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2024-09-24 28:44

#32 無印良品から学ぶAIとの向き合い方:「空っぽ」から再考するテクノロジーの未来|原研哉 x 伊藤穰一

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今週のお客様はグラフィックデザイナーの原研哉さん。無印良品のアートディレクションはもちろん、 蔦屋書店、GINZA SIX 、ヤマト運輸のビジュアルアイデンティティなど、 私たちの日常に溶け込むさまざまな作品を手掛けていることで知られています。そんな原研哉さんと日本の感性とテクノロジーについてお話をしています。

【編集ノート】

編集ノートでは難しい用語や人物名などの詳しい解説をお伝えしています。 

https://joi.ito.com/jp/archives/2024/09/24/006000.html


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サマリー

このエピソードでは、無印良品とそのデザイン哲学、特に「エンプティネス」について議論されています。日本の美意識がどのように海外に伝えられるべきかが語られており、また、東洋と西洋のAIに対するアプローチの違いも掘り下げられています。無印良品のデザイン哲学は「エンプティネス」に基づき、物の無駄を削ぎ落とし、イマジネーションを受け入れる空間を作り出します。この哲学は日本の美学やサステナビリティとも結びつき、AIとの共生についての新たな視点を提供しています。無印良品のリブランディングを通じて、AIとテクノロジーの未来について新たに考察されており、特に中央集権型のAIモデルと分散型AIの可能性についての議論が展開されます。日本的な価値観を取り入れた未来の指針が模索されています。

無印良品のデザイン哲学
JOI ITO スポットキャスト、報酬のお客様は?
今日は、まな板の上の恋で、伊藤さんがどんな話を言ってくださるのかなと思って。
それに対して、自分が答えられることは、対話ですからね。
一番スリリングなのは、一体何が話されるかわからないというね。
そこが対談の面白さだと思うので、そういうことを考えながらですね。
お越しいただいたのは、日本を代表するグラフィックデザイナー、原健也さん。
無印良品のアートディレクションはもちろん、
蔦谷書店、銀座6、生徒運輸のビジュアルアイデンティティなど、
私たちの日常に遂げ込む様々な作品を手掛けていることで知られています。
広告、ロゴデザイン、アートディレクションの分野で卓越した才能を発揮し、
グラフィックデザイン界に新たな風を吹き込んできた原さんと、
今日はどんなお話をするんでしょうか。
ちょうど先週、AIセーフティのカンフレンスがあって、東洋と西洋の戦いがあって、
西洋の人はほぼ全員、AIを独立させちゃいけなくて、
ある研究者は、ほぼ25%の確率で人類は滅びると、AIに乗っ取られて。
根本的に哲学が違うんだよね。
東洋の哲学がいいAIを作って一緒に生活する。
西洋は絶対コントロールをしたまま人間に従わせて独立させちゃいけないと。
その東洋と西洋の哲学の関係と、それを東洋を海外に伝えるのって、
理屈で議論して勝つのではなくて、多分美学で移さなきゃいけなくて、
今の時代に文字も含めて原さんのデザインと美学って海外でもいけてるわけなので、
日本のフィロソフィーを海外に伝えないと、本当にAIで人類が滅びる可能性があると思うので、
それ結構今重要な時期で、最近話してないので今どんなことしてて、
この話どう思うかっていうのはちょっと聞いていきたいなっていう感じがするね。
原さんこんにちは。
どうもお招きありがとうございます。
今日は伊藤さんとゆっくりお話しできると思って楽しみにやってきました。
いや私も原さんとはずいぶん前からちょこちょこ話してたんですけども、
多分原さんと以前話してから、日本に戻ってきて原さんワールドにもっともっとハマっちゃってるので、
あの時原さんこんなこと言ってたなっていうのを色々思い出していて、
ちょうど去年も伊勢神宮に行った時に頭の中に原さんの声が聞こえたような感じで今日は楽しみにしてました。
僕はそんなに日本主義者でもないし、ジャパンラバーでもないですよね。
