幸いにも部屋にお杉の友達がいて喧嘩を止めてくれたんだけど、
もしその友達がいなかったら首を絞めてどちらか死んでいたと思うくらいものすごい喧嘩だったの。
ほら心は女でも腕力はやっぱり男だから。
いろいろ20世紀を感じさせるな。
そんなのがあってですね。
そうしたら翌日に阿波屋さんに叱られたエピソードがありますね。
その次の日の夜、阿波屋さんに二人で会ったら烈火のごとく怒られたわ。
あたたちどうしたの。みっともない。ほんとどうしようもないねって。
傷だらけだったのかしら。
そうみたいですね。なんか目の横に漫画みたいな青技を作っていた。
お杉は口を切っちゃって血の跡がついていた。
みたいな。そういう大喧嘩があったみたいな。
大変だな。双子といえども。
お杉とピーコは双子でね。
知らない人は、今時の人は知らないんじゃないですか。
年齢調査して同い年くらいの人が多いから問題はないと思いつつ半分くらいは大丈夫だとしても若い人も聞いていたりするので。
知らないと思うんですけどお杉とピーコは双子です。
その双子のエピソードなんかもいろいろ取り上げられてはいるんですけど、
興味のある人はですね、図書館に入っているかどうかわかんないですが。
そうですね。こういう本って図書館に入るのかね。でも普通ラインナップでね、入ったりとかしたいとこですけど。
国会図書館にはあるかもしれませんが。
ありますね。絶対。
ちょっとですね。
友蔵文庫で貸してくれるそうなので。
二次芝に来ていただいたときに読みたいですって言ったら持参しますので。
で、私今回取り上げたいのは、基本的にはね、お杉さんの、お杉さんじゃない、ピーコさんの反省を、
ピーコさんが幼少時代からお母さんお父さんとのそういう関係性であったりとか、
あとはお杉さんとの関係性であったりとか、っていう生き様的な部分であったりとか。
あとピーコさんの左目をね、89年に取っちゃったというのがありまして。
あれ病気?がんかなんかだった?
そうですね。盲膜剥離をしたんだけども、その盲膜剥離の原因が目のがんだったということで。
で、それで幸い定員をしてなかったのでよかったんだけどということで、それで左目をテキストしたっていうことで。
だからその左目取って以降は、ピーコさんワイドショー出るときにサングラスをするようになったんですね。
で、義眼を入れてたんだけども、その義眼であることがやっぱり、ちょっとぼかすためにサングラスをして出てたっていうことで。
自分はだから、そういう紫色っぽいサングラス、カラーグラスをしたピーコさんの印象がすごい強かったですね。
で、第一章がですね、タイトルで言うと、お釜恋愛セックス自立っていうタイトルの、ある意味ピーコさんの言い方を述べているような章となってまして、
で、第二章以降がそういう反省振り返りみたいな感じだったんですね。
で、ピーコさん、ゲイ業界というか、ゲイアクティビズム界隈からは、結構両論というか、賛否両論あるような印象を結構持っていて、
ピーコさんが出たことで、テレビで活躍したことで、かえって偏見が強まったみたいなことを言う人もいれば。
逆にピーコさんが出て、いろいろ言ってくれることで、救われたっていうか、
その存在が自分の存在を許しているっていう感じになる人もいて、どっちもいるでしょうね。
どっちもいたのかな。
でもゲイアクティビズム業界は、ちょっと煙たい相手というか、ゲイイコールオネェみたいなね。
血の悪いオネェみたいなステロタイプを助長するんじゃないかみたいなノリだったのと、
ピーコも後半そんなことは言わなくなったけど、前半はそういうゲイはひっそり、
インカ植物のように系の人だったから、ゲイとかそういうのも、リブとかそういうのちょっと嫌だ。
みたいなことを言ってたからね。実際表でね。
80年代くらいの雑誌とかにピーコさんの発言とかだと、そんな感じのノリもあったのかな。
