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#99 美意識の"学習データ"はどこから来るのか:料亭女将のなかで更新され続ける、言語化されないデータベース|伊藤穰一 × 桑村祐子(和久傳)
2026-08-18 17:22

#99 美意識の"学習データ"はどこから来るのか:料亭女将のなかで更新され続ける、言語化されないデータベース|伊藤穰一 × 桑村祐子(和久傳)

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デジタルアーキテクトで千葉工業大学学長の伊藤穰一(Joi)が、今最も関心を寄せる分野のフロントランナーと語り合うポッドキャスト。

先週に引き続き、京都の老舗料亭「和久傳(わくでん)」の女将・桑村祐子さんをお迎えします。


今回のテーマは「美意識のデータベース」と「内省のプロトコル」。


「品のあるもの同士を足し合わせても、2にしかならない」

「作為のあるデザインは、なぜ飽きられてしまうのか?」


AIが既存のデータをいくら学習・最適化しても生み出せない、千利休の竹花入のような“ありえない組み合わせのスパーク”とは何なのか。過剰な緊張やおもてなしを強いる現代の美食シーンに覚える違和感から、一杯のお粥が贅沢を超える瞬間まで、研ぎ澄まされた美学の核心に迫ります。


さらに後半では、桑村さんからの逆質問をきっかけに、JoiがMITメディアラボ時代から11年以上教え続けている伝説の授業「気づきの原則(Principles of Awareness)」の裏側が明かされます。

理屈と不安(Anxiety)に追われるMITの天才エンジニアたちがなぜ瞑想の授業に熱狂したのか? そして、瞑想による「ノンデュアリティ(非二元)」の気づきから、ある学生が全く新しいAIの数学法則を生み出した驚きのエピソードとは——?


料理、茶の湯、瞑想、そしてAI。

一見かけ離れた世界が「内省」と「気づき」で一本につながる、不思議な対談をお楽しみください。


【今回のハイライト】

・品のあるもの+品のあるもの=2にしかならない? 美の“非線形アルゴリズム” ()

・「作為」が見えた瞬間に飽きる——本当のラグジュアリーと引き算の美学 ()

・客に緊張を強いる現代の人気シェフたちへの違和感と、食事の本質 ()

・言語化できない所作と空気感:次の時代に必要なサービススタッフの育成 ()

・直感派の母と左脳派の父を持つJoiが、瞑想とスピリチュアルに行き着くまで ()

・MITメディアラボで一番人気だった授業「勉強するのは自分だけ」 ()

・「執着を手放すこと」に執着してはいけない? 悟りをゴールにしない理由 ()

・「ノンデュアリティ」の体感から生まれた、全く新しいAIの数学法則 ()

・入門も師弟関係もいらない、日常を整える「心の掃除」としてのお茶 ()


【出演】

・伊藤穰一(千葉工業大学 学長)

・桑村祐子(株式会社和久傳 代表取締役・女将)


【編集ノート】

難しい単語や固有名詞などはこちらで解説しています。

https://joi.ito.com/jp/archives/2026/08/18/006150.html



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サマリー

料亭「和久傳」の女将・桑村祐子さんと千葉工業大学学長の伊藤穰一さんが、美意識のデータベースや内省のプロトコルについて語り合います。AIには生み出せない「ありえない組み合わせのスパーク」や、現代の美食シーンへの違和感から、一杯のお粥が贅沢を超える瞬間まで、研ぎ澄まされた美学の核心に迫ります。後半では、伊藤さんがMIT時代に教えていた「気づきの原則」の授業について、瞑想による非二元の気づきからAIの数学法則が生まれたエピソードなどが明かされます。

