1. GOOD NEIGHBOR GOOD CULTURE
  2. #1「アメリカと古着と、お店」..
2021-11-29 43:56

#1「アメリカと古着と、お店」平賀和彦×松田成人【前編】

花巻市にあるセレクトショップ「1989」の平賀和彦さんと遠野市にある飲食と物販の複合店「NOTO GENERAL STORE」の松田成人さんによる対談。アメリカンカルチャーや古着・ヴィンテージ、ふたりに共通する収集癖から、それぞれのお店の話まで。
【ゲスト】 ・平賀和彦(セレクトショップ「1989」店主・有限会社ビーンズ 代表取締役 ) ・松田成人(NOTO GENERAL STORE 店主・株式会社North production 代表取締役)
【制作】 プロデューサー・司会進行:宮本拓海(株式会社Next Commons) 編集:菅原結衣 企画:遠野市・花巻市
<SNS> ・Instagram https://www.instagram.com/goodneighbor_goodculture ・Facebook https://www.facebook.com/goodneighborgoodculture
本番組は、令和3年度地域経営推進地域の魅力向上による交流人口創出事業を活用し、「オンライン移住等プロモーションイベント開催業務花巻市遠野市連携事業」として実施しています。 花巻市 https://www.city.hanamaki.iwate.jp/kurashi/ijyu_teijyu/1015476.html 遠野市 https://dekurasu-tono.jp/news/2418.html

00:00
♪~
岩手県 花巻市と 東野市からお送りするポッドキャスト
「Good Neighbor, Good Culture」
花巻と東野 2つの土地で生まれる文化を探るため
この場所で生きる人たちに 暮らし方や働き方を聞きします
司会進行は 東野市で編集者・ディレクターとして活動する 宮本が務めます
今日は 花巻市にあるセレクトショップ1989 運営会社ビーンズ代表の平川さんと
東野市にある飲食と物販の複合手 ノートジェネアルストア運営会社の
株式会社ノースプラダクション代表の 松田なるひとさんにお越しいただきました
お二人 よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
お二人とも 花巻市 東野市それぞれで
服を扱うお店だったり お仕事をしているということで
今日はお二人にお話をしていただきたいな というふうに思っているんですが
一番最初に なるさんって呼んでるんですけど
なるさんに声がけをさせていただいて そこでぜひ東野市と花巻市で
その中の町にある人たちに お話をしていただきたいので
誰か東野市じゃなくて花巻市で お話ししたい方はいますか
ということを聞いたときに 平川さんの名前が出てきたので
今日はお二人に来ていただいています
はい なので
そうですね お二人それぞれの自己紹介も 必要だなと思うんですけど
お二人それぞれどんなお店をやっているか みたいなところから
お話をしていただいてもいいですか
そしたら平川さんから
はい 花巻市で
1989年からセレクトショップを運営してますと
主に副職とあとは友達雑貨等の販売をしてますと
はい ありがとうございます
じゃあなるさんもいいですか
はい
東野市で元ガソリンスタンドをリノベーションして
飲食店と物販の複合店をやってます
平川さんとかノートは行ったことありますか
あります
そうです プーンしてすぐぐらいですかね
すぐぐらいかな
なかなかちょっと最近は行けてないんですけど
はい 休みがある
休み自体はないんですよね
でも自分の休みはたまたま木曜日とかだったりして
03:04
なかなかちょっとね
これすっかり忘れてて
沿岸まで行った帰りに店寄ったらやってなかったみたいな
でもよくそうですよね
お店やってる方同士は休みがかぶってたりするから
行けなかったりしますよね
