SNSって、なんでこんなに息苦しいの? | ちくま新書「友だち地獄」を解説/ガラケー時代にSNSの問題を指摘/本音を言わない友だち関係【本要約】
2026-08-18 54:00

SNSって、なんでこんなに息苦しいの? | ちくま新書「友だち地獄」を解説/ガラケー時代にSNSの問題を指摘/本音を言わない友だち関係【本要約】

spotify apple_podcasts

■ タイムテーブル

承認欲求と『友だち地獄』の紹介
「優しい関係」と若者の生きづらさ
13歳から見た『友だち地獄』と当時の背景
現代のネット社会における「優しい関係」の変容
現代のSNS(InstagramやBeReal)と裏垢の実態
家族関係の変化と現代の若者の人間関係
現代の若者の価値観と新たな居場所(トー横・VRなど)
現実の人間関係と1対1で話す重要性
エンディング

 

■ 参考文献

友だち地獄——「空気を読む」世代のサバイバル(土井隆義, ちくま新書)

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480064165/

 

■ 番組概要

小・中学生のパパ/ママのための、親子でこれからの社会を考えるポッドキャストです。
最新の中高生調査データや、社会学に関わる書籍・理論をベースに、
変化の激しい「これからの社会」を生き抜くための問いを立てます。
親子の会話のテーマ、そして親自身も価値観をアップデートする題材として活用してください。

 

■ パーソナリティ紹介
京都大学のサークルで出会った、2001年生まれの大学院生コンビ。
・田中:社会学専攻。書籍や研究から、社会を広い視点で解説する。
・榊原:工学専攻。最新のデータを分析し、13歳のリアルな肌感を解読する。

 

■ 更新スケジュール
毎週火曜日 朝6時配信

 

■ お便り・ご感想・ご相談
家庭で起きた「子どもとの対話のモヤモヤ」や「親としての疑問・失敗談」を募集しています。
お便りフォーム:https://forms.gle/zhLuRVk6SG1819R48

 

■ 各種リンク(公式SNS・配信プラットフォーム)
https://1link.jp/13karapodcast

 

#子育て #教育 #社会学 #本要約 #育児 #中学受験 #ポッドキャスト

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、土井隆義氏の著書『友だち地獄——「空気を読む」世代のサバイバル』を基に、現代社会における承認欲求や若者の人間関係の複雑さについて掘り下げています。現代の若者は、対立を避ける「優しい関係」を築く中で、本音を押し殺し、役割を演じることで承認欲求を満たそうとしています。しかし、本当の自分を理解してほしいという根源的な欲求は満たされにくく、自己肯定感の低下につながっています。特にSNSの普及により、リアルとバーチャルの境界が曖昧になり、常に他者の目を意識する状況が、人間関係の息苦しさを一層強めていると指摘されています。 番組では、2008年の出版当時から指摘されていた「優しい関係」の危うさが、現代のSNS(Instagram、BeRealなど)や裏アカウントの実態、さらにはトー横やVRといった新たな居場所の出現といった形で、より複雑化・先鋭化している現状を分析しています。また、家族関係の変化も若者の人間関係に影響を与えているとし、親と子の関係が対等化する中で、明確な指針が得られにくくなっている状況も考察されています。最終的には、複雑化する人間関係の中で、本音で話せる関係性を築くことの重要性が強調され、特に1対1で向き合うことの価値が再認識されています。

