vol.64 VQの日
2026-05-29 22:17

vol.64 VQの日

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回の「五感でつながる開運ラジオ」では、先日開催された第1回「Vision Questの日(VQの日)」の振り返りが行われました。ネイティブアメリカンの教えにある「そうびーっと(そのようになっていく)」という言葉を軸に、Vision Questがどのように始まり、12年かけて「拡大家族」のような場へと変化してきたかが語られます。中心にあるのは、互いを尊重し、ありのままを受け入れ合う「話す・聞く」という核となる活動であり、それが参加者に深い安心感と親戚のような繋がりをもたらしていることが語られました。

Vision Questの日(VQの日)の開催と「そうびーっと」
五感でつながる開運ラジオ はじまりはじまり
このラジオは、聞くだけで運が開けていく。 今、そこにあるものに気づいていく。
人生の可能性を開くコミュニティ、Vision Quest主催の5個の、 そしてその仲間たちが気づきや学びをシェアするラジオです。
はい。
はい。
ということで、今日の収録は、つい、おととい、開催いたしました、第1回Vision Questの日、VQの日。
はい。
今、思うことを話す、聞くで、お届けしたいなと。
はい。
それがたぶん、五感でつながる開運ラジオに通せると言うもん。
たぶん、つながるだろう。
違いないと。
はい。
今回は、小倉さんが話す、私が聞く。
次回、秋田が話す、小倉聞くで、行こうかって話をね、さっき聞きましたけども。
はい。
はい。
小倉さん。
そうですね。
まだホットな余韻が残ってる感じですけどね。
そうなんですよ。本当に大きな1日だったので、
まだ、2日経ったとはいえ、ちょっとまだその中にいるような、だからこの客観的に何かを、
こうだったねって、見るにはちょっと近すぎる感じはあるんだけど、
他にも本当は伝えたこと、きっとたくさんあるはずなんだけど、
あえて、私としては思うのは、
私たちほら、ネイティブアメリカの教えを大事にしてるじゃないですか。
そうね。師匠がいるからね。
そうそう。で、その中で、ネイティブアメリカに限らない言い回しなのかもしれないけど、
そうびーっとっていうのがあるでしょ。
そうびーっとね。
そのようになっていくっていう。
で、それを改めて、こういうことなのかもしれないなってちょっと思ったんだよねっていうのがあって、
そうびーっとの説明ちょっとだけしておこうか。
Vision Questの始まりと変遷
そうだね。
そうびーっと。
そうびーっとね。
そのようである、そのようであれっていう、祈りの言葉のようなのがあって、
それこそキリスト教のアーメン、エイメンっていうのも意味合いとしてはそうびーっとっていう、
そのようであれっていうような言葉、意味合いらしいんだけども、
そのようである。
なかなかそのようでありきれないよね。
そうね。あるべしとか、ありたいとかね、今はそうじゃないっていう中で何とかしようとしてるみたいなことはね、
自分自身も含め、あるよね、よくね。
ただなんかね、本当にお日様に向かって太陽が向きを、太陽じゃなくて、
ひまわりが向きを変えるように、葉っぱが伸びていくように、そのようになっていくっていう、
本当にこう種がさ、ひまわりの種であると全部ああいう形をしているとかね、
朝顔のタオルであるとみんな黒くて、ちょっと丸っこい感じだったりするわけだけど、
一つとして同じような花が咲くようなものがないわけで、
その種が持っているしかない育ち方というかさ、っていうのがきっとあるんだと思うんだけど、
本当にだから私が12年前に始めたときって、
これ何度も話してる話だから聞いてる人には繰り返しになるんだけれども、
私がビズリーチっていうところに行って人事にいたときに、
何か企画をしようってなったときに、
私がいつもランチとかで話を聞いている荒沢女子たちが、
すごい迷っているっていう、本当選択肢が多いから迷うんだけど、
迷っている姿を見たときに、ちょっとだけ先輩の、言ってみたらロールモデルみたいなことだと思うけど、
人たちの姿が、ちょっと背中を追いかけられるみたいな人たちの姿がリアルに感じられて、
本を読むとかっていうのもいいんだけど、肉性で感じられたらすごく何か頼りになるんじゃないのかなと思って、
トークイベント、交流会みたいなのをしたのが、本当にビジョンクエストっていうものの始まりなんだよね。
その時に、これからどうしようの先にある私っていうのを掲げて、やっていったんだけど、
私がミスリッチを辞めるタイミングが来て、でもその活動は、そのまま持って出てっていうのも変なんだけども、
会社を辞めても続けたという話だよね。
その旅ごとに、ちょっとずつ、何かこれもっといいやり方あるんじゃないのかなとか、
もっとこんな感じの方が自分らしいかなとかって言って、相当変遷してきてるっていう感じはあって、
最初だから本当にちゃんとした感じのね、みんなお仕事帰りのみたいな感じだったけど、
