1. 1000人の声あつめ
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2025-10-13 22:20

#1-1 2017年夏ごろ/足立区/千住

#1-1 2017年夏ごろ/足立区/千住

00:01
覚えてますよ、私は。田舎生まれだから。
田舎の宮城県出身。そうだね、もう5、6歳。
5、6歳の時に畑に行って、田舎だから大豆、大豆。
大豆が弾けたら拾ってこいとか。
それから今度は田んぼに行って、種を植えたり、稲を刈ったり。
その穂、昔だからね。
そういうのを拾って、かぐをここに置いて、拾ってくるときに、いろいろとか。
置いていたり。
学校に上がって、1年生あたりに上がって。
学校は近かったから、私が帰ってくるのは農家ですからね。
何しろ小さいところで働かせられて、とにかくお手伝い。
もうね、親の言うことは家内で怒られちゃうんで。
それで、やることやれば遊んでいいよ、宿題やっていいよって言われるけど、
やることをやらないと農家だから、もういっぱい田んぼも畑もいっぱい作ってるから、
いろんなもののお手伝い、やりました。
1年生なり2年生になって、夜は宿題やったり。
それで、私が14歳のときに修生になったんですよ。
14歳か5歳かな。
そのとき修生。
真っ暗いところで勉強もしたし、ほうくんを掘りもやったし、
そういうことも17、18歳のときやりました。
一番小さなのがシソだし、4歳か5歳あたりは、
そういう畑のところに行ってやったり、草を採ったり、
シソをもみ取って、梅を作るから、梅を採ったやつを拾って、拾いとかやらせてみました。
梅節を干して、そういうのをお父さん、お母さんはやる。
兄弟、女、4人兄弟で、姉ちゃんもいたし、私も下から2番目、上から3番目で、
下に妹が北海道にいるんだけど、北海道の帯広にいます。
で、1番上の姉ちゃんは死んじゃって、2番上の姉ちゃんは今90歳。
90歳。それで今、病院入院中。
それで私が東京へと着いて、下から上の娘のそばに住まえて、
それで、下と大きい茅、お宅は知らないね。
青い茅、知らないかな、知らない。茅、真っ青い茅、その中で虫がいっぱいいたんで、
寝られないのに薬がなくて、火薬工場をやってたの、うちで。
そこへ私が届いてきたの。
火薬?
そう、それ。
それを作ってたの?
作ってたところに来たの。読みに来たの。
作ったら工場のところに読みに来たの。
そうそう。
で、一緒に作ってたの。
作ってたの。炭油をたくさん使って、炭込み使って、
それで、古いんだけどアパートが少しあって、そこに美宿にうちのおばあちゃん、
しゅうとさんたちだね、うちのお父さんの親だね、いて、
03:00
その人たちがそれを経緯してて、美宿に起きながら、
私が田舎から来たから、田舎からあちこちから親戚から女の子を呼んで、
そのうち火薬が、だんだん薬ができてきて、火薬もいらなくなって、
洋服に切り替えて、洋裁も誰も知らないんで、
そこの町屋っていうところに大金さんっていう洋裁屋さんがあったの。
そこで、じゃあ教えてやるから、その金はあげられないよと、
腕に仕込んでやるから、お金は一銭もあげられないけど腕に仕込む。
修行みたいな。そこに女高さん連れて、
うちのお父さんも私もバスで弁当持って、そこ行って、
その洋裁を教えてもらって、それが何ヶ月か半年もいったから、
みんなでアイロン掛けを教えてもらったり、縫い方を教えてもらったりして、
それでうちのお父さんが土屋さんに知ってる人がいたんで、
そこで記事をもらって、それをやったけど失敗ばかり多くて、
買取させられて、失敗するんですよ、やっぱり型紙やるのにね。
失敗して、ずいぶん泣きましたよ、お金がなくて。
もう大変な思いをいっぱいしましたよ。