承認欲求と「友だち地獄」の紹介
スピーカー 1
今、承認欲求満たされてますか?
スピーカー 2
難しい質問ですね。
このPodcastをやるにあたって、承認欲求は考えないようにしようと思ってやってはいるんですけど、
とはいえ、毎回の再生数とか反響とかを気にすることを考えれば、
まだちょっとその承認欲求っていうのからは抜け出せていないのかなっていうのがそっちのところですね。
スピーカー 1
はい、そうですね。承認欲求がどうやって満たされるのか。
そもそもなんで今を生きる私たちは承認欲求をこんなにも必要としているのか。
今回はドイ先生の書かれた友達時刻という新書本からこの謎について解き明かしていきたいと思います。
13歳からのポッドキャスト
スピーカー 1
この番組は13歳のリアルな悩みを最新の調査から科学的に読み解き、これからの時代を生き抜くヒントを一緒に探すポッドキャストです。
スピーカー 2
はい、始まりました。13歳からのポッドキャストです。今回もよろしくお願いいたします。
お願いします。
スピーカー 2
高木バラです。
田中です。
スピーカー 1
というわけでね、今回は冒頭にも話した承認欲求についてですね。
ドイ高吉先生が2008年に書かれた友達時刻、空気を読む世代のサバイバルというちくま新書から出ている本を元に承認欲求って何なのかなという風な話をですね、していきたいかなという風に思います。
まあでも今普通に承認欲求って結構使われますよね、友達との会話とかでも。
スピーカー 2
結構使いますね。
スピーカー 1
ね。
まあだから、まあ承認欲求、誰かから認められたいとか、いろんな人に注目されたいとか、自分が必要とされている実感を得たいとか、まあ差し当たりそういったところを承認欲求と言うんだとは思うんですけども、
なぜ私たちがこういう風に承認欲求に駆られているのかという風なところについてですね、もう今から18年前、もう20年近く前の本になっているんですけども、そこに対してすごく鋭く切り込んだ本で、有名な社会学の中でも結構有名な本なので今回持ってきました。
はい。
まずはですね、この本の概要について軽く僕の方から話していきたいという風に思います。
「優しい関係」と若者の生きづらさ
スピーカー 1
今の若者たちはですね、優しい関係によってクラスであったりだとか友達付き合いというのを成り立たせているという風に言っています。
この優しい関係っていうのは、つまり人同士の対立をすること、友達と対立することを回避するっていうことを最優先する若者たちの人間関係という風に定義されています。
スピーカー 2
なるべく戦ったりとかバトったりしないようにしたいっていう。
スピーカー 1
そうそうそうそう。だからこの本に書かれていた当時の大人たちからしてみれば、なんか今の子たちって人間関係単白だよねとかって本当に仲いいの?みたいな感じに思われがちですが、
実際はこういう風にお互いがお互いの地雷を踏まないように繊細に駆け引きをしながらその場を成り立たせているから、
実はむちゃくちゃその人間関係を成り立たせるために労力を抑えてるんだよっていう風に先生はおっしゃっています。
スピーカー 2
ほう、なるほど。
スピーカー 1
だからそれは例えばですけど、友達の嫌なことを言わないであったりだとか、友達と喧嘩しないであったりだとかっていう風なところ、
そういったところをすごく意識しながら、今の中高生とかがやっていっていた、結局優しい関係っていうのはお互いの深い部分、根っこの部分に踏み込まないようにしましょうねっていう風なところなんですね。
でも逆を言えば、同時にリアルな世界に形成される優しい関係というのはお互いの対立を認めない関係でもあるので、
そこでありのままの自分を表に出すことは極めて難しい。だから役割を演じてるってことですよね。
本当の自分はこう思ってるけど、暮らしの雰囲気からして、そこは自分が一歩引いて、嫌だけど委員を務めるとか、一つ昔前だったら経営倍にならないとか、
空気が読めないとかならないように、周りの空気に合わせながら自分を押し殺してでも空気を読むっていう風なことですよね。
一方でだからこそ、自分の素を出すっていう風なところが難しいんだけれども、やっぱり今の若者たちっていうのは、
身近な人々からの承認に頼ることが、自分の素を認めてくれる誰かがいてくれたらいいのになっていう風にすごく純粋に思ってる。
そういった純粋な関係を求めている一方で、一方で友達関係とか学校関係では、偽りに満ちた人間関係を営んでいかざるを得ない。
なので、すごく自分の素を出したいんだけど素を出せない、けど素を出したいからどうにかしてそれを認められるようになんとかならないかなっていう風になっていく。
だから自分の自己肯定感みたいなものを高めるために承認欲求であったりだとかっていう風なのが、すごく今の若者たちが求めていってるよねっていう風な話を、
当時からもこういう風な話がされていたという風なことがまず一個としてあります。
スピーカー 2
なるほど。まとめていくと、今の友達同士と関係っていうのは本当の自分を出せないような感じになっちゃっているから、
その役割を演じることによって承認欲求を満たすっていうやり方もあるけど、
それはそうと自分の本当のことをわかってほしいのが根幹の承認欲求としてあるのにそれがなかなかできないっていうような現状があるみたいなことなのかなって思いました。
スピーカー 1
そうです。だから20年前、この本が書かれた20年ぐらい前からもそういう傾向があった、その時代からそういう傾向があって、
いわばその、なんて言ったらいいんだろう、その頃の若者たちっていうのは純粋な自分ってやったりだとか、真実気のない自分、純度100%みたいな、
そういう風なものにすごく怖がれがちだよねっていう風なところをこの本の中で論じてるんですけども、
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
それは何でかっていうと家族関係であったりだとか、そういう世の中の一般的な考え方であったりだとか、いろんなものが影響して、
やっぱその最近の若者たちって結構そういう風に純粋なもの、純粋な自分、純度100%みたいなものにすごく憧れを抱いてる。
でも実際の現実社会ではそれがなかなか満たされないみたいなそういうジレンマになってるよね。
それがその優しい関係のなかなかちょっと厳しい、辛い部分だよねっていう風に言ってるってことですね。
スピーカー 2
うーん、なんか私たちの世代がまさにこれドンピシャなんで、自分の感覚とは言ってることはすごく合ってるなっていう風に思ってます。
ただ、たぶんこの後話そうと思うんですけど、これが今の13歳の子たちに同じようなことが言えるかって言われたら、ちょっとまたこれは後で話そうかなっていう風に思いますね。
スピーカー 1
これは当然ですけども、僕たちが2008年ってことは、言ってしまえばこの頃若者だった人たちは、今たぶん13歳の子供たち、親御さんの世代なんですよね。
この本にのんじられたところの中高生ってことは今親になってる世代だから、そのことについてもね、この後話していけたらなという風に思っております。
スピーカー 1