早速こう話に入っていけたらなと思うんですけど
そもそも二人の出会いみたいなところ
お話を聞きできたらいいなと思ってて
なるさんから平川さんを指名する形だったんですけど
それぞれ紹介していただいてもいいですか
元々きっかけ
多分僕が中学生の時にできただと思うんですよね
お店
お店が平川さんの丸川の近くですね
そうですね
今の北日本銀行のあるところですから
なんかアメリカモノ扱ってる店が近くにできたみたいな感じで
それで中学生だったけど行ってたんだよね
その時は服を売ってるお店
そうですね
その時は始まりが主に
いわゆるそのユーズドウェア古着ですよね
そのユーズドウェアと
あとは意外とアメリカモノだけじゃなく
ちょっとヨーロッパモノの扱いもしてました
はいはい
なるほど
それができたタイミングで
じゃあ成さんは都のに住んでたけど
通ってたみたいな感じですかね
アメリカモノが帰る
僕は中学生の頃にアメリカの映画を見出して
ちょっと憧れを持ってて
それがアメリカを感じられる店が花巻にできたぞ
あんまり当時ってそういうお店とかって
そんなに多くない
多分その情報量がないから
自分で拾いに行かないと
はいはい
ないから
そうですね
今みたいに何でもネットで
検索できたりとかという時代じゃなかったんで
やっぱりこう
一部の人が知ってる的な部分は
ちょっとあったかもしれないですね
始まりはね
そもそもそういう服とか
あの時ってありました?周りに
周りはないんですけど
なかったんだけど
でも本当に遠く昔の記憶なんですけど
北上になんかこう
その当時自分がお店をやる前に
ちょっと場所もあんま覚えてないんですけど
学生時代にアメリカのその
リーバイスゴーマリッジのデニムと
06:01
まあカワジャンですかね
ライダースートそれだけを売ってる店があったんですよ
なんかそういうのがあった記憶がありますね
あと花巻だと
駅前にそのバンカ
今で言うバンの扱ってるショップがあったのが
ちょっと薄ら記憶にありますね
バンカ?
バン
あ、バン
あーなるほど
あれですねIvy
そうですね
なるほど
じゃあ当時あんま古着屋さんって
じゃあ本当それくらい
そうですね
どっちかつったら自分がやりだした頃だと
まだその日本のそのいわゆるDCブランドっていうのが
前世の頃で
周りのその友達とかも
どんなね着てるのか感じがしましたね昔は
へー
なんとなくこうやっぱりその頃からちょっとなんかね
あのちょっと人と同じのがちょっと嫌だっていうのがあって
はいはい
でアメリカ者にちょっと興味が
まあなると一緒なんですけど映画を見たりとか
自分がちょっとその最初にそういう影響を受けたのは
昔NHKの番組でその
なんかこう
いろんなロックのミュージシャンを紹介する番組があったんですよね
そこでなんかまあ
別れすぎるときはキスであったりとか
当時だとベイシティローラーズっていうバンドとか
からちょっと影響を受けた部分ありますね
音楽の方から入ってたんだ
そっかなんかアメリカってやっぱ当時だと結構そういう
あんまり他の人反応してないけど
なんだろそれこそこうかっこいい場所っていうか
なんかいいカルチャーがそれこそアメリカでとった
そうですよね
そうですよね
ありましたよね
でもだから当時はないからむしろそれがこう平川さんの見せきっかけ
そうそうそう
結局
古着屋で働き始める
そうかそうですよね
それがきっかけ
まあそうそういう
はいはいどういう
そしたら結構周りの人からして
当時はビーンズって名前だったんですよね
お店はそうですね
やっぱ周囲のそのまあ当時その花巻とか
まあなるさんとのに住んでましたけど近くの街の人からしたら
なんかどういうお店だったんですか
いや一通っていうかなんかなんかねやっぱアメリカっぽいっていうかない
そう
木がエイジングされてたり
はいはい
重厚化あったり
へー
っていう
あれですけど記憶ですけどあったってます
まあなんとなくあったって
ですよね
絨毯ではなかった
09:01
絨毯ではない
ではないですか
