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2025-12-04 20:27

2025/12/04 日記ってスポットライトだったり、カメラだったり

#声日記 #声でブログ #Podcast感想

 

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1, 私たちは出会いなおす、生きるための表現手引き - お気楽主婦ですけどなにか?笑

「日記」の文芸誌『季刊日記』が新創刊!|日記屋 月日
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サマリー

2025年12月4日のエピソードでは、代ひろしさんが父親の入院をきっかけに、日記を書くことの重要性について語ります。特に、日記や記録が人々の記憶や不安を整理する手段になり、意識の中で過去と未来をつなぐ役割を果たす様子を考察します。日々の記録をつけることの重要性を探り、日記を書くことが自己反省や成長につながることについても考えています。また、カメラのピントに例えながら、物事を明確に捉えることの大切さも強調されています。

父親の入院と忙しい日常
こんばんは、ひろひろしです。
2025年12月4日20時3分です。
うーん、ちょっと忙しいっていうか、大変ですよねっていう感じですね、毎日は。
昨日、うちの社長兼父親が検査入院しまして、それが昨日退院でしたよと。
よくわからないんですけど、昨日退院だったんですけど、また今日も病院に行って検査をしなきゃいけないかったんですよね。
だったら泊まればいいじゃんって感じではあるんですけど、
昨日退院などで出されて、結局検査入院だったので、特に治ったわけでもないので、引き続きしんどいらしいので、
また今日検査行くってところで、お迎え行こうかって話になり、
会社から1時間くらいかかるんですよね、実家までね。
1時間かけて行って、ピックアップして、病院は会社の近くにあるので、降ろして会社に寄って作業して、
終わったらピックアップして、帰るみたいな。
また1時間かけて帰る。
日記の重要性
そこから、せっかく車出したので、そこから仕入れ先に行って、
何キロくらいかな? 20キロくらい走ったのかな? ちょっとわからないんですけど、結構な距離を走りましたね。
気がついたら3時半くらいで、そこから一応また作業をしたりだとか、チーム作業をしたりだとかして、
定時を回り、19時くらいに終わったんですけど、しずかなインターネットの日記を書きつつ、
これから話すことをちょっと整理しつつ、
気がついたら20時閉店のホームセンター10分前に駆け込んで、会社の用品を買って、
まぁまぁ自分が選んだことなので、ナナさんに教えていただいたアミノ酸をつかれたらアミノ酸。
今日話したいことは、先日ある本を買いまして、その本の話。
本は実は全部読み切ってないので、途中ではあるんですけど、本を読んだり、
あとは、あるポッドキャスター、Moさんという方ね。
たしかに今日アドベントカレンダー2025の12月4日回で出演される方なんですけど、
まだたぶん、さっき時点ではエピソードが公開されてなかったので、これからだとは思うんですけど、
そういった話ですね。
その方の先日エピソードを聞いて、思ったことを話そうかなというふうに。
ちょっと忘れて、書いた本を記録してるんですけど、
読みながら、あれするとちょっと危ないので、
止まった時にします。だからちょっと一時停止します。
やっと止まった。
この時間帯の大阪中央環状線はね、全然道が混んでないので、全然止まらないんですけど、
ちょっと話しますね。
Moさんの話で、いろんな話をされていたんですけど、
残すことの効用。
Moさんは日記とかの話はしてなかったと思うんですけど、
記憶がアーカイブされて溜まっていくと重荷になる。
たぶんですけど、それを言いたかったのは、
日記をつけるとかだと、ちゃんと何月何日にこういうことをしたっていうことが記録に残って、
デジタルとかだと検索することができるっていうことだと思うんですけど、
データベース的にインデックスされてる状態だと思うんですよ。
ただ、日記をつけないってことはインデックスされてないってことなので、
要は目次がちゃんとしっかりなってないみたいな感じだと思うんですけど、
そうすると、たぶんあれ、これいつ、同じようなことやってるけど、
あれいつしたんだっけみたいなとか、あれこれっていつだったっけみたいな、
そういうことが起こり得るかなと思っていて、
そうすると漠然とした不安みたいな、結局人間って今しか生きれない。
