スピーカー 2
素晴らしい。すごく正しい発想の仕方だと思います。
確かにその授業を受けてくださって、最初はちょっとうちの組織がちがち公税賞なので難しいと思われた方が、
なんかこう行動を越してそれこそエフェクチュエーション的なプロセスを始めたら周りが変わっていったみたいな話は、
すごくあるかなっていうふうに思って聞いておりました。
なるほど。
スピーカー 1
そうですね。変え方みたいなところはそうなるのと、
エフェクチュエーション的な発想を、これは例えば僕はどちらかというと会社を経営する側の立場なので、組織作る側の立場なので、
会社の中に逆に言うとどうやってエフェクチュエーション的な動きを作っていくのかみたいなことは、
エフェクチュエーションという言葉を知る前は何となく勘でやってたんですけど、
例えば僕らの会社だと部活っていうキーワードがあって、会社の時間、会社のお金、会社で働いている自分の時間も含めて仲間とかも含めて、
それを使って好きな新規事業だったり好きな取り組みしてもいいっていう制度があるんですね。
今最近僕らが頑張って取り組んでいるのは、イシュランというサービスがあるんですけど、
このイシュランというサービスは、がん患者さんが自分に合ったお医者さんを探したいっていうサービスなんですけど、
これもう7,8年やってるんですけど、ようやく最近黒字化してビジネスになったんですけど、
7,8年間ずっと部活で何の売上げも利益を上げない状態で活動を続けてたんですけど、
その期間僕ら部活だと呼んでたんですね。新規事業投資と言わずに部活と呼んでたんです。
なぜなら新規事業への投資をしてるっていうと、いつリターンが来るのかってずっと気にやみながらやらなきゃいけないし、
どっかでもやめろって言わなきゃいけなくなるんだけど、部活でやってますってなったら、
その活動、がん患者さんを何とかしたいっていう活動に対して部費が出てると。
スピーカー 2
おー、なるほど。
スピーカー 1
部費が出てるってことは、経営者、僕は経営者ですけど、経営者サイトからすると、
リターンがなくてもまあまあ野球部がグローブ買うみたいなもんで、
スピーカー 1
イシュランっていうのにサーバーのお金がかかりますみたいなのって言われても、
まあまあ、じゃあ部費だからなって。
ずっと一定の投資じゃないですね、お金を使うことを許容してやってきたら、
でもそれによって本当に世の中で困ってる人たちが助かって、
そのイシュランっていうサービスが非常に多くのユーザーがつくようになって、
注目されたことによって、ビジネス展開がようやく起きたっていうことがあって、
スピーカー 1
これからちゃんと事業として成長できそうだっていう風になったんですけど、
スピーカー 2
素晴らしい。
スピーカー 1
これエフェクチュエーションだったなって感じはするんですよね。
だけど、それが起きれるように会社としてはなるべくコントロールしないで、
やれる仕組みとして部活みたいな制度を作ってた。
スピーカー 2
素晴らしいですね。
めちゃめちゃどういう風なラベルでそれを位置づけるかっていうのの大事さもすごい感じますし、
今の話を聞いてて、すごい抽象度の高い話で言うと、
バウンダリオブジェクトっていう学術用語があるんですけど、
複数のコミュニティを媒介するとか翻訳するようなもののことで、
違う価値観とか利害を持ったコミュニティの両方ともが大事だっていう風に思ってるけど、
価値観が違うので大事だって言ってる意味もちょっと違うような感じだけど、
なので翻訳を媒介するみたいなものっていうのがあるんですけど、
そういったものを社内でうまく見つけられたら、
コーゼーションの組織だったとしてもエフェクチュエーションとうまく媒介してくれるんじゃないかみたいなことを、
すごい抽象的に考えてたんですけど、
今のくらのきさんの話はすごい学びが多かったです。
部活とか、他にもあるかもしれないですけど、売上げを目標とするとか、
コーゼーションの仕組みの中で最適にされてるみたいな仕組みの呼び方じゃなくて、
その人たちも良さとかどういうものかは知ってるけども、
それを違う名前、位置付けみたいな仕組み化するみたいなことができると、
多分それがコーゼーション的には別に売上げを上げなくても部活だからみたいな納得感があるようなものになるっていうことです。
それがすごく具体的な、さっきのバンダルオブジェクトの一つのバリエーションの例としてすごく有効だなと思いました。
スピーカー 3
面白い。僕思うんですけど、前回の時、吉田さんが最後、
自分もそういえばエフェクチュエーション的な感じでここまで来てることに気づくみたいなのって、
多分ほとんどの人、人生のキャリアとかエフェクチュエーションじゃないですか、大体。
なので、僕思うのは、コーゼーションが成立するっていうこと自体レアな環境でないといけない。
コーゼーションからエフェクチュエーションに移行してもらうために必要なので、
コーゼーション要素を取り除いていくみたいな感じなのかなと。
コーゼーション要素を全部取り除くと、人間はエフェクチュエーションに戻るみたいな。
そんな感じがするんですよね。
スピーカー 2
確かに。キャリアとかは、これも私の専門領域を横断してしまうので、そこまで研究者としての発言ができないですけど、
エフェクチュエーションは予測不可能な中で有効な合理性なわけですけど、
やっぱりそれは環境が不安定とか不確実性が高いみたいな時には、もちろん短期でもエフェクチュエーションじゃないとみたいな時もあると思うんですけど、
時間事故を長くするとそもそも予測不可能な問題になっていくので、
人生でどういうふうに自分が生きていくのかとかっていうのは本当に多分エフェクチュエーション的な問題でしかないんだろうなって改めてお話を聞いてて思いました。
スピーカー 1
そうですよね。
マジでコーゼーションの方が実はあんましないんじゃないかってめちゃくちゃ真実をついてる気がするんですよね。
スピーカー 3
そんな安定してる環境ってもうなくない?
