDER.(ゾンビパウダー)』は、全4巻で終わりました。
事実上の打ち切りです。その次に描いた『BLEACH(ブリーチ)』は、全74巻、15年続く大ヒットになりました(『ZOMBIEPOWDER.』は未完で終わり、次の『BLEACH』が15年続いた)。
堀越耕平さんも、デビュー連載を打ち切られたあとに『僕のヒーローアカデミア』を描き、世界累計1億部を超えています。
田中靖規さんの初連載は15話で打ち切り。鍵人など複数本連載〜打ち切りを経験したのちに『サマータイムレンダ』を当てました。
これは、漫画にかぎった話ではありません。
イーロン・マスクのSpaceXは、ロケットの打ち上げに3回連続で失敗し、会社は倒産寸前まで追い込まれました。4回目で、ようやく軌道に届いた。もし3回目で打席を取り上げられていたら、いまの火星の話は、まるごと存在していません(SpaceXは3回失敗し倒産寸前で、4回目にやっと軌道に届いた話は有名ですね)。
ウォルト・ディズニーが最初につくった会社も、あっけなく倒産しています。彼はそのあと、汽車でハリウッドへ渡り、ミッキーマウスを生みました。
任天堂にいたっては、ゲーム会社になる前、タクシー事業もインスタントライスも、手を出しては外し続けていました。いま世界を動かしている名前も、たいていは二度目以降の打席で当てているんです。
ここまで来ると、「殺す」の正体も、はっきり見えてきます。
才能を殺す正体
つまり才能を殺すのに、一番シンプルなのは打席に立たせないことです。面と向かって、連載作品や事業計画への否定も、予算のカットも要りません。一度やって数字が伸びなかったから、その人にはもう任せない。二度目は金を出さない。投資しない。打席に立たせない。それだけでいいんです。それだけで、誰も手を汚さずに、才能を一人、静かに見送れます。
とはいえ、勘違いしてほしくないのは、才能を殺さないために、「何度でもお金を出し続けろ」という話ではないことです。上で書いたように、失敗そのものは、20パーセントしか保証しません。当てずっぽうに打席を配り続けるのは、ただの浪費です。
シリコンバレーで「何度でも挑み続けられる起業家に賭けろ」と言われるのは、理由が超単純で、一度失敗しても次の打席に立てる人が、そもそもめったにいないからです。投資を受けられるかどうか関係なく、そもそも失敗しても次の挑戦をする人が少ないんですよね。
失敗したから当たるのではありません。失敗しても続けられること自体が、まれな才能なんですよね。
だからこの事実の下には、二度目にたどり着けなかった、数えきれない一度目の打席があります。打ち切られた読み切り、日の目を見なかった企画。立ち上がらなかった事業。解散した会社や組織。そのひとつひとつは、才能がなかったから消えたのではありません。二度目の打席が、回ってこなかっただけです。
なぜ一打席目で終わってしまうのか
では、なぜ一度の数字で切ってしまうのが、これほどもったいないのか。ここも大事ですよね。いま、値段がぐんぐん上がっているものがあります。「センス」と「はじめる力」です。
反対に、値段が下がっているのは「調べればわかること」のほうです。論理的に正しい答え、データ上の正解。正しい判断。その手のものは、AIがどんどん安くしています。わたし自身、AIに調べさせ書かせる仕組みを日々まわしていて、昨日まで人が半日かけた正解が、今日は数十円で出る光景を、自分の手で起こしています。
正解が安くなるほど、正解では手に入らないもの、つまりセンスや、何度も打席に立つ力の値段は、相対的に上がっていきます。
さっきのデータが、それを裏づけていました。当てた人は、ほぼ全員が二度目以降で当てている。だからこれからは、才能のある人が、何度もはじめることで成功する。AIが、その流れをさらに加速させています。
ところが、会社のお金は、いまも「調べればわかること」の側にしか流れないようにできています。予算も、稟議も、投資も、ぜんぶ説明で動くからです。説明できないものには、お金がつかない。
つまり、これからいちばん値上がりするものに、いちばんお金が流れていない。
だから、才能を殺さないというのは、優しさの話じゃないんです。投資を正しい方向へ持っていく。結局才能に投資したほうが、結局儲かるよね、という話です。
才能を殺す人、生かす人の差
以上を踏まえて、才能を殺す人と、生かす人。差は一つだけです。
数字を大事にするかどうか、ではありません。数字は、どちらも大事にしています。違うのは、その「先」です。先を語れる人は、いま数字になっていないものが、これからどこへ値上がりしていくのかが見えている。だから、いま追う数字にちゃんと意味を与えられるし、一度の打席で人を切らずにいられます。
先を語れない人が上に立つと、渡せるものが「数字だけ」になります。行き先を示せないから、クリエイターに、ただ数字だけを要求することになる。クリエイターは、何のために削られているのか分からないまま、削られていきます。
とはいえ、「未来も語れて、数字も作れるスーパーマンになれ」という話ではありません。両方を高いレベルで持つ人は、そもそもほとんどいない。イーロンのような人は、例外中の例外です。あれを基準にすると、全員が失格になります。
でもね、1人で両方を背負う必要は、最初からないんです。ペアで持てばいい。
漫画がいちばん分かりやすいです。とんでもない世界を描く漫画家と、それを世に出す道筋を引く編集者(出版社)。片方が調べてもわからないことに賭けて、もう片方が、それを数字と締め切りの世界に着地させる。
会社も同じ形が組めます。未来を信じて語れるクリエイティブなトップと、それを事業として支えるCOOやCFO(経営や財務を担う役員)。役割を分ければいい。
このとき、支える側に要るのは、数字を締める力だけではありません。トップが見ている未来を、一緒に信じられること。ここが冷めていると、結局は「数字だけを求める人」になって、殺す側にまわってしまいます。
だから、才能を殺しているのは、数字を求める人ではないんです。数字しか語れないけど、それで才能を殺していると気づかずにいる人です。
これは「語れない人が悪い人だ」という話ではありません。悪意は、どこにもないんだと思います。正しいことをしようとしているから。悪意などないまま、殺せてしまう。だからこそ、一番やっかいなのだとも思います。
それに、先を語る力は、生まれつきの才能ではありません。いまは持っていないだけで、後から身につけられるものだと、わたしは思っています。
気づくと、取り込まれています
ここまで偉そうに書いてきたので、じつは自分がいちばん危ない、という話もしておきます。
わたし自身、油断するとすぐ数字の側へ取り込まれます。この記事を書いている途中でさえ、「この主張、裏づけの数字あるっけ」と手が止まったんですよね。数字を疑う記事を、数字で守ろうとしている。おかしな話です。
だから、意識して距離を置くようにしています。頭を使いすぎない時間を、わざと作る。論理で詰めるのではなく、感覚で「こっちがいい」と決めていい時間を確保する。放っておくと勝手に数字側へ引っぱられるので、意識的にやらないと、すぐ戻ってしまいます。
才能を殺さないほうが、結果的に、儲かる。
そう書いた以上、まず自分で証明しないと、格好がつきません。だからわたしは、まず自分が、とんでもなくかっこいいものを作ろうかと思います。
それでは。朝日けけ。
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