1. 100円で買い取った怪談話
  2. #8 お寺で暮らすという事
2021-04-21 14:25

#8 お寺で暮らすという事

今回は、お寺で生まれ育った女性の体験談です。一般の人々にとって、お寺というのは特別な場所です。しかし彼女にとっては、自分が日常を過ごす家。そんな家で過ごす彼女にはどのような体験があるのでしょうか?
※一部過激な表現がありますので、ご注意ください。※

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この番組では、私が行っている怪談売買所で買い取った、
世にも奇妙な体験をされた方のお話をお届けします。
怪談売買所とは、兵庫県天笠市のとある市場で、私が出しているお店です。
世の中には普通ではありえない、奇妙なお店があります。
そういった方々にお越しいただき、どのような体験をされたのか、
その方が語ってくだされば、1話につき100円を私がお支払いします。
この番組では、私が100円で買い取った怪談を、体験された方の許可をいただいた上で、
100円で買い取った怪談を、体験された方の許可をいただいた上で、
紹介していきたいと思います。
もっと怪談売買所について詳しく知りたいという方は、
第1話の配信から聞いていただけると、全貌が理解できるでしょう。
さて、今回のお話は、長野県あちむらで開催した怪談ライブ、
怪談焼肉のイベント内で行った怪談買取コーナーで買い取った話です。
このイベントの主催者から、イベント内で怪談買取をぜひやってほしいと言われて行いました。
そのため、少し場の雰囲気が他のものと異なります。
お話しいただいたのは、お寺で生まれ、お寺で育った女性の体験談です。
一般の人々にとって、お寺というのは特別な場所です。
しかし、彼女にとっては、自分が日常を過ごす家、
そんな家で過ごす彼女にはどのような体験があるのでしょうか。
そして彼女はそれをどう感じているのでしょうか。
Sさんが自宅であるお寺で体験した奇妙なお話をお聞きください。
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本当に幽霊とか霊感とか見たことないし、霊感も自分ではないと今でも思っています。
だけどお盆の時期は家の中が本当にバタバタして、
父も母も構ってくれないので、一人でテレビとか見ているわけです。
そうすると廊下をいっぱいの人が通るんです。
そのお盆の時期になるとたくさんの人が通る。
それがテレビを見ていて、すりガラスだったんですけど、
人の気配が本当に行き来していて、
だけどそれが自分にとって全然怖くない。
何か人間ではないし、気配だけは感じるんだけど、
全然怖くないものが本当に行き来して、
だけどそれがやっぱりお盆の3日間、
茄子の馬とかキュウリの馬とかで藁に包んで、
うちの方はそれでお経をあげて、
昔は川に流していたみたいなんですけど、
それが終わると本当にピタッと止まってしまうということが、
私にとっては不思議な話というか。
同じ方向に走っていくんですか?
もう行き来していて、
同時に複数の人が?
それがすごく悲しい日とか恨みとか、
そういうものをあまり感じなくて、
帰ってこれてよかったなみたいな感じで、
自分の家族に会いに来たよみたいな感じで、
お寺に一度帰ってきて、
でもふと横見ても誰もいない感じ。
気配だけ感じる。
そういうのがやっぱり、
お墓に、うちもお墓があったんですけれど、
お墓ではしょっちゅうそういうことがあって、
おばあちゃんのお墓参りとか、
ちょっとお花買ってらっしゃいとか水買ってらっしゃいとか言われて、
お花持って抱えていくと、
あれ今ここに誰かいたのにとか、
お墓の方向の方に誰かいたのに、
誰もいなかったりとか、
そういうことがやっぱり無縁ぼとけとか、
あと本当に昔は土を掘ってね、
死体を埋めて、
そういうお墓に結構、
あれ今誰かいたよねって言うけど、
もう誰もいなかったりとか、
そういうことはしょっちゅう。
あとは、お寺ででも一回だけ怖い思いをしたのは、
履拝堂っていうのがあって、
結構広い鉄筋コンクリートの建物に、
本堂の続きなんですけれど、
履拝がもうずらーっと並んでるんですね。
そこの下に骨が、
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何て言うんでしたっけ、
骨壺がいっぱい、
下のガラスケースの中に入ってるんですね。
上に履拝がだーってあって、
もう何段にもなってるんですけど、
それで一回だけ、
やっぱりお盆の時期に、
お供え物とかを下げに、
みんなで行った時に、
私一人になって、
さあ下げようかなって行った時に、
棚に近づいてた時に、
触ってないのに、
骨壺のガラスがバリーンって割れたんですよ。
それもこっち側にガラスがバーンって飛んできて、
何かしたんでしょうって言って、
後から言われたんだけど、
私本当に触ってなくて、
それも私がバーンってやったら、
みんなこっち側にガラスが割れてて、
それだけはちょっと怖い思いしたけど、
でもそれで眠れなくなったとかそういうこともなく、
いつも守られてる気はあるので、
お寺で起こったことはそんなに怖くないですね。
死を身近に感じられる場所というのはいくつかあります。
例えば病院がそう、
生死の境をさまよい、
死の世界を垣間見て何とか生還を果たす人もいれば、
そのまま帰ってこない人もいます。
常に生と死が責め合っているような場所です。
一方、お寺も死を考えさせてくれるところですが、
こちらは既に亡くなった人たちが静かに眠る場所であり、
病院と違ってとても静かで落ち着いた印象があります。
Sさんがそこで体験した回も、
どちらかというと静かなものが多いようです。
そこでそういうことがあっても当たり前のような、