そういった生きづらさにすごく押しつぶされる中で、当時では例えばいじめの問題であったり、リストカットの問題で引きこもりであったりだとか、ネットでの集団自殺であったりだとか、自ら命を殺す、自分の体を傷つけたりとかするみたいなことが、
ネット上を介して波及していったりとかもして、すごくこの当時、結構センセーショナルな話題としてあったのかなという風に思います。
実際すごいそういう風なことが具体的な事例として紹介されているんですけども、やっぱりそういうのはそういった生きづらさ、なんでそういう風な自傷行為であったりだとか、
自ら命を奪ったりだとか、なんでそういう風にいじめが起きちゃうのっていう風なところの一つの仮説というか、考え方として、
このセンセーは、ドイセンセーは優しい関係っていう、若者たちが普段やっているコミュニケーションのやり方の危うさみたいなものがあるんじゃないかっていうのをずっとこの本の中で言ってってるってことなんですね。
はい。なので、じゃあ、言ってしまえばその生きづらさに耐えられなくなったから、自ら命を奪ってしまったりだとか、自らを傷つけてしまったりとかしてた若者がいるんじゃないかという風に当時言っていた。
一方で、センセー自体、このドイセンセー自体は、じゃあその生きづらさから解放されることを一番良しとしているのかというと、そうではないという風に裁判法でも書いてある。
スピーカー 1
なんでかっていうと、人っていうのはそもそも、なんでそういう風に生きづらさを抱えるのかっていうのは、自分が生まれた理由であったりだとか、世界に対してその意味ってものを求めるからだと。
スピーカー 2
うーん、まあまあ、そうか、そうだよね。
スピーカー 1
なんで俺って生まれたのとか、なんでこの世界は存在しているのってあったりだとか、自分が生きる理由とか、自分が死ねない理由とかを探りながら生きていく。
まあだからそれっていう風に、何か自分の本質みたいなものを人間は常に問わざるを得ないんだ。そういう風に考えたくてしょうがない生き物なんだ。
まあだからどうしてもその生きづらさっていうものを抱えて生きていかなきゃいけないよねっていう風なところがある。
でも逆にその生きづらさを放棄するっていうことは、まあ人間であることを放棄することでもあるよねっていう風にこの先生は言ってます。
でもなぜかっていうと人間がその生きづらさを抱えている理由はやっぱり自分の生まれた理由とかを、自分の本質ってものを知りたくてしょうがないからだと。
それがまあある種人間らしいんじゃないかみたいな風に先生、この土井先生はおっしゃってるってことですよね。
スピーカー 2
うーん、なるほどね。
スピーカー 1
まあだから今から20年前の若者たちがそういう風な生きづらさという風なものを抱えていたように、その前の世代たちも生きづらさを抱えていたよねと。
で、20年経った俺たちだって今そういう風に生きづらさを抱えていると。
そういう風におのおのその生きづらさっていったものを、種類は違うかもしれないけど、生きづらさを抱えながら生きてるっていう風なところに関しては同じだし、
ひょっとして言えるのは優しい関係っていう独特な、その世代独特の生きづらさの種類は違うけれども、
それをなんとか抱えていって、やっぱり生きていくしかないよねみたいなことがこの本を通しての最後の結論というか、むしろじゃあどうやったらという風な生きづらさと、
なんとかいい感じに折り合いをつけながら生きていけるのかみたいなところに関しては、この本をきっかけに考えてほしいっていう風に締めくくられてるんですよね。
そういった感じで、結構友達時刻っていう風な言葉から、この時代の今から20年ぐらい昔のネットが流行りだした頃ぐらいの若者特有の、
そういったリスカであったりだとか、集団自殺であったりだとかっていう風な問題をなんとか説明しようとしてる本なのかなという風な印象を感じました。
当然それは、さっきも坂木バラ君が言ったように、今の時代とはちょっと違うなーであったりだとか、そもそもスマホの時代じゃなくて携帯の時代なので、
そういう風な使ってるものが違ったりだとかっていう風なところは、かばっていっているだろうという風に感じる一方で、
ああ、でもなんか、そっか、20年も昔からそういう風な話がもうあったんだみたいな共通性というか、
シウマ性みたいなものも感じることができたのかなっていうのが結構、僕がこの本を読んでみて感じたところでした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
はい、といったところが、すいませんちょっと長々となってしまったんですが、この友達時刻と書いて、
実はその承認欲求ってあったりだとか、若者の内面について論じた本だったよっていう風なところをまとめさせてもらいました。
過去の若者の生きづらさと現代への示唆
スピーカー 2
はい。一個気になったんで聞いていいですか。
スピーカー 1
はい。
これ13歳も含めなんですけど、中高生の田中少年にこの本読んだら刺さってました。
スピーカー 1
これはね、僕が13歳の頃にこの本を読んだとしたら、全くわけわかんなかったと思います。
結構、いじめだったりとか、リスカであったりだとか、ひきこもり、あとは集団自殺っていう風な、当時の僕が直視したくないであろう内容にも結構踏み入って話して書いてるんですよね。
スピーカー 2
はー、なるほどね。
スピーカー 1
そういった意味では、今回この本を読むのはちょっとお勧めできないかもしれない。
結構ショッキングな描写というか、そういった実際に自殺をされてしまった若者の、その人がどういうネットで日記、昔のブログみたいなものですよね、を書いていたのかとか。
そういう風な結構ね、ショッキングな内容であったりだとか、最終的にどういう風になくなってしまったのかっていうね、天末についてもね、書いてあったりとかしてて、
スピーカー 1
なんか結構えぐいこと書いてるなって、25歳の俺でも思ったから、13歳の俺に読ませたらちょっとあの、なんていうんだろうな、ちょっと怖い本読まされてる感覚になるかもしれない。
ホラー映画を見せられてるのと同じくらい結構ちょっとえげつないこと書いてるかもしれない、人によっては。
スピーカー 2
なるほどね。卒業しても死にませんっていう本とかが、なんか自身に関するブログの本であって、これとか取り上げられてんじゃない?ワンちゃん。
昔のそれです。
スピーカー 1
その本についても書かれていますし、もっというと、卒業するまで死にませんっていう風に、もともとはネット上の日記を元に出版した本、それと今から、
だから当時30年前だから、今から数えれば50年前に書かれた本で、20歳の原点と呼ばれる本があります。
これも当時の女学生が、当時は大学闘争というか学生運動の頃の時代に、思想とかと自分の考え方とかっていう風に圧力を感じながら、
最終的にこの方も最後、自ら命を絶ってしまう。さっき言った、卒業するまで死にませんの方も最終的に亡くなってしまう。
じゃあ、なんで彼女たちは亡くなってしまった、自ら命を絶つっていう風な選択を取ったけど、この30年の中で何が同じで何が違ったのか。
