1. ひろゆき切り抜きポッドキャスト【公認】
  2. 子育てこそ人類の未来を作るも..
2025-07-29 13:18

子育てこそ人類の未来を作るもっとも価値のある事

今回のテーマ:
子育てこそ人類の未来を作るもっとも価値のある事

元動画:
https://www.youtube.com/watch?v=Gzztc5l-bpk

サマリー

このエピソードでは、39歳の父親が子育ての重要性と価値について語り、少子化対策として親が自身の役割を見直す必要性を考察しています。自己肯定感や他者との関係性にも触れ、子育てを通じて人類の未来を形作る重要性を強調しています。子育て政策に関する問題が指摘され、日本が他国と異なる環境の中で自由に移動できないことが強調されています。また、ITスキルと英語の能力があれば国や地域を自由に選べることが示され、欧米と日本の考え方の違いが浮き彫りになります。

子育ての価値
3歳と1歳の子供を育てる39歳無能な父親です。子育てこそ人類の未来を作るもっとも価値のある仕事だと感じています。
この価値観が広がることが、少子化対策として向かって多くの親が救われなければならないのではないかと思うんですが、どう思いますか?
自分がやっていることに価値があると思い込みたいというのを他者に強要するのはあまり良くないと思うんですよね。
3歳と1歳の子供を育てる39歳の父親で頑張ってるよねというふうに自分が思っていれば、僕はそれでいいと思うんですよ。
社会がそういうふうに認めて、俺のことをチヤホヤしてくれば必要ないんですよ。
他人がどう思うかじゃなくて、自分がそう思っていればそれでいいと思うんですよね。
価値観に行くと、ノーベル賞を取ってる奴の方がすごい。
子育ても大事だけど、どういう価値観が大事かで、最も価値のある仕事であれば、技術的な開発をした科学者だったり技術者の方がすごい。
青色LEDを作った人の方がすごい。
ただ、子供を育てることは大事だよねっていうのは同意なんですよ。
そこで問題なのは、最も価値のある仕事というふうに思わせたいと思い込んでしまうというのが良くないんですよ。
別に自分自身で思ったらいいんですよ。
自己肯定感と他者との関係
シェイティ・ブループイントさんが、人類の未来を使ってるから価値のある仕事をしてるんだって思ってるんだったら、僕はそれ全然いいと思うんです。
ただ、それを他人にそう思ってもらいたいよね。チヤホヤされたいよねっていうのが、むしろ社会に生きていく上には面倒くさいことになるんじゃないかなと思うんですよ。
例えば、ヒロユキみたいな人間にはなりたくないという人って世の中いっぱいいると思うんですよ。
僕は自分自身大好きなので、本当にこんなにダラダラと楽しく暮らせてよかったと思って、僕は自分自身ヒロユキでよかったと思ってるんですけど。
ただ、別にヒロユキみたいな人間になりたくないと思ってる人に、ヒロユキいいよ、セコだよって別に僕は言わないんですよ。
そういう人嫌いな人は嫌いだよね、わかるわかるっていうので、僕は僕自身が好きだけど、別に他人が僕のことを好きになってもらいたいと思わないし、ヒロユキみたいになりたいと思ってほしいとも思わないんですよ。
なので、そこは別に他人は他人だよねっていう形で、他人の価値観を変えようと思っても変えられないので、あんまり意味ないんじゃないかなって思いますけどね。
結局ね、自分が好きな人の方がね、多分好かれてる割合高いんですよね。これが結構不思議なもので、結局どんなにブサイクでも、自分のこと好きなどうでもいい頭の悪いおっさんとかでも、
なんとなく自分自身が好きな人って、なぜか人が寄ってきてしまうんですよね。すごい能力が高くて見栄えも良かったとしても、自分のことがあまり好きでない人って周りで楽しくないよねっていうので、結構人が離れてしまうっていうのがあったりするんですよね。
なので、ナルシストとはちょっとまた違うんですけど、ナルシストって他者と比べて自分自身最高とかが多分ナルシストなんだけど、自己肯定感の強い人って他人がどうでもいいんですよ。
他人が自分を評価してるとかもどうでもなくて、別に生きてるだけで楽しいとか、飯食ってるだけで美味しいとか、割とすでに楽しいという状態で生活してる人なので、どうでもいい口とか、どうでもいい他人の文句とかもあんまりなくて、これうまいよとか、これ面白いよとか、この漫画面白かったよとか、この映画面白いよとか。
なんか楽しいが前提で、楽しいを周りに振りまくんですけど、自己肯定感のない人とか、周りに評価された人とかって、あいつはこれが評価されているけど、私はなぜ評価されないんだろうとか、幸せになれないけど幸せになるのは何をしたらいいんだろうとか、楽しくなさそうな話題が多いんですよね。