なんか絨毯どっかにあったような気がする
記憶が違いますかね
フィッティングの中じゃないですか
下口
ラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラ
アメリカっぽいのを当時のアメリカっぽいと本当だから映画とかで見てるようなそう世界観がここにもあるみたいな感じだったんですね
そうですね
なんかその見るもの見るものがそのとちょっと新鮮に感じたんですよね
そのまあいわゆる白雷品ですかねあのあのってまあ
やっぱりやり出した当時だと
まあやっぱり一番リーバイスのデニムのゴーマリッジであったりとかヘインズの3枚パックのTシャツであったりとか
MA-1であったりとか
ジェイブスビーみたいな
そうですね
そんな感じであったりとかね
基本にはなるさんも買うときはもうビーンズで買うみたいな
そんな買ってないと思う
中学生だから
そうかそうか
そうお小遣い握りしめていくんだけど
なんだろうちゃんとセレクトされてるから
ヴィンテージだし
価値があるもん
そっかそっかそうなの
毎回行って帰るわけじゃないっていう
新品もやってましたか
新品もやってましたね
主にネペンテスが
ネペンテスという会社があってその中でいろんなブランドがあるんですけど
それらのブランドとかを扱ってましたね
当時
その
そうですね
そこからなるさんもビーンズに買ってはないけど通ってたみたいな
そうですね
そこでひらがさんと出会って
覚えててくれたっていうか
そっかその後も
何年後かに
そうですよね
なるさんはその後中学生高校生までは地元にいて
そうだねそっから
高校卒業してから
東京行ったの
東京行ってそうですよね
東京行ってからの仕事が古着屋さん
そうだねそれでやっとアメリカに行けるようになった
なるほどはいはい
そうその憧れ
一番最短で行けるのが古着屋かな
そうですね
当時はそんなに最短で行けるのが古着屋で
21歳で初アメリカ
はいはい
それは買い付けで行く
そうそうバイヤー
バイヤーっていうか
はいはい
見習いから
12:00
そもそもなるさんが何で出て行ったかみたいなところも
詳しくこのモッキャストで紹介できたらいいなと思ってるんですけど
元々高校卒業してそこから服の道に多分入っていくと思うんですけど
それもだからビーンズの影響を受けながら
服とかどんどん詳しくなってきて
なんでこう以降みたいになったんですか
そもそも古着屋で働きたくて東京に出てくる
で親に言ったら怒られ
しょうがなく就職したんですよ
ああそうか一回就職して1年間だけあったんですよ
そこでそうとかなんですけど
そのだけどみっ
まあ受かってしまって
はいはい会社に就職の試験が受かってしまって
でも入ったんですよ
3日でもう退職届きだしたの
だから辞めさせてくれなくて
とりあえず1年はやれって言われて
1年はやったのだけどもう9月に
あの古着屋のボイス受けてて受かってたんですよ
その年の4月からボイスというところに働き出してって感じですね
その店も来る
それが古着屋さん
そうだね老舗の名店だね
就職した企業は東京の
東京の全国的にある会社だ
はいはいそっか
じゃあそのまま東京にはもう住んでたんですね
その会社っていうのは
そっかそっからじゃあそこに就職して辞めて
辞める前にもう服着て
9月とかで
次の4月から新しく古着屋に働き出した
その後からはじゃあ
ずっと服の関係
10年間ぐらい古着屋
その後服作ったりとかしてましたり
現在に居たりみたいな感じで
その高校しようったけど
全然何もどこで何やってたか分かんない
途中その高校卒業した後の
成さんとかは平川さんとか知ってたりはしたんですか
うっすらなんとなくこう認識し始めたというか
また交流を取り始めたのはどれぐらいあったの
平川さんがもう結構新品がっつりやるようになって
いろんなメーカー展示会回れるようになってから
再開したのとかって
今回なるが勤めてたその当時
人気店の古着屋さんがあって
そこにちょっとね
仕事で行ったついでに売ったりとかっていうのをしてました
15:04
