山梨県出身の文学者に『赤毛のアン』を日本に広めた翻訳家がいます。
村岡花子(むらおか・はなこ)。
2014年の3月から9月まで放送されたNHKの朝ドラ『花子とアン』は好評を博しました。
ドラマの原作になった村岡恵理(むらおか・えり)著の『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』は、彼女の人生をつぶさに描いています。
村岡にとって、山梨県甲府市に生まれたことは、運命を左右する重要な要素でした。
明治時代前半の、海外への輸出品目の筆頭は、お茶と生糸。
その生糸の生産で、甲府は、日本一の一角を担っていました。
甲府にはさまざまな外国人が出入りし、その中には、カナダのメソヂスト派教会の宣教師の姿がありました。
生糸商人たちの間に、信仰を持つものが増えていきます。
村岡の父もまた、カナダ人との精神的な結びつきを強くして、洗礼を受けました。
メソヂスト派教会は、日本人女性の教育レベルの低さに着目、社会進出や自我の形成をする暇もなく、家にしばられて一生を終える女性を憂いました。
東京、静岡、そして山梨に、英和女学校を創設。
女子教育の重要性を訴え続けたのです。
そんな機運の中、村岡は父に連れられて2歳で洗礼を受けます。
カナダとの深い関係は、ここから始まっていたのです。
のちに翻訳することになる『赤毛のアン』の作者、モンゴメリもカナダ出身。
その原書は、第二次世界大戦勃発を受け、本国に戻るカナダ人宣教師から手渡されました。
『赤毛のアン』の原書を、村岡は風呂敷に包み、大切にしました。
戦時下、火の海を逃げるときも、原書だけはしっかり胸に抱きかかえ、守り抜いたのです。
灯火管制の中、少しずつ翻訳をしました。
不安と絶望に押しつぶされそうになると、アンに出会い、アンに励まされ、彼女は自分を保ったのです。
「私が励まされたこの本で、日本中の女性を元気にしたい」
その思いはやがて、彼女のライフワークにつながりました。
『赤毛のアン』の翻訳者、村岡花子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
村岡花子(むらおか・はなこ)。
2014年の3月から9月まで放送されたNHKの朝ドラ『花子とアン』は好評を博しました。
ドラマの原作になった村岡恵理(むらおか・えり)著の『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』は、彼女の人生をつぶさに描いています。
村岡にとって、山梨県甲府市に生まれたことは、運命を左右する重要な要素でした。
明治時代前半の、海外への輸出品目の筆頭は、お茶と生糸。
その生糸の生産で、甲府は、日本一の一角を担っていました。
甲府にはさまざまな外国人が出入りし、その中には、カナダのメソヂスト派教会の宣教師の姿がありました。
生糸商人たちの間に、信仰を持つものが増えていきます。
村岡の父もまた、カナダ人との精神的な結びつきを強くして、洗礼を受けました。
メソヂスト派教会は、日本人女性の教育レベルの低さに着目、社会進出や自我の形成をする暇もなく、家にしばられて一生を終える女性を憂いました。
東京、静岡、そして山梨に、英和女学校を創設。
女子教育の重要性を訴え続けたのです。
そんな機運の中、村岡は父に連れられて2歳で洗礼を受けます。
カナダとの深い関係は、ここから始まっていたのです。
のちに翻訳することになる『赤毛のアン』の作者、モンゴメリもカナダ出身。
その原書は、第二次世界大戦勃発を受け、本国に戻るカナダ人宣教師から手渡されました。
『赤毛のアン』の原書を、村岡は風呂敷に包み、大切にしました。
戦時下、火の海を逃げるときも、原書だけはしっかり胸に抱きかかえ、守り抜いたのです。
灯火管制の中、少しずつ翻訳をしました。
不安と絶望に押しつぶされそうになると、アンに出会い、アンに励まされ、彼女は自分を保ったのです。
「私が励まされたこの本で、日本中の女性を元気にしたい」
その思いはやがて、彼女のライフワークにつながりました。
『赤毛のアン』の翻訳者、村岡花子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
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