今、現時点での記憶しかないから、過去に戻ることもできないし、
未来を先取りすることもできないから、
過去を歩いてきた道についてはパンくずを残すみたいな形だったりだとか、
記録に残すってことでデータベースにインデックスをはるみたいな形でやっていくと、
その不安が見えなかったものが少しでは見えるようになるのかな、
手がかりはつかめるようになるのかなというふうに思いますね。
自分との向き合い
たしかにそれはあるなというふうに。
だからすごい日記を書くってすごい。
もう一個の季刊日記っていう本を最近買いまして、
というのが11月30日に、どこだったかな、ちょっと場所忘れちゃったんですけど、
日記祭ってことでね、たぶん下北沢の方だと思うんですけど、
そういうイベントが東京であって、私もちょっと軽く行きたかったんですけど、
結果的には父親の入院のつき添いをしなきゃいけなかったので、
よかったのかなというふうにも思ってますね。
やっぱりこう、自分がどっちを大事にするかというか、
自分が何を大切にするかによると思うんですけど、
やっぱりこう、例えば父親の介護までは行かないですけど、
例えばつき添いとか、車を出したりとかっていうそういう行為をもししたいってなると、
他のことができなくなる。
例えば東京に行って日記祭に参加するみたいなことができなくはなくなるので、
自分がやりたいことができないってなっちゃうかもしれないんですけど、
でも自分の中で何を優先するかなっていう感じがあって、
個人的には11月30日、日記祭に行かなくてよかったなっていうふうに思ってるんですけど、
日記祭と絡めてなのか分からないんですけど、
季刊日記っていうことで、そういう本が売られたんですね。
今年の7月の1週間のいろんな方の日記を掲載してたりとか、
日記についてのコラムみたいなのが書かれていたっていう感じですね。
そこで書かれていたことで私がちょっといいなと思ったのがですね、
こうした断片の数々が私の明日を劇的に変えてくれることは思わない。
ただ確実にそこにあった。
日記を書くときに大切なのは教訓を引き出すことでもなく、
ただそこにあったものを受け入れることだと思う。
なぜこれを書くのか、これに何の効果があるのかといった問い詰めから解放されて、
ただあったということに身を委ねる。
効率化や生産性が求められる労働に追われながら、
何の目的もなくただ記録するという時間を持つということ。
スマホの通知が途切れない日々の中で、
一人ペンを握ったりキーボードを叩いたりして、
昨日の自分と静かに向き合うこと。
これはとても贅沢なことだ。
やっぱりこう何月何日にこれがあったってただ書くだけなんですけど、
書くだけですし、
例えば、
声日記だと、
今日はこういうことがありました。
で、やっぱり世の中に公開されているわけだから、
ある程度オブラートに包むというのとか、
自分の会社に影響が出ない範囲とかはあるとは思うんですけど、
やっぱり淡々と話すことで、
今日はこういうことを自分が選択したということの積み重ねを受け入れていくということになるのかなと。
個人的にはそれって自信につながっていくのかなということで思っています。
塵も積もれば山となるという言葉がありますけど、
本当にあれこれした、何したっていうのは本当に、
それ一つを見ると取るにならないことでし、
これって意味あんのかなとかって思ったり、
それこそ私がこの声日記を始める前はそんな感じだったと思うんですけど、
すっかり今は日記の虜になっていて、
もう記録することが本当に好きというか、
記録しないと中毒というか消化不良になっちゃうというか、
そんな感じがしていて、
本当に毎日毎日忙しいし、
私の興味使う、私の興味関心だったり、
使うことというか本当にいっぱいあるので、
自分と向き合うことって結構難しいというか、
時間も確保しなきゃいけないけれど、
例えば私も今さっき帰る前に30分キーボードを叩いて、
昨日何があったとか、
今日途中まで何があったみたいなことも書いていますけど、
本当にそれって贅沢な思いがあったり、
本当に時間に追われていたらそんなこと書く時間もないですし、
でもやっぱり自分と向き合うことでどういう風な自分だったかなと思うというか、
自分もこんな感じだよねっていう、
そういうことも増えるのかなという。
さっきそのような記事を、
昨日のしずかなインターネットの日記に書いていて、
日記を書くということというか、
今私たちの人生ってさっきのことをすると、
今という瞬間にしかスポットライトが当たっていない、
日記の重要性
正確で自分の意識的には、
本当に自分の目の前のことに集中、
目の前のことにとらわれる、そこしか見えてないみたいな感じ。