そっかじゃあ東京の今度は
まあ平川さんがなるさんのお店に行ってたりもしてたっていう感じですね
展示会とかも行ってたんですか
それは僕のよくやってたりした時に
取引してくれたりとか
なるさんが知ってるからだと
元々知り合いだったっていうのもあって
なるさん自身もブランドをやってたんですよね
それがノース
ノースっていう
なんかまあ全然また話がガラッと変わるんですけど
花巻とか東の場所で
なんか最初言ってたように
なかなかあまり触れられる場所がなかった
ファッションとか
それこそアメリカの文化
他の国の文化とかに触れられる場所がなかった中で
二人がそういう仕事を今やってるのがすごいなと思っていて
なんでできてそもそもなかったのに
なんでそれが続けられているのかとか
そういうのがなんでなんだろうなぁと思ってました
なんでだろうか
まだあるんだけど僕は
東京の経験はだいぶ
生かされてるっていうか
平川さんとかと別に東京
あれですよね
住んでました
住んで続けやったよ
だけど企業者の早いじゃないですか
企業者が21歳なんで
やばいね
そうですね
まあたまたま自分の場合は
そのもともとその今のその
アパレルのその仕事をする前に
もともとその古い車がすごく好きで
例えばトルクスワーゲンかビートルであったり
ミニクーパーであったりとか
ゴルフとかの車のレストランするお店があったんですよ
花巻にいった
今のちょうどその南部屋敷の近くだったんですよね
南部屋敷ありますよね
そこの脇にちっちゃいそのなんていうのかな
そういうレストランする
まあもちろん車両の販売もしてたりとか
でそれで結局
なんていうのかな
まあアメリカ
ホルクスワーゲンって
アメリカの車ではないんですけど
ドイツのものなんですけど
ドイツ車なんですけど
なんとなくそのあのいわゆるビートルっていう
あのカブトムシみたいな形をした
車がなんかこう
ドイツが作った車なんだけど
アメリカっぽいって言うのですかね
なんか
そこでそのレストランの仕事をしてましたね
18:04
今のその仕事につく前ですか
はいはい
それでたまたまその当時
アメリカにその
レストランするための部品を買いに行ったのが
きっかけなんですよね
一番最初は
でその当時だと
今でこそ日本だと当たり前になってはきたんですけど
そういうフリーマーケットみたいなのが
すごい盛んに
はいはい
なんていうのかな
いろんな各地でそう
開催されてたようなとこがあって
そこでちょっとその
レストラン用の部品を買ったりしながら
あとはその
第二日曜日か
ローズボールか
アメリカのフリーマーケットがあるんですよ
第二日曜日だっけか
確か
そうです第二日曜日だったのに
第一がないですね
月1回ぐらいやるんですね
でかいんですよ
そこに結局
ちょっと行きたいということで
初めてそれで行ったんですよね
そこで見たのがその当時そのリーバイスの
ゴーマリッジのデビュームであったりとか
そういうものをちょっとその買って
ちょっとそのなんとかなレストランのその車の
片隅にちょっとそれ売らせてもらえないか
っていう話だったんです
一番最初はその当時だともう本当に
デニムとスウェット
カレッジのスウェットであって
デニム寝るシャツ
もう本当にアメリカンな感じですよね
そういうものをちょっとその
車を買ってくれるお客さんたちに販売したい
っていうのが始まりなんですよね
一番最初の
そこからかな自分は
はいはい
だからその車の部品というか車の仕事についてたけど
服を買ってきて
でたまたまその自分のもうちょっと
亡くなってしまったんですけどその
自分の親父の姉がロサンゼルスで
日本食屋を経営してたんですよね
ガーデナっていうところで
当時日本食のレストランを経営してて
そこを亡くなったそのおばさんを訪ねて
最初は買い付けを一緒に回ってましたね
通夜が来てもらってもらってた感じでしたね
車を運転してもらって
1ヶ月半に1回ぐらいアメリカ行ってみたいな感じを
繰り返してたような感じでした
やっぱり買ってきたものがもう全然足りなくて