どっちかというと、デザイナーも40年近くやってるんですけども、
伝統の紋章とか日本の伝統的なアイコンを自分のデザインの中に散りばめたりするのはやっぱり嫌でですね。
だからその紋章なんか、ああいうとこに入り込むとある意味でよくできすぎてるので、あんまりやることなくなっちゃうんですよ。
だからそういう伝統といってもそういうものを自分のデザインに取り込むっていうよりも、
むしろそうじゃない方向ない方向をやってきたんだけれども、
長くやってくるとどうしようもなくそこはそうだなと。
日本のオリジンというか、やっぱり考え方や感じ方のオリジンというのはこういうことだろうなということが、
やっぱり自分の中でも自覚されてくるようになったんですよね。
だからそれは必ずしも継承とか紋章とかそういうものを散りばめることじゃなくて、
やっぱり物事の捉え方っていうかね、そういうことの中にユーラシア大陸の端の
勉強にできてきたユニークネスというものがやっぱりあるなと思って。
日本人ですし日本で活動しているので、グローバルになればなるほど逆にそのローカリティを把握しとかないと、
グローバルに貢献できないっていう感じもしてきたので、
そういう意味では少しそういうところに向き合おうかなっていう気がしてきたところですけどね。
なんか僕も前から原さんのこと話を聞いてて、
日本の本心をつかんで、しかも日本の本心わからない人にも結構コアのところを伝えられる力ってすごく重要なような気がして、
それで最近やっぱお茶の世界に入っていくと、
昔450年前にリキューがやってたことそのままやってるのがメインなんだけども、
でも今リキュー生きてたら何するだろうなみたいなコンセプトだとか、
で彼はミニマリストに行って、その時代の美学をたくさんぶち壊して新しい提案して、
それで社会変革を起こすわけだよね。
でそれを変革させたままそのまま何百年もそのままやってるのは、
多分リキューが望んでたことでもないような気も、
まあ覚えてくれてるのは嬉しいと思うかもしれないけども、
やっぱり今の時代の日本ナショナリズムじゃなくてジャパニーズネスって何で、
でそれをうちの大学の見学の一人に西田紀太郎がいたんですけども、
やっぱり100年前ぐらい彼は一生懸命日本の禅とか哲学を海外に言葉で伝えようとしてるわけなんだけども、
今本当にトランプが大統領になりそうで戦争だらけで、
なんか日本の美学ってすごく重要な時期のような気がしていて、
でそれをこう伝えるのはそのままモティフを使うんではなくてっていうことだと思うんですよね。
で原さんのこう無地田とかいろんなデザインの海外での刺さってる具合がすごいと思うんだけれども、
その辺はどうなんですかね。
そうですね、まあ僕も2002年に無印良品のアートディレクターになって、
その無印良品の仕事をするようになった時にちょうどこう無印良品が海外にずっと展開していくような時期だったので、
無印良品の思想をね、分かりやすく説明しなきゃいけなかったんですよ。
質素でありながら豪華にゴージャスにひけ目を感じないで、
むしろ質素であることを誇りに思えるような商品思想というか、
まあそういうものがもうビッグコンセプトとしてあるわけですよ。
だけどそれをくどくど言っても分かりにくいんで、
もっとシンプルに言わなきゃいけないなということで、
東洋と西洋の哲学の違い
エンプティ、空っぽっていうことを言ってみたんですよね。
あえてエンプティネスとかいう英語を使ったのは、
記号的にその言葉を使う方が、
述語をたくさん使って説明するよりも分かりやすいと思ったんで、
記号的にエンプティネスという言葉を出したんですが、
日本の美意識の一番核心というか、
まあいろんなもちろん日本があるんですけども、
根底にあるものは何もないのが一番かっこいいということですよ。
それが生まれたのはだいたい室町の後期というか、
15世紀の真ん中ぐらいに鬼の乱というのがあったんです、京都で。
11年間の戦争ですよね。
鬼の乱ぐらい皆さん知ってるんだけど、
リアリティがなかなか伝わってないというか、
それまでの日本というのは美を作ってきたのは天皇と貴族で、
どちらかというとその大陸からのものがいっぱいあってきてですね、
大陸からのものをどう飾り、どう受け入れて日本文化を作っていくかということを、
ずっと専念してきたわけですよ。