子育てを通じた未来への影響
なんでこの人こんなに愚痴ばっかり言ってて、人生の時間を無駄にしてるんだろうっていう。皆さんご存知なんかもしれないですけど、大体の人間の寿命って決まってて、周りにいくら文句を言ったとしても幸せになるというより、むしろ自分の貴重な時間がどんどん減っていくだけなんですよね。
ネガティブな人からはね、人は離れていくんですよね。
ただね、これがね、遺伝の可能性があって、前にも言ったと思うんですけど、僕が王子の警察署に、派出所でアルコールばらまいて、高校生の時に、王子の警察署に報道されて、高橋君と長谷川君と僕が捕まって、高橋君と長谷川君の親が王子の警察署に来て、
申し訳なさそうな顔をしてたんですけど、うちの父親はニヤニヤ笑いながら来たっていうのがあって、基本的に僕、ニヤニヤ属性なんですよね。
トラブルがあった時とかに、僕結構心の中で喜んでるんですよ。
トラブルきた!みたいな。これ何が起こるんですか?みたいな。
映画が好きとか思うんですけど、何も起きない映画ってないじゃないですか。日常の中で突然ドーンときて、そっから映画が始まるんで。
予想してないトラブルとか何かが起きた時に、アドレナリン出ちゃうんですよね。
アドレナリンが出てる状態って楽しいじゃないですか。戦うにしろ困るにしろ。
トラブルというのは、トラブルを解決したら超楽しいし、トラブルを解決しなかったとしても、昨日こんなことあってさみたいなので、やっぱりネタになるじゃないですか。
だからね、どっちにしてもあんま損しないんですよ。売れなくなりましたとか足なくなりましたとかだとその後大変とかあるんだけど、
金がなくなったとかって別に金回収すればいいし、うんこ漏らしちゃったとかでも別に笑い話で済むじゃないですか。
ヒロユキ48歳、うんこを漏らすみたいなので、だいたい友達に笑ってもらえるじゃないですか。
そこがなんか、うんこ漏らしたんだけど誰にも気づかれなかったんだよね。マジで?みたいな。
何らかしらのトラブルというのは僕はプラスになる可能性があると思っていて、
それを他の人が体験したいないものは結局その話をするとネタになるよねっていう。
芸人さんがなぜドラッグをやらないか論によるんですけど、
おかしなこととか変なこととかトラブルとかって、それはそれでいいエピソードが手に入ったよねっていう考え方になっちゃうんですよね。
なので、だいたいすごい苦労した話ってエピソードとして使えるじゃないですか。
ピンチっていうのはむしろ結果的に面白い話になるよねっていう。
自分が関与してるからむしろそこをコントロールする権限があるんですよ。
映画とかって観客じゃないですか。僕だったらこうするよなーとかっていうところが参加できないけど、
そのトラブルに対してむしろそこに参加できるからコントロールしてるからなんですよ。
ゲームと一緒で。映画ってコントロールできないけどゲームってコントロールできるじゃないですか。
むしろ映画より僕ゲームが好きなのはそのトラブルをコントロールしてて、
現実社会でも自分だから自分の能力を使えるじゃないですか。
っていうところがおもろーっていう。そういうところが僕は面白いと思うので、
なのでオンライン家事などかコントロールできないことにお金を使うとか時間を使うとか、
マジ無駄だと思ってます。
うんこ愛を感じるのは別にうんこを食べたいとかじゃなくて、
うんこを食うやつって頭おかしいよねって思ってるってだけでさえ。
あーちょっと違うかなー。怪我したいわけじゃないですよ。
あくまでその状況でコントロールする対象になりたいだけで傷つきたいわけじゃないですよ。
僕痛いの嫌いだからね。
どんな時でもコントロールできます。
要はそのコップに水が半分入ってると考えるのか、半分しかないと考えるのかっていうので、
その起きた出来事というのは捉え方なんですよ。
なので捉え方によって、完全にコントロール不能な観客である場合は、
それは僕観客だよねって話なので知ったことじゃないですけど、
観客ではないって考えてる時は割と自分のコントロールが可能な部分。
僕ねコントロールできないとすぐ飽きるんですよ。
あーだから例えばその日本をこうした方がいいよねーみたいな。
あれ音声言ってる?
あの日本をこうした方がいいよねーみたいな話を結構言ってるじゃないですか。
なんか子供でも投票できた方がいいよねーとか、
若い人たちの票を2倍にした方がいいよねーとか、
消費税ゼロにした方がいいよねーとか、