当時の若者とその30年後の若者で、実はその求めている周りからの視線の方向であったりだとか、自分に向けられる感情、自分が自分に向ける感情であったりとかっていったものが変わってきてるんじゃないかみたいなことも結構細かく分析してあったりするんですよね。
スピーカー 2
へー、面白い。面白いって言うとちょっとあれかもしれないが。
スピーカー 1
じゃないけど、でもそれをちょっとね、セキュララに話しちゃうと結構ね、グロテスクな話になっちゃうので、結構輪郭だけ今回なぞってお話しさせていただいてます。
それでもね、読みたいよっていう風なこと、ちょっとそういう風なの、それでも気になるって方は止めはしませんので、ちょっと覚悟を持って読んでいただけたらなと思います。
スピーカー 1
社会学的にもすごく資産の含まれた本だと思います。
スピーカー 2
田中少年的にこの13歳の、いわゆる引きづらさとか、そういった優しい関係っていうのって当時から認識してました?
スピーカー 1
そうですね、そのいわゆる高校で語られている出てくる言葉、KYとかって、僕が小学生の頃はまだ使ってたし、被られないようにするっていうのは、確かに当時小学生だった僕でも、ああそうだったなっていう風に思いましたんで、
なんか自分としては、かなり当てはまるなっていうか、昔もそんな感じだったなっていう風な実感を伴った、体験を伴ったその共感だったかなという風に思いますね。
スピーカー 2
なるほどね、じゃあ田中少年的にも、この優しい関係っていうのはなんかわかるかもなーっていうのはあったりましたね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
なるほど。
SNS時代の「優しい関係」の変容と予言
スピーカー 1
はい、ここからはちょっとね、この本がもう20年近く前の本なので、じゃあ今の時代について考えてみようかっていう風なところにいきたいと思います。
この本に出てくるさっきも言った小説の話であったりだとか、いわゆる携帯の時代なんですね。スマートフォンはまだ一般には普及していない頃の時代です。
携帯から、今当然ですけどスマートフォンで、もうみんな中学生から持ってるよね、みんなね、もう中学生から持ってるよね。
スピーカー 2
持ってるね、持ってるね。
スピーカー 1
そういった中でネット空間での絡み方であったりだとかっていう風なところに関しても、この本では論じられています。
で、すごいなーと思ったのが、ある種の予言が当たってるんですよ、この本。
どういう。
この本が書かれた頃、インターネットというか携帯が普及し始めて、まだしばらく経ってないぐらいだったので、ネット空間は本音で喋れるよねっていう感覚がまだ共有されてた頃なんですよね。
だから普段は優しい関係でお互いちょっとお互いの顔色を疑いながら話す。でもネット空間では自分の本音が喋れるみたいな感じ。
スピーカー 2
経図版とかね、ありましたね。
スピーカー 1
そうそうそう、っていう風なもの。なんだけどもネットもネットで2つ分かれてて、そういう風に自分の表じゃ言えないようなことをセキュララに話す場所としてのネット空間と、
もう1個はリア友と繋がれるネット空間みたいなことですね。
スピーカー 2
LINEとかね、インスタとかね。
スピーカー 1
今であればLINEとかインスタがあると思うけど、当時もね、例えば自分、学校の友達と家に帰ってもメールでずっとやり取りしたりだとか。
スピーカー 2
あーはいはい、ありますね。
スピーカー 1
で、この頃から即レスって言葉が出てるんですよ。
スピーカー 2
そうか。
スピーカー 1
すぐ返すってことですよね。
まあそうね。
スピーカー 1
だから今で言うところのLINEの既読するしないみたいな感覚に近いと思います。
そういったもので、ネット空間もそういう風に、セキュララに自分の本音を喋れる場所でもありつつ、またもう片方ではその対面でもあっている友達や知り合いとの繋がりをさらに強める場所という風な側面もありますよねっていう風に言ってたんですね。
スピーカー 2
これを当時から言ってるってことですよね。
スピーカー 1
そうそうそう。
で、ただ今後ネットが普及していくについて、もうみんなインターネットでも自分が何者かってものを自己開示するようになっていってるから。
ネット上でも私は誰々です、どこどこに住んでいます、どういう人間です、性別は何々で、みたいなのもう開示しちゃってるから、そのインターネットの中でもまた優しい関係を維持しなきゃいけなくなるんじゃないかっていう風にドイ先生はおっしゃってるんですよ。
スピーカー 2
これを2008年の時に言ってるってことですか。
言ってるんですよ。
スピーカー 2
なるほどな、なるほどな。
スピーカー 1
で、今振り返ってほしいんですけど、それこそさっき坂木バラ君が言ってくれたインスタグラム、皆さん普通に自分の出身中学校とか出身高校とか都市とか書いてますよね。
スピーカー 2
書いてるね。
書いてるし、一部の親しい人にしか見れないストーリーとかあったりしますよね。
したとも、ありますね。
もっと言うと、フェイスブックだって結構上の世代、僕たちの大人世代が使ってたりしますけど、あれももう連絡先とかね、ある程度わかってる人とつながったりするアプリだったりするじゃないですか。
スピーカー 1
で、LINEとかなんて言ったらもうほとんどその友達しかLINEにつながんないですよね。だから不特定多数の人とLINEでつながるってあんまイメージわかんないじゃないですか。
まあなんかそういう機能とかがあったりはするけれども、それはそうとして、やっぱり身近な友達。
スピーカー 1
たぶんLINEが昔の迷路に変わったんだと思います。だからそういった意味じゃん。
スピーカー 2
まあそうだね。
スピーカー 1
仕様品としては。
で、もっと言うと最近はTikTokとかBDRとかもあるかもしれないですけども、動画投稿とかできるようになったら、もうすでに自分の顔をそのまま写して、
今どこにいますっていうその所在と身分も明かした状態でネットで共有するようになったのが当たり前になっていったっていうふうなこと。
スピーカー 1
で考えると、当然ですけども、それこそ前話した表赤と鍵赤の話だったりだとか。
やっぱり僕たちインターネットでもこの優しい関係を維持するためにやっぱり苦労してるんですよ。
スピーカー 2
ネットでも。
スピーカー 1
ネットでも、そうそう。っていうふうなことを、もうこのインターネットが流行り始めの頃からこの土井先生はおっしゃってたっていうのを見たときに、当たってると思って。
スピーカー 2
おー、そうだよね、まあね。
スピーカー 1
これは一個すごくびっくりしたとこだったし、すごい先見の目じゃないですけども、あったんだなっていうのをびっくりさせられましたね。
というのが、携帯からスマホへ、ネット空間も昔は本音を語れるけどみたいな、でも今もなんかだんだんそっちも、リアルとバーチャルのネットと対面の区切りみたいなものがどんどん曖昧になってきたよねっていうふうなことが、
すごく、まあ予言とは本音は言ってませんけども、すごい当たってるなっていうふうになりましたし、うん、そこがすごく私として一個びっくりしたとこなんですけども、まあ一回そこに関して坂木パルフォンどう思いますか。