でも、やっぱり頑張ったから。頑張ったから、
それが今度はだんだん洋服の記事屋さんから信用されて、
一流の東京スタイルとかそういうところの頼まれてやるようになって、
それでうちを建て直して、建て直して5年経ってうちのお父さんが、
ちょっと心臓が悪くて、もう10歳で亡くなった。
それで私も娘一人なんで、それでお父さんがいないから、
今度は祭壇をする人がいないのね。
この製図する人で、縫うのは私が縫えるけど、
機械で切るのが切っていかれないのね。
こういう高く50倍も60倍もこういうのを並べて、
それができなくて、私も働き始まって、
娘もデパートの方に始まって、
従業員とかなんかはみんなバラバラに帰ってもらったりして、
それでも帰ってもらっても、やっぱり働いた人は何年もうちで働いたから。
それで釜、釜、お釜の釜。
お釜の釜に釜の貝。
だからお釜一緒にご飯食べたくて、釜の貝っていう名前をつけて、
これで今度新年会、福島からどこかに行って、
新年会、福島からどこかに行って、
横浜とか立川とかあちこちに散らばってる人が、
みんな孫さんがいて、孫さんがいて、それがね、集まるんですよ。
この何日も日曜日だ、釜の貝ずっと続けてるの。
だから私も新聞に載っかりました。
釜の貝の主催で。
釜の貝の主催で載っかりました。
それで、ちょっと場所借りて、みんなでいっぱい飲んで、
歌ったり踊ったりして、それでみんなメインに帰って、
この貝は私いるうちは続けましょうということで、
パンジェさんから大きくはがきで出席するかしないか。
私の家は元だから、私が草家って言うんだけど、
奥さんは保証隊。保証隊でもキープするんじゃいけないけど、
06:00
うちは私は保証隊としてはがきいただいて、
2月の2番目の日曜にやるんですよ。
そういうの続いてるんですよ。
だから新聞に載っかったんです。
苦労したからってね。
うまくいってたらきっとそんな集まらない。
住民も私もオーナーコードして、
11人も中に入ってお嫁さんにしたりして、
そういうのがみんな全うして、みんないい暮らし、いい家建てて、
誰も離婚した人も誰もいないし、頑張ってるんです。
だから私も会うの楽しみ。
その子たちも奥さんに会うの楽しみだって1年に1回。
1年に2回。1回はそういう会。飲んで会。
2回目は旅行すんの。旅行。
たとえ一日の昨日とかあたりとか。
温泉とか。
温泉とか。釜山の会の出席者をアンケートとって、
それでやってるんですよ。
だからずっとね、私がいるうちは続かった。
だからお父さん死に30何年だから。
30何年続いてるんですよ。
だから新聞に私載っかったんですよ。
おばさんというか、その人の息子だの娘だの弱くて、
弱くて美容病院してるんで、
そのおばさんが、私も親戚になってから、
私も学校終わって20日ものになってから、
電話くれて、もしかしたら手伝ってくれないかって、
ご飯炊きでも何でも手伝ってくれないかって、
電話よくされて、私も若いから東京に憧れちゃって、
来たほうがいいと思って、こっち来て手伝ったの、そこへ。
そこにもお父さんがいないわけよ。
それで、来てくれないかっていうことになって、
それで一緒になっちゃった。
全然違いますよね。
当時は大変ですよ。
畑仕事とかしないからまだ。
畑しないけどね、やっぱりね、
またこっちはこっちは大変なこと。
日本だから大変ですよ、人多で使って。
18人のご飯です。
それをね、来たときに巻き割ったりね、
なんかしてへっついてね、
今みたいに電気カメラがないから、
気持ち悪くなって、
それでご飯食べたんですよ。
だからね、本当にね、
私たちの苦労なんて今の若い人にはね、
わからない。
言ったってわかりません。
この辺の町って、
その頃はどうだったんですか?