ユーラシア大陸を90度回転させると、
日本はパチンコ台の受け皿の位置に来るという話をしたことがあると思うんですけども、
これは高野はじめさんの世界地図の読み方という本の中に書いてあって、
僕それを見たときに目から鱗が落ちた感じがあってですね、
確かにパチンコの受け皿だと。
それまでの日本は世界中の影響を受けてきたわけですよ。
もちろん中国、朝鮮だけじゃなくてインドもローマも、
あらゆるところから玉の投げが繋がってきて、
世界は豪華絢爛、長い中世というのは王の時代だったので、
権威をどう表彰するかということがどの文化にもあって、
だから非常に豪華絢爛な文化がはびこっていたところに、
日本に玉が落ちてきた。
日本もそうだったんですけど、
恩人の乱で一家が焼け野原になっちゃうわけですよ。
11年間戦争して。
何もかも失ったもんだから、
そういうことがこうそうしてかどうか分かりませんが、
こうそうしてと言うべきなのか、結局そこに至ったというか。
足利島さんという当時の将軍というのは政治力が全くあまりなかったんだけども、
美に対する関心は非常に強い人だったので、
結局息子に将軍職を譲って、
自分は東山に殷居するんですけども、
それが今の銀閣寺正寺というところで、
今は本当に東武堂の同人祭という書斎が残っているんですけども、
やっぱりかっこいいんですよね。
もう四畳半というのが畳がピシッと敷き詰められて、
初めて間になって。
正寺があって、デスクトップなんですけど、
デスクトップの一番奥も正寺でですね。
正寺をすっと開けると、
綺麗な庭がトリミングされてバシッと出てくるわけですよ。
襖があって飾り棚があって、
飾り棚にはそこそこ物は飾るんでしょうけども、
何にもない同人祭がめちゃくちゃ綺麗なんですよ。
だからその何もかも失った後に、
吉島さんは今は冷えがれてとか浴びた風情とか言うんですけども、
そういう物がかっこいい。
だからそういう気分が日本国中に出てきて、
一回日本の文化がそこでリセットされるんですよ。
むしろ何もない物の中に何かを見立てていくというか、
両藩寺の石亭みたいな物は全州の庭だけど、
中国にはあんな庭はないんですよ。
いい耳を持っている人に人は語りたくなるもので、
たくさん喋られるよりも何もない物の方にイメージを入れていくというか、
そういうことが建築においても庭においても文学においても、
あるいは生け花とか茶の湯とか、
そういう意味でもとにかくないっていうことが
イマジネーションを覚醒させるっていうことを分かるという、
そういう方法論ができてくるんですね。
もちろん飾る日本もあるし、過剰な日本もあるし、
漫画もアニメもあるんですけども、通送低温として、
ある種日本製みたいな物が独立して立ち上がってくるのはその辺りで、
理休は桃山ですからちょっとその後ですよね。
日本の美意識の重要性
そういう文化がやっぱり日本にずっとあるというふうに思うんですよ。
だから無印良品なんかの何もない、これはシンプルじゃないと僕は言ってた。
シンプリシティというのはだいたい180年ぐらい前に
ヨーロッパの近代社会の到来と同時に合理性というか、
物と形と機能が最短距離で結べればよいと、
これは大変素晴らしい考え方なんだけど、
それを300年ぐらい前に日本はすごい簡素なものを使い始めてて、
それはミニマリズムなのかシンプリシティかというとそうじゃない。
ない方がかっこいい。
ない方がハセガト博の少林寺廟みたいに
もやに隠れて何もないようなところに
人はなんか気持ちを入れてしまうというか、
そういうことが起こるわけですよね。
確か森ビルの講演の時に
神道とエンプティネスの話もしてくれたんですけども、
それはまたさらに前ですよね。
そうですね。
もともとだからそのエンプティっていうことを運用する神道の場合は、
僕もその神道イストではないんだけれども、
神道のことを考えると、
日本の神様っていろんなところにいるわけですよね。
これは日本の自然があまりにも強いから、
人間の側じゃなくて自然の側に位置があるというように
日本人はなんとなく思わされてしまった。
津波も来るし、なんか巨岩がいっぱいニョキニョキ出てくるし、
とてもかなわない自然というのがあって、
あらゆるところに神様がいるイマジネーションがあるんだけど、
神様とアポとって話してるわけにいかないから、