っていうのを繰り返してましたね
車屋さんだったけどどんどん服が売れていくような感じですね
店と並行してたんですか
車は退職してからですよ
21:00
退職してから自分の店を作ってからですね
それがもう買い付けに行ったやつを売ってるのがビーンズ
買い付け行ったものも最初はその車屋さんで販売してました
どうなのかなと思ってやってみたいっていうのがあって
そしたら結構足りなくなるぐらい
そうなんですよね
やっぱり当時
本当全盛期の頃は
なんかデニム1本ね
10万20万30万というのが当たり前の時代にあったんですけど
品転してくることにもかもなんですけど
1人1本持ってなきゃみたいな
今だったらありえないんですけどその当時だとやっぱり高校生のお客さんがすごくて
10万のジーパンを平気で取り置きしてましたね
高校生用に
当たり前にみんなアルバイトしてたんですよね
今みたいにやっぱり経営化で
バイトしたお金で
少しずつ付金を入れていくような感じですよね
システムが全部払い終わったら持っていくみたいな
みんな結構求めてた感じだったんですかね
そのような人が好きな人はね
親に怒られたことありましたけどね
息子にこんな高いジーパン取り置きした人
初めから色してるぞみたいな
反応してくる高校生とか
入荷日に本当に
アメリカから帰ってその商品を出すっていう時に
学校をサボってくるんですよね
不良少年の始まりみたいな感じ
学校をサボってジーパン見に来てた子は何人かいましたけどね
その中でちょっと今じゃありえないですけど
当時情報入手するところがなかったけど
みんなテレビとか雑誌持って始めたりとか
あとはもう情報ですよね
学生たちの
自分たちの仲いい友達がとか
足運ぶ力
ないんですからね
自分で集める力
確かにそうだよね
なるさんはビーンズに行く時もアメリカの映画見て
憧れがあったみたいな感じだったと言ってましたけど
そもそもファッションとか服に興味を持ったのって
何かかけ終わったんですか?
スケートはやってたし
24:03
なんだろうな
ただ単純に
雑誌でヴィンテージを特集するしだしたあたりだったんで
それを美容見真似で買い足すようになって
収集性があるから
一緒だ
収集壁がなんかありますね昔から
そういうのハマっちゃうのよ
持ってたい揃えてたい
レアとか
価値あるものはもう
店やったり人っていないと
収集壁あるかも
いろんなジャンルに問わずなんかあるかもしれないです
何収集してますか最近だと
僕はもう完全に
マダガスカルから輸入してる諸国です
完全にそれにドハマりしちゃって
そっかでもお店でも売られてる
俺なんだろうな特にねえな今
最近は収集してないですか
収集はしてないな
家が広くないから
どちらかと言っても買っちゃいけない
これ以上増えちゃいけない
スペレもないから
店の3階が休憩室なんですよ
休憩室と倉庫になってるんですけど
植物がちょっと占領しだして
ちょっと今大変なことになってますけど
そうなんですけどお店だけど
植物温室だったんですか
温室もあってあとは
管理してる植物がいっぱいあるんですよ
でやっぱり日々管理してると
ベストな状態っていうのがあるので
一番ベストな状態になったら
店頭出すような感じですよ大体
なんで早く店来て水やりとか
じじいみたいになってますね
かわいいですね
かわいいんですよ
やっぱ違うんですか
肉感変わるんですか
変わるんですよやっぱ
育て方ってことで
ブリブリですもん
そうなんですよ
ちょっと変わってる植物なんですけどね
で輸入されてくる段階
まあ全然
福の話とは別なんですけど
根っこ切られて入ってくるんですよ
あっちから来るときに
南アフリカとか
マナガスから来るビンって
結局検疫の問題があって
根っこ切られて日本に入住されてくるんですよ
虫とかついてると一切こう
27:00
税関で止められるような感じなんで
それを結局
いわゆる根を晴らすための管理
発根管理っていうのを言うんですけど
その作業をやるのが楽しいですかね
なかなか難しいんですよね