食事会とかの方が自分っぽいかなと思って、ご飯とトークイベントみたいなのをくっつけてみたりとか、
そうこうしてる間にここの都道が立って、そこの場を使って、いろんな人を呼んで話を聞くとか、
結局話を聞いて、自分たちもその感想を話して、
交流していくっていうことは、たぶんものすごく核にあるんだけど、
話す機構だね。
そうだね。だから話す機構はやっぱりそこにあって、気づきがそこにあるとか、
っていうことはありながら、結局今、真ん中ものすごく省略するけど、
「拡大家族」としてのVision Quest
この一昨日の、今のVQっていうのがどんな形になってるかっていうと、
拡大家族っていうあり方の場になっているんだよねと。
一応VQってコミュニティっていう言い方を、何かしらの分かりやすいカテゴリーに当てはめるとなると、
場作りしてます。コミュニティですって言うと、ちょっと伝わるようなものはあるからコミュニティって言ってるけど、
コミュニティってわけでもないんだよねっていうのがね、ようやく見えてきた感じがあって。
で、やっぱりコミュニティって何かしらの目的があったり、方向性がはっきりしてるよねと。
趣味を同一にしているとか、何かしらを学ぼうとか、
何かしらすごくあるんだと思うんだけど、やっぱり拡大家族っていう歌い方がすごくフィットしているっていうのは、
やっぱり、みんながみんな一つの目的に向かっている感じはないよねと。
あえて言うと、
うん、あえて言うと、
共に生きる。
あーそうそうそう。だからあえて言うと、目的と言うとしたら、人生を共に生きるっていうことは言えると思うけど、
だからその中でみんなが、映画が好きだよねーとか、歩くの好きだよねーとか、何とか好きだよねーみたいなことで交差して、
部活サークル的なものが出来上がっているわけだけど、
コミュニティでもよくあるよね、ランニングクラブでもさ、やっぱり他の趣味も共通だったりする、そういう場ができたりとかするし、
あることだと思うけど、やっぱりそこにはランニングとか、何とかっていうものが中心的にはきっとあるはず。
そういう意味で言うと、うちはだからそういう中心的なものは何もなく、ただ、何かやりたいことがある時にそれが集まるみたいな感じで、中心にあるものは本当に人生を共に生きていくっていう。
でも家族って本当にそうだよねって思うし、
ベースに聞く、聞いてもらうっていう意味編のね、聞く聞いてもらうが、やっぱり土台にあるっていうのがすごい大きい感じがするよね。
安心感を生む「話す・聞く」の時間
そうだよね。やっぱり、ただ集まってワイワイと盛り上がるみたいな時もあるし、全然それだけが悪いことでは決してないんだけど、
ちょっとだけ落ち着いた感じになるじゃない。話す聞くをしましょうみたいな感じになると。
場合によってはちょっと真面目な感じになるのかもしれないけど、
ちょっと落ち着いた感じを持つと、すごいその人を深く知っていたようなっていうか、なるよね。
落ち着いた感じで、真面目な感じはあるんだけど、でもすごくリラックスしてすごく緩んでいる。
まとまらない話でOKよっていうね。逆にまとまらない話推奨みたいなのをベースに置きながら、
ただただ自分の中にあるものを言葉にしていくっていうことをすごく大切にしているっていうこの在り方が、
特定のテーマを持って集まっているっていうコミュニティではないんだけど、すごく
巨大な安心感がみんな感じてくれているような。おかえりただいまっていうのはね。
あるよね。でもそれを思う時に、またぐるっと私の昔の話になるけど、
やっぱり、あきらさんとのすった問題があった頃っていう話になるわけだけど、その時に自分が一番
癒されたというか、自分自身が本当に、なんていうのかな、
ふわふわと糸の切れた何かになっちゃってたみたいなさ、どこに自分がどう言ったらいいかを全くわからなかったって言った時に、
鈴木秀子先生のコミュニオンっていう、本当に菊を大事にしている場に流れ着いたようにいった時に、すごく
安心感があったっていう。その場が1ヶ月に1回、3時間ぐらいあったわけなんだけど、
それを繰り返していった時に、繰り返して参加していった時に、その場にいなくても、自分でそこにいる安心感を
自分の中で再現できるような感じになった時に、すごい安心する感じが、自分の中で育っていったっていうのがあって、
その感じっていうのは、どっかでずっと、自分が場を持っている時には、それもなんていうのかな、
合わさってあるといいなって、やっぱりどっかでずっと思ってたよねって思ってて、そこはある種こだわり、
ある種、曲げちゃならぬというか、大事にしたい。大切にしているベースで。そうそう、だったんだよねっていうのをやっぱり改めて思う。
だから、そうビートで流れ着くように、ある意味今のようになってきたんだけど、でもやっぱりその中の中心には、話すと聞くっていう、その人のそのままを大事にするし、
自分のそのままも大事にしてほしいし、自分が自分のことを大事にしたいしっていうのは、なんかやっぱり種だったのかもしれないなと思っていて。