現代の若者の価値観と新たな居場所
スピーカー 2
あのね、これすごくわかるのがまず一つあって、過去の回で裏顔を持つかどうかみたいな話をこのポッドキャストでもしました。
振り返って聞いてもらえたらなと思ってます。で、その時、自分裏顔ってギョキダルマ式に増えるよねっていう話をしたんですよ。
覚えてますかね。表顔があって、表顔はもう世間的に自分の顔とか諸々が明らかになってる状態のアカウント、まあいわゆる公開アカウント。
でもここは優しい関係でつながってるから、自分の本当の言いたい本音のことではなく、まあ自分がやってる趣味の話とか、まあそれに関連する話題しか基本しゃべらないのが一つありますと。
で、そうじゃなくて、まあもちろん一応あの話したいなって思うのが裏アカとしてあって、で、これが多分そのいろいろ悩んでる自分とかまあ諸々とかをさらけ出したアカウントとして用意しているのが裏アカとして、基本はまあそういうもんだよねっていうイメージがあります。
というかまあ自分も使ってました、ぶっちゃけ裏アカは。で、問題はその親密な話ができるよねっていう中でも、もっと本質の自分というか、あの人様に見せられない自分、つまりまあ恨みつらみとか愚痴とかちょっとネガティブな発言とかを言うのもまたちょっとこの中でははばかられるっていうのになって、
裏アカには載ってない極秘のさらに裏アカがあるみたいな感じで、マトリョーシカみたいな形でどんどん裏アカを作っていってしまっているっていう話を私は当時していて、私もそれは今でも確かになっていうふうに思ってる部分があります。
で、考えると優しい関係の逃げた場所でもまた優しい関係を維持しなきゃいけなくて、さらにそこから優しい関係があっていくので、どんどん続いていってるなっていうのはすごく初感として自分を納得感はあるような話だなっていうのは聞いてて思いましたし、
スピーカー 2
戻ってくると、いわゆるネット空間がそういう吐き口じゃないけれども、優しい関係というのから解き放たれて本当の自分を見せられるような場所だったっていうのも、それもまあだいぶ難しくなってきたよなっていうのも感じます。
あとね、最近の話で言うとさ、インスタグラムがいわゆる優しい関係を見せるような感じで使われちゃってて、いわゆるインスタ映えとかキラキラしてるものとかに疲弊してるよねっていう話がありました。
で、それに対抗して本当の自分を見せましょうっていう優しい関係から離れたものとして生まれたのがビリヤルなんですよね。
スピーカー 2
これはビリヤル成り立つ知ってる人はね、そう知ってるかなと思うんですけれど、飾らない自分をその場にいる状態ですぐ撮ってみたいな感じだから、飾れないんですよインスタみたいに。
ありのままを撮るみたいな感じで撮るのがビリヤルだったんですけど、今度はビリヤルでもキラキラした自分を見せようっていうのになって、ビリヤルでも場合とかを意識したい、友達と一緒にいるタイミングでしか撮らないみたいなのとかをやったりするんですよね。
ってことを考えるとどんどんどんどんそういう優しい関係っていうものがどんどん狭まっているよねっていうような感覚はすごく感じますねっていうのが私の感想です。
スピーカー 1
たかのさん、たかのえつこさんという方が書かれた20歳の原点、男女はやさんが書かれているというようまで知りません。これはどちらも若い女性が自分の日記を綴ってそれを後から編集して本に出版したっていうふうなものだったんですけども、
今すごく坂木バラ君が言ってくれたような裏赤の裏赤の裏赤のみたいな、自分の本当の部分みたいなものをどんどんどんどん出していきたくなる、ビリヤルだって飾らない自分を出したいっていうふうなところっていうふうに、どんどんどんどん本来の自分っていったものを求めたくなるっていうこと自体が結構最近の傾向っていうふうな感じになってるんですね。
さっきも言った20歳の原点、たかのさんがこの本、この本が出版されたのが1970年ぐらい、さっきも言ったような学生闘争の時代ですから、この時代は自立した自分になることをすごく求めるんですね。
自分が今未熟で、その未熟な自分を自立するんだ、もっともっと人様に出ても恥ずかしくない自分になっていくんだっていうふうな方向で、それと生きづらさっていたものが攻めき合っていくっていうふうな日記になってるんですけども、
思っていれば学生運動、従来の規範ルールに反抗していく、最初から決まったルール、最初から与えられた地位、そういったものに対して反対をしていくっていうふうな時代背景だったわけですけども、一方で万丈さんの卒業まで死にません、ここで語られていることっていうのは、ありのままの自分を認めてほしい
何かに変わることじゃなくて、このままの私を見てみてほしい、でもこのままの私っていうのはリストカットをしてしまったりだとかっていうふうなことをして、なかなか人様に見せられるものじゃない、でもやっぱりその自分を見つけてほしい、認めてほしいっていうふうなところで、さっき方向が違うっていうふうに言ってたのはそういったところなんですね
自分が変わろうとする、自分が変わっていこうとする視線、それが学生運動の時代だった、でもそういうふうにあらかじめ決められたものを否定するっていうふうな時代から、あらかじめ生まれ持った自分の固有のものを認めてほしいっていうふうな時代に変わってきてるよねっていうふうに言ってるんですね
スピーカー 2
なるほどね、なるほどね
スピーカー 1
だから裏垢の裏垢の裏垢の裏垢を僕たちは作っちゃうし、その純粋で純粋で純粋で純粋な自分を認めてほしいからこそ、どんどんどんどん裏垢が作られちゃうし、BDRっていったものが流行っていくのもやっぱこの純粋のコアの部分、自分には人様に見せられないかもしれないけども
混じりっ気のない純粋な何かそのコアの部分があると信じてそれを見せたいって思う、でそれを多くの人に認めてほしいっていう承認欲求がどうやら、これはなんか最近の若者というかそのこの友達事故が書かれた頃からにはもう生まれて始めてた傾向みたいなんですよね
スピーカー 2
なるほどね
じゃあ今の13歳って、そのありのままの自分を見てほしいという傾向が強まったっていうふうに田中的には感じてるってことであってます
スピーカー 1
というのも、それが次の話題になっちゃうんですけども、いわばこの友達事故が書かれたのが2008年ってことは18年前ですよね
18年前に、例えば高校生だった18歳だった人が今、プラス18で36歳とかになったとしたら、もう中学生のお子さんとかがいてもおかしくない時代なんですよね
そうなった感じで、いわばそういうふうな優しい関係によって何とか自分の自己肯定感を、や承認欲求を満たしたくても満たせないっていうふうなところ
その満たせないところっていうふうなのは何でなのかっていうのは、当然その背景として家族関係であったりといったものも絡んでたりとかして
でもそういうふうに育ってた人たちが今度は子供を育てる番になったってことですね
そうなった時にこの優しい関係が今どう変化してるのかっていうふうなところはちょっとここで論じたいかなと思ったテーマの一つです