でもそれがどんどんどんどん過ぎていって、
真っ暗の中を寝台特急が突き抜けるみたいな感じで、
見えてる範囲は本当に狭いけれども、
じゃあどこに向かっているのか分からないし、
今どこを通ってきたのか全然分からないけれども、
日記を書くとか記録に残すことで、
どこに何をしてきたというのが分かってきて、
インデックスされていくということだから、
振り返ることができる。
振り返るということは、
そんな自分を振り返りたくないとなると、
それは自分を否定している、
受け入れていないということになるから、
そうすると、過去にこういうことがあったから、
つい未来はこうしていこうみたいな、
歴史から学ぶじゃないけれども、
自分の経験から学ぶということもできてくる。
あとはちょっと思ったのは、
日記を書くということは、
その日その日の日記を書くとか、
日記を声日記を取るとかもそうですけど、
その日その日の一日の、
カメラのピントを合わせるみたいな感じなのかなというふうに、
カメラのピントが合うと、
見えている被写体がくっきり見えて、
例えば女性だなとか、
猫だなとか、きれいな景色だなとか、
そういうのがくっきり見えるんだけども、
ピントが合っていないと、ぼやーっとしてしまうし、
そのまま一日一日が過ぎていくと、
ぼやっとしたものの風景が、
残っていくだけみたいな感じ。
でも日記を書く、声日記を残すということで、
ピントが合っていく。
やっぱりカメラを好きな方は分かると思うんですけど、
明るいレンズの方が、
いい写真が録れると言われている。
幅が広いですよね。
開放にすることもできるし、
逆に絞ることもできるので、
幅が低けれども、
暗いレンズだと幅が効かないので、
被写体、被写体深度とかもそういうのが関係してくるんですけど、
そういった形で、
明るいレンズの方がいいと、
自分の心も明るいレンズのような形で、
性格明るいとかポジティブに考えるって、
個人に考えなくてもいいと思うんですけど、
素直というかね、
ありのままを通す、
F値が低いことで、
より見ている世界に近いものを受け取る、
っていう風な解像度になってくるのが、
ちょっとそれ以外の解像度だとか、
センサーサイズとか、
そういうのが何に例えられるか、
考えてはなかったんですけど、
あとは被写体深度とか、
被写体深度が浅いとか低いと、
ピントが合っている範囲が狭いので、
ただ見えているものは、
すごくくっきり見えているので、
逆に被写体深度が深いと、
パンフォーカスみたいになっていて、
いろんなものがくっきり見えるようになっているけれども、
異常放量がすごい多いよね、みたいなね。
そういうのも日記に例えられる、
カメラに例えられるというか、
ちょっとごっちゃになってるんですけど、
そういう風に例えられるかなというふうに思ってますね。
カメラの例え
別に被写体深度が低くて、
一点にしか集中していないということが悪いわけではないし、
そういうグラデーションというか、
そういう風な切り替えみたいなのを、
今日はこの日、今日はこの日というふうに、
いろんなことがあってもいいのかなという感じがしますよね。
いろんな人の話だとか、
日記という本を読んだら、
そういう風に感じたということを、
ちょっと講演で残したかったので。
大阪ね、先週かな、
スペインとかヨーロッパに旅行に行かれていたみたいで、
そこから帰ってきたら、
やっぱり思考が、
爆発しているというわけではないですけども、
言葉が溢れてましたよね。
いろんなことを考えているのかなと思いながら、
聞いていました。
今日のエピソードもすごい楽しみにしていますので、
また聞いていこうかなと思います。
そんな感じかな、とりあえずは。
今日の送りとかは、
明日は特にないんですよね。
今日の楽しみとしては、
やっとね、
1分声日記の方で細かく説明していましたけど、
うちの洗濯機が壊れましてですね。
洗濯機がやっと新しいのを買って、
今日届くらしいので、
洗濯機はどうでもいいんですけど、
洗濯機をヨドバシカメラで買ったので、
ポイントがつくと。
ということは、
ポイントを使って、
割引で買うことができる、
何を買うか、
それは狙っているものがあるので、
買うか買わないか考えています。
うちの方が楽しみ。
洗濯機もガジェットなので、
楽しみではありますけれども、
割引で買えるというものも、
興味があるという感じですね。
そんな感じです。
明日で一応終わりなので、
がんばっていこうかなと思います。
これで終わろうと思います。
ありがとうございました。
お願いします。
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