VQの日での体験と「親戚感」
種でもあり、土そのものというかね。ベースだったかもしれないけどね。その安心なふかふかの土を丁寧に大事に作ってきたからこそ、いろんな人が寄ってきて、いろんな人のためがこのように、そのように根を張り、
そのように芽を出し、で知らぬ間に森みたいになってるみたいな。そんなイメージも湧くね。
なるほど、そうかもしれないね。この間の、本当に一昨日のVQの日って、デイリーがあったから、全部で40人ぐらいが、小さいというのかわからないけど、一つのところに来て、40人来るってどんなことになっちゃうんだろうって、ちょっとなんか、ちょっと心配はしてないけど、
すごい、すごい人がもう座れなくなっちゃうんじゃないかとか、すごいうるさくなっちゃうんじゃないかとかさ、どうなるのかなと思って想像できてなかったけど、全然そんなことなかったじゃない。
楽しくもあり、落ち着いている穏やかな感じもあり。そうそうそうそう。で、なんかこう、用意してた委員のみんながいろんな仕掛けをしてたからだと思うけど、手仕事って手を動かしてる人とか、ただデッキでのんびりとか、一人で編み物してる人がいたりとか、
なんかすごくこう、思い思いに過ごしてた1日で、あれはなんかやっぱりVQっぽかったんだなーっていうのは、今ちょっと思い返す部分があるよね、なんか。
それぞれに話す、聞くモードがありつつ、までもまとまってね、話す、聞くをするっていう時間も作ってたりしながら、なんかベースは、みんなで作ってるベースがなんかある感じがあるね。
ちゃんとね、ちゃんと3人1組でごごごしましょう、みたいな時間も作ったっていうのもあったとは思うけどね。でも、なんだろうな、なんか、やっぱり話す、聞くを大事にしてますって言っても、
場合によっては、人がみんな、いろいろ楽しくおしゃべりをしているところを、一旦中断しなきゃならない時もあるじゃない。これからこういう時間を持ちますから、ちょっとちょっと待ってください、みたいなさ、今までもたくさんそういうことをやってきてるけどさ、
それって、私なんかの性格からすると、結構勇気がいるんですよ。人が何かこう盛り上がっているところを、すみませんって、これから話す、聞くの時間を大事にしているとはいえね、話す、聞くの時間をするので、ちょっと中断してもらえませんかっていうのって、結構私の中では毎回エッジが立つっていうか、
結構ね、切り出す時に、ちょっとした勇気がいるわけなんですよ。最近は全然そういうのが平気になってきたけど、最初の頃とかやっぱりさ、なんならないままがいいんじゃないかな、みんな楽しそうにしてるんだし、ぐらいな。
でもなんかそこをやっぱり、それでもやっぱり大事なんだと思ってやってきたからこそ、結構みんなの中でも、その時間ですね、みたいな、受け取ってくれてる感じもやっぱりあるかなと思うから、そういう意味では、
慣れ、ある種の、そうだよね、この時間が来たんだね、みたいな、受け取ってくれてるのもあるなぁと思うから。
日常の中で、自分が話す他の人が、心を寄せて聞いてくれる時間があるかって言ったら、実はそんななかったりするんだよね。
本当ないよね、実はね。
普通に話したい、要件があったりしてね、やり取りする。
おしゃべりもそうだし、雑談もそうだし、あるいは仕事なんかももちろんそうなんだけど。
でもね、この間はちょっとコンパクトに、1人5分×3人でね、話す、聞くっていうことをやったんだけど、その5分は、自分のことを2人の人はね、大切なものとしてまとまらない話を、耳を傾けて、
聞いてくれる。そんな5分って実はないんだよね、なかなか。
安心してね、途切られることのない感じでね。
やっぱりこういう時間大事だなぁっていうのをみんながね、実感してた感じがね、あって。
それがまた次の安心を思ってるね。
だから、ほんとそうビートでここまで来たなっていうのはあるけど、でもやっぱり核となるというか、ここは大事だよねっていうことは、なんかちゃんとあったなっていうか。
それを大事にしてきたらこうなった、みたいな。
いろんなテーマでね、この集まったり会ったりみたいな、一緒に遊んだりみたいな、いろいろなテーマあるんだけど、その何か一つのことを共にするコミュニティではなくて、
ベース、聞いてもらう側がある感じになると、不思議な親戚感があるね、そこにはね。
なんか、血縁じゃないけど、血縁みたいなね。
血縁ではない、つながり感、親戚感が。
親戚だからって言って、それが生まれるかっていうと、そうでもないと思うんだけど、親戚感っていうものをみんななんか受け取ってるのは、なんか説明されたり体験されたりしてなくても、親戚とか家族とかってこういうことだ、みたいなものをなんかDNAで持ってるのかもしれないね。
みんながね。
まとめと次回予告
じゃあその辺は次回に譲りますかね。
はい、ということで。
今日はこの辺で。
大事なことを話しましたね。
そういうことでした。
大事なことを聞いていただいてありがとうございます。
はい、ありがとうございました。
じゃあねー。
これでいいんだっけ?
22:17

コメント

スクロール