昨年4月8日、昭和・平成を代表するコメディアンがこの世を去りました。
ケーシー高峰。
彼が作り出したジャンルは、医学漫談。
白衣姿に、黒板やホワイトボードで解説しながら繰り出す話芸は、唯一無二のものでした。
彼の母方は、山形県新庄市で江戸時代から続く医者の家系。
ケーシー自身も一度は医学部に入りますが、親に黙って芸術学部に転部。
母親から勘当されてしまいます。
音信が途絶えた母親に、いつか認めてもらいたい、その強い思いの末に医学漫談があったのです。
本名は、門脇貞男(かどわき・さだお)。
芸名は、医者が主人公のアメリカのテレビドラマ『ベン・ケーシー』と、少年時代に憧れた女優、高峰秀子からとりました。
白衣に黒ぶちメガネ、首から聴診器を下げて舞台に現れると、何も言わずに1分間、会場の観客の顔を見るのが常でした。
今日はどんなお客さんが来ているのか、瞬時に見極め、ときにため息をつくだけで、笑いをとりました。
ビートたけしは、浅草の演芸場で常に観客を笑いの渦に巻き込むケーシーを見て、かなわないと思ったと言います。
立川談志もまた、ケーシーの話術の巧みさ、何より間の取り方のうまさに、賛辞を惜しみませんでした。
ケーシー高峰の凄さは、その才能を惜しげもなく、ふだんから披露していたところにあります。
家に遊びに来る客人はもとより、街で声をかけるファンにも、必ずひと笑いしてもらう。
舌に癌ができて大手術をしたすぐあと、マスクをしたまま、筆談だけでも笑わせる。
彼は、偉そうにすることを嫌いました。
彼は、辛い顔を見せるのを嫌がりました。
「みんな毎日辛いことがあるから、ボクに会いに来てくれるんだ。ボクが辛い顔したら、そりゃあダメでしょ」
生涯を笑いに捧げたコメディアンのレジェンド・ケーシー高峰が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
ケーシー高峰。
彼が作り出したジャンルは、医学漫談。
白衣姿に、黒板やホワイトボードで解説しながら繰り出す話芸は、唯一無二のものでした。
彼の母方は、山形県新庄市で江戸時代から続く医者の家系。
ケーシー自身も一度は医学部に入りますが、親に黙って芸術学部に転部。
母親から勘当されてしまいます。
音信が途絶えた母親に、いつか認めてもらいたい、その強い思いの末に医学漫談があったのです。
本名は、門脇貞男(かどわき・さだお)。
芸名は、医者が主人公のアメリカのテレビドラマ『ベン・ケーシー』と、少年時代に憧れた女優、高峰秀子からとりました。
白衣に黒ぶちメガネ、首から聴診器を下げて舞台に現れると、何も言わずに1分間、会場の観客の顔を見るのが常でした。
今日はどんなお客さんが来ているのか、瞬時に見極め、ときにため息をつくだけで、笑いをとりました。
ビートたけしは、浅草の演芸場で常に観客を笑いの渦に巻き込むケーシーを見て、かなわないと思ったと言います。
立川談志もまた、ケーシーの話術の巧みさ、何より間の取り方のうまさに、賛辞を惜しみませんでした。
ケーシー高峰の凄さは、その才能を惜しげもなく、ふだんから披露していたところにあります。
家に遊びに来る客人はもとより、街で声をかけるファンにも、必ずひと笑いしてもらう。
舌に癌ができて大手術をしたすぐあと、マスクをしたまま、筆談だけでも笑わせる。
彼は、偉そうにすることを嫌いました。
彼は、辛い顔を見せるのを嫌がりました。
「みんな毎日辛いことがあるから、ボクに会いに来てくれるんだ。ボクが辛い顔したら、そりゃあダメでしょ」
生涯を笑いに捧げたコメディアンのレジェンド・ケーシー高峰が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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