コミュニティとしての政治運動
先にタイトル回収しちゃいますけど、忘れそうなので。
政治運動はコミュニティで宗教っていうタイトルにしたんですけども。
斉藤浩平さんと、最近、左派弱くなってるよね問題っていう話をしたんですけど、
それがなぜ起こり得るのかなっていうのをちょっと考えてたんですけど、
左派の人たちって、政治運動をコミュニティにしがちなんですよね。
なので、みんな仲良く友達同士でやってることなので、そこで批判をするということ自体はもう悪いことであると。
例えば、地元の町内会とかで、全員の話を聞くことが大事で、
目的のためにこうするべきだよとか、この方法は間違ってるよとか、足引っ張るやつは追い出した方がいいよとかっていうのをやっちゃダメなんですよ、コミュニティだから。
なので、みんなが同じことをやり続けて参加してることが大事だよね、参加して続けることが大事だよね、という価値観になるんですよ。
結果として、何かを達成することというのが後回しになっちゃうっていうところが割と政治運動、左派コミュニティは多いなと思ったんですけど、
右コミュニティも結構これあるんですよね。言い方は悪いと思うんですけど、
例えば、玉上さんって毎回東京都知事選って言うんですけど、多分玉上さんの支持者も都知事には受からないよねって分かってやってると思うんですよね。
前回の投票数これぐらいでしたって分かってて、じゃあ1.5倍増えたとしても、都知事には絶対に届かないよねって分かってやってるんですよ。
日本第一党の人とか桜井誠さんとかもそうだと思うんですけど、多分そういう考えを持ってる僕たちというのが定期的に集まって、
その中、街頭演説とかをして、これだけ仲間がいるんだって騒ぐということが大事で、選挙で勝つということが目的にもうなってないんだと思うんですよね。
もちろん口先では言うんですよ。選挙で勝つのが目的ですよって。でももう勝てないよねって多分やってる人たち全員分かっちゃってると思うんですよね。
っていうところが、わりと政治運動自体がコミュニティなんだよなっていう気がするんですよね。
自民党の戦略
左派とか右派とかでもコミュニティ系の人がいるんですけど、コミュニティじゃない政党というのもたまにあって、なのでそのコミュニティじゃない政党でいくと、
自民党って要は政権を取ること自体を目的にしてるので、違う思想の人とかがいたとしても、もうそれは許容しちゃうんですよ。なぜなら政権を取りたいから。
要は過半数の政治家を集めると与党になれるんですよ。なので違う考えの人というのを排除すればするほど、国会議員の数は減るんですよ。
要は国会議員の中で同じ考えの人だけ集めようぜっていうと、過半数満たないよねってなると、自分たちの考えとは違う国会議員を仲間にしないと与党になれないんですよ。
なので仲間じゃないやつもとりあえず同じ政党に入れてしまうっていうのをやってしまうのが、わりと自民党の強さなんじゃないかなと思うんですけど。
コミュニティで宗教って言い方をしたんですけど、政治運動は宗教じゃねえよっていう宗教に対してのアレルギーがある人って、結構反発しがちだと思うんですけど、
基本的には特定の考え思想のものとに集まっている組織というのは宗教であるというふうに僕は見出してるんですよ。
宗教法人法的には教祖がいるとか、経典があるとか、聖地があるとかあるんですけど、それとは別にして、
何らかしらの考えでこれが実現したらいいよねという考え方自体が僕は宗教だと思うんですよ。
なので外国人も含めて日本にいる人たちが平等で幸せな社会の方がいいよねと考える左派の人たちの考え方。
これも思想で考え方なので、それは同じ考え方の人たちというのが集まるのが僕は宗教という定義でいくと宗教だと思っているので、
なのでそれ宗教だよね。右側の人たちだと夫婦別姓は良くないよね。
夫婦は同じ名前で、父親が敬われるというのがあって、法律とかルールとか置いておいて、
その年上の人たちが言うことに若者は従うべきであるという価値観を植え付けていきたいっていうその伝統的な保守と呼ばれる人たちも、
それも僕宗教だと思うんですよ。法律上別に年上だから偉いとかって一兆も書いてないんですよ。
正しいかどうかと年取ってるかどうかは全く関係ないというのが一応現代の科学の考え方なんですけど、
とはいえ年取ってる人の方が正しい、年取ってる人は敬われるべきであるという思想を植え付けるべきであると考える人たちというのが右に多いと。