4本柱を立ててそれを紐で結ぶと、
空っぽという構造ができるっていうね。
空っぽという構造ができるんだけども、
それは台って書いて城って言うんですけども、
空っぽができると神様がそこに入るかもしれない。
神様はいろんなところにいるから、
空っぽの場所ができるとひょいっとそこに入るんじゃないか
というイマジネーションを古代の日本人は持ったんです。
その空っぽの中に神様が入るかもしれないという
そのポシビリティの塊みたいなところに屋根をつけて
エンプティネスの美学
やしろというのができて、それが神社の真ん中のセンターコアなんですよね。
だから真ん中に何にも入ってないけど、
そこに何かがあるかもしれないという
このかもしれないが非常に強いわけですよ。
そういうような神聖をもともと日本の中では
あったんだろうなと思うんですよね。
それはきちんと蘇ってきたというか、
それは室町の後期なんじゃないかなと。
無駄をそぎ落としたデザインで、
世界中から支持されている無印良品。
このブランドに原健さんが関わるようになったのは
2000年代の初めのこと。
当時危機的な状況であった無印良品の既死改正案として着目したのが
このエンプティネス、つまりイマジネーションを受け入れる器という概念でした。
ロゴを統一し、商品タグを再デザイン。
また、広告も多くは語らず、そっとブランド名を置く。
ミニマリズムではないエンプティネスを前面に押し出したことで
無印良品は世界中で愛されるようになったといいます。
このエンプティネスとマって関係あるんですか?
どこでしょうかね。
やっぱりこのマっていうのは
部材っていうものをリズムの中に取り込むようなことだと思うんですよね。
それは関係していると思いますけどね。
ただマはエンプティとはちょっと違いますよね。
これ竹村光雄先生とよく話したんですけども、
結局日本って時間も空間も回って呼んでるのって結構面白いよねっていう話と、
あとやっぱ音楽の音符じゃなくて音符と音符の間のマを結構重要視して、
うちの奥さんは踊りをやってるんだけども、
マが抜けるとかマが合わないとか、
そういうとこの方が重要視してるのってすごく面白いなと思って、
なんかそれも少しエンプティネスに近いところにあるのかなと思ってるんですよ。
そう思いますね。だから大蔵流のね、
つづみってありますよね。
よーっとか、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポンって打つんですよね。
これよく分かんないけど大体そんな感じですよね。
それはなんか僕はね、全部予期してないところを打ってる気がする。
だからよくあのギャング映画なんかでね、機関銃ダラララって打つと、
足元にいっぱい弾は着弾するんだけど、大変だ大変だって逃げてて一発も当たらないみたいな、
そういうシーンに出てて、ポンポンって打つぞと思ってないところをずっと打たれてる気がする。
だからあのつづみのなんか打つぞと思わないところに打つテクニックってすごいなと思うんですよね。
それはダンスなんかと真逆のものだ。
ダンスってのはズンチャッチャ、ズンチャッチャってどんなに速くても単語でも合ってるわけですよ、呼吸が。
どんなにこうリズムを崩しても合ってる。
だから日本のその、なんかああいうっていうのは武道に似ていて、
壊し合ってるっていうか、盗み合ってるっていうか、空間を盗み合ってるというか、そういう感じがするので、
それもやっぱりまあ一つのエンプティネスかもわかんないですよね。
なるほど。でそれこそ室町時代とか、そこからこう村手塾とかからわび茶とかが出てきて、
そしてその茶室のエンプティのところに、わびとかサビとかが出てくるんだけども、
それってなんかこう今言うサステナビリティとか、そこはどういうふうに関係してくるんですか、このエンプティネスとかとは。
まあ美琴がサステナビリティを考えたらとても重いなんですよ。
というかそんなことを考えなくても全然いい時代だったと思うんですよね。
だけど西洋のオペラの空間なんていうのはその、ある情景を表現しようと思うと、
リアリズムでいっぱいこう宮殿の中とか森の中だったら森の木が実際にこうセットとしてあるんだけども、茶室って何もないんですよね。
で明日にもなったらなくなりそうな感じっていう、まあわざと貧乏臭い感じにお金持ちが振る舞ってる感じがあって、