そんな体験です。
私は他にもお寺の御住職や、
お寺の関係者から体験談を聞いたことがありますが、
その多くは怖いものではありませんでした。
どれもSさんの体験と雰囲気はほぼ同じです。
Sさんのように廊下を歩く足音を聞いたというものであったり、
亡くなられた方が訪ねてこられて仏壇に手を合わせたという話だったり、
住職がよく知る方が亡くなる直前に挨拶に来られたという話もありました。
中でも興味深かったのは、
年に何度か泊りがけで旅行に行くという御住職の話です。
その御住職は家族揃ってすごい旅行好きなんですよね。
ただやっぱりお寺の住職をやっているということは、
すごく団家さんの家も多いので、
いつ何時お艶であったりとかお葬式が入るかわからない。
そうするとオチオチ旅行なんか行ってられないんですよね。
ところがその御住職、
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家族と一緒に年に何回かは泊りがけで旅行に行くって言うんですよ。
なぜか?
実はそこのお寺というのは、
団家さんの今まで亡くなった個人の遺廃をたくさん収めている建物があるんですけども、
その建物には毎日掃除に行ったりであったりとか、
ちょっとお花を供えたりとかするために入るんですって。
そうするとごく稀にそこに並べられている遺廃の一つが、
ガタガタガタって震えたりするんですよ。
場合によってはコトって倒れたりとか。
そんなことがあるんですって。
そんなときはその倒れたり揺れたりした遺廃のお家のところで不幸があるんですって。
だから遺廃に異変が起きたときは、
あ、もうすぐこのお宅で不幸があるぞと。
おつやがある、葬式があるということで旅行には行かないようにしてるんだと。
逆に遺廃に異変がなければ旅行に行っても何ら問題はない。
そういうふうに考えてるんですって。
実際そのおかげで今まで旅行に行っていたせいで
おつやや葬式っていうのを行うことができなかったっていうのは一度もないんだそうです。
そういうような体験談があったりとかですね。
また他にもこんな話聞いたことがあります。
これはとあるお寺の御住職の息子さんから聞いたんですけども、
その息子さんもずっとお寺で生まれ育ちまして、
その後仏教系の大学に進学するんですよね。
そこの大学を卒業して実家であるお寺に帰ってきた頃の話なんですけども、
ちょうどその頃に大きな地震があったらしいんですよね。
ただ幸いにも大きな被害もなく、
無事に家族全員普段通りの生活を送ることができていたらしいんですけども、
その地震があった日の1週間後ぐらいの夜ですよね。
部屋で遅くまで起きてますと、
部屋の片隅に見慣れない人が立っているのが見えたっていうんですよ。
何かっていうと着物姿の小さな女の子なんですって。
赤地に花が散りばめられたようなものすごい高そうな着物を着たおかっぱ頭の女の子なんです。
そんな子が部屋の片隅に立ってじーっと自分の方を見ている。
そんな子がいるはずがないって分かってますから、
でもすぐにこれはこの世のものではないなと思ったらしいんですよ。
しばらく放っておきますといつの間にか消えていた。
そんなことがあってから、
夜、自分が住んでいるお寺の中でたびたびその女の子を目撃することになるんですって。
そのことを大学時代の友人に話したところ、
その友達がすごく興味を持って、
そんな女の子の幽霊が出るんであれば一緒に写真を撮ってシャメで送ってほしいと言われたんですね。
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ということで彼は次にその女の子を見た時に写真撮ったんですよ。
当時はまだその柄系だったんで、それで写真を撮って画面で確認した。
ところが画面には何も写ってなかったんですって。
そこに立っているように見えるはずの女の子の姿が写真には写っていなかった。
あ、残念写真には写らないんだなと。
そんな風に思ってそのことを友達にメールで知らせたんですよ。
じゃあ写ってなくてもいいからとりあえずその写真一応送ってって言われたんで念のために送ったんですね。
そうするとその友達に言うんです。
いや写ってるやんこれ。
この廊下がずっと奥に続いている端っこのところに立ってるよねって言ってきた。
確かにその女の子はそこの位置に立っていたんですけども、写真で見る限りは彼にはその女の子の姿は見えない。
ところが友達は明確にその女の子の姿を見ることができたらしいんですよね。
なんかそんな不思議なことがあったと。
それから半年間ぐらい女の子の姿は度々見ていたらしいんですけども、
いつの間にか気が付くと女の子の姿は見えなくなっていた。
そういうような体験談を聞かせてもらいました。
その女の子が一体何者なのかよくわからないんですけどもね。
ひょっとしたらそこのお寺であったりとかすごく歴史があるお寺ですからね。
そのお寺に何かゆかりがある人なのかあるいはそこの土地に関係がある人なのかよくわからないんですけども。
なんかそういうようなことがあったという話を聞かせてもらいました。
こんな話をいろいろと聞いてますと、
人は死んでももう無になってしまうというわけではなく、
少なくても自我は生き続けると思うことができます。
近年お寺の在り方が変わりつつあるようです。
時代の流れとともにそれも致し方ない部分はあるでしょうけど、
でもお寺がお寺である理由だけはこれからも変えないでいただきたいと思います。
この番組ではあなたが体験した会談をオンラインで買い取りしています。
詳細は概要欄のリンクよりお待ちしています。
それではまた次回お会いしましょう。
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