その人たちもやっぱり僕宗教だと思うんですよね。
カメラピントがずれてるので一回ピント直しますね。はいすいません。
それで話を展開して、なぜコミュニティ宗教を右側与党というのをやらなくて他のところはやってるのかっていうので、
結局勝つためにはコミュニティであることを諦めなければいけないと思うんですよね。
要はその仲の良い人たちでグループを作った方が気持ちいいよね。
でも仲の良い人たちだけじゃやっていけないよね。
なのでわかりやすい例でいくと、高校とか中学校だと思うんですけど、偏差値で入学試験で入る人たちを決めるじゃないですか。
要するにその勉強のできるやつだけを俺たちのコミュニティに入れて、勉強のできないやつを排除するっていうのを、
エリート校と言われるところを大学もやっていて、その結果としてある程度合理的な論理的な話ができる人たちだけで物事を仲間を作って進めていこうっていうところがコミュニティとはちょっと違うところなんですよね。
そういう学校とかのほうが、そういう学校だったりもしくは大学卒業して会社にやりますっていうのも、
大学の成績がいいやつ入れた方がいいよねとか、大学でこういう活動してた方がいいよねとかっていう利益を上げるだったり、
実はこの会社でこういうサービスを作るという目的のためには、こういうスタッフがいるよねっていう形で排除をするんですよ。
なのでその会社っていうのは基本的に利益を上げるという目的があって、そのために排除が必要である。
その結果、排除をきちんとやってる会社のほうがやっぱりうまくいくんですよね、結果を出す。
その排除の中には使えないやつをクビにするっていうのも含まれるんですけど、
なのでその結果を出すためにやっぱり排除をするだったり、そもそも無能なやつを入れないとか、
有能じゃなくなった人を排除するというのが結果を出すために必要なんですけど、
ただコミュニティでそれをやっちゃうと敵がどんどん増えて、仲が悪くなってしまうんですよ。
すごい一生懸命頑張って20年ぐらいやってるけど、でもこの人無能だからもうこのコミュニティから排除したほうがいいよねっていうのは、
会社だと成立するんですけど、割と政治運動とか宗教とかでは、それは認められないよねってなってしまうので、
そうすると目的ではなく、コミュニティの存続自体が何かを達成するという目的ではなくて、
コミュニティの存続自体が目的になってしまうので、そうすると何かを達成するが後回しになっちゃうんですよね。
だから政治運動として、例えば米軍基地を減らすっていう政治運動だったはずなんだけど、
米軍基地を減らすというよりも、そのコミュニティの人たちが仲良く同じことをし続けるということ自体が目的化してしまうっていう。
その目的化自体が別に悪いことかというと、そういうことでもなくて、創価学会っていう宗教があるんですけど、
その創価学会っていうところが公明党っていう政党を作っていて、公明党に所属してる国会議員全員創価学会議員なんですよね。
なので宗教になっちゃうんですけど、確か幹部かなんかがインタビューで言ってたやつだと思うんですけど、
創価学会ってそもそも政治の宗教分離とかあるんですけど、じゃあなんでその選挙やってんのっていうので、
創価学会本当は別に選挙そんなに頑張って与党にいる必要ないと幹部も言ってるんですよ。
じゃあなんで選挙の時にあれだけ頑張るかっていうと、選挙の運動自体が目的なんですよ。
要するに選挙があるたびに創価学会の人たちが集まって、若手も年取った人も集まって、
昔の同窓会とか卒業あるものとかを調べて、昔の中学の時の何々だけど元気?みたいなことを当然言い出して、
今回の選挙誰に投票するの?もし決めてないんだったら私が応援するところに投票してほしいんだけど、みたいなのを
同級生に片っ端から電話をするみたいなことをやらせるんですよ。これが目的なんですよ。
要するに本当に選挙に勝って政治家を送り込みたいんじゃなくて、宗教に所属している人たちが、
じゃあ俺は20件電話かけたよ、じゃあ俺30件電話かけるわとか、電話かける友達いないんだよねとか、
じゃあこういう形で連絡先貸してあげるからこれやってよみたいな形で、目的に対してみんなで努力をするということをやるということ自体が目的なんですよ。
結果として選挙に勝ったらそれはそれでいいよねと、でも選挙に勝たなくてもいいんですよ。