そこは花持ちのないところもあるんだけども、なんか何もないところにごくわずかな失礼をする。
花をいけるだけ。水盤に水を浸してですね、水あふれるぐらいに置いて、
桜の花びらをちらちらっと2つ3つ置くと、お客さんと邸主の間ではここは満開の木の下に2人で座ってますっていうようなイマジネーションですよね。
みたいなことをお互いにねとか言い上げながらこのひとひらの花びらを埋めるわけですよ。
でそういうイマジネーションが何もない空間ながらできる。
ちょっと失礼を変えれば波打ち際にもなるかもしれないっていうその自在性。
技術と日本の美学
自在性がやっぱりエンプティなんですよ。シンプリシティはそういうものじゃなくて、
ファンクションに対して非常に忠実なのがシンプリシティだとすると、
エンプティネスというのは自在性をお互いにこう供給し合うっていう。
そういう意味ではリキューなんかはそういうことをメカニズムとして、
マルセル・デュシャンのアートと同じようにやっぱり劇的に作っちゃったんですよ、それをね。
そういう意味ではリキューってのはとても大変な人だし食えない人だと思いますね。
この間ある人から聞いてそうだなと思ったのは、
お箸って作るのは簡単だけど使うのが難しい。
西洋のフォークとナイフは作るのが難しいけど使うのが簡単。
着物も意外に作るのは簡単だけど着るのが難しい。
なるほど。
日本の家もそうだし茶道もそうで、作るほうが結構ミニマルだけど使うほう、
だからどっちかというと情報が人間のほうに入ってるっていう。
なるほど。
面白いなと思ったんですけども。
まあそういうとこあるかもわかんないですね。
確かに。
なんかそれって逆に言うとその表現が見えないところにあるっていうのもありますよね。
あとそのイマジネーションじゃないけど人間がフィルインしなきゃいけないっていう感じでこう、
なんかフォーク見るともう全部機能がもう見えるところにあるっていうんだけども。
僕もよく例として出すのはヘンケルスのナイフとね、日本の柳場坊ちゃん。
ヘンケルスのナイフは非常になんか局面的に立体的で、
持すと親指にしかバシッと決まっちゃうわけですよ。
持ちやすい。
誰が持っても使いやすいんですよ。
僕も台所それ使うんですけど。
だけど日本の柳場坊ちゃんってプレーンなんですよ絵がね。
何の変哲もない棒切れなんですよ。
どこ持ってもいいんだけどその板さんが持つ場所によって機能が違うし、
研いで歯が短くなってくると持つ位置が変わりますよね。
なんか究極の自在性、どこ持ってもいいですよ坊ちゃんと、
ここ持つと最高に使い勝手がいい坊ちゃんと、
シンプリシティの究極とエンプチです。
柳場とヘンケルスのナイフで、
非常に明確に分かれてる気もする。
無尽商品なんかのエンプチですって言ってたのはシンプルじゃなくて、
自在性なんですよ。
80歳の老人のためにも18歳の若者のために別のシンプルなテーブルを作ったりしなくて、
テーブルはこれですと。
どんなふうに使ってくれてもいいですよっていうことでできてるみたいなところが違うのかなと当時は僕は思ってましたけどね。
風呂敷もそうだよね。
そうですね。
今リキューはサステナビリティのこと考えてなかったかもしれないって言ったんですけど、
でも結果的にサステナビリティにつながるよね。
お道具を大事にする。
なるべく変にマニファクチャリーにエネルギーかけないものを少なくするっていう。
そもそも美学として一番物たくさん持ってるやつが勝ちっていうパターンから、
エンプティでかっこよさ。
多分その時代に生きてた権力者も無理やりエンプティの世界に美学で引っ張り込まれていくわけですよね。
そうですね。
やっぱ戦国時代の末期っていうのは一番そういう茶道具とかが高い値段で取引されてた。
つまり国一つと変えてもいいみたいな。
そういうような気持ちにならされたっていうのはものすごいことですよね。
でももう一つ茶道なんか見てると結構そのポライトネス。
ポライトネスなのかこううまく仲良くやろうよっていうこう日本のこうハーモニーとか和の話ってそれと何か関係あるんですか。
原さんはどっちかっていうとこう物のデザインの方でよく知られてると思うんですけども、
日本人のこう美学の話は結構原さんはすると思うんですけども、
そのもう少しこのソーシャルの美学のところって何かもし何か意見があれば。
どうですかね。