管理とかも難しそうですね
今はお客さんとかで買ってくる人とかも多いですか
だいぶ増えてきましたね
でもやりだして7,8年にはなるんですけど
多分お店のスタッフとかも
社長何やってんだろうなと思ってると思います
当初はね
服屋さんだと思って入ってきたら食物買ってるですもんね
だと思いますね当時はね
なんとなく今だんだん売れてきてるから
ちょっとねなんかそこスタッフもなんか
ちょっと手伝ってくれたりとか
自分がちょっと留守の時はそのリモートで
水やりもしっかりと
何時と何時に切り拭きしようと
そういうちょっとその細かい作業の指示を
リモートで出してましたね
そういうのをやると思って
多分入ってきてなかったでしょうし
全然ないと思いますね
服とかそれこそビーンズ服売り始めてる時
まぁそれもさアメリカで買い付けってたやつがどんどん売れてるって
もう結構ずっと順調だったっていう感じなんですか
いや全然ですよ
最初やっぱり3年ぐらいは売れなかったですね
最初はなんていうのかな
そのもちろんその前に勤めてた
そのレストランの時のお客様が来てくれたりとか
最初はやっぱりオープンというので
来てくれたりとかっていうのがあって
やっぱりやりだした当時って
好きなものしか置きたくなかったんですよね
なんて言ったらいいのかな
本当に納得いくものしか置きたくないっていうのが
すごいやっぱりあんまりビジネスを考えてないって言うんじゃないですかね
なんとかなるだろう的な風がちょっとあった部分あるかもしれないですね
売りたいっていうよりも自分の好きなものを
そうですよね
集めてみたいなだから
その収集したものを売っていくみたいな感じで
でその収集兵器の話に戻りますけど
当時東京に大きい古屋でシカゴっていう
なにも知ってると思うんですけど
あったんですよね
そこに学生の時の友達で一人
オシャレな子がいてその子が自分に
その与えた影響ってすごいあるんですけど
今普通の会社員なんですけど
当時から学生の頃から中学の頃から
あんまり周りにはいないような感じだったんですよね
30:03
高校の時にお金貯めて
土日によく東京に行ってたんですよね
その子と一緒に東京行ってそのシカゴっていう古屋で
当時その今でいうリーバイスのビッグイートが
ダブルXっていうデニムがあるんですけど
それがなんか普通に
レギュラーのその中に混ざってたって言ったらいいんですかね
ヴィンテージじゃなくて普通の
そうなんですよね
そうなんですよ
それをだから抜きに行ってたんですけどね
収集兵器がやっぱりあって
それを抜きに行ってて
そうしてるうちに結構ね
どんどんどんどん溜まってって
もうなんとサイズも関係なくその色がなんかすごく好きで
なんか抜いてたような感じ
当時でもね本当にジーパンが4800円とかで売ってましたよね
ヴィンテージのデニムが
あとから10万20万30万になるデニムが
本当にそんな感じでしたよ当時
だからそういうね
なんか収集兵器からお店に繋がってったのかなっていうのはあるよね
もうそこからでもだんだん
自分の好きなものを最初は言ってたけど
今だともうなんか自分とかはもう結構
とんどんに住んでるんですけど
年上の人たちとかの話を聞くとやっぱり服を買うときはビーンズで
それこそ学生の時とか買ってたみたいな人が多くて
だからそうなっていくってことですよね
そんな売れなかった時もあったけど
でもやっぱり厳しかったですねやっぱなかなか売れなくて
やりました当時は
マルカンの近くに北京のとこは何年やりましたか
あそこは7年平成8年に今の二勝取りなんですよ
裏の駅裏は平成8年か
あのファイブドアとかあれば
うんと結局
うんと北京のとこが2013年まであったんですね
あそこはそうなんですよね
すごいですよこれでもなるさんも自分でお店というか
まあ会社を持ったのは東京で
そうアパレルやってた時に
あの大きい会社の付き合い
というか会社にして
まあ今現在
そのままって感じで
一気に全部走られていった
最初の会社の時は
それこそ買いそのバイアーとしての会社だったのか