その頃は土豚。
土豚ばっかり。
篠とか葉っぱ。
笹餅作るみたいな葉っぱ。
私は来たときはその土豚を食べて、
その土豆を食べて、
その土豆を食べて、
その葉っぱ。
私は来たときはそんな少なかったけど、
うちのおばあちゃんたちは長屋ばっかりで、
その長屋を1軒買って、
うちのおばあちゃんたちも努力して、
その長屋8軒長屋をずっと
うちのおばあちゃんたち買ったわけ。
それをね、
うちでこの通り、
これだったら8軒長屋みんな、
1列、2列、3列、
みんな長屋8軒です。
うちはその真ん中の8軒の長屋を
うちのおばあちゃんとおじいちゃんが
努力して、
それを持っていたの。
で、それを今度、
よそのうちは買えない。
09:01
買わないから、
みんなこの長屋も売り出して、
みんな1軒1軒みんな買って、
作り直して、
みんな今自分の家になってるけど、
私の家は道路から道路まであるわけ。
全部の長屋がある。
半分をうちの娘よりも、
この旦那が、
本旦のエンジニアって設計師なんで、
むごさん、うちのむごさん、
うちは娘だから、
むごさん、いいとこつきむごさんも来てくれて、
対象金を当てにして、
対象金と、
少し残したお金と、
私も少し出してあげて、
3階建てのビルじゃないけど、
鉄骨で、
今ここに電気大学もできた、
電気でない、
そこに後ろに出た、
その大学もできたんで、
4年前、
4年前に、
3階、3階だから、
ワンルームだけど、
6個、
スクールガゴとか入って、
それが入ってます。
住宅も半分、アパートも半分、
アパートは若い人が住んでるから若い人の収入、
今借金返してきたのね。
私は86になって、
何もしないで、
子どもたちにめんどくれてもらってるけど、
自分のことは自分でできるから、
踊りの会に入ったり、
体操の会に入ったりして、
子どもたちに言われたりして、
今の社長はまだ離れたらしいですよ。
まだ生まれてないぐらいじゃないか。
おばあちゃんがいて、
そのうちのお母さんがいて、
そのうちの先祖と先祖?
そうだね。
だいぶ変わりました。
ねえ、渡辺さん、
私が来たときは、
おばあちゃんがいたんだ、
大おばあちゃんがいて、
それのせがれがいて、
せがれたちが経緯して、
せがれたちが亡くなっちゃったり、
そういうことは今の社長。
今の社長。
みんな知ってますよ。
荒川の、来たときも。
荒川の?
全然違うんですよ。
土手とかは普通なの?
土手も汚い、汚い。
イビガニがあって、
私が取りに行ったんだもん。
カニとか捕まえたりとかした?
今は全然違う。
綺麗になりました、今は。
泳いだの?
うちのお父さんは泳いだみたい。
泳いだんだからね。
だけどお父さんは若かったから、
ここで生まれたんですし、
お父さんは泳いだみたい。
大体まあ、
私も長屋だからさ、
誰かの町元?
長屋ってのはさ、
一つ残りで四つになっているわけ。
四軒長屋。
そこで切れて、まだ四軒長屋。
八軒長屋って言ってたんですよ。
一列で八軒やったの。
中間に共同水道ってのがあって、
それで四軒四軒が集まって、
そこで共同水道。
今でもうちの、うちは長屋から、
うちのとこにありますよ、
共同水道ってあったんだけど、
12:00
今みたいなあれじゃないよね、
木で立て掛けてるね、そういうの。
じゃあ四家族、四家族が住んでる?
住んでるんだね。
そこ集まって、そこで
お勝手の洗い物をしたりしてたんですね。
平屋ですか?
平屋?もちろん平屋。
平屋で木造ですよ。
全然変わったよ。
火事とか多かったんですか?火事になったりとか。
火事はあんまりないね。
そこうちのすぐ近くにね、
野球稲荷神社って、
神様はすぐうちのそばにあるんですよ。
火事の神様なの。
火事の神様。
そこはね、やっぱりここは火事が少ないっていうことは、
やっぱり火事の神様が守ってくれてるから、
あそこにうちのすぐ隣に、
神様があります。
火事の神様すごいですね。
野球稲荷神社って。
本社が松山、東松山、埼玉県。
ところがここは死者になってるのかな。
大きくありますよ、そのそこに。
あの氷川神社とか千住神社とか、
あれはずっと昔からあったんですか?