スピーカー 2
はい、じゃあ田中的にはどう思ってるんですか
スピーカー 1
はい、そうですね、前置きが長くなっちゃったんですけども
じゃあこの優しい関係っていったものが、今の13歳たちにあるのかどうなのかっていうのは
少なくともですけど、僕はある、まだ残ってるし、全く同じ関係ではないけれども
さっきも言ったようなSNSの周りのことも含めてより尖ってるんじゃないかなっていうふうには思います
うーん、なんかそう思った理由はあります
スピーカー 1
はい、そうですね、これじゃあなんで今から18年前の若者たちがそういうふうに承認欲求を求めるようになったのかみたいな説明のところに
背景として言ってたのが、家族関係っていうのが挙げられています
これは、さっきも言ったような、昔の親と子供の関係っていうのは、親が立ちはだかる壁としてのイメージが強かったんですね
既存のルールというか、この親を越えていかなければ自分が育てないじゃないけども
よく言う、東京に行くなんて許さん、地元で就職しろとか
女なんだからそんな大学行かなくていいみたいな、そういう固定観念というか、既存のルールに従う壁として機能をしていたんですね
でも時代がそこから続いて、友達時刻2008年ぐらいの親御さんたちは、そういう縦の関係じゃなくて横の関係で子供との繋がりを意識していると
スピーカー 2
その横っていうのはどういう関係なんですか
スピーカー 1
友達みたいな関係ってこと
スピーカー 2
親と子供が友達みたいな関係ってことか
スピーカー 1
対等なんですね、だから親に対して明確にぶつかったりとか反抗期があったりとか、昔ほどするわけじゃないっていうふうにこの本では書かれてます
スピーカー 2
確かにね、反抗期の割合も減ってるみたいな話は聞いたりはしますけどね
スピーカー 1
だから明確に昔だったら、親に対して反抗する子供という形で親と対立しながら、そういうふうにやっていった中で
それが時代がだんだん上ってきて、今度は親と子というか友達同士みたいな関係になってくる
で、時代も時代で、昔みたいに絶対的なルールが確かにある時代じゃなくなってくるわけですよね、最近になればなるほど
そうなってくると、親も自分のルールが本当に正しいのか、自分はこれが正しいと思ってるけど、それを自分の子供に対して適用してもいいのかっていうのがわかんないんですよね
そうなってくると、結局親もわかんないながら子供と接する、子供も子供でどう接していいかわかんないし
明確な正解みたいなものを親が出してくれるわけでもない、みたいな感じで
お互いにどうしようかみたいな、手探りです、家族関係、どんどん複雑化していったっていうふうなことが
一つの家族関係の背景として、そういうふうに優しい関係の、若者の自己肯定感であったりだとか、低い承認欲求の背景として一個挙げられてるんですけども
じゃあ、さらにそれが時代を下って今になりましたっていうふうになった時に、世の中って今から20年前もわけわかんなかったけど、今もっとわけわかんなくなってるし
なおかつ、今、若者たちが見れるネットの世界っていうものは、当時のメールとか、もしくはネットで繋がれる、当時のインターネットで繋がれる時代
スピーカー 1
繋がれる範囲とは比べ物にならないぐらい広くなってるし、ちょっと言うと玉石混合になってると思うんですよね
そういった、言ってしまえば複雑化した世の中で、親もどうしていいかわかんないっていうふうな状態
なおかつ、子供は親を絶対的な正解としてみなすこともできず、かといってネットはネットで、またそれもそれで優しい関係がどんどん進捗してきている
っていうふうなものを幼いうちから見て、どんどん育っていくっていうふうにやっていくと、もしかしたら
この土井先生が書かれた頃の優しい関係よりも、より複雑な人間関係の力学であったりだとか、人と付き合う上での
やらなきゃいけないことみたいなものが難しくなってるんじゃないかなって、僕は思いました
スピーカー 2
なるほど、ありがとうございます。ここまでの田中の意見を踏まえて、僕は真逆の意見なんです、実は
スピーカー 1
はい
また面倒くさいことを指してるなというふうに思っている方、申し訳ないんですけれど、これも私の考えなのでちょっと話させてもらいますね
スピーカー 2
説明しますね、これ。どういうことかっていうと、今まで言っててくれたことっていうのは、いわゆる優しい関係で決められていて
周りは優しい関係で決められていて、かつ親からの圧力みたいなものとかもどんどんなくなってわけわかんないことになっているっていう話だったんですよね
で、いわゆるどういった価値観があって、それにすがれる場所がなくなってわけわかんないことになって、でも本音は言えない、じゃあ自分はどう思ってるんだろうっていうのが言ってたことだと思うんですよ
で、僕の考えは、今の13歳にとってすがりたい価値観とか、こういう自分であったほうがいいっていうのって、自分たちの内面にはもうないんじゃないかなって思うんですよね
スピーカー 1
おー
スピーカー 2
つまり、自分がこういう人間でありたいなーっていう気持ちが世の中的に認められなくて、周囲の友達にしゃべることもできなくて、みたいなのが今までの悩みだったと思うんですよ
その自分の本音がもうないと思ってるんですよ
仮にその本音があるとすれば、その友達とか優しい関係が作ってきた価値観なんじゃないかなーって思うんですよね
わかりますかね、具体例を話しますね、いわゆるルッキズムとか、わかりますか、いわゆるルッキズムっていうのは、これ今更説明するのもちょっとあれなんですけど
いわゆる集計恐怖症とかの問題とかあるじゃないですか、あれじゃないですかって実際当時さんの人には申し訳ないかもしれないですけど
でも、版面を良くしたいとか、整形の話とかってほんとここ最近になってめちゃくちゃ増えてきたように私は思っていて
ゴンチャとか行った時にね、女子高生の子たちが整形したいっていうのをね、結構聞くんですよ
スピーカー 1
そんなカジュアルに、ブチ整形とかね、言ってたりするよね
ボトックス入れたいとか言ったりするとか、こんな身近になっていってんだなっていうのも感じたりとか
あとはその流行りのものがあったらそれは全部乗っかるみたいなものとかも、それを持っていない自分っていうので疎外観を感じてしまうから嫌っていうのになってくるんですよ
スピーカー 2
わかりますか、こういうことを話していくと、周りの友達とか世の中とかが決めた価値観みたいなものを、世の中的な価値観っていうのは確かにもう命じたら怒られるんでもう言えない世の中になっちゃったんですけど
でもだからといって周りの友達が決めた価値観だったりとか周りの友達がこうしてるからっていうのに、なんとなくそれに乗っかってればなんとかなるだろうっていう価値観があって、それを本音になってるんじゃないかと思ってるでしょ
つまり周りの友達に乗っかっている自分が求める存在だろうというふうに思ってるんですよね
ってことを考えたら、その周りの優しい関係の価値観を叶えられない自分っていうことに嫌なんじゃないかなと思ってて
これはさっき言ってくれていた卒業式まで死にませんの話だと、周囲からは認められないような価値観の行動をしている、つまりリスカをしている子が周りから認められないんだけれども