宗教と政治の関係
いわば諏訪会のメンバーがみんなで何かの一つの目的に対して、支部ごとに、帰宅だったら帰宅の支部とかに応援する方がいて、
中国だったら中国の支部に応援する人がいてっていう、各地域ごとに自分たちの代表を勝つために努力をするという運動自体が目的である。
というので結果として与党まで行っちゃったんですよね、それなりに強いので。
なのでそういうところで宗教とかコミュニティであるという政治運動がそれ自体で悪いというわけじゃなくて、
それはそれで結果を出して勝つこともあるっていうのがあるんですけど、
なのでそこまで強さを持ってるんだったら宗教コミュニティという形の政治運動もいいし、
宗教コミュニティでは結果出せないよねっていうのであれば自民党みたいな考え方とか敵でもとりあえず仲間にしちゃって、
数で攻めていくみたいなっていうやり方もどっちかじゃないとやっぱり政治運動の目的というのは達成できないんじゃないかなというふうに思うんですけど、
でも宗教やっぱり無料の労働力があるから強いんですよね。
与党に立場は本来ないんですよ。だから昔から自民党と公明党って昔は仲悪かったんですよ。
要は宗教が政党を持ってるのはいかがなものかっていうので自民党がバンバンと公明党を攻撃してたんですよ。
ところが自民党が単独でもう与党になれなくなったのでどっかと組みたいと。
与党に入れるときに実は公明党ってイデオロギーそんなにないんですよ。
要するに宗教として信者の人たちが幸せになるのが目的なので、
なのでめちゃめちゃ右の思想もないしめちゃめちゃ左の思想もないし、どちらかというと今まで通り人が幸せなまま生きていった方がいいよねっていう、
結構政策としてはものすごく中立なことを言ってたりするんですよね。
福祉系のところにちょこちょこ言いますけど、宗教貧乏な人多いので。
じゃあ自民党としては別に公明党と組んでもそんなに大して自分たちの政策変える必要ないよねっていうのもあって組みやすい。
組んでしまうと無料の運動員がめっちゃいるので便利っていうことがあって、
本来宗教が政党を作って政党として活動するのはいかがなものかって言ってたりも分からず、与党にしちゃうっていう。
それどうなるのかなと思っていて、僕は宗教単体が政党を持つこと自体はどうかと思ってるんですよ。
結局、人それぞれ洗脳されていると言い方がいい悪いもあるんですけど、
じゃあ自民党に投票してる人は洗脳されてないのかとか、
じゃあ立憲民主党に投票してるか洗脳されてないのかっていうと、
それもまた微妙なラインで終わると思うんですけど、少なくとも宗教のリーダーがこうしろって言って、
じゃあそうしますっていう人たちが投票行動にするってなると、宗教って選挙に対して強すぎちゃうんですよ。
なのである種の、これは強すぎるからやっちゃダメだよねっていう裏技みたいなもので、
なので宗教が政治活動をするっていうのを認めるのは僕は良くないんじゃないかなと思ってるんですよね。
結局、政教分離っていうものがなぜ生まれたのかっていうと、
宗教が強すぎてしまって、宗教の考え方というのを法律にしてしまうと、
宗教と政治というのは完全に合致してしまって、めちゃくちゃ強い状態になりすぎちゃうっていうのがあるんですよ。
そうなると教育とかにも手を出して、じゃあ自分たちの宗教が正しいよねという教育にしましょうみたいになっちゃうと、
そうなっちゃうっていうのがあって、強い者同士で政教分離っていうのを言わないと組んじゃうんですよ、宗教と政治は。
なので宗教と政治を組ませてはいけないよねっていうのが、大失敗をしないためのルールなんですけど、
でもそれをやっちゃってるのが今の日本なんですよね。なのでどうかなと思うんですけど。
ナチスは別に宗教ではないんですけど、
ドイツの中でこうしたほうがいいよねって思想があって、権力持ちすぎちゃったせいで、
ナチスにあらぶずば、政治家にあらずみたいな感じで、何かの政治的な活動をするんだったら、
もうナチス党に所属してないと全く活動できないよねって、中国の共産党もそうなんですけど、
共産党に所属してないと全く政治で活動できないよねみたいになっちゃうっていうのがあるので、
強くなりすぎる問題があるので、僕は宗教というのは政治をやるべきではないんじゃないかなと思ってるんですけど。
というわけで、いきなりスパッチに戻りますけど。