ただこの本だと、もうちょっと詳しく自分の立場を言ってるというか、その辺がちょっといろいろ述べられているところがありまして、
ゲイであることは生活そのものだとピーコは言ってまして、ちょっと読み上げますね。
ほら、カミングアウトしてムーブメントを作ってるゲイの人たちがいるでしょ。
あの人たちは自分たちの存在を社会に認めさせたいと思ってるわけでしょ。
でも私は自分を認めてもらえなくても全然構わない。
私とオスギはただゲイとしてゲイの生活をしているだけなの。
たくさんの人にたくさん見られているゲイの生活。
で、この双子のゲイの生活をちょこちょこ垣間見ているうちに、分かる人も出てくる。
朝から晩まで男と布団に入っているゲイばっかりじゃないんだって。
それが私でありオスギ。
そもそもゲイは男とのセックスのことばかり考えているってステレオタイプな偏見があるわけ。
でもセックスばかりじゃなくて、ファッションのことだって、映画のことだって、音楽のことだって、食べることだって、飲むことだって分かってるってゲイも言うってことなのよ。
ゲイというだけで人くくりに敷いちゃいがちなのね。ゲイじゃない人は。
ほんとステレオタイプ。みたいなね。そんな感じで。
そうですね。かなり価値観的にもこなれてきているというか、
多分恐らく本当にね、やっぱり不中青年の家やかの時代の前と後ろで、
まあだからちょうどその事件が起こった頃とかそのちょっと後ぐらいはまだ逆にネガティブなことを自分たちでも言わなきゃいけない状況ってのがあったと思うけど、
2000年ぐらいだとちょうどそのソフトランディングして、あるべき形というか本人たちもそんな無理して突っ張って、
そういう人たちと自分は違うんですって言わなくても済むようになってきているのと同時に、
それ以外のやり方もあるよねっていう言い方も可能になってきているんだと思う。
そうですね。まあゲイはセックスばかりみたいな。結局そのゲイ雑誌とかを見ると、
当時のゲイ雑誌の状況でもやっぱ基本は男性の氾濫のねグラビアだったりとか、
まあ出会いが中心だったりみたいな、まあそういうところもあったかなって。
そうじゃないところはだって一緒だから買う必要ないしっていうところもあるじゃないですか。
まあなのでね、そういうところでそのゲイって聞くとセクシャルな部分だけが当時はイメージされている部分があったところで、
まあB子としてはそうじゃなくて、そういう文化的なところにも関心があるんだよみたいなことを伝えるために、
メディアに出ているんだみたいなそういう自負があったっていうところがあったのかもしれないですね。
ちょっと続きなんですけども、
でもね一部のゲイの考えもステレオタイプだったりするからお互い様かもしれない。
だいたいゲイじゃなくても何かムーブメントしている人のいなくて切って、ステレオタイプな枠から出てはいけないんだよね。
フェミニズムともそのあたりに似てるわね。
ステレオタイプのゲイの意見では他を否定してゲイであることが世の中で一番素晴らしいと言いがちになっちゃう。
他人を認めないで自分だけを受け入れてくれるなんていうのはいつまで経ってもダメだと思う。
だから私はゲイのムーブメントに参加しようとは思わない。
私は私。ただゲイだからって言って他のゲイと同じじゃないんだから。
ヘテロの人間だって朝から晩まで布団の中で女とやっていた男もいるし、
全然淡白な人もいるし、泥棒もいれば大学教授もいればいろいろでしょ。
ゲイもそれと一緒。みんながみんな同じってわけじゃない。みたいな感じですかね。
ここで私はゲイのムーブメントに参加しようと思わないとはっきりとは言っていて、
だから美子さんが当時始まったばっかりのレインボープライドパレードに出てきたかというと出てきてはいないということですね。
これが2001年に語られていることだとするならば、ブレズにずっと自分は自分をやり続けられたし、
そうやって発言し続ける人がいたのは、今となっては多様性の一つ。