でもブログの中だったらその本当の自分を見せられるから見せていたっていうのがあるんですよ
でも多分そうじゃなくて、世の中の流行りに乗っかれなかったり、友達との内輪に乗っかれない自分っていうのに嫌気がさしてんじゃないかなと思ってて
スピーカー 1
今はね
スピーカー 2
自分が本当に思っていることの吐き口としての優しい関係じゃないっていうんじゃなくて、それをそもそも思っていないから優しい関係がその価値観を決めてくれてんじゃないかなって私は思ってるんですよ
スピーカー 1
自分の本質、自分の本音みたいなものが真ん中にあって、それを囲うように優しい関係と外面じゃないけども無難な感じで済ませる表の顔があって、でその表の顔の中に本当は自分が言いたい本音があるみたいなこういう二重構造じゃないけども
外側と内側みたいな感覚だったけども、そもそもこの内側っていう考え方がそもそもなくて、優しい関係というか自分が所属している人たちに合った自分、例えば部活で集まってるやつらとはこういう自分、クラスでつるむやつらはこういう自分
あとネットの友達との間ではこういう自分みたいな感じで、そこをその場面に合わせた自分がこう出てってるっていう感じというか
スピーカー 2
で、それに合わなかったらどうしようっていう風になって、優しい関係には直接言えないからまた別の場所探すっていう行為は一緒なんだけど、そもそもの価値観として優しい関係に自分の本音が乗っかってるんじゃないかなって私は思うんですよ
で、その吐き口がじゃあ今のネットでもなかなか本音がしゃべれないっていう風になったらどこに行くかって考えたら、どこだと思います、私は2個あると思ってるんですよ、一つ目東横、というのは、もちろんその中の非エアリティとしてまた優しい関係があるっていうのはさておき、ネットじゃなくてリアルでそういう人たちが集まる場所に行くっていう行動するんじゃないかなと思うんですよ
スピーカー 2
まあいわゆるネットでも着飾れないから、でもその中でわかってくれる人がいる場所があるっていうので行くっていうので東横に行くっていう流れがあり、つまりオンラインじゃなくてオフラインのそういった場所に帰ってくるんじゃないかなと私は思ってます、ただそこが帰ってくる場所は残念ながら家族ではないかなと思うんですよね
で、もう一つ、たぶんこれパッとはイメージできないかもしれないですけど、たぶん聞いてみたらわかると思います、VR、VRチャットとかも、あれとかは自分の例えば容姿とかそういったものが嫌じゃないんだけれども、そういったのを離脱していわゆるVRの中、バーチャルの人間としての自分っていう場所がまた別にあって
そこが吐き口になるんじゃないかなと思ってるんですよ、なんて言えばいいか、本音の中でその友達に合わせられない自分っていうのっていうのは、まあ例えば政権にしてもその流行りのものを買うにしてもお金がいるんですよね、めちゃめちゃ
でも、まあそういった、でもこういった理想の自分でありたいなっていう、周囲の関係が決めた理想の自分でありたいなっていうのをVRだったら、まあゴーグルさえ買えば全部叶えられちゃう部分があるんで、そっちに行くんじゃないかなっていうのは私すごく思ってる部分ですね、っていう考察なんですけれど、どうですか、どう思いますか
スピーカー 1
いわゆる東横界隈みたいな話は、この本でも書かれてたネットの集団自殺についての話の延長線上なのかなっていうふうに思います、この本の中で言われてた集団自殺をする人たちっていうのは、おのおのの死にたいと思った理由も、おのおのの属性とかも一切知らないんですよね
ただ、お互いがお互いに死にたいと思ってる、死に向かっているっていうふうな、そこだけ共通してる、ふわっとだけど、でもだからこそ死に向かっているっていうふうなところが明確にはっきりしているからこそ、お互いのことを逆算的に認められるというか、お互いのことは詳しく知らない、でもこいつも死にたがってるし、俺も死にたがってる
性に対する死みたいなことで逆にお互いのつながりを感じられるみたいなことを、この本の中では書かれていたというふうに僕は解釈したんですけども、ある種東横界隈であったりだとかっていうのもそれに近いものなのかなっていうふうに思ってて
そういうふうに家にも居場所がない、ネットにも居場所がない、そういった中である種そういう一箇所に集まってリアルで会うようになっていくっていうふうなところっていうのは、多分ですけどお互いがお互いのことをそこまで詳しく知らなくても、ある種の、それは場合によっては非公であったりだとか反社会系のことであったりだとか、そういったモラルに対する別のものであったりだとかっていうふうなもの
というふわっとしたつながりの中で、つながりを得られているっていうふうな構造はもしかしたらその似通ってる部分があるのかなっていうふうには思いましたね
スピーカー 2
たしかに、今の13歳がどういう友達関係なのか、その優しい関係がどういうことなのかっていうのは、結構わかってきたんじゃないかなっていうふうに思ってるし、自分はまあなるほどなって思う部分がありました
現実の人間関係と1対1で話す重要性
スピーカー 2
ただ、現実13歳どうしたらいいんですかっていう
スピーカー 1
はい、知りたいですよね、答え
スピーカー 2
うーん、ちょっとね、分かったんだけど、じゃあどうしたらいいんですかって
スピーカー 1
どうしたらいいんですかって、僕も知りたいなと思って、この本にも答え載ってないかなと思ったんですけども、そのことに関しては考えるきっかけにしてねというふうに書かれてたので
元を本に呼べば答えがあるというふうな終わり方でもありません
スピーカー 2
本、本
スピーカー 1
もう本当に、なので、なんというか、分かんないっていったところが本音になります、これは本音です、分かんないです、僕たちもどうしていいか分かんない
スピーカー 2
うん、なるほどな、じゃあまたちょっと別の切り口から僕が考えようかなと思ってるんですけど、答えがないなら僕が出そうと思うんですけど
お願いします、出してください、これ答えを
スピーカー 2
はい、じゃあ振り返って、たなかんをちょっと振り返ってほしいんですけど、じゃあ本音を言えた友達ってどこにいました
スピーカー 1
あー本音を言えた友達、ごめんいないかも
スピーカー 2
いないかも
スピーカー 1
ごめんいないかも
あーいや、高校の時に喧嘩した友達がいるけど、そいつとは喧嘩したから、そういった意味じゃ本音は出せた
スピーカー 2
あーそうか
スピーカー 1
そういった意味では、ちゃんと本音というか、良くない方向で本音が出た
はい
なるほどね、ちなみに僕の結論言いますね、やっぱり現実に帰りましょうという話でございまして、普通に学校の友達が一番関係になんじゃないかなって私は思ってるんですよ
スピーカー 1
なるほど
スピーカー 2
最近というとこも含めなんですけど、いわゆる優しい関係で規定されてるものってインターネットの方が影響強いなーってことを率直に思ってて
というのも、例えば友達がインスタで旅行行ってたりとかコスメを買ってたりしてるのでいいなーっていう風にしてることとかもあると思うんですよ