そっちね
あそこ本当に一番最初なるさんが作った会社の洋服
33:02
会社そのそのもっと前もっと前だとか
ああそうですねゴーゲンたからボイスとか
そうですよねどっちだろう古着屋の始めと
あとなるさんが会社始めたので
えっとね2012年
頭に戻ってくるのが2007年だ
戻ってきて何年だったんだ
戻ってくるちょっと前ぐらいに
ずっと個人事業主だったから
会社にしてはいはい
まあその上でそこに店が
2017年
それこそノートもまあなんていうか
僕から見ると結構あんまりまあ
岩手県内とかで見るとあんまりない雰囲気の店
そうですね
いい方悪い方
いい方全然飲食があるについてて
そこにこう服が売ってて
最初それこそ服売ってる時とかって
ただそれこそセレクトしたやつじゃなくて
なんて言うんでしたっけ
やっぱ東野で商売するとなると
一つじゃちょっと無理だなって思ったのと
はいはい
ましてやランチだけじゃ無理じゃないですか
夜もやらなきゃいけない
酒も出せる
まああとまあ
今までやってきたこと
洋服を合わせないと
そもそも難しいなと思ったというか
ただただ服をお手にしたっていう
やっぱりガソリンサンドを
ああいうお店にするって発想すごいですよね
いやすごいですよね
確かに
だからセンスいいんですよね
昔から
なかなか
あんま考えなくないですか
いや考えないですねガソリンサンドとか
遠い遠い
まあ北だとか東北だとか全然知らない
アメリカの雰囲気だよね
やっぱ意外とガソガソだったね
そこはだいぶあれですね
なんかアメリカってやっぱり
ガソリンスタンドの併設してるコンビニみたいな
そうなんですよ
メインミッジって言われてないですか
そうですよあれがディナーラルストアなんで
映画とかでも確かによく出てるよね
ロードムービーとかに出てくるあれです
はいはいはい確かに
まあ今はうちはガソリン入れられないけど
まあコンビニみたいな機能とか
土産も買えたりご飯食べれてっていう
まあまあアメリカの感じですね
外観とかそこはだいぶ意識しましたけどね
なかなかねやっぱりないと思いますよね
発想自体もないし
発想もすごくいいと思います
36:00
ビビッときましたねあの時のたのですごい
ビビッと
最初オープンするって聞いて
最初もっとあのなんとなくその大きい道路通りだと思ってたのよ
ああそうかガソリンスタンドとかあるよね
そうなんでガソリンスタンドのあるイメージってね
そうですよね
なんかもっと広い
まあ二車線とかあってとか
そういう沿いなのかなと思ってたら
もうちょっとね街中の方だったので
駅に近い方ですね
そうなんですよね
お店やり始めた時とかそれこそどうだったんですか
それこそ今までにないそういうお店で
周りの反応とかって
見たことなかったんだろうね
その東の人とかでは
まだからまあまあそこが狙い目ではあったんですよね
はいはい
その話題性っていうかないと
東の人口少ないし
なんか人を集めるってなったら話題性しかないから
あの物件見た時に話題になるなと思った
それであそこの店が良かったっていうか
はいはい
それで決めましたって感じなんですけど
お店とかやっててもそれこそ東の人たちも
最近なるさんが作ってる服の人とかがすごい多いんですもんね
ありがたいですね
これすごいですね
やっぱなんか服屋さんがこうやっぱその場所に一つ
その土地に一つあるとやっぱそこの服を買ったり
そこでいろいろ知る人が増えてくから
なんていうんですかね
みんなこうピーズっぽいというか
なんていうかね
なんかそういう風になってくるような感じもありますよね
まあそうですよね
やっぱりうちのお客さんなんかも
若い子も含めて
なるの店にやっぱり行ってきたって結構いますからね
送り込んでくれる
はいはいはいはい
雷金とかでも
まあ反応してる人は同じように
ちゃんとアンテナも広げている人が多いというか
付付きですよね
皆さん
でもなんかやっぱそういう
むしろまあ文化というか
なんかそういうのをこう
それこそビーンズが作ってきて
またまあそれをこうなるさんも影響受けながら