食事の本質と美意識のデータベース
たかが食事、サレド食事っていう日常の中にあるからこそ、ちょっとは、あ、今年もこの季節楽しめたなーとか、この風邪が気持ちよかったなーとか、
あ、この食材とこのお花の組み合わせ、あ、なんか懐かしいなーとかっていうことの方が、何を食べてるかっていうことをきっかけに、あるいはあの時にこういうお酒を飲みながら、
まあジョイさんと語ったよねっていうことの方が、何かこう食事の本質に近いというか。
ジョイ・イトーズ・ポッドキャスト
デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、ジョイさんこと伊藤 嬢一が、最も関心を寄せる分野に迫るジョイ・イトーズ・ポッドキャスト。
今週も先週に引き続き、枠田のおかみ、桑村 裕子さんをお迎えしています。
今日は、センスの話をしているみたい。
今度美的センスの話で言うと、多分、これがすごく良くて、これが良くないみたいなのって、見てるフラッシュバックの中に、センスとしてデータベースになっているから、これの方が上質だし、これの方がこの道具に合うとかっていうピタっていうのがあると思うんですけど、
本当の上級編って、もうまるで合わないと思っていたものが、すごい合い方をすると、スパークしたような合い方をすると、それは素晴らしく、もっと言えば品のあるものが合わさっても、2にしかならないんですけど、品がないものと品がないものを合わせて、ものすごく合うことが、でも品を超えたものになる時があって、
パワーみたいな。わかりますよね。
だから美級が竹を床の間に入れたのもちょっとそれだよね。ありえないことをやってピッと合うと初めてだから、だからAIは今まで合うコンビネーションはいくらでもできるけど、ありえないことをやるのはやっぱり人間で、そこはでもある程度経験があって、頭の中でいろんな可能性を考えながら、これだったらいけるかもっていうことをできる人しか難しいよね。
でもそれは絶対こうデザイナーとしてはゴールだよね。みんながびっくりするけど良かったっていうのはね。
なんかこうデザインされた後があると作為?みたいなこともそうですけど、それやっぱ飽きるなと思ってて、本当のラグジュアリーでもないなっていうか。
僕でもいつも、最初東京に来た時も全然京都のスタイルじゃない出し方で、それもそうでしょ。田舎臭いのかわかんないけど、京都ではちょっとおかしいと思うようなものを出して、だから話題が。
そうだと思います。本当に美しくて、お花が飾ってあったり、いろんな下ごしらえもすごく微細なお料理が前世の頃だったんですよね。
で、その時にもう団子でとれたカニを炭で焼きますみたいな、もうすごい役張りで、いまだに心のどこかでなんか市中の産挙は自分もそういうの好きだし、すごく美味しいお粥が一つあれば、それ以上の満足を贅沢なもので超えるのは難しいっていうどこか思っているので。
なんかそういうことがこう伝わるといいなって、それはどんな形になって現れるかわからないんですけど、多分お粥だけ出すだけじゃなくって、やっぱりこう誰と食べるかとか、いつ、だからそれはそういうことがちょっと今後回しにされてるのはすごく残念な日本料理界っていうか、だなっていうふうに思うことも。
現代の美食シーンとサービスへの違和感
でも、最近僕もいろんなレストラン行って、高いのかわかんないけど、結構ある種の今の人気シェフって結構強いじゃないですか。もう本当に集中しない人は来なくてもいいみたいな感じで、で、おもてなしっていうよりもお客さんがこう一生懸命やらなきゃいけないお店、で、僕も嫌いじゃないから行くんだけど、それとさっき言ってたただコンスームしに来てるお客さんって最近増えたよねっていうのと、
なんか関係あるのかっていうのと、あとそこまで強くなくても、やっぱりお客さんが多少こうやる気が、なんかちゃんとペイアテンションしてないとわかんないようなものもやるじゃないですか。
その辺ってどう思う?お客さんに求める感謝と集中力っていうのって、ちっちゃいお店だったらできるよね。でもその辺はちょっとスノブな感じも感じるのよね、そのシェフによっては。でもあまり枠で言ってスノブな感じはしないよね。
すごく嬉しいです。たかが食事、サレド食事っていう日常の中にあるからこそ、ちょっとは今年もこの季節楽しめたなとか、この風邪が気持ちよかったなとか、この食材とこのお花の組み合わせ、なんか懐かしいなとかっていうことの方が、
何を食べてるかっていうことをきっかけに、あるいはあの時にこういうお酒を飲みながらジョイさんと語ったよねっていうことの方が、何か食事の本質に近いというか、そういうのがあるので、そこが今二極化しないようになったらいいなっていうか、