でも、そいつの本音って別にそいつも出してないじゃないですか、ネットには、なら台湾で膝つき合わせて喋ろうぜっていうのが俺のスタンスでして
スピーカー 1
原点回帰
スピーカー 2
そう、話そうっていう結論、現実に戻って台湾で喋ろうぜっていうのが俺のスタンスなんで
僕もこの話をするのは、僕もそういう感じで台湾の喋るのに戻ってきたっていうのが実はあり
中学時代とか高校時代とか、僕はもうそういう、現実の人間関係にあんまり暗中しないタイプだったっていうのは過去の回でもしてたんですけど、そういうタイプでした
なので、僕は結構当時からTwitterとかそういったところに結構いて、いわゆるネトモって言われる存在とかが自分の中では結構関わりが多かったかなっていう風に思ってます
でも、やっぱその関係の中でも優しい関係っていう風に言ってくれた通り、本音をなるべく言わないようにしようっていう動きは確かにあって
ネットの中でもね
スピーカー 2
そうそう、例えばその趣味の話でつながってる界隈だったら、趣味の話以外の話してもえ?ってなっちゃうじゃないですか
スピーカー 1
そうだね
スピーカー 2
なので、なるべくそういう話しかしてこなかったっていうのは、当時の関わり合いの中でやっぱりネットの界隈でもそういう優しい関係っていうのはあって、それで息苦しかったなっていうので裏赤つくってみたいなのとかは確かにあったんですけど
でも、結局そこじゃなくて、現実の友達というか、最終的に僕がよくしゃべる、学校の友達とめっちゃしゃべるように降参の時になったんですよ
スピーカー 1
あ、そうなんだ
スピーカー 2
そうそうそう、高2ぐらいでネットの関わりを完全に一回断って、降参ぐらいにはもう学校の友達と基本的にしゃべらなかったんですよ、僕は
で、やっぱりその時、やっぱり学校の友達と対マンで、対マンでって言ったらあるんですよ、1対1でしゃべってる時のほうが本当の自分出せてるし、しゃべってて楽しいなっていうのを感じて、いろいろ本当の自分をその趣味の関わりの中では現実では見つけらんないかもと思ってネットに行ったけどネットもダメそうって言って、やっぱ現実に戻ってきたみたいな
スピーカー 1
あー、なるほど
スピーカー 2
そう、そういうことがあり、で、現実そういうのに自分は怯えてたかもしれないですけど、でも実際しゃべってみたら、あ、意外とこいつとしゃべるんですよね、っていう
のに、まあ自分が気づけたっていうのがあったかなっていうのが当時の振り返りです、で、これに気づかせてくれたのはまさにラジオとかだったりして
ラジオで1対1でしゃべったら、なんか結構その人の本質とか見えるんだな、なるほどなっていうので思って、1対1で友達と放課後しゃべる、勉強しながらしゃべるみたいなのがあって、そこからなんかこういうふうに思ってるんだよねっていうのをふんふん、なるほどねって友達が聞いてくれて、あ、この時にそういう関係ってできんだなっていうのを改めて感じたっていうのが当時の振り返りとして私はあるんですよね
おー、はいはいはいはい、確かに まあ、大事な価値観で言うと、複数人はやめといたほうがいいっていう、複数人だと知恵使って本音言えなくなるんですよね、これ あ、まあそのグループとかだとね
スピーカー 2
そうそうそうそう、会話の中の友達同士だったらその友達同士の関係をなるべく良くしよう、複数人でなんかみんなやるのを良くしようっていうふうに動いたりすることが多いから本音がしゃべれないっていうのがあると思うんですけど、もう1対1だったらその人とだけなんで、もうぶっちゃけ何言ったってもう、それで嫌われたらまあそいつとだけいいかっていうふうになっちゃう、割と割り切れる部分があったりするんで
自分はそういうふうに現実の友達とまあ膝つき合わせてとりあえず1回しゃべってみようぜっていうことで、いわゆる承認欲求っていうふうに自分が悩んでた部分は解消されたかなっていうのが当時の振り返りとしてありますね
スピーカー 1
でも今坂木バロックの本音で話した友達いないって言ったんですけど、思い返したらいて、それは大学になってからなんですけど、同じ高校で関西に来た他の大学の友達ですね、で僕は大学院生でその友達は社会人をやってたりするんですけど
その時はすごい大学院生田中でもなく、就活生田中でもなく、高校時代の田中として、地元の友達が、地元で今関西で会える友達が接してくれるし、その時はすごいなんというか、さっきも言ったような優しい関係とか意識しなくて本音で話せるというか
その時はその認めてる認められてるとか関係なしに、なんかすごい気楽にしゃべれる、こだわらなくていいっていうその安心感があるから、そういった意味で言うと確かに坂木バロックの話聞いて、学校の友達、まあその学校の友達ですよね、でもなんか僕がその学校の友達のありがたなさに気づいたのは、地元を出てからだったなっていうのを今思い返しました
スピーカー 2
おー、いるじゃん、やっぱ いた、よかったー、やっぱいるじゃん、心配するとこだったよー、いました、はい
言ったらとりあえず1対1で率直にしゃべるやつを作ったらいいんじゃないというのが私の考え方でもあり、たぶん田中もね、田中として見てくれたっていうふうに言ってくれたんじゃないかなっていうのはまさにそういうとこなのかなっていうのは思いました
意外とその時、高校生の時とか中学生の時はもしかしたらその優しい関係での友達だったかもしれないけど、そっからお互いが別れずの道に移っていって久しぶりに会った時、本音の関係みたいなものが見えるのかもしれないなっていうふうに思いましたね、ちょっとタイムラグがあるというか、人によっては
スピーカー 1
もうあるのかなっていうふうなのは、僕の実体験から思いましたね、でもやっぱり巡り巡って対面で話すってことが本当にバカにならない、いくらリモートリモートって言ってる世の中でもやっぱそこは使い古された言葉ですけど、人肌じゃないけどさ、温かみみたいなものっていうのは本当に大事なんだなっていうのが今回の回で僕も再確認できました
まとめと今後の展望
スピーカー 2
一つのヒントになってくれたらなというふうに思っております。ということで今回の13歳からのポッドキャストは、友達地獄という本を読んで、今の友達関係がどういうふうになっていってるのかっていうのを振り返りながら、承認欲求についていろいろと考えてまいりました、まあそうですよね、難しい時代になってきてるというか、私たちもまだちょっとわからない部分が多かったりするっていうか、たぶん誰もわかってないと思うんですよ、そんな
この本ですらもう結論は避けてますから、結論の名言はね。 そういった中でね、ちょっと自分たちなりの考え方みたいなところも最後まとめて喋ってまいりましたので、悩んでることあればうちらのポッドキャストに聞いてもらえたらと思うので、お便りをお待ちしておりますというところです、はい、ということで今回の13歳からのポッドキャスト、今回もご視聴いただきありがとうございました
スピーカー 1
ありがとうございました。 ぜひみなさん次回もよろしくお願いいたします。それではまた、さよなら。 またねー
54:00

コメント

スクロール