人に迷惑かけないっていうのと無駄なことしないのって近いですよね。
例えば電車の中で喋んないとか、ご飯買い席でもできるだけこうテーシュが片付けやすくきちっとまとめるとか、
なんかノイズなことしない、余計な露出はしないとか何かそういうのは何か美学としてありますよね。
そうですね。やっぱりつましいですよね、日本人はもともと。
だからサスティナビリティなんて言われると何かちょっとおもはやい感じがするというか。
だいたいご飯粒一つ残さないみたいなそういうところがやっぱりあって。
確かに茶会席なんかの食べ方も最後お湯を入れてもうご飯粒一つ残さないように。
あとはもう何も綺麗に片付いてしまった状態で食べ終わるみたいなところもありますしね。
そういうことを共有する社会っていうのはあるんでしょうかね。
そして議論は日本の美学からテクノロジーの話に突入していきます。
冒頭にジョイさんが少し話していたように、東洋と西洋の哲学の根本的な違いが
AIの進化の過程に思わぬ影を落としているようなんです。
この間、人工知能のAIのセーフティの会議があって、結構中国とか日本とかヨーロッパ、アメリカから来てて。
だいたい西洋の人たちはものすごいまずフィアがあって、
そしてAIはいずれ人間みたいに物を集めて戦って勝つっていうモチベーションを持つだろうと。
これ人間がプログラムするのか、何かの最適化の命令に基づいて
人間を騙して自分をコピーしてリソース集めて人間を殺しに来ると。
あるトップの国の研究者は人間が25%の確率で10年以内に完全にAIによって滅びると。
それがならないために人間がコントロールするべきだ。
なぜならば人間より強くなると彼らの欲望で勝つって言って。
東洋の人たちはそうじゃなくて、おもてなしをちゃんと伝えて、人間と一緒に生活して、人間もAIと一緒にみんなハーモニー、和を作ろうっていうことで。
一つあったのは、独立させるかどうかが結構大きなポイントになっていて、独立させないとおもてなしってできないよねと。
みんなが思いつく前に助けることがおもてなしなので、独立してないとおもてなしってないと。
西洋の人は、これ結構ジェネラルに言ってるんですけど、西洋の人たちはとにかくコントロールしなきゃいけないというふうに思っていて、
僕は人間だって信用できないのにすごいパワーをコントロールしたら、これの方が危ないような気がしていて、
自然の中に自分も入っていて、そのシステムとして機能しているという東洋的な考え方、これ中国の人もそうだったよね。
西洋の人はどうしても神様がいて人間がいて自然があって、人間は自然をコントロールして神様は人間をコントロールして、
自然が上がってくると奴隷へのテイクオーバーみたいな感じで自分たちは殺されるだろうというストーリーがあると思うんですけども、
必要ないものは取らないっていう美学と一番たくさんものを最後持ってる人が勝ちっていう美学って全然違うと思うんですね。
世の中の全ては一番たくさん持ってる奴が勝ちだと思ったらそれが自然だと西洋の人は思ってて、
そうするとAIもそういうふうに勝手に進化するだろうと思うのと、もちろん日本人でも欲はあるしみんないろいろコンピートするけれども、
AIと人間の関係
多分それだけだったらこの拡大がなくても生きがいを感じる職人だとかお寺だとか何百年続くビジネスとかってないと思うんですよね。
それもなんか原さんが言ってるこのエンプティネスのかっこよさっていうのとつながるような気がするんですよね。
今そういうふうに言われてるんですか。西洋の人たちは独立させちゃいけないと。
そうですね。で、もう一つはまた変わるかもしれないけど、今のAIはデータとコンピュートのリソース食うんですね。
で、例えばGPT1個学習させるのに100億かかるんですよ。で、これはいずれ1000億になって10兆まで上がるだろうと言われていて、
そうすると10兆円を1個のモデルに当てられる会社って多分マイクロソフトとグーグルともしかしたらアマゾン、フェイスブックしかなくて、
そうするとそこに人材もいっぱい全部いくんですよ。で、何を戦ってるかっていうと一番お金を持ってるところが一番強いAIを作れて、
一番強いAIを作るところに一番いい人材がいて、で、彼らは思ってるのはAIはいずれ独立するだろうと。
で、自分で自分を強くすることができる。これインテリジェンスエクスプロージョンと言っていて、これまあシンギュラリティーなんですけど無限に頭良くなっちゃう。