氷川神社はありましたよ。
昔からあった。
うちは氷川神社の天前、すぐそこだからうちは。
ここ出てすぐ神社に入ったら、
一つ二つ目の路地に入ったとこ、うちだから。
そこに神社ありますよ。
それは松山の、
本堂が東松山で、
それでここにもって、
それ私来たときからあったから、
でも建て直したりして、
今は立派になって、
今度も高地して立派になったけどね。
火事の神様、火の神様だから、
火事は少ないってよくね、
この辺はね、言われてるんですよ。
だからお参りが初詣でも何でも、
私らもきちんとね、お参りするけどね。
そうやって火事が起きてるんだ。
じゃあこの辺は、
不思議なことって何だろう。
何かこういうの、
今でも分からないってこと。
そんなのないんですか。
そんなのはない。
いやあったんだろうけど、
忘れちゃったよね、そういうのね。
86にもいろんなことありましたよ。
あったけどさ。
じゃあここは完全に少ない。
変わるんじゃない。
変わるんじゃない。
じゃあ何か、
やっぱり昔の、
ニコニコ商店街なんていうのは、
朝一があって、
都電がね、
水田行くからね、
1014丁目で都電が通ってたの、都電。
道子さんがお嫁さんになった後でね、
ごちそうさまでした。
人がいなくなっちゃった。
そこのニコニコ商店街なんか、
お店何にもないですよ。
もう夜なんか誰も歩いていません。
前はね、もうね、
賑やかでね、
ニコニコ商店街行ったらね、
誰も知らない人がいないぐらい賑やかだった。
それ、ためにも形もありません。
そんなのは寂しいなと思います。
誰かね、議員さんが、
普及して、
何とかすると、
みんな、
1014丁目に直しちゃって、
お店と酒屋さんも辞めた、
何屋さんも辞めた、
魚屋さんも無くなった、
みんな無くなる一方。
何かっていうとね、
駅前の方がね、悪いができて。
15:00
電車が、
人の駅路が無くなった。
そう、あるでしょ。
それから今度は、
買い物、大門商店街、
あの辺も、
大春とか八王子とかあったんだけど、
やっぱりおっかさんとか、
大きい、
ミニバスが通ってるから、
ミニバスで行けば、
丸いに行けば何でもそこで揃えられる。
っていうことで、
みんな、小っちゃいバスも利用して、
とっても助かるんだけど、
そういうのも、
やっぱり良いような、
だからやっぱり、
年取って、
そっちに行かれない人が、
いっぱいいるから、
やっぱりこの辺、
もっと発展してほしいな、
と思ってます。
私はね、誰でも言ってますよ、
自転車も乗れない。
そうすると、
やっぱり年寄りが、
一人暮らしが多いです。
そうすると、
やっぱりバスに乗って行くのもね、
本当に復旧してもらいたいな、
というのが望みですよね。
だけど、もう無理でしょうね。
もう無理でしょうね。
これだけ、みんな中途半端に、
3階のちっちゃい家、
どんどんどんどんね、
家壊しちゃうね。
3階建てで普通の若い人が買って、
そこに入ってるんだから、
どんどんどんどん、
この辺変わりました。
だから昔の面影がなくなっちゃったね。
だからやっぱり、
私はこの辺では、
年配の方だからね、
何年も分かってます。
何年も分かってます。
僕は60何年、
21できて、
86だから、
もう24年経つんです。
60、
60何年も経つんです、僕は。
だからね、
もう分からないことがないぐらい、
新聞記者さんに集めてこられて、
ちょっと新聞に乗っかったんだけど、
本当にね、
何でもね、
思い出せばあるけど、
でも思い出せばあるね。
ただ発展し、
発展はなくなりました。
寂しい町になりました。
それがやっぱり寂しいですね。
だから何とかなろうとしても、
これからは無理です。
無理です。
こうなったら無理です。
何にもなくなっちゃった。
だからここにあるのは宝屋でしょ。
あそこに通りに行けば、
金の屋。
天袋屋さん。
それから、
お店があって、
天袋屋さんと金の屋で、
床屋と、
自転車屋さんも、
お父さんが倒れて、ダメ。
あそこにお寿司屋さんみたいな。
そこに。
そこからちょっと行ったとこ、
