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自分時間を大切にしたいともこです。50代からインスタやTikTokの発信を始めて、見てどうだったか、出身者の視点で本音で話しています。
よかったら聞いていってね。
今日は、発信において嘘はつかない方がいいよっていうことをお話したいと思います。
これはね、別にモラルとして嘘はつかない方がいいよっていう、そういう話ではなくて、
やっぱり嘘をついてしまうと、だんだん嘘を突き通せなくなってしまうというか、苦しくなるからやめた方がいいよっていうような、そういう話です。
例えばね、わかりやすい例で言うと、
例えば私は子供がお弁当を忘れていってしまって、それですっごい悲しかったし、怒っちゃったし、つらかったんだよっていう投稿をしたことがあったんです。
それに対してね、例えば私がちょっとそれを美談にしようと思って、お弁当を忘れた時代がかわいそうだったから学校に届けたんですとかっていうふうにすると嘘になってしまうでしょ。
そうすると、例えばコメントとか来た時に、コメント返しとかっていうふうにしててもね、だんだんずれていっちゃうから、とても本人がつらくなっちゃうと思うんです。
だからそうじゃなくて、やっぱりあくまでもこうやったらお話が面白いなとか、こうやったらきっとフォロワーさんに受けるなとかっていうふうに思ったとしても、それはやらない方がいいっていう話です。
それはモラルとしてっていうんじゃなくて、自分が苦しくなるから。
私ね、これ嘘ではないと思っているのはね、いろんな何か出来事っていうのはどっちから見るかっていうので全然違うふうに聞こえるっていうことがあるじゃない。
例えば何だろう、お弁当忘れの例で言ったら、例えば話の持っていきようによってはね、お弁当を私が作ったお弁当を限界に置いとけば子どもは忘れなかったかもしれないですねっていう教訓メーターお話しすることもできたと思うし、
それからあと何だろう、そんなね、自分に余裕がない時は無理してお弁当を作らなくたっていいじゃないかって、まあね、その方が双方ねリラックスして朝が過ごせますよねとかっていう話にもできたと思うし、
そこで嘘はないから、結構物事っていうのはどういうふうに事実、出来事は一つなんだけど、どう話すかによってどういうコンテンツにするっていうのは結構どうにでも自由にできてしまう。
でも嘘をついちゃうと、なんかあれどういう話だったっけって、なんかどっかでずれてきてしまうから、それはしなくても十分コンテンツとして物事を横から見たり、裏から見たり、真上から見たり、それをどういう話を持っていくかによって全然違うように見えるし、
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それからね、私すごく思ったのが、自分の学びによって、その時はそういうふうな物事の捉え方しかできなかったけれども、いろいろ学んだり経験を積んでいったら、あ、なんかこういう捉え方もできるなっていう同じ事実でも捉え方が変わることもある。
その時も嘘をついていなければ、最後はつながる。私そういうふうに思っています。ちょっとでもちょっと良くしようとか面白くしようとして物事の事実を変えてしまうと、段階が変わった時につながらなくなっちゃうから、だからそれは私気をつけています。
はい、今日は以上です。聞いてくださってありがとう。