スピーカー 1
世の中、そんな因果関係で狙った通りにいくことなんてほぼないじゃないですか、本当はね。
スピーカー 3
このボタン押したらこうなるぐらいの感じですもんね、コーゼーション。
スピーカー 1
短い瞬間だったらズームの停止ボタンを押したら落ちるみたいなものはコーゼーションですけど、
時間軸が長くなればなるほど可能性の選択肢って広がり続けるので、
よく言う世界線増え続けるっていうことだと思うので、その中で因果で決めるって、
未来のことに関してコーゼーション的に、要は因果で決めるのは本当は無理なんじゃないっていうことですよね。
逆に前回の話みたいに、人間の脳が理解するために過去のこと。
過去のことはコーゼーション的に理解はするけど、
未来のことはエフェクチュエーション的に取り組むしか本来ないんじゃないかっていうのは、
いや、なんかもうコーゼーション全否定しましたけど。
いや、でもなんかそんな感じするなっていう。
でも過去のことは歴史は一本にしかならないので、
コーゼーションとして理解し、ストーリーとして楽しむっていうのはいいんでしょうけど、
未来のことをコーゼーションするの無理じゃないかなって。
結局、運と縁みたいな、日本語で言うと運と縁で生きてるみたいなことになるけど、
でも実際そうですからね。
スピーカー 2
そうですね。サラスバシ先生っていうエフェクチュエーションの提唱者の先生がハーバード・サイモンですけど、
そのハーバード・サイモンは経営学の基本的な命題も作ったような方で、
彼の問題意識っていうのは、我々が認知限界をめちゃくちゃ持っている。
だから未来も見通せないし、すごい限られた環境の範囲のことしか、
自分のことすらよく分かってないみたいなところの中で問題解決行動を行っていくみたいなところをモデル化するっていうところを
スピーカー 2
障害されてきた方なんですけど、
彼は個人としては完全に認知能力に限界があるっていうことで、
でもその中で習慣とか記憶とかみたいな有効なメカニズムを特定していくんですけど、
ノベル賞を取ったのは組織として回想化したり分業化することで、
組織的には合理性が一定担保されるみたいな話だったんですね。
なんですけど、エフェクチュエーションは多分、
サイモンが経済学とかから離れた後にやった認知科学の方法を使っての発見でもありますし、
目的に対する最適な手段の選択っていう合理的な構成性的な考え方で、
今の経済学、経営学っていうのは考えられてるんですけども、
我々が実際にやってる問題解決行動でいうと、
もっと目的がないけど楽しみでやってた活動が素晴らしいものを作ってしまうとか、
スピーカー 3
まさに部活ですよね、さっきの。
スピーカー 2
そうですね、そうですね。
そういったこともすごくやってるんじゃないかみたいなところも、
多分捉えていて、そこがすごくエフェクチュエーションとして言語化されたっていうことなので、
むしろ我々やってる活動領域としてはエフェクチュエーションの方が多いんじゃないかっていうのは、
確かになっていうふうにすごく思って聞いてました。
スピーカー 3
エフェクチュエーションの中から、これめちゃくちゃ再現性あるやり方発見されましたねっていうのが、
初めてコーゼーションとして運用が可能になる。
スピーカー 1
そうなんですよね。それはでもコーゼーションというよりはただのエンジニアリングだと思うんですね。
僕が考えてるエンジニアリングっていうのは、つまり再現可能であるってことをエンジニアリングって呼んでるんですけど、
基本的には地球も世の中も全てのものがエフェクチュエーションである。
つまり可能性の世界であるって考えたときに、
ただ人類が工場の時代があったりとか、大量生産するとかってなったときに、
エンジニアリングしないと生産量が追いつかないとかっていう時代があったときに、
じゃあどうやってエンジニアリングしようかっていうふうに考えたら、
再現できる部分を持ってきて機械に置き換えてルールを作って、
そこに人を当てはめることで、なるべくコントロール可能な範囲で生産活動っていうのを増やしていくっていうことをやる時期があったんだけど、
でもその前提にあるのは、無理やり不確実性が高いものの中で、
なんとか確実性を保とうというのが、工場という狭い世界だったんだけど、
それはどちらかというと、どちらが前提にあるのかっていうと、
つまり因果が前提にあるよりは、因果なんかないっていう方が、
確実っていうのが前提にあった上でどうしようってするとしたら、
どっちが自然かっていうと、エフェクチュエーションの方にのほうが自然な感じがするというか、