そこも人それぞれの美味しさとか、人それぞれの楽しみ方を、なんか料理屋が提案するのはちょっと違うんじゃないっていうのは。
それが行き過ぎると他がちょっと負けちゃう感じ。
そうですね、バランスが良くいいなと思うし、でもそれがちゃんとした清潔なところで、上質な器とか、やりすぎないサービスで心地よくしてもらうっていうのは結構難しいというか難しいけれど、やっていきたいなと思ってます。
料理人さんは今ものすごく減ってきているし、
日本っていう。
日本人の中で日本料理を目指す人がすごく少なくなっているけれども、実はお茶の人口もどんどん、お茶の本質が何かっていうことでまた違うかもしれないんですけど、
お客様とお料理の間を心地よくつないでくれるサービスの人、あるいは、
例えば今日のお料理とか今日の室内の文脈をさりげなく、これの何々は何々です、英語でちゃんと書いたテキストをテーブルに置いてあるようなお店もあるんだけど、そうじゃなくて、
聞かれたら必要最小限の意図が伝わるような、さりげなさも含めた、できるサービスのスタッフの人たちってやっぱりものすごく少ないというか、興味は持ってくれてると思うんだけども、書作も美しくてっていう人たちに、
なんか、そういう人たちどうやって、そういう後輩たちと一緒に勉強できるかなっていうのはすごくあります。それもさっきおっしゃったセンスだと思うんですね。
ここはこういうふうに立ち振る舞ったら、ソーク様が本に書いてらしてたように、相手を思う思考的体験、なんかそういうことが実はとても次の時代に大事な気がして、
なんかそれがこう若いうちにいい体験をして、いい人に出会って、それをなんか自分もそうなりたいと思うようななんか電波がなんか起こせないかなっていうのがあるんですけど、でも彼女たち彼らたちもお仕事としてやってるときにはすごく厳しい追い詰められた状況で求められるんじゃなくて、
でもなんかフィールドで、例えばNPOでっていうふうにやるんではなくて、ある一つの型の中でやる良さみたいな、育つセンスみたいなこともあると思うので、なんかそういうのをやっていきたいなと思って。
お茶と内省、そして「気づきの原則」
で、その延長戦に、湧き水が湧いている場所にちょっと茶室を建てて、それを日本の人もそうだけれども、私たちがスイスなりイタリアなりいろんな各地で茶会をやってきたときの、本当に初めて会った方と会話もまだままならないんだけども、
一服のお茶を飲むことで一作婚留できたっていうようなことが、日本の今計画しているところでもできるようなことをしていきたいなって。しかも今汲み上げたお水でね。
それで枠で撮ってなかった。
ありがとうございます。枠や電話本でございます。
なるほど。いいですね。
そして今度は、くわむらさんからジョイさんに質問があるみたい。MIT時代に始まって、千葉高大で今も開講しているとある授業のことみたいなんですが、ちょっと聞いてみましょう。
ジョイさんに質問したいのは、ほら、チベットの構想。
はい。
で、気づきの。
原則。
原則。なんか言葉にできないことかもしれないんですけど、それはちょっと教えて。
なるほど。うちの母親が結構スピリチュアルな人で、彼女もずっと体が病気で、血核で、がんで、そしてもう最後クルーマイスなんだけど、でも何度か死ぬって言われて、僕らも何度かもう死ぬよって言われて、で最後死んじゃうんだけど、56歳で。
だけど彼女がドン・コーニリアスって言って、アメリカの結構有名なテレビプロデューサーとかにNHKの仕事で交渉とか言って、でなんかリールをするのに、うちの中国人のスピリチュアルの先生がいるので、まず彼女がオッケーしないとダメだとか言って、うちの母親が会って、
で、そしたら帰ってきたらもうそのおばあちゃんがうちの母親の弟子になりたいっていうぐらい、あと人を見る目がすごくて、大学出てないんだけど、うちの父親がいたところで秘書で入って、人事担当になって副社長になって、で日本と交渉する担当になって社長になって、結構直感的にこう人を見る目と、あとエネルギーがすごく強かったんだね。
で彼女を横から見てて、なんかあるんだなというふうに思ってて、で結構周りにもそういうスピリチュアル系の人たちが、彼女もあってこう集まってたんで、でうちの父親はちょっと自閉症気味な科学者で、もう完全にこう作能だけで動いてる人で、両方見てて、で僕はどっちかっていうとコンピューター系で、ちょっとADHDっぽくてちょっとせっかちで、でなんかちょっとうちの母親がやってることに興味があったので、