そうすると一番が勝つんですよね。だからこう一番になってスーパーインテリジェンスを一番最初に取ったところが世界を支配すると。
で、このトップの人たちは僕悪人ではないんだけれども、彼らは結構メサイアコンプレックスで自分はもうイエスキリストみたいな存在で、自分がコントロールしてるAIが世の中を平和にすると思ってるんですね。
で、結構ロシアもAIがあったらきっと間違ってなかったと思ってる人たちなんで、コントロールと中央主権と無限の知能があれば世の中は平和になるっていうので、
そうすると戦いとリソースの獲得に集中する人たちが今このAIの業界に伸びていて、で多分今後もしかするとコンピュータリソースがそんなになくてもできるAIとかもう少し分散型のAIっていうのは僕は出てくると思うんで、
そうするとちょっとパワーシフトは起きると思うんですけども、その分散型のエージェント型のAIが出てくるともう少し日本っぽいみんなでやるっていうのができてくるんですけども、
今の中央主権型大規模言語モデルはこの西洋型のコンピート、しかも営利目的の民間企業に全部集まるんですね。
その何十兆円を投入できる仕組みっていうのはやっぱりアメリカの金融とベンチャーでしかできないので、今そっちの方向に流れてるんですね。
分散型AIと日本的価値観
難しいですね。僕もAIのことを考えると想像力の及ぶ範囲が、例えば本当に4年で1000倍とか、12年で10億倍っていうような速度、あるいはそういう精度みたいなものとか、
そういうことが周りに起きたときに、果たしてAIのインテリジェンスというだけじゃなくて、あらゆる人間のアクションの先にそういう速度のものと正確さのものが装着されるという環境を、僕らがどこまで正確に想像できるかということが一つあると思うんですよね。
単に頭が良くなるというよりも、そういう環境っていうのは今まで経験したことがない環境なので、僕はやっぱり最近よく思うんですけど、
人間が道具を作って環境を変えてきた文明がそろそろ終わりつつある。だから人間が作り出した機械によってヒューマリティそのものが変わってくる文明の時代に入りかけてるんだろうなと思うんですよ。
それが続く文明なのか、そこによって滅びる文明なのかっていうのがちょっと僕もわからないところがあって。
AIっていうふうな一人称的な、つまり一神教的なAI感じゃなくて、やっぱり日本人からすると環境化していくというか、インテリジェンス全体が人間を環境化していくときに、
やをよろす神様的な存在のAIが人間をどう応願していくのかっていうことがなかなかイマジネーションが追いつかないところがあって、そういうことになったときに自分たちがどんなふうに変わっていくのかなっていう。むしろそこら辺をやっぱり考えますね。
でも今は本当に一神教的ですよ。つまり最強のAIを作るっていうことは、どうしてもやっぱりアッラーの神とかキリストとか神様一人っていうそういう感覚ですよね。
だけどやっぱり本来AIっていうのはそういうふうな何かを集約していくものではなくて、本当に指キタスな感じというか、そういうものが多発的に生み出されて相互コントロールしていくような知性っていうのが生まれてくるような気もしますけど。
ジョイさんと原犬谷さんの対話は来週もまだまだ続きます。お楽しみに。
そして番組からお知らせがあります。ジョイトーズポッドキャストが10月で3周年を迎えます。日頃のご愛顧に感謝を込めて、特別企画をお届けすることになりました。
なんと、あの懐かしのお便りコーナーが返ってきます。ジョイさんへの疑問や質問、悩み相談など何でもOK。番組の感想もいただけると嬉しいです。
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原犬谷さんが無印良品のリブランディングで焦点を当てた日本独自の概念とは何だったでしょうか。
スペースなし大文字半画A筋でお答えください。
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デジタルガレージは危険な海に最初に飛び込むファーストペンギンスピリットを創業以来大事にし続けています。
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