僕基本的にはコントロールできる自信がないので、
日本の子育て政策と移動の自由
パズルとしてこうした方がいいよねーとかは思ってはいるんですけど、
超どうでもいいと思ってるんですよ。
自分自身で変えられることではないから。
僕は総理大臣じゃないからね。
なので消費税ゼロがいいんだったら、
消費税ゼロの国に行くっていうのが僕のやり方なんですよ。
要するに他の人たちを変えることはできないので、
自分自身の環境を変えるっていうのは可能だよねっていう。
なんでじゃあその子育て政策日本ひどいよねっていうのがあれば、
じゃあ子育て政策にお金を使っている国に行けばいいんじゃないの?とか、
社会保険料高いよねって思うんだったら、
社会保険料ない国に行けばいいんじゃないの?
っていう風なのが割と僕の考え方で、
なので日本に住んでても日本はコントロールできないよっていうのはそりゃそうでしょ。
だって日本にいるんだもん。
なのでそうじゃない国に行けばいいっていう、
環境を変えるのではなく、
自分を動かすことで自分の望み通りの環境に行くっていう方向にしてるんですよ。
なので僕そのIT系なのはどこの国に行っても暮らせるよねっていうのが、
大学生の時にアメリカでそこそこお金が稼げるよねとかっていうのもあったりしたので、
これITだとどこでも住めるから楽だわ。
英語さえ使えてれば世界中どこ行っても何とかなるからええわみたいなのがあって、
なので僕はその世界中どこでも行けて、
どこでも仕事ができるといえばITと英語というのがあるので、
これで多分世界中15人くらいそうなんですよ。
英語喋れてどこでも暮らせるよねっていう人たちっていうのが世界中うろうろしてて、
そういう人たちが自分の都合のいいところに移動するんですよ。
EUってヨーロッパって、
フランス人はフランス語を喋って、
ドイツ人はドイツ語を喋って、
オランダ人はオラン語と英語を喋ってとかスペイン人はスペイン語を喋ってみたいなんですけど、
でもEUに住んでる人って別にどの国に行ってもいいんですよ。
日本の人が中国で働きたいとかだとロードビザ必要ですとか、
アメリカで働きたいロードビザ必要ですなんですけど、
スペイン人ってフランスで働きたければロードビザやらないし、
ドイツで働きたくてもロードビザやらないしっていうので、
じゃあその税金高いから俺ベルギーに行くわっていう人もフランス人多いんですよ。
ベルギーの首都のブリュッセルからフランスのパリまで、
新幹線的なやつに乗ると1時間半くらいかな、行くので、
フランスで税金高いから俺ベルギーに住むわみたいな人ってザラにいるんですよね。
もっと税金高いラトビアに行くわっていう人もいるしっていう感じで、
別にラトビア語喋れないからどうかなみたいなのって、
ヨーロッパの人ってあんま考えてなくて、別に片言の英語で、
自分も片言の英語だけどラトビア人も片言の英語だから大丈夫っしょみたいなので、
行って普通に暮らしてたりするんで、
なのでそういう形で言語と労働能力さえあれば別に何とでもなるよねっていうのが、
アメリカもそのアメリカの州によって全然違うんですよ。
テキサスみたいな消費税、税金めちゃくちゃ安い州もあれば、
カリフォルニアみたいに税金の高い州もあるので、
税金と家も高いカリフォルニアに住むのか、
家めちゃくちゃ安いし税金も安いテキサスに住むのか、
何にもないアーカン操縦に住むのかっていうので、
50州って州ごとに法律も違うし文化も違うので、
それの自分に合うのに行くわっていうのがアメリカの考え方。
ヨーロッパは国も変わるわみたいな。
先進国って、欧米という言い方をするんですけど、
欧州米国で欧米という先進国の言い方をするんですけど、
欧米の人たちって環境を変えるということが容易にできるんですよね。
容易にできる構造になってるんですよ。
日本の人たちって欧米圏に文化があるように思ってる、
勝手に名誉博人だと思い込んでると思うんですけど、
日本の人って環境の移動ができないんですよ。
日本全部法律一緒だよね。
経済トックみたいな多少はあるけど、
基本的に日本どこ行っても法律一緒で文化も一緒で税金も一緒っていうので、
欧州とかアメリカの人と実は考え方は全然違うんですよ。
ITと英語の重要性
別に自分に向いてるところに移動すればいいじゃんっていうのが、
自由を尊重するヨーロッパとかアメリカの人の考え方なんですけど、
日本というのは実はその自由が全くないんですよね。
全部欧米と価値観を共にする日本人としてはみたいな。
いやいや全然ちゃうやん、お前ら自由ないのにって僕は思うんですけど。
すいません。
13:18

コメント

スクロール