で高校大学でいろんなスピリチュアルな人たちの勉強したり、ヒッピームーブメントの人たちと付き合ったりしてて、で瞑想とかそっちの方、でその時に京都でうちの妹もリョウアン寺でちょっと修行したりしてて、なんかそういうのに興味があっていいなと思ってて、
で僕もただ自分のために覚えてたので、あんまりこう人に教えたり自慢げに喋るのはあんまり好きじゃないし、あとそういう自慢げにスピリチュアルのこと語ってる人ってなんか嫌な人が多かったので、なんか静かに勉強してたんだけども、メディアラボに入った時にダララマの教え子のテンゼン、こんばんはご飯食べる、彼がなかなか居心地悪くて、でメディアラボで場所を作ってあげて、
で彼といろいろ話してて、でお坊さんもいろいろ困ってるところもあるんだなって言って彼を助けてあげて、で彼となんかやろうっていうので、でMITのエンジニアたちって結構理屈ばっかりで自分のことテイキーはしないし、みんなアンザイエティに追われてただ働いてて、僕もずっと瞑想とかしてバランスをとってたので、
ただ僕が語るとなんかちょっと嫌なんで、お坊さんと一緒だったらいいかなと思ってテンゼンとその授業を始めて、で普通の授業っていうのは何か外のものをこう一生懸命勉強するんだけども、もう勉強するのは自分だけっていうので、で哲学のいろんな本を読んで毎日瞑想して、でグループでシェアするっていう、で人に絶対教えちゃいけなくて自分が学ぶだけだっていうコースをしたらメディアラボで一番人気のコースになって、
で結構人ってすっごいガラッと変わって、で本当にこう自分を苦しめてた人たちが結構ハッピーになったり、でハッピーになったけど今度モチベーションが落ちちゃったからどうしようって言ったらじゃあこれで入れ替えてこうなった、でそれで開いた人たちが結構いて、でそれをこう今でも続けててメディアラボでやってるんだけども、
僕もその毎年その授業があると、その授業に合わせてまた毎日瞑想して、もう一回全部本読んで、でまた新しい子たちとまたその話をしようするんだから11年続けてこう毎年やってて、でこれ結構自分の修行のためにもすごく勉強になってて、ただやってるうちにこう変なネットワークができて。
あ、じゃあその気づきっていうのは割とこうなんて言うんでしょう、悟り?
うん、僕らも天然と一緒に頑張ってるんだけど、ほとんど話さないようにしちゃう。なぜかっていうと悟りがゴールになっちゃうんだよね。で、で悟りをゴールにしちゃうともう本当お坊さんみたいになっちゃうし、あとは日本語でなんて言うんだっけね、アタッチメントってなんだっけね、そのものにしがみつくこと。
執着。
だからとにかく自分のことちょっとでも気づいて、ちょっとでも分かって、でその分かったことによって少しずつこう目が開くっていうぐらいのゴールにして、でその中でバーンっていった子もいればこの自分の生活が変わる子もいたり、あとすごい面白いのはある子はその瞑想を通じてノンデュアリティ、こう自分と外のこの違いがないっていうのを気づいて、そして全く新しいAIのこう法則を作った。
彼もちょっと自閉症気味なので、その気づきを数学に変えることができたりして、そういういろんな不思議な、でその子たちが結構みんなOBとして集まって一緒に京都旅行したりして、このネットは結構みんな結構ね腹割って話すからすごくつながるんだよね、っていうような授業。
今後の展開と対談の終わり
やってほしい、それ。
これやりましょう。今ね、日本でズームでやってるんで、また今度誘いします。
えー、それぜひ。
先生になってもらう。
いやいや、とんでもない、とんでもない。
えー、そう、いいですね、でもまた違う方向性かもしれないけど、今お茶に興味があるんだけども、なんかこう入門とかちょっとめんどくさいし、指定関係とかも何かこう硬直的だから、
でも一緒にね、なんか茶船でお茶たたくって飲もうよっていう活動もされてるから、すごくいいですね。
すごく近いよね、あんまり力入んないで始められるような環境を作りたいなって思う。
掃除もそうですし、そのお茶をたてることもそうなんですけど、結構内政的なことだったり。
心の中の掃除。
もう、お家はぐちゃぐちゃなんだけど、そうですね。
じゃあ、今日はありがとうございました。
これからまたちょっとオフマイクでお話を、お茶をしながら、よろしくお願いします。なんかやりましょうよ。
枠田のおかみ、桑村優子さんとジョイさんとのトークはこれでおしまい。
場所があると、そういう集まり。
かなりじっくり話した2人ではありますが、まだまだ話し足りないみたい。
なんか新しいことがすぐに始まりそうな予感がしますね。
その時はまたここでお知らせします。
17:22

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