お家だから。
お寿司屋さんがちょっと行ったとこ、
ちょっと右に入れば、
18:03
お家だから。
でもなんか面白い話、
聞きたいけど、
今日はまた。
じゃあ、またありがとうございました。
お家やってさ、すごかったよ。
少なくしてクーラーとか暖房とかの生活でしょ。
窓ないでしょ。
昔は、どんどん風が入るように、
大きい窓どこにもついてたの。
今の造りは窓ないの。
小さい窓。
だからいいような、悪いような、
ものなのよ。
昔は、今はドア。
入ればみんな壁。
どこのところに、
小さい窓がついてるぐらいでしょ。
だからね、それもね、
人間ももやしとなしだね。
そうじゃなくて、
やっぱり開けて、こう入れて、
風を入れて、
それのほうが体も健康もね。
それ今の子は、
寒いときはちょっと帽子かぶせる、
何もかくんじゃなくて、
だから今の子は弱いです。
ちょっと咳すると、ほら、病気だ。
昔の人は強いですよ。
今の人は、
大事すぎるというか、
まあ、そういうのがみんなかね。
だって、どの家も見てみなさいよ。
窓なんかないでしょ。
そうでしょ。
昔はさ、廊下、廊下あって、
ねえ、田舎なんか特にそうだけど、
天が上がって、
窓が、
あって、
昔の人は、じょうぶだって。
今のうちは、ただ、
パッパッパッパッパッパッパッパッパッパッ、
模型みたいにぶつけていっちゃうんだよ。
そうです。
寒いけどね、やっぱりね、
我慢、我慢、我慢。
だから昔の人は強いね。
もう、そんなね、ちょっとその人が、
暖房だ、クーラーだ、
だから子供も弱いですよ。
ちょっとちょっと風邪ひく。
風邪ひくでしょ、今の子。
3歳、5歳の子はすぐにさ、
昔はそうだね。
そういうこと。
だからね、本当にね、
あの、昔のこと言ったらきりがないけど、
今は今だけど、
世の中は悪いわけじゃない。
今、こういう時代になったんだから。
それだけ悪いわけじゃない。
誰も悪いわけじゃない。
世の中が悪くなってきた。
世の中、全体が。
世の中が悪い。
草税も食べて、ご飯も。
農家やってて、食べるものは教室するから。
農協に全部持ってかれちゃうから。
配給だから。
自分で食べるのもないぐらい。
だから麦ご飯。
多めのほうが少ない。麦のほうが多い。
そういう真っ黒いご飯食べて、
捨てる。
みんなもったいないこと、
何でするんだって思うほど。
誰がどこがいいんだか、
私も分かんないけど。
今の子はうちの孫もいるけど、
自分の子供の残したのもない。
食べなくちゃダメだよ。
子供残したの、そのまま流しに持って行ったから。
お前、何だって私言うけど。
昔と今は違うから、
しょうがないと言えばしょうがないけど、
あんまり今の人はね、贅沢。
21:01
それで金がない、金がないとかって、
悪いことする人も出てくる。
食べていかれるんだよ。
悪いことしなくたって。
怠けで金欲しいから。
それで金がないと、
これやったり、あれやったりして、
人を殺したりしてやってるんだよ。
我慢すれば、何にも辛抱すればできるの。
仕事は嫌うでしょ。
この仕事嫌だとか。
だから、与えられた仕事を真面目にやる。
外で食べるから、食べられるの。
怠け者に限ってダメなんですよ。
怠け者はね、やっぱり嘘ついたりね、
あっちこうしたらええね。
悪いことしなくたって、
悪いことでね、
いろんなことしてバケツしてね、
なんとかってあるけど、
今度依頼がしてくると、
それを誰かにぶつける。
全部じゃないけどね、
そういうの多いんだよ。
こっちは悪くなるの、
今のうち早いんで、
悪い方に頭使ってるんだ。
昔の人はね、政治好きなのいっぱいだよ。
私なんかさ、
86になったら、
しっかりしてみるっていいけど、
やっぱり苦労してきたら、
だから、そういう政治のことを見るとね、
本当にね、
いろいろ色づくって見える。
私はある。
日本どうなるのかしら。
安藤さんのほうから見るとね、
考えるときもある。
22:20

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