今があるみたいなのもあるんですかね
もちろんそうですね
だって花町だね
ビーンズは32年ですよね
32年
すごい歴史
ですよね
むしろそこでそのビーンズをきっかけになる際以外にも
服の仕事についている人がいるかもしれないし
いると思うし
まあ意外と
まあ岩手県
なんかそういう服飾に携わってる人っていますもんね
うん
だいぶ昔はその90年代とかは
1990年代とかは
ファッションの街
盛岡みたいな岩手みたいな言われ方してた
ぐらい欲求も多かったし
39:01
へー
そうですよね
そっかそっか
じゃあその中でのがビーンズみたいな感じだったんですかね
そうですねビーンズとかそうですね
盛岡とかにもありましたけど
早くそれも全然早いですからね
そっかそっかそうですよね
本当にすごいと思います
なんかその本当にその場所にいる人たちの
まあその服装をつくるの
ファッションをつくっていくというか
そういうお店なんだろうなと思いますよね
ノートもそうだなとは思いますけどね
それを置いている
ワインを置いていくとか
カラフタビール
IPAとか置いててとか
なんかそこでみんながそういうのを知っていくみたいな
そうだなんか紹介できたらなんて
そのそのとのにないものを
そういうのは少し
古もりながらまあ店やってますけどね
はいはいはい
そもそもこうお二人はなんでこう
そうですねここから聞き始めると
またあれかもしれないですけど
なんでその東京とか
ここはやっぱファッションとかって
東京とかの方がなんていうんですか
いろんなお店もあったり
それこそいろんなブランドのを作っている人たちが
近くにいたりしそうですけど
なんでそもそもこう地元で
やってるというか
でもねなんかね自分の場合は
何も考えてなかったね
今思えばね
たまたまそういう時代も良かったのかもしれないですけどね
そういうバブルと言われる
ギリギリの時に商売やりだして
まあやっぱりファッションもやっぱり
90年代いろんなそういうブームがあって
いろんな
そうですね
タイミングが良かったっていうのもあったのかもしれない
なるほど
だからまあ本当に普通に
淡々とやってきたって言ったらいいですからね
あんまりこう
なんかそういう感じで日々やってきた感じですからね
だからあんまりこうどこで何やろうとか
こういう風になろうみたいに考えて
やってきたわけではない
やってきた感じでは自分はないですからね
なるほど
成さんはどうですか結構意図的なんですか
東野でやるとか
あっちからこっちに戻ってきてみたいな
まあ俺戻ってきて7,8年か
うん
高校まで行って
そこから東京20年行って
20年行ったのか
20年行ったんですけど
まあ東京もいいかなって感じで
まあ今は地元に
何の質問だったっけ
42:02
そうですね
まあなんで東京でこうそのまま
東京がもういいかなってなって
なんでこう東野でお店をやろうみたいな
そうだね
なんか場が欲しかったっていうのがあるかな
なるほどお酒が飲める
酒好きなんだよ
酒があって場が欲しい
飲める場所が欲しかったんですか
友達もいないし
帰ってきたら友達いないわ
なるほどはいはいはい
だったら知らうきっかけになる場を作ればいいかな
はいはいはいはい
飲みたいんじゃけで
飲みたいんじゃけで
そうそうそう
二人ともあんまり深く考えてるわけではないですかね
そうそう
なんか
そうだね場が欲しい
場が欲しいはいはいはいはい
そっかそうですよね
お店ってやっぱり一つ
自分の場でもあるし
そうだね
他の人の場を作るみたいなのもきっとあるし
分かりました
ありがとうございます
じゃあまあ一旦
1回目はこんな感じで
どれぐらい取ったか
今で40分くらい
今で40分
早くいったな
ちょっとね止めてあげよう
ありがとうございます
いい嬉しい
じゃあそうですね
こんな感じでしてもらえますか
全然全然
続きは後編で
ありがとうございました
♪~
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